アルカがその場から逃げ出した後、マドカはカナディアの手を取って近くにあった木製の長椅子に腰掛け、いつも通りの微笑みを浮かべて言葉を待った。
種族の違い、それによる歳の違い、そんな事は些細な事とばかりに肩を並べる少女。そんな彼女に何度戸惑い、何度安らぎを得た事か。今ではそんな事にも懐かしさを感じる様な自分に、カナディアは満足感すら覚えている。
「……やれやれ、アルカは15とは思えぬ程に言動が幼いというのに、お前は17とは思えぬ程に落ち着いているな」
「それもアルカさんの人柄の一部ですから、否定するものではないですよ。実際アルカさんのあの性格に助けられている人達も居る訳ですから」
「そうは言っても、15の頃のお前は今と殆ど変わらなかったからな。どうにも子育てに関しては私よりラフォーレの方に才がある様に思えて自信が無くなる」
「カナディアさんは頑張っていますよ。それにアルカさんはちゃんと優しい心を持っています。それさえあるのなら、きっと間違いなんてありません」
マドカのその言葉がなによりの本心であり、同時に間違った話ではないと知っているからこそカナディアは苦くとも笑いを返せる。
何をどうしたらあんな母親からこんなにも優しい娘が出来上がるのか、それはこの街における7不思議の1つでもあった。そうだからこそ、ラフォーレもまた自分の娘をここまで溺愛しているのかもしれないが。
「……本来ならばお前くらいの歳の子には年長者の私が言葉を送るべきだろうに、どうも慰められてばかりいる自分が情けなくなるな」
「その分、私が困った時にはいつでも助けてくれるじゃないですか。カナディアさんにだからこそ明かしている事も沢山ある訳ですし」
「まあ、確かにお前から持ち込まれる話は大抵頭が痛くなるものばかりだがな。それを隠されているよりは遥かにマシだが」
「その言い方だとまるで私が隠し事ばかりしているみたいです」
「事実だろう、お前は私にあといくつ秘密を残しているんだ?」
「ふふ〜、秘密です♪」
「全く、その秘密の全てを暴くにはあと何年時間が必要な事やら」
母と娘、そう表すには近過ぎる。
友人や親友、そう表すには熱過ぎる。
しかし恋人にしては敬いが見え過ぎる。
こうして穏やかな日差しの元で肩を並べて語り合う時間はきっと何より幸福な時なのだろう。それでも、こうして幸福な語り合いの時間もいつまでも続くものではない。
秘密がある。目を逸らしていた事実も多くある。幸福に笑う彼女達の後ろには、ずっと付き纏っている暗い事実達が確かにある。
「……それで、誰が亡くなったんですか?今回は」
「!……気付いていたのか」
「そんな顔していました、笑って話している事すら申し訳ない様な」
「そうか……まだまだだな、私も」
「私としてはその方が助かりますけど……まあ、大体分かります。亡くなったのはノエルさんですね」
「ああ……遅れて発生した地下からの個体群が、丁度治療所の真下から現れた。身動きの取れない重傷者の代わりに戦っていたそうだが、そのまま連れ去られてしまってな」
「……亡骸は、どうなりましたか?」
「……今回現れた対象はラッド・ドラゴンと名付けられた。奴等は習性として敵味方構わず死体に自身の卵を植え付け、凄まじい勢いで繁殖する」
「………」
「卵が孵化するまでに最短で3時間、その後に死体を元に生体になるまでに1時間。私達がそれを見つけた時には、既に失踪から3時間半が経過していた」
「そう、ですか……」
「見つけたのはラフォーレだ。奴は即座にその場でノエルの遺体を焼いたそうだが、間違いなく人の形は保っていなかっただろう。遺品は今まとめている、お前から借りていた物は後で代わりに返そう」
「……ありがとう、ございます。しっかりと話して下さって」
「いや、私達がもっと治療所に戦力を割いていればこうはなっていなかった。責はそう進言しなかった私にもある」
「カナディアさんの立場も分かっているつもりですし、レンドさんがそうせざるを得なかった程に戦力が足りていなかったという事実も理解しています。それに私だって、聖の丘の団員さん達を守れませんでしたから」
「……それこそ、お前が責任を感じる様な件では無かったろうに」
