赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

6 / 34
四話

リバプール中心街から南東へ三キロの位置に古い町があった。そこは静閑な町で、右も左も煉瓦作りの建物ばかりである。煉瓦らしい赤茶色の建物が続く中、歴史を感じさせる黒ずんだ煉瓦色の建物が一つあった。地域住民の生活に密着した相応の規模の教会である。もちろん、彼らが美徳とする清貧さ、と言う意味だ。そして二人は教会から道路一本挟んだ三階建て建築物の最上階に居た。もちろん許可など取っておらず、ルヴィアの暗示で強制的に間借りしたのだった。ルヴィアは遠目の術、真也はモノアイの望遠鏡で教会を監視していた。

 

「トオサカシンヤ」

「なんでしょう」

「身体強化と言いつつ、なぜ視力の強化が出来ないのかしら」

「ひ・み・つ」

 

魔眼が施術を喰らってしまうからである。窓から差し込む朝日を浴びて、カーテンの隙間から覗く古い教会は沈黙していた。缶コーヒーを啜〈すす〉る。スナックを食べる。目の前の通りをトラックが走っていった。気がつけば太陽は南中である。つまり昼だ。つまりは待ちぼうけだ。徐々に悪くなるルヴィアの機嫌をどうにかしようと真也はぽつりと呟いた。

 

「あの神父さん頭固くて取り付く島がないですね」

「そうですわね」

 

宗教文化と美術を専攻する学生だと見学を申し込んだら追い返されたのである。

 

「やっぱり信者とか、洗礼を受けているとか、嘘ついた方が良かったでしょうか」

「その様な化けの皮、すぐ剥がされますわよ」

「でしょうね、その為の神父さんですしね」

「それはそれとして、こうしているのもらちが明きませんわね」

 

「強い信仰を持っている神父さんに暗示など使えませんよ、使ったら大事になりますよ」

「ですわね」

「神父さんは聖堂教会ですよ、俺らは魔術協会ですよ」

「分っていますったら。仕方ありませんわ。不本意ですけれど待つ事にします」

 

「待つのは良いけれど、待たされるのは苦手?」

「あら、良く分かりましたわね」

(義姉そっくり)

 

実は血縁関係にある、と言われても驚くまい、そう腹を括った真也であった。

 

「しかし、レディ=エーデルフェルト。トーマス=ニルセンは魂喰いを使ってまで強化して、何をしようとしたんでしょうか」

「単純に考えれば、その別口の方への対抗策でしょうけれど、その憑依体を見つけたら引っ捕らえて吐かせるだけですわ」

(冗談だろうけれど、このお嬢様ならやりかねないな)

 

真也は望遠鏡をテーブルに置くとすっくと立ち上がった。

 

「憑依していようと日中は奴らの時間ではありません。動くのは日没後でしょうから、何か食べるものを買ってきます。ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、単独先行はくれぐれも自重して下さい」

「私の身を案じて頂いている、と解釈して良いのかしら」

「本気で言ってるなら怒りますよ」

「サンドウィッチと、エスプレッソをお願いしますわ。スナックはもう飽き飽き」

 

真也は睨んだつもりであったが、微笑まれては脱力するより他はない。あの宣告はやぶ蛇だったかもしれない、と後悔し始める真也であった。

 

(いや、蛇足かなー)

 

日が傾き、空が青から紅へ、そして藍に染まった頃である。強化された二人の耳がそれを捕らえた。何かが倒れる音、何かが割れる音、それは教会を破戒する音である。

 

「動いた」

「行きますわよ」

 

教会内は酷い有様だった。祭壇は砕かれ、整然と並べられていた長机は部屋のあちこちに、積み木の要領で積み上げられていた。床は暴かれていた。壁は崩れていた。荒らされまくっていた。まるで家捜しの様である。何より異様なのが、ほんの短時間でここまで荒らされた事だ。並大抵の力では無い。ただ一つ、正面の壁に掲げられた“彼”を表す十字架は手つかずだった。流石に触れる事は叶わなかったのである。“究極の概念武装だしな” 真也はそう呟いた。二人が歩みを進めるその荒れ果てた礼拝堂は静かだった。

 

「トオサカシンヤ」

「上です」

 

見上げる天井に居る少女は、ブリッジの姿勢で天井に張り付いていた。その姿は異様そのもの。蜘蛛の様と言えばまだ可愛げがあるだろう。白い入院服を着て、金髪の髪を垂らし、眼を赤く光らせていた。

 

“―――!”

