赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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エピローグ

聖杯戦争終結後。真也たちは事後処理のため時計塔に戻った。事情聴取が待ち受けていたがエルメロイの配慮で事なきを得た。誤魔化すのに難しい点はシエルの名前を持ち出し押し切った。聴取できるモノならしてみろ、と言う事だ。シエルが関わっていた事実は魔術協会側も把握していた為、それ以上の追及はされなかった。ロンギヌスの槍は契約に従い彼女に引き渡された。別れ際にシエルは三咲町に遊びに来いと真也を誘ったが彼は判断しかねている。トラブルと言う意味だ。

 

クロムウェルの遺産である霊脈は未解決のままだ。真也は執着しなかったが凛は取り分を主張した。順当であれば正規の参加者であるルヴィアかエルメロイがその権利を有するが、天使の知識という聖杯戦争は偽りであった為に、その所有権を巡り審議中だ。何より解決したのは凛と真也に寄るところが大きい。

 

それから1週間が経った。奇しくも、真也の書いた手紙の通り、予定通りの一ヶ月である。そこは時計塔の正門前。初めて時計塔を訪れた時と何一つ変わらないと言うのに、真也には少し小さく見えた。そして集いしはここに残る者たちと帰る者たちである。真也はいつか買ったスーツ姿だ。真紅の外套はもう衣類としての機能を有していなかった為である。

 

真也がグレイとヘルメス、そしてエルメロイに別れを告げれば、目の前にルヴィアが立っていた。彼女は伏せ眼がちで神妙な態度で畏まる。何時になくしおらしい。これが彼女の本質なのかもしれない、真也はそんな事を考えた。

 

「あの時の返事をするよ。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、今度こそお別れだ」

 

彼は預かっていた通信用複合鉱石を差し出した。彼女は黙って受け取った。その手にある鉱石を暫く見詰めた後、彼女は顔を上げた。それは彼女の精一杯の笑顔である。

 

「シンヤ。ちゃんと気持ちを伝えなさいな」

「何のこと?」

「姉とは義姉弟で、その前はそういう関係だった。腑に落ちましたわ。シンヤの姉に対する言動はどこか違和感がありましたもの。臆病ですわよ」

「いつぞやの仕返しと言う訳か。けどな。俺は怖くて言えないのでは無く、3人に義理がある」

「サクラさんとアヤコさんだったかしら。であれば尚更ですわね。かつて誰かを傷つけ悔いた真也は誰かを選び傷つけるのが怖い。だから皆の前から立ち去ろうとした。ですがシンヤ。それをされた彼女らが傷つかないと思っているのかしら」

 

反論できなかった。

 

「はっきりしてくれないと私も立ち止ったまま。シンヤは犠牲者をもう一人増やすというの?」

 

継いだのはエルメロイだった。

 

「トオサカシンヤ。我々の知恵と認識、他者に対する影響力、そして理解力に限界がある以上間違いは免れない。私の選択の結末は君が知る通りだ。私は生涯を掛けてジョナサン・スコットという男を背負うだろう。悔いはあって当然、重要な事はそこから何を見出し、掴み取るかだ。表層の悔いに囚われ、本質的な悔いに目を背ける事は、愚かだとは思わないか」

「年長者の経験ですか」

「もっと単純だ。間違いを犯したくなければ何もせぬ事だ。引籠もり何もせず誰とも関わらない。だがそれは生を持つモノとして余りにも不毛であり、命に対し侮辱的だ。この星には60億の人間が居る。君一人の幸、不幸など誰も関知しない。どうせ間違えるなら好きにするべきだろう」

 

一拍。真也は二人に頭を下げた。

 

「それでは失礼します」

「この結果を知らせなさいな、でないと押し掛けますから」

「出来の良い生徒より、不出来な生徒を指導する方がやりがいがある。君ほど手間の掛かった生徒に覚えはない。近くに来る事があるなら顔を出せ」

 

真也は3週間過ごした時計塔を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

時計塔とヒースロー空港を繋ぐバス停に、凛とキャスターは立っていた。意気軒昂と旅行鞄に腰を下ろすのが凛であり、その傍で嫋やかに立つのがキャスターである。二人が話し合うのはモレク戦に関するアフター・ミーティング、つまりは反省会だ。弟子の話を聞いたキャスター思わず目眩を起した。倒れていてもおかしくはない程だった。

