赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
一話
埃の匂いがするエルメロイの散らかった部屋で、真也は手荷物を背負い鞄に詰めていた。最初はサバイバルナイフだった。続けて裁縫道具に火打ち石を詰め込んだ。手回し発電のライト&ラジオ、濾過器、着替え、トイレットペーパー。保温アルミシートに携帯ガスコンロ&コッフェル。筆記用具や盗難防止用の南京錠にキーチェーン。パスポートに国際キャッシュカード。インドのルピーやイランのトマル、使い切れず残った諸外国の貨幣、エトセトラ。余り使わない物も入っている。荷物検査を受けた時に、それらしく見せるためだ。
文字通りパックした時、エルメロイは黒いソファーに寝転がっていた。その手には魔道書が握られていた。彼の家に滞在したのは四泊五日。うち二泊三日はリバプールだ。その短い滞在時間でさえエルメロイは努力を怠っていなかった、真也にはそれが良く分かった。努力が実を結ばない、いや。才能に見合わない努力をしている事もだ。
教え子たちが、自分の横を駆け抜けていく事をどう思っているのだろう。自分を遙かに上回る才能をどう思っているのだろう。一流を望みながらも、他者育成に特化している己をどう思っているのだろうか。その様な事は聞ける訳が無い。そもそも二〇年に達したばかりの真也が、口を挟むなどおこがましいにも程がある。同じ二流だと自嘲したジョナサン=スコットもこのエルメロイと同じ道を歩むのか、真也はそんな事を考えた。
「教授。僅か四日ですがお世話になりました。これより一般寮へ向かいます。綺麗すぎないと良いんですが」
「部屋など片付けなければ自然に散らかる、そういう場所だ」
「エントロピー理論を、片付けに適用するんですか?」
「昔から良くある言い訳だ」
「程々にしておくべきでしょう、」
片付けに来るグレイさんが気の毒だ、そう言いかけて止めた。気の毒かどうかなど彼女にしか分るまい。エルメロイは魔道書を僅かにズラすと、視線のみ動かし真也を見た。真也のバックパックを見たエルメロイはこう言った。
「早いな、荷造りはもう済んだのか」
「撤収は手早く迅速に、が重要ですから」
エルメロイは漸く起き上がった。ゆっくりと緩慢に、いかにも気怠そうだ。起き上がったのは煙草を吹かしたいだけだった。真也は気にも止めない。そういう人物だとはもう分っていた。
「一時的な滞在なら問題ないが一ヶ月出入りするとなると話は別だ。後日書類を送るから、提出するように。君は期間限定で時計塔の人間になる。エーデルフェルト家の従者であろうと、だ。関係が無いからな。それはそれ、こちらはこちらだ」
(エーデルフェルト家の従者か。やっぱり、そう思われるか。個人的になんて、思われないか。義姉になんて説明すっかなー、バレなければ良いけれど)
「トオサカシンヤ、君の扱いはエルメロイ教室の非常勤講師扱いだ」
「非常勤生徒なんて居ませんからね」
「この教室名だけはくれぐれも忘れてくれるなよ」
「重々承知しております」
エルメロイの吐いた煙はたゆたっていた。窓から差し込む陽の光を浴びて、浮かび上がるそれは苛立ちである。迷いもあった。
「ふん。これで気がせいせいする、と言いたいが年長者として指導者として、助言はしておこう。あの寝方は直した方が良い。寿命を縮める」
「覚えておきます」
「熟睡してしまう事がどうしても怖いなら、君の主に警戒の術式を頼む事だ。従者となった今なら二つ返事で受け付けるだろう。レディ=エーデルフェルトはそういう人物だ」
「ルヴィア様には関わりの無い事です。従者の都合ですから」