 

その口から迸る言語は蛇の鳴き声のようであった。鋭利な牙も見えた。

 

(古代バビロニアの言葉? “何処だ”って何かを探してる?)

 

真也の延髄部にある符陣が唸りを上げていた。それはキャスターが刻んだ多言語翻訳の施術である。威嚇のつもりか、あざ笑っているのか、少女に取り憑いた悪魔はブリッジ姿勢のまま天井を歩き回っていた。真也のそれは率直な感想だった。

 

「映画のエクソシストのあの娘みたいですね」

「あちらの方が上等ではなくって?」

「ご存じで」

「幼少の頃観ましたから」

 

どんな幼少だったのか、真也は敢えて聞かなかった。ルヴィアの魔術刻印が唸りを上げる。

 

「私を見下ろすとは……礼儀を教えて差し上げますわ」

 

何を、と真也が言う前に彼女の右手が吠えた。フィンの一撃によって砕かれた其所には何も無かった。ただ穴が開いていたのみである。どこへ逃げたのか、ルヴィアがそう思った瞬間であった。彼女の右舷にある積み上げられた長机が、砕けて宙に舞った。まるで猛スピードでトラックが突っ込んだかの様な振動と激しい音があった。それ以上に不可解な事が、ルヴィアの左隣に居た筈の真也が目の前に居る事である。瞬間移動でもしたかの様だった。真紅の外套が彼女の瞳の中で揺らいでいた。

 

「な、」

「強襲されました」

 

ガラリと立った音は、長机のなれの果てが崩れた音だ。慌てて、その方を見れば雪崩た布団から這い出るように憑依された少女が現れた。牙を立て忌々しそうに真也を睨んでいた。ルヴィアの驚愕は3つ。1つ、幾ら不意を突かれたとは言え、憑依体の身体能力に追従できなかった事。2つ、目の前のトオサカシンヤがそれに対応した事。3つ、身体強化の魔術を使うとは聞いていたが、この男は何時魔術を発動させたのか。

 

「レディ=エーデルフェルト下がってください。力加減が難しい、難儀しそうです」

 

混乱しかかった中、その一言が彼女を静かな泉に呼び戻した。冷静になったと言う意味だ。

 

「まさかとは思うのだけれど、あの少女を助けるつもりなのかしら」

「そのまさかですよ。小突いて、弱らせて拘束します。その後、聖堂教会に通知してエクソシストに祓って貰いましょう」

「正気かしら。何を言っているのか、理解しているのかしら」

「俺らの仕事は依頼人の調査。ところが当の本人は死んでいますし、あの娘の中にいる奴の言葉なんてアテにならない。連中は嘘を付きますからね。尋問は無駄でしょう。ならば、被害者の救助をするまでです」

 

「倒す事と捕らえる事、この難易度の差を分っていますの?」

「もちろん」

「私たちが聖堂教会に頼る?」

「俺らが頼らなくても、救いを求める手は払えない筈です。彼らのはそういう教義ですから」

 

「それは問題のすり替えですわ。私たちがアテにする事が問題なのではなくて?」

「人の命が一つ掛かっています。この際棚上げしても良いでしょう」

「不要な危険を招き入れ、よりにもよって聖堂教会を頼る? 本気で言っていますの?」

「もちろんです」

 

「ならば、勝手にしなさいな。付き合いきれませんから」

「もちろん、貴女に強いるつもりはありません」

「勝手に果てると良いですわ、その自惚れの良い授業料となりましてよ」

 

踵を返し、扉の向こうに消えていったルヴィアを確認すると真也は薄ら寒い笑みを浮かべた。

 

“―――っ!”

