日が上り始めた頃。真っ白な海岸線に降り立つ3人の人物と馬車の前には、打ち寄せる波と大きな亀裂が3本伸びている。
亀裂に入った海水はどこまでもどこまでも深く、底の見えない暗闇の下へと落ちて行く。岩質の海岸に走ったその亀裂は、とても自然に出来た物とは思えない程に大きく異質な雰囲気を放っていた。
もしもの為にと持って来た工具を用いて岩に穴を開け、金具を打ち込んで黄色のテープで周囲を囲んで行く。ここは決して人通りの多い場所では無いが、人が通らないという事はない。そうでなければ目撃情報すら得られなかったのだから。
この亀裂の底に人が落ちる事は大きさ的に今はまだ無いだろうが、何かの事故の原因となる可能性は十分にある。それを防ぐための努力をすることが今出来る最低限だ。
「やれやれ……当っちゃったねぇ、マドカちゃんとエルキッドの勘」
「……」
「あまり、当たって欲しくはなかったのですが」
「ああ、全くだ」
褐色の肌に黒髪をしたアマゾネスの女性、エミ・ダークライト。"聖の丘"の副団長であり、同時にレンドの幼馴染でもある彼女は、ギルド副団長のエルキッドとマドカと共に情報提供のあった異変地の調査に来ていた。
"龍の飛翔"と呼ばれている都市オルテミス付近の海岸線から突如として強力な龍種が出現する現象。
「この大きさの亀裂、3年前とそっくりだ」
龍種が出現する場所には亀裂が入り、それは時間と共に数を増して行く。5本目の亀裂が入った後に、龍種が地下より這い上がり、それは穴となるのだ。そしてそれは即ち、穴の大きさ、亀裂の大きさが出てくる龍種の強さに直結するということ。大きさではなく強さ。理屈はよく分からないが、それが間違ったことは一度もない。
「24m」
「3本時点でその大きさですか……ありがとうございます、エルキッドさん。こちらも金具の打ち付けと印巻きが終わりました。エミさん、写真機の方は」
「終わったよ、最近のは綺麗に映るもんだね。地図と図面にも下ろしといた、第一報の資料としては十分さ」
「……近くに村や街はありませんね。ただ足場の悪い岩層地帯が広がっているので、戦うには不向きでしょうか」
「その分、障害物はそこそこあるさね。アタシとしてはそれが一番助かるよ、エルキッドは何か気になるかい?」
「特には」
「そうかい、一応周辺も写真機で撮っとこうかね」
街から馬車で5時間ほど、近くに村や街はない。補給が簡単に出来る環境では無いという悪点はあるが、広大な岩層地帯となれば好き勝手に爆撃出来るという良点もある。その気になれば補給は部隊を作って常に往復させていれば問題は無い、特に今回の相手となる存在の大きさを考えれば都合が良いくらいだろう。
「それに何より、大竜ギガジゼルの眠ってる海辺とは真逆の方向だ。最悪の最悪の最悪だけは回避出来る」
「然り」
「そうですね、それだけは本当に……」
オルテミス近海に眠る最強の邪龍と目されている存在、大竜ギガジゼル。一度目を覚ませば世界の大半を荒地に変えてしまう様なその存在に影響を与える事だけは何があっても阻止しなければならない。そういう意味でも、今回の地形的な条件というのは恵まれていた。不幸中の幸いと言うべきか、それにしてはその不幸があまりにも大き過ぎる様な気もするが。
「……よし、そしたら予定通り移動しようか。エルキッドはここに残って次の調査部隊に引き継ぎ、いいね?」
「承知」
「マドカちゃんとアタシはこのままグリンラルに向かうよ、5日もあれば着くかな」
「そうですね。あ、先程お渡ししたお手紙もお願いします、エルキッドさん」
「承知」
そうして再び馬車に乗り込み、エルキッドをその場に残して走らせるマドカとエミ。ここには調査の為に来たが、実際その目的は初期調査だけではない。魔素濃度を含めた本格的な調査を行うのならば長期間の滞在が必要となり、それこそ慣れていないマドカ達がこの場に来るよりも調査班を派遣した方が早いくらいだった。
それでもこうして何よりも早く3人が調査の為にここに来た理由、それこそが新緑の都グリンラルへの戦力要請。
マドカ達が活動する『龍巣の都:オルテミス』に龍種が活動するダンジョンがある様に、この世界に4つのダンジョンがあるのだからそれを管理する場所が他に3つあるというのは当然の話だろう。