「余計なお世話だが。別れは誰にも訪れる、だから親密にはならない、と言うのは誤りだ。どうせ死ぬからと、生きる事を放棄する馬鹿者と同等の所行だと思わないか」
「教授の心遣いには感激するより他はありません。身に余る光栄です。ただ緊張の糸を切る訳にはいかない、それだけですよ」
「その中身の無い笑顔も改める事だ。見ていて不愉快になる」
真也は愛想笑いをするより他は無かった。エルメロイの眼力には舌を巻くより他は無い。
◆◆◆
魔術師というのは基本的に利己的である。一人で居る分にはそれで問題は無いが、組織に身を置くとそう言う訳にも行かなくなる。我こそが優れている、と主張する人物が二人居たとしよう。当然それを証明しようとするだろう。それを証明するには勝利のみだ。そして競争・勝敗とは優劣を示す。その結果順位が生まれ、負けた者はその屈辱を原動力に己を磨く。リベンジを果たせば当然その立場が逆転する。勝者は敗者に、敗者は勝者に。新たな敗者は己を磨き、新たな勝者に挑む。切磋琢磨というプラスの循環、これが理想である。
時計塔はそう言った緊張を内包する場所でもあった。苦労して成り上がり、屈辱を舐め頭を下げる。この様な状況において余所者が堂々と時計塔の敷地を歩けば面白いはずが無い。“俺たちがどれ程苦労して、この居場所を作っていると思っている” 真也が如何に異分子であるか分ろうものだ。真也が時計塔に来て早々ふっかけられたのも無理は無い。
であるからして。その監督役であり、更にそのエリートを意味する奨学生“王の学徒〈キングズスカラー〉”の位を頂くルヴィアゼリッタ=エーデルフェルトが余所者である真也を従者にした、という事実は波紋を呼んだ。もちろん良い意味では無かった。とある女生徒が聞いた“何故真也を従者にしたのか” ルヴィアは答えた。“時計塔に入って二年、繰り返す日常に飽きてきた”
だがルヴィアは良くも悪くも、目立ち過ぎるのである。そのため真也が現れてからと言うもの、時計塔はある種の緊張感に満たされていた。エースオブエースのルヴィアの従者となった以上、彼を非難する事は、そのエーデルフェルト家を非難する事に他ならない。従って遠回しに呪うのみだ。
最初は降霊学部の生徒たち。悪霊を呼び出し取り憑かせようとすれば、追い返され、術者が逆に呪われた。複数名の生徒が「眼がっ! 眼がぁ!」と叫びながら逃げていった。デュラハンの姿を見た物は眼を潰される、視力を奪われるのである。真也は手を振りながら彼らを見送った。
「ムスカ大佐乙ー」
次は動物学部である。モーゼ張りに大量のイナゴを遣わせれば、良く分からない理由で全滅させられた。真也の生み出した魔力の衝撃波であった。時計塔の周囲でかき集めた苦労を、一瞬で台無しにされた生徒たちは、怒りが収まらない。
「これだけ集めるのにどれだけ苦労したと!」
「佃煮にして売れ」
三つ目は植物学部だった。椅子に仕込まれた茨に刺されれば全身麻痺だ。その毒の名はウパス。その名を持つ樹木から精製される呪いである。ジャワの王が不誠実であった十三人の妾を殺してしまったという曰く付きだ。真也に見透かされ、棘はつまんで捨てられた。そしてゴミ箱行きである。
「あぁ! 酷い!」
「どっちがだ!」
四つめは呪詛学部だ。真也に向けられた呪いは、弾かれ反呪となった。生徒たちは悶え苦しんだ。
「うぉぉぉ、音が見えるぅ~ 光が聞こえるぅ~」
「視覚と聴覚の反転だなんて、地味に高度だな」
最後は天体学部、つまりは占星術だ。彼ら誂えは地味であった。その日は奇しくも四月七日の月曜日。白羊宮で支配惑星は火星だ。一人が呟いた。
「俺らはツいている」
