あの日から3日程経った頃、街は妙な賑わいを見せていた。
……いや、実際にはこの妙な賑わいという言葉がおかしいのだろう。本来ならばこの姿こそがこの街の本当の姿なのだから。それを知らないからこそ、リゼは窓の外から見える賑やかなその景色を奇妙な顔で見つめているし、なんだか落ち着かない気分にさせられている。
探索者達が帰って来たのは前日の夕方。
目の前の賑わいとは逆に、リゼの心は寂しさすら抱えていた。
「はぁ」
溢れるのは溜息ばかり。
あの日からマドカは言葉通りに、リゼに対して様々なクランを紹介してくれている。それは以前に教えてもらった大きなものから、最近出来たばかりの小さな物まで。その探索者自体が居ない故に知識として叩き込まれていたに過ぎないが、彼等が帰って来たとなればそれは更に本格的な物になるだろう。日に日に近づいてくるマドカからの卒業、リゼはそれに対してとてつもない抵抗感を抱いている。それこそ本末転倒ながら、マドカに会いたくないと思ってしまうくらいに。この僅かな間にマドカから卒業出来るくらいに必死に勉強していた過去の自分を責めたくなるくらいに。いつまでも世話になっていてはマドカの負担になってしまうと分かってはいるのに、心と頭はこれっぽっちも一致しない。
「……それでも、時間を違える訳には行かないからね。そろそろ準備をしないと」
窓際の椅子から立ち上がり、自分の持ち物を纏め始める。この部屋も、クランに入る様になればお別れだろう。小さい規模のクランに入ったとしても、パーティを組んで10階層以降の探索が進められる様になれば稼ぎは増える。一定の稼ぎが認められる様になれば、ギルドとの契約も切れる事になっている。やっと慣れ始めた生活も、再び手放す事になる訳だ。ギルド職員にでもなれば別だが、リゼにはそれほどの実力も頭も経験もなく、ただその変化を受け入れる事以外に道は無い。
「ん、先客かな?……いや、何かこう。凄いな、先客」
いつもの様にマドカと昼食を食べている食堂の角の席に向かおうとしていたリゼ。しかしそこには今日は自分とは別に先客が来ていて、そしてそこには何やら5人もの女性がマドカを囲んでいて、それも全員が全員見事にリゼも見惚れてしまう様な美人揃いで……リゼは思わず隠れる様にして柱の側の席に座り込む。しっかりとその柱の影から聞き耳だけは立てて。
「それにしても本当に、話を聞いた時に私がどれだけ焦ったことか。何故お前が街の防衛班として残っている時に限ってこうも厄介事が起きる」
「そうですわね、カナディア様はとても焦っていらっしゃいました。私も龍神教が攻めて来たと聞いた時には思わず走り出しそうになってしまいましたもの」
「……結果的にお前達2人を先に帰らせておいたのは最良の判断だった、という事か。未知の毒の処理もよくやった」
「いえ、それでもまだ完全な解毒は出来ていませんから。本当に自分の未熟さを恥じるばかりです、ライカさん」
「でしたら後程、私とカナディア様の解毒魔法を試してみるのは如何でしょう?強度の問題なのか、性質の問題なのか、それでも不足している様でしたら精霊族秘伝の薬法をユイ様にお伝え致しますわ。セルフィ様にも杖を貸して頂ければと」
「は、はい!私なんかの杖でいいのでしたら好きに使って下さい!」
本当に目を惹くような美人の集まり、昨日までよりずっと人の多い食堂中の視線がなんとなくそちらに向いているのが分かるくらい。
マドカとユイはよく知っている。ユイを女性として数えて良いかは別としても、あの中でも遜色ない彼はやはりそういう才能があるのだろう。
ただ、他の4人はやはりリゼは初めて見る人物ばかりだった。昨日の夜に帰って来た探索者の中に居た者達であった事は間違いない。
(マドカはやっぱりすごいな……)
カナディアと呼ばれていた水色の長髪を後ろに流したエルフの麗人。
そんな彼女に付き従うセルフィと呼ばれた同じくエルフの金髪の少女。
それにユイと同じ真っ黒の髪を短く揃えた目尻の鋭い人族の女性、ライカ。
