赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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八話

目が覚めれば葉巻の臭いがあった。ゆっくり目を開ければ、いつものようにソファーに腰掛けていた。ベッドにはエルメロイが身を横たえていた。オルレアンに位置するホテルの一室である。義姉と喧嘩しエルメロイと同室になった、彼はそれを思い出した。のそりと立ち上がり、適当に身繕いすればそのホテルを後にした。キャスターの声はホテルのロビーを出た頃であった。

 

『おはようございます』

「おはよ。早いな」

『マスターの動向は常時監視しておりますので。起床と同時にアラームが鳴る術式です』

「まだ声が寝ぼけてるぞ。朝の身繕い時間なら作るけど?」

『お気遣いだけ頂きます』

「もう済ませたってか」

『いえ、寝間着のままですが』

「それはアレか。私に化粧など不要ですとか、そういうの。ライダーもそうだったけれど、遠坂家人間側レディーズからは不評だったな。肌も髪も体重もケアが要らないなんてインチキだって」

 

この話題は御法度である。遠坂家ではこの話題が出るたび、遠回しの非難が爆撃されるのだ。嫌な事を多い出させるなと、キャスターは不機嫌さを隠さない。

 

『マ、ス、ター』

「ん。キャスターも回転数が上がってきた」

 

深いため息があった。目頭を押さえている従者の姿が如実に浮かぶ。事実その通りであった。

 

『もう少し誠実な手段を選択して頂けると私としても心安まるのですが』

「例えばどんなのだ」

『怒らせるのでは無く、喜ばせる、など』

「何を言ってる。デートに誘うと怒るじゃないか」

『……』

「悪いな。ひねくれてて。でもアレだ。キャスターはもう少し物事に対して揺らぎを持たせた方が良いと思うぞ。まじめすぎ、って意味だ」

『性分ですので』

「俺としても、キャスターの負担は望むところじゃないから、お望み通り誠実にいこうか」

『……生け贄でも捧げてくださるのかしら』

 

キャスターは己の主が何を言い出すのかと戦々恐々だ。

 

「キャスターのホテルから月は見えるか?」

『ええ。それが何か』

「キャスターならそれをどう言葉で表現する?」

『午前6時47分。西方向、地平線の際に月が浮かんでいます。月齢は20.9』

「うん。事象を的確に説明している。とても、らしい」

『説明と表現の違いをおっしゃっているのかしら』

「花朝月夕(かちょうげっせき)って言葉がある。春秋のいい季節のこと、その楽しい一時を言う」

『随分と情緒的です』

「うん。もう一度月を見てみてくれ。なんと表現する?」

 

キャスターは部屋の、水晶玉が置いてある簡素な机から立ち上がると、窓の際に立った。高層建築物は無く彼方まで見通せた。その地平線の如く民家の屋根が連なり、その上に月が浮かんでいた。彼女の眼は月に焦点が合っていたが、意識の焦点が合わない。か細い指が唇に触れれば、ゆっくりと摩り始める。定量的に評価するのは慣れていたが定性的にと言われれば、ほとんど経験が無い。神秘の集合である月であれば尚更だ。彼女の紡ぐ言葉はたどたどしい。

 

「西の空に、地平線、青い空、欠けて、薄く……」

『わすれな草色の空。去りゆく月は、淡くたゆたう。そよぐ春風に踊るのは、山桜。朝月のイメージとしてはこんな感じか』

「山桜、ですか」

『普通桜といえば染井吉野なんだけど、昔は山桜を指したんだ。早朝の澄んだ空に山桜が掛かって、月が浮かんでいれば絶景じゃないかな』

「具体的にお願いします、マスター」

『籠もってないで外の空気を吸うと良い。フランスに来てから籠もりっきりだろ。窓越しじゃ無くて直に朝月を見れば気分も変わる』

「花朝月夕……私は魔女ですから籠もる事に負担はありません。ですが、月の見方が増えた事には感謝します」

『それは結構』

「それはともかく、無断外出は控えるべきかと考えますが」

『昨夜のシエル戦の報告はしたし、やる事は変わらない。最後までつきあう』

「それが理由ですか?」

『おかしいか? 遠坂当主の方針だぞ』

「マスター。進言をしても?」

『予想はできるけれど、どうぞ』

 

真也が信号待ちをしている時である。キャスターは咥えていた一本の髪を背に流すと、ベッドに腰掛けた。ぎしりとマットレスが鳴けば、枕元に置いてあったリボンを手に取った。ゼニスブルーの髪を手でまとめ、リボンでくくれば左胸に流れた。背筋を伸ばし両手を膝の上に置いた。目を瞑り、僅かに俯く。その部屋は彼女一人のみで誰かが居る訳では無い。ただ秘める意思は彼女にとっても重要な事であり、相応の態度で望まなくてはならない。彼女の姿勢はその表れだった。

 

「帰国するべきです」

『それは俺に言うべき事じゃ無い。進言するなら姉さんに言え』

「凛様には申し上げました」

『で?』

「続けると」

『だろうな。姉さんは何かを狙ってる、相当重要らしい』

「マスターに戦闘行動は無理です。眉一つ動かさずイリヤスフィールを斬り付けた3年前ならいざ知らず、打つべき時に打てない剣士に存在価値はありません。これを機に剣を置くべきです」

『もう少しオブラートに包め。死徒とか化け物なら容赦はしない』

「シスター・シエルは人間ではありません」

『なら例外って扱いって事で』

「私は冗談を申し上げているのではありません。マスター。危険すぎます」

『気遣い心配は死ぬほど嬉しいよ。泣き出しそうだ。キャスターの言うとおり、今の俺には向いていないのかもな。だが、今の俺にできる事はこれだけだ。それは分かるだろ? 打てなかろうと、手持ちのカードでやりくりするしかない。大丈夫だって。シスター・シエルとはもう戦わずには済みそうだし、強いて言えばラ・ヴォワザンだけれど、あのおばさんならどうとでも成る』

「しかし、」

『命令するぞ、続行だ』

「……分かりました」

 

言い過ぎたかと気になった真也は和ませる事にした。キャスターは深刻にとらえる傾向があるのだ。彼はそれを知っていた。

 

