赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
最奥にある第3の間に魔法陣があった。円筒形の、広大な空洞の中にあるそれはヘリが収まる程に大きく、淡い光を放っていた。その魔法陣の中心に突き立てられるのは、神の子を殺した槍である。エルメロイは葉巻の煙と共に吐き出した。
「成る程な。天使召喚術式であるジョン・ディーの大印章(アエメト)を堕天使用に書き換えた。下級悪魔を呼び出し、槍を使い受肉させた。ここまでは予想通りだが、これ程の霊脈が発見されずに残っていたとは驚くより他はない」
「父上の遺産です」
「争うに価値のある霊脈だな」
「ただの付随物です」
エルメロイが周囲の確認を行えば、空洞の縁にルヴィアの姿があった。ラ・ヴォワザンの針金拘束の呪により拘束されていたが異常は無い。事実彼女は射殺さん程にジョナサンを睨んでいた。さすればエルメロイも睨みだす。
「随分と遅いご到着ですこと。授業に遅れる生徒はもう叱れませんわね」
「これでも割増料金を払い、急がせたのだがな」
「出し惜しみをしたのではなくて?」
「私は君ほど裕福では無い。それは無理な相談だ」
「妹御に頼めば良いでしょうに。チューターが頭を下げれば彼女は二つ返事で応じますわよ」
「彼女の話はするな」
「ところでチューターは一人ですのね」
「そう言う事だ」
ジョナサンが割って入った。
「さて、ロード・エルメロイ。感動の再会はそこまでにして頂きます。どうぞこちらへ」
槍の元へ誘うジョナサンは姫をエスコートする騎士の様だ。ジョナサンの後を続くエルメロイは不愉快極まり無い。
「二世を付けろ。何度言わせるつもりだ」
「もう良いでしょう。あまり卑下されては、貴方の教え子たちが気の毒というモノです。生徒には責を持つ、そうおっしゃったのは貴方だ」
ジョナサンが背を向けている事を確認し、エルメロイは懐の拳銃に手を掛けた。突然振り向いたジョナサンの表情には余裕が消えていた。見抜かれたのかとエルメロイは覚悟を決めたが、そのちぐはぐな瞳は、エルメロイを通り越し、少し離れた所に立つ真紅の外套に注がれていた。凛と真也である。悠々と歩くその様は隊列を成す騎士のよう。
「やはり戻ってきましたわね……」
凛の姿を認めたルヴィアは思わず悪態を付いた。多少は申し訳なさそうな態度をしろと、言う意味である。
◆◆◆
ジョナサンは抱えていたラ・ヴォワザンを魔法陣の中央に置くと、まず話し掛けたのは凛であった。ワンクッション、心の苛立ちを落ちつかせる為である。
「ミス・トオサカ。とうに帰国されたと思っていましたが」
「質の悪い奴に捕まった、それを思い出したって事よ」
彼女は挑発的な笑みを以て返答とした。そして本命である。彼女の横に立つ男を睨みつける。
「トオサカシンヤ。貴方の姉上は随分と強力な治癒術をお持ちの様だ。ですがあんな目に遭っていながら、性懲りも無く現れるとは。理解に苦しみます」
「死ぬのは慣れてる、ギルガメッシュ様に一回、バカシロに一回。楽勝楽勝」
「ギル? バカシ?」
「こちらの話だ。けどな。ジョナサン・スコット。半殺しにされた落とし前は付けるぞ」
「漸くその気になりましたか」
「あぁ。ジョナサン・スコットを殺す。そうすればジョセフ・アッカーソンは帰ってくるからな」
笑みを浮かべていた、ジョナサンの表情が再び鋭くなった。怒りよりは苛立ち、憎しみすらあった。
「貴方という人は、未だ私を見下ろすのですか。私に圧倒されておきながら、それを理解できないとはどれ程の愚かさだ」
「笑えよ、ジョナサン・スコット。そんな厳めしいツラだと、追い詰められた馬鹿ヅラにしかみえないぜ? あぁ?」
「……良いでしょう。その高慢かつ愚かな魂もろとも挽き肉(ミンチ)とします」
二人が精神的な剣戟を繰り反せば、エルメロイの口調は苦悩めいていた。隣の凛にこう呟いた。
「ミス・トオサカ。君の弟はゴロツキの様に見えるが、それは何故だ」
「昔の話です。その手の連中を相手に、止む無く喧嘩ばかりしていましたから。あの手のパフォーマンスが必要だっただけです。それだけです」
困ったものだと凛は言う。思わずため息も出た。
「そうか。パフォーマンスならば良い」
そうは言うエルメロイであったが、噴かす葉巻の煙はうねりまくっていた。不審感は拭いきれない。ジョナサンは仇でも見るかの様に歩み寄る。それに応じて真也も一歩踏み出した。凛が言う。
「真也。強化の術は?」
