赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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三話

ルヴィアと真也の織りなすそれは、ちょっとした緊張だった。“恋愛事件〈アフェール・デュ・クール〉”とはよく言ったものだ、グレイはその様な事を考えた。事実二人の応酬は刺々しかった。

 

「シンヤには関係の無い事です」

「なら話す事はできないね」

「主の命令が聞けないと?」

「今は個人の立場だ」

 

「その様な都合の良い事が通用すると思っているのかしら」

「人によって態度を変える、一般的なコミュニケーションだよ」

「シンヤだけでしょう。ダブルスタンダードなど軽蔑の対象だわ」

「貴女の気の強さが筋金入りなだけだ。閣下は笑って俺を受け入れたけれど?」

 

「私よりトリスメギストス様の方が器が大きいと?」

「貴女がそう思ったなら、そうなんだろうな」

 

グレイは思った、これは平行線に違いない。もしくは険悪になるかもしれない。それを憂慮した彼女は火花が散る中、すくっと立ち上がり、戸棚からグラスを取り出した。それは透明で円筒形ののっぺりした形状をしていた。シンプルなグラスだ。それに大きめの氷を入れると、スキットルを手に持って、ウィスキーを注いだ。

 

グレイは二人の前でその作業を行った。敢えて見せ付けた。その行為に意味があった。事実二人は言い合いを止めて、グレイの手慣れた手つきをじっと見ていた。グレイの、我関せずという彼女のペースに則った作業は、個人的感情を有しないルールの体現だと言ってもいい。ヒートアップしつつあった二人にとって、それは意表であり、差された水そのものだ。グレイは二人の前にグラスを置いた。三つのオンザロックが完成である。

 

「どうぞ」

 

二人は躊躇いの後、見つめ合うとムッスリ顔で一口呑んだ。二人が感じた居心地の悪さは、見知らぬ子供に喧嘩を諭された男女のそれそのモノである。切り出したのは真也であった。

 

「言い寄られる事を避けるため、互いの同意の下に付き合っている振りをした。この馴れ初めから考えれば、貴女が非難される謂われは無い。ただ。トリスメギストス様が本気になった、これに気づいてない訳ないよな? レディ=エーデルフェルト。これの理由を教えてくれ、なんで曖昧な態度をとる?」

 

ルヴィアは手に持ったグラスをじっと見ていた。それに注がれた琥珀色の液体は、絶え間なく揺らぎ、彼女の心象を表しているようだ。

 

「ひょっとして、キープしているとか」

「違います」

「付き合う気は無いが他人に取られるのも面白くない、とか」

「違います」

 

「男よけに他のアテが無い」

「違いますったら」

「ならなんで」

「その、上手くお断りが出来なくて」

 

「どういう意味?」

「私とてその気は無いとお伝えています。ですが直接的に表現する事は品性が問われる、という事ですわ」

 

ルヴィアはチビリと一口舐めた。

 

「二人っきりはもってのほか。祖国と家を捨てる気は無い、とお伝えしましたし、頼まれてもヘルメスと名で呼びませんでした。必ず“トリスメギストス様”と呼びましたわ。出会うのは日中のみで日没後は会わない。彼に熱い視線を送る女生徒を褒めてみたり、そう幾度となく伝えたのですけれど」

 

誰かを直接的に批判する事や、品のない言葉を使う事は品格を問われるのである。例えばAを貶めたい時はAのライバルであるBを褒めるのだ。“Bより優れた者は居ない”ルヴィアの居る世界はこういう面倒な世界なのである。

 

「そういえば、そんな思想だったな。上流社会も困ったもんだ。で、トリスメギストス様がそれに気がつかないと」

 

真也は呻いた。

 

(閣下。聞いてないです。これ重要です……違うか、諦めきれなかったって事か。それを認めたくなかった)

「どうするべきかしら」

「……俺に聞く?」

「二度は聞きませんから」

 

何故だろうか。彼には拗ねている様に見えた。

 

「一つだけ確認したい。本当に、その気は無いんだな?」

「ありませんわ」

「なんでさ。家の歴史、格、資金、才能、実力、ルックス。どれをとっても申し分ないのに」

「私はエーデルフェルトの当主、その責を背負っています。それを放棄するなど許されない。まったく。シンヤはどちらの味方なのかしら」

 

