赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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十四話 再会

エルメロイが使い魔を行使し、第1の間に及び至った時、真也もまたシエルを追い第2の間へ向かっていた。アンデッド専門家のシエルならラ・ヴォワザンに遅れを取る筈が無い。そうすれば黒幕をぶん殴るのみだ。そう思いつつ、その間に辿り着けば、何か柔らかい物が、固い物に衝突した様な音が響いた。例えば粘土を粘土台に叩き付ける音、或いは牛肉の塊をコンクリートの壁に叩き付けるような音だ。その後に、岩壁が砕け散る音、砕けた岩が地に落ちる音が続き、最後に濡れた雑巾が落ちる音がした。グシャリ、それは真也にとって聞き慣れた音だ。誰かが叩き付けられた音に他ならない。それも岩が砕ける程の力である。焦燥に駆られ、音源を見ればシエルが蹲っていた。慌てて駆寄れば酷い怪我だ。右腕、左足、肋骨も何本か折れている。臓器へのダメージもあった。口元、コメカミから流れる血が痛々しい。意識は無い。息も浅い。

 

「う……」

 

だが死んでいなかった。内包する魔力もまだ余裕がある。その身体には高度の治癒術が掛かっていた。安静にすれば直に目を覚ますだろう。問題はこうなった原因である。

 

「ラ・ヴォワザンと相打ちになったのか?」

 

真也の呟きに応えたのはジョナサンであった。

 

「いえ、相打ちなどではありません」

 

真也が振り返れば10メートル程先にジョナサンが立っていた。何故だろう、嫌という程にその表情が目に付いた。顔の作りは何一つ変わっていないというのに、人相が異なって見える。穏やかな少年ではなくギラついた眼だ。野望、野心、そして狂気。彼のもう一つの顔だった。

 

「ミセスは私が助けた、シスター・シエルは私が倒した。随分とお早いお着きだトオサカシンヤ。お陰でシスター・シエルに止めを刺し損ないました」

 

どうやって倒したのか、それは重大な問題であったが、どの道目の前の男を倒す事に変わりは無いのである。幸いにして6人の魔術師の手の内は判明している。ならば対応は可能だ。

 

「よぅ。来たぞ、ジョナサン・スコット」

 

真也はふらりと立上がると睨み付けた。

 

「ボコる前に聞きたい事が二つある。何時、悪魔崇拝結社と手を組んだ」

「貴方が帰国する間際ですよ。槍が時計塔に在るとミセスから聞きました」

「それで同盟を組んだと言う訳か」

「ええ。私も探していましたし利害も一致です」

「もう一つ。依り代となる、この意味が分っているのか。ジョナサン・スコットという人物が消える。堕天使を復活させたところでエドワード・クロムウェルの復活をどうやって実行する。制御されない堕天使がどう行動するか、分らないお前でもないだろ。死者復活の知識なんて手に入らない」

「トオサカさん。貴方は勘違いをしている。腹違いの兄など興味は在りません。私は父上を復活させる、それだけで良い」

「父? 堕天使だぞ」

「何を馬鹿なことを。私は父上を復活させる為だけに50年歩いてきた。父上の復活が今目の前にある。父上の復活、その暁にはクロムウェルを名乗る事が許される。そう、そして私はジョセフ・クロムウェルとなる。これこそが私の望み」

 

真也はトントンと鞘で肩を叩いた。その表情は呆れである。

 

「なるほど聖杯とはよく言ったもんだ。死者の復活なんて聖杯の範疇だからな。いや、堕天使の復活なら反聖杯(リバース・チャリス)が適当だろ」

 

真也は抜刀する。“しゃらん”とガラスの様な音色が響いた。

 

「話が通じないなら仕方無い。お前を蝕む堕天使の呪いを殺して、正気に戻してやる。いいか、ジョナサン・スコット。親父さんは死んだ。死んだ人間はどれ程求めても応えないし、死んだ人間を追い続ければ黄泉に引き摺られる。それをボコって教えてやる」

 

真也に答えたのは彼がよく知るジョナサンであった。温和で礼儀正しい彼である。

 

「残念ですよトオサカさん。貴方は私と同じだと思っていたのに。貴方は持つ者の側だった。私を影であざ笑っていた」

「笑ってなんていない、と言っても説得力は無いよな」

「でももう良いのです。これで屈辱に塗れた日々から解放される。憧れるだけだった天空に羽ばたける。私は力を手に入れた」

「俺は俺のエゴでお前の50年に連なる狂った願いを台無しにする。恨むなら好きにしろ」

「誰がそれを許すのですか?」

「決ってるだろ。お前に対し唯一責を持つ存在、教授だ」

 

