転生しても戦争だった  ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~   作:ガンスリンガー中年

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今回はここ最近では珍しく、戦況分析や戦場描写が出てきます。






第77話 レニングラードへ続く道、ドイツ戦艦部隊が地均しす?

 

 

 

 さて、少しドイツ北方軍集団の動きを振り返ってみよう。

 バルト三国が解放されている(来栖がリガに居たのはそういう意味)ということは、西ドヴィナ川の戦いは既に終結している。

 しかも、史実以上に圧倒した。

 

 当然である。

 そもそも、この時点で43口径長の長75㎜砲を搭載した史実のG型準拠、正確には1.5倍のエンジンパワーをはじめ随所が強化されたIV号戦車が主力なのだ。

 何しろ北アフリカに投入せず温存していた全ての長砲身型IV号をここぞとばかりに全力投入したのだ。

 

 確かにソ連は防衛戦にKV-1だけでなく、”街道上の怪物(ギガント)”と史実では恐れられたKV-2も配備されていた。

 そして、史実通りにリトアニアのラシェイニャイ市やドゥビサ川で遭遇したが、この世界線では怪物やら巨人とは呼ばれなかったようだ。

 

 単純に”Großer Felsen(=大きな岩)”とは呼ばれたようだが。

 というのも長砲身戦車砲に加え、IV号は各車に10発ずつの対重装甲特効の虎の子、あるいは”銀の弾丸”である”高速徹甲弾”が配備されていたのだ。

 史実よりも少しだけ貫通性能が高かったそれは、500mの距離で30度傾斜した厚さ110㎜の装甲、つまりKV-2の砲塔や車体の正面装甲を貫通できる。

 

 史実では酷い目にあったドイツ軍だが、装甲は厚いし砲は強力だが、車体も砲塔も重く機動力も砲塔旋回速度も遅く、また砲弾が重すぎるために二人係の装填でも発射速度が遅いことを直ぐに看破したドイツ軍戦車部隊は、その機動力を生かして鼻っ面を引っ搔き回しながら前進、高速徹甲弾を大岩を砕く掘削機代わりに次々と”かーべーたん”を血祭りにあげた。

 

 こうして大きな波乱も被害もなくバルト三国を解放。

 残ったのは穴ぼこだらけの大量のロシア産戦車の残骸とロシア人捕虜。

 全体的に順調に物事が上手く運んだのは、史実と異なり軍医余計な仕事を増やすアインザッツグルッペンとかがいなかったせいもあるだろう。

 NSR(国家保安情報部)から治安部隊は派遣されたが、それはごくごく通常(?)の治安部隊や特殊部隊で、別に特殊な性癖や人種感は持ち合わせてはいない紳士諸君であった。

 当然である。ドイツ人はバルト三国において”お行儀のよい正義の解放者”でなければならないのだから。

 

 では、バルト三国で捕らえられたロシア人の捕虜は?

 当然、当事国であるバルト三国に預けられましたとも。欲しいとも言われたし。それにバルト三国で確保した捕虜なんだから、ドイツはその権利があると認めたのだ。

 今は機関銃と有刺鉄線と地雷に囲まれた三国の特設捕虜収容所で、優雅な捕虜生活を満喫して居ることだろう。

 少々、ドイツ本国の同種の建物に比べて機関銃の使用率は高い気もするが……まあ、ロシアでは兵隊が畑から生えてくるらしいので問題はないのだろう。

 元の肥やしに戻るだけだ。

 

 政府が機能を回復すれば、”戦争犯罪に関する法廷”も開かれるらしいので、アフターケアもバッチリだ。

 何人が厳正で公平な裁判を受けられるかは関知しないが。

 ちなみにソ連支配下の約1年間の間に、少なくとも三国合計12万5千人以上が殺されている。

 

 ちなみに”戦争犯罪に対する裁判”に関しては、特に来栖は思うところはないようだ。

 例え、事前に処刑リストが作られていたとしても。

 

 

 

***

 

 

 

 

 さて一方、ドイツの友好国、潜在的同盟国でもある”フィンランド”の様子はと言えば……

 案の定、虎視眈々とチャンスをうかがっていた”冬戦争”で奪われたカレリア地峡へと再進出を果たしていた。

 結果から言えば”カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国”は、あまりに短い国家寿命だった。

 

 実はこれ、ガッツリからくりがある。

 ドイツは冬戦争の直後から”交易品”として「消耗した物資」を他の資材に紛れて引き渡していたのだ。

 要するに分解したBf109EやらⅢ号突撃砲とかだ。

 実際、カレリアに攻め込んでる装備は、ドイツメイドの部品をフィンランドで組み立てた物だ。

 

 要するに史実よりも有利に”継続戦争”を戦ってることになる。

 加えてソ連軍はより巨大な南方より迫るドイツ北方軍集団の対応に追われ、どうしてもカレリアは手薄にならざるえなかったのが痛い。

 なんせソ連の予想よりもはるかに速い進軍だ。

 

 7月の時点で既にスターリン線は破られ、オストロフ、プスコフは陥落している。

 ノヴゴロド陥落も時間の問題だろう。

 それほどまでにドイツの進軍は早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、史実では苦戦したエストニアとソ連の国境線であるナルヴァであるが……

 

「全艦、砲撃用意っ!!」

 

 ドイツ本国(高海)艦隊、そこより抽出された都合八隻(・・)の戦艦を中心とした水上砲戦部隊の全権を任された興奮と喜悦を抑えられぬように”オスカー・チリアクス”は高らかな声と共に命じるっ!!