そのうちの一つが『新緑の都:グリンラル』。
文字通り木々に囲まれた都市であり、大量のモンスターが存在するダンジョンの管理と封鎖を行なっている場所になる。元はエルフと獣人族が中心となって管理を行なっていた事もあり、今も大半の探索者がその二者で構成されており、魔法兵器の開発が盛んな街でもあった。
「それにしても、戦力貸してくれるかねぇ。向こうも"怪荒進"終わったばかりだろう?」
「貸せる貸せないではなく、貸す以外の選択肢がありませんよ。私達が負ければ、邪龍が1体増える上にダンジョンの管理が出来なくなります。それは誰もが望まない結果でしょう」
「ま、そりゃそうか。アタシは今回も静かにしてるから、交渉はマドカちゃんに任せるよ」
「もう、エリーナさんもエルキッドさんもエミさんも、皆さん押し付けるんですから。私は職員さんでも指揮陣営でも無いんですよ?」
「へーきへーき、向こうも知ってんだし。それに今は教え子ちゃん達も居るんだろ?それなら大丈夫だって」
「それはそうかもしれませんが……」
そしてグリンラルと言えば、マドカのもう2人の教え子達が派遣されている場所でもある。
ユイとエルザの前に、つまりマドカにとって最初に世話をした2人であり、教え子達の中でも最も戦闘力の秀でた2人だ。
そんな彼等はグリンラルの"怪荒進"、つまりオルテミスの"龍の飛翔"と同じ様に、街の周辺から大量の強力なモンスターが出現する現象に対処する為に派遣されていた。
グリンラルの"怪荒進"はピークが過ぎた後でも少しの間はモンスターが出現し続ける事から、彼等もまだグリンラルに滞在している筈であった。再会も嬉しく、活躍を聞くことも楽しみとなる。交渉の矢面に立たされる緊張よりも、その楽しみの方が強いくらいだ。
「それと、グリンラルには今は英雄さんも居る筈さ。なによりそっちを捕まえるのが先かねぇ」
「そういう意味では、時期は良かったのかもしれませんね。連邦軍への話はエリーナさんから行くと思いますが、軍長さんも同じくまだ滞在している筈ですので」
龍巣の都オルテミス最強の探索者として名高いのは当然ながら"聖の丘"団長であるレンド・ハルマントンである。龍種を狩るという事で最もレベルが上がりやすいオルテミスにおける最強ということは、それはつまり他の街のどの探索者と比較しても紛れもない最強という事と同義である。
……しかし、だからといって彼がこの世界における最強の人間であるかと言われれば話はまた別なのだ。
「何があってもあの2人は外せない、邪龍候補と殺り合うってならね」
「ええ、そうですね。……とは言え、着くまで最低でも4日は掛かるわけですが」
「……私等が行くより伝文機で話が纏まってそうだねぇ」
「まあ、私個人としても幾つか用事がありますし。それに頑張った2人を迎えにも行きたかったので、ちょうど良かったです」
「まあ本当はあんま表に出ちゃ駄目なんだけどねぇ、今のマドカちゃんは。あんな事があって直ぐだってのに、勢いでギルド長を丸め込んじゃって」
「その為にエミさんが居るんですから♪エミさんが居れば私も安心して旅が出来ますよ♪」
「調子が良いんだ、この娘はほんと」
そして忘れてはならない、マドカの外出禁止命令破り。
緊急事態、エリーナの混乱、そしてそれを半ば強引に破って来た事もあって後でラフォーレとカナディアに叱られる事は殆ど間違いは無いし、恐らく今頃エリーナもあの2人からこっ酷く叱られている最中であろうが、それでもマドカは一度グリンラルに行く必要があった。そして同行者のエミ・ダークライト、彼女が側にいる限りは尾行や暗殺に対する危険は殆ど無いと言っても良い。彼女に守られている限りは、それこそ以前の巨人でも出て来ない限りは危険が及ぶ事など決して無い。
「ま、期待には応えてあげるさね。ちゃんと帰るまでマドカちゃんを守ってあげるよ、お姉さんに任せるさ」
エミ・ダークライト。年齢に反した若々しい容姿から長らく都市の偶像として活動して来た彼女は、何より変装と暗殺を得意としている。そして何より、マドカに配信業の基本を教え、実質的に後を引き継がせたのは彼女であった。
一流の気配察知能力、そして一流の変装技術。
新旧有名人である彼女達の来訪は、マドカの現状を考えなくとも隠蔽は必須のものだと言えた。
