【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~   作:梅山葵

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絵空事の記憶3に向けた外伝作品。

PARCOのワイズ・ゲルテナ展や、
ファミ通のIb特集ページとかで、
モチベーションが爆上がりした結果とも言う。


外・ゲルテナ展
『対極の器』


 

 大きな円卓を囲んで座っている、他の11人を見渡した。中央の机の上には、クリップで留められた紙束が51部、少しずつずらして輪のように並べられている。

 

 それぞれの表紙右上には、異なる人物の正面写真が貼られている。教授達はその顔ぶれを見渡しながら、ある者は顎に手を当てたり、ある者は訝しげな眼つきで睨んだり、種々の仕草を見せていた。

 

「……では。合格は以上51名、ということでよろしいですね?」

 

 そんな全員の動きを牽制するように、ウィッシュアート学長が強気に言い放つ。ハイエナのような眼光が、円卓を一周した。

 

 我が王立総合藝術学院の学長は、背筋が凍るようなオーラを纏うことがある。普段はまるで枯れ木のようで、風が吹けば飛んでってしまいそうという印象なもんだから、こうしてそれが発揮される場にいる際のギャップたるや凄まじい。

 

 ウィッシュアート学長の怖い側面が登場するのは、生徒達の作品を講評する時が多いのだが、今回はそのプレッシャーが珍しく、同僚の教授・准教授・講師陣に向けられる形となった。

 

 場にいた何人かは、その圧力に負ける形で、すごすごと顔を伏せた。かく言う私ことワーズワースも、脳裏に浮かんでいた疑問を呑み込んで、首を縦に振らざるをえなかった。

 

 この瞬間、全会一致の確認が取れた。今年の合格者、決定である。 

 

「それでは皆さん、長い間お付き合い頂き、有難うございました」

 

 ウィッシュアート学長が座ったまま礼をする。それを皮切りにして、全員を固く縛っていた緊張の糸が、やっと緩んでいくのを感じる。毎年恒例のイベントではあるが、やはりその意味を考えれば、審議中は真剣にならざるを得ない。

 

 通す者と、落とす者を、選ぶ。我々の選択によって、文字通り人生が変わってしまう。合否を決めるとは、そういうことだ。

 

 これが一般の勉学を扱う大学であれば簡単だ。正解の答えを問うという、誰かの主観に依存しない公平な選抜方法に委ねることもできるから。科学において、答えが定まる問題は用意できるから、それで能力を測れば良い。

 

 しかし、ここは藝術大学だ。国内最高、世界でもトップクラスとされる、藝術大学の最高学府だ。こと芸術という分野において、答えが定まることなんて、あってはならない。だから本学での受験でも当然、答えの定まらない要求がされる。

 

 つまり、教授個人の主観や好みによる評価が、合否に大いに反映しうるとも言えるのだ。複数人による合議で決定するとは言え、合格者決定の作業がいかに責任が求められるか、分かるというものだろう。

 

 我々も教育者である以上に創作者だ。誰かに評価される重みは知っている。アートとは結局、評価が全てだ。ここに居る者達もかつて、誰かに評価されたことで、藝大講師というポストを得たのだから。

 

 この王立総合藝術学院は、世界的に見てもかなり異色な藝術大学だ。最も特徴的な点と言えば、やはり専攻に依らない共通課程が1年目にあることであろう。

 

 絵画・彫刻・工芸・服飾・デザイン・建築・先端芸術。本学にはこれら7種の専攻があるが、どの専攻の学生であれ、1年目は必ずこれら全ての分野について一通り触れさせられる。

 

 その点もあって、本学では専攻が違う教授同士で、共同作業を行うことも多い。

 

 これはこの大学が、リベラルアーツという概念を重んじていることによる。分野という縛りから解き放たれた、多角的な視野を持つ人材。そういった者達こそが、将来のアートを牽引する者となるべき、という思想であった。

 

 本学の受験プロセスにも、この点は反映されている。ウチの選考プロセスは、二次審査までは専攻によらず共通なのだ。そして三次審査以降であっても、他専攻の教授も採点に加わる。こんなシステムになっているのは、私の知る限りにおいては此処だけと言ってよい。

 

 まず一次審査は、ポートフォリオによる書類審査。ポートフォリオとは、自分の作品を簡潔にまとめた、自己アピールのための作品集のことだ。ウチを受験する生徒は皆、自身が作ってきたもののうち、厳選した12作品を掲載したポートフォリオの提出を予め命じられる。一連の作品を作り上げるだけでも数カ月から1年はかかるものだが、それぞれの教授達が眼を通す時間は流し見程度だ。ただし残酷ではあるが、これを通過した時にはもう、志願者は5分の1程度まで減っている。極端な話、この時点で足切り未満は弾いておかないと、続く審査にゆっくり時間がかけられない。

