リゼが喫茶店から泣いて走る様に家に帰って不貞寝をしていた頃、日も暮れ始めた世界を見る事も出来ない地下の部屋の中で、2人の人物が言葉を交わしていた。
治療院の治療室の一つ。
漸く治療が落ち着き静けさを取り戻したこの部屋で、今も特殊な機械を左足に付けながらもマドカはエリーナからの報告に耳を傾ける。この都市を守る為に残された、責任ある探索者として。
「オルテミス周辺で【龍神教】の動きあり、ですか……」
「ああ、付近を警戒していた"聖の丘"の巡回班から連絡があった。ラフォーレからお前が聞き出した話を整理するに、探索者達が帰ってくるのは3日もあれば十分だろう。それを考えれば……」
「彼等がもし動きを見せるとすれば、その3日の間……いえ、準備が出来次第直ぐに、といった所でしょうか」
「だが、以前の様な大規模な襲撃ではあるまい。確認された龍神教の動きと規模があまりにも小さ過ぎる、せいぜい偵察ではないだろうか」
「……【罪のスキル】を持った人間を相手に、常識は通用しませんよ。もし以前の様に【罪のスキル】を持った人間が2人以上現れれば、今のこの街は確実に陥落します」
「……そう、だったな」
龍神教。
それはこの世界の闇の部分に当たる存在。
成り立ちは大凡45年前。
この地で2度目の邪竜討伐が計画され、それが初めての成功を収めた直後の事となる。
「45年前の邪竜討伐。それまで絵物語でしかなかった邪龍の討伐に初めて成功したものの、1体の邪龍を相手にこちらはあまりに手痛い人員の損失と壊滅的な被害を被った」
「それを機に持ち上がったのが、邪龍こそが戦乱の世を治める為に地上に降臨した真なる神であり、邪龍が討伐されてしまえばこの世界は再び元の人同士で争い合う戦乱の世に戻ってしまうという【龍神論】」
「それを否定する事は誰にも出来ない。確かに邪龍が全て討伐されてしまえば、まず間違いなく連邦中枢の覇権争いから種族同士の対立が生じ、200年前に邪龍の出現によって終結した筈の種族大戦は再び息を吹き返すだろう」
「今や龍神教の規模は計り知れないほどのものになっています。地方では隣人が実は龍神教を信仰していたという事も多いそうですからね」
「……そして、7年前の龍神教によるオルテミス襲撃事件の際に発覚した【罪のスキル】と呼ばれる奇妙な力を有した者達の存在。恐らくその【罪のスキル】という物を持っている者達が龍神教のトップとして動いているのだろうが、これについては我々もサッパリだ。襲撃事件の際に遭遇した2人についても、明確に分かっているのは"レンド"と"エミ"、そして"カナディア"が3人掛かりで対処した片方だけ。もう片方は記憶も報告も朧げで使えないという始末だ」
「私はまだその頃にはこの街には居ませんでしたが、相当な被害が出たと聞いています」
その頃は既に都市最大規模のクラン"聖の丘"のリーダーである"レンド・ハルマントン"が中心となり、それなりの戦力がこの街には揃っていた筈だった。
しかしそんな中でもこの街が大きな被害を受けてしまったのは、その実力者達がたった2人の『罪のスキル』所持者に足止めを食らったからに他ならない。
そしてもしそんな相手がこの機に現れたとすれば、片足が使えない今のマドカではどうにもならないだろう。警備の為にこの地に残った探索者達であっても、数という要素は『罪のスキル』に対して何ら有効打にはなり得ないと証明されてしまっている。他の何より質のある探索者を用意しなければ、あれらには対処出来ない。それこそ都市最高クラス級の探索者達で無ければ、それは不可能だ。
「……当時は私も指揮を行っていたが、あれは本当にスキルとしての格が違う。今ラフォーレが勝手にこの街に戻って来ているのは、不幸中の幸いだったかもしれないな」
「そうですね。レンドさん達には申し訳ないのですが、正直に言ってしまうと私もお母さんが帰って来てくれた事で少し安心しています。お母さんが居れば大抵の事はどうにかなりますから」
「そうだな、それはそうだ。例え数千のモンスター達がこの街を揃って攻め落としに来たとしても、お前達母娘が居れば解決は容易いだろう。しかし相手が『罪のスキル』となるとな……」
「他の街への救援要請は間に合わないでしょうか」