一方その頃。
昼も近くなって来た頃合いのギルド本部。
昼食も後回しに何やら忙しなく働く職員達を他所に、ギルド長の部屋には4人の人物が座っていた。
それは職員達がそうまでして働かなければ理由とは無関係に、けれど無視できない大切な理由で。
困惑した顔のリゼ・フォルテシア。
髪色を薄く変え、リゼとお揃いに後ろで髪を纏めたレイナ・テトルノール。
そして見るからに疲れた顔をしているカナディア・エーテルが対面に座り、明らかに何発か殴られ机に突っ伏しているギルド長エリーナ・アポストロフィがその隣に居た。
「い、いったい何が……」
「……先日の会議でマドカを都市の外に出さないと決めたのだがな、エリーナが緊急事態の対処にマドカを使ってしまった」り
「カ、カナディアさんが、その、拳を……?」
「いや、帰りが遅いマドカを不審に思ったラフォーレが夜中に乗り込んで来たらしくてな。殴る蹴るの末に簀巻きにされてギルドの3階から吊るされていた、本人も絶賛反省中だ」
「馬鹿か、馬鹿か私は……何故私はあんな、いや絶対エミもマドカもエルキッドも気付いていただろうに!ああ何故私だけ気付かなかった!止められたのは私だけだろうに、止めようと出来る人間は私だけだったろうに!今度は何をするつもりなんだマドカ、今度は何がしたいんだマドカ、頼むから無事に帰って来てくれマドカ……」
「……とは言うが、エミが隣に付いている。まあ問題は無いだろう」
「エミ、というと?」
「"聖の丘"のもう1人の副団長だ、こと暗殺にかけてアレに勝る者は居ない。暗殺を仕掛けられて逆に暗殺し返す様なバケモノだよ、私の馴染みでもあるが」
「なるほど……」
マドカは今日も今日とて色々と動いているらしい。
悲しいかな、問題は彼女がラフォーレの行動を甘く見ていること。朝から無理矢理醜態を晒される羽目になったエリーナにとって最大の失態はマドカを行かせてしまった事ではなく、マドカと彼女の間でラフォーレに対する認識が違う事を直さず置いたままにしている事だろう。せめてマドカがラフォーレにだけでも伝えておけば、小言程度で済んだであろうに。
「それにしても……マドカも約束事を破るのだね、なんだか意外に感じるよ」
「マドカはあれで結構約束を破る、というかその約束事よりも優先度が高い事があれば何の躊躇もなく破る。数年前にもラフォーレとの約束事を破ってダンジョンに勝手に潜った挙句、半年間も帰って来ない事があった。あれに比べればマシな方だな」
「ダ、ダンジョンに半年も……それも相応の目的があった、と言う事ですか?」
「そうだろうが、帰って来た時には殆ど記憶が飛んでいた事もあって聞き出せはしなかった。マドカの唯一の悪癖の様なものだと考えればいい、それに振り回される人間は多いが」
「………」
「リゼさんは勝手にダンジョン潜ったりしたら駄目ですよ?しっかり私に報告してからにして下さいね」
「え、あ、いや、分かっている」
「……ほ〜ん、ほんの数日で仲睦まじく関係が築けている様でなによりだ」
「まさかこの僅かな間で尻に敷かれているとは思わなかったが」
「し、尻に敷かれているということは無い筈だけれど……」
これ以上マドカの事を考えていても仕方ない。マドカの事は心配ではあるが、そもそも彼女はリゼが心配する必要がある様な弱い存在では無いのだし、立場的にはカナディアと同等の人間が側に居るという。それならば今はただ帰りを待って自分の事に集中しておくべきだろう。まあそうは言っても今回用事があるのはリゼではなくレイナの方であるのだが。
「……なるほど、君を探索者にか」
「信用出来ないという事は分かっています。実現するにも時間がかかるという事も理解しています。ただ、今日はその最初の願いをしに来ました」
「髪を染めたのも、口元を隠す様な服装にしているのも、今出来る君なりの努力であると」
「はい」
「しかし今は外に出ない様にと、そもそも昨日言い付けた筈だが。それを破った理由は相応の物があるのだろうな?」
「それ、は……」
しかしどうも、話はまた良くない方向に進んでいるらしかった。エリーナは疲れているのか特に言葉を発する事は無いが、彼女もカナディアと同じ様に勝手な行動を起こしたレイナに対して疑惑をかける様な目をして見つめている。レイナはそれに対して俯くだけだ、この展開は理解していたし、言い訳のしようも無かったから。