 

 続く二次審査は素描。すなわち、デッサンである。本学の試験会場にて対象物を指定され、制限時間内でその場でデッサンを行う。対象物は学生が志願する専攻によって異なるが、デッサンが出題されるという点は専攻関わらず共通だ。ここで作品制作に必要な空間把握と情報出力の両面について、基礎力が十分身についているか判断する。ウチの7専攻のいずれにおいても、必須となる能力だ。

 

 三次審査で、ようやく各専攻それぞれが主題とする作品の製作試験へと分野が別れる。受験会場で漠然としたテーマを受験生に投げ、それに従って各々の判断で制作を行ってもらうのだ。たとえば今年の絵画専攻での問題は、「人物画を描きなさい」だけで、他は自由だった。

 

 そして最後に四次審査、面接。ただ、一般的に想像される面接とは、勝手が違うと考えてもらいたい。面接に臨む教授達の机には一次審査のポートフォリオが並べられ、受験生の横には二次・三次審査の作品が置かれる。その状況で、面接という名の作品講評をされるわけだ。どの点に注力したのか。何故そのような作品にしたのか。専門が異なる12人の教授達に取り囲まれた状況で、そういったことを徹底的に詰められるわけである。

 

 四次審査まで到達した時点で、入学に値するだけの最低限の実力は認められていると言ってよい。三次審査までは、レベルに値しない者達を減点していく方式で採点が成されるから。しかし、四次審査ではそういった採点基準が一変する。すなわち、何か光るものがあるか。受験生の回答と合わせて作品を見て、心揺さぶられるものがあるか。そういった観点から、才能の原石を選び取る形へ変わるわけだ。

 

 上手いだけは、四次で落ちる。誠しやかに囁かれる噂である。実際、そう間違っていないと思う。芸術予備校などに通って何年も受験芸術を勉強してきただろう、非常に上手い作品群。それを提出した者が四次審査の場になって突然、「もう見飽きた」と切り捨てられる様を何度も見てきた。

 

 逆のことも言える。四次審査では、教授の過半数の評価を得る必要は、実はない。たとえ多くの教授から疑問を呈されたとしても、ある1人が強く推すようなことがあれば、それで通過するようになっている。一部の者達が強烈に惹かれるナニカがあれば、癖があっても良いという訳だ。

 

 そしてこの最終関門である四次審査の結果についての相談が、つい先程にやっと終わったわけである。肩の荷が下りるというものだ。

 

 他の教授・准教授達が次々と椅子を下げ、立ち上がっていく。会議室を後にするためだ。

 

 それを皮切りにして、一部教授達同士で歩きながらの談笑が始まり、それが遠ざかっていく。

 

「いやぁ、今年はあの子が全部持ってったな! 笑ったよ、アレは!」

 

「まあ、面白い子が来たな、とは思ったわね」

 

「私は大嫌いです。表現の自由を失礼と履き違えていませんか? 直接喧嘩売られたようなもんですよ。腹立ちません?」

 

「そりゃあイラついたとも。だからこそ、此処で徹底的に扱いてやろうと思ってな」

 

「まあ、常識で測れる器じゃなさそうという点は認めますがね……」

 

 立ちどころに吹き荒れる、賛否両論。……ただ誰も、「"あの子"って誰のこと?」とは訊かない。そんなことは、訊くまでもなく分かるからだ。合格者は51人いるのに、"あの子"だけで誰を言っているかが分かる。つまり好印象にしろ悪印象にしろ、彼女はそれほどまでに教授達の記憶に自身の存在を刻みつけた。それは紛れもなく、芸術家としては成功なのである。

 

 皆が口々に感想を述べる件の彼女。メアリーについて、私はこれまでの選考課程を思い返していた。

 

 

 

 

 一次審査は時間との勝負だ。だから流れ作業的にサッサッと通過/非通過の仕分けをしている中で、そのポートフォリオだけは軽く捲った瞬間に手が止まった。

 

「なんか変な世界観したヤツが来たな」

 

 軽く見るつもりだけだったとしても、関係ない。真に魅力的な作品はその一瞬で、見る者を釘付けにして離さなくできるだけの魔力がある。

 