最後にアクアと呼ばれた白でも灰でも無く、輝く様な透き通る銀、もしくは透明とでも言える不思議な髪をもった、恐らくは精霊族と呼ばれる希少な種族の女性。
彼等の誰もがそこに座ってニコニコと笑っているマドカの事を心配している。それは嫉妬なのか、それとも単に驚きなのか。リゼはなんとなくもやっとした気持ちを抱えたまま彼女達の会話を盗み聞く。
「話には聞いていましたが、今回の相手はそれほどに厄介な龍種だったんですね」
「ん?ああ、厄介というか、そもそもあれを龍種と呼んでも良いものか……」
「頭部は間違いなく龍種のものでしたわ、本質的には虫類に近いと思われますが」
「……死者は例年より多かったが、精神的な被害が桁外れだ。POW(精神力)の未熟な探索者は今も軒並み寝込んでいる。戦闘中に逃亡し、そのまま行方知れずの者も多い」
「加えて1匹逃せば脅威的な繁殖力で増殖し、生態系に大いに影響を及ぼす程の危険性。全ての個体を排除する為にレンドさんがそれはもう頭を悩ませて……結果的には数多の試行錯誤と調査にかなりの人手と時間を要する事となってしまいましたの」
「ふふ、そうして街に戻って来て漸く腰を落ち着かせられると思えばこの有様だからな。帰って来て直ぐにエリーナに連れて行かれたアレの姿は、本当に哀れだったというか」
「あ、あはは……今度何か差し入れを持って行きますね、セルフィさん」
「は、はい!多分レンドさんも嬉しがると、思う、の、で……お、お願いします!」
「くれぐれもラフォーレには見つからない様にな」
口数少なく見守るライカ、この場に居る誰もを敬う様なセルフィ、硬い雰囲気を持ちつつも積極的に言葉を掛けるアクア、そしてマドカと最も親しそうにしているカナディア。彼等が決して付き合いだけでここに居るという訳では無いという事は、付き合いなどなくとも見ていれば分かる。それくらいは今のリゼでも、なんとなく分かる。
「さて、それでは私はそろそろ拠点に戻ろうと思う。昼頃にまた治療院に伺おう、治療はその時で構わないか?ユイ」
「ええ、勿論です。その時までに準備を済ませておきますので」
「私はユイ様とこのまま治療院に赴こうと思いますわ。クランは私が居なくとも問題ありませんもの」
「わ、私も一度拠点に戻ります!……多分お仕事がすごいことになっていると思うので。ライカさんもですか?」
「ああ……ウチには書類整理をまともに出来る奴が居ないからな。年寄り共は戦闘は出来る癖に老眼がどうのと言い訳が多くてな……」
「その辺りの人材育成にも目を向けていかないといけないな、私も人の事は言えないが……それでは後でな、マドカ」
「はい、また後程」
そうこう話していた彼等だが、意外にも解散するのは早かった。ある程度時間を決めていたのか、そもそももっと前から話していたのか、はたまた本当に忙しく時間を見つけてここに来ていたのか。実際にはそのどれもが当てはまっているという事は彼等しか知らない。
他の4人が普通に手を振って別れたのに対して、カナディアと呼ばれる女性だけはマドカの頭を愛おしげに撫でて去って行った所を見るに、もしかすれば彼女もエリーナの様にマドカを娘の様に思っているのかも知れない。まだ何も知らないリゼに分かるのはその程度の事だ。
リゼは本当に、まだ今は何も知らない。
「マドカ……」
「あ、リゼさん。ごめんなさい、もしかして待たせてしまっていましたか?」
「ああ、いや、気にしなくても良い。……それにしても、やはり知り合いが多いんだね、君は」
「そうですね、本当に沢山の人に気に掛けて頂いて。リゼさんも後で治療院に来ませんか?リゼさんのこと、皆さんにも紹介したいので」
「それは、嬉しい相談なのだけれど……いいのかい?」
「勿論です。リゼさんのこと、色々な人に知って欲しいですから」
彼女達がその場を去ってから直ぐにマドカの方に向かって行ってしまったからか、なんとなく会話を盗み聞きしていた事がバレてしまった様な気がして恥ずかしく思うリゼに対し、彼女はいつも通り優しい笑みを向けてくれる。
