粗方の部屋の掃除が終わり、手伝いをしてくれた3人に昼食をご馳走した後。私物を整理しながらその時を待っていると、大凡日が暮れる頃には彼女がカナディアに連れられてこの部屋へとやって来た。
なんとなく広く感じていた場所も2人で座れば適度なもの。机を挟んで向かい合うと、取り敢えずの現状報告を行う事となった。
「なるほど、つまり結局ほとんど何も分からなかったのか」
「はい……唯一、私がこの街の人間では無かった事だけは分かりました。街に入った記録も無かったんです」
「ふむ、そうなるとやはり申し訳ないが暫くこの部屋に居て貰わないといけないんだろうね。すまない」
「そ、そんな!頭を上げて下さい!リゼさんには迷惑をかけてばかりで、私こそ申し訳なくて……」
レイナ・テトルノール。
リゼよりも2つ年下の少女は年相応の体付きに、キリッとした顔の作りとは対照的な礼儀正しく控えめな様子を見せてくれる。単純な容姿としてはリゼと同じようにカッコいい女性という印象があるが、やはり隣に立つ相手が早熟なリゼとなると可愛らしく見えるのだから不思議な物だ。
それとやはり、彼女は何故かリゼと目を合わせたがらない。頬を赤らめて、少し正面に居づらそうにしている。
「あー……そうだ、この部屋には寝室があるんだ。唯一の個室と言ってもいいかもしれない。それは君が使ってくれて構わないよ」
だからこんな言葉は最初から考えていた話題の一つに過ぎず、リゼとしてもそう大した考えもなく空気を繋ぐ為に発した言葉でしかない。その筈だった。
「え?そ、そんな訳にはいきませんよ!私の様な居候が貴重な個室を譲って貰うなんて、そんなの駄目です!」
「いや、だが君も心落ち着けられる空間が必要だろう?安心して眠る事の出来る場所があった方が、気分的にも楽な筈だ」
「駄目です、それだけは絶対に頂けません!リゼさんは探索者さんで!この部屋の主人で!外に出られない私の代わりにお金を稼いで来てくれるんです!私なんかよりずっとずっと安心して眠る必要があるじゃないですか!」
だからまさか、彼女がここまで必死になって食らい付いてくるなんて夢にも思わなかった。なんとなく引っ込み思案な雰囲気のあった彼女が、こうして机に乗り出して顔を近付けて来る程に意見を叩き付けてくるとは。
「わ、私は別に何処でも問題なく眠れるし、お金についても殆どカナディアが……」
「そもそも!リゼさんは私の事を信用し過ぎです!もしかしたら私がリゼさんの目を盗んで何か企んでいるとか考えないんですか!?如何にも出自の怪しい私に個室を与えるなんてどうかしてます!」
「え……だが、君はそんな事はしないだろう……?」
「しないですけど!絶対にしませんけど!ギルドの人達やカナディアさんもたくさん私の事を疑ってたのに……!」
「なに、そうなのか?それは私からも少し言っておかなければ……」
「だから、それが普通なんです!聞けばこの街は少し前に襲撃を受けたんですよね!?その直後に現れた自称記憶の無い不信人物なんて怪しいに決まってるじゃないですか!それなのに、どうしてこんなに普通に受け入れてるんですか!あまりに無警戒過ぎますよ!」
「……でも、本当に記憶は無いと」
「無いですけど!ありませんけど!そうではなくてですね……!!世間体というかなんというか!」
ならば別に何も問題無いではないか。
心の底からそう思いながら困惑するリゼに対して、意見のスレ違いというか、認識の違いというか、けれどそこに少しの嬉しさもあるのか頭を抱えて悶え苦しむレイナ。
どうも、彼女も単にオドオドとしているだけの物静かな少女では無かったらしい。むしろこれまでの状況が状況だけに、こちらが彼女の本当の姿なのかもしれない。
「〜〜!……あ、あの、もしかしてリゼさんって、ずっとこんな感じなんですか?」
「こんな感じ、というと?」
「その、今日まで誰かに騙された事とかありませんか……?」
「恥ずかしながら、私はつい先日までずっと山奥で祖父と2人で暮らしていてね。殆ど人と関わった事が無かったんだ。この街に来てからもマドカに頼りっぱなしで……やはり私は騙され易いのだろうか?」
「ああ、駄目だこの人……」
「だが、本当に人と関わりが無かった訳では無いんだ。以前に山の中で移動演劇の女性達を助けた事があってね、それ以来彼女達が本当に偶にだが訪ねて来てくれる事があって……」
「……その中に男性は居ましたか?」
「いや、女性だけの劇団だったからね。男性は居なかったよ。……そう言われてみると年若い男性と関わった事は一度も無いのか、この街に来てからも殆ど無かったかな」
