赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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三話

警察署を後にした二人はトーマス=ニルセンの家を調べたあと、今日はここまでとホテルに向かった。真也は相部屋のユースホテルを予定していたのだが、ルヴィアが強行に拒否をした。豪華ではないという意味である。予算が無い、我慢ならない、我が儘だ、馬鹿にしているのか、壮大な一悶着のあと、ルヴィアはリバプールの高級ホテルに向かった。真也はご自由にとユースホテルに戻ろうとしたが、ルヴィアが”招く”という良く分からない理由で真也の分も立て替える事にし、豪華なシングルルームを二つ借り、今に至る。

 

それはそれは立派な部屋だった。とにかく広い。キングサイズのベッドにソファーとテーブルが置いてあった、それでも広い。このホテルの宿泊費は幾らなのだろう、真也はそれを考えた。絨毯、カーテン、ベッド、クローゼット、設備自体はありふれた物だが、材質といい、作りといい、質感といい、安宿と根本が異なる。高級品とはこう言う物を言うのだ。バルコニーに出れば夜のアルバートドックを望む事が出来る。海商都市リバプール、それは世界遺産リスト登録物件である。真也は胃の痛みを覚えた。クレジットカードの請求書を思い出したのである。それは第五次聖杯戦争終結後のこと、見覚えの無いそれが遠坂家に届けられた。宛先の住所は蒼月の家だった。転送されたのであった。その請求はかつて、真也が指示しキャスターが使った高級ホテル代であった。真也は普通のビジネスホテルのつもりであった。従者の責は主が追う、姉と妹に散々怒られた事はもはや三年も前の事。半年間小遣い無しという沙汰であり、いまや懐かしい思い出である。

 

「いててて」

 

堪らず胃を抑えた。

 

「……どうかしまして?」

「価値観が異なる人との意思疎通は難しい、と言う事です。いてて」

「何を言っていますの。その様な事当然でしょう?」

 

ルヴィアを見てしみじみ思う。

 

「仰せの通りでありますな」

 

ローテーブル越しのソファーに腰掛けるルヴィアはドレス姿だった。ロイヤルブルーのイブニングドレスは見るからに高級品である。オフショルダーネックで肩を大胆に見せていた。フリルは無いが、ふわりとした仕立て。ロングスカートだが、薄手の生地で肢体の線が浮き上がっていた。晩餐会に立てば、誰も彼もが見惚れるだろう。少し離れた位置から見てみたい、と考えたりもした。近すぎては踊りも分りにくい。

 

「なんですの?」

「舞踏会は引っ張りだこでしょう」

「その場に来る殿方は刺激に欠けるので滅多に出かけませんわ」

「あー」

「なんですの?」

「何でもありませんよ」

 

その状況がなんとなく分ったのである。真也はライトグレーのスウェットだった。ルヴィアはそれが物珍しそうだ。

 

「真紅の外套はどうしましたの」

「始終着ている訳ではありませんから」

「そのガントレットは?」

 

左の一の腕の半分を覆うタイプであった。表面はざらっとしており、黒色で樹脂に見えた。そのデザインはミリタリー風である。

 

「秘密です」

「そう。非常時に供えていると言う事。限定武装かしら」

「秘密ですったら。あ、でも。一晩付き合って頂ければお教え、冗談ですってば。鉱石を二つも三つも持ち出さないで下さい。ええ、分っています。単なる力押しでは無くて、特性の組み合わせによる、相乗効果ですよね。アンバーは電撃、アポフィライトは浄化、ヘタマイトは勝利。雷を以て浄化し勝利するですか。ええ、良く存じております。その組み合わせを察するに、発動されるとこの部屋が壊れます。俺も壊れちゃいます。でもだからといって頬を引っ張るのだけはやめて下さい。苦手なんです。家族の一人が怒るとそれをしてくるんです。とても痛いんです。思い出すだけで痛いです。あ、いひゃいぃぃぃぃぃ……」

 

そして二人は面を付き合わせ、シモンズ刑事より届けられた情報を検討し始めた。目の前のローテーブルには、グラスが二つ置いてあった。透明なシンプルなグラスにはゴルフボールのような整った形の氷が浮かんでいた。つまり酒である。真也はスコッチ、ルヴィアはブランデーであった。誘っておいてなんだけれど意外だ、とは真也である。イギリスでは十八歳から飲酒が可能となる。フィンランドでは条件付きだがやはり十八歳からだ。経験者であっても、おかしくは無いのだがその姿は堂に入っていた。

