カラカラと回る車輪の音。それほど広くはない馬車の中で身体は伸ばせず、そろそろ長旅にも飽きて来た女の姿が3つあった。
行き先はオルテミス、出た街はアイアント。到着まではあと数時間と言ったところだろうか。それでもまだ数時間あるという事実は酷く気疲れするものであったとしても、それなりに道が整備されて来た現在、大都市間の移動は40年前より遥かに短時間のものになっている。
「それにしても……アイアントに"混毒の森"対策の装備について話に行っただけなのに。なんだかオルテミスは大変なことになってたみたいですね」
「まったく、面倒なことは続くもんだね。これはある意味、私達がアイアントに行ってて良かったんじゃないかい?」
「確かにそうかもしれません。……こういう役割も、いつまでもマドカさんに押し付けていられませんよね」
「安心しな、今後はセルフィに押し付けられるよ」
「えぇ!?」
「そりゃそうだろ。一度やれちまったんなら、2度目3度目が来るのは道理さ。その時にも私が着いて行ってやれるかは分からないだろうねぇ?」
「うええ!?せめてエミさんが来てくれないと困りますよぉ!」
「あっはっは、アンタも幹部になったんなら腹括りな。いつまでも若さと未熟が言い訳になるわけじゃないんだよ」
「うぅ……シアンさんはどう思いますかぁ?」
「幹部ならやるべきだと思う」
「ぐふっ」
「……まあ、厄介ごとを持って来たのはこっちもかね」
チラと、エミはセルフィの隣に座る少女を見る。
金髪碧眼の愛らしい少女、年齢は15。特徴を言葉にするだけならば、アイアントから良さそうな探索者をスカウトして来たようにも見えるだろう。
しかしそうではない。この少女の出自に宿っているあまりに凄まじい爆弾は、出会った瞬間からエミが普通に頭を抱えたほどのヤバいものであった。……というか、むしろエミだからこそ、そのヤバさを理解せざるを得なかった。
(レンドもマドカちゃんも、なんならゼグロスも、確実に面倒なことになる……はぁ、どうして今頃になって"天域"の忘れ形見なんかが出て来たんだか)
40年前の邪龍討伐において活躍し、誇張なく最強を誇っていたクラン"天域"。そのクランについては、当時まだ3歳であったエミも間接的に色々と関わっている。
そして何より面倒なのが……このシアンという少女が、都市最強の男レンド・ハルマントンの急所にあまりに深く結び付いているということ。
エミとて正直に言えば『もうどうにでもな〜れ』という感じでオルテミスに連れて来ているのだ。そこにある諦めの感情は大きくて、けれどエミにとっても連れて来る以外の選択肢が取れないほどの重要な人物で。
……本当に、もう、本当に。
『オイ!降りやがれテメェ等!!』
『ひぃっ!?』
「……なんだい、盗賊かい?面倒だねぇ」
「行って来ます」
「あっ!ちょ、シアンさん!?」
「行かせときな、セルフィ。どうせ……」
「『高速』」
「あの速度に反応出来るような奴は早々居ないよ」
エミさえも知らない『高速のスフィア』。
きっとこの世界にはまだまだ自分が知らないようなスフィアが数多くあるのだろうと、今更になって思わせられる。少なくともそれは自分の新たなモチベーションになっているし、43歳になった今でも伸び代があるという事実に苦笑することにはなっても、気後れすることはなかった自分を見直す良い機会にもなって。
「意外と強かった」
「うわぁ!?は、早かったですね……」
「うん、『高速のスフィア』の強みだよ」
「はぁ。盗賊のスフィアを手に入れて、深層で宝箱を探して、まだまだやることは多いねぇ。思わず若返っちまいそうだよ」
3人はまだ知らない。まさかオルテミスでクラン合同の深層攻略計画が進んでいることなど。ましてやそれは本気も本気のものであり、45階層どころか50階層の攻略まで見据えたものであるなどと。
その日、リゼとレイナは呼び出されていた。