 

「……つまり凛様は敢えてモレクに捕まったと」

「ああでもしないと理解しないじゃない。真也は馬鹿なんだから」

「凛様。魔術師は運という要素を極力排除するべきです」

「勝負の掛けどころだったって事。いつも万全な体勢が取れればベストだけれど、現実はそうじゃないでしょ?」

 

キャスターが指南を始め3年経つが、目の前の若い魔女は根本的に何かが異なる。これでは魔術師と言うより率いる者に近い。今までに無いタイプであり、少なくとも彼女は知らなかった。だからこそキャスターは凛の指導役を買ったのだ。彼女はこの魔女の行く末に興味を持っているのである。安定さえすれば、一皮剥けるだろう。だがそれはそれだ。言うべき事は言わねばならないのである。

 

「成功率3割以下のあの術式を実戦投入する、マスターのランサーへの想いを打ち砕く。偶々上手くいったから良い様なものの、一歩間違えば最悪の結末を迎えるところだった。これを理解しておいでですか」

「確証はなかったけれど、確信はあったわよ。真也と繋がってからポカミスは綺麗になくなったから」

「凛様の不運をマスターに押し付けた、と解釈できますわね」

「そうとも言えるかしらね」

「凛様は良い魔女になりますわ」

「止めてよ。メディアに言われると自信ついちゃうじゃない」

 

暫くすると真也がやってきた。凛の前に立つ彼は随分と神妙な態度である。ゴタゴタが続いたが、彼にとっては凛と決別した状態のままなのだ。

 

「凛。俺は、」

 

やはり帰りたい、そう繋げるべく絞り出したその決意は。

 

「なら帰るわよ」

 

とキャンセルされた。訳が分らない。

 

「……なんでさ」

「名前で呼ばれるのは3年ぶりだから」

「それがどうその発言に繋がる」

「レディ・エーデルフェルトの元に行くのは真っ赤な嘘。ほっぽり出してライダー辺りと落ち着いても腹が立つし、桜と綾子の二人が根を上げるのを待ちましょ。ほら、バスの運転手が睨んでるから。早く乗りなさい」

「凛の説明は足りていない。はいそうですかと納得できるか」

「もう、良いって言ってんのよ。しつこいわね」

「ふざけんな。どれだけ悩んだと思ってる。あんな追い込む様な真似されて、なんの説明も無いまま取り消しとか、こんな馬鹿げた話があるか」

「四の五の言わず、言う事を聞けっつーの」

 

ブロロ。付き合いきれないとバスは立ち去ってしまった。

 

「キャスター、何か言ってくれ」

 

そう言えば彼の従者は楚々と笑っていた。

 

「……二人ともグル?」

 

キャスターがそれを認めれば、凛はあははと笑い出す。

 

「私がキャスターと合流した時点で気がつきなさいよ」

 

怒りが込み上げる。それは噴火直前の火山の如く。

 

「あら、いやだ。涙目じゃないこの子ったら」

 

止めが彼女の挑発だ。不遜。慣れた筈のその性質が今日という今日は我慢できない。彼は踵を返した。振り返ったのは日本とは逆方向である。

 

「さよならだ。お元気で、お姉様。この地球の何処かで幸せを祈っている」

 

彼は手足を大きく振って歩き始めた。黙ってその後を追う凛は、勿論ニヤ付いていた。この期の展開など、彼女にとって手の平の上だ。

 

「さっさと家に帰れ。付いてくるな」

「真也を連れ帰る、みんなにそう言って来たのよ。手ぶらで帰れる訳無いじゃない」

「だったら何であんな事言いだした」

 

振り返った真也の顔はマジ怒りであった。凛はそれに屈する事無く言い返した。怒りにも見えた、拗ねているようにも見えた。

 

「なによ。他の娘といちゃついている真也が悪いんじゃない。宙ぶらりんにしておいて、2年間帰りを待って、家を守って、余所の娘が心配とか。ふざけるなっつーの」

「言って置くけれど、俺はなにもしてない」

「前から思っていたんだけど、イヤらしい事しなければ、何してもいいとか、許されるとか思ってる?」

「コミュニケーションってそんなモノだろ。いちいち目くじら立てられたら、おちおち会話もできない」

「私が居るのに他の娘に一生懸命。そうね。例えば私が衛宮君に一生懸命だったら、真也はどう感じる?」

 