「俺が誰かだなんてどうでも良いだろ。そんな事よりあのお嬢様と物別れしてまで助けるんだ。温和しくお縄について貰うぞ」

 

憑依体の内包する魔力が意味を持ち力となる。それは真也の得体の知れ無さを警戒したのであった。か細い少女の身体が膨張する。背が伸び、筋肉が膨れあがり、白い皮膚が、ゆで卵のように割れるとねずみ色の皮膚が現れた。冷える。 `四月だというのに、とても寒い。吐く息が白くなる程だ。それは冷気を吹き出していたのだった。少女の額から二本の角が生えた。指先の爪は鉤爪になった。目がつり上がり鼻と顎がでっぱる。そして、背中に生えた物はコウモリの翼。悪魔が正体を顕した。対峙する真也が紡ぐは解放の呪文である。詠唱開始。

 

「守護神ヘカテーに願い奉る。その慈悲を以て戒めをを今ここに解く。その戒めは御柱二つ也。戒める古の名は……“災厄なる翼〈cladis ala〉”」

 

抑制されていた真也の魔力回路が段階解放された。キャスターによるものだ。エルメロイが真也の内包するそれに気がつかなかった事もこの術式に起因する。

 

『拘束術式限定解除』

 

“災厄なる翼”だなんて、あの義姉のネーミングセンスはどうにかならないのか、唱える度にこっぱづかしい。真也のそのぼやきが、第二ラウンド開始の合図であった。その悪魔は吠えた。少女を依り代に、人間一人分の魔力を費やし、一時的に実体化したそれは、羽ばたき飛翔すると眼下に獲物を見据えた。

 

“忌々しい人間め”

 

その悪魔が召喚主〈トーマス=ニルセン〉と結んだ契約は、ある物の捜査である。見つけた場合は指定の場所に運ぶこと。見つからなければ報告のみだ。召喚主は死んでしまったが契約は続行だ。幸運にも相応の魔力を与えられ、契約後もこの世で“有意義に過ごす”予定だったが水の泡となった。魔力を使いすぎた以上数刻持つまい。ならばせめて、その魂を喰らってくれる。多少は出来るようだが、喰った人間一人分の魔力は半端ではない。ヒグマを一撃で砕く右手を、真紅の外套を纏う魔術師に打ち込んだ。その爪は切り裂いた筈だった。

 

だが、どうした事か。手応えがあるどころか、それは平衡感覚を失っていた。上を向いているようでもあったし、逆立ちしているかのようでもあった。それどころか、左頬を殴られた感覚がある。殴打と共に大量の魔力を打ち込まれ体中が痺れていた。見上げれば眼鏡を掛けた一介の魔術師が天井を背景に、それを睨み下ろしていた。その魔術師の左手は、それの首を掴んでいた。床を構成していた板材が、宙に舞っている。それの身体は床に食い込み埋まっていた。

 

“何故俺は、このひ弱な人間に、捕らえられ、殴られ、そして組み拉がれている。こいつは本当に人間か、いや、現代人か。これではまるで―”

「悪い。ちょっとクるかも知れないけれど我慢してくれ。今君を支配しているのは、その悪霊だ。それほど衝撃は無い筈だから」

 

何を言っている、それのその疑問はその絶叫に掻き消された。その魔術師に掴まれている左手を基点に体内の魔力が乱されたのである。ありえない。何故そんな事が出来る。霞む視界の中に浮き上がるその魔術師の目は蒼く光っていた。先程まで付けていた筈の眼鏡が無かった。その瞳は死その物だった。

 