『宇宙から来た戦闘種族は女子供を殺さないんだよ』

「どなたの事ですか?」

『プレデター』

「彼らが殺さないのは、妊娠した者、病気持ち、戦闘能力のない者です。シスター・シエルは該当しません」

『詳しいな』

「葵様から教わりましたので」

『はは。状況が思い浮かぶ。葵さんは映画が絡むと性格が変わるからな』

「マスターが2年留守にした、しわ寄せは私が引き受けました。帰国次第引き継ぎをお願いします」

『了解だよ。何か新情報は?』

 

キャスターは立ち上がると水晶玉に手を翳した。登録した場所の映像が次々と浮かぶ。映し出されたそれを見た彼女の声は事務的であった。

 

「先日のシスターが死んでいます。場所はあの教会です」

 

念話の符陣越しに伝わってくるのはマスターの戸惑いである。

 

『……シスター・アーシアだな? 現場は押さえられたか?』

「いえ。ただ不可解な事に子宮が抉られています」

 

 

◆◆◆

 

 

その教会は賑やかだった。昨夜の静けさとは打って変わり、警察、マスコミ、野次馬にあふれていた。敷地内に居るのは当然警官のみだ。その教会の墓地を兼ねる庭にアーシアの亡骸が横たわっていた。彼女の周りに、忙しなく動いている男たちが居た。背広姿も居たが、制服組も居た。彼らはフランスの警官たちである。背広組は刑事であろう。KeepOutのテープ越しに覗くのは真也であった。キャスターは言う。

 

『教会が警察の立ち入りを許したのは、いま教会に責任者が不在だからです』

「シエルさんは調べ物だとか言ってたな。聖堂教会と警察でいざこざが起こらなければ良いけれど」

 

真也はKeepOutのテープを潜ると堂々と歩き出した。

 

『マスター?』

「直接シスター・アーシアと会う」

 

数名の警官が真也の姿を認めたが、あまりにも堂々としていた為、声を掛けるか戸惑った。真也の足下で身を横たえるアーシアに、衣服の乱れは無かったが下腹部に穴が開いていた。穴は修道服と、彼女自身の肉体に開いていた。目立った外傷も無い。ただ、その表情は不自然なほどに穏やかだった。死を悟った彼女は、神の御許とへ旅立つと悔いは無かったのだろう。真也はさも当然の態度で、現場検証中の刑事に声を掛けた。

 

「招待状の様な物は遺品にありましたか?」

「いや、そんな物は無かったが……君は何者だ」

「文屋ですよ。トレンドであるSNSのネタにするんです」

 

もちろん大嘘である。彼はご丁寧にメモとペンを持っていた。怪しさは満タンだ。

 

「刑事さん。犯人像を教えてください。やはり精神異常者でしょうか。人間はまじめすぎると、考え方がおかしくなりますからね。哲学者も同様ですけれど。シスターが猟奇殺人に狙われたとなれば、センセーショナルです。やはり捜査も気合いが入ろうものですか」

 

その刑事は真也を囲んでいる複数の警官にこう言った。

 

「つまみ出せ」

 

一人の警官は真也のペンとメモを取り上げると放り出した。突っ伏し、転んだ。真也は衆人たちの視線を浴びる。

 

「報道の自由の侵害だ! 知る自由を守れ!」

 

真也はとりあえず異議を唱えた。すると衆人たちの目が警官に向き、同じように異議を唱えだした。その騒ぎに乗じて真也は逃げ出した。手足を大ぶりに振りながら真也は言う。

 

「キャスター。シスター・アーシアを殺したのが参加者だとしよう。殺してしまったのも、まぁ目を瞑る。臓器を抉ったのは何故だ。生け贄にはよくある手だけれど、今時の魔術師がやるとは思えない。そもそも参加者が奪うのは招待状だけだろうに」

『異常者の可能性も考えられますが、判断はできません』

「自己顕示、サインか」

『肝臓、心臓ならともかく子宮とは随分と倒錯的です』

「シスターに子宮、か。聖母マリアに掛けている、としたらますます思わせぶりだな」

『どなたですか?』

「……あぁそうか、紀元前に生きたキャスターが知っている訳無いな。聖堂教における“彼”を産んだ人だよ。聖杯も実は彼女の胎盤を意味しているって説もあるぐらいだ。それより殺害時間の特定は出来るか?」

『1時間の誤差はありますが、恐らく凛様とルヴィア様がその場を離れてからです』

「……キャスター」

『はい。タイミングが良すぎます。まるで見ていたかの様です。その地の残留思念を調べる事も可能ですが』

「いや、敵が何だか分らない。キャスターはそのまま情報収集に徹してくれ。ラ・ヴォワザンと出くわされても困るし、聖堂教会にキャスターの存在が知られたら事だ。犯人は犯行現場に戻るって言うしな。愉快犯なら尚更だ」

 

場所を変わりカフェである。朝食代わりに真也は左手にあるホットドッグに食らいついていた。右手にはカフェオレだ

 

『凛様がマスターはどこかと聞いていますが。どうなさいますか?』

「朝飯中だ、と答えればいい」

 

ホットドッグにくしゃりと噛みついた。

 

「俺はしばらく単独で動く。姉さんたちが得た情報と、俺が得た情報は適宜やりとりしてくれ。ただし俺の居場所、行動を推測できる情報は伝達禁止とする。理由はルヴィアにしろ、姉さんにしろ、並の魔術師では太刀打ちできない目下最大驚異のラ・ヴォワザンが俺を狙っていること」

『それが別行動の理由ですか?』

「そうだ。不意な遭遇、戦闘からの離脱、諜報活動、一人の方がやりやすい。キャスターは早々に脱落した聖堂教会にも注意してくれ」

『ルヴィア様の招待状に刻まれた十字記号、その一つが赤くなったそうです』

「キルマークね、本当に手が込んでる。アーシアが死んだから残りは6人か。話は以上か?」

『マスターは凛様を避けているように思われます』

「姉さんが何を言い出すか分からない。こう言えばこの話は打ち切ってくれるか?」

 