「だめだ、だめだこの人……!あまりにも天然過ぎる!怖い!物凄く心配になる……!私なんかよりこの人の方がずっと外に出したらいけない気がする!」
「?」
自分が騙され易いという自覚はリゼにもあるし、だからこそマドカの側を離れて別のダンジョン街に行く事を提案されても断った。ただ、どうにも目の前の少女の反応を見る限りその度合いは相当な物なのかもしれないと感じている。
リゼ当人としては、別に1人でダンジョンに潜る生活をする程度ならばそう大きな問題にはならないと思っていたのに。
「……ちなみに、明日からの予定を聞いてもいいですか?」
「ん?ああ、取り敢えずは怪我が治るまでダンジョンに潜れないから、引き続きクランメンバーを探すつもりかな。書類関係についてはカナディアが手伝ってくれるというし、後はエルザに承認が貰える様な説得方法も考えなければ……」
「……1人で、ですか?」
「?ああ、一応」
「し、心配過ぎる……」
「そう言われても……」
だからと言って彼女を連れ回す訳にはいかないし、仮にも独立した身なのに直ぐにマドカに頼りつくのも違うだろう。別に街を歩くくらいなら問題無い気もするけれど。
どうにも彼女は、そう思ってはくれなかったらしい。
「……顔と服は、買えば良い。周りへの説明は、私が頑張れば良い。後は髪、この髪だけはどうにかして」
「レイナ……?」
「……リゼさん、明日私の事を美容院に連れて行って貰えませんか?しっかり顔は隠しますし、カナディアさんやギルドへの説明は私が直接しますので」
「それは構わないが……あまり外出するのは」
「それとお昼にギルドにもお願いします、聞いていた限りでは明日のその時間にカナディアさんが居る筈なので」
「ええ、と……」
「お願いします」
「わ、分かった。明日一日は君に付き合うよ」
「ありがとうございます」
着実に2人の立場が逆転していく。
彼女の圧に、リゼが負け始める。
会話の主導権が徐々に徐々に移行していく。
「それでは、まず家事分担からしましょう。基本的な家事は全部私が受け持ちます、以上です」
「……分担?」
「次に生活上の諸々の規則についてですが、これは全てリゼさんの意向に沿います。何か不満があれば遠慮なく言って下さい」
「規則とは」
「生活費についてもリゼさんに管理して貰うつもりですが、家計簿を作成しますので収支について報告を頂けると助かります。使った詳細まで報告する必要もありませんし、使った額に私が意見する事もありませんので」
「い、いや、別にカナディアから受け取った額は君の物なのだから君が管理してくれても構わないのだが……」
「……こんな怪しい人間に月30万Lも管理させないで下さい。周りの目もあるんですから、せめて警戒する素振りくらいはして下さい」
「う、ううむ……」
「……それこそ、リゼさんの警戒が足りていないと監視者として不十分だと考えられてしまうんですよ?そうなると私も自由が制限されて困ってしまうので、私の為にもそうしてくれませんか?」
「うっ……わ、分かった、努力するよ」
「本当に、もう少し人を疑う様にして下さいね?」
……とは言え、まあそんなことは無理なのだと、こんな少しのやり取りしかしていないレイナにもそれは分かる。まあ人前で少しは意識をしてくれるなら十分という程度の話に過ぎない。
それに、正直な話レイナの中にはこの周囲からの目という問題についての解決策は浮かんでいた。まあ少しばかり気恥ずかしいはあるが、別に嫌な訳でもないし、それは事実でもあるのだし、個人的な欲の為にも実行する気しか無いが。
「ええと……取り敢えず、クランの話から片付けてしまいましょう。リゼさんの作ろうとしているクラン、人数が足りないんですよね?」
「ああ、やはり実績の無い私のクランに入ろうとしてくれる人はなかなか居ないし、居たとしても人は選びたくて……我儘だとは分かっているのだけどね」
「いえ、それで正解かと。ちなみにですが、それは私が入っても問題ないものですか?」
「それは……そうしてくれると私も嬉しいけれど、流石に君に探索者になる事を勧めたくはないよ。実を言うと最初はそれを期待してはいた所もあった。しかし探索者の危険性を私の先生がずっと指摘していた事を思い出してね。今はやめて欲しいと思っている」
「私は探索者になります、そしてリゼさんのクランに入ります。はい、この話は終わりましたね」
「私の話を聞いていたかい!?」
「聞いてはいましたが、リゼさんの意向と私の考えは関係ありませんし。私はそうしたいからそうします。リゼさんだって結局探索者を続けているんですから、人の事を言える立場ではない筈ですよ」
「そ、それはそうだが……危険なんだ!本当に!少し間違えれば簡単に死んでしまう様な!私だってもう何度も……!」