「呼び出されて、折角お越し頂いて申し訳ないけれど消えて貰う。ま、アンタの場合、自分の意思で召喚に応じたのだから、あの〈アンリマユ〉時ほど罪悪感は無いな」

 

“太古に消えた筈の、力を持つ者たち〈英霊〉ではないか”

 

 

◆◆◆

 

 

ルヴィアが教会に戻った時、真也は見知らぬ誰かを拘束していた。

 

「レディ=エーデルフェルト。なぜ?」

 

振り返る直前、取り繕うように眼鏡を付けたのは気のせいか。この人物は一体幾つ何を隠しているのか。ルヴィアは溜息を付くと、真也がふん縛っているそれに気がついた。予想は付いていたが敢えて聞いた。

 

「その見るからに、怪しいそれは何かしら」

「憑依体です。トーマス=ニルセンの魔力を費やし、一時的に半実体化したようです。つまりサーヴァントのような状態です」

(まったく、どうやって拘束したのやら。こんな事ならせめて居残り見届けるべきでしたわね)

 

エースストライカーのゴール瞬間を見逃した心境だ。彼女は小さく溜息を付くと、一歩踏み出した。

 

「結構。そのまま拘束しておきなさい」

「何をするつもりですか」

「決まっているでしょう? これから悪魔祓いをします」

 

ルヴィアは荒れ果てた礼拝堂の中において、数少ない無事である床に魔法陣を描き始めた。真也は赤い外套から手品のようにロープを取り出すと、憑依体を拘束した。

 

「聞き間違いだと大変ですので、確認させて下さい。レディ=エーデルフェルト、今なんて言いました?」

「その悪魔を祓う、と言いました」

「それの意味を理解していますか? 聖堂教会の教えでは悪魔も神が生み出した存在。人は悪魔を斃す権限を持たない。それが許されるのは、その悪魔を作った神と、ごり押し解釈で教会が許した極一部。ここは教会で、俺らは魔術師。この意味分っていますか? できる出来ないは別にしてバレれば大事になります。教会はこの有様、あの神父さんはこの悪魔憑きを見たはずだ。俺らと面識がある以上疑われるかもしれない。教授にもどうやって言い訳しますか? 越権行為以前に、重大な挑発行為ですよ、これ。下手すると時計塔を追い出されますよ。部外者の俺はともかくお嬢様の経歴に―」

「殿方の割にはお喋りだこと。お聞きなさい」

 

床に魔法陣を描く、ルヴィアは手を止めて、見返り、自分の肩越しにこう宣言した。

 

「出来損ないの貴方“だけ”に見せ場を奪われては叶いませんもの。主役は私ですから」

 

組んだ以上共に責は追う、そこまで恰好付けられては止められるはずが無い。ルヴィアの不遜の姿に真也は悪態を付くのみだ。

 

「あーくそ、貴女に会ったのが運の尽きだ」

「私をここまで巻き込んだ貴方に言われるのであれば、痛快ですわ」

「……どうするつもりですか」

「簡易の儀式を構築します。鉱石の特性を用い、憑依している霊体に干渉して追い出す、良いかしら?」

「俺は追い立てた霊体を仕留める役と、わかりました」

 

“展開〈instruere〉”真也がそう唱えるとガントレットが変形し霊刀となった。その手にあるのは聖杯戦争を共に乗り越えた霊刀だった。欺瞞〈ぎまん〉はキャスターの拵えである。

 

「そう、やはり限定武装だったという訳」

「籠める魔力で切れ味と強度を増す、ありふれた霊刀ですけれど、ね」

「日本刀を選んだ理由は何故なのかしら」

「俺の習った剣術はこれが一番向いているんです」

「貴方は気配読みが優れる……回避と技が主体の戦い方と言う事かしら?」

 

一枚一枚剥かれる、と真也は諦め顔だ。ルヴィアは描いた六芒星の頂点に鉱石を置き始めた。

 