攻撃するには火星〈マーズ〉が適当なのだ。月曜日なら午前四時、十一時、午後六時が照応となる。彼らはずらっと並ぶ椅子の一つを、その日の、悪い位置、悪い方向に向けた。さて、困った。ここまで準備したは良いが。どうやって座らせようか。そこは憩い、雑談の場でもある。真也がそれをピンポイントで選ばせる方法など思いつかない。だが真也はそれに座った。椅子の脚が折れた。転んだ。ゴチンと頭を打った。火星の照応は頭なのだ。
「「「ざまぁ!」」」
概ね学生がする事だ、呪いの強度などたかが知れている。それ以前にサーヴァント並みの抗魔力を持つ彼には効きはしないのだが、運に関する呪いには弱かった。
「むかつくーー!!」
「「「逃げろー!」」」
温和な「考古学」と一応の仲間である「現代魔術論」を除き、時計塔の「個体基礎」「降霊」「鉱石」「動物」「伝承」「植物」「天体」「創造」「呪詛」といった大半の学部から呪われていた。エルメロイを筆頭に各ロードたちも、生徒たちの憂さ晴らしに丁度良いと静観していた。もちろん本人にしてみれば堪ったものでは無いだろう。数年後、赤い悪魔を追いかけ、憂さを晴らす祭りが生まれるのだが、それはまた別の話である。時計塔版の“追儺の鬼”と言う訳だ。
◆◆◆
時計塔は全寮制だ。そしてその寮は一般生徒向けと、エリート生徒向けの二つがある。ルヴィアはもちろん後者だった。柵にに囲まれるそこは真也はもちろん一般生徒は入る事すら叶わない。柵越しにハットフィールド ハウス〈Hatfield House〉 を彷彿させる豪邸のような寮を見るのみだ。だものでその門の近くには大勢の生徒たちが居た。見渡せば真也と似た境遇のお付きたち。それぞれに思い思いの思惑があるのである。大半の者が金銭、もしくは人脈だ。当主を除けば、お輿入れ先を目論んでいる者もいるだろう。皆が皆テキストを片手に主を待っていた。勉強熱心な者たちである。かく言う真也もパラパラと書物を捲るがタイトルは“犯罪心理学”だった。魔術の魔の字もありはしない。
白い椅子に腰掛ける真也の足下をリスが走っていった。英国には多いが、それ故ドブネズミなどと同じ害獣扱いである。そして何の因果かオッドアイの美少年、ジョナサン=スコットの登場だ。
「おはようございます。トオサカさん」
「おはようございます。スコットさん」
彼は何時もの様に好感度の高い、爽やかな微笑みだった。スニーカーにデニムパンツに白いシャツ、タートルネックのシャツは黒色。男らしさを演出しているのか、シンプルな配色でシャツのボタンは開いていた。シャツの裾も出しラフさを演出していたが、華奢で小柄なので似合っていない。どう見ても男装のご令嬢である。
(一五〇センチ無いんじゃないか、この人。と言うか、十五、六歳で成長というか老化が止まってないか? 解剖されなきゃ良いけれど)
真也はその様な失礼千万な事を思いつつ。
「随分と朝早いね」
「散歩ですよ」
「どこまで?」
「ウインザー城まで行って来ました。ハイストリートから、キング=エドワードVIIアベニューを介しスロウロードで帰ってきました」
「結構距離が有あるけれど、そんな早くから?」
「肌が弱くて日光が苦手なんです。今日は曇り空で助かりました」
(病弱設定の美少年か……ちょっちムカついた)
「勉強熱心ですね。何を読んでいるのですか?」
「犯罪心理学」
「……面白いですか?」
「ユニーク」
真也のその返答にどう返していいか分らず、ジョナサンは戸惑うのみである。
(だめかー、少し古いかー)
それはどこぞの宇宙人〈情報統合思念体〉によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース〈TFEI〉の真似だ。だが古い新しいという問題では無い。
「ご一緒させて頂いても、構いませんか」
