「……!」
迷いなく、瀬戸はコートのポケットからトリガーを取り出し、
「……失礼。それは、ご遠慮いただきたい」
おかしい。そんな言葉で脳内が埋め尽くされる。
彼女は、脳内で強く“トリガー解除”と願ったはずなのに、しかし、彼女の身体は、見目麗しき漆黒の異形に戻ることは無い。
代わりに、トリガーを握り、前方に掲げられた腕を、しなやかな男の手が掴んでいる。
「君のトリガーをハッキングした。そのトリオン体の換装を解くことは、今日の内は不可能だ」
隣を見ると、そこに立っていたのは、黒いスーツを身につけ、穏やかな表情を浮かべた伊達男であった。
しかし、瀬戸は彼の目を見た瞬間、不愉快そうに顔を顰めたのである。
男の黒々とした虹彩の奥は、何も見えない深淵であった。
「君の同伴者には眠ってもらっている」
瀬戸は思わず、自身の背後、反対車線の路肩に止まっている紫色の軽自動車に振り向いた。
男は、淡々と続ける。
「“警戒区域外では同伴者の承諾を得なければトリガーの解除を原則禁止”している特殊隊務規定に縛られた君は、ルールという面でも実力を発揮することはできない。違うか?」
そうあやすように言い、薄い笑みを浮かべた彼は、瀬戸の腕から手を離し、腰の後ろで手を組んだ。
「今、
その時、瀬戸の目に、校舎の壁を突き破り、侵入していくモールモッドの姿が目に入る。思わず、彼女は息を飲んだ。
「そんなに心配しなくても問題ないさゼットン。これを見たまえ」
その瞬間、瀬戸の目の前に、半透明のパネルが浮かび上がった。
そこには、崩落した瓦礫と刺々しいガラスの破片が散らばる廊下にて、モールモッドの威容に立ち向かう、身の丈ほどある半透明の近未来的な剣を持った、白い隊服の男が映っていた。
「君の友達が、うまくやってくれるだろうさ。何せ、片われは戦闘経験豊富な
「……」
ジロリ、と瀬戸の金色の瞳が、空洞な黒い瞳に向けられる。
「おっと、失敬」
男は、徐にスーツの内側を弄ると、一枚の小さな紙を引き抜き、流麗な動作で、瀬戸へそれを差し出した。
それは、彼の立場を表す名刺である。
「私の名前は“メフィラス”。
そうして彼――メフィラスが浮かべる笑みは、やはり中身のないものであった。
寒空の下に、破砕音のような轟音が響き、それが大気を揺らす毎に、小鳥達が焦って逃げ去って行く。
ついに、トリオン兵との戦いの火蓋が切って落とされたのである。
その最中、瀬戸とメフィラス両名は、歩道の中で対峙していた。
「……あなたの目的は、一体なんなのですか」
底冷えするような声で言った瀬戸に、手摺の上に腰掛け、片足を膝に乗せて寛いでいたメフィラスは、君の悪い笑みを貼り付けて答える。
「今は、プレゼンテーションの準備をしている。程なくして行う予定だ」
「内容を、ここで言うことはできないのですか」
「とんでもない。是非、君達には本番で見て、知ってもらいたい」
足を組み替えたメフィラスは、今度は、と言わんばかりに、少し笑い交じりに口を開く。
「しかし、君のような発達を遂げるものもあるのだな。かつての光の星の大量殺戮兵器が人との共存を選ぶとは」
「……」
「何故だ?」
瀬戸は、少しも目を逸らさずに、
「私は、友達と仲良く暮らしたいだけです」
メフィラスは、納得したように笑った。
彼は知っていた。
一人の地球人と禁じられし融合を果たし、その仲間のために戦った銀色の巨人。
自身と拳を交え、ある意味で勝利した巨人を。
(成程。
戦いの音が不意に消失する。
(……面倒なことだ)
しかし、不敵で不気味な笑みを絶やすことなく、彼は手摺から腰を離した。
目の前の瀬戸も、中学校の方を振り返り、内情を確認しようとしている様子である。
「勝ったのは彼等だ。……後は、自由にするといい」
そう言い、メフィラスは踵を返し、
思い出したかのように振り返って、
「また会おう、ゼットン」
その瞬間、彼の足元がドットのようになって、削れて行くように消え、それが全身へ波及した。
そして、彼の姿は、初めから何も存在していなかったかのように消失した。
__こ。
かこ。
加古!
「はっ!?」
目を覚ますと、灰色の天井が目の前に広がった。加古は、ぼんやりとした頭で、何が起こったのかを再確認しようとした。
しかし、今か今かと校門の前で待ち構えていた瀬戸を眺めていた辺りから、まるで霞掛かっているかのように、記憶を引き出すことができない。
ふと、彼女は左肩に重みを感じた。
「わっ!って瀬戸ちゃんか……」
振り向けば、鼻が擦れ合いそうな位置に、瀬戸の顔面が置かれていた。
「良かった。問題なさそうですね」
「……その口ぶり、色々知ってそうな口ね?説明してくれるかしら」
こくり、と頷いた彼女は、顔を突き出して助手席に四つ這いになったそのままの状態で、ことの顛末を説明した。
そして、最後にメフィラスの名刺を加古へ手渡す。
「これまた一筋縄じゃいかなそうな相手ね……」
名刺を眺めている中、垂れてきたサイドの髪を手で押さえながら、加古は珍しく、人前で緊迫した表情となる。
「んー、流石に報告に戻らなくちゃいけないわね」
(でも……)
そっと瀬戸へ目をやると、露骨に俯いていた。それが何を表しているのかは、火を見るより明らかであった。
(どうしたものか……)
時刻を確認すると、既に放課後に入っているだろう時間である。そもそもがトリオン兵に学校が襲われたのだから、学生はさっさと家に帰されてしまうだろう。
(ま、市民に敵対しない
と、ボーダー隊員としての理屈をこねくっている時であった。
加古は、赤い隊服が目につく三人組が、学校の敷地を飛び跳ねて行くのを確かに見た。
「……あ」