・アダマンタイト:成功率の上昇を司る。この場合はもちろん術式の成功率だ。

・トルマリン:精神の強化と防御を司る。離れた悪霊が再び取り憑くのを防ぐ。

・ハウライト:精神と身体を浄化する。これが悪魔祓いの基点となる。

・ブラックオニキス:依り代の潜在能力を発現させ、祓い易くする。

・ブラッドストーン:困難や苦難を克服する。

・ローズクォーツ:恐怖に対抗する。

 

真也が呟いた。

 

「依り代に効果を与える石が多いですね」

「この方法を持って祓う場合、憑依された方ご自身が追い出す、これが基本となる。覚えておきなさいな」

「なるほど。憑依体に直接干渉するエクソシストのやり方とは、コンセプトが異なるという訳ですか」

 

ルヴィアは鉱石同士の相性と、星の位置と時刻を考慮し、石の配置を数度置き直した。多数の鉱石を使えば使う程安定させる事が難しくなる、その為の六芒星と言う事だ。そのシンボルは安定を意味するのである。彼女は立ち上がると、肩に掛かった髪を背に梳き流した。魔法陣の中に捕らえられたその悪魔は、魔牛のような呼吸を繰り返していた。

 

「トオサカシンヤ、」

「何時でも」

 

真也の手にある霊刀が魔力を帯び蒼く光れば、ルヴィアの紡ぐ言葉は力となった。

 

『Call』

 

その教会は強い光〈魔力〉で満たされた。

 

 

◆◆◆

 

 

二人が夜の町を歩けば救急車とパトカーが、けたたましい音を立て通り過ぎていった。二人が通報したのであった。助かった少女は、再度病院に搬送された。今度こそ助かるだろう。教会の神父は残念な事に殺されて仕舞っていた。諸般の後始末はこれから会うテリー=シモンズ刑事が取りはからう手筈となっている。リバプールの町はもう眠りの時間だ。開いている店もなく、明かりの灯ってい民家も少ない。サイレンの音が小さくなれば、カツコツとルヴィアのブーツが音を立てていた。左隣を歩く真也にこう聞いた。

 

「貴方の言葉では無いのだけれど、危険だと思わなかったのかしら? 死ねない、そう言ったのは貴方でしょうに」

 

真也は足を止めなかった。

 

「念を押しておくけれど、あの少女を殺そうとした貴女の考え、選択は間違っていない。かつて俺もその口だったから良く分かる。敵ならば速やかに討つ、ってね。そうすれば味方も安全、自分の身も安全。けれど俺の経験上それは誤りなんだ」

 

1stバーサーカー戦の折イリヤを殺しかけた事を言っていた。

 

「命は人が持つ最後の財産、簡単に決めて良いものじゃない」

「その結果、自分の身を危険にさらしても?」

「それは勘違いだ。俺だって自分の命を引き替えになんて、しない。ただ、出来るならするべきだろ。俺は助けられると思ったから、それを選択した。俺はそれ程ヤワじゃないから。それだけ」

「魔術師らしくありませんわね。それは無駄な行為に他ならない、他人なんてどうでも良いでしょうに」

「言っただろ。俺はデキが悪いんだ。だからいつも、姉にも妹にも叱られる」

「少し前から疑問に思っていたのですけれど、姉といい妹といい、貴方の発言にはいかがわしい違和感を感じますわ」

「そんな事ありません。ただ仲が良いだけですよー」

 

真也は不審めいたルヴィアの視線を誤魔化しつつ。

 

「どうやって教授に言い訳しましょうか」

「そうですわね。二人で洗礼を受けるというのは如何かしら?」

「そうですねー、二人で代行者にでもなりま――」

 

突然真也はピタリと足を止めた。

 

「トオサカシンヤ?」

 

真也の鋭い視線の先に人影があった。その人影を認めたルヴィアが息を呑んだ。彼女はその人影を知っていた。こざっぱりに切った藍の髪、ショートカットだがもみあげは長めだ。黒色の修道服を纏うが足下はブーツだった。歳は二〇代半ばだろうが、同い年にも見えた。二人と一人の距離は自動車五台分。真也は警戒を隠さない。

