転生しても戦争だった  ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~   作:ガンスリンガー中年

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陸軍だってビックリドッキリメカくらいありますよ?
だってドイツ軍だし。




第145話 ロンメルさんって自ら戦車に乗って最前線で陣頭指揮とっててもおかしくないイメージがある

 

 

 

 ”銀狐作戦(Unternehmen Silberfuchs)”の総決算の12月8日攻勢において、最初の大打撃を与えたのは、巨砲と読んで差し支えないビスマルク級戦艦2番艦”ティルピッツ”とシャルンホルスト級巡洋戦艦1番艦”シャルンホルスト”が参加できた理由は、至ってシンプルだった。

 

 前々話において、X型Uボートが”セヴェロモルスク”より更にムルマンスク寄りのコラ湾の奥、具体的に言うなら湾曲と岬で川幅の狭くなったミシュコフ辺りに機雷を敷設して「通せんぼ」した理由も、ついでに小規模拠点だったセヴェロモルスクを生存者的な意味で元の開拓村レベルに砲撃で戻したのも、この為だった。

 

 ソ連に夜間に飛べるまともな航空機は無く、またまだ実用的なレーダーもない。

 おまけにミシュコフより先へは進めない。

 仮に機雷原を突破できても、ドイツ艦隊が手薬煉引いて待ち構えているのだ。

 

 そんな中、極夜の夜陰に紛れてコラ湾に侵入してくる戦艦を確認できるロシア人は居なかった。

 居たとしても、連絡の取りようも対処のしようもなかったろう。

 

 さて、戦艦なんて大物(デカブツ)がコラ湾(別名:ムルマンスク・フィヨルド)に入って来て大丈夫なのかと言われれば、このフィヨルド、湾と呼ばれるだけあり最大幅は7㎞もあり、しかもその最大幅部分がちょうどセヴェロモルスク沖なのだ。

 おまけに水深は潜水艦も自由に動き回れる200-300m。

 

 これだけの水域なら、戦艦とて立ち往生することはない。

 無論、時間通りに街から上がった火柱に向けて主砲を撃つにも苦労は無かった。

 

 お忘れかもしれないが、この世界線においてシャルンホルスト級はビスマルク級と同じSKC/34型38cm47口径長連装砲を主砲としていた。

 違うのは砲塔数(門数)でビスマルク級連装4基8門、シャルンホルスト級は連装3基6門である。

 まあ、次の小規模近代化改修で現在、本国で改修中の姉妹艦同様に新型の48.5口径長砲に変更し、更なる射程延伸を図る予定でもあるが……

 現時点でも、最大射程は36㎞を超える。

 つまり、ムルマンスクから25㎞程度しか離れていないセヴェロモルスク沖からはムルマンスクのほぼ全域が射程範囲だった。

 これに加えて、ドイッチュラント級装甲艦2隻も砲撃に加わる。

 実はこの世界線のドイッチュラント級装甲艦、シャルンホルスト級がビスマルク級と同じ主砲を搭載することが決まったために、オリジナルのSKC/28型 28cm52口径長砲ではなく、先んじて行われた近代化改修にて史実のシャルンホルスト級が搭載するSKC/34型28cm54.5口径長に主砲をアップデートしており、砲弾は38㎝の800kgに対し300kgと軽いが最大射程は約40㎞と勝っていたのだ。

 

 近場のノルウェーの拠点にいったん戻り、簡易メンテと補給を終えて戻ってきたドイッチュラント級装甲艦に隙も敵も無かった。

 

 

 

***

 

 

 

 14門の38㎝砲と12門の28㎝から放たれる断続的な砲弾の雨が降り注ぐ12月8日の朝、ムルマンスクに訪れる破壊はそれだけではなかった。

 来たのは今度は、あるいは今度も空からだった。

 

 そう、機体の大きさ故に容積の余力があり、夜間爆撃に必要な電探や各種航法装置を搭載したドイツご自慢の4発機の群れがフィンランド領内より飛んできたのだ。

 サンクトペテルブルグ攻略にも活躍し、史実と違い余計な横やりが無かった為に4発機として大成したHe177Aと、今後、対潜哨戒任務の需要から対潜哨戒機への改装が予定されている為、爆撃機として最後の花道を飾るであろうFw200Cで編成される合計100機の怪鳥は、爆撃用のマーカーに事欠かないムルマンスクを猛爆したのだ。