「それを飲み込んだ上での判断です。戦闘に自信がある訳でもないですし、そもそもそんな記憶もありませんが、私がそうしたいので」
「……何か、目的が?」
「はい、そうですね、そうしてもっと私の事を疑って下さい。……ただ、目的と言っても話は本当に単純な事なんです」
「?」
押しても引いても動いてくれない。
一度決めたら頑固な所があるのか、加えてリゼより口が上手いという事もあって、今やリゼにとって彼女はある種の壁の様にも感じていた。直後、そんな聳え立つ壁がとんでもない攻撃を仕掛けて来るとは夢にも思わず。
「私、リゼさんの側に居たいだけですから」
「!?」
そう少し気恥ずかしいそうに笑う彼女。
そんな言葉と仕草にドキリとしてしまった事は言うまでもなく、言われた事もない、された事もない直接好意を打つけられるという行為に、一瞬頭の中が真っ白になってしまう。
ピシリと固まったリゼの顔を見ながらも、レイナは横目で反応を楽しんだ。明らかに照れを感じている、紅潮し始める彼女の頬を含めて。
「わ……」
「?」
「わ、私は君に、その、そんな風に言われる様な事は、何も……」
「実際、刷り込みの様なものだと思います。記憶の無い状態で目が覚めて、混乱しながらも最初に見たのが、綺麗でカッコいい女性が私を守りながらモンスターと戦っている姿だった。……けど、そんな人の事が記憶に残って、心に焼き付いて、好意を抱いてしまうのは、そんなに不思議な事ですか?」
「び、美化し過ぎだ……!」
「本当に美化していたなら、接するうちに評価は下がっていく筈です」
「……下がっていないのかい?」
「少なくとも、今のところは」
リゼ自身、今の今までそこまで格好の良い自分でいられた自覚は無いけれど、確かに7階層で彼女を救出した際の自分はこの街に来てから最も良く身体が動いて適切な判断が出来ていたとも感じている。それ故にカッコいいと思ってくれたのならそれは素直に嬉しい事であるし、頑張った甲斐もあった。……ただ、今もなお評価が上がり続けているという点に関しては一向に理解は出来ない。少なくともこの会話で上がった話題はリゼが酷く騙され易い人間であるという内容くらい、なぜそれがむしろ評価が上がるのか。リゼにはそれがこれっぽっちも理解出来ない。
「お、煽ても今の私に金銭的な余裕は無くてだな……」
「別にそんなこと求めてませんよ。……ギルドやカナディアさんは疑っていましたが、私が興味があるのはマドカさんではなく、リゼさんですから」
「っ」
けれど、多分その言葉がリゼにとっては今までの何よりも大きな物だったかもしれない。
「マドカより、私が……?」
「?ギルドからの帰り道で一度だけ挨拶を頂きましたが、それだけです。むしろ一度顔を合わせただけの人の事をそこまで意識する理由がありません」
「それは、私を通じてマドカと知り合いたいとかでは無く、本当に……?」
「疑って下さいとは言いましたが、そういう疑い方は嬉しくありません。別にここで約束してもいいんですよ?マドカさんとは2度と話さないと」
「そ、そこまではしなくてもいい!……い、いや、なんだか新鮮な気分だったんだ。まだ新人の私はマドカの作ってくれた場所に居ただけだったから、他の何より私に、その、興味を抱いてくれるというのは」
「……なるほど」
まあ実際のところ、他の何よりリゼに興味を抱いている人物としてはメイド喫茶のリコ・スプライトという存在も居るには居るのだが、当の本人はそんなこと露も知らず、方向性も色々と違うので自覚しても飲み込む事は出来ないだろう。
そうでなくとも人との関わりが殆どなかったリゼにとって、他の何よりもリゼを見てくれる人物というのは、言ってしまえば初めての経験だったかもしれない。
祖父は銃のことばかり見ていた。
エルザやユイは自分達の目的を見ている。
そしてマドカも、決してリゼだけを見ている訳ではない。
「確かに私もこれから色々と見て、色々と思い出せば、他に興味が湧く事は当然出て来ると思います」
「ま、まあ、それは当然だ……」
「ただ、多分忘れられない事もあるんだと思います。例えばリゼさんがこうして抱き締めながら私のことを守ってくれた事とか」
「あ、いや!あれは私も必死だったというか!力を入れる必要もあって!」
「別にいいんですよ?理由なんか無くても抱き締めてくれても」
「そ、それは流石に問題だろう!」
「本人が良いって言ってるんですから問題にはなりませんよ、初心ですね。友人同士で抱き合うなんて普通の事です」
「え、ええと……そうなのかな」