 

 砲を振り向けるのは”SK C/34”38cm47口径長砲を連装砲4基8門備える”ビスマルク級”のビスマルク、ティルピッツ。

 同”SK C/34”38cm47口径長砲を連装砲3基6門(・・・・)備える”シャルンホルスト級”のシャルンホルスト、グナウゼウ。

 そして、28.3cm54.5口径長連装砲4基8門を搭載する、もはや原型が分からない装甲艦”ドイッチェラント”級、ドイッチュラント、リュッツォウ、アドミラル・グラーフ・シュペー、アドミラル・シェーアの4隻である。

 

 さて、まあ史実と色々と変わっている。

 例えば、ビスマルク級は主砲と門数は変わらないが、基準排水量で45,500t級で史実の常備排水量に匹敵する大きさを誇り、重量増加分は装甲防御/対空兵装/電子装備の強化、機関の大型化や燃料搭載量の増加などに用いられており、全体的にバランスが良い。

 特に期間は史実と同じく高圧缶を用いているが、全体的に余裕のある(十分な余剰出力がある)設計になった+シフト配置旗艦が採用されたのと、文字通りアキレス腱だったタービン関係も大幅に技術が大幅に進歩していたことが大きい。

 実はタービン関連の技術はドイツが非常に国策として力を入れてる分野であり、始まりはワイマール共和国時代の火力/水力発電の分野から始まり、その中に軍事技術の研究も割り込ませていたという経緯があり、これは特に大戦後半に大きな意味を持つようになる。

 それはともかくとして、機関出力は通常で150,000馬力、高圧ブースト状態で180,000馬力と機関出力が上がっている上に、信頼性が大きく向上していた。

 

 そして、シャルンホルスト級は中身は、機関を除けば史実では計画艦で終わってしまった”O級巡洋戦艦”に酷似しており(機関はむしろオリジナルのシャルンホルスト級に近い)、正しくシャルンホルスト級とO級巡洋戦艦のハイブリッドって感じだ。

 この差異は、おそらくは建造時期あるいは設計時期にあったと思われる。

 史実よりも進水時期がやや遅めだったことを考えると、もしかしたら本来のシャルンホルスト級とO級巡洋戦艦を計画統合した可能性がある。

 

 ラストのドイッチェラント級だが……史実ではシャルンホルスト級に搭載された長砲身28㎝砲を三連装2基ではなく連装4基8門と門数も2門増加している。

 このような設計となったのは、まずシャルンホルスト級がビスマルク級と同じ主砲/砲塔が採用される事が決定したこともあるのだが、また1935年のドイツ再軍備宣言ですべてがご破算になった海軍軍縮条約が有効だった時代には、まだビスマルク級もシャルンホルスト級もドイツには存在していなかった為に、装甲艦を大型化し準戦艦にしても4隻を保有する建造枠があった事も大きい。

 

 ちなみに連装4基8門の主砲配置となったのは重巡洋艦の”アドミラル・ヒッパー級”と同じで、特に有視界戦での敵方の誤認を狙った結果だろう。

 また、主砲が強化された分、船体は大型化しており、近代化改装を受けた1941年時点で基準排水量で約28,000tであり、機関出力も強化されオールディーゼルの120,000馬力で、最高速30ノットの使い勝手の良い船となっていた。

 また、史実では3隻の同級建造だったが、この世界線ではドイッチェラントがネームシップとなり、2番艦がリュッツォウと名称変更ではなく別の船となったせいもあり4隻が建造された。

 

 

 

 そして、史実に比べて圧倒的とは言えないものの明らかに強化された陣営に搭載されるのは、合計28門の38サンチ砲と32門の28サンチ砲だ。

 確かに史実と同じくエストニアとの国境にあったソ連の陣地は強固だったが……流石に海から、それも自慢の自軍野砲の遥か射程外から巨砲を一方的に撃ち込まれる事など想定していなかったのだ。

 

 電撃戦(ブリッツクリーク)とは、装甲化された地上兵力と航空機の組み合わせによる当時としては画期的な高機動戦術であり、後年の”エアランド・バトル”という概念の走りとなったものだが、ドイツはこれに更に海を加えることにより、史実ほどではないがやや不足気味だった砲火力(ドイツが急降下爆撃機の開発や運用に熱心だった理由の一つが、重砲などの不足を補うためだった)を一気に増大させることに成功したのだ。

 

 フィンランド湾を縦横無尽に動き回りながら巨大砲弾を放つ戦艦というプラットフォームの効果は絶大であり、おおよよ艦砲射撃の射程内にいるソ連軍は無事では済まなかった。

 

 これがレニングラード、いやサンクトペテルブルグへ続く進軍のあらましであった。

 時に1941年8月……ドイツはいよいよサンクトペテルブルグの外延に辿り着こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




史実ではついぞ実現しなかったドイツの陸海空一体の”電撃戦”がかけました♪

いや~、史実だと潜水艦以外のドイツ海軍、水上艦艇はホント不遇だったので、思い切り活躍させてあげたいです。

という訳で手こずる予定だったナルヴァを艦砲射撃という力技、膨大な火力を叩きつけることで史実よりも易々と突破したドイツ軍。

しかも戦車戦でも史実のような苦労はなく、普通に長砲身75㎜+高速徹甲弾でかーべーたんの正面装甲も貫けるので、かなり楽なはずです。

ドイツにとり41年最大の戦いとなるこの戦、果たしてどうなるのか?

ご感想などお待ちしております。


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