「……投影のスフィアを使った救援要請を行えば、2日もあれば可能かもしれない。しかしそれは無用な混乱を招く。相手に情報を与えてしまうことにもなる。なるべく情報を表に出さず、裏で粛々と対策を進めていくのがベストだろう」
「杞憂であるといいのですが」
「本当にな。だが可能性がある以上は対策をしなければならない、私自身が戦う準備もな」
実際、エリーナは探索者として特別に強いという訳ではない。近接戦闘主体である事は当然としても、それも本来は魔法使いであるラフォーレと同程度でしかない。
元々アマゾネスというのは人族から派生した種族であり、女性の出生率が100%である反面、元々人族だけの特権であった多種族との子を確実に成す事が出来るという特徴がある。そして生まれて来るのは例外なく同じアマゾネスの女児か相手の種族の純血だ。そう考えると単に人族が進化した種族の様にも感じられるが、アマゾネスは通常の人族とは違い魔法的ステータスは伸びにくく、逆に身体的ステータスは伸びやすい。そして言うまでもなく、知性はそう高くはなく、ハーフを産むことも出来ない。
それはエリーナとてそうだ。
今日まで色々な苦労があって漸く仕事を覚え、ギルド長となった今でも業務の大半は副ギルド長の手伝いがあって漸くできていること。彼女に求められているのはカリスマと実績であり、実力はそこにただオマケで付いて来たものに過ぎない。
加えてその実力も本当にこの街に来てギルドに勧誘される前に探索者として培ったものと、職員になった後に今度はその探索者達を押さえ込む為に必要になった程度のものでしかなく、とてもではないが上位の探索者と張り合えるものではない。これは探索者からギルド職員になった者にも共通する事だ。職員として働くに十分な実力であって、決して高い実力ではないのだ。
「……本当に戦えるのか、マドカ」
「?」
「その足で本当に戦えるのか、ということだ。片足が使えない状態での戦闘……私如きでは参考にならないかもしれないが、少なくとも私ではそんな事は考えられない」
「……なるほど」
だが、それでもエリーナは戦闘経験はある方だ。
ギルド長になる前にはダンジョンで何か起きれば真っ先に向かう立場であったし、実力ある職員として今のマドカのようにダンジョン内の見回りだって行っていた。そんな歴戦の彼女であっても、足が1本使えない状態での戦闘など考えられない。それでも十分に戦えると言うマドカの言が信じられない。
「確かに、私もこの状態で十全に戦える訳ではありません。ただ少なくとも、固定砲台代わりくらいにはなれます。必要になればエリーナさんに負けないくらい動く事も出来ると思いますよ?……当然、あまり動いてしまうと毒が全身に回ってしまうので、ユイさんには怒られてしまうと思いますが」
「……全く舐められたものだ、いくら私でもその状態のマドカには負けるつもりはないが?生意気を言うようになったのはこの口か?こいつめ」
「い、いはいれふよえひぃなはん……!」
マドカの頬を両手で引っ張りながら、エリーナは一先ずこの話はここで終えた。マドカがここまで言うということは、恐らくそれは本当なのだろう。
Lv.30にも満たない世間的に言えば中級探索者でしか無いにも関わらず、その異常とも言える戦闘技術と特殊なスキルによってLv.40を超える上級探索者にも引けを取らない力を有している不思議な少女。
長年多くの探索者をその目で見てきたエリーナであっても、目の前の彼女はあまりにも異質過ぎる。彼女の生い立ちを知っているが故に信用はしているが、それでも分からない事は多かった。だが少なくとも、この街でスフィアの扱いを最も良く理解しているのは間違いなくこの少女である。そもそも彼女は最初の教え子に普通にそれを託したが、高速戦闘中に『回避のスフィア』で無理矢理に軌道を変更する等という芸当は身体に対して大きな負担を及ぼす。これを行使すれば内臓破損や骨折を含めた一般的なポーションでは治療が困難な症状が想定されるため、基本的には非常時以外では禁止されているのだ。それがなぜVIT(耐久力)が低い筈のマドカが当然のように連続行使を行えるのか。……その技術を持っているのはマドカと最初の2人の教え子以外には存在しない。それを知る為に何人もの探索者がマドカに教えを乞うたが、危険であると言う理由で追い返されている。スフィアと自身の戦闘技術を究極まで重ね合わせたそれは、身につける事が出来ればマドカのようにレベル以上の実力が身に付けられるだろうが、習得は絶望的に困難である。