 

(何やっても様になるね、このお嬢様は)

 

多少の嫉妬を感じつつ真也はスコッチをグビリと飲んだ。そしてルヴィアがブランデーを小さく嗜んだ時、真也が読み上げ始めた。

 

「トーマス=ニルセン。四五歳、白人男性。ノリスグリーン地区にあるおんぼろ一軒家に在住だった。住民登録無しの不法滞在者で、何度か役所の人間が訪問しているそうですが“問題なし”」

「暗示かしら」

「恐らく。そして職無しです」

「資金の提供元は?」

 

「家に相応の現金がありました。蓄えがあったのか、それとも他の誰かから資金提供を受けていたのか、までは分りません。近所づきあいはなく、頻繁に出かけていたそうです。目撃情報はリバプール全域に散らばっています。ゴルフ場であったり、公園であったり、学校であったり。そして教会であったり」

「魔術師が教会に近づいた?」

「はい」

「何か意味があるのかしら」

 

「教会の目撃回数が多い、この報告書はそう語っていますが、アテになるかどうかは分りません。リバプールメトロポリタン大聖堂、リバプール大聖堂、等々。この町には教会が十ヵ所もありますから。単に施設を見て回った、と考えればこのデータはその様に解釈する事も可能、という意味しか持ちません。図書館で郷土資料を見ていたという情報もあります。何かを探していたのかもしれません」

「情報が少ないですわね。判断するには難しいですわ」

「今刑事さんに調べて貰っています。取り調べる前に不審死してしまい後回しにしていたそうですよ。それがどういうわけか、突然、婦女暴行をしでかし自首をした。自分は魔術師だと訴え、刑事さんが俺らに通達した。その後拘置中に死亡。その情報だけを考慮するならば、誰かに追われて、犯行に至り、露呈した、とも考えられます。魔術回路の切り替えに性的興奮を使う者も居ますから。己の内で済ませるより、行動に及んだ方が確実……と後追いで、こじつける事も出来ますが、やはり確証はありません。今となっては調べる事はできませんし。ただ明確なのは魂を魔力に変換出来る術式を知っていた事です。誰もが知っている事ではありませんから、これは手がかりになるでしょう」

「被害にあった方は?」

「意識薄弱、つまり虚ろで事情聴取はできていません。無理も無いでしょうが」

「どのような方?」

「エディンバラ在住の十四歳。捜索願が出されていました。家出だそうです。保安カメラの映像は消去されていたそうです。警察署は大騒ぎだそうですよ」

「そうでしょうね。内通者が居る、と言っているようなものですから」

 

アルコールが回ったのか、ルヴィアの頬はほんのり赤かった。初めて見る可愛らしい表情に、役得役得と真也は小動物と戯れる心境である。

 

「ミスター=シモンズ〈刑事〉に着手しますわよ。暗示を掛け、情報を引き出します」

「レディ=エーデルフェルト。その前にトーマス=ニルセンの家をもう一度調べるべきです」

「私が調べたじゃない。見ていなかったのかしら?」

 

彼女は既に、探知の術を使ったが、それらしいモノは発見出来なかったのである。

 

「トーマス=ニルセンが魔術師であった事は確実で、彼は自分の魂を代償に術を使った、それは余程の事です。魔術師が何かするのであれば自宅という拠点しかない。我々は何か見落としている。レディ=エーデルフェルト。それは貴女も疑問に思っている筈です」

 

事実その通りであった。だが彼女は疑問に思いつつも、それを認める事が出来ないのだった。

 

「トオサカシンヤ、貴方は何を言っているのか理解している? 私がミスをしたのではないか、そう言っているのだけれど」

「ミスは誰にでもあります。魔術師であるが故に死角がある。優秀な術者ほど、その死角は大きい。神代の魔術師であれ、その限りでは無い」

「聖杯戦争を勝ち抜いた者の感かしら」

「聖杯戦争から時計塔に至る三年間の感ですよ。解釈は如何様に」

「良いでしょう。別行動をすれば貴方の失敗した顔が見られませんもの」

「ご理解感謝します」

 

「明日、私に謝罪する時が楽しみですわ」

「……するんですか?」

「当然でしょう? 私を侮辱したのですから」

「大げさな。それに無理強いはしていません。ホテルでお待ち頂いても、嘘です、是非、ご一緒して下さい。前言撤回します。ですからその魔力をしまってください」

 

