ギルド長のエリーナとの面談が終わった後、初心者支援の申請は本当に驚く程に早く終わった。
最初に受付でリゼの懇願を跳ね除けていた人族の女性:エッセル。彼女はやはりというかギルド内でもそれなりに出来る女性であったらしく、マドカが書類を提出しに行った時には既に必要な処理の大半を終え、僅かな手作業の後にギルドカードと寮の部屋の鍵を手渡してくれた。
これはやはり探索者が今この街に居ない事によって仕事が少ないからという理由もあるのだろうが、それでもその状況に便乗して大半の職員が休みを取っているのも事実。結果的に仕事の負担は変わっていないのだし、彼女はやはり普通に優秀なのだろう。もしかすれば彼女からすればリゼはまだ妙なクレーマーの1人と思われているのかもしれないが、それはそれとして。
「おお、これは……」
与えられたギルド寮の一室はリゼが想像していた物よりもずっと綺麗な部屋であった。
ギルドの寮はギルド本部の直ぐ横の建物であり、そもそもギルド職員が住み込む為のその場所は十分以上に環境が整っている。ギルド職員には女性も多い為か衛生面の拘りも節々に見当り、一緒に部屋を見に来ていたマドカも同様に感心していたくらいだ。どう考えても祖父と共に暮らしていた山小屋よりも住み心地の良さそうなその場所に、リゼのワクワクが更に増したことは言うまでも無い。
それと初心者探索者向けの道具セットという物も、部屋を見て荷物を片付けている間に届いた。
中身は低級の防具一式と短剣が1本、ギルドや街のルールや探索時の注意点等が纏められている一冊の本、そして松明やナイフにコンパス等の細かな道具類の入った小さなポーチ。街で揃えようとすれば簡単に30,000Lは超えてしまう様な高価な代物だ。
どれもが新鮮で、またもや喜びの声をあげてしまったリゼは、それをまたクスクスとマドカに笑われてしまい顔を赤く染めてしまったりしたが、思っていた何倍も彼女の探索者生活は好調に始まりそうであった。
少なくとも胸部の防具の大きさが全く合っていなかった事以外には何の問題もない。
……そう、何の問題もない。
こんな事、別に今更なのだから。
山を降りてきて初めて入ってみた衣服店でも同じような事態になったのだから、最早何も言うまい。
「んっんっ……そういうことですので、明日は午前中にダンジョンに入って、午後からはこの街について案内をしようかなと思ってます。大丈夫そうですか?んぐんぐ」
「あ、ああ、それはいいのだが……大丈夫かい?」
「?……んっ、私は大丈夫ですよ?やっぱりギルドの食事は美味しいですし♪」
「そ、そうだね。私もそう思うよ、うん」
さて、そんな訳で今2人はギルドの食堂に居た。
ギルドの食堂は数多の地方の料理を多数扱っており、様々な種族の者達が十分に満足出来る事で有名な場所でもあった。他所と比べて少しばかり値は張るとは言え、無料で飲み食い出来るギルド職員以外でもその大きな食堂を訪れる者は多い。
そしてリゼが取得した初心者マーク付きのギルドカードを使えば、勿論割引が適用される。3割引きだ。
リゼが頼んだ栄養バランスの良い定食が1,500Lだとして、これが1,050Lとなる。女性としてはそれなりに食べる方であるリゼでも満足出来る様な量が1,050Lで済むのならば、これはかなり良心的な方だろう。少なくとも味にもリゼは満足していた。むしろ割引きが適用される間はこの食堂を使わない事は損だとも言える。
「………」
だというのに、彼女は今どうしてこうも困った顔をしているのか。
料理や食堂に対して何か思っている訳ではない。
それに文句はない、特に何か嫌という訳でもない。
ただ単純に、驚いて、困っているだけなのだ。
目の前の光景に。
目の前の、同席しているリゼが恩ばかりを感じてしまっている美少女のマドカが作り出している、このおかしな光景に。
「マドカは……その……食べるのだな、意外と」
「へ?……あ、あはは。なんだか恥ずかしいですね。ごめんなさい、みっともない所を見せてしまって」
「い、いやいや!そういう意味で言ったんじゃないんだ!たくさん食べる女性は私も良いと思う!食の細い女性よりもずっと安心して見ていられるというかだな!」
「ふふ、優しいですねリゼさんは。ありがとうございます」
「あ、ああ」
マドカ・アナスタシアは、物凄く、食べる。
自分よりもずっと背が低く、本当に抱き締めてしまえば折れてしまいそうな程に細く、儚く、か弱く見える彼女。しかしその印象とは対照的に、彼女はとにかく沢山食べていた。
今彼女の目の前には大皿3つ分の料理が有り、更に横には4皿程空になった大皿が積み重ねられている。そしてそんな料理達を彼女はとても丁寧な所作で綺麗に残さず食べているのだから、事実まあ見ていて気持ちは良い。ただ単純にそこまで食べるという事を知らなかっただけで。一体それだけの質量が彼女の身体のどこに収まっているのか気になるだけで。