それは誰もが持つ当然の感情だった。嫉妬と不安である。

 

「……悔しかったか」

「辛かったわよ、当然じゃない」

「……そう」

「真也は聖杯戦争中も、一緒に暮らしてからも、いつも私から一歩離れてそれ以上近付いてこなかった。アンタは私を不安にさせてばかりで全然安心させてくれない。それでも私は戻ってアンタの面倒見て、これだけ譲歩してあげたんだから逆に感謝してほしい位ね」

 

彼は凛を見た後に空を見上げた。それは二つ目の選択である、否。選択は既に為されているならば、単に胆力の問題だ。

 

「スコットさんは本当は教授を選びたかったんだと思う。だから喰うのを先延ばしにし続けた。俺と彼の違いはほんの少しだ。教授は教授でしか居られなかったけれど、凛は手をさしのべてくれたからな」

「なによ、何時になく要領を得ないわね。言いたい事があるなら明瞭に言いなさいよ」

 

彼は丹田に力を込めると彼女に向き直った。その手を握り締めれば凛は戸惑うばかりなり。

 

「あのさ、凛。どうせだからロンドン観光していかないか。ここまで遅れたんだから3,4日構わないだろ」

「なにそれ」

「デートのお誘い」

 

彼女は呆けたが直ぐに何時もの挑発的な笑みを浮かべた。

 

「今頃手の平返しても、そうはいかないんだから。相応の対価は要求するわよ」

「分った。プラチナリングでどう?」

 

凛は今度こそ固まった。一拍。彼女は真っ赤となった。

 

「あ、え、と。それの、意味分ってる訳?」

 

鮮やかな逆転劇に、キャスターは吹き出した。

 

「ほら。俺が誰かとくっつけば、諦めが付くってやつ。それを凛に頼みたい。財布に危険手当で入手した残金が1000ポンドぐらいあるから買いに行こう」

 

思いも寄らない急展開に凛は絶句していた。キャスターが凛の背中を押した。

 

「凛様。マスターは腹を括ったという事ですわ。停止していないで、気の利いた返事をするべきです」

「あ、あのね。そんな急な話、受け入れられる訳無いでしょ。第一、心の準備だってあるんだから」

「勢いも大事だってね。“俺、凛の事が好きだ” 3年前はこう言った」

「……良く覚えてるわね」

「今度はこう言う。凛、俺と死ぬまで一緒に歩いてほしい」

「回りくどいし、随分と素っ気ない」

「お望みならシェイクスピア調にもできるけれど」

「良いわよ。嘘ならどちらでも同じだから」

「んー、ならこうするか」

 

彼は凛の肩を掴むと引寄せた。彼女が最後に見たのは、彼の蒼い眼であった。どちらかが一方的ではなく、足りない者同士が、漸く向き合い、噛み合った瞬間である。二人の空は晴れていた。

 

 

◆◆◆

 

 

そして遠坂家。その台所で忙しなく動くのは桜である。揺らすのはもちろん桜色のエプロンだ。これから帰るという兄からの手紙が届いたのは三週間前。その後、姉が迎えに行き、帰国が遅れるとキャスターから連絡があったのは2週間前だ。トラブルでは無いのか。そう問い詰めれば何時もの事だと、キャスターは言ったが相応に違いない。姉も居る、なによりキャスターも居る。聖杯戦争級のトラブルでも無い限り大丈夫だ、そう己に言い聞かせたが不安は募る。

 

それから暫く経ち、兄が何処かへ行ってしまう、根拠のない不安に駆られた彼女はライダーを連れて迎えに行こうとした。その矢先であった。トラブルが終わったとキャスターから国際電話があった。それが一週間前。これから飛行機に乗ると電話があったのは昨夜である。溜飲が下がった。時計を見ればもうじき兄が帰ってくる時間だ。食卓に並ぶ桜お手製の一品はそう言う事である。ズラリと並ぶそれを見た葵は呆れを隠さない。

 

「カレーライスに鶏の唐揚げ。味噌田楽にペペロンチーノ。そしてハンバーグ……桜。意図も気持ちも分るのだけれど少し落ち着きなさい。幾ら真也さんの好物でも食べきれないわ」

