「はぁぁ………やっと終わったぁ」
「お疲れ様です、リゼさん。もう慣れたものですね」
「いや、こればかりはまだ慣れないよ。……というより、そろそろマドカが復帰してもいいんじゃないかな」
「いえいえ、このお仕事はもう引き継ぎ終わりましたので。今後ともよろしくお願いしますね、リゼさん」
「…………もう正式に私に引き継がれた扱いになってたのかい!?それこそ聞いていないよ!?」
「ふふ」
例の騒動の後、暫くは都市内の(主にプラスな)報道ばかりをしていたオルテミスの放送局であるが。そろそろ通常運転に戻して行こうという話になり、リゼは当然のように呼び出された。
『投影のスフィア』を利用した放送で、そのメインの顔とも言える探索者。どうやら知らぬ間にそれはマドカからリゼに引き継がれていたらしく、それまでも定期的に手伝いをしては来たものの、もうこの役割から逃れることも出来なくなっていたのだと、リゼは今日ここで初めて知った。
「でも、向いていると思いますよ。私より」
「え?……そ、そうだろうか」
「ええ、こういうのって意外と難しいんですよ。言ってしまえば結局のところ、誰にでも好かれるような人間性を持つ人がやった方がいいので」
「……?マドカの方が好かれる気がするが」
「いえ、私は一部の方には酷く嫌われてしまう性質でして。昔は『子供の癖に余裕面が気に食わない』なんてよく言われたものです」
「そ、そうだったのか……それはまた、何と言えばいいのか困るけれど……」
その言葉を聞いて、なんとなく思い出すのはスズハのこと。彼女もまたマドカのことを嫌っているというか、苦手にしている様子があり、ここ最近は顔も見たくないというようなことを言っていた。
マドカのことが大好きなリゼとしては正直よく分からない感覚ではあるけれど、まあ確かにマドカの考えていることはリゼには分からないことも多い。しかしそんなことを言ってしまえば、なんならエルザの考えていることだってリゼには想像も付かない。なんとなくそれと同じような気もしてしまうが、まあ違うのだろう。きっとそこは触れない方がいい。スズハも別に一生顔を見たくないという訳ではなく、暫く距離を置きたいという感じなのだから。本人が折り合いを付けようとしているところに、他人が余計な口を挟むのも無粋なもの。求められた時に答えを出せるくらいにしておくのがベストなのだろう。
「そうだマドカ、この後いっしょに朝食でもどうだろう?久しぶりに2人で食べたいんだ」
「あ〜……私もリゼさんと同じ気持ちなのですが、実は今日は連邦の監査担当者さんがいらっしゃるんですよ。もしよければ、その方への挨拶が終わった後でも構いませんか?」
「それはもちろん。……それにしても、監査か。その方が例の監査官なのかい?」
リゼも色々と噂は聞いている。どうもギルドには監査というものがあり、毎年その時期が近づくとギルドがピリピリとし始め、普段から探索者だろうと何だろうと恐れることなく対応するエッセルに、より近付く者が減るんだとか。それほどに例年大変な行事だというのに、今年は監査官がとても厳しい人間で、エルザまで頻繁に借り出されているらしい。先日顔を合わせた時に、目の下にクマを作りながらユイに背負われている彼女を見かけたくらいだ。
「いえ、これが少しややこしい話なのですが、監査担当と監査官は別なんですよ。監査担当者は監査の進行役で、監査官の補助役でもあります。当日スムーズに進行を行えるように、事前に現地を訪れて、必要な書類を受験側に提示したり、現地の情報を集めたり、場を整えたりするんです」
「なるほど……司会、みたいな感じなのかな」
「ふふ、概ねその理解で大丈夫ですよ。立場上は当然中立ではありますが、受験側に何かしら問題があった際には、事前にそれを把握して、対応を一緒に考えてくれたりもします。決して敵ではありません。……ただ、流石にエリーナさん達も限界なので、今日は一日そのお手伝いをするつもりなんです。接待とでも言いましょうか」
「ギ、ギルド職員というのは大変なんだね……」