「その質問は意地が悪い。閣下に義理はあるけれど、お嬢様の不安を解消するために敢えてこう言う。お嬢様の味方だ。だから悩んでる。ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルトにとって、閣下と上手くいく事が良い事なのか、悪い事なのか」

「良い方だとは分ります。私が当主でなかったならば、そう予想した事はありますわよ」

「つまり個人より家を選ぶと」

「シンヤはトオサカを捨てられるかしら?」

(……トリスメギストス様。心中お察しします。俺としても非常に残念。でも主の決意には背けない)

 

一拍。真也はこう継いだ。

 

「これから言う事はあくまで俺の、個人的な意見だ。判断は貴女がしてくれ……本来なら、交際という経験を積めば、と言いたいのだけれど。閣下は一緒になる事を強く望んでる。その気が無いのであれば、お互いの為にもここはもう明確に返答するべきだ。経験上語るけれど放置すればする程拗れる。潮時って事」

「……」

「ただ一つ頼みがある。返答は次の定期デートまで待ってくれないか。閣下は必死だ、その想いだけは汲んで欲しい」

 

真也は己の言動が正当かどうか、その検証を心中で繰り返した。ルヴィアは答えが分っていつつも悩んでいた。喪に服していると言っても過言では無い、二人の重い空気を破ったのはグレイである。

 

「もったいないです!」

 

その余りの大きな声に、ルヴィアと真也はこの部屋に見知らぬ四人目が居るのでは、そう勘ぐった程だった。透明な、シンプルなグラスを掴むグレイの両の指は、長い袖から申し訳程度に伸びていて、どことなくモグラを想起させる。可愛らしいと称して良いが、生憎とグレイは。

 

「うぃひっく」

 

酔っていた。目深なフードから覗く双眸は碧色に潤んでいた。何故だろう、真也はセイバーを思いだした。グレイはグラスをしっかり持ちながらルヴィアに詰め寄った。

 

「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト! あんな良い人手放すなんて、どうかしています! 好意を持たれるって幸せなんですよ!」

 

そして二人は度肝を抜かれた。シックな装い、フードで顔を隠し、性格までシックなグレイがなんというビビッドな振る舞いだろうか。だが日頃物静かな人物ほど反動が大きいのは世の中の常だ。彼女の場合、自信の無さ、不安、などの理由で己を抑圧しているのだった。怒り上戸の一種か、真也はそんな事を考えた。そしてピンときた。

 

「グレイさんはひょっとして片思い?」

「五月蠅いです!」

「あーやっぱり」

「さっきから聞いていれば、ここが気に入らない、これが合わない、ない、だめ、ばかり! 人の良いところを見るのが、人間関係の第一歩なんですよ!」

「仰せの通りですなー」

 

酔っ払いにまともな会話は期待出来ない、真也は適当に同意した。ルヴィアはもちろん応戦であった。手にあるグラスを華麗に揺らせばカランと氷が鳴った。彼女もまた相応に酔いが回っていたのである。ウィスキーのアルコール度数は四〇度、少量でも十分だ。

 

「そうですわね。相手にされず三年を無駄にしたミス=グレイが仰るなら言葉に重みも出ると言うものですわ」

 

ルヴィアはオホホと笑った。真也はルヴィアの言葉を咀嚼する。そして「ただ良いところを見て進展無しと言うこと?」とツッコミを入れた。するとグレイは「トオサカさん! 男のクセに察しが良すぎです!」と噛み付いた。真也は「俺の家は女所帯なもんだから」と適当に流せば、ルヴィアは「そうなんですの?」と聞き咎めた。細い整った眉を片方上げていた。真也が仕舞ったと内心ぼやいたが後の祭りである。嘘を付くと後で拗れる、仕方が無いと白状した。

 

「そう。その辺気にしないと大変なんだ」

「姉妹が二人、と言っていなかったかしら」

「母と従者が二人いる。5:1で結構大変」

 

グレイの爆発は虎の咆哮そのモノだ。ただし、虎は虎でも冬木の虎だった。

 

「レディ=エーデルフェルト! 料理好きの擬人化された犬が、いざという時は身を挺して守ってくれる騎士になるなんていい年して夢見過ぎです!」

「ミス=グレイ!」

 

ルヴィアは声を荒らげた。過去の汚点を指摘されてしまった為である。よりにもよって従者の前だ。それはかつて巻き込まれた事件の舞台。剥離城アドラでグレイが見知ったルヴィアの秘密だった。真也は黙ってウィスキーを飲んだ。