彼は何食わぬ顔でホットドッグに食らいついた。

 

『トレースの優先順位は如何いたしましょう』

「嫌がらせにしては度が過ぎる質問だぞ」

『重要な事ですから』

「姉さんを最優先にしてくれ。他は余裕があればでいい。姉さんの身に何かあれば遠坂が終わる」

『マスターが、の間違いでは?』

「黙れ」

 

 

◆◆◆

 

 

元来占星術とは天体魔術とも呼び、天体の魔力を利用する物であった。天体の動きが万物に影響を及ぼす、この考え方の元に体系化された術式である。ところがそれは運命性を強く持っていた為、聖堂教における唯一神の領域を侵すと排斥さた。彼らは生き残りの為に、神の領域を侵す物では無いと、星の動きより吉凶を占う物へと変わった。現存する西洋占星術の姿である。

 

メルクーリもその一つ。マルクス・マニリウスを祖とし、ギリシャを本拠地とする西洋占星術の家だ。彼らもまた根源を目指す者であったが、古式の占星術、つまり天体魔術の復興を当面の第一目標としている。もちろんヘルメス・トリスメギストスがその技術を有してるなどとは思い知るよしも無い。

 

そのメルクーリは女性がその家督を継ぐ家系であった。ところが先代は女児に恵まれず、断絶させる訳にはいかないと男児の継承者を決断し、素質に優れた5男を後継者とした。その人物をクレトス・メルクーリと言う。当主は彼を女として育て、後継日も間近に迎えた頃。神の悪戯か、悪魔の采配か。何の因果か長女を儲けた。当主は方針を改め、長女を後継者と変更したが、一族より反発があった。その長女は不義の子であった為である。当主は長女の類い希なる資質を理由に断行したが、当主が死亡した直後からその長女は命を狙われる様になった。

 

その結果。先代の指示に従う派閥と、それに反発する派閥で争いが起こった。当初でこそ、大義名分はあったが、争いが続くにつれ泥沼化した。憎しみの連鎖である。長女タリーアを可愛がっていた5男であり、後継者候補であったクレトスはその実力を持ってどうにか沈静したが、反対派は報復行動を行った。秘術と資産を持ち出し、メルクーリ家の破壊活動を行ったのである。その結果メルクーリは疲弊し、その地位を大きく落とした。かつての威光はすでに無く零落寸前だ。クレトスは家を建て直す為、天使の知識に一縷の望みを掛けたのである。

 

クロムウェルの聖杯戦争は魔術師同士の争奪戦だ。危険が伴う儀式であり、本来であればタリーアは家に残したかった。だが使用人もおらず信頼できる人間も数少ない。なによりタリーアの暗殺を恐れたクレトスは、やむなく同行させる事にした。そう、クレトスは兄であり、タリーアは妹、つまり異父兄妹なのである。

 

町のそれなりに広い通りにあるレストランで夕食をとるのはその二人だ。予算に余裕はない為、町中レストランだったが味はよかった。四角いテーブルにはアイボリーのクロスが掛かり、清潔感と暖かみがあった。椅子は竹細工だ。日本のキョウト製とクレトスはウェイターから聞いたが随分と座り心地が良い。面するガラス窓は大きく、通りを行き交う人が見える。空は紅色でじきに日が沈む。誰も彼もが家路に向かう、そんな頃だ。クレトスがグラスに注がれた赤ワインを口にすると、対面に座るタリーアが見咎めた。

 

「お兄様。これからお仕事だというのにお酒なんて」

「これは気付けよ、酔う程飲まないわ」

 

タリーア・メルクーリ、白人の少女で11歳。腰にまで掛かるその髪はブラウンで、軽くカールを巻いていた。その髪が若苗色のスモックワンピースに掛かれば、初夏のガーデニングを連想させる。隆盛的な若葉、という意味だ。彼女はブロンドの兄と異なるブラウンの髪に寂しさを感じているが、その前髪の隙間からセルリアンブルーの瞳が輝けば、可憐と評価するには十分だ。11歳のルヴィアを想像すれば良いだろう。変質者が彼女に良からぬ思いを持ったところで無理は無い。かもしれない。

 

彼女は足下を飾る黒のロングブーツを忙しなく動かした。それは言いたい事を言いかねる時の、彼女の癖だ。もちろん兄である彼にはお見通しである。

 

「言いたい事があるなら、言いなさい。謙虚は良いけれど、意思は明確にしないと駄目よ」

「あの、お兄様。今晩は止めませんか?」

「昨日もさっきも言ったわね、それ。駄目よ、私たちは戦いに来ているんだから」

「でも、」

「でもじゃないの。覚悟を決めなさい。メルクーリの将来をしょって立つアンタがそんなんじゃダメ」

「……私はお兄様が傷つくのを見たくありません」

「まったく、困った子ね。守ると言えば喜んで、戦うと言えば気落ちして」

「ですが、お兄様。昨夜の教会の一件が気になります。あのシスターの殺され方、7教会の内の一つ“エフェソス”を準えたものに違いないです。エフェソスには聖母マリアの家がありますから。マリア様は“彼”を産んだ、つまり胎盤であり子宮を、」

「およしなさい。魔術師がオカルトなんて」

「オカルトではありません」

「さしたる根拠も無いならオカルトよ。まったく、素質は私を上回るのに、そんな調子じゃ、いつまでたっても手が離せないわ」

「私はお兄様とずっと一緒が良いです」

 

タリーアは頬を染め、俯く。上目遣いのセルリアンブルーは潤みを帯びていた。今の彼女を一言で表すならば、恋する乙女である。幼い頃より傍らに立ち、必死に守られれば無理もない。タリーアは忙しなく脚を動かした。膝に掛けていたナプキンが床に落ちた。クレトスは嬉しさもあったが、呆れと困惑を隠さない。

 

「ほんと、困った子」

 

食事もそこそこに、クレトスは夜の町に繰り出した。彼の手にある招待状の指し示す向きは、町を時計と見立てれば、おおよそ5時の方向だ。彼は今までそうであった様に、天から降りしきる星の囁きに応じて夜空を見上げた。雲一つ無い星空であった。一般人が見れば綺麗と評するだろうが、幾つかの星が異様に強く輝いていた。クレトスはそれが気になった。眉を寄せれば、その顔立ちは懸念の一言だ。