「どうぞ。読書中なので“おざなり”になるかも知れませんが。椅子を引きましょうか?」
「そういう冗談は嫌いです」
レディ扱いと言う事だ。
「それは失礼」
「どうですか、新しい住まいは」
「直ぐ入居できて、尚且つ家具が一式揃っていたので、大助かりと言ったところ」
真也は時計塔一般従事者向けの集合住宅〈フラット〉に入り込んだのだった。時計塔の敷地内ではあるが、壁の外にある。
「障って、すぐ辞めてしまう人が多いんですよ。それこそ着の身着のままです。給料がいいので今は持っていますが、いつまでこの悪循環が続くのか。時計塔執行部ものんびりしすぎです」
「そんなことよりスコットさん」
「はい。なんでしょう」
「“僕男の子だよ?”って言って貰えませんか?」
「なんですか、それは」
「ちょっとした遊び? 日本特有の」
「ぼくおとこのこだよ」
(よし、大丈夫)
真也はテーブルの下でガッツポーズだ。
「あの、なにか」
身の危険を感じたのか、おびえるその表情と仕草は男の嗜虐心をそそるに十分だった。だがおあいにく彼はシスコンである。
「不安には及ばないって。その不安を払拭する為の遊び、だってだけだから」
ジョナサンのカナリアの様な声でその台詞、その衝撃は如何ほどのものか。ジョナサンの背後に居る誰とも知らない生徒が鼻血を出して倒れていた。深くは関わるまい、そうは思いつつ真也は忠告するのみである。
「でも、その握り手で胸元を隠すポーズは止めた方が良い。危険。とっても」
◆◆◆
ジョナサンの脚を閉じて腰掛ける様は、まるでどこぞの育ちの良い息女の様である。方や脚を組みふんぞり返り、書物のページを捲る真也の足には、臑〈すね〉の中程まで覆う無骨なブーツがあった。金属と機能性樹脂と機能性化学繊維で構成されていた。靴底は分厚く、滑り止めの形状は鋸〈のこぎり〉のよう。GORE-REXと刻印されていた。何キロ歩けばこう成るのか、手入れの後は有ったが、そろそろ寿命だろう。ジョナサンは興味津々だ。
「礼装ですか?」
「いや、ただのそういうブーツ」
「トレッキング用という意味ですね」
「戦闘用。蹴ったり、踏まれたり、場合によっては噛まれたりするから。丈夫くないと直ぐ壊れる」
「は?」
「冗談ですよー」
「私が言うのも何ですが、トオサカさんは随分と魔術師らしくない。貴方の世界には、魔術以外の物が多すぎる、そう感じます」
「そうだろうね」
「なぜレディ=エーデルフェルトの従者を? 魔術師然としている彼女とは、波長が合わないでしょう」
「お金の為ってのもあるけれど、俺は彼女の様なタイプは嫌いじゃないらしい。気高く我を通す、彼女はそれを地でやってる。だがこれは、本当はとても難しく危険な事だ。世の中悪人に都合良く出来てるからな。そういう人を、そういう道から、外れないようにする役、守る務めってのは存外心地良い」
「好意ですか?」
「んー、そうだな。それに類するものだ。なぜ?」
「彼女には特別な相手がいますから」
真也のページを捲る指が止まった。
「……カレシ?」
「ええ」
「へえ」
「冷静ですね、意外です」
「そりゃぁ気になるけれど喜ぶべき事だろう。ルヴィア様のお眼鏡に適った人、ってどんな奴かってさ。てゆーか、二〇歳でそういう人が居ない方がオカシイ」
「トオサカさんにもそういう人が?」
「俺は例外」
「作る気は?」
「当面無いな」
「どうしてですか?」
「俺には姉と妹が居るから。二人が嫁ぐ〈片付く〉まで、そういう気は無くて」
「姉妹ですか?」
「そう」
「家族愛は立派ですが、程々にしておくべきですよ。きょうだいという血の繋がりは切れませんが、いつかは別の生活を繰る関係です」
