強化種ワイアームとの戦闘の後、それでも一息を吐く暇は無かった。
マドカの左足の傷口から入り込んだワイアームの毒、これは空気中に排泄されていた毒とは比べ物にならないほど強力なもので、ユイがその場で施した治療では悉くどうにもならなかったのだ。
戦闘を行った階層が浅い事もあってか、異変に気付いたギルドからギルド長のエリーナ・アポストロフィを含めた職員達が比較的早く救助に来てくれた事もあり、地上に戻る事が容易かったのは幸いだろう。
しかし元凶となった2人の男性探索者と共に救護室に送られたマドカは、今もユイや他の職員達による治療を受けている。どうにも難航しているという報告しかリゼ達の元には降りて来ず、その知らせは聞く者達の顔色すらも悪くしていく。
「……なるほど、ワイアームの強化種か。しかも話を聞く限りでは以前出現した個体よりもかなり強い個体の様だ。よく対処してくれたな、お前達」
「いや、私は何も……」
「多少は手を出したけれど、今回のことは全てマドカ1人の手柄よ。報酬や謝礼は全部そっちに回して貰えるかしら」
「……いいのか?事が事だ、『聖の丘』からも相当な金額が流れて来るはずだろう」
「どうせマドカの治療にも相当な金が使われるんでしょうし、そこからユイに支払いが行われるのだからウチとしては十分プラス。まあその辺りの流れもマドカ自身が動けないのなら私がするわ」
「ふむ、なるほど分かった。それはそれでいいが……マドカの毒はそこまでの物なのか?」
「ユイが作った解毒剤が効かない時点で30階層主の激毒以上、街と治療院からも薬師や医療者や研究者を何人か呼んで調査させているわ。辛うじて『解毒のスフィア』が進行を弱める機能を果たしているのが幸いね」
「そうか……はぁ、本当に余計なことをしてくれたな、あの馬鹿どもが!」
恐らくひと回りは年齢の違うであろう2人がそうして対等に話している姿を見て、リゼは少しだけ居辛さを感じながらも話を聞く。
リゼとて分かっている。
誰も口には出さないが、今回マドカがああして怪我をしたのは、リゼが勝手に行動を起こしたせいだと。マドカは最初に言っていた筈なのだ、自分かエルザの指示に従う様にと。
しかしリゼはそれを破って勝手に行動を起こし、結果としてマドカに庇われる形となってしまった。普段ならばまだしも、2人のことを信用せず、あの非常事態の場で与えられた指示を守れなかったのは完全にリゼのミスである。
これでもしマドカが探索者としての生命を絶たれでもしたら……自分は一体彼女にどんな責任が取れるのだろうか。それが嫌という訳ではないが、とてもじゃないがその責任を取れるほどの物をリゼは持っていない。
「何馬鹿なことを考えてるの」
「痛っ……!?」
そんなことを考えていたのが顔に出てしまっていたのか、隣に座っていたエルザに突然額をピシャリと叩かれてしまった。
チラと彼女の方を見れば、エルザはわざとらしく呆れた様にため息を吐き、もう一度目を合わせると共にまた額を叩かれる。
「な、なぜ2回も……」
「全部自分のせいで〜なんて顔してるお馬鹿は5,6回殴らなきゃ分からないでしょう」
「そ、そんなに殴られなくとも分かる!」
「本当に?」
「うっ……それは……」
「自意識過剰、責任感じて後悔してれば物事が勝手に進むとでも思ってるのかしら。考え方が本当にお子ちゃまね」
「うぐっ、そこまで言わなくとも……」
グサリグサリと的確に心を突き刺して来る彼女の言葉に、リゼは表情を歪めながら悶え苦しむ。しかしそれでも彼女がただ自分を傷付ける為にそう言っているのではないという事も分かる。少なくともこの数日で、彼女がそういった類の人間ではないという事は知っているのだから。
「今回勝手に行動したのはリゼが悪い、そこはしっかりと反省しなさい」
