赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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十二話

その日はお開きと相成った。単独行動は禁じられ、最低でも二人で行動する事を義務付けられた。ツーマンセルと言う訳だ。死徒ラ・ヴォワザンはアサシンに匹敵する気配遮断を有し、真也ですら察知するのは難しい、ならばその部屋割は必然とも言えよう。つまり休息もツーマンセルである。ソファーに腰掛ける彼の目には、ベッドの上に旅行鞄を広げる元主の姿が写っていた。彼女が衣類を取り出せば、カールを巻いたこんじきの髪がさらりと揺れた。困惑気味の真也に対し、ルヴィアは涼しい顔だった。

 

「一つ聞きたい。何故俺はこの部屋になった」

「私の警護が必要でしょうに」

「グレイさんで良いだろ。男同士、女同士」

「無粋ですわね。ミス・グレイの意中とする殿方が誰だったか、忘れたのかしら」

「それはそうだけれど、状況を考えるならここは堪えどころだろ」

「明日が無いかも知れない、この状況を知った上でその発言は随分と冷酷ではなくて?」

「ルヴィアに異論は無いのか」

「仕方ありませんわ。幾ら私でもラ・ヴォワザンは厳しいですもの。そもそも一人には限界がある、そう言ったのはどなただったかしら」

 

ぐうの音も出なかった。彼はすっくと立ち上がった。

 

「分った。俺は廊下で良い」

「他の御客様に迷惑ですわよ」

「お姫様は城の中、ナイトは城壁で門番」

「騎士という柄ではありませんわね。シンヤはどちらかというと衛兵よ」

「放って置いてくれ。格好良くないって自覚はあるんだ」

「念の為言っておきますが、ベランダからラ・ヴォワザンが侵入した場合、廊下に居ては一歩遅れますわ」

「なら4人同室」

「チューターに寝顔を見られるのは不愉快です」

「俺はいいのか」

「もう見ているでしょうに」

 

トリスメギストスと喧嘩した次の朝の事である。看病していた彼女はソファーで寝てしまったのだが、真也が先に目が覚めたのであった。彼は渋々ソファーに腰掛けた。ただ同室、それだけだ。何時ものようにソファーに腰掛けて、夢と現の間を彷徨うのみである。彼は霊刀を展開すると縋る様に掴んだ。義姉と別れ凹んでいるその直後に、選りにも選ってルヴィアと同室だ。悪魔の悪戯なら質が悪すぎる。“当たらなければどうという事はない”と己に命じ続けた。

 

「入浴しますので、覗かないように」

 

真也の心中何処吹く風、ルヴィアは平然としたものだった。

 

「どうという事は無い」

「なんですの?」

「なんでもない」

 

当たらなければどうという事はない

 

当たらなければどうという事はない

 

当たらなければどうという事はない

 

延々繰返せば、目の前に湯上り姿のルヴィアが立っていた。白いネグリジェの上に、ナイトガウンを着ていた。見慣れた髪にカールは無く、緩やかなウェーブを打っていた。それが湿り気を帯びれば、何時もとは違った艶やかさがあった。迂闊にも見惚れたが、言うべき事は言わねば成るまい。

 

「俺としては普段着でいて欲しいのだけれど」

「シワが付きます」

 

これ以上の指摘は無駄だと悟りそのまま押し黙る事にした。ルヴィアは机に手鏡を置くと身繕いをし始めた。ドライヤーを使い髪を乾かし、櫛梳いて肌のケアをし始めた。幾つかの化粧瓶を扱った後である。彼女の声は唐突だった。

 

「シンヤは北欧諸国に行った事はあるのかしら」

「ないよ。寒いのは苦手でね。いや、一回だけある。まだ日本に落着く前の話……」

 

仕舞ったと慌てて口を噤むが後の祭である。だが生憎と意味は無かった。

 

「養子だともう知っていますの」

「そう。それは良かった」

「なぜ?」

「隠し続けるには少し辛いと思っていた。俺の一番古い記憶はイギリスだけど、雪国の記憶も少しある。あと黒いソーセージ。赤いジャムを付けて食べた」

「ムスタマッカラですわね、それ。フィンランドの料理ですわよ」

「そう。なら行った事があるのかもしれない。お袋は北欧出身だから可能性はある」

「日本人ではありませんのね」

「多分ハーフだ。冬木に落着く7歳まで世界中を彷徨いてた。多分というのは親父の事を殆ど覚えてないから」

「気になるのかしら」

「前は全く気にしていなかった。冬木の聖杯戦争が終わって少し気になるように成って、今は結構気になる。スコットさんが殆ど面識のないリチャード・クロムウェルをあそこまで追い求めたのはなんなのか……やっぱり親は気になるよな」