クリアは早起きをすることが出来ず、スズハは先日のこともあって、『暫くあの女と会いたくない』とのことで。何があったのかはリゼには分からなくとも、取り敢えず深くまで聞くことはなく、こうして2人だけで来た形である。
そしてそんな2人の前には今、思いもよらぬ人物が居る。いやまあマドカはリゼ達にこの人を紹介するために呼び出したのだろうけれど、それにしてもだ。
「こちら、"聖の丘"のクランリーダーをしているレンド・ハルマントンさんです。リゼさんもクランを正式に立ち上げることになったんですし、顔合わせくらいはしておくべきかなと思いまして」
「え、あ……えぇ……」
「おう、おじさんも噂は色々聞いてるぜ。……つぅか、そもそも一回迷惑掛けてるんだったな。強化ワイアームの件はすまなかった。謝罪が遅れたことも含めて、改めて謝らせてくれ」
「い、いや!謝罪はもうセルフィからも受けているし……!」
「それにしても謝罪が遅れたことは言い訳出来なくてだな……改めてこうして顔を合わせてなかったら、多分もっと後回しにしてたろうし」
「……マドカさん、意外とこの人クズなんですか?」
「レ、レイナ!初対面の人にそれは流石に失礼だろう!」
「まあ多少怒ってはいます」
「そ、そんなことはないですよ?ちょっとだけ不真面目なところがあるくらいですから」
「は、ははは……若者からのクズ扱いは効くぜ……」
レンド・ハルマントン。
彼は"聖の丘"のリーダーであるだけでなく、龍種対応の際などにおいて探索者達のリーダーを務めているような人物である。都市最強探索者としても名高く、オルテミスを知っていれば彼のこともまた同時に知っているのも当然と言うべき存在。
最近はアルファを取り逃がしてしまったことを機に、何かと落ち目な彼であるが、実際のところ本当に凄い人なのである。それこそ40年前の邪龍討伐によって壊滅的な被害を受けたオルテミスを、ここまで立て直した立役者としても。
それに『拘束のスフィア』さえ知っていれば、ちゃんとアルファだって捕まえられていた筈なのだから。……まあ知らなかったのでポンコツやらかしたこともまた事実なのだが。決してアルファより弱いなどという事はない。
「ええと、やっぱり初対面が謝罪から入るというのも気不味いというか。よろしければ気にせず、1人の探索者として接して頂けると嬉しいかなと」
「おお……こんな素直で良い子が出て来てくれて、おじさん泣いちまいそうだ。今後とも頼んだぞ、ラフォーレのこと」
「や、やっぱりそうなるのか……」
「あ、あはは……」
似たようなことを他でも聞いた覚えがあるが、やはり皆が求めるものは同じなのだなと改めて思うと、リゼもレイナも苦笑いするしかない。
それくらいラフォーレ・アナスタシアという女に彼等は手を焼かされていたということなのだから。きっと彼女の武勇伝は止まることを知らない、それこそマドカの母親らしく。それが良いものなのか悪いものなのかは別物として。
「ところでその、まさか紹介だけって訳でもないと思うんですけど……」
「ええ、レイナさん。ご察しの通りです。クラン合同遠征については以前に軽くお話しさせて頂いたと思うのですが、実はそれについてリゼさん達のクランにもお手伝いをお願いしたくて」
「え、私達がかい?」
クラン合同遠征、その噂は少しずつ街にも広まり始めている。まあそれほどの規模の遠征ともなれば商人達とも連携することになるので、準備の段階で情報が出回るのは当然の話ではあるものの。流石のリゼ達でもこの件は自分達には無関係なものだと思い込んでいた。
いくらレイン・クロインを倒したとは言え、自分達はまだまだ新米。ダンジョンの深層まで潜れるような知識も経験も力もない。故に甘く考えていたところがあるのだが……
「遠征とは言え、全戦力で単純に突き進むという訳ではないんです。各階層ごとに戦力を分けて、担当を作る。……例えば私とベインさんがリーダーを務めるグループは、45階層のインフェルノドラゴンを行きと帰りの2回倒すことになります。同じように40階層、35階層、30階層のそれぞれにグループが配置される訳です」