「……ああ、分かっているよ。私が間違えなければマドカは」
「ただ、そのド素人のリゼに指示を出すどころかその内容まで伝えなかったのは私とユイとマドカの責任。むしろそれをしやすい立ち位置に居たのに頭回す事に必死になってた私の責任の方が大きいわ、結局そこまで回しても大したことは出来なかったのだし」
「いや、だがそれは……」
「そして次にギルド。この時期にダンジョンに入ろうとする探索者なんて限られているだろうに、よりにもよって警備を受け持つ『聖の丘』の探索者をろくに確認もせずに受け入れた。危機意識が足りていないんじゃないかしら?」
「いや、それは本当にすまん。エッセルが別件で出掛けていてな、新人が受付に立っていた様だ……」
「あとギルド長」
「うっ」
「業務時間中に昼寝をしていたと聞いたのだけれど、それは本当なのかしら?普段なら別に寝ていようが遊んでいようが構わないとしても、それで初動が遅れたというのなら問題よね」
「……いや、それについては本当に反省している。言い訳をするつもりもない」
「そう、それなら後の問題は『聖の丘』ね」
それまでも厳しい言葉を自他構わず飛ばしていたエルザが、その瞬間更に迫力を増す。目に見えるほどに不快なオーラを出し、リゼだけではなくエリーナまでも姿勢を正すほどに圧が変わる。彼女のその雰囲気は決して強い探索者としてのものではなく、もっと根源的な。いつもマドカと揃って儚げな雰囲気を漂わせている彼女とは思えぬ程に卓越した、圧倒的な支配者の雰囲気。
「さて、どれくらいふっかけようかしら」
「エ、エルザ……」
「分かってるわよリゼ、私だって別に潰そうとまでは考えていないわ。仮にも都市最大戦力だもの、算出した賠償額の3倍の金額で済ませるつもり」
「そ、それでも十分にやり過ぎている様にも思うのだが……」
「別にその程度でクランの経営が傾く訳でも無いのだし、取れる時に取ってマドカに押し付けとくのが1番でしょう。ダンジョンに潜れない間、あの子がお腹を空かせて待つ事になるよりずっといいわ」
「!」
それを言われてしまうと、リゼとてエルザの意見に乗るしかなくなってしまう。マドカの食費の事を考えれば、むしろ本来の倍すらも安いのでは無いのか。そんな風に考えてしまうくらいに、むしろこれから先の食費も困らなくなるくらい搾り取っても良いのではないかと思ってしまうくらいに、リゼはその意見には賛成だ。あんな怪物を1人で倒したのだから、それくらいの報酬は出てもいいだろう。
「それに、これがお金程度で済むのならマシな方なのよ、リゼ」
「?それは一体どういう……」
「さて、ギルド長さんはどうするのかしら?こんなのはどうやったって隠し通せないと思うのだけれど」
「うぐ……せ、せめて説得を手伝ってくれたりとかしてくれないのか!!」
「しない。誰がそんな自分から死にに行く様な真似をするの、今回瓦礫を退けるくらいしか仕事をしていないギルド長さんの腕の見せ所でしょう」
「この口だけは達者な小娘め……!」
頭を抱えて今まで見た事がない程に激しく狼狽えるエリーナに、リゼは困惑しながらもエルザの方へと首を傾げた。果たして2人はそれほどまでにいったい何を恐れているというのか。それもギルド長である彼女がここまで頭を抱えるというのも相当だ、いつもはあれだけ自信に満ち溢れている彼女だというのに。
「……マドカの母親の話よ。マドカがあんな状態になった以上、怒り狂うのは当然だもの」
「ああ、なるほど……けど、そこまでの話なのかい?親としては当然の話の様にも聞こえるのだが」
「そうね、娘を傷付けられた母親が怒るのは当然の話よ。ただ、その怒りをどう発散させるかは人によるでしょう?」
「……?ええと」