 描かれている題材は抽象的かつ幻想的なのに、独特のタッチと抜きでリアル感を演出している。陳腐な表現ではあるが、「飛び出してきそう」とか「吸い込まれてしまいそう」とか、そんな言葉がよく似合うだろう。

 

 明らかにゲルテナの影響を強く受けているな、とすぐに分かった。私自身、かつて生きていたら弟子入りを志願していただろう程に尊敬していた芸術家だったから、一目見てピンと来た。

 

「こいつは通るな。十中八九」

 

 まだ一次審査の段階でしかない。しかし、このタイミングでそう思わされた時点で、その予測はそう外れないと、これまでの経験から知っていた。

 

 ポートフォリオを閉じ、一次審査通過の箱へと書類を入れる。その途中、表紙に添付された願書の顔写真が見えた。ウェーブがかった金髪に、パッチリ透き通った青い眼。美人な女性である。

 

"メアリー、ね……?"

 

 かつて、どこかで見たような気がしないでもない。ただ、特に知り合いではないはずで、そこで考えるのは打ち切ることにした。審査しなくてはいけない書類は、まだ山積みなのだ。

 

 続く二次審査と三次審査。面倒なことに、若い准教授の立場である私は、試験会場での監督役をやることになった。とは言え、カンニングなどの問題が発生しえない藝大受験の試験監は、そこまで気を張り詰める必要がある仕事ではない。そもそも、制限時間は昼休憩含んで7時間である。制限時間をどう使うかは受験生達の自由で、好きに会場から外に出たりしても良い。そんな状況で、そこまで見張りに気を引き締める必要は無い。

 

 絵画専攻の二次審査課題は石膏像デッサンであった。なんとなく私は気になっていたメアリーの様子を確認しに行ったのだが、ここで私は面白いものを見つける。

 

 彼女メアリーは、最初こそしげしげとデッサン対象の石膏像を見つめていた。だが、いざ鉛筆を手に取れば、石膏像を一瞥もせずにずっと紙に向き合い始めた。

 

 デッサンとは、眼の前にあるモチーフをそのまま描く行為である。であるが故に、観察をするという行為が非常に重要だ。自身の記憶に頼り過ぎたデッサンは、主観による改変を受け、現実からかけ離れたものになるというのは常識である。記憶頼りのデッサンは、プロでも難しい。

 

 しかし、メアリーが描き上げていく石膏像のデッサンは、そういった歪みを一切感じさせなかった。視線を石膏像に移さなくても、白紙の上に石膏像が見えているのかと錯覚しそうになる。そうして出来上がった作品は、トップクラスの完成度だった。

 

 デッサンは、才能以上に、数である。自由になんでも表現してよい状況では、その無限の択の中で何を選ぶかという点において、本人の資質センスは絶対に無視しえない。しかし、こうやって同じ対象をそのまま描くという状況では、研鑽にかけた時間が如実に現れる。

 

 このため、この二次審査は浪人生の合格率が特に高いとされる。単純に今まで練習に費やした時間や描いてきたデッサンの枚数の差が、そのまま表れてしまうことが多い。

 

 3、4年の浪人が全く珍しくない本学の受験生達に対して、メアリーは現役生であった。つまり、純粋な基礎技量が問われるこの二次審査が鬼門になるかもしれないと思っていたが……どうやら杞憂のようである。受験生の中で一回り若い彼女はしかし、十分な修行を既に積んでいるようだった。どうやら、彼女はここにいる者達と比べてもさらに早い頃から、スタートを切っていたと思われる。文句無しの通過であった。

 

 三次審査。絵画専攻のお題は、「人物画を描け」である。

 

 受験生の多くは、自画像を選んでいるようだった。描いている対象が自分であれば、メッセージを込めやすいからだろうと思われる。極端な話、評価する我々教授陣営が知らない者が描かれた場合、メッセージが伝わりにくい可能性があるからだろう。まあ、鏡があれば簡単にモデルが準備できるため、描き慣れているから、と安直に選んだ人も混ざっているかもしれない。

 

 さて、彼女は誰を描くのか。それを楽しみにしている私がいた。目ぼしい受験生の製作過程を真っ先に見れるのは、監督役に許された特権である。

 

 彼女は油絵にすることを選んだようで、キャンバスに絵具を敷き始めた。バックの色を塗り終えると、下書きとなる色を置き始める。

 

"ほう? 複数人、ね……"

 

 筆の動きがぼんやりと何人かの人影を成した段階で、それに気付いた。

 