 

「幾ら殺意が無いとはいえここまで近づかれるとは思わなかった」

 

その人物の周囲に聖典の切れっ端が舞っていた。

 

「そう、そういう術なんだ。納得」

「見つけましたか?」

 

その人物の声は淡々としていた。答えたのはルヴィアである。

 

「聖堂教会のシスターに言うべき事はありませんわ」

「見つけた物を渡して下さい。そうでないと強硬手段に訴えないといけなくなります。なにより。魔術師が悪魔祓いの真似事をするなんて、見過ごせませんから」

 

ルヴィアが宝石を掲げた時と、ルヴィアを狙った七本の黒鍵が叩き落とされた時は同じだった。真也は霊刀を構え、ルヴィアを守るかのように構えていた。実際に守っていた。

 

「シスターの割には過激だ」

 

何時取り出したのか、そのシスターの右手には四本の黒鍵が握られていた。左手に三本。両手で計七本である。一本減らしたのは、七と言う数字に意味があるのかもしれない、真也はそんな事を考えた。

 

「また投擲するなら覚悟を決めてくれ。今度は仕留めに掛かる」

 

そのシスターは真也を見ると、困ったような表情を見せた。

 

「これは困りました。ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、貴方のナイトは随分強そうです」

 

そのシスターの表情は泣き止まない子供に手を焼く幼稚園の先生のようだった。

 

「この町に着いた時、俺らを見張っていたのはシスターですね?」

 

真也の発言は彼女の表情を鋭いものにした。

 

「何者ですか? 私の黒鍵を見切り叩き落したことといい、その感覚といい、バレるようなヘマはしていないつもりです」

「トオサカシンヤ、」

「そうです。レディ=エーデルフェルト。この感覚間違いありません。このシスターさんは黒幕ですよ。トーマス=ニルセンを追っていた彼女は彼を追い詰めたは良いものの、何かを聞き出す前に自害された。彼の家を調べても何も見つからない。時計塔に連絡を入れた事を知ったこのシスターは俺らを追跡する事にした。魔術師なら魔術師が隠した物を見つけられるだろう、そう踏んだ。ところが、」

 

継いだのはシスターであった。

 

「ええそうです。レディ=エーデルフェルト。貴方のナイトは用心深かった。折角あの刑事さんを使って途中までは上手くいっていたのに、一度目の家宅踏査の時、貴女のナイトは意図的に地下室を見逃した。刑事さんが立ち会っていましたからね」

「シモンズ刑事に暗示を掛けていた、と言う事かしら」

「そうです。私を出し抜いた二度目の家宅捜査で、だいたい把握したあなた方は刑事さんに内緒で行動を始めた。お陰でまた出し抜かれました。このタイミングで現れたのはあなた方が刑事さんに連絡を入れたからです」

 

真也が言った。

 

「シスターの目的は知らないけれど、少なくとも俺らは見つけていない。それで退いてもらえないか」

「そうでしょうね。見つけていたらなら、そんな冷静でいられないでしょうから」

「ついでに悪魔祓いにも目も瞑って貰えると助かる」

「殺さない取引、と言うことですか。私とてむざむざやられるつもりはありません。断っておきますが先程の投擲は手加減していました」

「お願い、だよ。シスターに殺されるのも殺すのも、寝覚めが悪い」

 

一拍。緊迫した応酬の後、緩めたのはそのシスターだった。

 

「……遠坂真也さん、でしたか。日本人ですか?」

「それが何か?」

「その黒縁眼鏡少し気になります」

 

そのシスターは親しい誰かに会ったかの様な、穏やかな笑みを見せると、そのまま闇夜に消えた。サーヴァントのような身のこなしで、真夜中のリバプールに消えていった。真也は“ちん”と納刀。霊刀は形を変え左腕のガントレットに形を変えた。ルヴィアはその消えた闇夜を凝視し続けていた。真也も同様だ。