それは本当に、よくある話だった。
この街でなら当然、誰もが何度も味わう事だった。
通常のダンジョン探索ならば勿論、"龍の飛翔"と呼ばれる強力な龍種が地上に現れる厄災とも言える様な現象も存在するこの街では、ありきたりな話だ。
いくら力を増して来た探索者達でも、死者をゼロにする事なんて決して出来はしない。いくら優秀な仲間や指揮官がいたとしても、死者を出さないなどという偉業を簡単に実現出来はしない。
今回はそのうちの1人が偶々マドカにとって懐いてくれていた後輩であって、尊敬してくれていた愛らしい少女であって、真面目で責任感の強い将来有望な探索者の1人であったというだけだ。
小さな身体に金色の髪を編んだ青眼の小さな少女は、その生真面目さから人々を救う為に"聖の丘"に入り、回復に特化したスキルで重傷者達の治療を行いながらも、最後にはその彼等を守るために決して得意ではない戦闘を挑み、敗北した。その美しい容姿を欠片も残す事なく、人としてあまりに無残な最後を遂げて、彼女は消えた。
……きっと、ラフォーレがその場で即座に彼女の死体を焼いたのは、単に死体を残しておくと繁殖の餌場になるからという理由だけでは無いはずだ。
探索者ならば誰でも知っている事だ。
探索者の終わった姿など、綺麗な思い出を残しておくにはあまりに不要な物であると。
「……正直に言えば、油断していた」
「…………」
「敵は間違いなく邪龍級の存在ではない、そして数は多くとも1体1体はそう強い訳でもない。奇妙な能力を持っている訳でも無く、時間さえかければ簡単に終わるものだと、そう思っていた。……だが、その結果がこのザマだ。死人こそ少なくとも、精神的、そして肉体的な重症者があまりにも多過ぎる」
「そう、ですか……」
「今も街の復興と探索者達の治療が同時に行われているが、肉体的な治癒は時間をかければ可能だが、精神的な治療はそう上手くはいかない。果たして何人の探索者が辞す事になるか。再起不能の怪我を負ってしまった者達も含めると、良い想像はまるで出来ない」
頭に手を当てながら、蹲る様にして心音を吐露するカナディアの背中を、マドカは優しく撫でながら聞き頷く。仮にも代表的なクランの副団長(実質的な団長)として動く彼女は、自身のクランだけでは無くこの街の未来まで見据えて働いている。そんな彼女は探索者という財産の価値をよく分かっているし、1人の人間が居なくなるという事実が周囲に与える影響というものをよく理解している。
今回の討伐は確かに成功した。
しかし同時に指揮陣の1人としては完全に敗北していた。そうでなくとも、こうして弱音を吐くことの出来るマドカの可愛がっていた少女を死なせてしまったのだ。誰に言われなくとも感じる責は、あまりにも大きい。
「……次こそは、勝ちましょう」
「マドカ……」
「確かに今回は、沢山の被害が出てしまったかもしれません。でも、次の機会で被害を減らすことが出来れば、せめてその犠牲を無駄にはしなくて済みます」
「……そう、だな」
「私、ちゃんと理解していますから。この街に居る限り、今隣に居る誰かが明日には姿を消している事だってあるって。けれど、それは決して無駄な犠牲では無く、この世界を守る為に必要な犠牲だって」
誰かが戦わなければならない。
誰かが体を張らなければならない。
そこに男だって、女だって、関係無い。
それを理解してこの街に居る筈なのだから。
それを理解していなければ、この街に居てはいけないのだから。
「カナディアさん、手伝ってくれませんか?」
「?なにをだ……?」
「私、まだ左足の感覚が完全には戻っていないんです。だから手伝ってください、調整」
「……それは構わないが、あまり上手く出来る気はしないな」
「いいんですよ、上手くなくたって。忘れるのはまた違うとは思いますが、何かをしている間だけは、辛い気持ちも少しはマシになりますから」
悔やもうと、悲しもうと、謝罪をしようと、起きてしまった事は今更どうしようもならない。ただ反省して、悲しみを堪えて、前に進む以外に出来ることなんてない。
『マドカさん!私、絶対に絶対に!皆さんの役に立って来ますから!きっとたくさんの人を守って見せますから!だから、帰って来たらまた褒めて下さいね!絶対ですよ!』