アルコールのせいか何時しか音楽の話になった。ルヴィアがロック、ポップを聞くという事実は意外な事であった。ブリトニー=スピアーズ、アヴリル=ラヴィーン、若い女性がステージで熱唱し、観客を湧かせている姿が痛快なのだそうだ。何となく腑に落ちた真也であった。気がつけば午後十一時であった。

 

「レディ=エーデルフェルト。今晩はここまでにしましょう。明日八時に伺います」

 

彼はすっくと立ち上がった。その彼女の物言いは、その日の最後の別れの挨拶である。

 

「トオサカシンヤ」

「はい?」

「礼を言っておきます」

 

扉とその隙間に佇むご令嬢は目を伏せ、躊躇〈ためら〉いがちにそう告げた。

 

「その、卑しい輩から守って頂いた事には感謝いたしますわ」

「あ、ああ。あの程度お安いご用です」

 

そう格好は付けたものの二度目は避けたいと思う真也であった。

 

「おやすみ」

「おやすみなさいませ」

 

パタンと扉は閉り、彼は隣の自分の部屋に戻った。歯を磨きながらハタと気づく。

 

「……あれ? ふ、ふん。お嬢様の機嫌を損ねて、仕事に支障が出たら困るだけだい。それだけだい」

 

徐々に従者らしく、染まっている自分への言い訳である。

 

「俺、自分への良い訳上手くなったよな……寝よ寝よ」

 

ベッドに向かった彼は、毛布を引っぺがすと、ソファーに腰掛け、毛布を包まり、覚醒と睡眠の合間の状態になった。彼は座し安静となる、決して横にならない。これが彼の寝方だ。遠坂の家を出発し一年と十ヶ月こうしているのだった。こうせねば生きて来られなかったのである。

 

 

◆◆◆

 

 

翌日二人はトーマス=ニルセンの家に向かった。二階建ての煉瓦造りの家と言えば聞こえは良いが、その傷みは一世紀分だ。昨夜訪れた時は夜も更けており気がつかなかったが、陽の光の下で見ると凄惨さが良く分かる。煉瓦はひび割れ、欠け落ち、蔦は我が物顔で壁を這っている。木製の窓枠も腐りかけだ。エルメロイ宅と同程度かそれより酷い。

 

ただどういう訳か芝生の手入れはされていた。窓硝子も割れていない。落ち葉、砂、石ころ、汚れも無く、清掃は丁寧にされていた。庭の木々は丁寧に刈り込まれ形が整えられていた。煉瓦の塀を、菌糸類の様に喰らい付くす腐海のようであまりセンスは無いが丁寧だった。写真の通りここの家の持ち主は神経質な性格だった。

 

KeepOutというテープをくぐり抜け扉を開けて奥に入ればそこは映画の世界である。木の床、煉瓦の壁、暖炉に、ラグ、木製テーブル、ソファーが置いてあった。雨戸は上げられているが、日光は余り差し込まない。調度品の旧さと痛み具合がまた良い雰囲気を醸し出していた。サスペンス、ホラー的な意味である。それらは薄暗い空間に浮かび上がっていた。少なくとも一階だけを見るなら魔術師の家には見えない。昨夜調べた二階も同様だ。実に静かな物である。お隣さんとは相応に距離があり、その間には相当数の年代物の樹木が並び、隔離状態だ。人目を憚るにはうってつけであった。真也が家の照明を点けると、ルヴィアが一歩踏み出した。板の間がギシリと音を立てた。

 

「ミスター=シモンズ〈刑事〉に連絡しましたの?」

「してないです。理由はシモンズ刑事がトーマス=ニルセンの死亡を自殺と断定してた、と言う事です。引っ掛かります」

「気にしすぎではないかしら、単なる言い違えの可能性もあるでしょうに」

「今はまだ慎重になるべきでしょう」

 

「トオサカシンヤ」

「はい」

「あの刑事を初めから信用していなかった、と言う事かしら」

「ええ、そうです……なんです、そんな怒った顔して。お美しい顔が台無しですよ」

「信用していないあの刑事にあんな愛想を振りまいて、仮にとは言え共闘関係にある私にその態度ですの? 性格に問題があるのではなくって?」

 

癇癪を起こし、魔術を使われた方が誤魔化しやすいのだが、こうくると話は変わってくる。非難めいたルヴィアに耐えきれず、真也は渋々釈明する事にした。

 