真也は霊刀を掲げ刺突の構え。その魔眼が狙うのはジョナサンの心臓に、巣くうモレクの呪いだ。それを殺せば片が付く。万が一正気に戻らずとも、力を失うなら、後は周囲との折衝だ。周囲の環境と折り合いを付けるしか他はない。それは誰もがしている事である。

 

だがどうした事か。対峙するジョナサンはゆるりと立ち尽すのみだ。その距離自動車5台分。緊張も見せず、何がおかしいのかも分らない程に穏やかに微笑んでいた。まるでデート相手を見ているかの様だ。ジョナサンは真也の能力を知っている。6人の魔術師を喰らった程度では歯が立たない事も分っている筈だ。強襲を掛けるならまだしも、ここは見通しの良い、岩で出来た空間である。

 

「フェイル・セーフか」

「はい」

 

どの様な安全策か知らないが、真也に出来る事は魔眼を用い、その呪いを殺すだけだ。ならばそれに従うのみである。真也の姿が掻き消えれば、彼は転がり地を這っていた。地を這うのはジョナサンではなく真也である。それは一秒に満たない駆け引きだった。霊刀の切っ先が、モレクの呪いを捕らえる瞬間、ジョナサンは真也の右腕を掴むと足を引っ掛け、いなした。まさに闘牛士の要領だが真也の敏捷はA、常人では捕らえきれない速度領域に、少女と見間違うばかりの男は余裕を持って追従したのだ。

 

むくりと起き上った真也は平静を保っていたが、その事実に困惑するより他はない。何よりジョナサンが放つ威圧に覚えがあった。それは3年前の事。アインツベルン城で対峙したバーサーカーのそれと酷似していたのである。強大という意味だ。

 

3年前に自己が途切れた真也にとってそれは経験では無い。だが実体感を持つ情報でもある。必要以上に恐れはしなかったが、目の前の状況が理解できなかった。直接攻めるのは芳しくない。ならば間接的に狙うか。それとも来ているであろうグレイと合流するのを待つか。真也がそう考えれば、ジョナサンはその場で、軽く跳躍し始めた。片足ずつ大地を踏み、ステップを刻むようにも、踊っているようにも見えた。信号待ちをしているランナー、これが表現としては適当だろう。お見通しと言わんばかりである。

 

「トオサカさん、貴方は勘違いをしている。贄を喰らうとは父上が力を付けるという意味です。いえ、この世界における影響力を増しつつある、と言う表現が正しいでしょうか。私は父上の化身、喰らった魔術師のその術の再現など、ただの付随効果です。私は父上の加護を受けている」

 

ジョナサンが消えたと思えば真也の懐に潜り込んでいた。

 

「っ!」

 

知覚はしていた。だが追従できなかった。真也の敏捷はA、ジョナサンはA+だ。真也は心眼(偽)Bを以て上肢を逸らす。真也の首があった空間をジョナサンの指が空を切った。鉤爪のような指の形であった。喰らえば抉られていただろう。ジョナサンのスペックを一瞬で悟った真也は、円弧の様に身体を回すと踏み込んだ。離れては主導権を取られる。

 

真也は182センチ、ジョナサンは149センチ。やりづらい事この上ないが、せねばならぬのである。真也はシフトウェイト。踏み込めばジョナサンは笑っていた。敢えて踏み込む事を読まれていた。だがそれは真也の読み通りだ。真也は右手に持っていた霊刀を掲げ打ち下ろす、それを受け止めようとジョナサンが華奢な左手一本を翳せば、真也はそのまま遠心力を用い霊刀を放り投げた。突然の状況にジョナサンは霊刀に意識を取られた。真也のそれはフェイントである。

 

真也は跳躍し右膝をジョナサンの顎に撃ち込んだ。プロレス技の一つ“ニー・バット”である。筋力はあれど体重の無いジョナサンは呆気なく仰け反った。その華奢な身体が宙に浮く。真也の膝は直撃だった。ダメージを追わせたか分らないが、この機は逃せない。ジョナサンが敏捷で上回る以上、動きを止めねば魔眼は使えない。なにより攻撃するのみである。宙を舞っているジョナサンの足を掴むと、一本背負いの要領で足元の岩盤に叩き付けた。

