「……以上がダンジョンに入る際の注意事項となります。よろしいですか?」
「ああ、まあ……恐らくは……」
「……ええと、もし分からないことがあればマドカさんにお聞き下さい。ごめんなさいマドカさん、お願いしてもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。それが同伴を申し出た私の役割でもありますから。……さて、それでは行きましょうかリゼさん。準備はよろしいですか?」
「それは問題ないよ、行こう」
「その大銃、本当に持っていくんですね……いえ、貴女がそれでよろしいのでしたら私は別に構わないのですが……い、行ってらっしゃいませ」
受付の女性に見送られながら、リゼは同伴を申し出てくれた少女:マドカ・アナスタシアと共にダンジョンの入り口へと続く通路を歩いていく。
このダンジョンへ続く通路に入れてもらう前に、それはもう何枚も何枚も書類を書かされ、マドカにもそれ等にサインをして貰うことになったが、それももう終わった。あまりの情報量に殆ど頭に入って来なかった注意事項に目を通すだけ通す作業も終わり、ここからがリゼが夢にまで見た未知の世界であるダンジョン探索の始まり。
探索者としての最初の一歩となる。
「ダンジョン、初めてのダンジョンか……!」
「ふふ、そんなに楽しみだったんですか?」
「そ、それは勿論……!とても楽しみだよ!」
この抑え切れない嬉しい気持ちを誰かに共有したく隣を歩くマドカへ顔を向けるが、彼女はそんな自分を見てクスクスと笑うばかり。
そしてそんな風に彼女に微笑ましそうに笑われてしまえば、リゼだって少しは恥ずかしくなってしまうというものだ。
聞いた限りでは同い年の17であるというのに、彼女のこの落ち着き様は何なのだろうか?
そんな考えからふと視線をズラすと、自然と意識は彼女の装備へと向けられていく。
(あれは……)
当然のように主武装として大銃を担いでいる変態染みたリゼとは対照的に、マドカは2本の金色と銀色の剣をそれぞれ腰に付けているだけの一般的な探索者の姿。二刀流などという、見た目のイメージとは違うかなり攻撃的な装備はしているが、それでも別に珍しい訳では無い。
……だが今はそれより、彼女の腰辺りに黒いベルトで取り付けられている黒灰色の石板の方に目が惹かれてしまう。自分が太腿に付けている物とは違い、石板の窪みには3色の美しい宝石達が取り付けられており、そのどれもがキラキラと不思議な光を放っている。
それこそが彼女がこの龍巣の都で探索者をしているというなによりの証拠であり、彼女がそれなりの実力を持った優秀な探索者であると言う証明でもあった。リゼにだってその価値について、少しくらいの知識はある。
「ふふ、気になりますか?ドラゴンスフィア」
「え?ああ、すまない。実は話には聞いていたのだけれど、こうして実物を見たのは初めてなんだ」
「あや、そうなんですか?珍しいですね。魔法系のスフィアならともかく、今や安物なら世界中に広く出回っていると思うのですが」
「私の祖父が大のスフィア嫌いだったんだ。つい最近まで山奥に住んでいた事もあって、見る機会にも恵まれなくてね」
「お祖父さんはエルフさんだったりとかですか……?」
「いや、ただの人族の技術者さ。細々と作っていた猟銃をスフィアと比較されて馬鹿にされてから、死ぬまでその時の悔しさだけでこんな物を作り上げていた狂人でね」
「それは……ふふ、また偉大なお方ですね」
「そう言ってくれると報われるよ、散々それに付き合わされた私としても」
そんな他愛のない会話をしながらも、2人は漸くダンジョンの入口へと辿り着く。
見た目だけで言えば、ただ大きな洞穴の様にも見えるその場所。入口にもギルド職員が座っており、取り付けられた魔晶灯によって周囲は明るく照らされている。
ここから先がダンジョン、正真正銘の未知の世界。
そう自覚すると妙に湧き上がってくる緊張感に、リゼは大銃を肩から掛けた紐を思わず強く握り締める。
探索に必要の無い大半の荷物はギルドに預けて来たとは言え、その荷物の中にだってお金は殆ど入っていない。今日この場で最低でも1日分の宿代くらいは稼いで来なければ、取り敢えず野宿が確定となる。
獣や弱いモンスターを狩る事はよくあったが、ダンジョン内での狩りはもちろん初めて。上手く出来るかどうかも正直に言えば心配しかないのだが、それでも生活が掛かっているとなれば必死になってやるしかない。
