マドカがワイアームと戦っている姿。
それは今もリゼの脳裏に焼き付いている。
炎を纏った大銃を手に、リゼは屋根の上に飛び乗った。
ユイはエルザ達の守護をする、エルザもリゼに積極的に援護をするつもりはない。だがそれでいい、そうしていて欲しい。今はただ見ていて欲しい。
『ケコココカケケッ』
「……さあ、行こうか」
『カキッ!?』
目の前のモンスターを相手に全速力の踏み込みで近付き、その腹部に向けて炎打を打ち込む。その威力と小爆発に内臓が破裂し、複数の骨がへし折れる音が響き渡る。一般人程度の耐久力しか持っていない彼等が、仮にも探索者であるリゼの打撃に耐え切れる筈がない。
そして直後、それを見て周囲に居た数多のモンスター達が羽音を立ててリゼに向けて飛び掛かった。総勢32、リゼはその場で軽く一回転しながらその全てを把握する。
(1番層が薄いのは……そこか)
「『回避』」
「あれは……!」
回避のスフィア、自身をその時の体勢その他に関係なく後方へ向けて吹き飛ばすスフィア。それは単に回避に使うだけではなく、敵との距離調整にも利用出来るとマドカは言った。
……しかし強化ワイアームと戦闘を行なっていたあの時、マドカはそれとは全く異なる使い方で"回避のスフィア"を利用していたのをリゼは知っている。あの高速戦闘の最中、そんな信じられない使い方を当然の様に何度も行使していた事をリゼは知っている。
「せぇぇえやぁあ!!!」
最も敵の数が薄い層。
そこに背を向けていたリゼはスフィアの力によって勢い良く吹き飛び、同時に振り向きながら炎打を思い切り叩き付けてモンスターの壁を突き破った。
バック効果が働く僅か寸前にその場で自身の身体を回転させ、吹き飛びと回転の相乗効果が乗った一撃を放つ"回避のスフィア"の攻撃的な使用法。恐らく本来ならば慣れが生じない限りその絶妙なタイミングが掴めず実現出来ない筈のそれも、リゼならば自身のスキルの効果である程度は測る事が出来た。
単にリゼが踏み込むよりも遥かに早い突進技、大銃により攻撃範囲の広さとスキルによる正確な攻撃とカウンターを実現できるリゼならば、その程度の層は簡単に突破する事が出来る。そしてそれは自分が空想の中で思い描いていたよりもずっと上手くいった。
(だが、だがマドカはこれを自身の超高速戦闘中に使用していた。ギリギリの静止、急激な方向転換、そして文字通りの緊急回避、あれに比べればこんな物は初歩の初歩に過ぎない……!)
肉体がボロボロになる様なその使用方法は、どころか高速戦闘が出来る程の速度すら無いリゼには到底実現できないものだ。しかしスフィア一つにしてもいくつもの使い方があるという事を示されたそれを、リゼは決して無駄にはしない。スフィアの効果を有益とするか無益とするかは当人の考え方次第であるというマドカの教えを、リゼは決して無駄にはしない。
「『視覚強化』」
「っ、3つ目のスフィア……!」
リゼが弾いた右手が、3つのスフィアのうち中央に嵌め込まれていた透明な宝石を正確に叩く。それは強化種ワイアームと戦闘する前にマドカから貰い、エルザによって開けて貰った宝箱の中に入っていた高位のスフィア。
リゼとてこの数日間、本当に何もしていなかった訳では無かった。
3つのスフィアの使用は慣れなければ危険だとマドカからは聞かされていたが、それならば慣れれば良いのだと夜に部屋に戻ってから何度も何度も練習していた。そして今、『左右のスフィアは秘石の角を持ちながら起動させる』、『中央のスフィアはズボンの縫目に這わせて叩く』という自身で作ったルールを元に、十分に3つのスフィアを正確に叩く事が出来る様になっていた。今はまだ少しの辿々しさはあっても、僅か数日の練習で身に付けたにしては十分な出来となって彼女の中にそれは染み込んでいる。
(見えた……!)