そんな冗談にも真面目にオロオロとしてしまうのだから、弄り甲斐があるというか何というか。鬼メイドの目に留まって当然である。可愛げがあるとも言うのだろう、これくらい分かりやすい方が人は好ましい。
「そ、そこまで言うのなら……わ、わかった」
「え?」
そしてこの女、本当にクソ真面目だった。
頼まれたら断れないのは当然、求められれば答えてしまう。
当然そこに美人好きという下心が無いと言えば嘘にはなるが、それでもある羞恥や戸惑いをどうにか出来てしまうくらいには、尽くす人間だ。
そしてそれが冗談であるかどうかを判断する能力も、まだまだ全然足りていない。
「理由はその、まだよく理解出来ていないのだが、これも普通の事……なのだろう?私が世間知らずであるという事は理解している」
「え、あ、いや……」
「一先ず、痛かったら言って欲しい。私も加減が分からないんだ、すまない」
「ひんっ」
レイナよりも身体の大きなリゼが、そんな弁解の言葉を耳元で囁きながら、両腕をしっかりと巻き付けてくる。互いの鼓動の速さが直接伝わってしまう様な距離、互いの体温が感じられるほどの触れ合い。
突然の想定外の行動に顔を真っ赤にして完全に動きを止めてしまったレイナに対し、リゼは本当にこれで良いものかと少し心配そうな顔をしながら力加減を調整していた。
確かにリゼは騙され易い。
自分に対する自信もない。
しかしそれが最も力強く働くのは、なにより信用している人間からの言葉である。心を許している相手の言葉ほど、それが少しばかり違和感のある物であっても信用してしまう。この相手がもしマドカであれば、大抵の事は信用してしまうだろう。それも彼女の危うさであり、良さでもあった。
「あ、あわわ……!」
……そして今日ばかりは、強さでもあった。
「うまく、出来ているだろうか?なにぶん経験が無いんだ。人と抱き合うなんて、それこそ記憶にある限りでは一度もない」
「は、初めてだったんですか……!?」
「ん、初めてだ。……ああいや、ダンジョンで出会った時のことを考えたら2度目になるのかな。なるほど、言われてみれば確かにこれは、心地が良いかもしれない」
「は、はじめて……はじめて……私が、はじめて……」
ドワーフ族には友人との挨拶の際に互いを抱き合うハグという文化があるらしいが、きっとその文化に似たものが彼女にもあるのだろう。けれど確かにこれはいいものだ、とても暖かくて安心する。
……リゼの思っているのはこんな所だ。
それを喰らっている本人は安心とはかけ離れた場所に居るが。長く時間が続けば続く程に体温と心拍数が上がっていき、着実に頭の中で何かが爆ぜているが。ある意味で仕置きになっているのかもしれない、冗談とは言え純粋なリゼを騙した罰が。
「……リゼさん。ご、ごめんなさい……」
「ん?なにがだい?」
「友人同士で抱き合うなんて、その、ほんとは、普通じゃ、ないんです……少なくとも、私の常識的には、ですけど……」
「……」
「う、嘘というか、冗談のつもりだったと言うか!言ってみたら本当にしてくれないかなぁと思ったりして……ほ、本当にしてくれるとは思わなかったんですけど、結果的に騙してしまった、みたいな」
「……別に文化として持っていなくとも、レイナがして欲しかったのなら理由としては十分なんじゃないだろうか」
「え」
「それに『そういう常識だから』よりも、『そうして欲しいから』の方が私も嬉しいよ。少なくとも今、私はとても嬉しく感じたからね。……もちろん、次からは最初から素直な言葉として伝えてくれると、もっと嬉しいのだけれど」
「……!」
最早口説いている。
最早落としに掛かっている。
しかしリゼ・フォルテシアにそんな頭は当然無い。
完全な天然、どこでどう育ったらこんな女殺しが生まれるのか。そしてレイナは知っている。この顔のいい女は、戦っている時、特に誰かを守りながら全力で身体と頭を回している時こそが本当に良い顔をするという事を。だってそれこそがレイナがリゼに見惚れた瞬間なのだから。あの顔をした人間が自分にこうして囁いてくれていると考えると、それはもう本当に毒で。
「あ、あの……そろそろ……」
「ん、そうか。また言ってくれ、これくらい
なら大歓迎だ」
「は、はい……た、偶ににしましょう。うん、それがいいと思います、絶対」
「そうかい?……うん、分かったよ。少し残念だけれど」
「そ、そんな寂しそうな顔しないで下さい!ま、またお願いしますから!」
そんな会話が、彼等の共同生活初日の遣り取り。
なんとまあ濃密なものだったろうか。
取り敢えずレイナは当然ながらこの日の夜は殆ど眠れなかったし、最初の反応とは打って変わって満足顔のリゼはぐっすり眠る事が出来た。一応訂正はしたが、リゼがハグ魔にならない事だけを祈るのみである。