転生しても戦争だった ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~ 作:ガンスリンガー中年
いや、大分中断とか挟みましたが、なんとかここまでこれました。
そして、記念すべきこの回では、これまでペタン首相しか目立ってなかったパリ・フランス勢の中核、「フランス産のヤベー奴」が頭角を現してくるみたいですよ?
さて、米海軍の「常識外れの義勇兵団」に、上質のコニャック呷ってふて寝したくなる衝動に駆られながら、フランス首相ペタンはなんとか踏みとどまる。
さて、現状におけるフランスにおいて有利な点とはなんだろう?
まず、史実では1942年11月8日に勃発した”トーチ作戦”の日付がずれたせいでフランス北アフリカ軍総司令官が、史実では「ペタンの言葉を恣意的に解釈して英米と勝手に停戦した」とされるダルランでは無いという事だ。
この男、ペタンへの忠誠心は高いのだが、どうにも日和見主義的な所があると評判なのだ。
ちなみに史実のダルランは最盛期には内務、国防、外務大臣を兼任、更にはフランス陸海空軍の司令官にも任命されている。
いや、もしかしてアメリカ軍に尻尾を振ったのって、もしかして仕事投げられ過ぎた超過労働に対する反抗だったんじゃないだろうか……?
最後は暗殺されているが、これにも陰謀説がある。
さて、今生のダルランはポリオの重篤患者だった息子をフランス本土に連れ戻し、本人は職務を内務長官一本に絞った。
現在、息子は徐々に回復の兆しを見せているらしい。
変わって現在、仏領北アフリカの司令官は、”マックスウェル・ウェイガン”上級大将だ。
史実のウェイガンは、「ド・ゴールにもナチスにも尻尾を振らなかった男」であり、”高貴なる血筋”を引いているという噂もあった。
騎兵学校出身で、この時代のフランスの中では比較的機甲戦の概念を理解している方だった。
だが、彼ら以上にユニークなタレント持ちがペタン政権の中に紛れ混んでいたのだ。
「さて、”
「モロッコ切り捨て一択でしょう。洋上迎撃や海岸線での水際阻止は、保有戦力的にどう考えても不可能です」
そう返したのは、ペタン政権の名物男。
最近は外相まで兼任している副首相、”ピエトロ・ラヴァル”であった。
史実のラヴァルは、ドイツの侵攻を受けフランスは降伏したが、その後にもアルジェリアで亡命政府を立ち上げ戦闘を継続しようとしていたアルベール・ルブラン大統領たちをラヴァルは説得してあきらめさせ、同時にアルジェリアにむかった一部の者は現地でフランス市民権を剥奪するなどした。
つまりヴィシー政権の立役者であるのだ。
保守政治家で対独融和主義者の急先鋒、ついでに反共でもある。
かなりアクの強い政治家で、実はペタンとは仲が悪かったらしい(実際、副首相から解任されたりもしている)。
最後は「ドイツに協力した罪」でド・ゴール政権で銃殺された。銃殺される時の最後の言葉は「フランス万歳!!」。
実はド・ゴール政権はスターリンほどではないが、結構凄惨な報復と粛清をしている。なんなら”エピュラシオン”という単語を調べてみてほしい。
ド・ゴールがどういう人物か、当時の”解放されたフランス”とやらがどういう国家だったかよくわかる。
さて、ではこの世界線のラヴァルはどうかと言えば……
「ただし、ただでモロッコをくれてやる謂れはありません。とはいえ、米国に組した王族が厄介で独立運動が激しいモロッコで地上戦を行うのは悪手でしょう。ですが、アルジェリア・モロッコの国境線から大西洋海岸線までの距離は精々500㎞、現在の我が国の戦闘機や攻撃機、爆撃機の航続距離であれば嫌がらせ程度の航空阻止攻撃なら十分可能でしょう。それにそういう戦い方なら、ドイツから輸入した
無論、フランスへの輸出許可が下りたのは”Zuseシリーズ”アナログコンピューターと連動する発展型や車両にコンパクト化したシステム一式を搭載した車載型ではなく、史実のそれと大きく変わらない一世代前のモデルだが、防空レーダー管制システムとしての機能は十分にある。
そして、それらに管制されるフランス兵器群というと……
これまた史実とは比べ物にならないほど強化されている。
まず、ドイツがフランスの早期国際社会復帰を望み、その一環として産業の早期復興、特に兵器産業の再建と再軍備による国防力強化を強く強く推奨したという事が大きい。
とにかく、ドイツにとってフランスが「自分の身を守れないほど弱体化して、打たれ弱い下っ腹になる」事を恐れたのだ。
その中で史実とは真逆に様々なテコ入れをしたが、その一連の動きの中で馬車馬のように働き八面六臂の活躍をしたのが、この世界線のラヴァルだった。
総称で言うと”
ドイツによるフランス占領計画であった史実とは大幅に内容が異なる、ある意味においては正反対である歴史の流れの中で主導的な役割を果たし、「親独中立のネオ・フランス」の中心人物がラヴァルだ。
故に今の立ち位置は、『ペタンの懐刀』というところだろうか?