「だって母さん。二年ぶりなんです。我慢できなくて」

(真也さんに料理を作るのが、二年ぶりだと言いたいのだろうけれど。世話焼き好きもここまで来ると感心するやら、呆れるやら、困るやら)

 

葵はため息を吐くより他はない。

 

「ところで桜。綾子さんは?」

「連絡したから、もうそろそろ来ると思う」

 

そして呼び鈴が鳴った。遠坂家の玄関が開けば現れたのは凛と真也であった。勿論背後にキャスターも控えていた。凛は呆れを隠さない。

 

「なんで自分の家なのに呼び鈴鳴らすのよ」

「ほら、この家に居たのは一年で、二年間ふらついて。だから新鮮みたいな」

「自分の部屋は覚えてるでしょうね」

「もちろん。階段上がって奥から2番目だ」

「間違えて隣の私の部屋に入ったらただじゃおかないから」

「間違えたりはしませんよ」

「そう。堂々と入ってくるって事」

「ノックぐらいするさ」

 

パタパタとスリッパの音がすれば義理の妹が立っていた。シフォンワンピースはゆったりとしていて尚、エレガンスさがあった。最後に会ったのは17歳。2年経てば19歳。変わって当然である。努めて陽気に手を振れば。

 

「タダイマー」

「兄さん!」

 

彼女は駆けより飛び付いた。彼は義理の妹を軽く抱き締め、頭を撫でた。腕の中の妹は泣きじゃくっていた。

 

「ごめん桜。遅くなった」

「お帰りなさい真也さん」

 

その声の方を見れば義母が立っていた。柔らかい笑みに、何時もの楚々とした立ち振舞いである。

 

「ただいま戻りました。葵さん」

「1年オーバーした事についてお話しがあります、と言いたいですが取りあえずゆっくりして下さい」

 

然すれば頬を抓られた。

 

「い、いひゃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 

粘土を摘み、引き千切るかの様である。じんじんと痛めば、真也は涙目だ。

 

「無事で何よりです、シンヤ」

 

その指の主はライダーであった。何時か見た様に、かつて見た様に、デニムと薄紫のチュニック姿である。活動的な中にも知的さと艶めかしさを感じさせる着こなしだった。

 

「……帰宅を迎える挨拶が先じゃないのか」

「2年もほっつき歩いていた、放蕩長男にはここが落としどころでしょう」

「おしかりなら今度にしてくれ。今アレをされると倒れる」

「それは残念です。密室で一晩中の濃密な時間を期待していたというのに」

 

桜は兄から離れると目尻の涙を拭った。

 

「兄さん。ご飯の用意が出来てますから、手を洗って来て下さい」

「ん。直ぐ行く」

 

突っ込みを入れたのは凛であった。

 

「私の時と再会の態度が違うわね」

「桜と同じようにしてくれれば同じように接する。2年ぶりの再会がルヴィアと喧嘩なんてどうすれば良いんだか」

「冗談。私は桜じゃ無いんだから」

「知ってる。だからそのままでいい」

「ねぇ兄さん。姉さんの左薬指にあるモノって何ですか」

 

一転。底冷えのする義妹の声である。真也がギリギリと錆びたロボットの様に首を動かし、凛を見れば彼女は左手で髪を背に流していた。朗らかな笑顔であったが、あから様である。髪を手櫛で梳く振りをし、あからさまに見せ付けていた、と言う意味だ。勿論その見せ付ける対象は桜である。

 

「ねぇ兄さん。指輪に見えるのは気のせい?」

 

彼は文句の一つでも言いたくなった。どの様に説得するか、説明するか、練っていた段取りが台無しである。葵とライダーも呆けていた。

 

「隠す事は無いわよね?」

 

無慈悲な凛の促しに彼はもう一度腹を括った。括らざるを得なかった。

 

「……桜。実はな」

 

 

◆◆◆

 

 

「桜、綾子、済まない!」

 

彼は深々と頭を下げた。そこは遠坂家の二階、黒皮のソファーとローテーブルが置かれた部屋だ。リビングとも言うが、その部屋に千歳を除く、遠坂家の全員と+アルファが揃っていた。今までに何度か開かれた家族会議であるが、今日に限っては裁判の様相を見せていた。

 