「シンヤのお父様……どんな方かしら」

「飄々としていても信念と義を重んじ、悪態を付きつつも面倒見が良い。苦況の中でも笑って切抜ける。そんなだったら言う事は無いな」

「随分と具体的ですわね」

 

時計を見れば既に1時だった。

 

「そろそろ寝てくれ。休むのも仕事のうちだろ」

「シンヤは横になりませんの?」

「俺は番をするからこれで良い」

「いつもそうやって寝ているのかしら」

「いや。今日だけ特別」

「嘘ですわね」

「どうしてそう思う」

「知られたくないから嘘を付く。真也の知られたくない事とは何かしら。以前はトオサカの長男としてだった、でも今は異なりシンヤと言う個人があるのみ。今のシンヤは私との距離を縮めたくない。だから嘘を付く、違うかしら?」

「譲歩はしない。この距離だから俺はこの部屋に居られる」

 

彼女は無言でベッドに潜り込んだ。数刻が経てば彼女の言葉はまた唐突だった。

 

「フィンランドの名所というと、定番ですがロバニエミかしら。サンタクロースの村があります。私の家は古都トゥルクにありますの。アウラ川ではゆっくりした時間を過ごせますし、確かに冬は厳しいですが慣れるでしょう」

「あのだな。俺は」

「知っていますわ。トリスメギストス様に義理があると言うのでしょう? ですからシンヤの御望み通り、リバプールとスタドリコンスタブル、あの騒がしくも充実した日々の続きをと言っています。そして私と一緒にフィンランドにいらっしゃいな。シンヤの人生に私の火を焼べてあげますから。返事はこの聖杯戦争が終わった時に聞きます。もう寝ますわね」

 

何時もの様に言い返せず、真也は黙するのみだ。

 

「そうでした。Lihapullatです」

「なに?」

「ミートボールと言えばご理解頂けて? 私の得意料理の一つ。エーデルフェルトに来るなら腕を奮いますわ。不寝番はしっかりとなさい。お休み、シンヤ」

「……お休み」

 

暫くすると寝息が聞えだした。真也はソファーに居続けた。

 

「ルヴィアお嬢様。トリス様にはさ、一ヶ月で居なくなるって言ったんだ。俺がずっと隣に居ること自体約束違反なんだよ。トリス様への義を欠けるなら、3人への義だって欠けるだろ。なんなんだろうな、この役回り。好いてくれるのは死ぬ程嬉しいのに、一緒になれない娘ばかりだ」

 

彼はそう言うと目を瞑った。

 

「なぁランサー。義って本当に重いな」

 

 

◆◆◆

 

 

それは影だった。ホテルの一室に現れたそれは、何の気配も立てずベッドに近づいた。その影が見下ろせば、エルメロイが寝息を立てていた。その部屋はツインルームであった。廊下側のベッドにグレイが寝ているならば、彼は窓側と言う事になる。その影にとって強襲にも脱出にも都合が良い。

 

その影が揺らぐとヒトガタになった。多少脂肪を帯びた腕が伸びると、それには短刀が握られていた。掲げた刀身は黒色で、闇夜に混じればよく見えない。その短刀は金属性だったが、表面に微細かつ鋭利な凹凸があった。それは光を乱反射させ、視認を難しくしていた。固いものを斬る、もしくは血に濡れれば、その凹凸は破損し、隠密性は失われる。だが一太刀で仕留めれば何ら問題は無い。

 

グレイは気がつかない。その影は間抜けな護衛だと嘲笑ったが酷だろう。影に二つの目玉が現れれば、ぎょろりとエルメロイを睨み付ける。それは影が隠密から攻撃に切替えた瞬間でもあった。短刀をエルメロイに打下ろす事と、壁が切崩され真也が現れた事は同時であった。影とはラ・ヴォワザンである。所有する気配遮断を用い忍び込んだが、攻撃に転じる瞬間を真也に悟られたのであった。

 

眼鏡越しの眼球が蒼く光る。このタイミングならば、エルメロイは殺せるが、真也に殺される。ラ・ヴォワザンは即時撤退を選んだ。バックステップ、それと同時にエルメロイに使う筈だった短刀を真也に撃ち込んだ。その気配にグレイとエルメロイが目を覚ます。瞼は半開きだ。真也は霊刀で短刀を打ち落した。ラ・ヴォワザンはベランダから跳躍すると闇夜の街に紛れていった。