「ニーチェだって妹に悩んでいたって言うじゃ無いか」
「ニヒリズムを持ち出すとは、その苦悩はそれなりに深い様です。何故でしょうか。深淵の一端を覗いた感じがしました」
「放っておいてくれ」
「私で良ければ、悩みを聞きますが」
「そんな大げさじゃ無い」
「吐露すれば楽になります」
「なんでそこまで気にする?」
「トオサカさんが、特異だからですよ」
「それ、深読みしなくていいんだよな?」
「同性にも好意は存在しますよ。貴方は気にしすぎだ」
一拍。真也はこう切り出した。
「とある姉妹を好きになって。その二人から好かれてる。さあどうしたらいい」
ジョナサンは笑い出した。
「恋の悩みにニーチェですか。おかしな方です」
「違う、取り繕いでその名前を出しただけだってば」
ジョナサンは端と気がついた。一転。神妙な顔である。宝くじが当たったと皆が騒ぐ中、実は外れだと知っている様な、気まずい顔をしていた。
「……まさか、その姉妹と言うのは」
「黙秘権を行使させて頂きます」
「随分と複雑な家庭事情の様です」
「もうなにも答えないからな」
「思い切って、本当に仕えてみてはどうです」
「何が」
「レディ=エーデルフェルトの従者ですよ。一ヶ月と言わず一年、いえ、一〇年ぐらいどうです。誇れますし上流社会を知る切っ掛けにもなるでしょう。姉妹離れの良い切っ掛けになる。なにより先ほどの貴方の物言い、姫君に使える騎士の誓いの様です。彼女も案外二つ返事で受け入れるかも知れません」
「止めてくれ、そんなお上品じゃ無い」
その声は唐突だった。
「それは名案ですわね。シンヤ、考えておきなさい」
話に熱中していた二人は、ルヴィアの接近に気がつかなかった。従者失格だと、真也は渋い顔である。二人は同時に立ち上がった。座ったままの挨拶など非礼に他ならない。二人は小さく頭を下げた。真也からだった。
「おはようございます。ルヴィア様」
「おはよう」
「おはようございます、レディ=エーデルフェルト」
「折角の朝だというのに、生憎の空模様ですわね、ミスター=スコット」
「全くです。アイテールも気まぐれの様です」
アイテールとはギリシャ神話の天空神で、天候を司る。ルヴィアは何時模様に不遜な笑みであった。
「申し訳ありませんが、急ぎますので失礼させて頂きますわ」
「ご多忙さは存じておりますから。お気になさらずに」
「お気遣い感謝します。行きますわよ、シンヤ」
「はい」
冗談の様だと判断した真也は聞き流す事にした。真也はルヴィアの荷物を受け取るとジョナサンに小さく会釈した。交わす言葉はアイコンタクトである。
(スコットさん、それじゃ)
(お気を付けて)
何を? とは聞けなかった。
◆◆◆
彼はルヴィアの直ぐ脇に付いた。通常はもっと下がるが連絡がある場合は別だ。彼はメモを片手に掲示板に張り出されていた連絡事項を読み上げた。
「本日の予定です。午前の授業ですが、鉱石科の実験場が変更されています」
「何か問題でもあったのかしら」
「はい。なんでも昨夜。天体と鉱石の照応実験に失敗したとか。その結果天体が鉱石に与える効果がデタラメになり、その歪みで一時的に魔界となったそうです。該当の生徒たちが夜通しで悪霊の調伏に辺り事なきを得たそうですが、復旧に一ヶ月掛かるそうです。実験場は半壊、暫くは旧実験場を使うとの事」
「その様な施設覚えが無いけれど」
「ここより三キロ西にある時計塔の最外殻、つまり辺境です」
「何処のどなた? そのはた迷惑な方は」
「存じません。自転車を調達しておきましたので、それをお使い下さい」
「自転車?」
「はい」
ルヴィアのロングスカートが風に揺れていた。もちろんロイヤルブルーである。
「午後。13:15より奨学生の抜き打ち試験があります」
