転生しても戦争だった ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~ 作:ガンスリンガー中年
ナポリ市南で行われた皇国陸軍機甲師団と黒シャツ隊装甲旅団の衝突は、あまりに一方的な戦いとなってしまった。
陸海空からの集中攻撃を食らった黒シャツ隊は交戦開始から1時間も持たずに壊滅し、そして……
黒シャツ隊壊滅と同時にナポリ市民議会はムッソリーニ政権からの離脱と無防備都市を宣言し、同じくイタリア軍ナポリ駐留軍は降伏した。
悲しいかな、この”ナポリ会戦”こそが、公式に記録される『イタリア攻略戦中、”
これが後に、
・イタリアの”炎の七日間”(I "Sette giorni di fuoco" dell'Italia)
・イタリアの”七日間戦争”(La "Guerra dei sette giorni" dell'Italia)
・イタリアの”一週間戦争”(La "Guerra di una settimana" dell'Italia)
と言われる所以だった。
そしてナポリ陥落(でいいのか?)直後、ローマよりの白旗を掲げた使者が到来する。
さて、これには少々バックグラウンドを語る必要があるだろう。
まず、1週間前の”ローマは一日にしてならず作戦(Operation Rome wasn't built in a day)”の発動直後より、非公式チャンネル(公式な外交チャンネルは消滅していた。なので英国よりの迂回ルート)ながら日本皇国からは”イタリア
ただし、それは無条件降伏ではない。この辺りは史実の”横暴な連合軍”と違う部分であると言えた。
だが、この戦いの意義的に日本皇国は絶対に譲れない要求があった。
・ファシスト党の即時解散。
・党首でありドゥーチェ・ムッソリーニや義理の息子であるチャーノを含む党幹部の拘束と皇国への身柄引き渡し。
・現国王ヴァレンティーノ・エマヌエーレⅢ世の退位とサヴァイア本家の王位継承権の放棄(ただし、分家アオスタ家の公爵位の継承は可)。同時に、”アルヴァトーレ・ディ・サヴォイア=アオスタ”公への王位禅譲。
・アオスタ家を王家とするアオスタ王朝イタリア王国の樹立。ただし王は法的に定義された英国式立憲君主とし、同時に王立議会・王国政府を設けること。
・前政権たるムッソリーニ以下ファシスト党の処罰は、王国新政権に委ねること。
まあ要するに「サヴォイア本家と交換で分家のアオスタ家を新たな王家とし、旧政権と前王朝の後始末は新王朝と新政府につけさせる」ということだ。
ちなみに立憲君主制を推すのは、英国だけでなく日本皇国もまたそうであるからだ。
余談になってしまうが、転生者の多い日本皇国は明治期の日本皇国樹立時点で英国式立憲君主制を導入している。
それも政府や民衆からではなく、”やんごとなきお方”自身からだ。
元々、ストレートに言ってこの世界線の”天皇家”は、どうも転生者比率が高い上に、”少々特殊”なお歴々もいるようなのだ。
なので明治天皇が強く望んだのは、近代的議会の設立であると同時に、自らもまた『法的に定義される』事であった。
今上天皇もそうだが、史実を知るゆえに「大日本帝国憲法第三条:天皇ハ神聖 ニシテ侵 スヘカラス」のような扱いにされては、実際に何をさせられるか分かったもんじゃないというのが本音じゃないだろうか?
だからこそ、「神武天皇の血筋や神格化」を肯定するのは構わないし、そういう伝承に口を出すことはしないが……その代わり「政教分離」は徹底するように勅を出したと言われている。
確かに「
そして、これこそがイタリアが中々降伏しなかった(できなかった)理由だった。
だが、今はそんな事を言ってられる場合ではない筈なのだが……
だがこれこそが、「イタリアが簡単に降伏できなかった理由」その物であった。
ムッソリーニの戦争指導の下手さ(+バルボ・スキャンダルが追い打ちに……)&義理の息子チャーノの外交的不手際(ドイツを激怒させたとか)が明るみになり、この義理の親子を捕縛するなり排除するなりだけなら、そう難しくは無かったのだが……
だが、ここに国王と国王派が絡んでくると話が変わってくるのだ。
それもとんでもなく。
☆☆☆
ナポリ攻略を終えて、一息ついたところに来客があった。
それも複数。
まず、最初に訪れた”王都ローマから
というのも……
「”
その名を聞いたとき、今村は頭を捻り……
「ちょっと待て。その臨時首班とやらは確か、イタリアの参戦に戦力不足を理由に反対して罷免され隠遁してた元参謀長で、全権特使は現役の参謀長じゃなかったか?」
ついでに言えばパドリオは史実同様に元イタリア領東アフリカ帝国副王でもあったりするのだが、イタリアの第二次世界大戦参戦に関して「それは自殺だ」と激しく反対して参謀長から罷免されたが、それだけにとどまらず同時に抗議の意味を込めて全ての公的役職から辞任し隠遁生活を送っていたらしい。