 

「タリーア、まだ白羊宮の季節だったわね?」

「はい、お兄様。それがどうか致しましたか?」

「この招待状の方向気になるわ」

「ですがこの季節、火星が頭上にあるのは日中のみです」

「12星座と10惑星はそれぞれ関連し合っているのよ。天球とは円盤、頭上に見える星々はその半分でしかない。見えない半分も私たちに影響を与えている、それを覚えておきなさい」

「はい、お兄様」

 

クレトスは鞄からノートパソコンを取り出した。起動し立ち上げるのは西洋占星術のソフトである。特殊な物では無く、パソコンショップで入手できるありふれたものだ。彼は手際よくキーを叩くと現在位置と時刻を入手した。表示されるのは彼のその時間におけるホロスコープである。

 

それは一つの円盤と一つの輪で構成されていた。円盤は12当分され、それぞれの仕切りはハウスと呼ばれる。そのハウスは本人、仕事、金融など人生に関わる項目が当てはめられていた。その円盤の、外周を走る輪も同様に12に分けられ、黄道12星座が当てはめられていた。そして円盤上に表示される太陽や月のシンボルは感受点と言い、これらを結ぶ線をアスペクトと呼ぶ。これら一連の図章をホロスコープと呼び、西洋占星術師の始まりであり唯一、そして最後でもある。

 

西洋占星術は星座と惑星、そして被術者(占い対象)で決まる。人は生まれ落ちた時、星座と惑星の属性を持ち、生涯その影響を受ける。そして任意の時間における、星座と惑星の位置で、仕事なり、健康なりの吉凶を占う(予測)するのだ。

 

魔術師ではない占星術師と占星魔術師の、異なるところはその読み取り精度に尽きる。彼らは頭上より降り注ぐ、天体の意思を直接感知できるのだ。もっとも、地球が宇宙に浮かぶ球体である以上、反対側の星を知覚する事はできない。それゆえ、占星魔術師ですら確率から逃れられないのである。転じて、同時に全ての星を読み取る方法さえ有れば、その確率はほぼ100%になるがその様な行為は不可能なので、補助、補完としてホロスコープを書き起こす。ただし、仮に100%にできたとしても、事象の発生確率を知る確率が高いという意味であり、術者の解釈によってその占い内容には誤差が生じる。

 

例えば。事故が起こると分かっていても、自動車にはねられるのか、飛行機が落ちるのかまでは確定できない。それは術者のもつ基本概念、知識に依存する為である。林檎という存在を知らない人、知っている人。この二人に林檎を見せても、認識に差が生じるのは当然である。知らない物を正しく認識する事はできないのだ。星々の声は占星魔術師にも手が余る。

 

ノートパソコンのディスプレイに浮かび上れば、クレトスの魔術回路が動き始める。ホロスコープと、リアルタイムで天体から降りてくる星々の声をクレトスは読み上げた。

 

「白羊宮(アリエス)、金牛宮(タウルス)、双児宮(ゲミニ)……太陽、月、水星……」

 

夜とも成れば液晶ディスプレイの光量も相対的に強くなる。その青白い光を浴びて、夜の暗がりに浮かび上がる兄の表情は深刻だった。つられてタリーアも憂を見せた。

 

「お兄様?」

「やっぱり良くないわね、この方角。タリーア、ご覧なさい」

 

彼はディスプレイを妹に見せた。

 

「12個あるハウスの内二つ、仕事と社会的地位に冥王星と海王星が入ってるわ。両方とも凶星よ。加えて、火星と土星。この4つの凶星が描くアスペクトはグランド・クロス、大凶星だわ」

 

タリーアが不安を隠さず兄を見上げていた。彼は口元に手を添え、そのホロスコープをじっと見ていた。この星の囁きは兄妹の命運を決めるのだ。彼は一つの決断を下した。

 

「止めるわよ」

 

兄の声にタリーアは一転明るい表情だ。花が咲いたとも言えようか。

 

「ではホテルに帰りましょう」

「早合点しないの。これらの最悪の中で唯一の吉星がある、ここに向かうわ。場所は招待状の示す位置と真逆、町を時計の中心とすれば10時の位置ね」

「どのハウスですか?」

「タリーア。天秤宮と火星の関係を説明しなさい」

「金星は吉星で天秤座はその支配力を強めます。では、金星が天秤宮にあると言う事ですか?」

「そう。そしてそのハウスは“友人”よ」

 

 

◆◆◆

 

 

それは石造りの家であった。2階建てで、屋根裏を含めれば3階建てだ。壁は煉瓦色、屋根はコバルトブルーであっただろう。過去形なのは、色はくすんでいるからである。石は欠け、窓ガラスは割れ、閉じられた木の扉は腐っていた。塀も、その門も同じである。庭は雑草が我が物顔で伸び、石畳は砕けていた。手入れなどされていない事は明白だ。その屋敷を陽も落ちた夜半に見れば、誰もが良くない雰囲気を感じ取るであろう。そのものずばり幽霊屋敷である。錆び付いた門が歪な音を立てて開けば、現れたのはメルクーリ兄妹であった。

 

彼はクロスボウを構え庭を見渡した。何も居ない。危険性が無い事を確認すると一歩踏み出した。タリーアは兄から離れない。その表情は不安と怯えである。

 

クレトスは矢に星のシンボルを刻んでいた。幸運にもその時間は凶星である冥王星が人馬宮に掛かっていた。冥王星はハーデスを意味し、言わずと知れた冥府、つまり死と再生を司る神である。人馬宮と冥王星に相生効果は無いがマイナスも無い。彼の手にある矢は星の力を受けて、命中率(人馬宮)と致死率(冥王星)が向上していた。

 