 

 

 

 そして、最後は10万のドイツ・フィンランド連合陸軍の出番である。

 当然のように朝8時に火柱が上がる前には攻勢準備が行なわれていた。

 

 装甲兵力に守られた弾着観測部隊が前進し、集光率の高い双眼鏡と無線機を武器に戦う中、陸軍の重砲隊が火ぶたを切った。

 注目すべきは、この弾着観測部隊、陸軍の重砲だけでなく海軍の艦砲射撃の弾着観測・確認・修正指示も同時にやってのけたのだ。

 

 ドイツ軍が、軍の枠組みを超えた諸兵科連合(コンバインドアームズ)を開始し、近代軍から現代軍へと的確に歩んでる証拠でもあった。

 蛇足ながら、弾着の識別は簡単だった。とにかく着弾の威力と大きさが違うのだ。

 陸軍が引っ張ってきた重砲は、大きくても15㎝級で、戦艦基準なら副砲、軽巡の主砲だ。逆にドイッチェランド級の28㎝砲級の大砲など、陸軍には列車砲や要塞砲(固定砲)くらいしかない。

 無論、どちらもムルマンスク近辺には持ち込めていない。

 本来ならクルップK5(レオポルド)列車砲くらい持ち込みたかったが、サンクトペテルブルグからムルマンスクに伸びるキーロフ鉄道のインフラでは使用不能と判断され、断念していた。

 

 代わりにというのもなんだが、面白い試作兵器が戦場に姿を現していた。

 史実では、”カール自走臼砲”と呼ばれる車両(?)だ。

 だが、史実と違うのは臼砲自体が原型の60㎝8.45口径砲ではなく、最初から改良型の”041”と同じ54㎝11.5口径砲が採用されていたことだろう。

 これはとても単純な話で、試作砲は確かに史実通り60㎝で作られたのだが、やはり4㎞程度しかない射程が問題視され、試作砲の発射を視察していたヒトラーの「砲弾はもう少し小さくても構わんから、射程はせめて重砲と呼べる程度にせよ」という鶴の一声で、このような事になった。

 

 全備重量125tを超えるこの陸式巨砲は、ムルマンスク直前のキリジンストロイまで分解されて鉄道で運び込まれ、現地で再組立(しかも極夜の中で!)という苦労の元にこの場にあったが、その甲斐あってか砲弾の威力はすさまじく、1発の威力ならティルピッツやシャルンホルストの38㎝砲弾を凌いでいた。

 もっとも、発射速度は及ぶべくもなく、余裕を持って2~3分間隔で釣る瓶打ちしてくる艦砲射撃には総合的な破壊力は及ばない。

 まあ、カール自体は1発の重さに趣を置いたハードパンチャーなので、これで正しいのかもしれない。

 

 

 

 他に注目すべきは、中々に優秀で気合の入った砲撃を繰り返すフィンランド陸軍砲兵隊だろうか?

 ムルマンスクに限らずコラ半島を奪取できれば、丸々フィンランドに編入されるのだから、そりゃあ気合も入るってもんだろう。

 ちなみに彼らが用いてる重砲は、元々の装備や冬戦争の鹵獲品もあるが、決して少なくない門数が、復興進むサンクトペテルブルグで組み立てられたものだということは、実に歴史の皮肉を感じる。

 

 

 

***

 

 

 

 艦砲射撃、空爆、重砲とある種、世紀末的(ラグナロク)な光景が訪れたムルマンスクであった。

 12月8日正午、一旦砲撃中止命令が出て、都市制圧部隊がいよいよ入るが……

 

「……見事に何も残ってないな」

 

 IV号戦車のキューポラから乗り出して双眼鏡を構えるエドヴィン・ロンメルの率直な感想だった。

 リビアの砂漠にいた頃は、英国軍から奪ったAEC装甲指揮車(ドーチェスター)に乗り指揮していたが、やはり戦車も良い物だとしみじみ思う。

 今回は飛び入りの増援装甲指揮官という風体で極北の地へ馳せ参じたので尚更そう思う。

 そして、街というより瓦礫の山と形容したい風景ながらも、

 