「リゼさんは、秘石はお持ちなんですよね?あのこれです、持っているだけで持ち主にレベルの概念が付与される石板……」
「ん?ああ、そちらからは見難かったかな。私はこちら側の足に付けているんだ。一応レベルは8ある。これでも山の中で獣やモンスターを狩っていたからね、それなりには戦える筈だ」
「なるほど、だとすると4階層くらいまでなら今の状態でも問題無さそうですね。ダンジョン内の知識については何かありますか?」
「いや、それが情けない事に殆どないんだ。龍種が生息しているという事は知っているのだけれど、それ以上の事はなんとも」
「それなら私が解説していきますので、ゆっくり歩いて行きましょうか。戦闘はお任せしても?」
「ああ、そこは任せてくれ。その期待くらいには応えて見せるよ」
背中の大銃をバシバシと叩きながらそう笑うリゼ、だが彼女にしてみれば逆にそう言われた事で少しは緊張が和らいだ。
今の自分なら4階層まで通用する。
ギルドに信用されているという彼女の言だ、そこは信用してもいいだろう。
そんなリゼに一度微笑んでから先に歩き出した彼女の横を、リゼもまた同じ様に足を踏み出して続き始めた。……ダンジョンの中は、思ったよりも普通の洞窟といった感じだった。期待していた様な不思議な感覚は無く、何か魔法的な仕掛けが動いたりする訳でも無く、ただ水気の少ない岩壁だけが魔晶灯に照らされて続いているだけ。不快というわけではないが、しかしやはり緊張感に溢れている。
(ただ、そこまで暗い訳でもないのが不思議というか……)
そうしてそれほど狭くも長くもない通路の先をゆったりと目を慣らすようにして歩いていると、ここよりもまた違った種類の明るさを持つ大きな広間の様なものが道の先に見えてきた。
リゼがそれに首を捻りながらマドカの方を見ると、彼女はそれに気付き、人差し指を立てて解説を始めてくれた。まるで物語で読んだ学校の先生の様に。
「ええとですね。オルテミスのダンジョンでは、5階層ごとに龍種の階層主が出現します。それ以外の階層には様々な広大な空間が広がっていまして、そこには龍種以外の普通のモンスター達も多数生息しているという構造になっている訳です」
「なるほど……つまり、これから赴く1階層には、本当に弱いモンスターしか存在しないと言う事なのかな」
「あ、いえ、実はそんな事はなく……」
瞬間、不用意にもマドカよりも先に大広間に足を踏み入れようとしたリゼの目の前に、何か黒く大きな影が降り注いだ。
呆然とするリゼ、目の前で爆ぜる火花。
隣に居たマドカが片手に持った剣で襲撃して来たそれを容易に防ぎ、逸らし、弾き飛ばす。
マドカに斬られ、ポトリとリゼの足元に落ちた白く尖った鋭い物体。自分の指3本分くらいある様なギラついた大きな爪だ。
落ちた先から少しずつ灰になり始めたそれを見ながら、リゼは大粒の汗を額から流して少し遠くに飛ばされてしまった襲撃者の方へと視線を向ける。
「このように1階層にはワイバーンと呼ばれる龍種が生息しています。このダンジョンの最初の門番であり、最初の階層主です。決して弱い存在ではありませんので、気を付けて下さいね?」
「も、もう少し早く教えてくれても良かったんじゃないかなぁ!?」
『グルルルァアッ!!』
「うっ!こっちに来た!?」
「ワイバーンは気性が荒く、対象の中で最も弱い相手を優先して狙う傾向にあります。龍種の中では非常に小さめで弱いとは言え、紛れもない龍種ですから。油断しちゃ駄目ですよ?」
「あっ……ぶない!?」
リゼが飛び退いたその場所に、飛来して来たワイバーンが強烈な落下攻撃を与える。
パラパラと落ちる床の破片と土煙。
この場に足を踏み入れて最初の一撃をマドカが弾いてくれなければ、あんなものが自分の身体に直撃していたのかと思うと、素直に身体が震えてしまう。
一方でそんなリゼを近くで見守っているマドカには見向きもせず、ただリゼばかりを狙って何度も何度も突撃してくるワイバーン。
本当に徹底的に弱者を狙って来る習性らしい。
マドカが近付こうとすればワイバーンは逃げる。そしてリゼが孤立すれば再び連続して突進を仕掛けてくる。確かにこれは油断出来ない相手だろう。
いくらなんでも一般的な防具も付けていない状態であの爪による攻撃を喰らえば、VIT(耐久力)がそこそこあるリゼでさえもひとたまりもないからだ。
……ただ。