 

「追います! グレイさん、二人を頼んだ!」

 

真也も続いた。つまりは追撃戦である。エルメロイは深追いはするなと叫んだが、真也には届かなかった。ホテルから飛降りたラ・ヴォワザンは、4階建ての民家、その屋根に着地するとそのまま屋根伝いに駆けだした。背後に迫る真也が見える。その手にある霊刀は蒼白く光り、言葉で聞かずとも殺意は満タンだ。

 

駆ける度にその距離は縮まった。彼女の敏捷はB、真也はA、ならば追い付かれるのは時間の問題だ。そうなれば戦闘型ではない彼女に為す術は無い。だがそんな事は彼女も承知である。真っ向勝負などハナからする気は無かった。彼女には別の目的があった。

 

夜を駆ける真也の先に死徒の姿があった。彼は三角の黒い屋根を踏抜いた。平らな屋根、台形の屋根を一瞬で駆け抜ければ、4車線はある道路を飛び越えた。目の前に飛来する4本の短刀を叩き落す。その投擲の威は軽く、シエルと比べれば1ランクは落ちる。真也には脅威にすらならないが、魔術師を含む普通の人間は別だ。5人の魔術師たちは、為す術もなく死んでいっただろう。怒りと悔恨が満ちた。

 

「あの時仕留めてさえいれば!」

 

あと10秒経たず追い付かれる、その算段を立てたラ・ヴォワザンは裏路地に降りると街の暗がりに混じった。続き着地した真也は、周囲を探るがラ・ヴォワザンが辿れない。真也の五感から死徒の気配が完全に消えていた。ただ静かだ。ネズミも息を潜める程の静寂である。真也は黙って眼鏡を取り去った。

 

幾ら気配遮断とは言え。その場所にそのスキルを行使する者が存在する以上、殺せる存在がある以上、魔眼の前では無意味だ。点と線が織成す世界に、胎動する群体があった。真也は踏み込んだ。ラ・ヴォワザンも悟られた事を悟った。彼は刺突の構え。その切っ先が狙うのは死徒の死の点だ。

 

だが彼女は用心深かった。真也の切っ先がピタリと止っていた。その先に見知らぬ誰かが

立塞がっていたからである。その誰かとは運悪くラ・ヴォワザンに見初められた、何の関係もないOLだった。ラ・ヴォワザンは投擲すると、真也はバックステップして回避した。彼は脇構えを取った。

 

「どうだい斬れるかね魔眼持ち。見ての通り人質と言う事さ」

「ならお前が反応する前にその首を落とす」

「勘違いしないように言っておくが、一歩でも動けばこの娘の命はないよ」

 

ラ・ヴォワザンは背後から短刀を突きつけていた。

 

「あぁ確かに辛い選択だ。けれど斬る。お前が居なくなれば、ジョナサン・スコット一人のみ。そうなればラ・ヴォワークは事実上瓦解だ」

「それは一体なんの魔眼かねぇ、透視か、それとも未来視か。どうだいお若いの。それを明かせば、この娘を解放しても良い」

「嘘吐けよ。解放すると見せ掛けて、その彼女を呪詛で冒すつもりだろ? その隙に逃げれば俺は追跡できない。その人を助けようとする俺なら放置できないからな。引っ掛るか」

「良いのかい?」

「やれよ。但し言っておく。その人を解放すれば普通に殺す、その人を殺したら魂ごと消滅させる」

「……そうかい、これは驚いた。まさか実在するとは思わなかったね」

「形勢逆転だ、好きな方を選べ。ラ・ヴォワザン」

 

数刻経ったがラ・ヴォワザンは沈黙を保っていた。何かがおかしい。ラ・ヴォワザンは悪魔崇拝結社の最大戦力、真也は魔術協会側の最大戦力だ。このカードは順当だが、目の前の死徒が勝てない事は十分承知している筈。追詰められているにも関わらず、何かを待っている……ならば、それは陽動に他ならない。

 

「……っ!」

「タイミングとしてはボチボチか。もう少し引っ張りたかったが、ま、ご主人様の事なら大丈夫かね」

 

真也は忌ま忌ましそうにその場を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

時を遡る事数刻。真也を見送ったエルメロイたちは急ぎ準備を整えた。騒ぎに駆付けたホテルクルーは暗示で黙らせホテルを出た。動いたのは真也を追跡する為である。彼はルヴィアの通信用複合鉱石を持っているため追跡は可能だ。