「…………よく頑張りましたね、ノエルさん」
満面の笑みでそう言った天真爛漫な少女は、今でもまだ、この記憶の中には居る。それだけでもきっと、この街ではマシな方なのだ。
一方その頃、ダンジョン9階層ではもう1人、今にも死にそうになっているマドカの後輩が居た。
「うわぁぁぁあああ!!!」
「逃げるな!戦え!殺されたいのか!」
「無理無理無理無理無理だぁぁあ!!こんな!こんな化け物……!」
『キシャァァアアッ!!!』
「うわぁぁあああ!?!?」
「チッ、雑魚が」
森の中を巨大な蛇に追われているリゼ・フォルテシア。木々を薙ぎ倒し、地面を削り、進路上に存在するモンスター達を跳ね飛ばす。その速度と力強さは同じ様な形状をしているワイアームとは比較にならない程に凄まじいもの。
森の中の探索に慣れているリゼが木々の視界の悪さを利用して様々な方法で逃げ回っていても、その度に何度も何度も追い付かれ、木々などの障害物を込みにしてもなお速度で負けているが故に、リゼは本当に現在命の危機に陥っていた。
「所詮はただのデカい蛇だろうが、火を吹く訳でもあるまいに」
「特殊な能力無しで次階層主に匹敵する蛇が居るものか!!なぜ危険種はこういうのばかりなんだぁぁあ!!!」
カイザーサーペント。
それは実質的に6〜9階層の主であり、主に9階層の西側を根城にしている超巨大な体躯を持つ蛇型のモンスターである。
9階層の半分は彼の領域であり、モンスターでさえも一度迷い込んでしまえば2度と戻る事はない。特別な能力など全くの皆無であるにも関わらず、その危険度は10階層の階層主であるレッドドラゴン(通称:赤竜)に匹敵し、長期生存による成長を防止する為に定期的な討伐が推奨されている様な存在だ。
加えて……
「こうなれば撃つしか……っ!?」
「それは馬鹿ではない、そんな物を向けられれば警戒くらいはする」
ワイアーム程の知性は持っていなくとも、自身にとって脅威となる物を明確に判断し、相手がいくら自身より小さくとも身を引く事が出来る頭はある。
その森の王としての姿と強者として驕ることのない在り方から、付けられた名前が"帝蛇"、エルフの言葉に直して"カイザーサーペント"。
「うぁっ!?」
「チッ、頭だけが敵の全てだと思うな!その無駄に良い眼を凝らして探れ!」
「わ、分かっている!」
突如として背後から襲い掛かって来た敵の尾の部分が身体を掠め、吹き飛ばされたリゼの身体を隣で走っていたラフォーレが引っ掴み立て直す。
倒れた木々や、今も徐々に再生している草木によって視界は悪くなる一方。にも関わらず全方位から響いて来るカイザーサーペントが動く音。音だけでは何処から襲い掛かって来るのか分かる筈も無く、頼れる物はそれこそ目しかない。
ラフォーレでさえも適応出来ているのだ、そもそも目の良いリゼが適応出来ない筈がない。
「っ、こっちだ!」
「逆方向もだ!馬鹿が!」
「うぇっ!?」
リゼが指差した方向からは蛇の頭が、ラフォーレが指摘した場所からは蛇の尾が、2人を挟み撃ちにする様にして穿たれる。まさか2方向から同時に放たれるとは思っていなかったリゼは一瞬の驚愕も許されない内にラフォーレによって首根っこを掴まれて、その場を無理矢理に退避させられる。
ラフォーレが居なければ、一体自分は何度死んでいたというのか。3度ほど死にかければ、なんて話もしたが、とっくにそんな回数は超えていた。
「炎弾」
自分達を中心に巻き始められた"とぐろ"に気付いたラフォーレは、即座に蛇の頭部に向けて炎弾を打つけて道を開く。
……彼女のその的確な動きは、単に慣れているという事だけでは無いだろう。今の炎弾でさえもかなり威力が抑えられた物だ。普段の彼女ならば、それこそ全力の炎弾の連射によってコレを一方的に葬り去っている筈なのだ。
つまりこれは単純に、探索者としての戦闘経験と意識の差。
「いい加減に頭は冴えたか、愚図」
「あ、ああ……いや、けれど、勝てる策が思い浮かばないというか……」
「それをまたぶっ放せばいいだろう、最大威力で」
「そ、そんな簡単な物じゃないんだ。私も出来るならそうしたいところだが、最大威力で撃つには狙いを定める時間を作らなければ自分の身体も吹き飛び兼ねない……」