クレトスは場数を踏んでいたが戦士では無い。訓練は受けていたものの身体能力は並、敵の知覚も並より良い程度だ。彼はあくまで占星術師なのである。それでも、するべき事をしなくては成らないならば致し方ない。障害物、脱出経路を頭に入れ、できうる限り慎重に進んだ。この幽霊屋敷がクレトスにとって吉星である以上悪くは無い筈だ。目の前に屋敷が聳える。彼の妹は恐怖のあまり泣きそうだ。

 

「ターリアはここで待っていなさい。私は屋敷の中を捜索するから」

「いえ、どこまでも一緒です」

「危険だって言ってるの、分からない?」

「お兄様と一緒なら死すら厭いません」

「あぁもう、日頃もこれくらい強気でいてくれたら良いのにね」

 

その声は突然だった。

 

「また会ったな」

 

タリーアが身をすくませた。クレトスが反射的にクロスボウを向けた。すると錆びた鉄製ポールの上に真紅の外套を着た男がいた。旗を掲げるであろうポールの上面は、釘の様に平らになっており、その人物はつま先を置いてしゃがんでいた。クレトスは器用なものだと、どのようにその場所に至ったのかと、疑問に思いそして呆れもした。その外套の男はメルクーリ兄妹を一瞥する事も無く、あらぬ方向を詰まらなさそうに見つめていた。右手には霊刀があった。納刀状態で、鞘は右肩の上だ。ポンポンと軽く叩いている。それは苛立ちとやるせなさ、そして葛藤の表れだ。事実、彼のその顔は子供の様にふてくされていた。例えるなら、TVゲームをやる為に勉強に努めなくてはならない子供である。タリーアは兄にしがみつき、その様は怯えるウサギだ。

 

「お兄様」

「黙ってなさい」

 

クレトスは鏃を向け一つ息をのんだ。

 

「トウサカシンヤ、だったわね?」

「そ」

「やっぱりまた会ったわ」

「そだな」

「約束通り占ってあげてもいいけれど、どうする?」

「要らない」

「どうしてここに居るのかしら?」

「参加者を探して彷徨っていた。見つからず、静かな場所だったから少しここで休憩していた。そしたら、アンタたちが現れたって訳だ」

「夜の幽霊屋敷が好きだなんて良くない傾向ね。辛い事でもあったの?」

「どうでも良いだろ。それより」

 

真也はクレトスの腰にしがみつく少女をちらと見た。びくりとタリーアは身を震わせた。真也のまなざしは非難めいていた。

 

「クレトス・メルクーリだったな。その奥ゆかしい娘はアンタの妹か?」

「ええ。ほら、挨拶なさい」

「……タリーア・メルクーリです」

「私の妹が気になるわけ? どうこうしようって言うならまず私に話を通す事ね」

「ならそうさせて貰う。なんで妹をこんな戦争に連れてきた。危険だって分かってるだろ」

「そういう意味?」

「そういう趣味は無い」

「話せない事情があるのよ」

「そ。まじめなアンタが言うならそれで良い」

「知った様な口をきくのね」

「初対面の魔術師に名乗る馬鹿正直者なら、そういう判断もできる」

 

真也は髪を掻きまくった。どうやっても解けないパズルに手こずる様だ。

 

(この町をさんざん走りまくって、ようやく見つけたら、あの人当たりの良いオネェ系で、妹もちか。仲の良い兄妹、なんでこうなる……)

「次に会ったら、敵同士、だったわよね?」

「あぁ。そう言った。襲って、招待状を奪おうかと思った、んだけど。やめた」

「私に見逃す理由は無いわ」

「叶うなら誰かに倒されてくれ。俺はしたくない」

「そんなの偽善よ」

「直情的というか、正直というか、若いな。真っ直ぐな人はは見ていて心地良い。でもぶつかってばかりだと摩耗するぞ」

「そう、そう言うことね」

「なんだ、その見透かした様な、不愉快な微笑みは」

「別に。持っている武器は怖いのに随分と可愛らしいって思ったのよ」

「ふざけんな、可愛いなんて男にも女にも言われたくない」

「でもね。こちらはやり合うつもりなの」

 

クレトスはボウガンのトリガーに指を掛けた。そのクレトスの眼差しに真也は経験者だと悟った。真也が二人を見下ろせば、彼と彼が乗るポールの影が二人に落ちていた。

 

「やらない、そう言ってる」

「敵が何の理由も無く退くなんて、信じられないわね」

「俺にも妹が居る、だから戦いたくない。これは理由にならないか?」

 

クレトスは険しい表情を少し緩めた。

 

「どんな妹さん?」

「料理して良し、掃除して良し、洗濯して良し、家事万能のスーパー妹だ。温和しくて、気が利くけれど、ちょっと思い込みが激しいところが玉に瑕。いや、かなり思い込みが激しいかな」

「歳は?」

「19歳」

「そんなお年頃に恋人は居るんでしょうね」

「困った事におにいちゃん娘で困ってる」

「アンタが構い過ぎた、その結果ね」

「お見通しか」

「こちらもそうなの」

 

クレトスは腰にしがみつくタリーアの頭を撫でながら、ふっと笑った。

 

「いいわ。見逃して貰える代わりに良いこと教えてあげる。参加者の情報よ。悪くないわよね?」

「誠実な人からの情報なら大歓迎」

「この聖杯戦争に聖堂教会が関わっているのだけれど、知っているかしら?」

「知ってる」

「耳が早いのね。ならシスターが死んだってのは?」

 

真也の目の色が変わった。眼鏡越しに灯る蒼い光は月より蒼かった。

 

「アンタがあのシスターをやったのか」

「ピリピリしてるわね。先日の穏やかさ嘘みたい。辛い事でもあったなら、いまアンタが持つものは武器じゃなくて誰かよ。そういう人は居ないのかしら」

「今はアンタの人の良さが障るんだ。事務的に頼むよ」

「恐らく参加者ね。身長は150センチほど。華奢で髪はプラチナブロンドのショートカットヘアー。抱きしめたくなるほど可愛い娘よ。歳は15,6歳かしら」

「オッドアイだったか?」

「夜で距離もあったからそこまで分からないわよ。血にぬれた美少女なんて、ぞわぞわしちゃう」

「質問。どうしてその現場を目撃したのかってこと」

「馬鹿ね。私は占星術師よ? 危険な場所ぐらい見当は付くわ」

「それじゃお返しに俺からも一つ。この聖杯戦争に関わっているかどうかは分からないけれど、この町で死徒と出くわした。十分に注意しろ、可能なら手を引け」

「忠告は承っておくわね。それじゃ私たちは行くけれど、アンタも気をつけなさい」

「気をつけてな」

 