 

ラ・ヴォワザンの襲撃が陽動だとエルメロイは予想していた。エルメロイに差向けられるのが本命だ。だがその場合に想定される敵戦力は微々たるものとなるだろう、そう考えた。死徒級の戦力を今まで隠す理由が無いからだ。雑魚ならばルヴィアとグレイで十分に対応できる。

 

あのジョナサン・スコットの割には見通しが甘い、そうは思いつつもエルメロイがその判断をしたのは“そう考えたくなかった”からだ。それ故。2流魔術師であり、彼の教え子でもあるジョナサン・スコットが、彼の目の前に現れた時、その事実を受入れざるを得なかった。彼は初めて指導に失敗したのである。エルメロイと同じように、ジョナサンは克服できなかった、そう言う意味だ。

 

彼の前に立つルヴィアとグレイは臨戦状態だった。ルヴィアはガンドの右腕を向けていた。グレイはホテルで拝借したデッキブラシを構えていた。その脅威にジョナサンは涼しい顔だ。

 

「お久しぶりです、師匠」

「久し振りだ。正体不明の8人目にして、ラ・ヴォワザンの仲間であり、この聖杯戦争の首謀者」

「そこまで到達していましたか。流石師匠です」

「私だけの力ではない、教え子たちの成果だ」

「それは酷い。まるで私がもう教え子では無いような言い方に聞えます」

「それはお前次第だ。ジョナサン・スコット。時計塔のロードとして命ずる。全ての活動を停止、所有している力あるモノを放棄し、投降しろ。この聖杯戦争の実体は魔術協会も把握していない」

「つまり私の命運は師匠の指一つ、と言う訳ですか」

 

ジョナサンはさて困ったと思わせ振りな仕草だ。

 

「師匠の命とあれば私とて尊重をしたい。ですがその命には従えません。師匠より父の方が重要ですから」

「では何をしに来た。レディ・エーデルフェルトと私を殺すか」

「ええ、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトはこの場で仕留めます。心苦しいのですが師匠にはご同行を願います。私の成果を是非ご覧に入れたいので」

 

ルヴィアが歩み出した。頭を軽く振り、肩に掛かった長い髪を整えた。

 

「先程から聞いていれば気分が悪くなりますわ。ミスター・スコット。暫く見ないうちに随分と横柄になったものですわね」

 

エルメロイは直ぐ様ルヴィアを制止した。

 

「レディ・エーデルフェルト。話しているのは私だ。下がりたまえ」

「チューター。話なら引っ捕えた後でもできましてよ」

 

不味い、エルメロイは内心で焦りを感じていた。ルヴィアはジョナサンの変化に気がついていない。だがそれを言及すればジョナサンの動機となるだろう。目の前の教え子“だった”人物が動けば、その後の状況が予想できない。

 

「頭は私だ。下がっていろ」

「良いではありませんか。師匠。女性の我が儘、癇癪を受け止めるのも紳士の務めであり、資質ですよ」

「大した自信だこと。最後にお目にかかったのは何時だったかしら。まるで別人のようですわね」

「先程の質問に答えましょうか。横柄だ、に関してです。それは当然近親憎悪だからですよ」

「何がおっしゃりたいのかしら」

「レディ・エーデルフェルト。貴女も横柄ですから、私の横柄が鼻に掛かるのです」

「結構。その挑戦受けますわ」

「トオサカシンヤが居ないにも関わらず随分と強気だ」

「それは貴方もおなじではなくて? ここにラ・ヴォワザンは居ないのですから。今ひとつ。確かにシンヤより戦闘能力は劣るけれど、縋った事は一度もなくてよ。契約中も、今も変わりませんわ」

「これは妬けます。バケモノの彼とは対等であり支えあう関係だ、そうおっしゃる。私が知らない貴女の一面だ。レディ・バートリ、ミセスを前にした時もその様な調子だったのでしょうね。彼が気に入るのも分ろうモノです」

 

ジョナサンは小さく笑った。

 

「なるほど。これは良い。貴女に何かあれば彼は酷く嘆くに違いない。姉と迷いましたが、良いでしょう。十分だ。貴女にする事にします」

「その女を物扱いする、歪んだ魂を叩き直しますわ」

 