「そうですね。ですが、いずれはリゼさんもエルザさん達のお手伝いをすることになるかもしれませんよ?」
「えぇ!?そ、そんなのは出来る気がしないよ……!」
「まあ、そもそもエルザさんが来年以降も手伝ってくれるかが怪しいんですけどね。今回は流石に異常事態が多過ぎたので、恩を売るためにも手伝ってくれているところもありますので」
「あ、ああ、それは確かに……」
監査について何も知らないリゼでも、それだけはわかる。絶対に無理である。
そもそもエルザは実家に居た時に監査を受けていた側であり、その経験もあって今回こうして手伝いをしている。しかし彼女にとっても監査というものは疲労するものであり、やらなくてもいいなら絶対にやりたくないというところ。そもそも常日頃から『書類仕事するためにここに来たわけじゃないんだけど』と言っている彼女である。本当に今回が最後くらいの勢いだろう。ただでさえ真っ当な報酬は出てこないというのに……
「……というか、ギルドの監査に探索者が関わるというのも問題はないのかな」
「鋭い質問ですね、実は割とよろしくないです」
「や、やっぱり……」
「それでも、なんでもかんでもギルド職員だけで完結出来る仕事でもないので。まあその辺りの改革も最近になってガンガン行われていますので、数年もすればしっかり整備されると思いますよ。連邦にも優秀な方はいらっしゃいますから」
「なるほど……確かに規則に不備というか、時代に伴っていないのなら、規則の方を変えていくのが道理だね」
「簡単な話ではないんですけどね。それを凄まじい勢いでガンガン行っている、"超改革派"なんて呼ばれている人が居るんですよ。その影響で連邦内も今は相当な激務に見舞われているそうです」
「おお、それはすごい人も居たものだね……」
「それが今度来る監査官さんです」
「……ああ、そういうことか」
「ええ、そういうことです」
きっと、その人が監査官に選ばれたのも、多少厄介払いというか、一先ず連邦内の混乱を収めるためにも矛先を他の都市に向けたいという思惑があったのかもしれない。
その犠牲となったのがオルテミスである。他の都市を運営しているギルドや貴族達はさぞかし胸を撫で下ろしていることだろう。オルテミスの規模を考えれば、少なくとも同一の監査官が2箇所以上を受け持つことにはならないのだから。
……そしてもっと言えば、今回の監査担当者も被害者の1人と言えなくもないだろう。超改革派と呼ばれるような人物の補佐を務めることになるのだから。確実に簡単には帰れない。
「……ん?」
そうしてリゼがギルドの受付の方へ歩いていくと、聞き覚えのある声と聞き覚えのない声が聞こえて来る。ギルド内は決して静かではなくとも、一際聞こえてくる2人の声。それでも言い争っているというほどではなく、しかし穏和な会話という訳でもなく。なんとなくピリピリとした雰囲気を感じる空気感。
「あれ、エルザ?」
「うん?……ああ、放送終わったのね。お疲れ様リゼ」
「う、うん。それは良いんだが……もしかして、そちらの方が」
「……まあ、挨拶くらいしといてもいいんじゃない?こんなのでも連邦でそこそこの地位に居る人間なんだし」
「はぁ!?そこそこって言わないでくれるかしらぁ!?これでも年齢不相応なくらい出世してるんですけどぉ!?」
「それでこんな役割押し付けられてるんだから、同僚から嫌われてるんじゃない?出世欲の強い人間は大変ね」
「人が気にしてることをズケズケ言うところはほんっとに変わってないわねぇ!!」
「え、ええと……?」
話の流れからしても、目の前の女性が大凡どんな立場の人間なのかということは理解することが出来る。それにしても連邦という公的な場所で働いている人物にしては、妙に上品な雰囲気。黄金の髪を輝かせ、何処かの貴族の令嬢がスーツを着ているような、僅かに感じる違和感。
そして何より驚いたのが、その人物とエルザが妙に親しそうにしているということ。親しそうと言うより、軽口を叩き合っているというべきなのかもしれないが。少なくともリゼはエルザがそんな風にしている人物が連邦の方にも居たとは知らなかった。……まあもちろん彼女はお家の関係で伝手くらいはあるかもしれないが、それでも彼女の事情を鑑みるに。