「要らない」
「なに? この期に及んでまだそう言う事を言う訳?」
「ジョナサンとは肉弾戦(ガチンコ)だ。ボコってぴーぴー泣かせて、その後にゆっくりたっぷりと時間を掛けて、散々いびった後にモレクの呪いを殺してやる」
「ひょっとして根に持ってる訳?」
「持ってない」
「気付いていない様だから言うけれど。今の真也の顔はすっごい陰湿よ。2流の悪役みたい」
「俺は中道だ。こういう事だってある」
「まったく。なら霊刀寄越しなさいよ。預かるから」
彼は躊躇った後手渡した。真也の背を見送るエルメロイは言う。
「ミス・トオサカ。今度は能力の話だ。君の弟は今までと随分と印象が異なる」
「そうでしょうね。今は無制限ですから」
「サーヴァントが受肉すればあの様な印象なのだろうな」
「生憎と正体は私も知りませんが、もう一度サーヴァントだって言ったら幾らロードでもガンド撃ち込みます」
「それは気を付けるとしよう」
彼が葉巻を咥えれば灰が落ちた。
◆◆◆
二人は円弧を描きながら徐々に間合いを詰める。まるで渦巻きに落ちるかの様だ。激しくガンを飛ばしあえば、それは静かに始まった。仕掛けたのは真也であった。身長差から間合は真也の方が広い。加えて敏捷も真也が上だ。真也の右ストレートはジョナサンの頬を打ち抜いた。真也の筋力とジョナサンの耐久は共にAである。今度はダメージが通った。
だがそれはジョナサンにとって織り込み済みである。彼は仰け反りつつも、その腕を掴み、関節を逆に決め、一本背負いの要領で投げた。足元に広がる岩盤に叩き付ける腹積りだ。真也はそれに逆らわず跳躍すると、叩き付けられる直前に、脚を振り回しジョナサンの頭部に蹴りを打ち込んだ。その蹴りはジョナサンの腕によって防御され、ダメージとならなかったが、その対価として真也は自由となった。
ジョナサンの筋力A+によって、砲弾並みに勢いの付いた真也の身体は、勢いが止まる事を知らず、岩壁に向かって射出された。真也は手足を振り、姿勢制御。見上げる程に高い壁面に着地すると、爆発的な音を立てた。まさに砲弾が壁面に撃ち込まれたかの様だ。噴煙が渦巻き、岩の破片が飛び散った。その煙の中から真也が飛び出すと、すわやと着地した。会話すら難しい距離をジョナサンと真也は睨み合っていた。二人の応酬は一秒に満たない。ジョナサンの物言いは、不審と苛立ちである。
「何をしたのですか。先程と全く違う」
「少年漫画で良くあるだろ。キレてパワーアップするって奴。ほら、戦闘民族サイ、」
「巫山戯ないで頂きたい。その様なデタラメなどフィクションだ」
「そうか? 先日まで2流だったお前が今じゃサーヴァント並み。デタラメはどっちだよ」
「二流などと言わないで頂きたい。そうでは無いから私はここまで辿り着いた」
「自分の思い通りにならないからって、カッカするなジョナサン・スコット。あまり熱くなると足元を掬われるぞ……俺にな?」
この場に綾子もしくは桜が居れば懐かしむ程に、真也は悪い顔であった。初めて見るその姿に凛とルヴィアは苦悩するより他はない。ジョナサンはギリと歯を食い縛り、その端正な表情を歪ませた。二人に圧倒されつつも冷静に解析するのはエルメロイだ。彼は葉巻を噴かしつつ。
「敏捷は君の弟が上、筋力はジョナサンが上。耐久はジョナサンが上だな」
凛が聞く。
「追従できたんですか?」
「強化した視力と、状況判断だ。いずれにせよ小手調べはここまでだ。互いのルールの押し付け合いになるだろうが、君の弟が不利だ。ジョナサンから一発受けただけで致命打になりかねない」
エルメロイの発言通りに二人の姿が消えた。二人は空洞内を縦横無尽に駆け始めた。大地を蹴り、壁面を蹴り、天井を蹴った。それこそピンボールの様だ。互いに素手である以上、近付かねば攻撃はできない。だが真也は敏捷を活かし、擦れ違い様に、微妙な攻撃をしてくる。攻撃を仕掛けると思えば遣り過ごし、遣り過ごすかと思えば、微妙なダメージをジョナサンに与えた。
ジョナサンは擦れ違い様に小石をぶつけられ、着地に失敗した。さすれば真也は体重と敏捷を掛け合せた蹴りを打ち込んできた。文字通りドロップキックと言う訳だ。着弾。岩盤が砕け、爆弾の様にそれらが巻き上る。当然ジョナサンは回避していた。姿勢を整え、警戒する。飛礫が収まれば真也の姿が見えない。どこだ? 訝しげに見渡せば突然、大小様々な飛礫が再度巻き上った。現れたのは真也である。彼は自分の開けた穴に隠れていたのだった。
(小細工を……!)