ルヴィアは既にジョナサンの5歩前だ。エルメロイの見立てでは、ルヴィアは敵わないだろう。グレイでも不安が残るが、やむを得まい。グレイをけしかけようとしたその瞬間だ。ジョナサンは、最悪の言葉を吐いた。

 

「しかし、レディ・エーデルフェルトも随分と変わられた」

「何がおっしゃりたいのかしら」

「彼は姉妹を非常に強く想っています。貴女とてその事実は変えられないでしょう。彼女らの次席に甘んじるなど、これが自尊心の高いあのルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとは信じられません」

 

その侮辱を切っ掛けにルヴィアが動いた。彼女の眼差しは鋭く、怒りに満ちていたが、己は失っていなかった。ただ手心は加えまい、そう決めた。目の前の男は2流の魔術師である。体術の訓練に参加したという話も聞かない。事実、あと一歩でルヴィアの間合いに入るというのに、ジョナサンは微動だにしない。油断か余裕かは知らないが、その慢心と高慢を叩きのめす。

 

だが何を何処で間違えたのか。ルヴィアは拘束されていた。ジョナサンに右手を背に回され背後を取られていた。彼のそれは熟練したものだった。鮮やかですらあった。資質と膨大な訓練を経なければ得られない技、それは密教退魔師 慈誠のモノだ。ルヴィアは悔しさを隠さず、背後に居るジョナサンを射貫かんばかりに睨んでいた。エルメロイは確信した。

 

「魔術師の魂を喰らう、とはこういう意味か」

「そうです。私の中には、シスター・アーシア、錬金術師エミーリア・フォン・アウフレヒト、占星術師クレトス・メルクーリ、呪詛師レオナルド・ルチアーノ、密教退魔師慈誠、彼らの魂がある」

「成る程、鉱石魔術を使うレディ・エーデルフェルトの魂はさぞ魅力的だろう。2流である私など魂を喰らう必要すら無い、か」

「とんでもない。最後の一人は師匠と決めていました。師匠は洞察力、分析力に優れ、才能を開花させる力を持つ。そのお陰で私は其れなりの魔術を使えるようになりましたが、能力はどうでも良いのです。師匠だから、私は選んだ」

「どうだ。ジョナサン・スコット。力を手に入れた感想は」

「ええ。とても素晴しい。灰色の世界に色が付いた様です」

「私はお前の指導を誤ったようだ」

 

グレイの眼が鋭く光った。彼女にとってそれは聞き流せない発言だ。

 

「一つ聞こうか。レディ・エーデルフェルトは喰わずではなく殺すと言ったな。7人以上喰えるのか?」

「鋭い。流石私の師匠です」

「答えろ」

「そうです。私は6人を喰らいました。ですからキャパはあと一人分のみです」

「ならばなぜタリーア・メルクーリを喰らった。占星術師の魂は二人も要らないだろう」

「それは、」

 

突風が吹いたと思えばエルメロイの前に真也が立っていた。背を向けて、纏う真紅の外套の裾を揺らしていた。

 

「遅い」

「申し訳ありません。陽動に引っ掛りました」

 

エルメロイの叱責に、真也はその手にある霊刀を以て答えた。抜刀状態だ。ジョナサンは今尚余裕を崩さない。

 

「意外と早かったですね。トオサカさん」

「暫く見ない間に変わったな。まさか、と思った。信じたくは無かった。そうだろう? ジョセフ・クロムウェル」

「私はまだその家名を名乗れません。今迄通りジョナサン・スコットとお呼び下さい。慣れないのであればジョセフ・スコットでも構いません」

「ジョセフ・アッカーソンはどうだ」

「その家名は捨てましたが、お好きな様に」

「なら、ジョナサン・スコットと呼んでやる。そして、ボコってふん縛って全部終りだ」

「終りなどではありません、寧ろここからが始まりです」

「悪いが教授をサルディスにはさせない、ルヴィアをラオディキアにもさせない」

「さてこれはどうするべきか。師匠を渡せばレディ・エーデルフェルトはお返しますが、拒めば彼女を殺します」

「三つ目の選択。ジョナサン・スコット、お前をボコる」

「言うのは自由です。丸い三角、言葉は矛盾を表現できますから。ですが現実は異なります」

 

ジョナサンはレオナルドの糸を手繰るとルヴィアの首に巻き付けた。

 

「魔術刻印を持ち、死に難い魔術師とは言え、首を落とされては為す術はありません。どうなさいますか? 私は師匠一人で良い、そう申上げています」

 

鉄板すら射貫きかねない眼光で真也がジョナサンを睨むと、エルメロイにこう告げた。

 

