真っ白な部屋のベッドの上で、素足になった左足を3人に覗き込まれながらも触診をされているマドカの姿を見る。
それまで黒色に傷口が染まっていた筈のその場所には、今はもう艶やかな白く綺麗な肌が戻っており、ユイに指で押される度にくすぐったそうに笑みを溢す彼女に、苦しそうな様子はもう無かった。
「……ふむ、流石だなアクア。私の出番が無くなってしまった」
「いえ、私の知識だけでは不可能でしたわ。やはりユイ様のスキルは本当に素晴らしいですのね」
「そのスキルに知識が追い付いていないのは、本当に情けのない話ですが……マドカさん、一度採血を行ってもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
アクア・ルナメリアが聞いた事もない様な植物や素材を混ぜ合わせて作った粉状のそれを、ユイがお湯に溶かして傷口に塗ったり、更に薄めて幾つかの薬品をアクアの指示通りに混ぜた物をマドカに飲ませたりしていた。何の知識もないリゼから見た目の前の光景は、本当にそれくらいでしか表現する事は出来ない。ただどうした事か、本当にそれだけでユイや治療院の研究員達があれほど苦悩していたマドカの毒が消え失せたのだから、何も分からなくとも"凄い事をした"というくらいは分かるもの。
心に少しの安堵感を抱えつつ、リゼもマドカの元へと近寄って行く。
「多少の痺れや感覚の違和感は残っているかもしれませんが、それも数日も経てば殆ど解消されていると思います。……これで漸く退院ですね、マドカさん」
「本当にありがとうございます。ユイさんも、私の為にずっと付きっきりでありがとうございました」
「いえ、私はしたい事をしていただけですから」
「……それにしても、アクアとユイの力を借りて漸くとは。厄介な毒を持つ存在が居たものだ」
「見たところ、強力な呪詛を帯びた毒物の様な物ですわね。被者の肉体に複雑に絡み付くそれを除去するのは容易い事ではありませんわ。現状ではより強い力で強引に除去を行う以外に方法が思い付きませんの」
「つまり、私の魔法でも解呪と解毒を同時に行えば治療自体は出来たという事か」
「むしろカナディア様程のお力が無ければ魔法での完全な除去は難しいのではないでしょうか。仮に同様の毒を扱う龍種が地上に出現した場合、その被害の規模は計り知れませんわね」
「……この薬の素材も、そう容易く手に入れられる物ではありませんから。研究は継続しておいた方が良いかもしれません」
「治療院の方に事情の説明を頼めますか、ユイさん。不足している素材等があれば私も優先的に引き受けます。この毒は相当に危険です」
「はい、お任せ下さい。院長にも話を通しておきます」
「私は似た性質の毒物を扱う龍種についての調査を行っておきますわ。龍の飛翔の記録の中に存在を確認出来れば、警戒すべき相手の特徴が分かるかもしれませんもの」
「ふむ、ならば私はグリンラルの知り合いに文を出しておこう。あの街のダンジョンはモンスターの宝庫だ、何かしらの手掛かりがある可能性は高い」
「ええ、お願いします」
それでも、リゼがその会話の輪に入る事は出来なかった。
そんな伝手がある訳でもなく、この件に関して自分に出来る事は他に何も無かったから。そしてその事について何のフォローも入れないマドカを責める事など誰が出来ようか、本当に人死が関わっている事なのだから。それに話がひと段落したら、彼女は直ぐにリゼの方にも顔を向けて手を招いてくれる。リゼが感じるのはただ虚しさだ。他のどんな汚い感情も、彼女はこうして許してくれないのだから。
「……マドカは、彼女の事をかなり気に入っている様だな」
「え?ふふ、それはもう。リゼさんは将来有望ですよ?今は所属クランを探している所なんです」
「ほう、それは……私の所属が"龍殺団"でなければ直ぐにでも勧誘していたところだ」
「成程……しかし"風雨の誓い"も探索者歴の浅いリゼ様には少しばかり誘い難い現状がありますわ。やはり最初は"青葉の集い"がよろしいのでは無いでしょうか」