(速度は早いが、見切れないという程ではない。加えて落下攻撃の隙が大きく、遠距離攻撃の手段を持っている訳では無さそうだ。体長は私よりも大きく、筋力や頑強さは龍種としては相応……とは言え、やりようならいくらでもあるか。例え敵に制空権があろうとも、落下攻撃ばかりして来るのならば対処は簡単だ)
真正面から殴り合えば防御力の差で負ける事は間違いないが、そもそもリゼは別に武闘家ではない。そこで負けた所で、他の部分で勝てればいい。これならば只管に空を飛びながら一方的に風弾を吐いてくる鳥系モンスターの対処の方がまだ面倒だった。
次第に慣れて来たのか無駄を削ぎ落とした動きでワイバーンの攻撃を避け始めるリゼを見て、見守っていたマドカも軽く微笑む。
彼女が何を思っているのかは分からないが、こんな所で恥ずかしい所は見せられまい。華麗に倒し、それなりに戦えるという事を証明したい。
リゼは背中に担いだ大銃を取り出し……何故か銃口の方を手に持って構えた。
そしてそれを大槌の様にして持ち上げながら、再び落下攻撃を仕掛けて来ようとしているワイバーンに向けてすれ違い様に振り下ろす。
「せぇぇえやぁああ!!」
『ブュゲェッ!?』
ただ、叩き落とす。
大銃の質量とリゼ自身の腕力によるあまりに強引な一撃。
確かにリゼは武闘家ではない。
しかしそれでも、決して近接戦闘が出来ないという訳でもない。そもそも山では猟銃も使ってはいたが、灘や棍棒を持って対処する事も多かった。決して銃しか取り柄のない女ではない、棍棒一つ持てない様な箱入り娘でもない。
『ギィギイイ!!』
「大人しく、しろっ!!」
『ピギィっ!?』
闇雲に振り払われた尻尾の一振りを大銃でガードし、そのまま腹部に向けて質量と重力に任せて金属の塊を再び思いっきり叩き付ける。
そんな彼女を見て、マドカは驚く様な、そして感心する様な表情で微笑んでいた。
まさかそんな風にその銃を使うのかと。
仮にも祖父の遺産の使い方としては乱暴が過ぎるその武器の扱いは、きっと初めて見れば誰もが驚愕することとなるだろう。
「今度からは刃物の一本でも持ち歩くべきだろうか」
苦しむワイバーンの頭部に向けて、瞬時に銃を持ち替えて、今度こそ銃口を突き付けるリゼ。
そのまま彼女が何の容赦もなく引き金を引けば、衝撃と閃光によって小爆発でも起きたのかと思う様な一瞬の火薬の着火の後に、ワイバーンの頭部は完全に原型も残る事なく吹き飛んでいた。
灰となって消えていくワイバーンの死体。それを見送りながらもリゼは銃に寄りかかり、一度大きく息を吐く。
やはり耳栓はどうあっても必須かもしれない。
威力を3段階の中で最も弱い状態で撃ったにも関わらず、衝撃で少しだけクラついてしまった。実弾銃であるが故に消費した弾はまた作らなければならないので、本当は使わないのが一番なのだろうが。
「お見事でした、リゼさん」
「ああ、ありがとう。龍種と戦ったのは初めてだったんだが、案外なんとかなったかな」
「このダンジョンの外で龍種を見る事は殆ど無いでしょうから、それは仕方ありませんよ。……ただそれにしても、ふふ、それは狙撃銃では無かったんですか?」
「狙撃もするし、出来るとも。けれど、こういう使い方の方が戦い易いというのも本音かな。幸運にも筋力のステータスには恵まれているからね」
「私は好きですよ、そういう思い切った戦い方も。少しだけリゼさんの事が気になってしまいそうです」
「それは……はは、面と向かってそう言われてしまうと少々恥ずかしいかな。素直にとても嬉しい事だけれど」
目と目をしっかり合わせてそんな事を言われてしまったからか、また顔を赤くして視線を背けたリゼは、その先に灰となり始めたワイバーンの死骸を認識した。
モンスターが灰になる。
それは何処でも共通の話ではあるのだが、それが小型と言えど龍種にも当て嵌まる話であるのだと、この時リゼは初めて知った。
そうして灰山となり次第に風に吹かれてダンジョン中へと消えていくそれ等の中に、キラリと光る緑色の宝石もまたリゼは見つける。
縦に細長い八面体の形をしたそれ。
リゼはそれを知っている。
つい先程、それと色の違う物を見たばかりなのだから。そしてそれこそが正に、リゼが今日までずっと憧れていた夢の欠片の一雫でもあり、夢見た未来の自分の姿に無くてはならない物でもある。
「マ、マドカ!これはもしかして……!」
「はい、ドラゴンスフィアですよ。ワイバーンを初めて倒した時に入手出来る『投影のスフィア』と呼ばれる物です。残念ながら戦闘には使えませんし、高価な物でもありませんが……」