異国の妹は軽くお辞儀をすると、異国の兄に付いていった。その兄妹は夜の町に消えた。

 

「キャスター、五人目だ。ルヴィア、教授、死んだアーシア、クレトス・メルクーリ。そしてどこかの誰か。あと2人。容貌だけ皆に伝えてくれ。正体は不明だがアーシアの招待状を奪った以上参加者に間違いない」

『分かりました』

「今の兄妹をトレースできるキャパはあるか?」

『位置を追うだけならば常時可能です。ですが状態把握は周期的になります。加えて、今後追跡対象が増えるに従い、追跡度合いを調整する事になりますが』

「それで頼む」

 

真也は飛び降りると、夜の町に消えた。

 

(ショートカットでプラチナブロンドの美少女、か。スコットさんの容貌そのままだけれど、まさかな。あの人が代行者に勝てるなんて考えにくい)

 

 

◆◆◆

 

 

町を中心とした2時の位置に巨大な吊り橋がある。その橋に向けて、住宅街を歩く人影が二つあった。一人は10代の少女、一人は20代女性だ。その少女の名はエミーリア・フォン・アウフレヒト、ドイツを拠点とする錬金の魔術師だ。癖はあるものの鮮やかな金髪を、肩の辺りで三つ編みに結っていた。整った顔立ちだが、温和な表情を持っていた。事実温和な性格である。上質のツイードコートを羽織り、足下は黒のロングブーツ。身長は160センチと年齢にしてはやや低い。それを意識し一見大人びたコーディネートだが、可愛らしさを捨てきれず腰にはリボンベルトを巻いていた。

 

もう一人はヘルマ。風変わりな服装で、白と黒のツートンカラーのワンピースを着ていた。フェミニンと言うよりは質実剛健な出で立ちである。頭巾をかぶり露出は顔のみだ。修道服にも女中服にも見える。背は180センチと高く、肌は作られた様に白く、瞳は赤い。銀髪で、猛禽類の様にその目尻はつり上がっていた。彼女の手にあるモノは“ハルベルト”。大型の、相応に重量を持つ武器だがそれを持つ彼女は意ともしていない。彼女の体格、骨格、腕の細さを考慮するとあり得ない光景だ。

 

二人は聖杯戦争の参加者である。数歩先を行くエミーリアは振り返ると、ヘルマに向き合ったまま、歩き始めた。後ろ向き歩きとも言う。ヘルマの右肩に預けられているハルベルトには、不可視の術が掛けられており、人目は問題が無い。だがそれ以前にメイドの様な姿は人目に付く。事実声を掛けられ、その都度エミーリアは暗示を使わねばならなかった。着替えも検討したが礼装でもある為泣く泣く断念だ。エミーリアは温和にこう言った。気にはしつつも、大した問題にはしていない、その表情はそう語っていた。

 

「ねぇヘルマ。本当にこの方向で良いの?」

 

エミーリアの声は少し低めだ。ヘルマなど宝塚の男役である。

 

「あぁ間違いない。招待状は、町を時計と見立てれば2時の方向、ロアール川に掛かる吊り橋を示している」

 

つい先日、シエルと真也が戦った橋である。

 

「そっか。なら急がないとね。あ、ヘルマ。見てみて。あの家可愛いね。バルコニーを支えるアーチが尖塔じゃなくて、半円形だ。という事はロマネスク建築かな」

「あのなエミリーア様よ。ロマネスクは10~13世紀だ。この20世紀に、実用レベルの建築物が残ってるかよ。アインツベルンの城だって19世紀に作り直してるってのに」

「ヘルマは夢が無いね。それと僕はエミーリアだよ。いつになったら覚えてくれるのさ」

「この仕事が終わればおさらばバイバイだ。名前なんてどうだって良い」

「ひょっとしてヘルマってツンデレ?」

「どうしてこうなんでも好意的に考えるつーか、独自のペースなのかね、この暫定主人様はよ」

「ねぇ。ヘルマ。この仕事が終わっても従者を続けない? 僕はヘルマのことを気に入ったんだ」

「そりゃー、どーも、ありがとうよ。けれどそれを決めるのは我がアインツベルンの当主様だ。俺にそんな権利は無いんだよ」

「ヘルマはもう少し自己意識を持った方が良いと思うな」

「ホムンクルスに何を言ってやがるか」

 

ヘルマはアインツベルンのホムンクルスだ。そのアインツベルンから依頼を受けたエミーリアは、援軍としてヘルマを借り受けたのだった。その依頼内容はクロムウェルの聖杯戦争の調査である。

 

二人は招待状が示す吊り橋に到着した。片側2車線の、計4車線あるその大型吊り橋は閑散としていた。22時という時間を考慮しても、自動車一台通行する気配が無いのも気味が悪い。見上げれば数名の大人でようやく抱えられそうな程に太く、針金をより合わせた様な金属のロープが橋を支え弧を描いていた。そのロープに川風が纏わり付き、低い呻りを上げていた。魔牛でも居るのかと錯覚してしまいそうだ。

 

ヘルマはハルベルトを構えた。それは全長3.5メートル、重さ3.5キログラム。先端にある刺先(スパイク)は鋭利で、台形状の斧刃(アクスブレード)が牙を向いている。斧刃の反対側には鈎爪(フルーク)が付いていた。装飾の施された刃と事なり、ポールはウォールナット製でシンプルだった。槍と異なり先端が重い。従ってどの方向の強襲でも応じられる様に柄の斧寄りを持った。静かであった。ただ風が鳴るのみである。ただ、そこが戦場だという事はヘルマはおろかエミーリアにも分かっていた。そして特殊な感覚を持つエミーリアにはその存在を知覚していた。

 

「……妙だな。招待会場を間違えたか? それとも早く来すぎたか?」

 