 

(閣下はそんな犬騎士に負けたのか。不憫すぎる……)

 

そしてルヴィアに睨まれていた。彼はこう答えた。

 

「俺は何も聞かなかった」

「結構です。忘れるまでガンドを撃たなくてはならないところでしたから」

 

真也は両手を挙げて降参のポーズだ。

 

(料理好きで犬が騎士か。士郎を紹介したいけどセイバーが居るからなー。いや、まぁ。居たとしても良いんだけどさ。あの二人は今頃何やってるのかね)

「三年です!」

 

グレイは等々立ち上がった。彼女の両手にあるグラスは恐れ戦いていた。叩き付けられるか、砕かれるか、そういう意味だ。

 

「三年経っちゃいました! 出会った頃は十七歳だったのにもう二〇歳です! 貴重な拙の十代が何事もなく終わっちゃいました! この調子じゃ何も無いまま三〇歳のおばちゃんになっちゃいます! 師匠のバカーーー!!」

 

真也はずずっと酒を呑む。

 

「そう、そう言う事ね。教授は手強そうだよな」

 

そしてちらっとルヴィアを見た。

 

「気がついてないのは指導役〈チューター〉のみですわ」

(いや。教授は気づいてない振りだな。間違いない。立場上難しいけれど、三年も宙ぶらりんなんて、また罪作りなこった)

 

真也はふっと、とある娘を思い出した。かつて彼はその娘にこう告げた。

 

“俺は二人が嫁ぐまでその気は無い。他の誰かを探してくれ”

 

その娘は胸を張って言い切った。

 

“ならその時まで待つ”

 

その娘とは出会ってもう十三年目の幼なじみである。その娘とは綾子であった。

 

「いててててててててて」

 

かつて彼は“なんで俺の周りはこう頑固な娘ばっかりなんだ”とぼやいた事がある。そしたら彼の姉妹は斬り捨てた。“真也のせいでしょ”とは義姉談。“全部兄さんが悪い”とは義妹談だ。やはりグレイは荒れていた。

 

「トオサカさん!」

「なんでしょーか」

「拙も取り持ってください!」

「なんで」

 

「トオサカさんは師匠と仲が良いです!」

「そんな事は無いと」

「師匠がネクタイの指導だなんて初めて見ました!」

「ネクタイの結び方を知らない、マヌケな生徒が居なかっただけだろ」

 

「レディ=エーデルフェルトだけなんてずるいです!」

「話聞けよ」

「年上でしょう!? 目下の面倒は見るべきです!」

「同い年だよ」

 

ピタリと二人が止まった。流石のルヴィアも目を剥いていた。

 

「シンヤは二〇歳? それは本当なのかしら」

「幾つだと思ってた訳?」

「てっきり二五,六だと」

「それであの扱いか」

「同い年なら尚更面倒を見るべきです!」

「分ったから取りあえず落ち着け」

 

グレイはようやく腰掛けた。だがその表情は、目深に被ったフードの影に隠れていて尚、不満を在り在りと見せていた。真也は投げやりだった。

 

「そんなに不安なら告っちゃえば?」

「女の子からなんて出来ません」

「いいじゃん、今の時代」

「だめです」

 

「なぜに」

「後々優位に立てないです。お母さんからプロポーズしたなんて子供に言えないです」

「そこまで考えてるなら外堀を埋めるしか無いね。内弟子ならその立場を利用して、もっと積極的に世話して、グレイさんが居ないと生活が成り立たなくなる位徹底的に。その後距離を置いてありがたみを思い知らせるとか」

「出来ないんです」

 

「なんで」

「お邪魔虫が居ます」

「恋のライバル?」

「違います。お邪魔虫なんです。その気も無いのに師匠にちょっかい出して、拙たちの邪魔をするんです」

 

「具体的に」

「掃除に来たり、食事を作りに来たり」

「その人、歳幾つ?」

「二〇代半ばかと」

 

「それって、それなりに本気なんじゃ」

「うるさいです!」

「へいへい」

「そうです! 同じ日本人ですから連れて帰って下さい!」

「無茶言うし」

 

喚くグレイは泣き出しそうだ。泣き上戸は勘弁だと真也はこう助言した。

 