「行動を早くに起こすべきなのだと考えたのは理解するが、だとしても方策として間違っている。髪を染めて決意を表するより、こちらの出した条件に素直に従っている姿を見せた方が遥かに効果的だった筈だ。その判断を違えたのは、君が冷静さを失っていたからに他ならない。はしゃぎ過ぎたとも言うべきか」
「はい……」
「違うんだカナディア、彼女は私のために……!」
「それは違うな、この子がした行いは君のためでは無い」
「え」
「……そうですね、全て私自身の為の行いです。分かりやすく髪を染めたのも、こうして行動を起こしたのも、全部」
「自覚したか?良い格好を見せたいという考え、しかし場合によっては彼女を貶める事にも繋がる。相手の無知は既に理解しているだろう」
「少しは」
「隣に立ちたいと思うのであれば、相応の人間になれ。少なくとも今回、対応したのが私で無ければ言い訳のしようもなく全てが潰えていた」
「はい……」
リゼは口を挟めないし、彼女達が何について話しているのかも理解出来ない。しかしレイナがカナディアに叱られており、レイナがそれについて反省しているという事だけは確かだ。オロオロとしているばかりでは居られないので背筋を伸ばして話を聞いているが、カナディアがこちらに話を振ってくる様子はない。リゼが何も理解出来ていないことを見越している様に。
「え、ええと……話はよく分からないのだけど、レイナは探索者としては認められないのだろうか」
「いや、それ自体は構わない。というより、正直な話を言えば、私個人としては既に彼女のことを殆ど疑ってはいない」
「しかし昨日はレイナの事を疑っていたと……」
「昨日はな。だが昨日の時点で何故かマドカの方から勝手に彼女と接触があってな、そこでマドカも彼女の事を信用していた。それもそれで頭が痛い話だが、その時点で私の中にあったレイナへの疑いは殆ど晴れている」
「えっと、私が言うのもおかしな話ですねど、本当にそれだけで?本当に挨拶だけだったと思うのですが……」
「私がこの世界で信じている事が3つある。自分の研究成果と、古代文明の存在、そしてマドカ・アナスタシアだ」
「「ええ……」」
「このマドコンが」
思わぬカミングアウトに2人は困惑の表情で互いに目を合わせるが、何度見てもカナディアは至極真面目な顔でそう言っている。エリーナも呆れた様な顔をして見ているが、どうも彼女はそれほどにマドカの事を信用しているらしかった。彼女ほどに責任ある立場に居る人間が。
「別にマドカの言葉を全て信用しているとは言わないが、少なくともあの子の人を見る目は信用している。とは言え、その裏付けをするのが私の役割だ。その上で君のことを私はもう殆ど疑っていない」
「何が決定打になったんでしょう……?」
「それこそ、今回の君のミスだろう。本当に何かを企んでいる人間ならば、こんな容易いミスは起こさない。それを起こしたという事は、それほど君が盲目だったという事だ。そうでなくとも君の熱意は感じていた」
「?」
「……あの、恥ずかしいので」
「分かっている、私とてそんな無粋な真似をするつもりはない。故に君が探索者になりたいというのなら、口利きくらいはしよう。ギルド長がそれでいいのなら、だが」
「カナディアがそれでいいのなら好きにすればいい、単独での入りはまだ認められないが」
「だ、大丈夫です!絶対にリゼさんと一緒の時にしか潜りません!ずっとリゼさんの隣に居ます!もし勝手に離れていたら殺してくれても構いません!」
「レ、レイナ!そこまで言うことは……!」
必死のあまりとんでもない事を言い出したレイナにリゼは慌てて静止を掛ける。しかし対面の2人はそんな様子に驚くでもなく苦笑いを浮かべるだけなのだからどうしようもない。
それでも、どうにかレイナが探索者になれるという事だけは決まりそうであった。それこそレイナが自分でその資格を握り取った様なものであるが。
「ということはつまり、私とリゼさんでクランを作る事も出来るということですよね……!」
「あ〜、それなんだが」
「え?」
「本当に申し訳ないのだが、認められない」
「「ええ!?」
しかし、どうやら話は何もかも上手くいくという訳ではないようだった。