 

「誰です、あの美人さんは」

「埋葬機関第七位の代行者。弓の称号を持つシスター=シエル」

「……流石、本場ヨーロッパ。おっかない人が沢山居ます」

 

 

◆◆◆

 

 

エルメロイの執務室で、その部屋の主が目を通すのは真也の作成した報告書だ。それには顛末が書かれ、証拠も添えられていた。証拠とは地下工房で発見した写真とペンダントであった。

 

「時計塔に通報した刑事、警察署の署員、拘置室の人達、署内に居た全員が覚えていませんでした」

「暗示か」

「恐らく」

「胡散臭いな」

「同意見です。悪魔崇拝者に、埋葬機関が動いている……何か裏があると見るべきでしょう」

「だが、情報が少なすぎて何とも言えない」

 

エルメロイの手には二枚の写真があった。鏃と牙である。

 

「トーマス=ニルセンは恐らくそれを探していた、と推測されますが確証には至っておりません。状況判断です」

「下手に手を突っ込めば、引っかかれる程度では済まないだろう。ご苦労だったな。以降はこちらが引き継ぐ。これはもう君の手に余る」

「分りました。ところで、」

「焦るな」

 

エルメロイは封筒を引き出しから取り出すと真也の目の前に丁寧に置いた。

 

「今回の報奨金だ」

「ありがとうございます!」

「君の労働の対価だ、礼を言う必要は無い」

「そこは人間関係の潤滑油ですよ。確認させて頂いても?」

「好きにするといい」

 

嬉々と封筒を開ければ、彼は固まった。

 

「……これだけ?」

 

エルメロイは平然としたものだ。

 

「元々学生向けの安全な依頼だ。その他諸々を引いてその額、おかしくは無いだろう」

「あの、五〇ポンドしかないんですが。食費とか雑費抜くと無くなります」

 

英国から日本までの飛行機代は大凡五万円。大凡三〇〇ポンドだ。ところがその三〇〇を

日々の生活費をさっ引いた額で、稼がなくてはならないのである。幾つの依頼を熟さねばならぬのか。

 

「てゆーか、全く足りません」

「契約は契約だ。不憫だと思い個人的に色を付けた、不満があるか?」

 

エルメロイはいけしゃあしゃあと言い放った。真也の身体は怒りと憤りで震えるのみ。一つ深呼吸。

 

「次もよろしくお願いいたします、教授。出来ればもう少し割の良い物を」

「任せておけ」

 

バタンとその部屋のその扉はけたたましい音を立てた。真也の鬱憤が籠もっているのだ、当然であろう。

 

「あの銭ゲバ陰険ロン毛野郎ーーっ!」

 

その声は現代魔術論の学術棟に響き渡った。

 

「ふ、ふふふふ」

 

底冷えする薄ら笑いも響き渡った。

 

「好都合にもこれから暖かくなる。つまり野生動物たちの季節だ。時計塔の周りの森には、ウサギが居るからそれを狩る。鹿が捕れれば好都合、鴨、渡り鳥も食べられる。野草は沢山、ハーブも見つけた、野生の木イチゴもある。テムズ川で魚も捕れる。よし、こうなったら、こんなはした金使い切ってやる。景気づけに最初の一回だけ、贅沢にディナーと洒落込もう……」

 

“最初の一回だけ”言うまでも無く、それは一番やってはいけないパターンである。

 

「おやめなさい。野蛮人の如きその振る舞い、時計塔の品格を貶めるなど、許される事ではありませんわ」

 

真也の行く手の先、廊下の曲がり角にルヴィアが立っていた。何時ものようにロイヤルブルーのドレスであった。腕を組んで、不遜な眼差しだ。

 