「どうしてそんな手間のかかることを……?それだと人数も資材もかなり使うことになってしまいませんか?」
「まあな、だが俺達の目的はあくまで50階層の黒龍の討伐だ。……どんだけ金が掛かったとしても構わねぇ、万全の状態で最高戦力を50階層に送り出す。これはそのための策だ」
「な、なるほど……」
「加えて言えば、深層の階層主を相手に数で押すのは無意味ですから。なるべく少数精鋭で、相性の良い探索者を当てる必要があります。……特に黒龍は情報が少ないので、なるべく様々な特技を持つ探索者を無傷で送りたい」
全てを50階層の攻略に費やす。
それこそが今回の遠征の主軸であり、それほどに皆がこの遠征のために全力を尽くしている。それは探索者だけでなく、ギルド職員から商人、職人達まで。街全体が全力稼働して、遠征のための準備をしている。
……つまりそれは、新米の探索者であろうとも無関係ではいられないということ。例え深層に向かう力が無かったとしても、出来ることをしなければならない。
「と言っても、リゼさん達にお願いしたいのはそんなに大変なことではありませんので安心してください」
「よ、よかった。私はてっきり30階層辺りまで着いてこいと言われるのかと……」
「ふふ、そんなこと言いませんよ」
「まあ簡単な話、レッドドラゴンの討伐と11階層までの荷物持ちだ。それと11階層での待機班だな。……これで大体伝わるか?」
「ええと……つまり私達は。先行して荷物を運びながらレッドドラゴンを倒した後、そのまま11階層で非常時のために待機しておく。マドカ達が戻って来たら、再度レッドドラゴンを倒した後、そのまま地上まで荷物持ち。……こんなところだろうか」
「ええ、概ねその通りです。……正直に言えばレッドドラゴンくらいならお母さんも含めて一撃で倒せる人も居るんですけど、そこに待機している人が居るということが重要なので。遠征中に異常事態が起きたりしたら洒落にならないですから」
「緊急時のための予備戦力ということですね」
「あとこの際に各地点の休憩拠点を整備しておきたい。その辺りの仕事も頼むつもりだ」
例えば。突然15階層で強化種が出現した、突然13階層で崩落が発生した、連絡役が12階層で力尽きてしまった。そんなことが起きる可能性も、決してゼロではない。そう言った時のために、各階層に探索者を配置しておき、予備戦力として、そして階層の監視役として働いて貰う。
それに11階層という比較的浅めの階層は、地上への中継役としての役割もある。地上への連絡は『投影のスフィア』で出来るとしても、地上からの連絡をすることは出来ない。そうなると最低でも15階層まで走って、ブルードラゴンを倒せなくとも、16階層の人間に呼び掛ける必要がある。もちろん、そのような事は余程ないが。
……しかしそう、決して責任のない役ではないのだ。そしてそれは多少の責任を任されるくらいには信用が得られているということと同義でもある。まだ16階層に辿り着いたことはなくとも、それが出来ると期待されている。その期待は重い。
「ま、変なことが起きない限りは大したことねぇ仕事だ。おじさんとしてはマドカちゃんの方が心配なくらいだぜ」
「うん?マドカはそんなに大変なのかい?」
「えっと……中規模クランの精鋭陣と一部上位の探索者を取り纏めて40階層と45階層の階層主を討伐した後、そのままリーダーをベインさんに引き継いで、そこからは50階層まで支援役として着いていくつもりです。50階層で実際に戦うことはないんですけど、治療や支援くらいなら出来ますし、作戦立案や情報の取り纏めもやれますから」
「……あの、それ帰りも含めてですよね?どんだけ働かせるんですか」
「し、仕方ないだろ。本当は黒龍対策の支援役だけで良いと思ってたが、40階層が山場過ぎんだよ。あれ突破してんの"聖の丘"だけなんだぞ?そこを最低限の消耗で処理してくれるってんなら、もうやって貰うしかなくてな」