「教授」

「良いだろう」

「あっさり決めましたね」

「違うものを同じようには扱えない。俺の中では教授よりルヴィアが上、それだけ」

「私は責を負うものだ。これの意味が分るか、ジョナサン」

「私に責を感じてくださるとは、この上ない喜びです師匠。だが彼女は違うようです。師匠の方が上だ」

 

ジョナサンはエルメロイを直ぐには殺さない、エルメロイと真也は機を待つべきだと、同じ結論に至った。だがグレイにとっては看過できない話である。彼女は踏み込むと鉄パイプを撃ち込んだ。

 

ジョナサンはルヴィアを抱えてバックステップ、20メートルの距離を一瞬で飛んだ。如何に鍛えていようと、ルヴィアが軽かろうと、強化の魔術では不可能な芸当だ。そもそもサーヴァント級のグレイをあしらうなど、シエルか真也以外に出来よう筈が無い。

 

考えるのは後だと真也は踏み込んだ。いずれにせよこの機は逃せない。彼にとってその距離はゼロ近似。ジョナサンが反応出来ない速度で、拳骨を打ち込む。ところがその真也の目の前によく分らない生き物が居た。

 

一言で表せばコウモリの羽と槍を持ったヒトガタトカゲ。翼を持ち宙を舞うモノ“Ukobach(ウコバク)”だ。小太りのオーク、そう称するより他はない“Olivier(オリヴィエル)”も居た。太い脚を持ち地を這うモノたちである。ウコバクは空を飛び、オリヴィエルは下水を通り此処に現れた。

 

その100体が真也たちを襲った。

 

真也は右薙ぎでウコバク5体を屠った、脚に取り付いたオリヴィエルを蹴り払い、他のオリヴィエルを吹飛ばした。グレイもデッキブラシを手に応戦している。デッキブラシでオリヴィエルを唐竹、つまり12時から6時の方向に打ち抜ちぬけば、それは凹形状になり果てた。手刀を入れた粘土のようである。

 

グレイが守るエルメロイの心配は無い。一体一体も弱いが数が多い。下級悪魔を全滅させる時間を待つジョナサンではあるまい。下級悪魔を屠りつつ強行する、真也がそう考えた瞬間だ。

 

4本と3本の黒鍵が天から落ちると15体の悪魔たちを斬り裂いた。その黒鍵の主は街灯の上に立つシエルであった。黒い修道服が風に揺らいでいた。ジョナサンを見る彼女は汚物でも見るかのような目である。

 

「貴方がジョナサン・スコットですか。なるほど、悪魔に魂を売ったモノたちの典型ですね、鼻を摘みたくなる臭いです」

「おやおや、まさか埋葬機関と手を組むとは」

「悪魔がヒトの言葉を話すなど不愉快です。その口を閉じなさい」

 

シエルは黒鍵を再装填、2次爆撃。シエルの援護で道が開いた。真也がその小道を踏み込めば2本の短刀が飛んできた。苛立ちを籠めて叩き落せば、ジョナサンの隣にラ・ヴォワザンが立っていた。ラ・ヴォワザンに抱えられるルヴィアは眠らされていた。ジョナサンは全メンバーを確認できた事を確認すると、こう告げた。

 

「師匠。この町の北東にあるカタコンベでお待ちしております」

「見せたいモノと言っていたな。それは何だ」

「私の成長と、成果ですよ」

 

ジョナサンは指を鳴らすと残った下級悪魔を一斉に突入させた。無数の翼音と、大地を蹴る音の中でさえ、その声は明瞭に聞こえた。

 

「トオサカシンヤ、貴方も来て頂きたい。レディ・エーデルフェルトを殺したくはないでしょう?」

 

真也はマス目の様な斬撃を以て10匹の下級悪魔を斬り裂いた。細切れになった悪魔たちの肉片が降注ぐ。その様は土砂降りだ。

 

「俺にとっての人質はルヴィア、そしてお前だ。ジョナサン・スコット。手間掛けさせやがって」

 

ジョナサンは余裕めいた表情を消し、忌ま忌ましさを見せると吐捨てた。

 

「戯言を」

「助けてやる」

 

ジョナサンは闇夜に消えた。真也は襲い来る悪魔を斬りつつも、その背中を追っていた。

 

 

◆◆◆

 

 