ジョナサンがそう踏み込めば真也はぴっと天井を指差した。2度も3度もフェイントに引っ掛らない、そう真也を打ち抜こうと踏み込めば、ジョナサンに影が落ちた。彼の頭上に直径一メートル程の岩があった。真也は飛礫の巻上げに紛れ、放り投げたのである。ジョナサンは押し潰された。プチ、まるで虫が潰されたかの様だ。事実ジョナサンはそう思った。彼は筋力と耐久に物を言わせ、その岩を疎ましそうに打ち払う。真也に向けて砲弾の様に飛び出した。
「トオサカシンヤァァァ!」
筋力A+に加え魔術師たちの体術を得ているジョナサンであったが、空中戦は未知の領域である。足腰の踏ん張りが効かねば、打撃技の大半は無効化される。ミサイルの様に空中を飛び、運動量に物を言わせ、真也に殴りかかろうとすれば、その拳を脚ではたかれた。体操選手の様に器用なものである。
ジョナサンは文字通り飛翔できれば、と悔いたがどうにもならない。だがそれは真也も同じである。負ける訳にはいかないのだ。二度目のアタック。ジョナサンは真也の軌道を読み、ほぼ向い合う軌道で跳躍した。レール上を向い合って走る電車といえば良いだろう。
空洞の端と端から全力に近い速度で衝突すれば、如何にいなそうとも、その衝撃は甚大だ。もつれ込み、捕らえられれば、それはジョナサンのペースになる。目の前に真紅の外套が迫る。それは衝突する直前だった。当の真也は手足を振り回し躱したのである。手足の質量を利用した姿勢制御。散々飛び跳ね、投げられ続けてきた真也にとって、空中戦は庭だった。擦れ違ったジョナサンはそのまま、弧を描き大地に着地する。擦れ違い様見た真也は笑っていた。微笑みという種類ではない、侮蔑、愚弄、腹に据えかねる笑みだった。
それを繰り返す事しばらく。真也が天井に着地すると、眼下に広がる空洞を一望できた。エルメロイ、凛、そしてルヴィアを助け出すグレイの姿も見えた。視界の端には、壁に着地しているジョナサンの姿が見える。戦いの最中に余所見をされては、腹立たしい所の話では無い。
「ちょこまかと。まるでハエの様です」
「それを追えないお前はハエ以下だな」
悔しいが、嫌み、皮肉、性格の捩れ具合。魔術師戦闘はともかく超人戦闘は真也が上だ。
「日本に来いよ。ハエ取り紙をプレゼントしてやる。ぶら下げるだけの、とっても簡単な道具だ」
「……複雑な道具を扱えないというのか!」
「実際に内包している力を使い切れてないだろ。ま、ハエすら捕らえられないなら仕方が無いけどな」
ジョナサンは癇癪の一歩前だった。このままではどの様なミスを冒すか分らない。故にジョナサンは一計を案じた。素直に経験した事を応用するのだ。彼は天井に着地すると見せ掛け、その岩盤を砕いた。天盤が崩落すればその岩たちが、真也の予想軌道上に降り注ぐ。
「っ!」
真也は弾けるものは弾き、そうで無いものは、足場にし遣り過ごした。浮遊石の八艘飛びである。それがジョナサンの狙いだった。彼は天盤に手を付くと、その筋力を活かし、落下途中の、最も手前にある岩を蹴り飛ばした。それはビリヤードのキューボールに他ならない。キューボールとは、唯一突く事の出来る白いボールの事だ。落下する岩の一群に突っ込んだそのキューボールはある岩に当り、その岩はまた別の岩に当る。連鎖的に繰返し、全ての岩の落下軌道が変わった。当然、その余波を受けるのは真也である。足場にしていた岩と、足場にする予定の岩が踊り狂い、為す術がない。
有限ではあるが、数えるには困難な数の岩が大地に落ちる。空洞どころか山自体を震わす程の地響きが起これば砂塵が巻上る。高速で落下するジョナサンが着地すれば、それに耐えきれず足場の岩盤が砕けて割れた。
彼の前に落下した岩々が広がっていた。落下軌道から岩山には成らなかったが、平均5トンの岩が組立体操程度には積み重なっていた。総重量は30トンは下るまい。例えサーヴァントでも致命的な重さだ。