「今回の監査担当者のネーナ・ミサライア。馬鹿だけど優秀だから安心して良いわ」
「もっと紹介の仕方なかったわけぇ!?」
「あ、えっと……リゼ・フォルテシアです。ただ着いてきた探索者でしかないのだけれど……」
「マドカ・アナスタシアです。疲れているエルザさんとエリーナさんの代わりにと思ったのですが……どうやらエルザさんのお知り合いだったみたいですね」
「まぁ、ねぇ……腐れ縁ってやつよぅ」
「同じ貴族家の長女だったのよ。まあこの子は実家の体制が気に入らないからって家ごと叩き潰して、連邦で1から自立するような大馬鹿猪女だったんだけど」
「誰が大馬鹿猪女なのかしらぁ……?」
「あんた以外に居る?」
「実家に地雷敷き詰めて姿消した蛇女に言われたくないわよぅ!あの家を穏便に解体するために、あたしがどんだけ苦労させられてるか分かっているのかしらぁ!」
「それは素直に悪いと思ってるわよ」
「だったらそれなりの態度があるでしょぉ!?まったく!何の相談もなしに実家を出て!!手紙の一つくらい残しておくのが筋ってものじゃないのぉ!?」
「そんな時間無かったのよ」
「だったら素直に頼りに来なさいよぅ!!無駄に探したじゃなぁい!!」
「……巻き込みたく無かったのよ、色々と」
「変な時ばっかり謙虚になって、いらないのよぅ。そんな遠慮」
「「………」」
なんというか、割と仲は良かったらしい。
口ではやんややんやと言いつつも、それも長く続けば立派な縁。エルザが家から逃げ出した後も彼女はエルザの行方を探し続けていたのだろう。当時は寝たきりになるほどに病状が悪化していたというエルザだ、まさか誰もオルテミスに居るとは思わなかったということか。それも探索者になって活動しているなんて、夢にも思うまい。
「……けど、普通に歩けるようになったのねぇ。それだけは本当に良かったわぁ」
「ユイとマドカのおかげよ。私のレベルを上げるために、私を背負いながらダンジョンに連れて行ってくれたんだから。感謝してもしきれないくらい」
「ふふ、もう十分に恩返しはして貰った気もしますけどね」
「むしろ恩が溜まっていく一方なんだけど?リゼもそう思わない?」
「思う」
「そ、即答しなくても……」
「……そう、良い居場所を見つけられたのねぇ」
「……ま、お陰様でね」
さっきの話からしても、きっとエルザの実家であるエルメスタ家は解体されている最中なのだろう。つまりエルザが意図的に残して来た地雷を、彼等は気付くことも出来ずに踏み抜いた。栄光あるエルメスタ家が解体されるとなれば、連邦も含めて影響は大きいだろう。
……だが、エルザももうそんなことには興味がない。彼女は今を見ているし、彼女にとって本当に大切な物もここにある。そんな彼女の変わり様を見たからなのか、ネーナも何処か嬉しそうにエルザを見ていた。
「さて、話も落ち着いたところですし、そろそろ監査の話をしたいのですが……」
「そ、そうだったわぁ……」
「ああ、やっぱりあんたも死にそうなのね」
「なんであたしが監査担当なんてしないといけないのよぅ……しかもよりにもよってあんな男の担当なんて!!」
「むしろあんたで良かったわよ、あんたも私が居て良かったでしょ」
「……それはまあ、確かにそうだけどぉ。あたしあの男、人間的に苦手なのよねぇ」
「そうですか?私はリロイズさんとは結構仲良くさせて貰っていますよ」
「……あんた正気ぃ?」
「大丈夫ですよ、大変なことになることは否定しませんけど。私達もダンジョンの中で頑張って来ますので、こちらのことはお願いしますね」
「「……はぁ」」
如何にも優秀な人間が2人揃っても、同時に大きな溜息を吐き出してしまうような現状。リゼは心の底から思った。自分がこれに関与しなくていいことは、本当に幸運なことであるのだと。そして、たとえ優秀な頭を持って生まれて来たとしても、それが必ずしも幸福なことには繋がらないのだと。