「そこまで必死なら術を使えばいい。媚薬〈恋愛成就〉の呪いは太古からある定番だ」

 

それはルヴィアだった。

 

「名案ですわね、それ。ミス=グレイ、試しては如何かしら」

 

酔っ払いの相手は御免だと黙っていたが、これは楽しめそうだと合いの手を入れたのだった。真也が継いだ。

 

「植物学部行って媚薬材料のコリアンダーとかマンドラゴラとかを入手する」

「マンドラゴラなんて現代では手に入りませんわよ」

 

科学技術の発展で生態系自然環境が影響を受け、それらの植物媒体は今や絶滅危惧種〈レッドリスト〉だ。植物学部はそれらの栽培も重要な研究テーマにしている。

 

「んー、なら。動物学部に行って鳩の心臓や雀の肝臓とかを入手。それらも恋愛成就の魔術媒体だ」

「残酷です」

「魔術師のクセに」

 

ああ言えばこう言うグレイに、真也は辟易しつつ。

 

「なら自前だな。体液というのは魔術触媒として知られた一つだし」

 

それは感染という概念を使用した呪いの一つである。血、唾液、などがそれに類する。唾を刃に付けて呪う、対象の唾をジャガイモに入れて燻り呪う、と言った物がある。恋愛関係も似た様な物だ。真也はグレイにこう言った。

 

「血液か唾液を使えば?」

「それ知ってます。経血が媚薬として飛びきり優しゅ、う、」

 

気まずい発言に沈黙が訪れた。グレイは耳を真っ赤に染め硬直していた。ルヴィアは澄まし顔でウィスキーを呑んでいたが、顔は赤かった。真也は話題を変えねばとコホンと一つ咳を払った。

 

「抵抗力が強い魔術師に呪いは効き難いから、塔では禁止が明文化されていない。それどころか掛かる方がバカ者扱いされる。格上が格下に掛ける場合は例外なんだけど、格下に惚れられても困るから当然意味が無い。かといって、格上は魔術師としても格上だからまず効かない。

 ところが教授は少々状況が異なる。教授は権力を持っているが魔術師としての能力はそんなに高くないから、やり方次第でいけると思う。ただバレるとヒンシュクを買うから注意すること」

 

グレイはガックリと肩を落としていた。

 

「駄目なんです」

「なして」

「トオサカさんの言う通り、師匠は掛かってしまう可能性がありますから禁じられています」

「それはお気の毒」

 

「その為の拙たちでもあるんです」

「呪詛から守ってるって事?」

「はい。化野菱理〈あだしの ひしり〉と共々」

「さっきのお邪魔虫のことね。ならもう、その化野菱理って人と話し合えば?」

 

顔を上げたグレイの目は据わっていた。思わず腰も引けた。

 

「トオサカさん、髪の毛頂けませんか?」

「なんだいきなり」

「化野菱理を呪います。感応魔術の練習です。爪でも良いです下さい」

「嫌です」

 

「予行練習を、」

「嫌です」

「酷いです!」

「嫌です」

「師匠のばかーーーー!!!」

 

気がつけば夜も更けていた。真也はグレイをベッドにそっと寝かした。相当ストレスが溜っていたのか彼女は泥酔状態だった。はき出せたなら楽になるだろう、真也はそんな事を考えた。そして振り返り、背後のルヴィアにこう言った。

 

「もう遅いので泊まっていって下さい。グレイさんを一人にするのも不安ですし。ゲートも閉っていますから」

 

二人そろって部屋を出る。パタンと扉を閉めたが、

 

『師匠のばかー』

 

扉越しすら聞こえてきた。

 

『イーッヒッヒ。二の足踏んでるお前が悪い!』

 

知らない声も聞こえてきたが、敵意は無さそうなので気にしない事にした。

 

「俺は教授の所に行きます」

「トリスメギストス様への配慮?」

「はい。最低限の義理は果たさないと。それでは戸締まりお願いします」

「シンヤ」

「はい?」

「その、経験はあるのかしら?」

 

その時の彼の態度を例えるなら浮気現場を見られた、これに尽きる。

 

「なんですか、突然」

「そう。有ると言う事」

「え、いや、まぁ。それなりに」

 

ルヴィアは交際の事を言っていた。真也は性的な意味に捕らえたが、彼のそれは余りにも拗れていた。言える筈が無いのである。

 

 

◆◆◆

 

 