その騒がしい場所は外国に向かう人、外国から帰ってくる人で賑わっていた。恐らくバカンスかビジネスだろう。移民もいるかも知れないし、帰郷かもしれない。なぜその様な人たちが居るのか、それは空港と呼ばれる場所だからだ。その証として窓越しにジェット旅客機が飛び立っていった。

 

私も海を渡るその一人だ。これから日本に帰るのである。この手にある日本行きのチケットがその証拠。これで良い。これが正しい在り方だ、そうに決っている。そう念じれば、なんの嫌がらせか、目の前を若い夫婦が歩いて行った。2人の間には5歳ぐらいの女の子がいて3人は笑っていた。

 

ルヴィアなら幸せに出来る、本当にそうか。ルヴィアなら申し分ない、本当にそうか。それで済ませられるのか、納得できるのか。その役が自分ではない他の誰かで納得できるのか。真也の言葉は本当か、また嘘では無いのか。あの時、弟を幸せにすると決めたのに。心は渦巻き、マグマのようにどろどろだ。

 

「あー、やめだやめ。こんなの私らしくない。もう賽は投げられたんだから」

 

そうだ。暫くは陰鬱かもしれない。でも美味しいものを食べて、一晩寝れば落着くだろう。そうで無くとも、一日、一週間。最大でも一ヶ月もあれば十分だ。ルヴィアとの仲を取り持った、そう考えれば幸せにしたとも解釈できる。これで良し。

 

重くて深い、桜と綾子はそう簡単に割切れないだろうが、真也は家族、親子と言うものを強く意識している。流石に家庭を持てば諦めざるを得ないだろう。

 

ルヴィアは主従関係だ、そう言ったが、面倒見の良い彼女のことだ。従者を何時迄も独り者にはしまい。誰かを紹介するならそれで良い。問題はあの義弟が幸せになること。それに絶えず近くに居るなら、ルヴィアの考えが変わる可能性だってある。私は近くに居なかったから変わった。それと同じだ。

 

誰がそうするかはこの際問わない。問えば動けなくなる。だから私は蓋をした。その代わりに止っていた時計は動き始めるのだ。

 

彼女は立上がると国際線の出国ゲートに向けて、旅行鞄を転がし始めた。行く人、去る人の中を通り過ぎた。その心中にあるのは後悔と、躊躇いと、ささやかな希望があった。その凛を待っていたのはキャスターである。彼女は旅行鞄を持っていなかった。

 

「凛様。御挨拶に参りました」

 

何時になく神妙な態度に凛は戸惑った。

 

「御挨拶?」

「これよりマスターの元に戻ります」

「真也は帰国しろって言ったと思うけれど」

「ええ。ですが契約に基づきその義務を果たします。凛様の指導を途中で投げ出す事を御許し下さい」

「そう言うことか。生真面目ね、アンタ」

「性分ですので」

「良いわよ、1から10まで教わる気は無いし。後は自分で何とかするわ。葛木先生の墓は見てあげる。真也に付いていく積もりなんでしょ?」

「ご配慮感謝致します。葵様、桜様、ライダーに宜しくと。では」

 

キャスターの背中が気になった。それは慌ただしさ。そして深刻さと悲壮さである。凛はキャスターを呼止めた。

 

「ちょっと待った。契約に基づきってどういう事よ。真也を勝たせるって解釈して良いのよね?」

「お答えできません」

「地獄まで供をする、これがあの時真也と交わした契約よね。これとの関連を話しなさいよ」

「お答えできません」

「真也が死んだら後を追う、これを想定しているんじゃ無いでしょうね」

「お答えできません」

「ちょっと。それがアンタの従者道? 主を生かすのが従者じゃないの?」

「活かすのが従者です。勝利とは多様な意味を持ちます。主が望み、相応しいモノであればその意に従います」

「話せ」

「そうですわね。親しい誰かが何の痕跡もなく、ある日突然消えるというのは辛い事ですし、それが遠坂家に不和を持込んでは本末転倒。桜様にも説明責任があるならば……いいでしょう。お話しします。凛様。この聖杯戦争の黒幕はリチャード・クロムウェルの非嫡出子、ジョセフ・アッカーソンです。マスターたちはそのジョセフが待ち構える本拠地へ向かっている、つまり決戦です。ですが父と子のしがらみを知ったマスターは冷徹に成り切れません」