そして今村の記憶にある限り、アンブロージオは誰かの特使ではなく今年の2月あたりからのイタリア参謀長だったはずだ。
もうこの時点で嫌な予感しかしなかったが、
「……指名された以上、とりあえず会わんわけにはいかんな」
律儀な日本人らしい対応を見せる今村だったが、彼はこの時の判断を「アオスタ公に回せばよかった」と少なからず後悔することになる。
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「はぁっ!!? ムッソリーニの野郎が王様と王子を連れ立って、ついでに玉璽じゃねぇや。国璽まで持ち出して北イタリアに逃亡しただとぉ~~~っ!?」
日本皇国首都東京、永田町にある首相官邸執務室にて、近衛公麿は雄たけびを上げていた。
今村から緊急電の内容を少し補足すると、ローマ暫定政権(イタリア政府と呼べない辺りが既に)……
『アンブロージオ特使の説明によれば「降伏したいのは山々だが、ファシスト党と王党派軍閥、黒シャツ隊の共謀によりムッソリーニと国王並びに一部王族の逃亡を許してしまった。面目ない」。その代わりローマを無防備都市とし無血開城するので攻撃はしないでほしい。またローマ暫定政権という形で良ければ、降伏とアオスタ王家を無条件で受け入れるとのことです』
つまり、(海外と南イタリアで皇国軍にフルボッコにされた)イタリア政府とイタリア軍には既にムッソリーニとファシスト党残党を追いかける力はなく、とりあえず自分達は降伏するからこれ以上の攻撃は勘弁してほしい……まあ、そういうことだった。
「なんつー中途半端な真似を……ふざけんなよっ!!」
「しかしな、近衛君。まさか無視してローマを焼き払う訳にはいかんだろ?」
冷静さを促すように窘める官房長官の広田剛毅に、
「まあ、そりゃそうなんですがねぇ……」
「それに考えようによってはこっちの方が厄介だよ」
そう、先ほどは含みを持たせていたが使者は”一人では”無かったのだ。
「”
今村がアンブロージオと会談してる間、おそらくはそのタイミングを見計らって新国王予定のアオスタ公に秘密裏に接触する者がいた。
それが『バチカンからの使者』だった。
そして、この行動はおそらくは前々から入念に準備されていたものだろう。
実を言うと呼び水はあったのだ。
まずは日本皇国にて”ローマは一日にして成らず作戦”決行の1ヶ月ほど前、日本語で”法王”と”教皇”の呼び方が混在していた地位が、急に『ローマ教
つまり皇国と、皇国が皇国の所以たる”やんごとなきお方”と『皇』という一文字の共通項を持たせたのだ。
それは暗に『我々も”皇”であり権力は無くとも権威はある』というアピールでもあった。
そして、『イタリア新王を祝福する』旨と『王室外交の復活を支持する』という親書が届いたのだ。それも『イタリア新王を通じて日本の天皇に』という体裁で。
中世じゃあるまいし、今のバチカンに一国の王の任命権などあるわけ無いが、繰り返すが世界中のカソリック教徒の中での”最高権威”の祝福だ。
張りつけられる箔の厚みと輝きが違う。
この箔、未だにカソリックの影響力の強い欧州では、「王の正統性」と言い換えても良い。
無論、交換条件が何もない訳ではない。
「つまりは王室外交の復活に、何らかの形で一枚嚙ませろってことか……」
理解できなくはなかった。
イタリアがこうなってしまった以上、固有の武力を持たないバチカンが、少なくともイタリア王国が復権するまでの間の”後ろ盾”を欲しがるのはむしろ当然だろう。
それにバチカンに何かあれば、イタリア攻略をしてる関係上、どうやったって皇国にも責任問題に発展する。
「世界に散らばるカソリックともめるのは確かにマズいな……」
近衛はため息を突き、
「”陛下”にご相談してみるしかねぇか」
戦争とは確かに戦争の一形態なのだが……
どうやらイタリアでの局面は、戦争と呼んでよいのかどうか迷う段階に突入したようである。
近衛しゅしょー:「クソがぁーーーっ!!」
とその場で叫ばなかった事を褒めてあげてくださいw
いや~、流石は降伏含めて逃亡に関してはプロ級のムッソリーニ一味です(史実準拠
という訳で、確かに首都の方のローマは無血開城で陥落しましたが……それで終わるほどイタリアは甘くはなかったw
英国暗黒爆笑案件です。
まあ、日本皇国が品行方正な戦争をし過ぎたせいもあったりするのですが……それでもこの世界線のムッソリーニ、皇国の裏をかくとはある意味有能なのでは?
そしてサヴォイア王、無理はないかもしれませんが、もはや言い訳できない状態に……
まあ、その舞台裏はおいおいに。
さて、次回はついに今まで謎のベールに包まれていた”あのお方”が……
次回もどうかよろしくお願いします。