そして、ラヴァルの仕事成果は北アフリカでも十分に発揮されそうだった。
例えば、である。
史実ではドイツに開発継続や生産が禁じられた航空機用SOHC液冷V型12気筒エンジンであるイスパノ・スイザ12Y系列の発展後継型である”12Z”系列というエンジンがあるが、これは早くもパリ返還前に開発が再開されている。
12Y系列の2バルブヘッド→4バルブヘッドとなり、またキャブレターから燃料噴射装置への変更でマイナスGでも燃料供給できるようにしたのが12Zシリーズであった。
その甲斐あり、1942年後半より一つのマイルストーンである”12Zter”の本格生産が始まっていた。
このタイプはスーパーチャージャーの変更や推力式排気管の採用などの恩恵もあり、高度6.400mで1500馬力の出力を発生するに至った。
そして、この”12Zter”を主機として全力生産が始まったのが全金属セミモノコック構造と層流翼を持つ最新鋭フランス戦闘機”VG39bis”だ。
現行のフランス主力戦闘機”D520bis”の後継機として開発された機体は、隔世の高性能機となった。
実はそのプレモデルとも言うべき機体は、以前に登場している。
そう、サンクトペテルブルグに輸出された”DB601NGV”搭載のドイツ仕様”VG39”だ。
”
サンクトペテルブルグに配備されたドイツ輸出型と同等の性能であり、最高速は戦闘重量であっても高度6.400mで650km/hを超え、航続距離は増槽を左右主翼に搭載した場合1,500㎞に達する。
ちなみにモーターカノンの20㎜機関砲はともかく、頑丈な米ソ戦闘機相手に主翼の7.5㎜機銃では心もとないのでサンクトペテルブルグモデルと同じく(つまり設計を流用できる)MG131/13㎜機銃×4丁に変更されている。
ちなみにフランスには10~15㎜級の弾丸を使う機銃が無かった(MAC1934航空機関銃には一応、11㎜弾仕様モデルの開発計画があったのだが実現しなかった)のでMG131の無償ライセンス生産権が特別譲渡されたらしい。
この機体は既に量産体制に入っていて、作られた側からパイロットの慣熟訓練が終わり次第、アルジェリアへと送られている。
「つまり、モロッコでは陸上作戦は行わない?」
「いえ。皆無というわけではありません。大砲の撃ち合いはやらないというだけで、それ以外はするつもりですよ? そのための仕込みもしましたし」
さて、フランス軍は強いのは外人部隊ばかりで、近代陸軍の基礎概念である”
まあ、第一次世界大戦はともかく、第二次世界大戦の結果を見ればそう思われるのも無理もない。
ただ、少しだけフォローさせて頂くと、いかに「戦争は政治の一形態」であるとはいえ、あそこまで「政治が迷走して軍事の足を引っ張られれば」如何ともしがたいだろう。
当時の第三共和政、1930年代のフランスの政治は”政治危機”と呼ばれるほどgdgdで末期的な物だった。
例えば、
・1932年5月6日、ポール・ドゥメール大統領が白ロシア系移民により暗殺される。
・1933年、大疑獄事件であるスタヴィスキー事件が起きる(被疑者死亡)。その煽りで当時のショータン内閣総辞職。
・1933年の間には首相が三度変わる。