 1人でなくてはいけない、という決まりはない。全て自由である。ただ、複数人はある種のリスキー性とも隣り合わせだ。どうしたって描く一人一人に割り当てられるエリアは小さくなるし、全体の印象が希薄化しやすくい。その点をどう彼女が対処するかが、最大の見物となるだろう。

 

 そうして全ての人型の輪郭が描かれ、いよいよその顔に筆が入れられ始める。やっとここで、誰が描かれているか読み取れるようになってくるわけだが………。

 

"あれ? この端のやつ、俺だよな……? というか、描いてるのはウチの教授達、ってことか"

 

 キャンバス左下の人の顔に、とても見覚えがあった。毎朝、鏡の前で見るという点で。そして彼女が手を進めるにつれて、他の描かれた人々も同僚の顔をしていると気づく。

 

"……ふむ。写真を持ち込みもせず、よく特徴を捉えている。憶えてきたのか……?"

 

 ただ写実的に描いた絵ではない。それぞれの人物の特徴を適度にデフォルメ・強調している。そのことで、小さく描かれていても、存在感を失わないように描かれていた。

 

 誰を描いているか伝わりやすいように、審査員が必ず知っている人物を描こう。そういうことだろう。それで関わる複数の教授をまるごと描こうとする思い切りの良さは、なかなかである。

 

"……ただ。これは好き嫌い別れるぞ"

 

 まず気になるのは、デフォルメが入っている点。これはその人らしさを強調する手段として、個人個人を際立たせる効果をもたらしている。ただ、似顔絵を描かれた側からすれば、その強調点がコンプレックスだったりすると、「風刺されている」と不愉快に感じる危険性を孕む。

 

 また、それとは逆に。これは下手すれば、「審査員に媚びている」と評価する人もいるかもしれない。

 

 「審査員である教授陣のために、描きました」。それ自体は、親切だ。でもそうやって他者に配慮してしまうということは、「確固たる自己が無い」とも捉えられうる。見る者を想定して作品を創るのは大切だ。しかし、見る者に合わせた作品では、作者の主張が消えてしまう。

 

 芸術とは、表現である。極論、どんな高尚な技量だってそのための手段に過ぎない。そしてその原点を守り続けることは、プロとして誰かからお金をもらう立場になると、もっと困難なものになっていく。逆に言えば、まだ学生の立場であるのに、それが揺らいでしまうなら、この後の面接で落とされる可能性は否定しきれない。

 

 期待していた彼女の未来に一点の淀みを感じ、聞こえないほど小さく息を吐く。ちょうど彼女が最後の1人を描き終えたタイミングと同じだった。

 

 改めて完成像を見る。技量としては他の受験生達と比べて十分高いから、問題なく三次審査自体は突破だろう。問題は四次審査、か。

 

 ……? 視線の片隅で彼女がまだゴソゴソと、沢山の絵具チューブとバケツ相手に格闘している。まだ何か、手を入れるところがあるのか?

 

 絵具バケツの1エリアは、紅に染まっていた。単なる市販絵具の赤ではない。赤と黒と黄と白を混ぜ、血を思わせる紅い液体が、なみなみと底に溜まっていた。こんなに大量の紅を入れる場所なんて、この絵に残っている訳が……。そう思った、時だった。

 

 彼女はおもむろに左腕をまくると、その左手を自らが創り出した紅へと突っ込む。そして……。

 

 バアアァンッ!!!!

 

 その紅く塗れたままの手を、今しがた自分が描いたばかりの絵に向かって叩きつけたのだ。滴る液が弾け飛び、返り血のように彼女の顔と衣服を紅く汚す。

 

 突然響き渡った巨大な音に、周りの受験生達の視線が集まるのを感じる。

 

「え、何あれ……。こわ……」

 

「失敗してヤケになった?」

 

「どーせ他の人動揺させて邪魔しようって魂胆でしょ」

 

「ライバル減ってラッキー……」

 

 私に言わせれば後ろ向きとしか思えない独り言を受験生達が零すのを耳にしながら、私は自身が直接張り手を喰らったかのような衝撃を感じていた。眼の前には絵の中の教授陣達全てに向けて一発くれてやったかのように、彼女が今しがたつけた赤い手形がベッタリ。一見すれば、台無しである。しかし本当はこれこそが、この作品のあるべき姿なのだ。私は勝手に、作品の完成を早合点した。

 

 「こんなものは人物画ではない」とか、「教授陣全員をバカにしている」とか、そんな評価を下されてもおかしくない所業。それを躊躇なく実行できる胆力に、しかし私はゾクゾクしていた。ああ、「この子の話が聞いてみたい」と。そう思わされた時点で、三次審査の結果なんて、分かり切ったものだろう?