 

これで2撃目。そう見込みを立て、ジョナサンの腹に“ストンピング”つまり踏み付けようとすれば、蹴り飛ばされたのは真也であった。彼の身体は宙を舞い、弧を描き、壁面に叩き付けられ落下した。ジョナサンの筋力はA+、真也の耐久はC。3ランク差の攻撃を受けた真也は、一蹴りで戦闘不能に陥った。真也の攻撃は全く効いていなかったのである。ジョナサンがふらりと立上がれば、真也を見下ろした。

 

「みっともないですね、トオサカさん。いえ、しぶといですか。まるで生ごみに集る黒い虫のようです」

 

四つん這いの真也は見上げると笑みを浮かべた。当然空元気である。口元から血を流していては説得力など皆無だろう。

 

「……これでも地を這うのは慣れている。お前には想像できないだろうけどな」

「成る程、先程のフェイントと良い、相当な実戦経験をお持ちのようだ。ですがこの実力差は致命的です。貴方の攻撃は一切私に届かない」

 

ジョナサンは真也の土手っ腹に蹴りを入れると、真也は再び岩盤に叩き付けた。

 

「がっ! あ、ぐ、」

 

真也は追加ダメージにより戦闘不能どころか行動不能に陥った。崩れ落ちようとすればジョナサンは蹴りを以てそれを支えた。彼の左足の裏が真也の右二の腕を砕いていた。否、押し潰していた。

 

「……っ!」

「さて、これで貴方は霊刀を握る事すら叶いませんが、念には念を入れるとします」

 

ジョナサンは左手で真也の右肘を、右手で右肩を掴むと、筋力A+を以て引き千切った。骨折していた右腕の上腕骨は、割れる煎餅の様な音を立てて、千切れた。上腕二頭筋はゴムの様に伸ばされ、伸びきれなくなると、筋繊維が一本、また一本千切れ、最後は全て千切れた。心臓から肩を通り指先まで繋がる腋窩(えきか)動脈、上腕静脈も破れ、千切れた。ジョナサンは真也の右腕を引き千切ったのである。それは痛みの範疇を通り越し、脳髄を焼く程の刺激であった。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

余りの痛みに動けない筈の真也はのたうち回った。だが暴れど、藻掻けど、ジョナサンは微動だにしなかった。彼は真也の首を掴み岩壁に押し付けた。

 

「分りますよトオサカさん。圧倒的力で打ち拉がれる悲嘆、そして圧倒的力で打ち拉ぐ快楽、私はその両方を知っている。さぞ辛いでしょう」

 

激痛に苛まれ、身を震わせる。口腔と鼻孔から血を流し、左手で右肩を押さえた。直接断面に触れないからだ。その声は震えつつも明確だった。

 

「……k、この馬鹿が、御約束をやりやがって。ジョナサン、お前の頭でも分る様に言ってやる。分不相応の力は破滅のみだ。お前は力に使われてるんだよ」

「随分と見苦しい負け惜しみだ。格を疑う発言です」

「人として生きる事に強い力なんて何の役にも立たない」

「この期に及んでヒトの振りですか。バケモノだというのに」

 

真也は血を吐きながら続けた。

 

「お前はゲームかアニメばかり見て、現実を知らない連中と同じだ。敵だから殺すべきだ、これは戦争だから殺すしかない。格好良く聞こえるだろうが、中身が成っていない。聞こえの良いところしか見ていない。敵にも嘆く身内がいる。それに目を背け続ければ、それが当然だと考える様になる。その時人間では無くなり、正真正銘バケモノとなる。目を覚ませ、麻薬と同じように後戻りできなくなる」

「失礼しました。トオサカシンヤ、貴方は確かに2流だ。レディ・エーデルフェルトを助けようとした事、シスター・シエルもそうだ。強い力をもつモノは純粋でなくてはならないと言うのに、揺れ動く力など争乱の原因でしか無い」

「その不純さ、均衡を取ろうとするのが人の世だ」

「率先してその様な物を知ろうとするなど、不可解にも程がある」

「だから純粋を選ぶか。堕天使の力を以て一切を打砕き、全てを無に帰すか。確かにそうだ。何も無ければ争いも嘆きも無い。心もな。だからお前は馬鹿だと言っている。親父さんだけを求めるなら分る、ならどうして教授に執着する。それは揺らぎの証だ。だから俺はお前を助けに来た」