と言うヘルマの呟きにエミーリアは懐から一本の短刀を取り出した。

 

「ヘルマ。仕掛けるよ」

「居るのか」

「うん」

「任せた」

 

ヘルマの同意を合図にエミーリアの手から短刀が消えた。投擲である。すると誰かが落ちてきた。ポタリ。まるで木の上の毛虫が落ちてきたかの様だ。その誰かは、薄い紫色のゆったりとした衣類を纏っていた。そのゆったりとした衣類を、膨らませる程にゆったりとした体格をしていた。釣縄の上から飛び降りた身軽さとはとうてい結びつかない。ただ者ではなかった。ヘルマの警戒レベルが上がる。知ってか知らずかエミーリアは通常運転だ。

 

「こんにちわ。おばさん。集合場所にいるって事は聖杯戦争の参加者かな?」

 

その声はしゃがれていた。

 

「良い月だ。こんな月夜はいろいろ起きるさね」

 

その飛び降りてきた中年女性は薄気味が悪い程、友好的な笑みを浮かべていた。

 

「例えば私の居場所がバレるのもその一つ。お嬢ちゃん、なぜ私の居場所が分かったんだい? 上手く隠れていたと思ったんだけれどね」

「僕はね、」

「たわけ。手の内を晒す馬鹿が居るか」

「あぁそうだね。ヘルマありがとう」

 

エミーリアは直感に優れるのだ。特に、敵意を持った者に対しては強い効果を持つ。ヘルマは柄の中程をもち、斧刃を背後に向けた。一撃を加える構え、臨戦態勢だ。

 

「さて、ばあさまよ。もう一度確認するが俺らは参加者だ。アンタもそうなんだな?」

「お前たちが欲しいのはこれだろう?」

 

中年女性の手にあるのは一枚の招待状だ。それはアーシアが持っていた物である。ヘルマは笑う。

 

「話が早くて助かるぜ」

「これは随分と大きな得物だ。そんな華奢な身体で振り回せるのかね?」

 

ヘルマは左に薙いだ。その太刀筋は9時から3時である。その斧風で起した風は突風に他ならない。10メートルは離れているというのに、中年女性の衣類が激しく打った。強風に煽られる旗の様だ。

 

「気合い入れな、ばあさまよ。死に損なうと痛ぇぞ」

 

その中年婦人は目を細めた。古い記憶を探る様である。

 

「その白と黒の女中服、どこかで見た事があると思えば……そうかい。アインツベルンの戦闘型ホムンクルスか」

「だったらどうだってんだ」

「ユーブスタクハイトの小僧は元気かね」

「あぁん? ウチの当主様を小僧扱いとは良い度胸してるじゃねーか」

「200年程度なら小僧と呼んでも差し支えはないだろうが……だったらどうするんだい?」

「決まっている。死んで貰うぜ」

「わかりやすい。人形だ」

(このババア、あの斧旋風で臆しやがらねぇ。それどころか眉一つ動かさない、という事は場数は相当踏んでるって事か)

 

ヘルマの警戒レベルは最大級である。

 

「おい、エミリーア様よ。下がってな。ちーとばかり荒れそうだ」

「エミーリアだよ」

 

彼女は不満を言いつつ下がる。ヘルマの足下にはアスファルトが広がっていた。障害物は無く、人よけの術を掛けており、自動車が走り寄る気配も無い。川に沿って走る風が、吊り橋のロープを通り抜け、低い音を立てていた。退治するヘルマは涼しい顔であったが、その心中思案に暮れていた。

 

(ビビると思って振ったのはしくじったか?)

 

ヘルマの持つ武器は長物だ。そのポイントは間合いの長さにあるが、その間合いに届くには、踏み込まねばならない。ヘルマから見るその中年婦人は無手。アスファルトの上に記された道路標示に上に立っていた。ヘルマは見た事は無かったが、もし柳を見た事があれば風に揺れるそれを連想しただろう。

 

(暗器使いの可能性もあるな、どうする)

 

敵の出方が読めない、という意味だ。暫定マスターの声が背後より聞こえる。

 

「ヘルマ、手伝うよ」

「ったく。お節介のお嬢様だぜ」

 

ヘルマは石突を相手に向けながら踏み込んだ。石突を中年女性に向けている。つまりフルスイングの姿勢だ。高所から飛び降りた事実から、身軽さに秀でるとヘルマは踏んだ。逆に考えれば防御に劣るに違いない。外れてもアスファルトを砕き、礫を受ければダメージは期待できる。大ぶりの一撃を用意する隙は、背後のエミーリアがカバーだ。

 

3人の位置関係は中年女、ヘルマ、エミーリアと一直線だ。つまり中年女性からはヘルマが影となりエミーリアの姿は見えない。ヘルマの速力がピークに達する。常人はおろか強化された魔術師でも追従できない動きだ。ただその動きは一直線。動きを読み、カウンターを打つ事も可能だろう、サーヴァント級の存在であれば。

 

ヘルマの威嚇で間合いを読んでいたその中年婦人は、その間合い一歩外で投擲をしようとして慌てて下がった。ヘルマの背後より短刀が飛来してきたのである。その2本の短刀はヘルマを避ける様に、中年女性に襲いかかった。その短刀はミサイルの様に誘導されていた。それは中年女性の隙に他ならない。

 

「おせぇ!」

 

ヘルマは最大の力で袈裟、つまり1時から7時の方向に打ち込んだ。刺先が掠めただけであったが、その斧刃はアスファルトを砕き、爆弾でも爆発したかの様な礫を巻き上げた。川風が粉塵を流す。その影から中年女性が現れた。

 

「ヘルマ!」

 

エミーリアの声は焦燥と警告だ。

 

「下がってろ!」

 

粉塵が流れきった時、中年婦人の両手には短刀が握られていた。何らかのダメージを負わせた、その筈だった。どれ程の素早さなのか。無傷であった。そして中年婦人の足下に落ちていたのは、エミーリアが投擲した2本のナイフである。中年女性は薄気味悪く笑った。ただ僅かばかりの賞賛も混じっていた。

 

「なるほど、短刀に見えるがゴーレムの一種か」

 