・1934年2月6日、クーデター・暴動未遂。その責任を取らされる形で当時のダラディエ内閣総辞職。ドゥメルグ内閣が成立するも11月までしか持たず。
・1934年10月9日にユーゴスラビア国王アレクサンダル1世とフランス外相ルイ・バルトゥーがマルセイユで暗殺される。
・1935年、ドイツの再軍備宣言に対抗しての”仏ソ相互援助条約”を締結。
1935年までで、主だった物を上げただけでもこれである。
次いで、
・1936年、レオン・ブルム人民戦線内閣成立
・1938年、ダラディエ内閣(第3次)成立
ちなみにエドゥアール・ダラディエ、30年代だけで3度首相をやっており、いずれも現代の水準なら短命政権だが、当時のフランスでは標準的だった。
いや、いかに当時の欧州が激動期とはいえ、これだけ政治が迷走してれば、そりゃあ勝てる戦争も勝てなくなる。
当時の大日本帝国の政治も酷かったが、それとは別方向の酷さがある。
しかもフランスには大統領と首相があるから余計にややこしさが倍増だ。
フランス軍は近代陸軍の開祖のようなところがあり、シビリアンコントロールをどちらかと言えば重んじる。
だけど肝心のシビリアンがコントロールを失えば、軍隊だってgdgdになるだろう。
「ほう? どんな仕込みかね?」
「モロッコの近代インフラは、フランスが保護領化した時にフランスが用意した物です」
ラヴァルはにっこりと微笑むと、
「手放すなら、もう必要ないでしょう?」
フランスの正規軍は現在再建中ということもあり、大国同士の火力ぶつけ合う殴り合いには向いていないかもしれない。
しかし、元来得意な戦い方があった。
フランスが、なぜ植民地戦争的な戦いを好むのか?
亜寒帯じみた所に住んでいるドイツ人が、どういう訳か砂漠の戦いを得手としていたように、フランスは不正規戦や非対称戦のような戦いをどちらかと言えば得意としていた。
それも、東南アジアのような視界の悪い遭遇戦が多いジャングル戦(これはどういう訳か皇国軍が得手)ではなく、都市部のゲリコマのような戦い方だ。
ならば、取れる選択肢というのは……
「反逆者共にこの世の春を味合わせるのは癪にさわりますからね。精々嫌がらせをしてやりましょう」
という訳でパリ政権の切り札、”ピエトロ・ラヴァル”が登場です。
この世界線では、「ドイツとの関係がフランスの国防と命運を担う」要素が強いので、まさにエースなんですね~。
何しろ、この世界線のドイツ、「フランス弱体化=ドイツ国防の急所」になるのを避けるべく、パリ返還に象徴されるフランス産業の早期復興と早期軍備再建は至上命題で、その為に走り回って調整役の過重労働していた中心人物がラヴァルです。
その一連の行動自体が、この世界線における”
どうでもいいけど、史実のヴィシー政権、人材制限あったのは分かるけど、ダルランを兼任させすぎですw
そりゃあ放り投げたくなるよなぁ~と。
今生ではムッシュ・ダルラン、息子さん共々フランスに戻り、仕事を内政屋一本にしてほどほどに働いているみたいですよ?
そして、仏領北アフリカの総司令官はヴェイガンではなく職務に忠実で実直な軍人らしいウェイガンに。
さて、次回は米仏側のキャスティングでも……
それにしても、ラヴァルは何を考えてるんでしょうね~。
次回もどうかよろしくお願いします。