(まだいる。確実に生き残っている)

 

 史実によれば、1939年時点のムルマンスクの人口は12万人。

 また、終戦直後に街に残っていたのは、港湾施設と3軒の建物だけだったらしい。

 

 そしてこの世界線でも、今や戦車戦が堪能できそうな更地になりかけているが……

 

「この暗さだ。各員、気を緩めるな。味方以外、動く物は全部撃て。特に武器を持っていると思しき者、怪しい動きをする者には躊躇うな」

 

 薄暗い極夜のこの季節、市街戦は一日中が夜戦と同じ遭遇戦になると考えた方が良い。

 統制が取れた戦いが望むべくもないなら、疑わしきは撃てが鉄則。死んでからでは何もかも手遅れだ。

 もはや人間が生活を営むには適切ではない場所に成り下がってるムルマンスクだが、同時にロンメルは人間が存外にしぶとく生き汚いことを知っていた。

 だからこそ、市街戦は血腥い物になると覚悟を決める。そのためのIV号”スペシャル”だ。

 用途は、対装甲戦のような華々しいものはほとんどなく、おそらくは古式ゆかしい近接火力支援、歩兵直協ばかりになるだろう。

 

(だが、それがどうした)

 

 要するに、この街を制圧できれば良いのだ。

 結果が全てで、戦う相手は問題じゃない。

 

「良かろう」

 

 元々、このIV号には対戦車用の徹甲弾や徹甲榴弾は10発程度しか積まれていない。残りの砲弾ラックは榴弾や榴散弾ばかりだ。

 そして、対人兵装なら主砲同軸機銃、車体正面銃、キューポラの防盾付機銃、Sマインなどが搭載されている。

 ならば、それを存分に叩きつけてやればよい。

 

 そもそもが、ムルマンスクにロンメルが好む戦車(獲物)がほとんど残っていないことは、砲弾の搭載比率から物語る通り最初から分かっていた事だった。

 独ソ戦開戦直後にムルマンスクに配備されていた元々多くはない戦車は、”レニングラード防衛戦”にムルマンスク(キーロフ)鉄道を通じて引っ張り出されてしまった。

 そして、レニングラードがサンクトペテルブルグに変わった今、その戦車は戻って来るはずもない。

 ではアルハンゲリスク辺りから凍結する前に海路で搬入は?……それも期待できなかった。

 

 戦車を必要とされる戦場は、”首都モスクワ周辺(・・・・・・・・)”だけでもごまんとあった。

 そして、ソ連は僻地であるムルマンスクに戦車を送れるほどの余力はなかった。

 

 

 

 一応、少しだけフォローしておこう

 スターリンは決してムルマンスクを見捨てたわけでは無い。

 ただ、他にも優先して守らなければならない領土があっただけだ。

 首都のモスクワと、自らの名を付けたスターリングラードはその優先度リストトップだ。

 ドイツがそんな場所を狙いもしてないのは、スターリンの知らない事だった。

 

 それにムルマンスクにはじきにアメリカからの援助物資(レンドリース)品が届く。

 スターリンは、その援助物資を用いて戦って良いと、格別の配慮を与えた。

 本人は、「まさに寛容と慈悲」と自画自賛していた。

 

 だが、惜しむらくは12月8日現在、その物資はムルマンスクに届いていない。

 厳密には、アメリカをまだ出航すらしていない。

 戦場に届いていない兵器に戦況を変える力があるわけもなく、そうこうしてる間にカールの54㎝砲弾でロシア人の防御陣地(トーチカ)が丸ごと吹き飛ばされ、いよいよ市街地への進撃路が開かれた。

 

「では、そろそろ連中に戦争を教育してやろう」

 

 ロンメルはニヤリと笑い、

 

装甲部隊、前進せよ(Panzer Vor)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ロンメルさんに只々、

装甲部隊、前進せよ(Panzer Vor)!!」

と言わせたいだけの人生だったw
いや、上級大将サマが自ら戦車に乗って最前線出てきちゃダメでしょう(笑)
そこはまあ、フィクションということで。
世の中には、戦車でドンパチやるのが乙女の嗜みって世界線もあることですし。



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