「這って帰ればいいだろう」
「そこはせめて運んでくれ!というかそんな怪我も私はゴメンだ!」
とは言え、ラフォーレは今は支援の立ち位置。
このカイザーサーペントと戦うのはあくまでリゼであり、そこまでの手伝いを彼女がする気は無いのは明らかであった。
あくまでラフォーレがするのは、リゼが死なないための手助けのみ。あれを倒すのはリゼがしなければならない事。
「……その、普通カイザーサーペントを相手にする時にはLv.20越えの探索者3〜5人パーティが一般的だと聞いたのだが」
「何の問題がある、私は貴様がそれを出来ると判断してここに居る。私が間違っているとでも言いたいのか?殺すぞ」
「い、いや!その期待には応えたい!応えたいが……うわっ!?そ、そもそも狙撃銃は姿を見られながら扱うものでは無くてだな!!」
「ならばそもそもそんな物を持ってダンジョンに入るな」
「紛れもない正論!」
そうは言っても、これを持って戦いたいと思ったのは紛れもないリゼである。そしてこれでなければ勝てないという状況が確実にあり、それは間違いなく今だ。
狙いを定める時間は、自分の身体をその衝撃に耐える為に必要な準備を整える時間でもある。特殊な耳栓を入れ、最適な身体の位置を作り上げ、肉体を負荷の掛からない力加減に持って行き、精神の状態を磨き上げる。
今も敵にまだ追い掛けられ、避け難い場所からの攻撃に晒されているこの状況で、準備に掛けられる時間は恐らく5秒もない。敵が察知して逃げることを考えれば余裕は更に減るだろう。
最大威力で撃てる弾数は肉体的な負担を考えても1発が限度、つまりそれで殺せなければ意味が無い。そして少しでも身体の準備を間違えれば粉砕骨折や内臓破裂、最悪反動で死亡する事まで考えられる。それら全てを果たして本当に完璧に成し遂げられるのか。正直に言えばリゼ自身、そこまで自信がある訳ではない。……というかぶっちゃけ、無い。
「ふぅぅぅ……」
「……漸くやる気になったか」
リゼの目の色が変わる。
普段は豊かな表情から、着実に色が消えていく。
それは以前に狙撃を見せた時と似たものだ。
しかしそれでも、この状況では未だそこまでは至れていない。
「……そのまま真っ直ぐ走って欲しい」
「ほう、私を囮にするか。……まあいい、好きにしろ」
走り続ける木々の間から、リゼは正面に重なる様にして並んでいる大きな2つの木々を探し出して眼を付ける。共に走っているラフォーレを囮代わりにそのまま走らせ、リゼは背後から迫る敵から身を隠すようにしてその木の間に走り込んだ。二本の木を利用して駆け上がり、緑に隠れる様にしてしがみ付く。するとリゼがしがみ付いたその木に向かって、帝蛇は丸ごと噛み砕くかの如く顔を横向きに食らい付いた。
……勿論、幹に当たる部分にリゼは居ない。リゼが居るのはその少し上の辺りだ。それでも、居所がバレるのにそう時間はかからないだろう。故にここから一々狙っていられる時間は無い。
「っ……!」
咥えられた木が他の木と衝突する瞬間、それに紛れてリゼも身体を移す。
遠ざかっていくカイザーサーペント、そしてラフォーレ。身体中が葉と泥だらけで酷い有様だが、目標はアレの討伐だ。リゼはそのまま再び今も帝蛇の身体が通っている道の方へと足を向けると、直ぐ様に狙撃の準備へと移った。
ラフォーレは願い通りに真っ直ぐ真っ直ぐと走っている。そしてこのままならば帝蛇は間違いなく自分が居ない事を不思議に思い、周囲に警戒を向け始めるだろう。
……リゼの狙いはそこだった。
この場所からは帝蛇の頭は見えないが、余計な事をしなくとも帝蛇は自分から頭を上げる筈。
こんな物騒な兵器を持った人間が突然姿を消して、警戒しない筈が無いのだ。あれだけ自分を警戒していたあの大蛇が、それに気付いて見逃す筈が無い。
(いくらでも逃げるといい。どれだけ遠くで頭を上げようと、必ずそれを撃ち抜く)
待つ、待つ、ただ静かにその時を。
身体の横側を通り抜けていく巨大な帝蛇の身体。
それにも一切気を取られる事なく、一心不乱に頭が上がるその時を待つ。
意外にもその時は直ぐにやってくる事はなく、リゼの精神力だけが削られる時間が過ぎていった。
……そして、