……つまり端的に言えば。
「リゼ、せめてスズハを貸しなさい。ギルド職員じゃなかろうと、使えそうな人間は全員擦り切れるまで使い潰すから」
「あ、あはは……ほ、本人の意思を尊重したいかな……」
頭が良くなくて良かったと、心から思った。
泣きじゃくる。
もう10年以上もしていなかった、そんな情けない姿を。誰に晒すでもなく、誰に見せるでもなく、けれど他ならぬ自分自身にこれでもかと言うほどに、みっともなく晒している。
……けれど、たとえ誰に見られようとも。
もうどうでもいい。
死んでしまいたいと、心から思う。
自尊心をズタズタに引き裂かれた。
そんな表現さえも生ぬるい。
自分自身の人生の全てを叩き潰された。
全てを否定されたと言ってもいい。
それほどに酷いことをされた。
「俺は………俺は………ッ!!」
こんな街に来なければ良かった。
あんな女と出会わなければ良かった。
素直に忠告を聞いておけば良かった。
「っ」
今でも思い出すと身震いをする。
あの如何にも善人ぶった顔をした女が、まるで指の先から少しずつ刃物で切り落としていくような行為を、なんの罪悪感もないような笑顔のままに迫って来たことを。
「なにが天才だ……なにが最強だ!!俺の!俺のどこにそんな才能があったってんだァ!!!」
雨が降り始め、土だらけになった自分の身体を、それでも足りないとばかりに世界は汚し始める。
期待していたのは事実だ、このオルテミスにならば自分よりも強い人間が居ることを。そしてそれは事実だった。少なくとも自分などこの街では大した存在ではなかった。
自分が山賊を叩き潰すくらいの感覚で、この街の探索者達は自分のことを叩き潰す。多少手こずった程度の感想を述べる存在でしか、自分はない。自分が見下していた女という存在であっても、自分は勝つことは出来なかった。
自分の考えも価値観も、何もかもを砕かれた。何もかもが間違っていたのだと、思い知らされた。
『………これ、違いますよね』
あの女はそう言った。
『双刃斬、でしたか。接触の瞬間に震脚で強引に刃を揺らすことで、一振りで2つの傷跡を作り出す。……確かに見事な技でしたが、これ未完成ですよね。これでは敵の傷を増やすだけで意味がありません、それならそのまま斬った方がよっぽど相手に深傷を負わせられます』
自分でも分かっていたことを。
分かっていても、敢えて目を背けていたことを。
『つまり本来の双刃斬とは、こうではないですか?』
『っ!?』
その技術は、確かに途絶えていた。
死んだ師範の技を見様見真似で真似て道を作り上げた人間から、自分が奪い取った。一度見た技ならば当然のように真似することが出来る才能があった自分は、そうしてその技を自分のものにした。
微かな違和感と共に、それは否定しない。
『重要なのは震脚ではなく、足捌きと体捌きです。秘石による身体強化だけでなく、これを実現するには十分なSPDが必要です。……ただ一振りで対象を2つ斬る技、スフィアではなく技術だけでそれを実現した。それこそが双刃斬と呼ばれるこの技の正体でしょう』
けれどその女は、ただ一度技を見ただけで。
ほんの一瞬で、その違和感を晴らしたのだ。
そして自分は、それを真似ることが出来なかった。
完成された剣技というものは、決して一目で真似ることが出来るような容易い代物ではなかった。スフィアが無くとも行使できる、魔法と見紛うような極まった本物の技術は、多少人より優れた才能があったとしても、容易く理解出来るものではなかったと。それを突き付けられた。
……自分は、天才などでは無かった。
『この技も誤解があると思います。実際は……』
「っ」
『足りない部分がありますね、必要なのは左手の……』
「………っ!!」
『これは元々の欠陥だと思うのですが、改善点は……』
「っ……!っ!!!」
『さあ、次の技を教えてください?貴方の学んだ全てを私に見せてください』
「巫山戯るなァッ!!!!」
……自分の持ち得る全ての技術が。少なくとも自分が好んで使っていた技の全ては、あの女に喰われた。
未熟な未完成品だと罵倒されながら。