「当日告知とは相変わらず、陰険ですわね」
その表情は苦悩では無く呆れである。試験とは実力を測るモノだ。試験勉強など本末転倒だと、彼女は地で語る人物なのであった。当然パスするつもりでいたし事実その通りであった。
「以上かしら」
「17:00より、本棟の第三ラウンジで鉱石の入札があります。出物は“紅砒ニッケル鉱〈デモン・ナイト〉”,“テルル石”,“クリソベリル”だそうです」
「参加します。シンヤ、貴方も供をしなさい」
「かしこまりました」
そうこう話している内にレンタルサイクル置き場に到着だ。登録車両は“AA5”である。よっこらしょと、真也が駐輪場から自転車を取り出すと、それはT字ハンドルで、スポークタイヤとシルバーメタリックフレームを持ち、ギアは無かった。ありふれた自転車だった。外で待っていたルヴィアは腕を組んでいた。
「一つ聞きたい事があるのだけれど」
「何でしょうか」
「まさか、私に自転車を漕がせるつもりではないでしょうね」
自転車に乗れる乗れないの技能的な話ではなく、主にの漕がせるのか、と言う意味だ。
「……あれ?」
時計塔の設立は西暦元年と非常に歴史がある。もっとも、その広大な敷地は初めからそうだった訳ではなく、規模が大きくなるにつれて徐々に拡張されていった。その為、時計塔の施設には新しいところと古いところがある。二人の目的地はその古いところであった。正面ゲートから本棟に伸びるメインストリート。その十字路から西へ向かうと徐々に古くなっていった。
その道は生活道路ほどの広さの小道であった。左右には岩の塀があった。それは苔むし、年月を感じさせる程に風雨にさらされていた。侵食されていた。積み上げただけの単純な作りで、背も低く、跳躍すれば向こうを除ける程度だ。その塀の向こうにはライラック、マロニエ、といった街路樹が枝を伸ばしていた。ライラックは綿菓子の様な淡い紫の華を咲かせていた。その色はしっとりとしていて、とても落ち着いた。それの花言葉は“青春の思い出”だったとルヴィアは思い出した。マロニエは大型の落葉樹で、間近に見れば巨人そのモノである。離れてみれば竜の巣〈低気圧が生む雲の渦〉にも見えるが、青空と純白の雲を背景にすれば、とてもゆったりとした佇まいとなる。桜もあった。
昨夜降った雨が空気を清めていた。春の柔らかい風と相まって、湿気が肌を撫でた。敷き詰まった雲が割れ、陽の光が差し込んだ。専門用語で“薄明光線” 風情を混ぜれば天使のハシゴだ。アーチ形状の橋も見えた。今は使用されていない水道橋である。道端にブルーベルが咲いていた。その作りを例えれば、太古と中世が混じるブリテンの町が適当だろう。真也はふっと冬木市に居るであろうセイバーを思い出した。彼女がこの島国の出身だと聞かされたのは第五次聖杯戦争終結後であった。アーサー王の子孫が存在し、彼自身会っているとは夢にも思うまい。
ルヴィアにとって自転車で走るその感覚は、とにかく爽快感に尽きた。久しく忘れていたハイキングの感覚であった。自転車の後部荷台に、横座りで腰掛けるルヴィアは、自転車という、遠い実験場という、不便さが意外と良い、そんな事を考えた。なにより誰かが漕ぐ自転車の揺れも、案外悪くない。久しいのんびりした空気の彼女に対し、真也は余裕が無かった。
(な、なんだ。この嬉し恥ずかし、ハイスクール イベントは。もう二〇だぞ、俺)
少女と称して良いかどうかは難しいが、微妙な年齢の女性とチャリでタンデム、意外な事に彼は初経験だった。気恥ずかしさで戸惑うばかりなり、であった。両腰をルヴィアに掴まれる感覚は、何とも表現しにくい。くすぐったくもあり、適度な圧迫感に困惑もする。彼の心中どこ吹く風、期間限定の主は、風に靡く金色の髪を抑えながらハミングさえ奏でだした。