「あ」
ドンっと、横を通り過ぎる蛇の身体の一部がリゼに当たった。
「あ、あ……」
ズレる標準、途切れる集中力。
そして気付かれる、リゼの存在。
体制を崩され、落としてしまった大銃を慌てて拾い直す。姿勢をある程度まで直し、取り敢えずとばかりに再びスコープから蛇の方を覗いた時……そこには移動を止めてジッとこちらを見ているカイザーサーペントの姿が映っていた。
『キシャァァアア!!!!!』
「撃っ……(この体勢で撃ったら絶対に当たらない!)」
リゼは全速力で森の中へと姿を隠そうとする。
しかし背後から打ち付けられる蛇の身体。そのまま叢に突っ込むと、思いの外重かった一撃にリゼは何度も咳き込み身体を丸める。
「っ」
巨体が次第に近づいてくる音が聞こえた。
あれだけ走らせてしまったのだ、流石にラフォーレもここまで来て助けてくれる事はないだろう。彼女はそこまで善人では無い。ここで死んだのならばそれまでだとでも言うはずだ。
「うっ……くっ……」
激痛が走る身体を何とか引き起こし、リゼは自身の身体をわざと叢の中に隠したままに狙撃の態勢を作る。
いくら森の主であるとしても、こうして叢に居ればそれも多少は誤魔化せるはず……と言う訳でもなく、これもほんの気持ち程度の効果にしかならない。しかしそれでも、今はそれが無いよりもマシだ。
ここまで来たら作戦は単純……頭を出した所をこちらが先に撃ち抜く。所詮は先程ラフォーレと共に行った事の焼き直しに過ぎない。それを、今度こそ自分1人でも成し遂げられるかどうか。敵の尾に惑わされず、確実に頭部を撃ち抜く事が出来るかどうか。
(やる、殺る、やらなければ死ぬ、やる以外に生き残る術はない。神経を研ぎ澄ませ、耳と目を凝らせ、音でも敵の進行方向の情報にはなる。モンスターや虫達の動きにすらも気を配るんだ)
再び周囲から聞こえて来る這い擦り音、巨大な敵の息遣い、そして跳ね上がる自身の心臓の音。狙撃に余計な焦りが排除し切れず、集中力も恐怖によって散漫しているこの状態。
(……『視覚強化』『星の王冠』)
しかしマドカから貰ったそのスフィアの力を行使し、スキルも併用して発動した瞬間に、爆発的な情報量が頭に流れ込んだ事もありそんな余計な感情は軒並み流されていった。
脳内に入り込む多大な情報の処理によって感情の動きが薄くなり、慣れない聴覚による情報収集をしようとしたが故に妙に強調して聞こえていた自身の心臓の音も徐々に主張を弱めていく。
……そこまでしても、何もかもが見えると言う事はなかった。
けれど、見える物はそこに確かにあった。
単に視力を強化するだけではない。
単に動体視力を上げるだけではない。
"視覚強化のスフィア"は光の少ない世界でも自身の目に日の下に居る時と変わらない光景を映し出してくれていた。
スキルによる情報の処理。
僅かな動きや変化すらも見落とさない完全な発揮。
そうしてゆっくりと映る世界の一場面の中に、リゼは偶然にもその大きな黄色い瞳を見つけてしまった。こちらを見つめる球体を見てしまった。1人と一体の狩人同士の獲物を狙う瞳が、合わさってしまった。
「ぎっ……!!」
その間僅か0.2秒。
瞳を視認し、銃口を向け、引鉄を引く。
敵が頭を出して攻撃を仕掛けて来るよりも先に、リゼはそれを撃ち貫く。経験任せの偏差射撃。無意識に近い反射行動。そこには何の躊躇いや恐れも無かった。ただ今日まで培った確かな努力と経験だけが、無心となった彼女の身体を突き動かしていた。
ノエル・テナラート…聖の丘に所属していた探索者であり、回復に特化したスキルを持っていた。しかし扱いに難しいそのスキルに困っていたところをマドカに相談し、彼女の協力やスフィア提供もあってスキルを十分に使い熟せるようになった。最後は治療所を襲撃してきた龍種と戦闘し、かつての可愛らしかった少女の原型を殆ど残していないほどに食い荒らされて見つかった。教会で育った彼女は他者を治療するという才能に強い責任を感じており、燻っていた才能を開花させてくれたマドカを慕っていた。悲しいことは才能を開花してしまったからこそ、その責任感もより強くなってしまったことか。あの場で直ぐに逃げていれば、彼女はより多くの人を救えていただろう。