自身のスキルとスフィアによって極限まで強化されたリゼの視覚。スローで見える世界の中、残り29のモンスター全ての位置を3次元的に把握し、高速化する思考によって自身が動くべき道筋を組み立てる。その道筋はまだまだ拙い物だろう、まだまだ素人レベルの酷い出来のものだ。……しかしそれでも、一体一体がまともな力を持たない敵だからこそ、今はただそれで殲滅させるに十分な物になる。
「はぁっ!!」
スフィアを叩いた手を戻し、再びLv.10にしては高いSTR(筋力)に任せて両手でしっかり大銃を握り締める。
リゼはマドカの様に凄まじい速度で動く事は出来ない。それは単純にSPD(素早さ)が足りないだけではなく、自身の体重の他に大銃の重量も背負っているのが大きいだろう。だが自分の移動速度と武器を振り下ろす速度の話は全くの別物。凄まじい重量とリゼの剛腕によって振われたそれは、目の無い怪物達が簡単に反応出来る様なものでは到底無かった。
『カキケケケケケケケケケッ!?!?』
『ケキキキコココッココッコッ!?!?』
「邪魔だ!!」
その一振りで2匹3匹のモンスターの頭部(と思わしき形の部位)を吹き飛ばす。組み立てが浅くタイミングがズレた敵に対しても、強引に身体を捻り腹筋から背筋まで全ての筋肉を使い、強引に大銃を引き寄せて叩きつける。踏み込んだ屋根瓦が割れ、振り下ろした大銃が風圧で敵の勢いを押し留め、思い切り攻撃をぶっ放したその瞬間にそこに明確に足跡が残ってしまう程には、リゼは全身の力を振り絞っていた。
ユイからして見れば、無駄が多かった。
エルザからして見れば、荒削りが過ぎた。
ラフォーレからして見れば、至極無様だった。
この程度の雑魚の大群を相手にこうも必死になっているリゼの姿は、見る人が見れば呆れてしまうかもしれない。リゼ自身も少しはそう自覚している。
……けれど、もし彼女が今この場でその姿を見ていたら。そうしたらきっと、『かっこいいですよ、リゼさん』なんて、心の底からそう思いながら言葉を伝えてくれるに違いないから。それだけはなんとなく確信出来たから。だからリゼはこの一瞬に全てを掛けて、走り抜けた。
「はぁ、はぁ……33体、討伐……!」
炎打の効果が切れる。
目の酷使によって軽い頭痛が始まる。
しかし最初に居た全てのモンスターを倒しても、周囲にはまだまだモンスター達は集まってくる。
それなのに頭痛を堪えて立ち上がったリゼの近くにはモンスター達は殆ど近寄らなくて、それ等は何故かその場で停止してジッと何かを待っている様に動きを止めていた。あまりに奇妙な静寂だけをその場に齎して、リゼが唯一近くに居た一体を吹き飛ばしてみても、彼等は全く動かなくなる。
「な、なんだ?」
「……リゼ、一回戻って来なさい」
「だ、だがまだ……」
「もう十分よ、貴女が頑張っていた事はしっかりとマドカに伝えておいてあげる。貴女の活躍もね。今はそれより…………全ての個体の動きが停止した、それはつまり」
「……あれか」
街の壁の向こうで、海面が勢い良く吹き上がる。
それと同時に他の全ての個体がその水飛沫の方へと向けて一斉に走り始める。立ち上った水柱は2つ、生まれ出た巨大な図体は2本足に2本の腕。その体長だけでも5m近くあろうかという程だと言うのに、それ程の巨体が屋根に着地しても家は潰れる事なく瓦が大きく崩れただけに止まった。
身体の作りは他と同じように人体の様々なパーツを繋ぎ合わせたような歪な姿をしているのに、そうして作り上げた存在は間違いようもなく人型であるという皮肉。2本足と2本の腕は明確にあるにも関わらず、獣のように四つ足歩行をし、やはり瞳だけは頭部には無くとも、頭の大きさに全く比例していない巨大な口を持つ異形の怪物。
あれが何かしら特別な個体であり、敵側の戦闘用の切り札である事はリゼですら容易に想像できた。なぜ今このタイミングなのか、どうして今このラフォーレという最大戦力がスフィアを取り替え終えた絶好のタイミングで出して来たのか。それだけはリゼには分からなかったが、しかし変化はそれだけに止まらない。
「巨人、なのか……?」
「あれを人と呼びたくはないがな」
ラフォーレが憎々しげにそれに目を向ける。
二体の巨人に群がる虫型の生物達。