「~♪」
ルヴィアは上機嫌であった。
◆◆◆
時計塔の建築物は時代が入り交じっており端に向かう程古くなる傾向がある。
・ヴィクトリアン建築:19~20世紀
・ゴシックリバイバル建築:18~19世紀
・ジョージアン建築:18世紀
・バロック建築:17~18世紀。マリー=アントワネットがこの時代である。
・チューダーエリザベス朝建築:15~17世紀
そして12~16世紀ゴシック建築だ。旧実験棟はその建築様式だった。岩の色と形を活かした重くシックな前時代の建築様式から、純粋さを感じさせるホワイトとベージュを使った、優美なデザインと変遷するのである。窓にはステンドグラス、上部には尖塔があった。宗教的な厳かさを醸し出していた。聖堂教会の影響が及んだと言うより、この時代の高級建築は皆こうだったのだ。
ところがどういう事だろう。
ゴシック建築の教会の様な、厳かと重苦しさを漂わせるその門へと続く、石畳の階段は花が咲き乱れていた。違う。よくよく見れば、大量の花が添えられていたのだった。これでは厳かさも台無しだ。真也は面食らいつつも、花言葉を思い出した。その知識は“良いお兄ちゃんは女の子の扱いが上手くあるべき”という歪んだプログラムによる結果であった。
(真紅の薔薇はありがちだ。かりんの花は豊麗と優雅。ゆりは純潔、威厳、甘美、貴重、熱意。ゼラニウムは真の愛情。ふじは“貴方に夢中”で、ブーゲンビレアは情熱だったか)
この組み合わせはあからさまである。声を絞り出したのは三秒後だ。
「随分艶やかな実験場ですね」
「そんなわけ無いでしょうに」
(熱意は分るけれど、ちょっと節操が無い。入れ込みすぎって感じだ。何処の誰が、誰に仕組んだ物だ? これ)
だが、華に溢れるその階段が絢爛華麗である事は間違いない。ガーデニングに精を出したロレダーナ=マルチェッロ=モチェニーゴも唸らせそうな、その場にその人物は立って居た。
年齢は真也と同じ二〇と言う年の頃。褐色肌に、短く整えられた黒い髭を持っていた。甘いマスクだが黒々とした濃い眉は意志の強さを感じさせた。優しい目の形だが、その人身は射る様に鋭い。さぞモテるだろう、真也はそう思った。
その人物は背が高かった。あれから三年が立ち、ランサーと同じ一八五センチとなった真也より高かった。一九二センチはあろう。人の上に立つ人物だと、真也は当りを付けた。
その人物は一風変わった出で立ちだった。白色の貫頭衣仕立てのワンピース。袖口と裾がやや広がって、風通しが良い。帯や腰紐は使わないガラビアと呼ばれるエジプトの民族衣装である。頭にはクーフィーヤを被っていた。装身具の一つで、帽子の一種だ。ターバンとは異なり、首の後ろまで布が垂れるタイプである。頭部全体を覆う、フードの様なその上にイカールと呼ばれる、山羊の毛で作った輪があった。その人物はイスリム圏の人間だった。
何故だろうか。ルヴィアは、困惑を隠さなかった。彼女は腕を組んで、階段の上のその人物を見上げていた。
「トリスメギストス様、困りますわ」
その物言いには呆れも含まれていた。
(トリス? はーてな。どこかで聞いた、)
その人物はルヴィアの背後で控える真也を一瞥すると、耳をくすぐる声でその名を呼んだ。
「今日こそ良い返事を聞かせて貰うぞ、ルヴィア」
その人物は古代の錬金術師ヘルメス=トリスメギストスの血を引く末裔にして、その家の現当主であり、時計塔の生徒からルヴィアの今カレと呼ばれる人物である。真也は首を傾げた。
(その割には……)
ぎこちなくかみ合っていない。会話もおかしい。真也は二人の関係に頭を捻るのみだった。
つづく!