より完成された形を目の前で見せ付けられながら。
師であるゾルゲンは言っていた。
『逃げる、というのは間違っとらんがな。小心者の儂にはこれから起きることを直視する勇気はない』
最初から知っていたのだ、こうなることを。
あの女が他人の技術を喰らい尽くして、それだけでは飽き足らず、その人間の武人としての誇りも自身も根刮ぎ屠り去って行くということを。そしてそれに対して自分達は逃げる、目を背けるという手段しか取ることが出来ないということを。
……そしてそれはつまり、この街で道場を継続しているゾルゲンでさえも。自分が唯一認めているあの師範でさえも、あの女からは目を背けるしかないということ。
この世界にはあんなバケモノが居て、自分は少し優秀なだけの1人の人間でしかないということ。
自分は決して、世界を変えることの出来るような、何もかもを支配することが出来るような……そんな特別な存在などでは、なかったということ。
「俺は………俺が今まで見下して来た奴等と、何も変わらなかったってことかよ………」
最強の探索者が集まるこのオルテミスであっても、自分は最強で、多少手強い存在が居たとしても、これまでのように淡々と追い抜いて行く。
そんな生優しい想像は、もう出来ない。
少なくとも、あの女を超えるイメージが出来ない。
あの女の姿が、今も恐怖と共に脳裏に焼き付いてる。
「弱ェ俺に……何の価値があるってんだ……」
あの女に散々に喰らい尽くされた後、逃げるように道場を後にして、そんな自分の無様さに自暴自棄になった。店に当たり散らして、無関係の人間に刀を振り上げた。
……だがその直後、色黒の大男に滅多打ちにされた。
クロノスと呼ばれ民衆に慕われていたその男は、自分のあらゆる技術と技を、たった1つの小楯と凄まじい剛力、そして確かな技術と経験で捩じ伏せた。
……完敗だった。言い訳も出来ないほどに。
だからそれを認められずに、また逃げた。1日に2度も負けたことなど初めての経験で、それは意外にも自分の心を強く引き裂いたからだ。僅かに残った言い訳の余地が、粉々に砕け散っていくことを感じていたからだ。
『意外と強かった』
それなのに、最後の言い訳さえも消えた。
街を飛び出し、とにかく誰でも良いから叩き潰して、少しでも自分の存在意義を確立しようと。少しでも自分は強い人間なのだと思いたいと、願って、この街に向けて走って来た馬車を襲った。
そこにはきっと自分のような力を求めてオルテミスにやって来た探索者志望者が居て、そいつを倒せば、少なくともこの街の怪物みたいな探索者を除けば、自分は優秀な人間なのだと。言い訳が出来ると思ったからだ。
……だが、そこでも負けた。
負けた。
負けたのだ。
明らかに自分よりもずっと年下の金髪の小娘が、視認さえ困難な程の凄まじい速度で自分の首を峰で叩いた。
防ぐことが出来たのは最初のスレ違い様の一太刀だけ、ここでも自分は何の言い訳も出来ない完敗を喫した。それも自分より年下の女に。この街の探索者でさえないような女に。……完膚なきまでに。
「………もう、いいかァ」
途端に、怒りも悲しみも、虚しくなる。
道化のような自分に。
調子付いていたこれまでの自分に。
恥さえ覚える。
馬鹿馬鹿しくも感じた。
……初めて死にたいと。
そう、思った。
「もう………いいだろ……」
握りなれたその刀は、何人もの人間の命を奪って来た。それならば最後に喰らわせるのは、自分の命であることが相応しいだろう。
……こんな愚かで身の程も知らず無様に踊り続けて来た男の命を真に欲しているのかは分からないが、少なくとももう、これ以上に生き続ける理由も目的も快楽もない。もう何もかもが虚しく、馬鹿馬鹿しい。それほどに自分には武以外のものがなく、結局のところ武に頼り続けていたという事実にも、心が折れた。
「結局……つまんねェ人間だったんだなァ、俺は」
それしか支えがないから、こうなる。それ以外に自分に誇れるものがないから、こうなった。多くの武人を馬鹿にしながら、その生き方や誇りを踏み躙りながら、結局自分はその武という場所でしか生きていなかった。