 

 そして、遂に。四次審査だ。12人の教授達が並ぶ中で、彼女の番がやってきたのだ。

 

 ポートフォリオの作品それぞれの意味についてなどの、受験生全員に訊く質問もそこそこに、議題はすぐに本題に入ることになる。

 

 ウィッシュアート学長が、代表して訊いた。

 

「三次審査で描いてもらった、その絵。私達ですよね。どういう意味ですか?」

 

 それに対し、彼女メアリーは目を逸らすことなく、こう言い放つ。

 

「……見たままの、通りです」

 

「見たままとは?」

 

「私は貴方達全員も超えていくつもりで、此処に来たの。コレはその宣戦布告の証」 

 

「なっ!? 失礼だぞ、君!」

 

 それまでは拙いながらも丁寧語を維持していた話し方が、それを皮切りに彼女から消えた。そんな彼女の答えに対して、反射的に教授陣の一人から野次が飛ぶ。芸術家として力量は高いが、だからこそプライドも高い典型例のような教授だった。

 

 彼女の口調や振る舞いからは、これから教わろうという相手への遜りは無かった。そしてその傍若無人で堂々とした態度は、しかし彼女に似合っている。

 

「逆に訊くけれど。受験の課題として出す作品に、込めるべき気持ちってこれ以外にある?」

 

 ギラつくその青い目で真っすぐに見返されて、誰も彼女に反駁できない。彼女の纏う確固たる自信が、私達に反論の言葉を紡がせない。

 

「私は、本気で、教えてもらいに来たの。ここに並んでる貴方達にはみんなそれぞれ、自分の世界があるんでしょ? 全部残さず、教えてよ。貴方達が持ってる世界も全て、私はこの眼で見てみたい」

 

 その空気に、私達は呑まれかけた。まだ20年にも満たない若人よりも、ずっと長く生きてきたはずなのに。

 

「……メアリー君。一番身近な人って言われて、誰を思い浮かべますか?」 

 

 突如。試験となんら関係無いと思われる質問が、学長から投げかけられた。「何訊いてんだコイツ?」といった訝しげな視線が眼の前の彼女からだけでなく、他の講師陣からも向けられる。

 

「? それって何か関係ある?」

 

「ええ、とても。とても大事な話です」

 

「……イヴ。私の、お姉ちゃん」

 

「……なるほど。良く分かりました、ありがとうございます」

 

 そんなよく分からない質問を最後に、あの印象的な彼女との面接は終わりを告げ。

 

 そしてその場面を区切りに、私のこの回想も一旦切り上げることとなった。

 

「皆さんもう退出されましたよ? ワーズワース先生」

 

 気づけば、残っているのはもう私とウィッシュアート学長のみ。片割れの私は座ったままで一切動かず、ウィッシュアート学長も書類を整理しているだけだったので、さっきまで真剣な議論がぶつけられていた場とは思えないくらい、部屋の中は静かだった。

 

「いえ。学長に個人的に訊きたいことがあったもので」

 

「ほう?」

 

 ウィッシュアート学長は眼をしばたかせながら書類を机にまとめて置くと、掌をこちらに向けて先を促す。その仕草を確認したところで、私はずっと抱えたまま切り出せなかった疑問を口にした。

 

「どうして。メアリーの姉、イヴを合格に推したんです?」

 

 その言葉を聞いた学長が、片方の眉をゆっくり吊り上げるのを私は見た。

 

「おや? イヴさんは我が校で学ぶに当たって、十分過ぎるほどの基礎力を備えていました。それは先生も同意したことでは?」

 

「煙に巻かないでいただきたい。しっかりとした土台があるか、特別光るものがあるか。その2つは全く別の話だ。そんなことは、学長だって分かっていることでしょう?」

 

 イヴという女性は、メアリーとはあまりにも対極的だった。見目の印象だけを言っているのではない。その有り様が、である。本当に血が繋がっているのか、疑ってしまうほどに。

 

 芸術家なんていう奇特な職を目指していることを疑うレベルの、真面目な優等生。それが面接ですぐに抱いた第一印象である。どうしても自己主張が激しくなりがちな藝大受験生とは信じられないほど、礼儀正しく受け答え振る舞いも洗練していた。

 

 作品も基本に忠実で、とても教科書的で上手かった。デッサンからも、先生から教わったことを何度も何度も繰り返してきただろう道のりが透けて見える。アートに対して、どこまでも真摯で実直だ。そんな作品達を見せられて、それが示唆する人間性に好印象を抱かなかった者は講師陣の中にいなかったと思う。