「まぁ俺自身善人だとは思っていませんが」

 

そう前置きしこう続けた。

 

「お嬢様は違いますが、信用していない赤の他人には仮面を被りますよ、俺はね」

 

意外な告白にルヴィアは少し面食らった。共同歩調を取っている以上、ある程度信用しないとままならない。だがルヴィアは散々敵視した発言をしているのだ。

 

「それは私を信頼している、と解釈して良いのかしら」

「ええ、それなりに」

「完全にではない?」

「ゼロかイチかで、分けられる程世の中単純でもないでしょう。そうですね、この際だ。伝えておくのも悪くない」

 

真也は彼女を見据えた。

 

「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、俺は貴女を気に入ってる。何処が、と言うと。気が強いところとか、それを地でやっているところとか、後は美学を持ってそれを貫こうとしているところ。マスターにするなら貴女のような人が良い」

 

“マスターにする”など妙な言い方だ、ルヴィアはそう思った。

 

「ですから尊重もしますし危ない時は守りもします。ただし条件付です。信条に背く行為には反発しますし、俺は死ねないし帰らないといけない。そして、」

「トオサカの益となる行動を取る、かしら?」

「その通りです。お察しの通り、俺は貴女に幾つか隠し事をしている。けれど教える事は出来ない。なぜなら貴女はトオサカの人間ではないから。この身体に課せられた役割と貴女への好意、それを踏まえた上での貴女との距離、と考えて下さい」

 

いざという時はルヴィアを見捨てて己の命を選択する、と言う意味だ。ただ真也にとっての緊急時は、一般的魔術師とは大きく異なる事は言うまでも無い。

 

「要するに、私への態度は地が混じっている、と事」

「そんなところです」

「まぁ、明瞭に言われた方が私としても、やりやすいですから不問としましょうか。ですが、あの程度で私を守るなど自惚れにも程がありますわ」

「そういう貴女だから身体の張り甲斐があるんですよ」

「気づいていらっしゃるのかしら。貴方が宣言した事は当然すぎる事ですわ。当たり前すぎて胸を張って言うには滑稽です」

「俺が気に入っている、そう言った事も?」

「当然」

 

さも当然だと言わんばかりの物言いに彼は苦笑するより他はない。ルヴィアのその指には、返答次第では叩き付けようとした宝石があった。毒気を抜かれてしまった。

 

「もう良いですから。さっさとなさいな。そのクーラーボックスなのでしょう?」

「流石お嬢様、目の付け所が違う」

 

白と青の、典型的なそれを真也は手に持っていた。秘密兵器とまでは行かなくとも意味ありげなのはあからさまだ。台所に向かった真也が戻ってくると、そのクーラーボックスから白い煙が溢れていた。中を覗けば、ゴポリゴポリと溶岩のように泡吹いている。水を入れたのだった。

 

「ドライアイス?」

「はい」

「何をするおつもり?」

「俺の勘が正しいならば、なんですけれど」

 

真也は最初にキッチンにおいた。そのクーラーボックスからはドライアイスに触れた液体が微小な固体粉末になり、煙のように溢れだしていた。真也は流れる雲のようなそれをじっと見ているとリビングに移動した。ルヴィアには訳が分からない。リビングでも同じである。客間、階段の下、彼は同じ事を繰り返した。時折懐中電灯の光で煙を追っていた。

 

「何をしていますの?」

 

真也の奇行に我慢出来なくなったルヴィアであった。

 

「んー」

 

真也の態度が変わったのはクローゼットの中だった。そのクローゼットのある部屋は構造上リビングに面していたが、その仕切りは壁と称するには厚かった。ゴンゴン、それは彼がクローゼットの奥の壁を叩く音である。ゴンゴン、続けた叩いた。コンコン、ルヴィアは察しが付いた。ドライアイスの煙が壁と床の間にある、僅かな隙間に吸い込まれていたのである。人が一人入れる程度の奥行きの、クローゼットの奥の壁を弄る真也はナイフを取り出した。それは真紅のコートの右袖の中にあり、いざとなれば即座に投擲できるタイプのナイフであった。

 

「呆れましたわ。その様なモノを隠し持っているとは」

「内緒ですよ」

「荒んだ旅だったようですわね」

「ええ、とても」

 

「トオサカリンは知っているのかしら」

「知りませんよ。知ったら連れ戻されますから」

「その外套、他に何を隠していらっしゃるのかしらね」

「それは秘密です」

 