だからこそ辛くもあった。
彼女がそうして自分を紹介してくれる事とは、それ即ち自分を彼等のクランに紹介するという意味でもあるから。所詮は自分もこれまでの教え子達と同じ、決して彼女の特別では無いと言われている様で。
「リゼさん?どうかしましたか?」
「……いや、何でもないよ。それより少し話を聞いていたのだけど、その足ももう直ぐ治る様だね。本当に良かった」
「ふふ、この間の騒動では結局殆ど私は動く事が出来ませんでしたから。治ったらまた頑張らないと。リゼさんが少しずつ消化してくれていたとは言え、依頼が溜まっている事に間違いはありませんから」
「……ああ、まずはそこからか」
「え?」
「いや、なんでもないよ。私は朝食を取ってくるけれど、飲み物とかはいるかな?」
「いえ、私は大丈夫ですよ。いってらっしゃいです」
着いたばかりの席から、リゼは逃げる様にして離れる。
まずはそこからだ。まずはそれが出来なければ話にならない。最低限9階層までのソロ探索、そして安定した依頼の処理。つまりは、ワイアームの安定討伐。
(マドカの側に居る為には、マドカの役に立つ為には、それが出来る様にならなければ……)
果たしてそれが出来る様になるためには、どうすればいいのか。そもそも何故1人で探索を進めようとしているのか。またもや未熟な心で焦りと必死さに流され始めたリゼの内心を見抜ける者は、それを口に出さない限りはまだ居なかった。
特に普段通りの何の変哲もない朝食の後、少しの雑談をして時間を潰した2人は、そのまま治療院の方に向かう事にした。杖を突きながらも慣れた様に歩くマドカと、それを心配しつつ付き添うリゼ。空気中に気化していたマドカの毒も今は液体の入った特殊な器具が付けられている事もあり、外部に漏れる事もなく、マドカ自身も殆ど苦痛を感じていない様にも見えた。ただそれでも未だに麻痺や全身に広がってしまう危険性も帯びている為、油断は出来ない。前の騒動では活躍出来なかったとマドカは言うが、もし活躍していたら毒の回りが手が付けられない程になっていた可能性もあった。そう考えると、あの時リゼが頑張った甲斐というものは十分にあったと言えるだろう。
「マドカさん、いらっしゃいませ。リゼさんも、付き添いありがとうございます」
「いや、そんな大した事はしていないよ。私がここまで背負って来ようとも思ったけれど、それは丁重に断られてしまったからね」
「さ、流石にそれは私だって恥ずかしいですよ」
「そうですか……マドカさん、カナディアさんとアクアさんは先に部屋に居られます。こちらにどうぞ」
当然の様に治療院の受付と世間話していたユイは、入って来た2人を見るや声を掛けて来てくれて、目的の治療室に案内をしてくれた。基本的に治療院では患者に必要な治療の度合いによって階層が分けられており、1階には比較的軽度な患者が、2階には長期間の滞在が必要な患者が、そして地下には研究施設が存在している事もあり、それ程に最先端の技術が必要とされる患者が集められている。ちなみに3階は単に医療従事者達の生活スペースとなっている。
そして当たり前の話であるが、マドカが連れて行かれるのは地下の治療室。彼女がずっと今日まで治療を受け続けていた部屋と同じ場所だ。
真っ白な床と壁に囲まれたその空間は冷たく静かで、こんな場所にずっと居たのかと思うと何処か不憫に思ってしまうくらいだ。部屋の一つ一つがしっかりと施錠されており、もしかすれば何人かの患者は監禁でもされているのでは無いかと思うくらい。そんな無機質な廊下を進んでいる間、リゼの中には妙な緊張感が生まれていた。
「失礼します、マドカさんを連れて参りました」
「む、早かったな。まあ早いに越した事はないか」
「?……そちらのお方は、噂のマドカさんの教え子ですわね?」
「ええ、そうです。さ、リゼさんも中にどうぞ」
「あ、ああ、お邪魔するよ」
促されるままに中に入れられるリゼ、そこにはやはり朝に見た2人の女性が立っていた。