「いやその、私は……まだ他のクランも、見てみたいと、思っていて……」
「……ふむ」
「それでしたら、私としては"投影のスフィア"を使う事を推奨致します」
「"投影のスフィア"を?なぜ?」
「"投影のスフィア"ではギルドが開催しているイベントや依頼関係以外にも、中小規模のクランが団員募集の為に使用している事がある為ですの。実際の雰囲気や戦力の確認を行うには打って付けかと」
「なる、ほど……」
「……まあ、マドカの方から紹介した所で本人が納得出来るかどうかは別か。大半の説明は済ませたのなら、その先はもう彼女に任せてはどうだ?マドカ」
「そう、ですかね……ごめんなさい、少し構い過ぎてしまっていたでしょうか、リゼさん」
「い、いや!そんなことはない!助かっていたのは本当なんだ!本当に!」
カナディアのその言葉がリゼを救ったのは間違いない。そしてアクアの提案もまたそうだ。色々と複雑に心が動く今は、もしかすればそうして落ち着く事も必要なのかもしれない。……単純に、身体を動かして人と関わるより先に、ただ呆然と何も考えずに投影された映像を見ているだけ。そんな時間が欲しいと言うのも嘘ではない。
「……ひとまず、彼女に言われた様に投影のスフィアを使って探してみようと思う。だからマドカは暫くは元の生活に戻って、依頼をこなしてくれ」
「リゼさん……」
「あ、でも……よければ、食事くらいは一緒にさせて欲しい。私もまだそこまでマドカ離れをする勇気は無いんだ」
「!……ええ、勿論ですよ!私だってそんな急に突き放したりするつもりは無いんですからね!」
ああ、分かっているとも。
彼女の言葉の全ては、自分を想っての事だと。
分かっているからこそ……
「……少し話せないか、リゼ・フォルテシア」
「え?ええと……」
「すまない、マドカ。少し彼女を借りる」
「え?ええ、それは構いませんが」
「さ、上に行こう。飲み物くらいは馳走する」
カナディアの突然のそんな行動に困惑しつつも、リゼは腕を掴まれて強引に部屋から連れ出された。魔法に秀でているというエルフ、しかしやはり高位の探索者ともなればそんな事は関係が無いらしい。
マドカから引き離される様に部屋から引き摺り出されると、そのまま階段を登り、辿り着いたのは治療院の1階にある小さな食堂。適当な机につかされると、そのままの足で適当な飲み物を頼み始めるカナディア。そして何故ここへ連れて来られたのか、そして何故初対面の筈の彼女が連れてきたとか全く理解出来ずに椅子の上で固まるしかないリゼ。あまりの急展開に再び彼女の頭の中は真っ白になっていた、それはカナディアが冷えた果実搾りを持って来ても尚。
「……君はどうも考え込む癖がある様だ。そのくせ思考が行き詰まると混乱してしまう。探索者としては早めに治しておいた方が良い癖だろう」
「え、あ……はい……」
「そう緊張しなくてもいい、まずは飲んで落ち着くと良い。私はラフォーレの様に初対面の相手に暴言を吐いたり殴り付けたりはしない」
「それは、まあ、なかなか彼女の様な人は居ないとは思っていますが……」
「ふふ、そうか。君はもう彼女の洗礼を受けた後の様だな」
「ええ、それはもう、本当に……」
「まあアレは災害の様な物だ。自分から近付いたりマドカに害を成す様な行為を働かない限りは、そうそう大きな被害を受ける事もない。探索者である限りは、根本的には味方でもあるからな」
「…………」
同じ様に持ってきた果実搾りを口にする彼女を、リゼは困惑した表情で見つめる。
ラフォーレの事を話したくて連れて来た訳では無いだろうし、かと言って喜ばしい話を持って来たという訳でも無い事は分かっているのだ。緊張はするなと言われても、そう容易く解けるものでは無いと言う事はカナディアにだって分かっている筈。
「……君がマドカに憧れを抱いているのは分かっている」
「!」
「その憧れの形までは知らないが、君の考えは分かる。単純、マドカと離れてまで他のクランに所属するという事に抵抗を抱いているのだろう?」