「確かにそうです。だからこそ私は師匠を喰らい、殺し、父上を復活させる。その時純粋となる。トオサカシンヤ。純粋とは余分な物を削ぎ落した存在。貴方のこの右腕が持っていた日本刀もその権化であるというのに、貴方は余分なモノが多すぎる。それこそ分不相応だ」

 

ジョナサンは真也の右手を放り投げると、右手で真也の首を絞め、更に壁に押しつけた。そして腹に左拳を打ち込んだ。壁に押しつけられているというのに、真也の身体がくの字の曲がった。その威力推して知るべし。臓器破裂。食道から血液や体液が逆流し、大量の血を吐いた。眼球も反転する。

 

「……っ」

 

最早悲鳴すら出せない。藻掻く事すら叶わない。その飛沫がジョナサンの頬と唇に付着する。ジョナサンが感じているのは、はち切れない程の高揚感そして至福感である。反撃されない安心、ダメージを受けない満足。圧倒的な力による一方的な蹂躙、虐殺。笑みが堪えきれない。どの様に止めを刺すか、ジョナサンが考えていると、彼はブロードソードを左の腕で受け止めた。その剣はグレイが魔力放出によって強化した鉄パイプである。

 

グレイは奇襲を企てたが彼女の筋力はB、ジョナサンの耐久はAだ。ダメージは与えられなかった。ジョナサンは強固な岩盤に右脚を立て支えとし、左脚でグレイを蹴り飛ばした。ジョナサンの筋力はA+、グレイの耐久はB、それは2ランク差である。直撃を喰らえばダメージは甚大が、彼女は直感を用いて辛うじて低減させる事に成功した。だが元々と戦闘向きでは無い性格だ。岩壁に叩き付けられた衝撃で彼女は失神した。その内弟子を気遣うのはエルメロイである。彼女の無事を確認すると彼はすっくと立ち上がりジョナサンを見据えた。

 

「それがお前の言う成長と成果か。なるほどサーヴァント級、それも最上位だろうな」

「ええ。貴方の弟子はこれ程に強くなりました。如何ですか、師匠」

「もう、お前は人間でも弟子でもなくなってしまった、と言う事か」

「どの様な意味ですか?」

「もがき足掻き、答を求め続ける存在が人間だ。到達してしまえばその存在意義を失い、後は消滅するのみ。堕天使の復活、これの是非に関わらずお前に師は必要ない」

 

ジョナサンは一瞬、表情を消したが再び笑みを浮かべた。それは嘆きを隠す無理矢理の笑みだったが、もはやエルメロイに気遣う理由は無いのである。

 

「ではこうお呼びしよう。ロード・エルメロイ2世には父上の復活にご協力頂きます」

「良いだろう。その代わり二人は置いていく」

「ミス・グレイか、トオサカシンヤ、どちらを選んでください」

「私が赴くと言っている」

「困った方だ。ならば私が選んで差上げましょう」

 

エルメロイがシエルに言及しなかったのは狙いである。事実、真也を圧倒し増長したジョナサンはシエルを見落した。彼はレオナルドの糸を繰り、真也がフェイントで放り投げた霊刀を手繰り寄せると、意もなく真也の心臓を貫いた。瀕死の状態であった彼は小さく痙攣するのみだ。ジョナサンが口付けを躱せばその唇が血で濡れる。彼は意識の無い真也にこう告げた。

 

「貴方の力、実を言うと少し惜しい。その身体能力とその魔眼を取込み、我が物としたい。ですが既に6人を取込んでいる。貴方を圧倒する為、予備に手を付けてしまった」

「その為のタリーア・メルクーリ、6人目か」

「ええ、5人分では彼と同程度でしたから。最後の一人はエルメロイと決めていましたし、なにより貴方の魂で父上を穢すなど我慢なりません。さよならです」

 

漸く解放された真也であったが、崩れ落ちる事すら許されなかった。心臓を貫く霊刀は岩壁に達し、固定されていたからだ。磔刑と言わんばかりである。

 

「師匠、ではこちらへ」

 

ジョナサンはラ・ヴォワザンを抱えると歩き出した。弟子だった男の背を見るエルメロイの懐には拳銃があった。それは勿論彼自身に使う物である。真也は絶望的、グレイは戦闘不能。発砲したところで当りはしまい。当ったところでダメージは期待できない。シエルとグレイが回復し、合流できるかが全ての鍵だ。