「なるほど、私の教官役がマドカにとっても利があると言っていた理由が漸く分かったよ。君が困っていたのは食費だったんだね」
「うっ……そ、そうです。ごめんなさい、利用してしまった様な感じになってしまって。私は基本的にどれだけ気を遣っても食費だけで1日に10,000L近く使ってしまうんです。この食堂で普通に食べようとすると30,000Lくらいは軽く行ってしまうというか……」
「最低でも月に300,000Lか……なるほど、それは確かに大変だ。いや、本当に気にしないでくれていいんだ。私はもうマドカから十分に世話になっているし、こんな事でも君の役に立てるのならむしろ嬉しいくらいだからね。本当に申し訳なく思う必要なんて無い、むしろそうして嬉しそうに食べている姿を見せてくれた方が私は嬉しいよ」
「……!ふふ、リゼさんは意外と人誑かしですね」
「マドカほどではないんじゃないかな、ふふ」
リゼのその言葉に少しは安心してくれたのか、また大皿を平らげる作業へと戻るマドカ。美味しそうに食べる彼女のその姿は見ているだけでも微笑ましくなるものであるが、リゼも見ていればやはり何となく気になるものだ。彼女のあの小さな身体のどこにあれほどの量の食べ物が入るのかということを。
彼女の凄い所はあれだけの量を食べながらも、しっかりとバランスが取れた食事をしている事だ。サラダからメインまで悉く大量に食している。そして飲んでいるのも大きめのコップに入った大量の水。どれだけ圧縮しても体積だけで彼女の頭一つ分くらいはあるのではないかというほど……彼女は胃袋の中に肉食獣でも飼っているのだろうか。
そんな彼女の事を食堂のおばちゃん達もまた微笑ましげに見てくれているのも彼女にとっては救いかもしれない。もし嫌がられでもすれば、彼女なら2度とここで食事をする事は無くなるであろうから。それくらいは会ったばかりのリゼでも容易に想像できる。
「ふぅ、美味しかったです。やっぱりギルドの食事はいいですね、自分で作るよりずっと美味しいです」
「すごいな、10皿いったのか。もしかしてこれで腹八分目だったりするのかな?」
「!?え、えっと……えへへ」
「お腹の様子で決めているというよりは、最初から皿の枚数で制限を掛けているという感じに見えるね。もう少し食べた所で誰も文句なんて言わないだろうに」
「駄目ですよ、そうして満腹になるまで食べる癖を付けてしまったら元の生活に戻った時に困ってしまいますから。あんまり甘やかしたら駄目なんです」
「なるほど、そういうものなのか。いずれは君を毎日満腹にさせられるくらい稼げる様になりたいものだ」
「ふふ、そんな事になったら流石に食堂の方々が泣いちゃいますよ。私は今の生活で満足していますから、こうして美味しい食事を他の誰かと楽しく食べる事が出来るだけで十分です。それ以上は望みません」
――なんとなく、なんとなくリゼはマドカのその言葉に違和感を持った。
まるでそれ以上の事を望むことは良くない事だと、考えるべきでない事だと、暗に彼女がそう言った気がしたから。
そしてそれをリゼが感じ取った事にすらも気づいた様にマドカが両眼を閉じて水を啜りながら言葉を被せる。彼女に余計な心配をさせないようにと、そんな思惑を隠さず誤解を紐解く様に。
「【邪龍】というものを、リゼさんも当然ご存知ですよね」
「……ああ、この世界に5体存在する強大な力を持った龍種の事だね。40年前に1体の討伐に成功したものの、相当な規模の被害が出たと聞いているよ」
「ええ、その通りです。40年前の討伐時には参戦した主力ギルドがほぼ全て壊滅し、当時の英雄までもが命を落としました。勝利して得た物には決して見合わない程の被害を受け、国全体に絶望的な雰囲気が蔓延したと聞いています」
「それほどの……」
「……そして、私達探索者は3年前にも邪龍を一体討伐しています。それはご存知ですか?」
「なっ!?そ、そうだったのか!?」
「ふふ、やっぱり知りませんでしたか。邪龍と言っても、外に逃してしまえば邪龍と呼ばれていたという意味ですから。つまり新たに生まれた邪龍候補を出現と同時に討伐した訳です。私も当時手伝い程度ですが、そこに加わっていました」
「!!」
現在の世間一般で、邪龍の存在がどう伝わっているのかをリゼは知らない。リゼの知識としてあるのは、あくまで書物や古い記事にあったものだけだ。むしろ最近の事柄についてはかなり疎いと言ってもいいし、世間的な常識というものにも詳しくはない。
故に邪龍に関しても、存在や言い伝えは知っていても、生態などと言った詳細な情報は少しも知識にはなかった。それこそ、その邪龍達が何処から生まれ出て、何処へ旅立っていくのか、公表されていないそれ等の情報をリゼだって当然知るはずがない。
「リゼさんはこの街の探索者になるので、邪龍とダンジョンの関係について知る権利があります。聞きたいですか?」