そしてその虫達は"ぐじゅるぐじゅる"とでも表現すればいいのか、血と肉と臓物ごと溶解し、無理矢理に接合している様な音を立てて巨人に溶け込んでいく。それに対して巨人達が示すのは奇声だ。悲鳴の様にも聞こえるかもしれない。見るからに苦しんでいるかの様に身体を捻りながらも、その虫達に貪られているかと見間違う程の悍しい有り様を呈していた。体液や液体となった肉までもが地面に滴り落ちながら、異臭を放って姿を変えていく。
最初からそうだ。
存在から行動まで、彼等のその何もかもが人間である自分達の潜在的な恐怖だったり嫌悪だったりを刺激してくる。人間という存在そのものを否定しているかの様な、そうでなくとも馬鹿にしている様な、そんな存在にしか見えない。ラフォーレですら不快に感じ、出来るのならば近付きたくすら無い様子を見せているのだから、それは相当なものだ。
「っ。なんでしょうか、あれ……」
次第に身体を膨らませ、肉体を脈動させ、更にその大きさを増していく巨人達。いつの間にか彼等の背中には蜻蛉の様な4枚の羽が出現していた。そして肉体を覆う虫達の肉体の残骸。完全に同化した訳ではなく、所々に虫の形をした突起や、フラフラと力無く垂れ下がっている手足、ピクピクと今も動いている頭部、そして中途半端に張り付いている羽等が付着しているのもまた気味が悪かった。なるべくならば見たくない、こんな物がこの世に存在しているという事すらも否定したい。
……そうして4人が顔を顰めながらその変化を見届けていたその時、それは起きた。
【キィィィイイイイイイイイィィィイイッッッツ!!!!!!!!!!!!!!!】
「「「っ!!!」」」
それの発した街全体に広がる様な雄叫びは、3人の精神を直接揺さぶる様なあまりに奇怪な感覚を齎す。耳から入り、頭をぐちゃぐちゃに掻き回し、そのままその音が体内を駆け巡りながら臓物の様なドス黒い毒を全身に吐き出し回る様な悍しいイメージ。精神の壁を壊し、人の弱さを丸裸にし、周囲に対する恐怖を、目の前の巨人に対する恐怖を、吐き気を、嫌悪感を、欠片も軽減させる事なく突き付けられる。
最初に自分を取り戻したのは、一瞬で八つ当たり気味に近くの家屋を殴り崩す事で強大なストレスを自己防衛的に発散したラフォーレだった。
そして不味いと思ったその瞬間に唇を思い切り噛み、強引に自分の精神を引き戻したユイもまた、何とか自身の意識をそのままに頭を振るう。
しかし他の2人はそうも行かなかったらしく、エルザは貼っていたバリアを消失させ、その場に身体を震わせて座り込んでしまった。リゼもまたエルザの直ぐ側で尻餅をついてカチカチと歯を鳴らしていた。彼等2人はそれを防ぐ事も出来ず、明確に精神にダメージを受けてしまったのだ。
ユイは未だに生じている頭痛を振り払って2人に駆け寄り、ラフォーレは忌々しげな目をして巨人達を睨み付ける。
「精神汚染……!やってくれたなゴミ屑がァアッ!!」
「エルザ様!リゼさん!……っ、これを飲んで下さい!ラフォーレさんも!」
「寄越せ!」
ユイが取り出したのは、精神改善の効果を齎す彼女が作成した特製のポーションである。
精神汚染の効果はその対象の精神をどれほど侵食してくるのかが分からない。その効果を発揮するモンスターや龍種が殆ど居ない事もあり、未だに研究の足りていない分野の話だ。その恐ろしさを知っているからこそ、ラフォーレも素直にユイの差し出したポーションを直ぐ様に口にし、ユイもエルザとリゼの口に多少強引にでもポーションを流し込む。
恐らく今回の精神汚染効果はPOW(精神力)の値によって弾く事が出来る類の物だと考えられる。ラフォーレが一瞬で弾く事が出来たのがその証左だ。しかしユイとエルザの精神力にそう大きな差が無い事を考えるに、やはり人によって差はあるらしい。ユイの判断が早く的確であったのも大きかった。
ポーションを口にして震えが弱まり始めた2人を介抱しながら、ユイはラフォーレと同様に巨人達に目を向ける。
「……能力が精神汚染だけ、とは考えられません」
「……あの羽根は魔力を発しているな」
「魔力をですか?」
「恐らくアレは飛行能力を得る為の物では無い。振動によって魔力を特殊な音波として撒き散らし、周囲の魔力の動きを阻害している」