真也の隣に居る凛は「ごめん。コレもらっちゃった」とあっけらかんとしていた。二人の神経を逆撫でする行為は控えるべきだ、と心底思う真也であった。矛先は己に向くと決っている。事実真也の前には、不倶戴天の敵を目の前にした様な二人がいた。葵とライダーにも思うところがあるが、二人が優先だろうと、とりあえずは静観している。キャスターは元より干渉するつもりはないらしい。

 

「これはどういうことよ……」

 

悪魔も逃げ出しそうな剣幕なのは綾子である。真也が身を起せば、綾子の瞳は、刃物の様に光っていた。まるで魔眼を持つ両儀の御嬢さんのよう。デニムのミニにパーカーと。彼女は普段着であったがメイクは相応だ。2年ぶりの再会に、さりげなさと気合いを両立させようと苦心した後が窺える。それがとても心苦しい。

 

「凛にプロ、」

「聞きたくない!」

「あ、いや、聞いて欲しい」

 

綾子を継いだのは桜だ。

 

「ずるい! 姉さんばかり! 妹だからダメ、ダメって言ってたのに!」

「ごめん。桜。本当にごめん」

「姉さん! その指輪を渡して!」

「イヤ」

「私に渡しなさい!」

「イヤ」

「やっぱり私も迎えに行くんだった!」

 

桜は泣きながら部屋を飛び出した。桜は取り敢えず済んだ。言うべき事を伝えたと言う意味であり、この後の事は取り敢えず棚上げだ。差し当たりの問題は目の前の綾子である。彼女は怒り収まらんと、怒髪天を衝く勢いだ。事実髪が逆立っている、様に見えた。

 

「真也。聞きな。私怒ってんのよ」

「綾子の怒りは尤もだと思う」

「なら撤回して」

「ごめん、それは出来ない」

「撤回しろ」

「ごめん」

 

パキポキと綾子が指を鳴らせば真也は観念し立ち上がった。綾子は右腕をかざし踏み込んだ。彼女の拳は真っ直ぐな線を描き、つまり右ストレートが真也の顎にヒットした。彼は逆らう事無くひっくり返った。避けるつもりはなかった。堪えるつもりもなければ、この結果は突然である。仰向けの真也を見下ろすのは勿論綾子だ。

 

「ねぇ、真也。真也が私に何て言ったか覚えてる?」

「俺に気にせず他の奴を捜してくれ」

「その前」

「美綴を選んだ」

「それっていつ?」

「12年前。8歳の時」

 

真也が冬木にやってきたその一年後である。

 

「色々してあげたわよね?」

「あぁ。色々助けて貰った」

「確かに、真也は私に何もしなかったし、私に気づいてからも他の奴を捜せって言い続けた。でも真也には3人しか居なくて、その内2人はきょうだいで、なら何時か私が、そう思っても責められない、そう思わない?」

「責められない、そう思う」

「私は12年待ったから、もう10年ぐらい待つつもりだった。その報いがこの仕打ち?」

「ごめん」

「こ、この最低野郎!」

 

綾子は馬乗りになると再び右拳を打ち込んだ。続いて左拳を打ち込んだ。右、左、右、左。真也はただ殴られ続けた。その様はまるでメトロノーム。彼女自身、手も痛いだろうに、それでも泣きながら殴り続けるならば、真也に為す術などない。甘んじて受けるのみだ。

 

「帰せ! 私の12年間かえしてよ!」

「ごめん」

 

タタタと廊下を走る気配がする。近付いてくる。誰だろうか。桜に決っている。葵、キャスター、ライダー、凛の4名は、桜が包丁を持ち出したのだろうと予想した。殴られ続ける真也もそう思った。一刺し位なら甘んじて受けると覚悟すれば。義妹が持ってきたのは包丁などではなく、真紅の魔槍ゲイボルクであった。

 

「ちょ、」

 

流石の真也も青ざめた。

 

「兄さんなんか殺しちゃうんだから!」

「桜、遠慮はいらないからな!」

「ゲイ、」

「やめ、それは洒落になら無い!」

「ボルク!」

 

真名解放、は成らなかった。桜の構える槍は沈黙していた。

 

「ま、気合いで宝具が発動できれば苦労はないわよね」

 