「あ、ああ。私にも聞かせて欲しい」
「……単純に言ってしまえば、都市生誕祭、又は都市成立記念祭、探索者追悼祭とも呼ばれる今行われているこのお祭りは、形だけの、単なる建前でしかありません。その本来の目的は、オルテミス近海の海岸付近に年に1度の間隔で出現する強力な龍種を討伐すること」
「!!」
「そして真に邪龍となり得る強大な力を持った龍種は、大凡50年に1度の周期で出現します。例えば、それこそ3年前に私達が数多の犠牲を出しつつも、考え得る限り最小規模の被害で討伐する事に成功した【六龍ゲゼルアイン】がそうです。私達探索者に与えられる義務には、これらの龍種への対処もある訳です」
「……つまり、今この街に探索者が殆ど居ないのは」
「そうです、皆さんこの付近に出現した龍種の討伐に向かっているからです。いくら邪龍候補でなくとも、決して弱い訳ではありませんから。仮にもし何らかの例外で邪龍候補が出てきた場合にも備えて、戦力になる方々の大半は出動しています」
リゼはマドカから聞かされたその事実にただ呆然とするしかない。物語で何度も大いなる災厄として語られているあの邪龍達が生まれた土地こそがこのオルテミスであり、今も新たに邪龍が生まれようとしているという事など。そんな龍種の相手をこの街の探索者が行なっているという事は、きっとリゼがここで探索者にならなければ知ることは無かった。
「この件については、街の外の者達には非公開という事なんだね……?」
「知っているのはこの街のクラン所属の探索者と一部の商人や職人、ギルド、そして他の街の有力者達だけということになっています。この街の人間であっても積極的に教えられる事はありません。徹底管理という程でも無いんですけどね、基本的には広めず隠す様にというのが方針です。まあ一緒に住んでいる訳ですから、皆さん本当は分かっている筈ですし、本当に知らないのは3大都市以外に住んでいる様な方々だけでしょうけど」
「クラン所属の探索者……だが、私はまだそのクランとやらには所属していないはずだ。ならば何故教えるんだい?」
「……単純に、私がリゼさんに知っていて欲しかったんですよ。探索者という職業は他の誰よりも真っ先に危険に挑まなければなりません。こんな風に楽しく食事が出来る事もまた、いつまで続くか分からない様な危険な仕事なんです」
「……!」
憧れと勢いで足を踏み入れたこの探索者の世界。つまりマドカが言いたいのは、本当にその危険を犯してまで探索者になりたいのか。そして、今ならまだ引き返せるという提案。
ここまで探索者になる事に協力してくれていた彼女ではあるが、むしろこんな危険な世界にリゼを入れてしまった事に対する少しの罪悪感もあったのだろう。
ギルドの方針としては、新たな探索者は積極的に支援し、より戦力を増強していく事を優先している。そのギルドと関係の深い彼女もそれに協力はしているが、彼女自身も探索者である事からその危険性もよく理解している。故に今、彼女の中ではその2つがせめぎ合っていたのだ。まるでここまで協力してくれた事すらも罪であると感じてしまっている様に。
「……マドカ」
「はい」
「それでも私は、探索者をやるよ」
「!」
「これは私の夢なんだ、ずっと思い描いていた理想でもあるんだ。きっと綺麗な事ばかりじゃない、辛い事もたくさんあると今のマドカの顔を見れば分かる」
「それなら……」
「でもそれでいいんだ。そうだとしても、もしその時に耐えられなくなったとしても、私はその日までは探索者をやっていたい」
「リゼさん……」
「それに私の夢は物語になるくらいにカッコいい探索者になる事だからね。そうして世界中の子供達に私と同じ様に夢を与えたい。どれだけ辛く苦しい事があったとしても、それを乗り越えなければ物語にはなれない。そうだろう?」
そんなリゼの言葉に目をパチクリとさせるマドカ。珍しい彼女のその表情と、なんだか少し臭くはあった自分の台詞に思わずクスクスと笑い出してしまったリゼに続いて、マドカもまた口元に手を当てながら笑い始めた。
明日からもまたマドカに頼り切りになる、だからこそせめて彼女には笑っていて欲しい。その考えはまあ確かに本心ではあるのだろうが、やはりその根底にはリゼの美人好きという癖があるのだから何というべきか……ニマニマと目の前の同世代の少女の笑みを見ているリゼの姿はなんとなく危ないのかもしれない。
邪龍……アーザルス連邦国最大の敵にして、この世界における最大の脅威とされる存在。種族大戦が集結せざるを得なかった原因でもあり、世界中に多くの爪痕が残されている。オルテミス近海より生まれ出た龍種の中でも特に凶悪な力を持った存在の総称であり、基本的にアーザルス連邦国の総力と同等以上の存在に付けられることが多い。過去に7体が記録されており、うち2体は討伐済み。