「幾ら真也でも会った事も無い誰かに、戸惑うとは思えないけれど」

「ジョセフとはジョナサン・スコットの事です。父に愛されなかった子。彼を救う為に、シエル戦と同じ様な際どい戦いに殉じるはず」

「殉じる?」

「お忘れですか? マスターはランサーに深い思い入れがあります。ジョナサン・スコットを助ける事に、ランサーの姿を重ねています。左手甲の符陣を殺す程の覚悟です」

「……ジョナサン・スコットの救済の為に英霊になるっての?!」

「今迄のマスターはランサーと遠坂とそのバランスで成っていました。遠坂という枷が無くなった以上マスターにあるモノはランサーのみ。今一つの選択を成そうとしています」

「な、ふざけるんじゃ無いよ! ルヴィアの家に行くって言うから、そうしたんだから!」

「マスターがどういう立場であったか、それは十分承知していたはず。今更言うべき事ではありません」

「一緒に行くわ。真也のところに案内して。連れ帰るから」

「お帰り下さい。遠坂真也の従者として申上げます。これ以上我が主を振回すのは看過できません」

「アンタね。真也が幸せになれるなら、これが前提なのよ。それが成立しないならこんな事をする意味は無いわ。あのとき聞いてたんでしょ? 英霊なんて、ランサーの様な結末なんて、冗談じゃない」

「それがマスターにとっての幸せです」

「アンタ、本気で言ってる訳?」

「私は付従う者、並び立つ者ではありません。主の意向に従うのみです。お帰り下さい」

「くどいわよ」

「この場で眠らせる事も出来ますが」

「桜も駄目、綾子も駄目。アンタが真也を幸せに出来るなら、それでもいい。できないでしょ?」

「凛様にもできません」

「できる」

「凛様はそれを放棄しました。その事実を前にどうやって信用しろと?」

「キャスターは、英霊になる結末が本当に幸せだって思う訳? ならなんで葛木先生の元に身を寄せたのよ」

「ならばルヴィア様に頼む事と致します。真実を話せば、二つ返事で受入れるでしょうから」

「無駄ね。真也はルヴィアじゃなくて私を選ぶ、そう決ってる」

「何故ですか?」

「真也は私の事が好きだから。“言える訳無い”真也の口癖よ。そして私もそう」

「何故今言うのですか。ルヴィア様をラ・ヴォワザンから助け出した後、この聖杯戦争に付合うなどと言い出さなければこの様な事態には成りませんでした」

「2年間もほっとかれたのよ、不安にだってなるわよ」

 

睨み合う事数刻。折れたのはキャスターであった。彼女を指導し3年間、これは是が非でも折れないパターンである。ここで魔術を以て組み伏しても、3人が歩き出せないならば、真也の決意が無駄になる。それはキャスターには受入れられない事実だ。深いため息が出た。

 

「マスターは今あのランサーを追っています。いかに凛様とは言え、追い付いただけでは解決になりません。それはどうお考えです」

「大丈夫よ。愚弟は根本的に寂しがり屋だし、それにキャスターとの会話で最終兵器(とっておき)を思い付いたから♪」

 

目の前の主の姉は、人差指を天に指し満面の笑みだ。確かに真也を思い止まらせる可能性を持つのは凛か、或いはルヴィアだが、キャスターは釈然としない。

 

「ヒトが持つ魂の激しい起伏と、強い流動が神代を終わらせた訳ですが……幾ら何でも現金ではありませんか。マスターに必要とされていると確信した途端手の平返しとは。ライダーならば10年、20年刻が経ってもその意思が揺らぐ事はありません。少しは見習うべきです」

「あのね。太陽神へーリオスの孫であるメディア、そして地母神メドゥーサと一緒にしないでよ。不死性を持つアンタたちと違って、私たちは精々80年、短い時間の中でどうやって生きようか齷齪(あくせく)してるんだから、間違える事だってあるわよ。それとライダーだけは駄目。神代ならともかく、人間の男の子を地母神に取られるなんて、人間代表女の子としてはそんな屈辱的なこと看過できないわ。神族は神族とイチャ付いてろつーの」

「まったく。別れる別れる詐偽に付き合わされる、身にもなって頂きたいものです」

「悪かったわよ」

「そうと決ればお急ぎ下さい。間に合わねば意味がありません」

 

キャスターは急ぎ足だ。凛もそれに続いた。

 

「あのさ。キャスターは真也に求められた事はある?」

「それはマスターへの侮辱と判断しますが」

「答えなさいよ」

「ありません。ライダーも同じです。自由意志を持ったマスターが受入れたのは凛様のみです」

「そうよね……ってなんで知ってるわけっ!?」

「……知らないのは御二方だけです」

 

 

 

 

つづく!

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