「いや、いや……!私はこれがずっと欲しかったんだ!特にこの『投影のスフィア』!これがあればいつでもダンジョン内の冒険が見られるんだろう!?」
「そうですね。一応、同じ様に『投影のスフィア』を装着して潜っている探索者さんが居れば、の話にはなっちゃうんですけど。ギルドが企画している放送を見れるという利点はあります」
ドラゴンスフィアと呼ばれる特殊な宝石群。
火水雷光闇無の6種類がある中で、唯一そのカテゴリーから外れた位置にあるのがこの緑色の『投影のスフィア』だという。
効果は単純、石板に嵌め込み手を触れる事で壁に向けて映像を投影する事。そして何より重要なのが、そこに映し出される映像は、同じ様に『投影のスフィア』を装着しながらダンジョンを探索している探索者の直接的な視界であるという事だ。
魔法よりも非現実的と言える様なその力は、神々の作った遊戯場とも呼ばれるこの『ドラゴンダンジョン』と、魔法の存在を一般的な物にしてしまった奇跡の宝石『ドラゴンスフィア』、そして持ち主にステータスという謎の概念を付与する石板である『龍の秘石』の3種類の中でも、特に異質な存在だ。
リゼはその存在を知ってからあまりに現実離れしたそれを一度でも良いので手にしてみたかったし、それを使ってベテランのダンジョン探索という物が見てみたかった。
これでまた夢の一つが叶う。
ここに来てからリゼの心は浮きっぱなしだ。
加えて初めて自分の力で手に入れたドラゴンスフィアという事もあって愛着も3割り増し。
早速とばかりにウキウキとそれを石板に嵌め込もうとして……サッとマドカにその手を優しく握られて止められる。代わりに一つの皮袋を手渡されて、それに戸惑っていると、今度は微笑ましげにそこに投影のスフィアを入れられてしまい、リゼのポーチの中にまで収納されてしまう。
「ええと、これはどういう……」
「流石に初心者さんがダンジョン内で『投影のスフィア』を装着するのはお勧め出来ません。一体何処で誰が見ているのか分かったものではありませんからね」
「!そ、そうか……すまない、少し浮かれていた様だ」
「いいえ、誰でも最初に犯してしまうミスですから。もう少し慣れるまではダンジョン内での使用は控えましょうか」
「あ、ああ……マドカも、同じ様なミスをした事があるのかい?」
「ふふ、私はまた探索者になった時の事情が違いますからね。ほら、早速2階層へ行ってしまいましょう?今日中に宿代を稼がないとなんですよね」
「そ、そうだった……よし、切り替えよう」
浮かれた気分も引き締め直す。
いくら最浅層とは言え、ここはダンジョン。
美しく綺麗な話ばかりではなく、救いようのない絶望すらも秘めているのがこの場所だ。一瞬の油断が先程の様なワイバーンの奇襲等で自身の命を脅かす原因の一つとなる。
そう考えれば、やはり今の自分は浮かれ過ぎであると言わざるを得ないだろう。夢の一部が少しずつ叶い始めているという理由はあるにしても、命を賭けて探索をしているという自覚が足りていない。
そこも含めてパンパンと音を立てて両頬を叩いてみると、何故だかそんな行為にすらマドカにクスクスと笑われてしまった。
そうなると逆に自分が気合を入れ過ぎてしまっている様に思えてしまって、恥ずかしいと言うかなんと言うか……
「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないか……」
「ご、ごめんなさい。でも実はここから4階層までは結構ほのぼのとした空間が続くんです。だからそこまで気合を入れなくとも大丈夫ですよ」
「え、そうなのかい」
「ええ、なので今日のお金稼ぎは採取依頼で済ませるつもりだったんです。ほら、いくつか良さそうな物も見繕って来てますし♪」
「……本当に君には頭が上がらないな、マドカ」
「そう言って貰えるなら私も嬉しいですよ」
高揚したり、浮かれたり、空回ったり。
どうにも現状で自身の舞い上がったこの気分を落ち着かせるのは難しい事だと判断したリゼは、取り敢えずマドカから顔を背ける事で誤魔化すのだった。
スフィアとエルフの確執……この世界においてエルフと精霊族のみが単独で魔法を扱うことが出来た。詠唱によって事象を改変する力を持つ彼等は、仮にそれが小規模なものであったとしても誇りと尊厳を持っていた。しかしドラゴンスフィアが発見されたことにより、全ての種族が手軽に規模の大きな魔法を行使出来るようになる。これに対するエルフ達の怒りは大きく、エルフ達の中には未だにスフィアを受け入れることの出来ない者が多い。