クローゼット内の柱と壁の隙間にナイフを突き立てるとカチリと音がした。奥の壁は引き戸であった。開いた扉の向こうには地下に降りる階段があったのである。

 

「ビンゴ」

 

真也のその物言いは、宝を掘り当てたような心境だ。

 

「そりゃそうだ。魔術師なら魔術で隠すと思うよな、フツー」

「トオサカシンヤ、なぜ調べ直すべきだと?」

「仮定の根拠は二つ。一つは貴女がトーマス=ニルセンは二流だと言った事です。二流であれば魔術回路の切り替えに難儀するでしょう。平時であれば問題なくとも別口の誰かに追い詰められた彼は精神が制御出来ず、魔術回路の切り替えが出来なくなった。そこで実際に暴行をして性的興奮を用い切り替えた。これは魂食いの術式に繋がります。そして二流だろうと家という本拠地がある以上工房の様な部屋はある筈。この二つです。それでも隠したいならどうするか。彼は俺らの盲点を付く事にした。欺瞞、人よけ、そう言った類の術を使わず、ただ建築構造に隠した。優れた術者ほど魔術を過信しますから。俺らとは別口の誰かも、引っかかり見落とした。婦女暴行容疑であれば警察の捜査もそこそこでしょう」

「一つ聞きたいのだけれど」

「何でしょう」

「トオサカシンヤ、貴方は魔術使いなのかしら。身体強化のみとはいえ、それなりに根源を求めている、求めようとしている、そう思ったのだけれど」

 

魔術師は魔術を過信するべき者なのだ。魔術を使わずに済む、魔術より優れた他の方法があるかもしれない。それを考える事は己〈魔術師〉への背信行為だ。彼の返答は体裁であった。

 

「さて。どうなのでしょうか。俺は遠坂という魔道の家の人間ですが、家督を継いでいない。継いでいない以上、根源を追う理由はありません。俺個人という範疇で見れば魔術使いなのでしょうね。ですが当主である姉は根源を追っています。この旅が終われば姉の助手になる予定です。そういう意味では根源を求めているとも言えるでしょう」

「自分の手で掴みたい、と思わないのかしら。その身体に流れる血は囁かない?」

「ウチの家は少々複雑でして。他人様に話せないような、きょうだい喧嘩をしたんです。それこそ命がけの」

「お家騒動、と言う事」

 

家督を求めて争ったのだろう、ルヴィアはそう思った。真也の口調は、ルヴィアのよりも更に重かった。

 

「内に溜った鬱憤を吐き出して、皆の手を借りてどうにか収まって、三人でやっていこう、そう決めました。魔術師として姉が一番優秀でしたから、自然の成り行きでもあります」

「三人?」

「妹が居ます」

「ま、話半分に聞いておきましょうか。嘘と真が混じっているようですし」

「納得頂けるとは意外です」

「信じる事は私が見る、貴方の行動のみとしますわ」

「レディ=エーデルフェルト。貴女の聡明さと寛大さには感服するのみです」

 

階段を降りると真っ暗闇だ。夜目の利く彼は照明のスイッチを入れたが、生憎と明かりが点かない。電球が切れていたのである。ルヴィアは手短に詠唱すると、手の平に光の球を生み出した。

 

「魔術も便利でしょう?」

「魔術そのものは否定していませんってば」

 

その光の玉が手の平を離れ、地下室の天井に取り憑くと、一面を照らし上げた。一階の床面積に等しい空間を持つ地下室の床に魔法陣が描かれていた。その地下室はトーマス=ニルセンの隠し工房であった。

 

「トオサカシンヤ。見事、と言っておきましょうか」

「お褒めにあずかりまして、光栄です」

 

二人の眼下には、魔術の光で照らされ浮かび上がる魔法陣があった。それを凝視していた真也はこう告げた。

 

「この魔法陣はエノク文字です」

「そのようですわね。天使を召喚しようとしたのかしら。それにしても粗末な魔法陣だこと」

「ですね。基板となるアウターリング〈最外円〉の大きさ、それぞれの意味を表すシンボルの比が正しくない。スカスカだ」

「この術式は相応の霊地を前提としたもの。ここが並みの地ならば、大きくしないと足りなかったのでしょう。いずれにせよ大した霊は呼び出せないですわね」

 

ルヴィアは真也の様子がおかしい事に気がついた。

 