エルメロイが目を覚ますと自室のソファーの上だ、彼はそれに気がついた。顔の上には書籍があった。途中で寝てしまったのだ。本を床に下ろし、時計を見れば直に日が変わる。ベッドに潜り込もうとのっそり起きれば、来客のノックである。無視するべきだ、彼はそう思った。アポ無しでこの家を訪れる人物に碌な者は居ない。この時間なら尚更だ。そう思いつつ、非常に気が進まない様相でエルメロイが扉を開ければ、実際に碌でもなかった。

 

「教授、少し付き合ってくれませんか」

 

エルメロイが見る真也は満面の笑み。彼の手にはツマミと酒瓶が有った。エルメロイのそれは怒りよりも疲労困憊の体だ。

 

「いま何時だと思っている」

「成り行きでミス=グレイと主が俺の家で寝ています。お二方とも未婚の女性、壁一枚挟んだ隣の部屋でも良くないでしょう? その気遣いを評価して、泊めて貰えませんか?」

「トオサカシンヤ、君は軽薄な顔にしては堅いな」

「失礼ですね。俺はこれでも女性関係には人一倍気を使ってるんです」

 

「泣かせたのか」

「いてててててて」

「入れ。四月とはいえ今晩は冷える」

「お心遣い、感謝感激です」

「私の部屋が冷える、という意味だ。感謝される謂われはない」

「でしょうねー」

 

二人はそろってソファーに腰掛けた。真也がエルメロイに渡したグラスは小さめだった。グレイが使っていたグラスより、一回り小さいそれを手渡し、ウィスキーを注いだ。自分のグラスにも注ぎ、二人はチンとグラスを鳴らした。ストレートである。二人がグレイとルヴィアの状態を確認し合い、暫く経ったころ魔術談義となっていた。

 

「魔術というのは大きく二つに分けられる。一つ、己もしくは系譜に起因する体系だ。祖先より連綿と連なる秘技、鉱石など概念という力を持つ触媒の顕現、魔術刻印がそれだ。

 

もう一つは、他の力を借りる体系だ。それは得てして天使と悪魔〈堕天使〉となる。天使と堕天使という概念は西暦元年、つまり聖堂教の設立と同時に一般化された。今存在する天使、堕天使は聖堂教のカテゴリー分けに過ぎない、と言う事だ。歴史を持つお偉方は、その新しい魔術概念を軽視する傾向があるが、そのお偉方もそれ以前の太古の神々、ギリシャ神、ケルト神、フェニキアの神、それらのシンボルを使う。聖堂教の前身である教えにも天使の名前は出ているから、彼らの言い分は分類上正しくない」

 

エルメロイは身振りを交え教えを説く。その雄弁さを目の当たりにした真也は、エルメロイが教授なのだと改めて思い知った。

 

「注意しなくてはならないのは聖堂教によって古来の地方神が、堕天使に貶められたと言う事だ。フリギアの地母神キュベレーはサタンの祖母とされた。オーディーンもオセという堕天使に落とし込まれた。何故こんな事が起きたのか、というと聖堂教は一神教だからな。神が複数居てはこまる。かといって真っ向から否定してしまうと布教もままならない。だから親しみを持つ地方神を堕天使という枠に落とし込み、地域信仰者を改宗させやすくした。なぜ、そんな事が可能だったのか。

 

ギリシャ神話、神道を初めとした多神教は精霊信仰、つまりアニミズムが発端だ。天候、山などの自然が神格化され、神となった存在は、嵐や遭難などが表す通り人に幸も苦難も与える。例えば地母神デーメーテール。大地は恵みを与えるが、飢饉により苦難も与える。そういった大地という荒ぶる自然を神格化した存在と言えるだろう。ケルト神話の魔人バロールは嵐を呼ぶ、つまり嵐という天候を神格化した存在だ。彼らは崇めつつも恐れ、そして苦しんだ。その苦難に理由が無いからだ。聖堂教の成功は、善悪という回答を人々に与えた事に尽きる。彼らの言い分はこうだ。

 

“異教の神々は、お前達に苦しみを与える。実は悪魔だからだ。だから我らの神を崇めるがよい。それでも苦悩があるのはお前達に罪があるからだ。だが安心すると良い。教えに殉じれば解放の時は来る”

 