 

 

◆◆◆

 

 

岩壁に磔の真也は首を垂れていた。瞼は開いていたが、その焦点は合っていない。動向は開き掛かっていた。身体に力は無く、心臓を貫く霊刀で強引に立たされているだけだ。千切られた右腕からの出血は止めた。腹部にある大動脈、大静脈の破裂は応急処置で塞いだ。胃、腸、消化器官の修復は後回しだ。肝臓もダメージを負っているが、もともと丈夫な臓器なのでこれも後回しとする。左肺は出血により機能停止。右肺に異常は無し、呼吸の確保はできた。心臓は微細動状態だ。血流自体は魔術によって成しているが、根本的に治癒せねば遠からず完全に停止する。そうなれば正真正銘死亡だ。左腕を動かし、霊刀を抜き、心臓の蘇生を最優先にする。これ以外に戦闘復帰する方法は無いが、生憎と身体は動かない。左腕を動かし、霊刀を抜くには生命維持の分を回さねばならない。それでは本末転倒だ。

 

“契約せよ”

 

世界の声が聞こえる。シエルではジョナサンに勝てまい。モレクが復活すれば考える必要も無くお終いだ。彼女が死ぬ事だけは避けなくてはならない……彼女? ジョナサン・スコットを助けるのでは無かったのか。

 

“契約せよ”

“……彼女を悲劇的な死から救え。これを対価に死後を捧げ、”

“馬鹿な事考えるんじゃないわよ”

 

それは肉声では無い。言語ですら無かった。空気が伝える音、水が伝える音、レールが伝える遙か彼方の音。パスを介し魔力を媒体に伝わった思念である。グレイが壁に張付けにされた真也を降ろそうとすれば「触らないで」その声が響いた。第2の間に現れたのは凛とキャスターである。グレイは初対面のキャスターに違和感を感じたが、凛の連れなのだと取り敢えず気にしない事にした。

 

「リンさん。シンヤさんが」

 

グレイの声は震えていた。

 

「まだ死んでないわよ」

 

凛の声には焦りはあったがしっかりとしていた。

 

「真也は強運持ちだから」

「狂運?」

「強運よ。私と繋がってるんだから」

 

手を翳しキャスターの唱える呪文は一小節。霊刀が生き物の様に抜けたが、血が噴き出す事は無かった。彼女の呪文は霊刀の抜き取りと止血である。ふわりと真也の身体が浮ぶと、ゆっくりと地に降りた。凛が真也の胸に手を翳し呪文を唱えれば、心臓のステータスが彼女の脳裏に表示された。それはキャスターが3年前に刻んだ術式である。主機能はタイマーだがモニタリングも可能だ。コンディション“レッド” 停止寸前であったが右心室の外壁に鋭利な穴が開いているのみだ。これならば3年前より遥かに楽である。何より精神構造への干渉は不用で塞ぐだけで良い。

 

「キャスター。真也の心臓を治癒するから進行を遅らせて」

「凛様。私が直接治癒します」

「だめよ、この心臓は私のなんだから。キャスターの成分を混ぜたくない」

「ではどの様になさるおつもりですか」

「真也自身に治させる」

 

凛は真也の左側にしゃがみ込む。揃えた両膝は彼の左二の腕に触れていた。黒い髪を手櫛で背に流す。彼女が結ぶのは古の力ある言葉であった。

 

 

Obscura luna dea maledictionem. Dicit Hecate.

(其は闇月の女神に基づく呪いなり。その名をヘカテー)

 

Princeps Colchidem Hecatam maledictionem. Est Media.

(其はコルキスの王女が織りなす呪いなり。その名をメディア)

 

Ius sit amet. Veteri aperire ostium amet.

(我が右手に鍵一つ、その鍵を持ち古き戒めを解く)

 

Old constraint quam feci. Clavem est meum.