ジョナサンが用心深く当りを捜索すれば、岩の影に真紅の切れ端があった。迂闊に近付いては危険だ。彼は2トン程の岩を持ち上げ、投げ付けようとすれば、何の前触れもなく投げ付けられた。岩陰に隠れていた真也はジョナサンの頭を脚で挟み、空中で一回転、ジョナサンを頭部から強固な岩盤に叩き付けたのである。右ストレートに続き、真也の2撃目が入った。
「フランケン・シュタイナ!」
ルヴィアは拳を握り、思わず叫んだ。岩を持ち上げていた為、ジョナサンは反応が遅れたのであった。真也はジョナサンが持上げていた岩を、地に這うジョナサンに叩き付けた。追加ダメージ。通算3撃目だ。
「「……」」
凛とグレイは声が出せなかった。迂闊にも、ジョナサンに同情すらしてしまった。パイプ椅子で攻撃するプロレスラーと脳内変換したルヴィアのみテンションが上がりつつあった。
真也の目の前にある岩が揺らげばごろりと転がった。耳障りな音と共に、現れたのは俯せから立ち上がる途中のジョナサンである。真也はふらつくジョナサンの立てた膝を踏み付けると、後頭部を踵落としにした。それは武藤敬司を祖とするプロレス技の一つ“シャイニング・ウィザード”の亜種技だ。真也の攻撃はこれで4度目。ジョナサンは戦闘不可能状態に陥った。うつ伏せのジョナサンが見上げれば、黒い長袖長ズボンの真也が腕を組んで見下ろしていた。脱いだ外套を囮としたならば当然である。真也は言う。
「やっぱりか。魔術師たちの魔術は盗めても戦闘経験は盗めていない。そりゃそうだよな。人格が経験によって形作られる以上、他人の経験を自分の物にすればその影響を受ける」
「なぜ」
「ここの空洞には障害物もないから、岩を応用する戦い方を見せれば真似すると思った。お前が撃ち込んだ岩に紛れて、連鎖する前の小ぶりな岩に外套を包ませ、放り投げた。それをお前は誤認したって事だ。つまり仕掛けた罠が逆に、お前自分の首を絞める罠になった。ただ俺にとっても無茶なタイミングだったから、着地に失敗して頭から突っ込む羽目になったけれど……ま、その甲斐はあった」
「そうか。その外套の真紅は視線誘導も兼ねていたと」
「いんや。ただの姉の趣味だ。葵さんは若葉色だし……そうそう葵さんって俺の母親だ。凄い美人だぞ」
「……巫山戯るのもいい加減にしろ!」
「やかましい」
渾身の力を揮い上肢を起したジョナサンの顔を真也は蹴飛ばした。
「ぶっ!」
「やかましい」
そしたら今度は踏み付け始めた。何度も何度も踏み付けた。
「ぐっ! がはっ!」
「やかましい」
踏み付けるに飽足らず、踵をねじ込みもした。顔どころか、腕、手、腹も踏み付けた。真也のブーツは軍用のモノだ。靴底にある滑り止めは、ヤスリと見間違うぐらいに、頑丈で鋭利である。その靴を以て美少年(ジョナサン)をいびる大柄の男(真也)。それが如何に凄惨な光景か、誰が想像できようか。
「やかましい、やかましい、やかましい」
踏み続ける真也の陰険さに凛は頭を抱えた。エルメロイは黙って葉巻を噴かしていた。殺され掛かったのだから無理は無かろうが。戦意喪失という意味で、多少は味方の心証も考慮はして貰えないものか、彼はその様な事を考えた。ジョナサンに遺恨のあったルヴィアですら呆けていた。と言うよりは、今までの真也と目の前の真也のギャップが激しすぎたのである。
「最低」
グレイの好感度-1である。踏まれ続けたジョナサンは顔半分埋めていた。見ればルヴィアも奪還されている。形勢逆転だ。ククククク、彼は笑い始めた。それは嘲笑だ。己への、世界への。つい、ほんの一刻前まで彼は圧倒的なまでに有利であった。それが理不尽なまでに引っ繰り返された。これが笑わずには居られるか。
「この展開だ。漸く手に入れた力も無力化される。打ち拉がれる」
腕を組み、首を傾げ、見下ろす真也は侮辱の体だ。馬鹿にしているとも言えよう。