 

 ただ、作風がオーソドックス極まりなかった。誰もバツをつけない王道は、個性が無いことと表裏一体。作品を通して、彼女の顔が見えてこない。

 

 才能が無いわけではない。そもそも才能が無い者が、本学の四次審査まで来れるわけもない。ただ、どうしようもなく……我々教授陣にとっては、見飽きた程度の才能だったということだ。

 

 そうして教授達の誰もが彼女の中に特別な何かを見出だせず、遂にその不合格が決まろうとした、その時……。ワーズワース学長の鶴の一声で、一気にひっくり返った。それがあの時に起きた顛末だった。

 

「現役生としてあのタイプが受けてきたら、落とすべき。私のみるかぎり、それが今までの学長のスタンスだったはずです」

 

 本学限らず、芸術大学における浪人率は高い。四浪・五浪は当たり前だ。

 

 残酷だと思うだろうか? しかしあえて言おう。そういった「不合格」で、芸術という魔物から早々にドロップアウトできた者達は幸運である、と。

 

 芸術家という職業は、天才ですら「生きているうちに評価されない」なんてことがざらだ。そして他者から見向きもされない作品など、言ってしまえばゴミである。真っ白なキャンバスや彫り出す前の石材の方が、素材としての使い道が思いつく分だけよほど価値があるというものだ。我々は貴重な材料を使って、生きる上ではなんの役にも立たないゴミを作る仕事をしているのである。芸術が金持ちの道楽と称されるのはありがちだが、そう的を外した表現ではないだろう。

 

 こんなにもコストパフォーマンスの悪い仕事が、他にあるだろうか。たかだか数年の挫折で、割りに合わないと思えるだけの頭の良さがあるなら。もっとマトモな進路を選んだ方が、よほどマシな人生を歩めるに違いない。

 

 だからこそ。学長も私も、基本的に「迷う程度の受験生は落としてしまえ」と思う立場で共通している。こんな道を進むのは、他の道など選べないようなどうしようもない、取り返しのつかない者達だけで十分であるがゆえに。そしてメアリーには、確かにそんなオーラがあった。

 

「なまじ努力の跡が見てとれるからこそ、いっそう憐れですよ。ああいった子は壁にぶつかる度に、これでもまだ足りないんだと考えます。その根本の原因は、本人にはどうしようもないところにあるというのに。まだ取り返しがつく若いうちに引導を渡してやる。それが優しさだったんじゃないですか?」

 

 彼女イヴは、どこまでもマトモ過ぎた。それは普通ならとても評価されるべきことであるはずなのに、この世界に居続ける限り、それで彼女は否定され続けるだろう。決定的に、芸術家に向いていない。

 

 学長がこれまでもあのような優等生タイプの受験生を通してきたなら、価値観の相違と納得したかもしれない。しかし、そうではない。今回だけが例外だった。

 

 私は続ける。

 

「……もちろん、これは彼女に限った話ではありません。芸術を志す者達は遅かれ早かれ、いずれそういった壁には絶対にぶつかる。でも、言い方を変えるなら。入学の段階で躓いているようでは、やはり彼女にこの世界は向いていないと、私には見えました」

 

 私が話す間、学長は机の上に両肘をついたまま手を組んで、じっと眼を閉じていた。そうして私の言葉を脳内で反芻した後、おもむろに口を開いた。

 

「そうでしょうね」

 

「……!? なら、なぜ!?」

 

「……彼女を合格にしたのか、ですか?」

 

 私の疑問を予想したのか、学長はゆっくりと細眼を開けて、私に言葉を重ねてきた。

 

「ワーズワース先生。本学の理念を、今ここで言えますか?」

 

「……? 『人間らしい社会の形成に貢献できるような、高い専門性と豊かな人間性を有する芸術家を……」

 

「ああ。違う、違う。そんな薄っぺらい建前じゃない、本物の方のことですよ」

 

 学長の意図を量りかねながら、本学の理念を思い浮かべ読み上げ始めると、すぐに学長に遮られた。間違っていない自信はあったのに。そこで改めてヒントを与えられて、やっと学長が言ってほしい本音の理念とやらに行き着いた。

 

「アレですか。『何年かに一人、天才を作り出せればそれでいい』。こっちのことですか」

 

「ええ。ちゃんと真の理念も伝わっているようで安心しました」

 