彼らが突きつけられたのは二択だ。多神教の神々に永遠に翻弄され続けるか、一神教の神にいつか救われるか。大多数の人々がどちらを選んだのか考えるまでも無いだろう。“直ぐに答えを求めたがる若者”と言うのが、たびたび社会問題として取り上げられるが、答えの無い状態というのは相応のストレスになるからな。ブッディズムも多神教だが“悟り”という概念が真髄なので扱いが異なるが」

「教授は天使、堕天使の行使を容認しておられる?」

「その答えはもちろんNoだ。聖堂教の天使は魔を扱う我々を容認していない、神秘は神の物だから、というのが彼らの言い分だ。そうすると我々に残されたのは堕天使だが、その扱いは非常に難しい。聖堂教で堕落させられた存在だとしても、荒々しい神々という事は変わらない。それらは善であり悪でもある。これを見落とすと酷い目にあう。魔術師でもあったヨハン・ファウストは、メフィストフェレスという悪魔と契約したが結局根源には至らず、取り憑き殺された。彼は知識欲に取り憑かれ、結局あらゆる欲望に溺れてしまったそうだ。

 

話は変わるが、悪魔の力を行使するには“契約”と“儀式”の二つがある。契約とは己の魂を対価にした直接契約を意味する、ファウストは契約し死んだ、これに見る様に危険が多い。儀式は一級の魔術礼装が必要となるが、それ故に比較的安全とされる、だがその秘技は潰えてしまっている」

「魔道書、グリモワールですね」

「そうだ。有名所はソロモン王、他にはエノク、聖キプリアヌス。モーセの書もその一つか。色々あるが悪魔を使役するという意味において、現存する魔道書は全て贋作だ。リバプールで君が見た様に、召喚式という形で“契約”が残っているに過ぎない。まぁ、その召喚式が残っていた事自体驚くべき事だから、魔道書が残っている可能性はあるが。ただ魔道書とはいえ危険は相応にある」

「堕天使は知識と知識欲の暴走をもたらす」

「そうだ。魔道書による儀式だろうと、契約によるモノだろうと、暴走した知識欲は滅びの原因だ。堕天使の知識は神の知識だ。知識を貪る我々魔術師にとって刹那の快楽、つまり人間社会が禁じている麻薬と同じだ。誰も彼もがファウストになれば魔道の衰退は必須だからな。トオサカシンヤ。万が一見つけても馬鹿な事を考えるな。魔道書の所持が知られれば、冬木市の聖杯以上の血なまぐさい争いとなるだろう」

 

時計を見ると二五時を回っていた。エルメロイが手に持つ酒瓶は空だった。真也はスキットルをエルメロイに放り投げた。受け取った彼は黙ってグラスに注いだ。

 

「それにしてもウィスキーとはな。二〇歳の割に随分強いのを呑む」

「パワーズのゴールドラベル、四〇度。傷の消毒にも仕えますから、結局それに落ち着きました。アイルランド語のuisce beatha〈イシュケ・バーハ:命の水〉が語源だそうですよ」

「またアイルランドか」

「良いじゃないですか。ジョン=F=ケネディもアイルランド系ですし、アイリッシュシチューだって悪くない」

 

「アルコールを覚えたのは何時だ」

「十八です」

「日本では二〇から、と記憶しているが」

「その時日本に居ませんでしたから。良いでしょう」

 

「呑む理由があった、と言う訳か」

「……ただの愚痴になります。聞いても面白くも何ともない」

「人生の書とは魔道書に匹敵する、それが特異な者なら尚更だ」

「教授の魔術師としての一面を見た気がしますよ。ま、講義の代金としましょうか」

 

真也はグラスを飲み干すとこう切り出した。

 

「ミャンマーの都市を歩いていた時です。白人男性にホットドックのケチャップを付けられました。謝られて、お気になさらず、そう答えたんですけれど、気がついたら財布が無かった。誰かが注意を引いて、その隙に別口が荷物を盗む、典型的すぎました。追いかけて取り返しましたけれど、その典型的に引っ掛かるんです。次はインド。町中で立っていて女生徒らしき集団に囲まれたと思ったら、鞄に手を突っ込まれていました。子供に塗れて、何事かと思えば集団スリでしたし。捕まえ問い詰めると泣き出し周囲の同情を誘う、厄介です。

 