凛は指摘したが、手助けする気は無いらしい。ならばこの魔槍を突き立てるのみだ。桜が踏み込めば、流石に困ると真也は逃げ出した。一人と二人はその部屋をグルグルと駆け回る。そして部屋を飛び出し、遠坂邸を舞台とした逃走劇、否。追跡劇が繰り広げられた。

 

「ゲイボルク! ゲイボルク! ゲイボルクーッ!」

「殺すから逃げるな! この乾屎けつ(かんしけつ)野郎!」

 

修羅場に圧倒されていた葵であったが、嵐が去った事を契機に呟いた。

 

「キャスターさん。真也さんは大丈夫でしょうか」

「心臓さえ突かれなければ問題はありません。3,4刺しで桜様も綾子様も落ち着かれるでしょう」

 

緊急の問題はクリア。次の問題は上の娘である。彼女は凛を睨み付けた。

 

「どうしてこうなったの。理由を話しなさい」

 

流石に気まずいのか、経緯を話す凛はしどろもどろである。それを聞いた。葵とライダーは言葉を失った。ライダーは軽蔑の眼差しだ。

 

「リン、人はそれをゴネ得と言います」

「駆け引きって言って欲しいわね」

 

鬼の居ぬ間にとも言うだろうが、凛は3人の中では最も現実的な感性を持つ娘だった、葵はそれを思い出した。凛が迎えに行くと決った時点でこの展開は予想するべきだったのだ。

 

「他に隠している事はないわね?」

「それが、その」

「言いなさい」

「ごめん、母さん。やっちゃった」

 

葵の娘は下腹部にそっと手を添えれば、嬉し恥ずかしの体である。再び沈黙。葵もまた腹を括った。選択を先送りした3年前、来るべき時が来たと言う事である。

 

「また役所の人に白い目で見られるわね……」

 

そう零せば、突然人差し指を顎に添えた。

 

「あら。長男が長男のままなのだから、今のままでも良いのかしら」

「葵様、お茶でも如何ですか」

「兄さんなんか死んじゃえーー! ばかーーーーっ!!!」

「死ね、このロクデナシーッ!」

 

彼の悲鳴は衛宮家まで届いたと言う。

 

 

◆◆◆

 

 

梅雨の前である5月は最も過ごしやすい季節だ。暑くもなく寒くもなく。雲は無く、頭上には澄んだ青空が広がっていた。正に五月晴という言葉が相応しい。それを仰ぐは衛宮邸である。ピンポンと呼び鈴が鳴った。余りの清々しさに応じたセラの振る舞いも軽快だ。だが彼女が玄関の扉を開ければ台無しである。何故ならそこに包帯男が立っていた。

 

「何かご用ですか、遠坂真也。ミイラ男が歩いて良い時間ではありませんが」

 

その言葉の節々も刺々しい、否。刺々しさを隠してすらいない。セラは柔らかなブラウスと、ふわりとしたロングスカートを纏っていた。露出も少なく、ブラウンのエプロンを着ければ、喫茶店の女主人とも、若奥様とも称せよう。

 

「久しぶりだセラ。3年も経つのにまだ根に持ってるのか」

「根になど持っておりません。ただ疎ましいと思っているのみです。今ひとつ。馴れ馴れしく名前で呼ばないでください」

「士郎に用があってきた」

「シロウ様に用などありません」

「士郎、様? 前はフルネームで抑揚無くエミヤシロウって呼んでなかったか?」

「遠坂真也に関わり合いのない事です」

「まぁ良いけれど。とにかくバカシロはどこだ」

 

セラのコメカミが引き攣った。士郎を馬鹿呼ばわりとは聞き捨てならないが、生憎と目の前の男には魔術は効かないのだ。だもので合法手段に訴えるのみである。

 

「警察を呼ぶとします。それとも大声が適当でしょうか」

「強制排除できないからって、それは陰湿すぎるだろ」

 

一触即発の雰囲気を和らげたのはリーゼリットである。彼女はセラの背後からひょっこりと顔を出した。

 

「シンヤ、こんにちわ。おかえり」

 

彼女は肩を大胆に見せる半袖シャツを纏い、ボトムはショートパンツで、美脚を惜しげも無く見せていた。相応に色気を醸し出していたが、勿論彼女にその自覚はない。真也は努めて朗らかに。

 

「よー。リーゼリット。家主はいるか?」

「居間に上がって。呼んでくる」

 

彼女がトタトタと家の奥に向かえば、真也は意地の悪い顔だ。

 