それが奪われたというのなら、これは必然。支えを失った人間に待つ末路など……そんなもの、言うまでもない。
「それならその命、俺に使わせてくれないか」
「っ…………誰だァ、テメェ」
「デパル・ロバートだな。……ベイン・ローガーデン。ただの探索者だ」
「探索者ァ……?」
刀を腹に向けて振り下ろそうとした瞬間に声をかけて来た、その大男。ベインと名乗ったその男は、なるほど確かにこの街の探索者なのだろう。見て分かるほどの鍛えられた実力と、見ずとも分かるような凄まじい覇気。
……また突き付けられる。
きっと自分はこの男にも敵わないのだろうと。
理解出来る。
それが理解出来る程度の眼は、あったらしい。
「ハッ……オルテミスの探索者様がこんな雑魚になんのようだってんだァ?あぁ?」
「君の力を貸して欲しい」
「力だァ?」
「そうだ。……俺には、取り戻さなければならない人間が居る。そして、打ち負かさなければならない男が居る。だが事実として、今の俺にはその力が無く、戦力もない。とてもではないが1人では、その目的を果たすことは出来ない」
「………っ」
一瞬息を飲むほどの、怒りの感情。
握り締めた拳がギリギリと音を立て、踏み締めた大地にヒビが入る。……恐らくは、ステータスがSTRに偏重しているのだろう。しかしそれにしても、以上な力量。そしてこの男、立ち姿や歩き姿からしても、確実に十分な技量さえ持っている。少なくとも自分自身、これほどまでの覇気を持つ武人というものを見たことがない。
「……お前みたいな奴にも、勝てねェ男がいんのか」
「……そうだ。俺はあの男を前に、足手纏いにしかならなかった。俺が足止め出来なかったばかりに、マドカがあの男を捕える機会をフイにした。……今の俺は、まだ弱過ぎる。あの遥かな高みに、指さえ届かせることが出来ない」
「……」
もう、分からなくなっていた。
これほどの男が、自分は弱過ぎると悔やむほどの世界があるのだと。その事実を受け入れるのは難しくて。そして困惑もしている。
自分はどれだけ物知らずであったのかと。自分は一体どれほど何も知らないのかと。……この男が見ている世界とは、果たしてどのようなものなのかと。思考が巡る。
「……どうして、俺なんだァ」
「君が剣の天才だと、ゾルゲン師範から聞いた」
「……!!」
「あのゾルゲン師範が手放しに天才と表現するような男だ、その実力を疑う余地はない。そしてまだ何処のクランにも所属していない、俺にとっては願ってもない幸運だ」
「……俺ァ人殺しだ、そんな野郎を味方に引き入れていいのかよ。正義の味方様がよォ」
「なに、俺もそうだ」
「っ」
「何人も殺した、善人も含めてな。昔のことだが、それを無かったことにするつもりもない。……そして正義の味方でもない。俺はただ、俺のためだけに生きている。もしその目的と正義が相反するものであるとするのなら、俺は別に悪に染まってもいい」
「……」
「……彼女を取り戻すためならば、俺はこの世界の全てを敵に回しても構わない」
たとえ悪人を味方にしようとも。
たとえ人殺しの力を借りたとしても。
他者から罪人の仲間だと蔑まれようとも。
「……さっき、マドカって言ったなァ。その女と、その男は、どっちが強ェ?」
「ん?……殆ど互角、しかし先手と知識量でマドカが上回っていた」
「……そんな野郎に、勝てるってのか?」
「勝てる勝てないではなく、勝たなければならない。どんな手を使ってでも、どんな不意を突いてでも、打ち倒さなければならない」
「っ」
「俺にはマドカやルミナ、それこそ君ほどの剣の才能は無かった。だが剣で勝てないのなら、剣以外のものを使ってそれを上回る。……スフィアでも、魔法でも、肉体でも、なんでもいい。あらゆる可能性を用いて、俺の持つ全てを費して、必ずや勝利を掴み取る」
「勝利、を……」
「それが俺の覚悟だ。君の力を使いたいと願うのも、理由はそれでしかない。……最悪、君の性格も経歴もどうだっていい。たとえ君が生粋の殺人鬼であったとしても、君が俺を超える才能の持ち主であるのなら、それでいいんだ」