「衣食足りて礼節を知る、食足りず、荒れているこの卑しい私めに何か用ですか、お嬢様」

「あら。拗ねるだなんて子供っぽいこと。この私に説教を解いた方とはまるで別人ですわね」

「放っておいてくれ。メリハリは付けるタイプでね。申し訳ないけれど、レディ=エーデルフェルト、ご覧の通り俺は虫の居所が悪い。貴女の気高い嫌みを受け止めるほど余裕は無いんだ。失礼する」

 

ツカツカとルヴィアの前を通り過ぎた。

 

「聞きましたわよ。帰国の路銀とお土産代を稼ぐ為、指導役〈チューター〉から借金をしているとか」

「借金なんてしてない。例えしていたとしても天引きされた時点でチャラだ」

「それは結構。なら私と契約なさいな」

 

真也はピタリと足を止めた。

 

「なぜ?」

「実績を積む為に依頼を率先的に受ける事にした、といえばおわかり頂けるかしら。入学前から同じ事をしていて、もう十分だと思ったのですが、十分などと決められるモノではありませんから」

「高度な依頼を狙い実績とし修練にもすると。お嬢様の向上心には感服するけれど、俺にメリットが無い」

「僅か三日でこの騒動。トオサカシンヤ、私の見立てでは貴方は禍根の渦です」

「俺の傍に居ればタネに困らないと、言う事か」

「私の手元に置く、ですわ」

「どちらでも良いけれど、そんな撒餌みたいな扱いはお断り。余所当たってくれ」

 

付き合いきれないと再び歩き出す。彼の背中を見るルヴィアは、絶対的優位な表情であった。異なる言い方をすれば勝利を確信していた。

 

「少なくとも必要経費と給金は別にします」

 

真也の足がまたピタリと止まった。彼が恐る恐る振り向けば、ちょろいとルヴィアはほくそ笑んだ。追撃開始である。彼女は指折り数えてこう言った。

 

「怪我をした場合の治療費、住宅補助、対物対人の保険、不測の事態に陥った時のエーデルフェルトの後ろ盾。他に必要なモノはあるかしら?」

 

髪を手漉きで流し、流し目で不遜な笑みである。

 

「……給料はいか程?」

「これで如何?」

 

ルヴィアが立てた指は五本だ。真也は唾を呑んだ。

 

「五〇〇?」

「五〇〇〇」

「ポンド? ユーロ? 円?」

「ユーロ」

 

真也はコホンと一つ咳払い。

 

「これからなんとお呼びいたしましょうか。お嬢様」

「特別に愛称で呼ぶ事を許可します」

「ではルヴィア様と」

 

こうして彼は一ヶ月という期間限定で従僕になったのである。エーデルフェルト家の、ではなくルヴィア個人の、という苦しい自己弁護はもちろん忘れなかった。

 

“遅くなったけれどランサーへの挨拶は済ませた。いまロンドンに居てもう少し滞在したら飛行機で帰る。親切な人が居てさ、宿と良い仕事を紹介してくれて、それで旅費とお土産代を稼ぐつもり。帰国は一ヶ月後の予定。P.S.桜へ、お袋と和解した”というエアメールを出したのはこの直後の事である。

 

 

◆◆◆

 

 

エルメロイの執務室にある窓硝子から見下ろす公園は平和だった。生徒たちは日光浴に、フリーディスカッションにと勤しんでいた。真也の報告書に添付された写真を見る、エルメロイの表情は優れない。陰鬱と言っても良い。その写真とはトーマス=ニルセンの工房で見つけた鏃と牙の写真であった。彼はその写真を机に放り投げた。椅子に深くもたれ掛かれば、それはギシリと悲鳴を上げた。

 

「七〇年前の亡霊か、また厄介な物を引き当てたな。私は厄介な者を引き込んだのかもしれないな」

 

それは真也が持ち込んだ報告という意味でもあり、真也という意味でもあった。彼の机に置いてある悪魔崇拝結社のペンダントは哄笑を上げているかの様だった。

 

 

 

 

つづく!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。