(その戒めは我が刻む呪いなり。その鍵とは我である)

 

拘束術式限定解除。申請コード“Lindenion”

 

 

“災厄なる翼(cladis ala)”を縛る最後の拘束が解け、心臓の穴が急速に塞がり始める。その様子に安堵すればキャスターが転がっていた右腕を持ってきた。繋ぐのは心臓が動き始めてからだ。グレイはキャスターの持つ切断された腕に、目を白黒させていた。ところが。心臓は一向に動き出さない。呟くキャスターは苦悩めいていた。

 

「……マスターには迷いがある様ですわね」

 

凛はキレた。

 

「あぁもう。世話が焼ける!」

 

凛は左腕の魔術刻印にアクセスすると、その左手を真也の胸に捩じ込んだ。心臓を鷲掴み、数度掌握を繰返せばそれは鼓動を打ち始めた。循環系を優先に修復され、臓器も逐次回復していった。キャスターが千切られた右腕を繋げれば彼は仰け反り、咳き込んだ。数度口から血を吐いたが、肺の修復が終わればそれも収まった。血液がまだ足りないが、魔力で補った。程無くして目を開けば、彼は義姉と従者の姿を確認した。

 

「そう、ルーンの石を追ったのか」

「ちょっと、最初の一言がそれ?」

 

真也は己の指が作り出した指と、眼に映る指の数を確認すると、こう言った。

 

「助けてくれた事には感謝する。このまま帰ってくれ」

「今度死んだら助けないわよ」

「この状態(フルパワー)なら何とかなる」

 

彼は立ち上がると身体の状態を確認した。右腕に痺れがあるが、数分で消えるだろう。体力は回復させたが、残りの魔力量は30%程だ。真也はそのまま背を向けた。

 

「ありがとう」

 

そう言うと歩き出した。霊刀と鞘を拾えば義姉は追い掛けてきた。

 

「待ちなさいよ」

「急いでる」

「話があるのよ」

「今度にしてくれ」

「聞けっての。私の言う事が聞けない訳?」

 

背を向けたままの真也は足を止めない。振り返りすらしなかった。凛にあるのは躊躇いと後悔と。僅かに目を背けてこう告げた。

 

「ごめん、私が間違ってた」

「間違ってない。姉さんは正しい」

「なら」

「けどな。数年後、またそう思わないって、それが断言できるか? 気持だけではどうにもならないと言ったのは姉さんだ」

「だったらまた私が我が儘を言い出さないように、ちゃんと掴んでおいて」

「もう、賽は投げられたんだよ。だから帰れ」

「いや」

 

義弟は振り返ると左手の平を義姉の額に宛てがった。

 

「なら実力行使だ。これから姉さんのオドを乱す。暫くここでじっとしていてくれ」

「恨むから」

「好きにしろ」

「耐えられないくせに」

「姉さんは選べと言った。俺は選んだ。これが全て。お休み。目が覚めた時全部終わってる」

「私ね、真也の事を愛してる」

 

彼の手が止まった。彼は無表情だったが、込上げる感情を必死に抑えていた。

 

「私だってもう真也有りきなのよ。真也は私の事どう思ってる?」

「それはこたえられない」

「答える? 応える?」

「こたえられない」

「ほんと意地っ張り。これ以上は聞かないから」

「こたえられ、」

 

彼の口は彼女の唇で塞がれた。

 

「聞かない、ってこういう意味」

「……帰れ」

 

義理の弟が背を向ければ、義姉は腕を組みため息を吐く。睨み付けもした。

 

「アンタのランサー好きは筋金入りだわ。私と桜の為ならあっさりと手の平を返した3年前が嘘みたい」

「もうあの時の俺じゃ無い。姉さんに開放された時にこうなった」

「そうね。素直に言う事を聞くのは楽だけれど、それじゃ面白くないわ」

 

義理の弟はシエルを背負い、第七聖典を手に持つと、心許無い足取りでエルメロイの後を追った。最後の間へと続く洞窟に消えていった。

 

「キャスター、アンタはここで待機してて。後は私たちでやるから」

「何をなさるつもりですか」

「困難な英雄的行為を成し遂げる、これがランサーへの道だって信じてるのね。信奉している人間を改めさせるには言葉じゃ駄目、事実をキツく見せ付けないと。親(ランサー)離れも兼ねて一石二鳥」

「気付いておられましたか」

「当然でしょ」

「分りました。弟子の試験にちょうど良いですし、切開の御手並拝見といきましょう」

「卒業試験よね?」

「もちろん中間試験ですわ」

 

二人の会話について行けないのはグレイである。

 

「あの、私には何が何だか。リンさん。この人だれですか? その、随分綺麗な人ですけれど」

 

凛とキャスターは見合うと思わず吹出した。今それを気にするところなのか、と言う意味だ。

 

 

 

つづく!

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