「リーゼリットの方が人間できてるな」

「殺され掛けた相手に愛想良くなどできるものですか」

「やっぱり根に持ってるじゃん」

 

衛宮家の居間は相変わらず風通しの良い家だった。何一つ変わっていない様に見えたが、よく見れば少し変わっていた。真也の記憶という意味に於いて、この家には無かった物が置いてあったのである。例えば育児雑誌、例えばおむつ。その家には若葉の匂いがあった。

 

襖が開けば現れたのはセイバーである。淡い黄色のワンピース。襟のない長袖は白を基調としたブルーの横縞が入っていた。顔立ちは何も変わっていなかったが、その表情は随分と柔らかい。長くなった金の髪はうなじで簡単に結いられていた。その彼女が赤子を抱けば、どの様に解釈しても幼妻が適当だろう。セイバーの青いリボンにちくりと心が痛んだ。ルヴィアのリボンも青だったと言う意味である。

 

「シンヤ、久し振りだな」

「2年ぶりだ。セイバー。アルトリアの方が良いか」

「好きな方でいい」

 

母に抱かれるその幼子は真也を凝視していた。真也は紙袋を漁るとぬいぐるみを取り出した。

 

「はい、セイバー。これはイチローへの御土産だ」

「これは、熊か?」

「パディントン君。ブリテンで話題沸騰のぬいぐるみだ」

「そうか。それはありがたく頂戴する」

「そのしゃべり方、結局そのままか」

「正そうかとも思ったが、シロウがそのままで良いと、な」

 

士郎がお茶と茶請けを持ってくれば。

 

「士郎、お前にはこれだ」

 

真也が袋からスマイル缶バッヂを取り出せば、士郎の額に叩き付けた。だが受け止められていた。士郎とて真也の動きは追えない。ただ、そうするだろうと読んだのである。真也は心底悔しそうだ。

 

「……相変らず腹の立つ洞察力だな。セイバーの直感スキル級だろ」

「お前は単純だからな。そんな大層なモノは要らない」

 

士郎はそのバッヂをじっと見ると胸に付けた。気に入った様である。

 

「不意打ちを見抜く、嫌がらせを気に入る。相変らず嫌な奴」

「お互い様だろ。ところで真也。おまえ包帯だらけだな」

「桜と綾子が怒ってな。未だ口をきいてくれない」

「帰国して早々喧嘩したのか。何したんだ」

「その事なんだが……実は折り入って二人に話す事がある。お土産はついでだ」

「なんだ畏まって。気持ち悪い」

「下手に出ればこのバカシロが……」

「シロウ」

「分ってる」

「済まないシンヤ。続けてくれ」

 

阿吽のやり取りに毒気を抜かれた真也は居住まいを正した。

 

「実はだな」

「あー」

「あー?」

 

何事かと視線を下げれば、胡坐をかく真也の前に幼子が立っていた。一郎である。目が合った。

 

(見てる、めっさ見てる……)

 

その瞳を例えれば純真無垢。己の汚れっぷりを、自覚させられている様で、落ち着かない真也であった。幼子が言う。

 

「あー」

 

真也が答えた。

 

「……あー」

 

士郎は言い捨てた。

 

「馬鹿か。おまえ」

「うっさい。未知との遭遇なんだ」

「あー、う?」

「言っておくが、イチローよ。幾ら俺でも赤ちゃん語は話せないぞ」

 

その子は真也の脚の上に登ると、きゃっきゃと笑い出した。セイバーと士郎が見合うと、彼女はこう微笑んだ。

 

「シンヤを気に入ったようだ。抱いてやってくれ」

「え」

 

彼が恐る恐る抱き抱えれば頬を引っ張られた。

 

「い、いひゃい」

 

その子はきゃっきゃ、と笑い出す。一郎と真也を見る士郎は難しい顔だ。拗ねているとも言えよう。

 

「なんか、俺よりイチローの機嫌が良い気がするのは気のせいか?」

 

セイバーは士郎を諭すよう。

 

「男児は父に反発するものだ。何より、イチローにとってはシンヤは兄の様なものだからな」

「……俺が真也の親父って? 冗談は止めてくれセイバー」

 

真也は何か嫌みを言ってくる、そう士郎が身構えれば、彼は存外真摯な顔だった。

 

