玉狛支部の趣ある建屋から歩いて10分。
自動車と木枯らしが行き交う橋の上を歩いていた二人組の目の前に、それなりに人の行き交う住宅地が見えてくる。
「そういえば、人間観察って簡単に言うけど、一体何するんだ?」
ふと、頭の後ろで手を組んで歩いていた男――迅は、立ち止まって後ろを着いてくる、ニット帽を深く被った少女に話しかける。
「……」
しかし、共に立ち止まった彼女――ゼットンは、澄み渡る青空を見上げたかと思えば、そっぽを向き、果てには、借りた緑色のパーカーの裾を軽く握って項垂れる。
「考えていませんでした」
「ハハ……」
ブレない口調で、白い息と共に放たれたそれに、迅の苦笑いは禁じ得なかったのである。
ともかく、二人は住宅地の中へ入ることにした。
落ち着き払ったそこからさらに進めば、ゲームセンターや服屋などが集まる繁華街が広がっている。そこへ行けば、人の活動の一端が見やすいだろうと迅は考えたのである。
(うーん……改めて人間観察ってなんなんだ?……まぁ、取り敢えずは外に
「わははー!!!」
「まてー!!!」
「きゃー!!」
元気の良い、頬を真っ赤にして駆け抜けていった子供達を横目に、迅は冷たくなった素手を揉み、背筋をパキパキと鳴らす。
「……」
こうして何も考えないで歩いていると、いろいろなものに目がつくものである。
雨の滴った跡が濃い外壁から覗ける、日の照り返しがきつい蜜柑の枝葉、閉じた門の奥でいびきをかく番犬、そして、電線が交差する、まるで薄いベールのような雲がかかる青空。
耳をすませば、子供の、なにがそんなに楽しいのかわからない笑い声と、吹き抜けるさざめきが聞こえてくる。
「……」
ふと、迅はゆっくりと足を止め、後ろを振り返った。
「……」
しばらくその様子を眺めていた彼は、顔を伏せて口を抑え、少し肩を震わせる。
「鬼ごっこ、とはなんですか」
「おめえ大人なのにそんなのもわかんねえの!しょうがねえなぁ〜」
「お姉さん鬼やって!私鬼やだ!」
「鬼、鬼は何をするのです」
「追いかけてタッチするの!本当に何も知らないのね!」
世界を滅ぼす力を持った少女も、無邪気な子供三人に言い寄られ、三方を囲まれてしまえば、簡単に無力化されてしまうことが判明したのである。
「ふっくく……ははっ」
その事実が面白おかしくて、嬉しくて、迅は笑いを堪える素振りも見せずにいるのだった。
「迅、迅、……迅!」
動こうに動けないゼットンの無機質な救援要請が、静けさに沈んでいた住宅地を彩った。
ゼットンは手加減が苦手である。しかし、幼い精神性は、それ以上に“新鮮さ”に飢えているのであった。
「たっち」
「わぁ〜!」
住宅街の中心、街路樹の木漏れ日の下、平坦な声と、キンキンとした黄色い声が響くのは、遊具の少ない公園。
脇を抱え、容易く持ち上げられた、フードを被っている中に汗をかく女児は、上空から見守っている太陽のような笑みを浮かべる。持ち上げるゼットンは、変わらない表情であった。
「またみんなつかまえやがった!もう一回!!」
「……!」
彼女の後ろでは、鼻水を垂らしてギャンギャン吠えるのと、控えめに緑のパーカーの端を掴む男の子が控えている。
女の子をそっと下ろし、毅然とした態度を崩さないゼットンは、
「わかりました。誰が鬼をやるのですか」
そう言い、彼女が鬼を担当、全員を速攻で捕まえにかかるというのを、すでに10回は繰り返しているのである。
ふと、ゼットンは木陰に設置された、砂にまみれたベンチの方へ目を向け、
「迅、あなたは参加しないのですか」
「俺も?……よーし」
そこに座っていたのは、微笑ましいものを見るような表情を浮かべていた迅であった。
ゼットンの呼びかけに、したり顔で腰を上げた彼は、緩慢な動作で、木陰から柔らかな日差しの下にでた。
「うーしガキ共、お兄さんも参加____」
「やろうが来た!」
「きゃー!お姉さんの彼氏さん!!かっこいー!」
「え!彼氏……」
まるで暴風のような子供の覇気に「うお」と声を漏らした迅は、コキコキと首を鳴らして、悪戯っ子のようなニヒル顔となった。
「よーし、俺が鬼やってやる」
迅の標的は、“やろう”呼ばわりした敬意のない男の子である。
「てかげんしろー!!!」
「ふはは、歳上を舐めるでないわガキンチョめ」
迅は子供っぽい面があった。順当に二人を捕まえて、最後の最後に鼻垂れ坊主のお尻を優しく叩いたのだ。
ムキになって、拙い文句を垂れ続ける坊主の頭をポンポンと撫で、はーと白いため息を吐いた迅は、踵を返し、
「え……?タイマンでやるの……?」
「そういうルールなのでしょう」
そこにいるのは、腰を低くとり、いつどんな状況にも対応できるような体勢となったゼットンが、片時も迅から金色の瞳を離さずにいるのである。
「お姉さんがんばれー!!」
「敵をとってくれー!!」
「が、がんばれ〜!!」
子供たちの声援も相まって、実質迅は、降りるための梯子を外されてしまったようなものであった。
ポリポリと首筋を掻いた迅は、ブリッジ部の無いサングラスのズレを治す。
(まぁ……やるだけやるか)
くっと力をかけ、迅の身体は勢いよくゼットンへかけ出す。
そして、迅の掌が彼女の肩へ振り下ろされ、
「うおっと!」
しかし、その手は空を切り、迅の目の前に、見事に上体を逸らすだけで回避に成功したゼットンの無表情が炸裂する。
「よっ!」
すかさずもう片方の掌が迫るが、類稀な反応速度でその場から飛び退いたゼットンの前に、からぶるだけに終わる。
「えっ……」
「……」
迅は、何か致命的なズレを感じた。しかし、今更引いてしまうのも男が廃る。迅にも意地というものは存在しているのである。
「ッ……!!」
大ぶりのフェイント、半ば手刀じみた本命を織り混ぜ、迅のスピードは生身の限界に近づいていく。
「……」
しかし、それら全てをゼットンは涼しい顔をして捌いていく。髪の毛一本ですら、触ることを許されないのである。
そんな、ゼットンと迅の行う“鬼ごっこ”は、
「す、すげぇ……!」
「お兄さんがんばれー!!」
「お、お姉さん……!!!」
と、“ヒーロー”が3度の飯より好物な子供達には、より鮮烈に映ってしまうのは自明の理であった。
「はぁ、はぁ……」
(え?……終わらないの?これ?)
砂塵の中で、師走に近づく時期にも関わらず肩で息をし、汗ばんでいる迅と、無表情に構えるゼットンが対峙する構図は、完全にヒーローショーのそれだったのである。
(俺が捕まえるまで終わらないの!?)