「……レッドドラゴンの時と同じ感じでやるのかい?」
「いえ、スリーヘッドドラゴンは確かに基礎能力が尋常ではないのですが、致命的な弱点が1つありまして。そこからハメ殺す方法を幾つか考えてあったんです」
「ハメ殺す……」
「……マドカちゃん、それおじさんも聞いてないんだけど」
「次に40階層に挑戦しようとする方に提案するつもりだったのですが、そういうお話が全く出てこなかったので。……だから何度もお誘いしたんですよ?もう」
「わ、悪かったよ……」
現存するクランの中でも、過去に40階層を突破することが出来たのは"聖の丘"だけ。"風雨の誓い"も"龍殺団"も"紅眼の空"も39階層で突破記録は途絶えている。
これをなんとかするためにマドカはず〜っとず〜っとスリーヘッドドラゴンの対策を考えていたというのに、その間にどこのクランも階層更新ではなく自力を盤石にする方へと動いてしまっていた。
もちろんそこにはマドカによるちょっとした意地悪もあって、これを伝えるのは早い者勝ちくらいの気分で居たら、結局こうして今日の今日までそんな話さえ出てこなかったという始末で……
つまりはまあ。
「なるほど、マドカは拗ねていたんだね。そう考えると、なんだか意外な一面を見たようだ」
「ふふ、そうかもです。だから今のレンドさんの困った顔を見て、少しだけ楽しくなっちゃいました」
「……まあ、こんなおじさんの顔見て楽しく思って貰えるんなら儲けもんだな。やれやれ」
「難儀ですねぇ」
そしてそんな話をしていれば、なんとなくレンドの人柄も見えて来るというもの。噂で聞いていたような都市最強探索者としての厳つい要素は割と無くて、こうして話していると本当にただの中年のおじさんという感じ。
もちろんダンジョンの中などではこんな風ではないのだろうが、少なくとも話しやすい人間性であることは確かだ。今はそれでいい。……今後確実に関わっていく人物であるだろうことは、レイナだって予想しているのだから。
「ミライ、さん……?」
「は?」
ギルドの少し静かな空間に、絞り出すようなそんな言葉が妙に響いて聞こえた。
その言葉に反応したのはレンドだった。
声の聞こえた方を見ると、ギルドの入口に立つ3人の女性。見知った2人と、知らない1人。
そして誰も知らないその少女は、目を見開いて、涙さえ流して、信じられないようなものを見る目で。……けれど同時に、縋るように、求めるように。
「ミライさん!!」
「ふぇっ!?わ、わたしですか!?」
金髪碧眼のその少女は、ギルドの中だろうと関係なく、『ミライ』という聞いた事もない人物の名前を叫びながらマドカに向けて走り始める。椅子を倒して、机に当たって、転びそうになりながらも、それでも関係なく、飛び付いて、抱き付いて、泣き始める。
突然のそんな状況、困惑するのは誰であってもそう。それでも一先ず抱き締め返して、状況が分からなくとも泣いている少女を優先して対処しているマドカは、なんとなく以前に泣き始めたリゼを慰めていた時の姿に重なる。ただもちろん、彼女もまた困惑しているのは事実で。
「ミライ……って……」
「あちゃー、やっぱりこうなったか。……まあ予想してたことではあったけど、まさかレンドも居たとはねぇ」
「ど、どうしてマドカさんに……?」
「お前等……」
「セルフィ!帰って来ていたんだね!」
「あ、リゼさん……!た、ただいま戻りました!」
何がなんだか。
まさにその言葉こそが相応しい現状。
けれど珍しいのは、この件については普段ならスズハ曰く物知り顔をしているマドカもまた、何がなんだか分からないように狼狽えているということであり。
……さて、この件。
リゼ達は完全に立ち会っただけの、他人事ではあるけれど。じゃあこれが完全に自分達とは無縁のままに終わるのかと言われれば、絶対にそんなことはないんだろうなぁと。レイナはそれとなく予想していた。