「……」
だから、きっとそれは、救いだった。
それまで間違っていた自分の人生を、愚かであった自分の人格を、この男はどうでも良いと言い切った。ただ人より優れた才能を持っているのなら、求めるのはそれだけであると。
何より心動かされたのは、その男の中に"嘘"という文字は一欠片たりとも存在しないことだった。この男にとっては既に嘘を吐くような余裕もなく、人を騙しているような時間もない。
この男の全てはその一点であり、そのためであれば他者からどんな目で見られようとも構わないと。それを何より、その男の立ち姿が物語っていた。
「俺も、あの女に勝てんのか……?」
「……マドカのことか?珍しいな、彼女にそこまで対抗心を抱く人物は」
「答えろ。……俺は、勝てるのか?」
「……無責任なことを言うつもりはない、そしてそれを決めるのは俺でもない。ただ1つ言えることは、マドカも決して無敵ではないということだ。事実として彼女は少し前に冒険者崩れの集団に襲われて、命を落とし掛けている」
「!!」
「十分に現実的な目標だと、俺は思う。……少なくとも"英雄"に勝ちたいと言い出すよりもよっぽど正常だ、そうだろう?」
「………ハッ、そりゃそうだ」
よくよく考えてみれば、この世界には"英雄"なんて呼ばれる人外が居たことを思い出す。……そうだ、何を考えていたのか。この世界には怪物が居るだなんて、当然のことではないか。あれは例外だなんて目を背け続けて来たが、きっとだからこそ自分はここまで落ちぶれたのだ。
「なァ大男、俺達は何処まで這い上がれると思うよ?」
「……どうだろうか。だが俺達の想像以上に天は遠い。先日の騒動の際にマドカが言っていたよ。俺が対峙する男の仲間の中には、英雄でなければ対処出来ないような怪物が居ると」
「……マジの話か、それ」
「少なくともマドカには、こんな質の悪い嘘を吐く理由がない」
「……クカ、それでもお前は諦めねェのか」
「諦めないさ。言っただろう?敵が誰であろうとも、どんな手を使ってでも打倒する。……何をしてでも、俺はルミナを取り戻す。敵の強大さで諦めることが出来るほど安い願望ではない。そのためなら俺は……何処まででも自分を追い詰めることが出来る」
「っ」
そこでようやく実感した。
目の前の屈強でありながら優男のような顔をしている人間が、どうして殺人などということが出来たのかが。この男はつまり、自分の目的のためならばそれ以外の全てを投げ捨てることが出来る人でなしだからだ。それこそがこの男の根源であり、今目に見えるそれ以外は、正に後付けのものでしかないからだ。
……この男は変わったのだ。根源を覆い隠すほどの何かを身に付けて、身に付けさせられて、今ここに居る。生まれ付きの狂人が、人として生きることが出来るように与えられた。そしてそれを与えた人間というのは、恐らく……
「……ベインつったかァ」
「ああ、そうだ」
「いいぜェ、協力してやる。お前がそのナントカって奴をぶっ倒して、女を取り戻すまで。俺が付き合ってやる」
「対価は?」
「地獄の底まで連れて行け」
「いいだろう、契約は成立だ」
雨にずぶ濡れになりながらも、互いに剣の柄を打つけ合う。
これは決して仲間が出来ただとか、友人が出来ただとか、そんな甘い契約ではない。地獄への道連れ、死と隣り合わせの道を歩く決意の表明。……そして。
「一先ず、最速で上級探索者に追い付く。ダンジョンに籠る覚悟は出来ているか?」
「イチイチ聞く必要ねェだろ。お前は黙って前歩いてろ、後ろ下がったら蹴り飛ばしてやっから」
「……ああ、そうしてくれ」
武人ではなく、探索者として生きていく。
否、立場に囚われることなく上を目指す。
挑戦する立場として自分を位置付ける。
弱者である自分を受け入れ、そこから這い上がるという覚悟と絶対の誓い。必ずやあの女を見返すという、反抗。
デパル・ロバートは今日漸く生まれ出たのだ。
才能という殻に守られた狭い世界の内から。
自分の意思で、自分の足で。
立ち上がった。