「どうかしまして?」

「レディ=エーデルフェルト。この魔法陣にはトーマス=ニルセンの身体にあった転送先のラベル、それに対する受け取りを意味するシンボルが無い。トーマス=ニルセンは魔力を何処に送った?」

「この魔法陣とは、別の目的と言う事かしら」

 

真也はそれを解読し始めた。

 

「定義、接触……」

 

その魔法陣は次のように作られていた。

 

1.宣言

・定義:魔法陣だと定義する

・接触:地脈にアクセスする

・吸収:地脈から魔力を吸い上げる

 

2.召喚

・交信:霊体を呼びかける

・転送:こちら側の世界に招き寄せる

 

3.憑依

・抑制:憑依体の意識を抑制し、憑依しやすくする

・転送:霊体を憑依体に送り込む

・拘束:霊体を憑依体に固定

・令呪:指示に従わせる

 

「これ、霊体を憑依させ使役する召喚式ですよ」

「天使を呼び出して憑依、お告げでも聞くつもりだったのかしら」

 

真也の口調か堅かった。

 

「違います。この魔法陣に書かれている、天使名〈力のシンボル〉は、アザゼル、サタナキア、アマイモン……ルシファー。堕天使です」

 

流石のルヴィアも態度を硬化させた。

 

「トーマス=ニルセンは悪魔崇拝者?」

 

真也は少しは慣れたところに置いてあった机を漁り始めた。引き出しを一つ漁り、二つひっくり返し、そして三つ目。

 

「レディ=エーデルフェルト。これを見て下さい」

 

それはペンダントだ。五芒星に黒山羊が細工されていた。

 

「悪魔崇拝結社“ラヴォワーク”の紋章です」

「納得ですわね。トーマス=ニルセンが魂食いの術式を知っていてもおかしくないですわ。何せ彼らが一大勢力でしたから」

「ですが変です。この組織は第二次世界大戦前後で、聖堂教会に滅ぼされた筈だ」

「残党。もしくは、再興したのかしら」

 

真也は三枚の写真を見つけた。

 

「槍と牙、これは教会?」

 

古い写真でよく見えないが鏃〈やじり〉のみが写っていた。装飾らしい装飾もなく質素な槍の鏃だ。教会の写真は新しく、鮮明に見えた。

 

「何処の教会かしら」

「牙も気になります。何かの触媒かもしれません。一気にきな臭くなりましたね」

「逆に核心へと近づいた、そう考えなさいな」

 

真也は腕を組んで呆れた眼差しだ。

 

「前向きというか、タフというか。こちとら先ほどから寒気が止まらないってのに」

「だから私を気に入ったのではなくて?」

「分ってますよ。恥ずかしいので何度も言わないで下さい」

「照れるなんて意外と可愛らしいですこと」

 

「それ以上言うなら怒りますから」

「それは残念ですわ。それにしてもトーマス=ニルセンは何に憑依させようとしたのかしら」

「そりゃ、人でしょう。動物なら意識抑制のシンボルなど、使わない……」

 

二人は顔を見合わせた。継いだのは真也であった。

 

「暴行された少女は、依り代でもあった?」

「しかしその娘は屋外で、その、されたのでしょう?」

「違う、逆だ。別口の誰かを思い出して下さい。地下室で憑依の儀式を済ませた後、身の危険を悟ったトーマス=ニルセンは彼女を連れ出した。家においておけば、その娘が俺らとは別口の誰かに見つかる可能性があったから。ところがその誰かが予想以上の手練れだった。その手練れ具合と、振り切れない事を悟った彼は暴行に及んだ。その後出頭すればつじつまは合います。時計塔に連絡をしたのは、その別口に対するカウンターを狙った。結局は間に合わなかったのでしょうが。ですが、彼は魂食いを何に使った?」

「詰めが甘いですわね、トオサカシンヤ。人の身体は結界でもありましてよ。悪霊も人間という結界を纏えば、教会と言う禁忌の場所も出入り出来る」

 

ルヴィアは教会の写真を、ピッと持ち出した。ならばトーマス=ニルセンの最後の術は。

 

「「憑依体の強化」」

 

病院に被害者少女の安否を確認したが、一足遅かった。被害者の少女が失踪したのである。

 

 

 

つづく!




架空の人物であるトーマス=ニルセンが使った魔法陣は二つあります。
いち.憑依魔法陣
に.憑依体を強化する魔法陣
以上ご参考ください。
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