そしてマドカは、そういった奇妙な技術を恐らくエリーナが把握している以上に隠し持っている。それを考えれば、彼女の『片足でも戦える』程度の言葉を信じることは容易い。
そうでなくとも先日のワイアームの強化種、以前に発生した際には当時Lv.39の現"龍殺団"の団長であるアルカ・マーフィンが負けているという事実がある。その個体よりもレベルの高い相手をエルザとユイという都市最高クラスのサポーターが居たとは言え互角に渡り合い、最後には討伐に成功したのだ。恐らくこの事実は探索者達が街に帰ってきたあと、小さな騒動の原因の一つにも成り得るだろう。少なくともその"龍殺団"の団長であるアルカ・マーフィンは認められまい。普段から浅層の探索しかしていない様な女が、自分の成し遂げられなかった偉業を成したのだから。"龍殺団"唯一の良心であるとある女性が胃を痛めるのもまた間違いない。
「……マドカ、一つだけ聞かせてくれないか?」
「はい、なんでしょう」
「……4年前、お前は突然半年程この街から姿を消したな。1人でダンジョンに向かった記録を最後に。しかし半年後にお前が見つかったのは地上からだった」
「…………」
「記憶はまだ、戻らないのか?」
「…………」
エリーナのその言葉に、マドカは俯き目を閉じながらも言葉を返す。
「……なんとなく、その時の事を夢に見るときはあります。ただ起きた時には忘れてしまっていて、今もどうしても思い出せないんです」
「……そうか」
「自分でもわからないんです。どうやって食料もなく半年間生きていられたのか、どうして帰ってきた時に地上にいたのか、そしてどうして自分のレベルが10も上がっていたのか……ごめんなさい」
「あの時を境にお前の戦闘技術も飛躍的に向上していた。それ以前はラフォーレの後ろをついて回るだけだったお前が、他人と積極的に関わる様になった。だが、それでもお前はお前だった。それはあのラフォーレが証明している」
「……つまり?」
「これは私の想像なのだが、私はお前がダンジョンの中で何かしら新たな未知に遭遇したのではないかと考えているんだ。当時のマドカが1人で潜れるのはせいぜい14階層まで。恐らくその間に、少なくとも地上へ登る為の何かがある」
「それが使えればダンジョンを使用した避難路の作成が出来る……という事ですか?」
「そうだ、もしお前がその何かしらを思い出していればそれを利用出来ないかと思ったのだがな。やはりそう上手くはいかないか」
ダンジョンには未だ未知が多い。
既に知り尽くされたと思われていた浅層でさえも、時々突然それまでに無かった物が出現したり、確認されたこともないモンスターが出現することもある。
今はまだダンジョンへの入り口は一つしか見つかっていない。その上、深層から地上へ戻って来る手段すら存在しない。だがもし、もしそれが一つでも見つかればダンジョン探索はより楽に進むことになるのは間違いない。
今のままでは少しばかり難易度が高過ぎるこのダンジョン攻略に、ほんの少しでもその難易度を下げる為の要素は存在していないのか。徐々に手詰まりとなってきたこの状況でそれを望む者が多いのも間違いなく、それが故にやる気を無くしてしまう探索者だって多い。そして何より、あの時の出来事がエリーナやラフォーレにとって恐ろしく絶望的なものであったのは間違いないのだ。もう2度とマドカが突然消息を絶つなどという事が起きぬ様に……
「分かった、また何か思い出したら教えてくれ」
今はそれだけを伝えておく。
龍神教のはじまり……約40年前に第二次邪龍討伐が企画され、数多の犠牲と引き換えに陽龍シナスタンの討伐に成功した。しかし当時栄光を誇っていたクラン"天域"を含めた多くの探索者と軍人が命を落とし、探索者生命を奪われたことで、世界的に戦力が大きく低下してしまった。このことから民間人の間でもモンスターによる被害が増え、依然として他の邪龍は暴れ続けていたことから、『そもそも邪龍討伐などしなければ良かったのではないか』という言が地方都市を中心に広がり始める。故に龍神教徒は大都市ではなく村落や地方都市に多く、大都市の探索者達が守りを疎かにしている村落を守っているのが、実は龍神教であったりという事実もある。