同じくインド。安宿を紹介すると言われて、飲み物を渡されれば毒入りでした。店舗で売っている果物もそうでした。俺が選んで袋詰めする間に一服盛るんです。俺は毒の効き目が悪いので意識朦朧程度で済みましたが、もちろん荷物を取られました。毒入りのリンゴだなんて皮肉ですよね。

 

彼らは必死になまでに親切で、優しい親日家を演じている。人を疑う様になるまで、時間は掛かりませんでした。男が数名で襲ってくるタイプが一番楽です。叩きのめすだけですから。特に子供と女性があぶない。“妹が近いうちに日本へ行くので日本のことを教えて欲しい”,“弟が病気で”おきまりです」

「警察に突き出さなかったのか」

「しましたよ。パターンは二つ。警官もグルのタイプ。適当に済ませてはいお仕舞い。もう一つは観光の為その国が外国人への窃盗を強く禁じているパターン。突き出した窃盗団の子供の悲鳴が聞こえてきました。警官に暴行されている、そう思った俺はやり過ぎではないか、そう言いました。でもそれが手口だったんです。警察署を離れると悲鳴も止まった。同情を誘い釈放を狙う。10かそこらの子供がそんな事をするんです。もう訳が分かりません。

 

笑ってしまうのが警戒しすぎると逆効果だと言う事。イタリアだったかな。何度か盗まれ掛けて、結局盗まれて、追いかけて、叩きのめして奪い返した。その結果彼らの拠点がバレて警察に一網打尽にされた。面子を潰された、と思ったんでしょうね。いきなりズドン。撃たれましたよ。報復って奴です。スキットルの凹みはそれです。

 

中国のとある田舎町です。迷って、困っていたところを親切にされて、泊めさせて貰ったんですけれど、それも手口ですよ。寝ているところを襲われました。旅のし始めで、疲れてたんでしょうね。目が覚めたら、目の前に鉈がありました。気配読みにあれだけ自信があったのに気がつくのが遅れた。俺は悲鳴を上げてそいつを殴りつけた。白味の部屋が、鮮血と、弾けた肉と、砕けた骸骨でぐっちゃぐちゃ。木っ端微塵のスプラッタです。身体強化をとっさに使ってしまった。後はおきまり。石や道具を投げつけられながら、悪魔呼ばわりされて這々の体で逃げ出した。そいつの奥さんの金切り声は良く覚えてます。夜通し走り続けて、気がついたら別の町だった」

「それで寝る事が駄目になったのか」

「予算が少なかったので野宿をよくしました。木の上、洞窟の中、崩れ掛けのビルの屋上、もしくは谷間。ここなら人は居ないだろう、と言うところに居るんです。五分経たずに、物取りが来ました。そういう、夜をずっと繰り返したんです。だからですよ。寝る事が怖くなったのは。今思い出しても俺は相当荒んでいましたね。その頃にはもう容赦しませんでした。骨折を負わせる位なら軽いものです。傷害容疑で、警察に捕まってぶち込まれたのもこの頃だ。何も持っていないので、正体不明の外国人。暫く泊まって気が済んだら魔術を使い強行脱出です。パスポートの再発行方法を知りたかったら言ってください。もう、慣れたものですから。パスポート番号を覚えておくと、手続きは楽ですよ。ああそうだ。極めつけが死徒でした。パキスタンに入って暫く経った頃、乾いた山岳の上には月があった。そんな時に出くわしたんです。流石にあの時はもうダメかと思いました。もちろん逃げましたよ。尻尾巻いて」

「そこまでの目に遭って、なぜ旅を続けた」

 

真也はベルトの留め具を弄ると一つの石をエルメロイに手渡した。それには友情、保護を意味するエオローのルーンが刻まれいた。それはかつてランサーが、真也の居場所をトレースする為に渡した物だ。暫く考えていたエルメロイは、得心がいった表情である。

 

「アイルランド、ルーン……そうか」

「ええ。クー=・フーリンです。アイルランドの大英雄が直々に刻んだルーンのお守りです。俺の自慢ですよ、良いでしょう?」

「随分と子供じみているが英霊との絆なら私も持っている」

 

エルメロイは笑って言った。彼はイスカンダルの従者なのだ。二人が互いに縁のあるサーヴァントの事を語り合い始めると、時間は瞬く間に流れ、空は何時しか白んでいた。そして。真也の下に決闘を申し込む手紙が届けられたのは、その三日後の事であった。

 

 

 

 

つづく!

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