「なぁ士郎。父親になった時、どんな気分だった?」

 

彼は戸惑いつつも自信を持ってこう言った。

 

「ほんの少しだけ大人になれた、そう思う。この子の父親は世界中を捜しても俺しかいないから」

「そうか、そうだよな……イチロー、いひゃい」

「きゃっきゃ」

 

 

◆◆◆

 

 

私たちは帰国したその半年後に式を挙げた。純白のドレスに身を包む私のお腹は半年分だ。まごう事なきデキ婚である。真也は士郎に散々茶化され、その都度言い争っていた。

 

桜は一人暮しを始めた。社会勉強が建前だが、その実恋人探しである。兄よりいい男を見付けるのだそうだ。私が言うのも何だが切にそう願う。心配だと桜に付いていったライダーであるが、帰るべきか悩んでいる。大半がライダーに心移りをしてしまう為だ。彼女は世の中の男共の不甲斐なさに痛く嘆いていたが、それも酷だろう。彼女の容貌に心移りしない男が最初のステップだと私は思う。そのライダーには未だゴネ得だと嫌味を言われる。駆け引きだと当初は言い返していたがもう止めた。

 

綾子は3人娘と合コンをして知り合った人とよく遊びに行くと聞いている。ルヴィアにもそう言う人ができたらしい。何の因果か二人の相手は赤毛だそうだ。

 

死んだ人は応えない、この答を求めてキャスターは旅に出た。真也が暇をだしたのであるが、その資金は千歳さんが渡したものらしい。ヘソクリに憤りもしたが、従者への報いと言われれば、文句も言えようも無い。その旅程は1年の計画であったが、キャスターはハワイで豪遊し早々に帰ってきた。結局彼女は葛木先生の墓を守っている。

 

帰国して暫く経ったころ、真也は工房に籠もった。霊刀に向い剣を置くべきかと瞑想していたのだが、数時間経たず工房から出てきた。腹が減ったから、だそうだ。適当に食べさせたら突然働き始めた。新都の食堂でアルバイトだ。調理補助から始めたが、今ではそれなりに任せて貰っているらしい。もともと器用ではあったが、素質があったのだろう。それでも料理長に毎日怒鳴られ、不満を零している。不思議な事に、士郎と味付けが似ていた。

 

その真也は何時か店を開くと息巻いている。もう店名は決っていて、その名も沈黙のレストラン。一線から離れた軍人が経営する店という設定で、いつか“こんなところで燻ぶっていやがったか” と誰かが戦いに誘いに来るシチュエーションを期待しているとか。全く以て馬鹿な夫である。真也はわざと馬鹿を演じていると母さんは言うが私は信じていない。私がリビングに腰掛け、その子をあやしているとその母さんがやってきた。

 

「真也さん遅いわね。もうそろそろ帰ってくる筈なのに」

 

私の部屋には大きめのベッドと格子付きのベッドが二つある。それはあれから変わった事の一つだ。この家から家族が二人減って、一人増えたのである。その格子付きのベッドには蘭(Run)と刻まれている。

 

「ねぇ、母さん。父さんが今の私を見たら嘆くわね。きっと」

「そうかもね。でもあの人は10年間、私がどれほどお願いしても助けてはくれなかったわ。だからこれからも黙って見ててもらいましょ」

 

私の腕で眠る、私たちの娘は、槍兵の刻んだルーンの石がお気に入りだ。

 

 

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぁキャスター、ライダー。今でも俺は父親を知らない方が良いと思うか?

 

私は問題ないと考えます。ライダーはどうかしら。

 

今ならば問題は無いでしょう。キャスターに賛同します。

 

何故その判断が今出来る。

 

今のシンヤであれば父という存在を客観的に捕らえられるでしょうから。

 

マスターに自覚はありませんでしたが、マスターはランサーに父親像を求めていました。強く、正しく、子を守り、導く存在。それは子が父にもつ理想そのものです。

 

シンヤ、子は親を神格化します。成長し、親を個人として認めたとき親離れとなります。

 

マスターがランサーという個人を認め、尚且つ己の道を歩み始めた今なら、その資格を有するでしょう。

 

……言ってくれ。何所の誰だ。

 

マスターのお父上は、別の世界の、この世界に居る方とは別の可能性を持ったお方です。お名前は――

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