「なるほど、魔法の軽減効果という訳ですか……」
「加えて肉体もまた面倒だ。核となる本体は元の大きさのまま、その表皮はいくら削った所で他の屑共が補うという仕組みだろう。……スフィアを変えたのは失敗だったか」
エルザとリゼが立ち直るにはもう少し時間がかかる。しかし巨人達は今正に身体を動かし始め、当初より5倍近く大きさを増したその巨体で4人の方へと歩き始めていた。その狙いがこちらに向いているであろう事は、その怪物に眼が存在しなくとも当然に分かる。
「……ラフォーレさんなら、倒せますか?」
「当然だ。……と言いたい所だが、これ程の規模の魔力妨害を2体分も相手にするのは無理がある。炎弾に変えたとしても街の大半と引換だな」
「私も有効打となる様な攻撃はありません、エルザ様も魔法が中心となる以上は同じでしょう。となると……」
「唯一上手く働きそうなのは、こいつの大銃だけという事か」
表皮を削らなければ本体には辿り着けない。魔法によって焼き払おうにも2体分の魔力妨害は尋常ではなく、何より炎弾のスフィアでなければラフォーレは本来の威力を発揮出来ないスキル事情がある。
今この場で誰よりも貫通属性のある強力な物理攻撃を持っているのはリゼだけだ。正しくはリゼの大銃だけという事になるのだが、そもそもその大銃を扱えるのはリゼだけ。素人からして見ればその大銃はどうすれば弾を撃つ事が出来るのかすら分からない。
立ち直って貰うしかないのだ、あれに勝つには。
「……ユイ・リゼルタ。貴様はさっさとそこの屑を起こせ、後は任せる」
「ラフォーレさんはどうなさるのですか……?」
「5分時間を稼いでやる、その間にそれを起こして片方を始末しろ。片方の魔力妨害さえ無くなれば容易く殺せる。もし起きなければ街とそこの愚図ごと全て焼き払う、いいな?」
「……分かりました、必ず成し遂げてみせます」
「……お前は好ましいな。マドカと似て、懸命だ」
その言葉を残してラフォーレは再びスフィアを3つ赤色の物に変えて走り出した。
魔法使いであるのに、魔法が使えなくなった。SPDもVITもそれほど高いという訳ではない。決して時間稼ぎに向いているステータスやスキルを持っている訳でも無い。だがそれでも彼女は時間稼ぎを買って出た。屋根の上を走りながら、拾った瓦を巨人の顔面に向けて投げ付ける。虫型のモンスターも少しずつ壁の外からまた這い上がって来始めた。巨人は動きは遅くとも身体が大きく、それ等全てを相手に5分間逃げ回るというのはやはり現実的な話ではない。
「ハッ、図体ばかりデカくともやはり頭の中はゴミ屑か!」
……それでも、それを現実にしてしまうのが上級探索者と言うもの。
少しずつ数を増している虫型を殴り飛ばし、家屋や巨人の人型という構造の穴を突き逃げ道を確保し、その巨大な碗部による薙ぎ払いを大杖を利用した大跳躍で見事に躱す。
こんなもの、百戦錬磨の彼女からしてみれば30階層付近の階層主の攻撃の方がまだ骨があるという評価でしかない。そうでなくともこんな障害物ばかりの場所、そして知り尽くした地形、彼女からしてみれば時間稼ぎ出来ない方がおかしいという話だった。
ラフォーレ・アナスタシアは細かい作業や巧みな作戦立て、そして騙し合いや化かし合いが嫌いだ。しかしそれは単に彼女が嫌っているというだけの話であり、決して出来ないという訳ではないし……そもそも、別に苦手という訳でも無かった。
スフィアの押し間違い……初心者探索者から上級探索者まで決して逃げることの出来ない致命的なミス。初心者探索者がスフィアの押し間違いをするように、上級探索者は扱うスフィアの数が増えることによる勘違いでの押し間違いが多い。特にスフィアはその見た目からでは属性と星の数程度の違いしかなく、管理が非常に難しい。中級探索者以上となると戦闘中にスフィアの交換を求められるが、状況に応じたスフィアと3つの組み合わせを判断し、それをミスすることなく的確に交換するというのは、簡単に身に付けられる技術ではない。多くの探索者は鞄にスフィア用のスペースを作り、そこにスフィア名を書いたシールを貼って保管しているが、それでもスフィアの押し間違いによる死者は定期的に報告されている。