「理解していない様だから言ってやる。強いる強いられるってのは、誰かの影響を受ける、誰かに影響を与えるって事だ。上司には上司が居る。酒、八つ当り。性格の弱い奴は更に弱い対象を見付け出す。学校、職場、軍隊、家庭。何処でも誰もが経験するありふれた事だ。お前は自分を2流だと言ったがな、一般の人から見ればお前は力を持つモノだ。魔術師が魔術を行使する動機は、某の問題に直面するからだが、暗示、使い魔、これ等を使うお前は誰かを強いていた。強いる奴が許せない? 馬鹿も休み休み言え。自分が強いるのは良い、自分が強いられるのは嫌だなんて、ただのガキの戯言だ」
「生を受け20年間、一瞬たりとも強いた事がない、酔い痴れた事がないとでも言うつもりか。どの口で説法を垂れる」
「確かに俺は他者に強いた事があった。昔の俺は人情的な意味での善悪に欠けていてね。ただ妹の為ってそれだけだった。それが治ったのは3年前。国と家を飛び出した俺は正直に言うとお前の様に感じた事がある。勝てない癖に仕掛けてくる連中を、馬鹿な奴だと心の何処かで笑っていた。けどな。世の中には俺らより強い存在が居る、事実俺はそいつらにボコボコにされた。
旅で学んだ事は二つ。強い力を手に入れても、より強い何かに対峙すれば愚図りだす。最も欲しいモノは腕力では手に入らない。それどころか扱いきれず逆に壊すだけだ。お前が教授の近くで得た安らぎは、力を得る前だっただろ。その悩みは所詮その程度だ。お前は昔の俺だ。だから俺はお前を負かして、その代わり助けてやる」
真也は眼鏡を取ると人差指を立てた。その眼が狙うはジョナサンの心臓に巣くう呪い、牙である。
「負け? 助けてやる? 傲慢もここまでくれば哀れみすら浮ぶ……自分の道すら選べぬ男が、戯言を!」
翼音が響き渡れば。何処に隠れていたのか、下級悪魔である無数のウコバクが現れた。その群れは二手に分かれ、片方は真也を襲ったが、エルメロイらにも向かった。それは陽動である。ウコバクにまみれた真也の隙を突き、ラ・ヴォワザンがジョナサンを抱え跳躍、助け出した。その死徒は戦闘続行スキルを持っていたのである。
「良いタイミングです。ミセス」
助け出したは良いものの、彼女は疲労・損耗が激しい。
「それは良いが。ご主人様よ。これからどうするつもりだい。言っておくが私はもう動けないよ」
「私のモットーはフェイル・セーフ、それをお忘れですか?」
「……え?」
真也は左手のウコバクを振り回し、異なるウコバクに叩き付けた。右手でウコバクを掴み、他のウコバクに投げ付けた。その時だ。七人目はいない、そう思っていた真也の心臓が、強く打った。彼が見るジョナサンはラ・ヴォワザンの胸に手を埋め込むと、白いモヤの様な固まりを取り出した。死徒の絶叫が聞こえる。
「これで7人目!」
彼はラ・ヴォワザンの魂を喰らった。シエルに襲わせたのは手を煩わせない為の安全策であった。真也は強引に踏み込んだが下級悪魔の数が多い。群れではなく最早固まりだ。取り付かれれば、タックルを受けるラグビー選手に他ならない。真也の視界の先にジョナサン・スコットが槍を己の心臓に向けていた。真也の声はありったけだ。
「やめろ! 戻れなくなる!」
ジョナサンは真也を一瞥した。迷っている、ならばまだ間に合う。
「あそこに立つ男を見ろ! お前は教授を乗越えたくないのか! ジョナサン・スコット! お前はロード・エルメロイを諦めるのか!」
エルメロイを見たジョナサンは、泣きながら己の心臓を貫いた。その涙の意味はなんだったのか。
「父上、お待たせしました」
心臓に牙を突き立て依り代(巫女)となる。これは聖杯の欠片を埋め込まれた、かつての桜と一緒だ。魂(魔力)を喰らって内包する、冬木市における聖杯システムの小聖杯と同じ。サーヴァントか魔術師かの違いである。ただこのままではジョナサン・スコットと言う巫女をモレクが乗っ取っているのみだ。モレクそのものは依然霊体のままであり、依り代がヒトのままではその影響力は限定的。それ以上を望むならばモレクは本来の肉を持つ必要があるが、冬木の聖杯の様に第3魔法、つまり受肉に相当するシステムが無い。それを補うのが槍だ。死と復活の概念を持つそれは、ジョナサンを殺し、転生する。ここに堕天使モレク復活の儀式が成ったのである。
それはぎょろりと彼らを見下ろした。
つづく!