「そ、そこまで……」
「まあ、所詮はそこまでだ。だが君と同様の気持ちを抱き悩んだ者が過去に居て、その時も私がこうして同じ様に話を聞いていた。それ以上の説明は必要無いだろう」
「……私は、所詮はマドカに憧れた多くの1人に過ぎなかったという事か」
「それも否定はしない。そしてそれはマドカだけに限らない。高位の探索者に憧れや恋心を持つ者は多く、ただ只管にその相手の側に居ようと努力している者もこの街には大勢居る。その中でも特に君達の不運は、マドカはどのクランにも所属して居らず、その側に誰も置いておくつもりが無いという事くらいだな。それ以外は世の中に至極ありふれた話だ」
「………」
カナディアの言っている事に間違いは無かった。
言葉にして言われなければ気付かなかったが、言葉にして言われてみれば本当に当然の話でしかない。
「君は何も特別ではない」
「……!」
「君の憧れも、想いも、全てありきたりなものだ。大きく美化をして、悩みを捏ねくり回すな。もっと単純に考えるといい」
「……単純に?」
「単純だろう。そんな想いなんかより、君にはマドカの教え子であるという、この世界で僅か5人しか持っていない何にも変え難い称号があるのだから」
「!」
「誰にでも手に入れられる様なものでは無い。それが欲しくて堪らない者も多い。君は既にそんな憧れなんかより、よっぽど特別な物を持っているんだ。それでは満足出来ないのか?」
「それ、は……」
マドカの教え子であるという事実では満足出来ない、ならば他に何を求めているのか。いや、何を失うのを恐れているのか。それは単純、現状をだ。現状の生活をリゼは好ましく思っている。
ワイアームと戦闘をしたあの日までを、リゼはずっと続けていたいと思っている。
(だが、あの日までの生活とは……)
マドカに手取り足取り教えを受けながら、彼女の時間を占拠し続ける生活。彼女の目を自分だけに集め、彼女の元の生活を阻害し続ける生活。……果たして、自分は本当にそんな生活を長く続ける事を望んでいるのだろうか?だとすれば、自分は単純に彼女の邪魔者なのではないだろうか?
(……マドカの近くに居たい)
けれどその願いを叶えるのならば、せめて彼女の邪魔にならない立ち位置で居たい。むしろ彼女の助けになれる立ち位置で、その願いを叶えたい。それは今この瞬間までずっと考えていた事で、同時にそれだけは譲れない、譲ってはいけない線だとも思っている。
「……カナディア、さん」
「カナディアで構わない。どうした?」
「マドカの力になれる位置で、マドカの側に私は居たい。そんな願いを叶える事のできるクランというものは、あるのだろうか……?」
「………成程」
そんな都合の良い場所が存在するのか。
都合が良過ぎるというのは分かっている。
けれどその都合の良い場所が今は欲しい。
リゼのそんな無茶な願いを、カナディアは至極真面目に瞳を閉じて考えていた。
「無いな」
勿論、答えはそんな現実的なものではあったが。
「やはり、そうか……」
「だが、無いなら作れば良い」
「え?」
そして再び返されたその言葉もまた、あまりにも現実的なものでしかなかった。
「ようは正式に認められたクランに入っていれば問題ない訳だ。君がそんな都合の良いクランを作ればいい。君にとって都合の良い方針を持ったクランを、他ならぬ君が作れば良い」
「し、しかしそれは……」
「出来ないのか?」
「!」
「クランなど仰々しくは聞こえるが、所詮は人間の集まりだ。要件さえ満たしていればどれだけ馬鹿げた目的の為に動く小さな集まりでも認められる。今は大きく見えるクランであっても、その最初の作りは本当に馬鹿げた物だったりもする」
あとは熱意だけだ、と。
彼女は試す様にそう言葉にする。
リゼは以前に聞いたことがある。
クランを作る為には、何よりもまず書類を揃えるのが大変であると。
リゼにはエルザやユイの様に書類仕事の経験がある訳でもなく、むしろ自分の身元すらまともに証明出来ない有様だ。勉強や常識だって、そこまで自信のある出来でもない。