その中年婦人は刀身に刻まれた“emeth”の“e”を斬り付け無力化したのであった。“emeth”は真理であり“meth”は死である。

 

「おばさんは器用だね。でもまだまだあるよ。幾つ躱せるかな?」

「流石錬金術の名家“エミーリア・フォン・アウフレヒト”だ」

「おばさんはどうしてそれを知っているのさ」

 

温和なエミーリアの表情に緊張が宿る。流石に聞き捨てならない。

 

「僕は名乗ってないよ」

 

僅かな緊張の後、突然ヘルマが膝を突き、呻き声を上げた。

 

「ヘルマ!」

 

エミーリアが慌てて駆け寄るとヘルマの肩に短刀が突き立てられていた。

 

「待ってて、抜いて癒やすから」

 

ところがその柄に触れると、バチリと弾かれた。エミーリアの目が丸くなる。

 

「……この短刀は」

「もちろん呪詛付きだよ。クレオパトラを殺したというアスプの毒呪だ。ほら、解呪するなら急いだ方が良い。致死時間は一分だからね」

 

言われなくとも。エミーリアは急ぎ解呪を試みるが、徒労に終わった。それはエミーリアより中年婦人の呪力が上回っている事を意味していた。

 

「に、にげろ」

「え、やだよ。ヘルマも一緒じゃないと嫌だ!」

 

ヘルマはもう一度逃げろと言った。その“逃げろ”を最後にヘルマは動かなくなった。エミーリアに怒りと悔しさと悲しみ、そして憎しみが募る。だが彼女の理性が勝てないと訴えていた。彼女は名残惜しそうにヘルマの頬に唇を添えるとそのまま逃げ出した。彼女の表情にあるのは悔恨と悲嘆である。情動的な現代の魔女に、その中年女性は呆れを隠さない。

 

「エーデルフェルトといい、この娘といい。やれやれ、最近の魔女は皆こうなのかね」

 

その中年婦人は逃げるエミーリアの背中に、右手を掲げると呪いを吐いた。走っていたエミーリアは突如、なんの前触れも無く転倒した。意図せぬ現象に目を白黒させていると、彼女の身体は魔力で編んだ針金で拘束されていた。全身を幾重にも巻かれれば、ボンレスハムである。あり得ない、エミーリアはそう呟いた。

 

魔術による攻撃は大きく二つ。外部より影響を与える物と内部より影響を与える物である。呪詛は後者であるが、被術者が持つ結界を突破する必要がある為その難易度は高い。それが強固な結界をもつ魔術師なら尚更だ。エミーリアの驚愕とはそれであった。

 

「そんな、僕の抗魔力を上回ったってこと?」

「単純さ。お嬢ちゃんの抗魔力より私の呪力が強いだけ」

「僕だって並の魔術師じゃ無いのに……針金の拘束、そうか。ラ・ヴォワザン。死人になっていたなんて」

「正解だよ。ただ最近の魔女は頭でっかちばかりだね。呪いは基本、覚えておきな。次があればね」

 

そしてその声は突然だった。

 

「ご苦労様でした。ミセス」

 

倒れているエミーリアが顔を起すとそこに一人の人物が立っていた。プラチナブロンドの少女であった。彼女はその人物が直感で聖杯戦争の関係者だと理解した。付け加えればその発言はラ・ヴォワザンの仲間だと自白している様な物である。

 

「死徒が関係してるってどういうこと?」

「父の因縁、と言っておきましょうか」

「分かったよ。僕の負けだ。招待状を渡すから解放して」

「レディ・アウフレヒト。雇い主であるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンから聞いていないのですか? これは儀式なのです。彼は知っていた筈なのに。気の毒に」

 

彼は心底気の毒そうな顔を見せた。驚いた事にそれは本心でもあった。

 

「気の毒?」

「分かりませんか? 貴女は担がされたという事です。ですが仕方ありません。形骸化していますが、儀式なので始めさせて頂きます」

 

その人物は厳かに唱え始めた。

 

「第19節。わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。

 

第20節。しかし、あなたにたいして言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。

 

第21節。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとはしない。

 

第22節。見よ、わたしはこの女を床に伏させよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。

 

第23節。また、この女の子供たちも打ち殺そう」

 

元来高い声質なので、威厳はそれなりだが得体の知れなさは十分だ。エミーリアは恐怖を飲み干そうと、一つ息を呑み、確認する様に問いかけた。

 

「ヨハネ黙示録、ティアティラ教会への手紙? 君は一体誰なの?」

「詳しいですね。J.C.と名乗っておきましょうか」

「君は僕を殺すつもりなんだね。お願いだよ魔術刻印は家に届けて」

「出来るだけの事はしましょう」

 

それがエミーリアの最後の言葉であった。絶叫の様な悲鳴が響き渡る。ラ・ヴォワザンがエミーリアの遺体を、吊り橋の釣縄に括り付けると、二人はその場を後にした。J.C.の背後に控えるのはラ・ヴォワザンである。

 

「意外と魔女らしい最後だったが……ご主人様よ、これからどうするね」

「体制を整えます。予定を変更して、レディ・エーデルフェルトは最後に回します。準備をし、力をため、脅威を排除する」

 

脅威と聞いたラ・ヴォワザンはかぶりを振った。その意図は落胆である。

 

「まったく。首尾良く相打ち、悪くても片方は倒せると踏んでいたんだがね。最近の輩は根性がない。シエルとトオサカシンヤの対戦は肩すかしだ」

「ミセス。完全回復にはあとどの程度掛かりますか」

「あと10人吸えばってところだよ。斬っただけではなく、斬撃に大量の魔力を撃ち込んできやがったからね、忌々しい小僧だ」

 

彼女は真也に切り落とされた右腕の事を言っていた。身体の他の部分を削り、急ぎ腕を再生させたのである。削った分ダメージが残っていた。

 

「参加者の誘導はくれぐれも慎重にお願いします」

「あぁ、分かっているさね」

 

J.C.はその端正な表情を険しくさせた。

 

(2流などとよくもぬけぬけと……)

 

 

 

 

つづく!

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