 本学の学生は、入学時の学長挨拶で、決まってこう言われるのだ。「何年かに一人、天才を作り出せればそれでいい。他の学生は、そのための礎。ここはそういう大学です」と。いよいよ華の大学生活が始まって早々に告げられるこの言葉は、その単純にして凶悪な印象も相まって、裏理念と呼ばれて学生達に深く浸透している。それはもう、表の公式理念が霞むほどに。

 

 そして今、わざわざこの言葉を引っ張り出してきた意味に思い至り、絶句する。

 

 天才。この場面でその単語が差しそうな人物は、たった一人しかいない。

 

「まさか……。メアリーの、あの子の姉であるという理由だけで、彼女を合格にしたんですか!!??」

 

「その通りですが?」

 

 カッ、と頭に血が上る感覚が分かった。紛れもなく、今の私は強い怒りを抱いていた。

 

 眼の前の人物は、こう言っている。「天才であるメアリーの踏み台にするために、彼女の姉であるイヴを入学させた」と。冗談ではない。

 

「学長……貴方、何様ですか!? 確かに芸術は、最終的には一握りの天才が独り勝ちし、ほとんどが消え去る残酷な世界です。でも、だからこそ! 私は学生一人一人と相対する時、どうかその天才になってくれと信じて、いつも教えているつもりです! どうか天才の踏み台になってくれ、なんて思って指導している子は一人もいない!」

 

 私も先の裏理念には、深く共感するところがある。芸術は結局、実力主義だ。強い者が、弱い者を食い散らかす。ゆえに芸術家の卵を集めた此処は、いわばある種の蟲毒のようなもので、最終的に生き残った勝者のために、他の者達は存在する。それは客観的な事実に他ならない。

 

 しかし。たとえ最終的には、そのほとんどが礎になる運命だとしても。一番最初の段階では、集められる者達には全て、最後まで生き残れる可能性があるべきだ。その可能性があるから、「学生のために大学はある」という体裁が、かろうじて本学でも守れるのである。

 

「それだけじゃない! 私はてっきり……! 私には見つけられない、しかし学長には見つけられる何かが、彼女イヴの中にあって、それを評価したんだと思っていたんです! それなのに……、貴方はメアリーのために、イヴの評価を曲げたんですか!? それの何処が正当な評価ですか!?」

 

 皆、本気で人生を賭けて、こんな分が悪い世界を歩んでいる。それなのに下される評価が、自分の実力以外のところにあったりしたら……。納得できるわけが、ないだろう。

 

 芸術は、実力主義でなくてはいけない。そうでなくては、美しくない。それを汚したと言っているに等しい学長を、私は侮蔑の眼差しで見据える。

 

「……メアリーは、不思議な子でしたね」

 

 私からの睨みを無視したまま、学長はぼんやりと宙を見上げると、ぼうっと呟く。この期に及んで、まだイヴ自身を見ることなく、メアリーのことしか頭に無いのか。そう弾劾を続けようとして、でも。

 

「不思議な子、止まりでした」

 

「……はぁ?」

 

 予想外の言葉に虚勢をそがれた。どうせメアリーを褒める言葉が続くと思っていたのに。

 

「キチガイでも、バケモノでもない。独特な雰囲気の子でしたが、普通に会話が成り立つ人間でした」

 

「なにを、当たり前のことを……」

 

「本当にそうですかねぇ……?」

 

 ウィッシュアート学長はパチンと一回だけ両手を打つと、ふてぶてしい笑みでこちらを見やる。

 

「私、この仕事柄と幸運に恵まれて会うことができた、ある一人の天才が今でも記憶に強く残っているんですけど」

 

 そこで一旦学長は、どこか憂いたような表情で長い長い溜息を吐く。

 

「話が、通じませんでした」

 

「え」

 

「既存の概念に囚われない、全く理解できない世界観の作品を創り上げる人でした。真の天才とはああいう人物であると、私は今でも思います。……ただ、彼は私達とは違いました。違い過ぎました。彼には、私達の観えないものが観えていました。彼には、彼の世界独自のルールがありました。そして彼と私達は、平行線で、対極で、住む世界の常識が違い過ぎて、まともにコミュニケーションができませんでした。結果。彼が、彼の作品が、この世界に受け入れられることはありませんでした。天才ではなくキチガイと扱われたので、そもそも競争の土俵の上に立つこともできなかったんです。もしもそこまで辿り着けたら、きっと彼は素晴らしい世界を見せてくれただろうに、そんな結末になってしまったことを、私は今でも後悔しているんです。何か私に出来ることは無かったのか、と」

 