(自分に出来るのか……?いや、それが出来るだけの気概があるのか?という話なのか)
自分の望みを通すには、その努力をするしか無い。
その困難を乗り越えてもその望みを通したいのか、本当にその困難を乗り越えるほどに強い願いなのか。これはある意味で試されているのだろう。他の誰でもない、自分自身に。
「……カナディア。クランを作るのに必要な要素を、教えて貰うことは可能だろうか?」
「クランを作るにあたって必要な物は大きく4つ。2人以上の所属者、必要書類の提出とクラン資金10万L、そして他の公認クランによる推薦状だ」
「……前者3つは分かるが、他のクランによる推薦状?」
「金と書類さえあればクランとして認められる訳では無い。クラン同士の信頼と連携が出来なければ、"龍の飛翔"があるこの街でクラン活動を行うことは認められない」
「……エルザ達なら認めてくれるだろうか」
「さて、そこは君達の信頼関係による。推薦状を出すということは、君達が何か問題を起こせば彼等にも直接的にでは無いにしろ、少なからずの責を求められる。そう容易く出せる物ではない」
「なるほど……」
エルザは優しくはあれど、甘い人間では無い。
リゼが作るクランであっても、それが信用ならない物であれば決して推薦状を出す事は無いだろう。マドカはクランに所属している訳ではないため、今回の事については助力は願えない。……エルザが信用できる様なクランを作る、その信用に足る何かもまた必要だ。
「まずはもう1人、君のクランに入ってくれそうな人間を探すといい。常に数多のクランが熱心に勧誘を行なっているこの街では、何よりもそれに間違いなく時間を要する事になるだろう。彼女達の信頼を掴む方法は、それから考える方が効率が良い」
「……ありがとう。きっと、恐らく、これは言うより難しい話なのだと思う。……けど、やれるだけはやってみようと思う。自分の我を通す為にも。そして、自分の願いの強さを試す為にも」
「ああ、努力するといい。助力はしないが、陰ながら見ていよう」
"助力はしないが、"
助力はしてくれない。
ただ陰から見ているだけ。
応援も、してはくれないのだろう。
それは実質、今こうして向き合っている事でさえも、彼女としては事務的な物なのかもしれないという話。
「……応援は、してくれないのか」
「しないとも、私が今こうして君に話をしているのもマドカの為だ。あの子に自分勝手な重みを押し付けようとしている君の事は、正直に言えば私はあまり快く思ってはいない」
「………」
「我を通すとは、そういう事だ。その我を通す事で救われるのは自分一人であって、その我によって君を気に食わないと思う者は大勢生まれる。その辺りも含めて、一度考えてみるといい。君に果たして、本当にその我を通すだけの強い意志があるのかを」
「………」
それだけを言い残して、彼女はこの場を後にした。
とにかく動いてみる、クランを作る努力をする。きっとその方向性は間違っていない。だからこれからも、それを目標に据えて動く事になるだろう。
……だが、同時にまた疑問も生まれてしまった。
果たしてそんな中途半端な気持ちで、自分の意思を先送りにした状態で、本当にクランなど作れるのかと。クランを作る為に意思を決めるのではなく、意思を決める為にクランを作ろうとするのは、順序を違えているのではないのかと。
クラン作成の手続き……基本的にクランを作成しようと思う場合、そういった事務処理を代わりに行ってくれる民営の団体に依頼を行い、手続きを進めていくことが多い。しかしそうまでしても他クランからの推薦状と必要経費という壁は大きく、事務委託とクラン資金だけで50万L程が相場となっている。よって最初は大手のクランで経験を積み、それから個人のクランを作っていくのが基本的な流れになる。エルザはこの事務処理を全て生活の片手間に行い、通常数ヶ月〜1年掛かる書類のやり取りを一瞬で終わらせている。この技術だけで食べていけるほどの能力であり、当然ながらギルド長のエリーナに目をつけられた。