カナディアと呼ばれていた水色の髪をしたエルフの女性は机の上に書類の束を置いてペンを走らせており、一方でアクアと呼ばれていた精霊族の女性はすり鉢で何かをすり潰しながら様々な薬品を揃えている。やはりこうして近くで見ると両人とも目が眩むほどの美人であり、それはマドカと親しくしていた所を見てしまったが故に抱いていた嫉妬も簡単に吹き飛んでしまうほど。
そしてそんな彼女達は初めて見るリゼに気付くや
否や、作業の手を止めて立ち上がり、挨拶をする為に前に進み出てくる。彼女達は決して容姿だけの人間ではないという事を、リゼに対して突き付けてくる。
「なるほど、君が先日の闘争で活躍したという……初めまして、カナディア・エーテルだ。以前は"聖の丘"に居たのだが、今は訳あって"龍殺団"の世話をしている。よろしく頼む」
「あ、ああ……ええと、リゼ・フォルテシアと言います」
「
「あ、どうも……え、副団長?」
「カナディアさんもそうですよ?"聖の丘"でも、"龍殺団"でも」
「不本意ながらな」
「ユ、ユイ?彼女達は一体……」
「はい。カナディアさんは最高位の探索者であると同時に、スフィアに関する研究も行っていらっしゃる著名なお方です。アクアさんは滅多に表舞台に姿を表す事のない精霊族の女性であり、実力もさる事ながら、我々も知らない様な知識を多く会得されておられます」
「……待ってくれ、マドカ。もしかしなくとも朝君と話していた女性達は全員?」
「?そうですね、セルフィさんは現"聖の丘"の副団長さんで、ライカさんは"青葉の集い"の副団長さんです」
「全員が最大手クランの副団長クラスの人間だったのか!?それはあれだけ人目を引く筈だ!」
どのクランの名前も以前にマドカから講義を受けた際に聞いた事がある。この街の最大手のクラン、実力では抜きに出ている5つのクランの名前。
都市の警備も受け持つ最大勢力"聖の丘"。
正統派探索系派閥の"風雨の誓い"。
若人と老人が手を取り合う"青葉の集い"。
狂人揃いの"龍殺団"。
そしてラフォーレが所属する"紅眼の空"。
リゼもしっかりと覚えている。
つまり図らずしもリゼは、この5つのクランの副団長級の人間を全員知ったという事だ。それも聞いている中では特にこの目の前のカナディア・エーテルという女性、その経歴があまりにも凄まじい。
「ん?あれ?カナディア・エーテル?確かその名前は初心者用の探索者ガイドに……」
「探索者ガイド?……ああ、マドカと作ったあれか。役には立っただろうか?」
「それはもう、隅から隅まで読み込んで、とても分かりやすくて……」
「そうか、それは良かった。私は少々知識を貸したに過ぎず、殆どの作成者はマドカなのだが」
「嘘ですね〜♪カナディアさんは、ずーっと私に付きっきりで一緒に作ってくれました♪」
「こ、こら!余計な事を言うなマドカ!」
「えへへ」
「………」
やはりと言うか何と言うか、この2人は特に仲が良い様に見える。ユイとアクアもそんな2人のやり取りに笑みを向けながらも治療の準備を進めているが、その様子を見る限りではこれは本当にいつもの事の様だった。
マドカと1番仲の良い人間が自分では無いだなんて、そんな当たり前の事は別に考えた事の無いくらいには当然の話だった。けれど一度その当たり前を考えて実感させられてしまうと、それはとても重い物となって心にのしかかって来る。知り合いも友人も居ないリゼにとっては最も信頼出来る相手はマドカであったが、マドカにとってはリゼは友人の1人でしかないのだ。だってリゼはこんな風に誰かに甘える様な雰囲気を出しているマドカの姿なんて、その片鱗すらも見せられた事も無いのだから。
カナディア・エーテル……この街の最上位の実力を持つエルフの探索者にして、研究者としても有名な人物。マドカ・アナスタシアが自身の母親を除いて最も信頼している人物であり、一緒に居る時間が長い。マドカも彼女に甘えている節があり、彼女もそんなマドカを溺愛している。
自分が1番に思っている人が、自分のことを1番に思ってくれているとは限らない。