 芸術をちょっとでも齧ったことがある者なら、ギフテッドやサヴァンという言葉を、一度は聞いたことがあるはずだ。才能が作品という形で実体化するこの世界では、類稀なる創造性を持つ天才の存在は目立ちやすい。

 

「私、思うんです。天才とは彼のように、自分の中に閉じた世界を持っている者のことであると。世界が自分の中で閉じているんですから、そんな天才と理解し合うのは、本当に途轍もなく難しい」

 

 ただ、これら天才は凄いところだけがクローズアップされ、それによって併発しがちな問題については見過ごされがちだ。特にサヴァンに至っては、いわゆる自閉スペクトラム症の一種であるとされている。発達障害という単語を宛てるのが適切かは人それぞれ意見があるだろうが、少なくともそんな言葉が産まれるくらいには、天才とは良いだけのものではないということだ。私達が死ぬほど追い求めてやまない才能は、他者と違うことを、普通ではないことを強要する。

 

 自分の世界にあるルールに強いこだわりがあり、全てが0or1の極端思考。完璧主義と言えば聞こえは良いが、適度に調節する柔軟性がない。それが人間関係に現れると、丁度いい距離感を掴むということができず、周りは全て敵味方の2択。そして一度敵だと思ってしまえば、そのまま他者への攻撃性へと繋がってしまう。

 

「ですから。メアリーを、メアリーの作品を、一目見て思ったんです。どうしてこんなにも違う世界観の持ち主と、普通にこうやって話せているんだろう。彼女はどうやって、自分と他との違いという、常人にとっては簡単でも天才にとっては難しい、障害を乗り越えられたんだろう。だから、訊きました。彼女にとって、最も身近な他人が誰か」

 

 ごくり、と口の中に溜まった唾を呑み込んだ。その答えは、知っている。メアリーは最も身近な人として、姉であるイヴの名前を上げたのである。あのどう考えても審査と無関係だと思われた質問に、こんな意図があったのか。

 

「そうして告げられた彼女の姉イヴと、幸運にも面接会場で話す機会があって、その立ち振る舞いを見て思ったんですよ。メアリーを我々と普通に話せるまでにしたのは、この子なんじゃないだろうか、と」

 

 学長に言われて改めて、初めて私はイヴとメアリーを並べて考えた。どこまでも対極的なこの2人は、しかし互いに揃っていることで、やっとバランスがとれるのかもしれなかった。

 

「先程ワーズワース先生は、天才の踏み台になってくれ、なんて思って教える生徒はいないとおっしゃいましたね? でも、そんな踏み台にすら、まともになれない者がどれだけいますか? 才を羨み、差異をあげつらって、足を引っ張り、出る杭を打つ。それによって埋もれたまま、表舞台に立つことなく消えているだろう才能が、この世界には数え切れないほどあるはずなんです。……いや、私は別にそれを責めたいわけではありませんよ? 理解できないものを理解しろというのが、そもそも無理難題なのであって、出来ない方が普通でしょう。私自身、そうだった。……だから私は、それをやってのけているかもしれない彼女を、評価しているんですよ。メアリーという才能を、他の人にも受け入れられやすい形にして、私達の世界へと連れて来たこと。ある意味では天才という作品を作り出したとも解釈できるそれは、我が校の理念によく一致し、合格最後の一推しとする輝きとしては十分だろうとね」

 

 学長の言葉は紛れもなく、メアリーではなくイヴを対象としてのものだった。そうして本人を見て下された評価であるならば、それはもう他人がどうこう言える領分ではない。私自身、ここまで強く言われれば、ある程度の納得感もある。……ただ。

 

「……貴方の評価基準は分かりました。もうそれについて、文句をつけるつもりもありません。……でも、最後に一つだけ。どうかこれだけは言わせてください」

 

 そこで一区切りして息を入れ。そうして溜めた息の全てを、浮かんだ言葉と共に吐き捨てる。

 

「……地獄を見ますよ、彼女。この芸術の世界で"行儀が良い"とはどういうことか、すぐに知ることになる」

 

 そしてそんな私の捨て台詞を聞いても、学長はその瞳を揺るがせもせず、ただこう返すのである。 

 

「……地獄。地獄、ですか。地獄なら、彼女はもう見飽きてますよ。才能の隣に立ち続けるとは、そういうことです」

 

 

 




評価・推薦をねだるこの行為、
恥ずべきこととは分かっている。

しかしその一票の有る無しは、
日の目を見るかを左右する。

「この作品にしてくれ」とまでは言えぬから、
どうか貴方の記憶に残り続けている作品を、
思い出してやってはくれまいか。
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