マドカの母親の噂はリゼもなんとなく聞いた事がある。彼女自身も有名な探索者であり、"紅眼の空"という少数精鋭クランに所属している実力者だと。そしてマドカと同様に美しい容姿をしており、マドカの"白雪姫"という二つ名の元となった人物だということも聞いている。
マドカの母親というくらいなのだから、多少の違いはあれど母親として十分にしっかりした人物の様にも思えるのだが、そうでもないのだろうか。なんとなく人格的にヤバそうな話も聞いたことはあるのだが。
「……ヤバいんだよ、あいつの母親は」
「え」
「"ヤバい"というのは、完全に人間性としての話。見た目は相当に美人で、探索者としてもこの街で最上級の部類に入る存在。それなのに人間性が完全に破綻しているの、狂人と言ってもいいくらい」
「ええ……」
俄には信じられない、まさかあのマドカの母親がそんな狂人などと有り得るはずがない。そう口に出そうとしたリゼだが、突然遠い目をして暗くなったエリーナを見るとそんな言葉すらも飲み込まざるを得なくなる。
「……お前にマドカの母親、つまり『ラフォーレ・アナスタシア』の有名な逸話を話してやろう」
「え、あ、はい……」
「あれはあいつが初めてマドカを連れてこの街にやって来た時の事だ。5年に渡る放浪の旅を終えて娘と共に帰ってきたあいつは、大切な娘の為にとダンジョンに潜り金を稼ぐために動き始めた」
「い、今のところはまだ普通の母親の様に聞こえるが……」
「そうだな、今の所はな。……さて、それでもその時点でラフォーレは世界最高の炎魔法の使い手としての実力を持っていた訳だ。金を稼ぐ為にはモンスターを倒して魔晶を集めるか、宝箱や階層主からスフィアを手に入れなければならない。そこで奴は娘を1人家に残す時間を短縮する為に、ある方法でモンスター共を皆殺しにした訳だ」
「………………………まさか」
「そう、そのまさかよ」
「あいつはダンジョンの1〜10階層までを燃やし尽くした。加えて水辺の多い階層を素通りし、今度は16〜24階層にまで火を付け、数多の魔晶とスフィアを手にして帰って来た。直後に現れた強化種さえも協力していた自らの弟達を巻き込んで焼き尽くし、金に変えたんだ。そのせいでダンジョンには2週間以上も誰も入れない状態が続いた」
「な、なんという事を……」
「あれはね、そういう女なのよ。自分の目的の為なら本当の意味で手段を選ばない。どれだけ他者に非難され様とも、その全てを力で捩じ伏せる。もし誰かに1発でも殴られれば、殺すまで殴り返す女。それがマドカの母親、"灰被姫"とも呼ばれるラフォーレ・アナスタシアという狂人よ」
「もとより手に負えなかったあの馬鹿女が娘を連れて来た時は、これで少しは落ち着くと私も思ったんだがな。あの化け物の様な女が本当に娘を愛していたのだから。……だが、実際にはもっと大変な事になっていた。娘が関わると、それまで以上になりふり構わなくなる。もし今回の事が奴に知られてしまえば……」
都市最大手クラン"聖の丘"の焼き討ち。
そんなこともあり得てしまう。
娘を持つ前よりかはいくらか丸くなったとは言え、娘が関係する際にはむしろ以前よりも尖った狂い具合を持ってしまった彼女を止められるのは、それこそマドカ以外には難しい。しかしこうしてマドカが動けない今、最早彼女を止めることは難しくて。
「……条件付きで制裁の機会を設けるというのはどうだろうか?」
「……ああ、なるほど」
「いや、その、あまり良い方法とは言えないかもしれないが……例えば拳で3発だけという条件を付けて、監視役が見ている前で発散させるんだ。焼き討ちにされるくらいならばと"聖の丘"側にも飲ませなければいけないが」
「……まあ、それが1番ではあるか。とは言え、その場合ギルドとしては関われない、私的な闘争として処理するしか無い」
「当事者の2人は半殺しで済ませて、後の分はトップの"レンド・ハルマントン"に受けさせましょう。仮にも都市最強の探索者なんだから、いいサンドバッグになってくれるでしょ」
「そうだな、そうしよう」
「私から提案しておいて何だけれど、なかなかに酷い話になってきてしまったな……」
とは言え、ここまで話が進んでしまうとリゼも最早自分のせいだけでマドカが怪我をしてしまったとは考える余裕も無くなってしまう。エルザの言っていた『悩んでいれば勝手に物事が進むとでも思っているのか』とは、正しくこういう事なのだろう。
それに少なくともマドカの母親のその話、リゼにとっても他人事では無い。もしかすればその母親が関係者全員を殴り倒すまで気が済まない可能性もある。そうなればリゼはそれをもう甘んじて受けるしかないだろう、未だ密かに燻っている後悔を消化する為にも。
「まあ、後の手筈は私が進めるとして……問題はお前の事だな、リゼ」
「え?」
「え、じゃないでしょう。マドカが動けなくなったんだから、別に教官役が必要でしょう?ユイは治療の為に出せないし、私も半分ボランティアでギルドの手伝いをしないといけないから付けないわ」
「あ、そうか……そうだったな……」
言われて気付くまですっかり頭になかった、というのが本音。そんなことはどうでもいい、とまでは言わないが、リゼの中ではそのことは今かなり優先順位の低い事であった。
確かに2人の言う通りマドカが動けないのなら他の探索者に指南を求めるのが当然の流れなのだろうが、今更マドカ以外の元に付きたいかと言われると正直あまり気は進まない。かと言ってただマドカの回復を待ち、怠惰を過ごすのも違うだろう。そんな事は分かっている。
「とは言え、今は他に有力な探索者も居ない。ギルド職員もこれから暫くは忙しくなる。私からは良い案は出せそうに無い」
「あ……ええと、それなら暫くは1人で探索してもいいだろうか」
「1人で?大丈夫なの?」
「4階層までしか潜るつもりはないよ、ワイアームとも戦うつもりはない。ただ、今は自分の出来る範囲でマドカの代わりがしたいんだ。……そうは言っても、4階層までで出来る依頼なんて花の採取くらいしかないだろうけど」
「……そう。まあ良い機会かもしれないわね、自分だけの考えでダンジョンに潜ってみるっていうのも」
茶を啜りながら興味なさげにエルザはそう言うが、それでも彼女が確かにリゼの心配をしているのも間違いない。マドカがいつ復帰出来る様になるか目処も立っていない今、リゼは今日まで教わった事を反復し、しっかりと身に付けておく必要がある。つまり土台固めだ。4階層までの比較的平和な階層で、可能な限り探索者としての知識と常識を体と頭に染み付ける。
その中には当然マドカから教わった依頼の選び方だとか、探索者としての良心だとか、そう言ったものも含まれていて。
「まあ、ギルドとしては助かるから何の問題もない。マドカの代わりと言わず、いずれはマドカの後を継いで貰いたいものだけどな」
「ギルド長」
「ああ、冗談だ。将来を狭める様な事は言わない方がいいな、悪かった」
「い、いや、私は別に気にしていない」
何気なく放たれたその言葉が、思いの外リゼの心に突き刺る。マドカの代わりになれる。その甘美な言葉は、これからのリゼの人生を少しずつ、けれども長く見て大きく変えてしまうものであったことには、結局誰も最後まで気がつくことはないだろう。
リゼ・フォルテシアの憧れが彼女である以上は、そもそもそんな言葉などなくとも未来は大まかには変わらないのだろうから。
ギルド長エリーナ……割とギルドに住んでいるのではないか?というような生活をしている。