グリンラルを出て少しが経つ。
街を出る頃にはもう殆ど平穏通りの動きを取り戻していたグリンラルからは、自分達と同じタイミングで商人達の馬車も出発し始め、数日振りの自由に彼等も身体を伸ばしていたりするのが見えた。
道が分かれるにつれて後ろをついて来る馬車の数も減り、帰りに周囲を見て回ってからオルテミスに戻ると決めていたため、付近からはより人の気配が消えていく。
「……マドカさん?どうかしたの?」
「え?あ……いえ、その、少し"混毒の森"を見ていました」
「混毒の森……」
ブローディア姉妹の姉の方:リエラは、ぼーっとある方向に目を向けているマドカに気付き、声を掛けた。
今この馬車に乗っているのは全部で6人。
戦力提供のために派遣されていたブローディア姉妹に、そんな2人を迎えに来たマドカとエミ、そしてグリンラルで同じ様に奮闘していたアタラクシアと、マドカが突然何処かから連れて来たスズハと名乗る少女。
エミは馬車を引いているし、アタラクシアは隅の方で目を閉じて座っていたが、スズハとステラは書物を読んでいたり眠っていたりと思い思いのことをしていた。会話も特になく、マドカの隣に座ってそわそわとしていたリエラがようやく声を掛けたという感じ。そしてそんな2人の会話に例の彼女も入ってくる。
「混毒の森……名前の通り大量の毒物に塗れてるって聞いたけど、実際どうなのかしら?」
「む……」
「実際その通りですよ、スズハさん。毒草や毒虫が大量に生息している上に、モンスターも強力な毒を持った個体が多いです。そもそも毒霧や毒沼が多く、流れている水にも色々と混入をしていますからね。そういう生物しか生き残れないというのもあります」
「へぇ、これだけ周りに緑があるのに、どうしてわざわざそんな住み辛い場所に生息してるのかしら」
「魔力濃度が濃いからだと言われていますね。基本的に魔力濃度の高い場所にモンスターは集まり易く、そういった場所の生物は多くの魔力を蓄えていますから。例えばオルテミスから見える海洋も、深海の方はかなり濃度が濃いみたいです」
「なるほどね、モンスターにとっては毒のデメリットより魔力濃度のメリットの方が多いってことかしら」
「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。オルテミスの深海も、グリンラルの混毒の森も、危険性が高過ぎて調査が進んでいませんから。魔力濃度が高い理由も分かりませんし、そこに何があるのかも分かりません」
「この世界では地上でさえも未開拓の場所が多いのね。深海は私の世界でも殆ど調査が進んではいないのだけれど」
「その辺りの話も一度聞いてみたいですね、素直に気になります」
「……む、むむむ」
自分が最初に話しかけたのに、突然割り込んできたスズハとばかりマドカが話している。話しかけるにも勇気がいる行為、なんだかそれを利用されたみたいでリエラは頬を膨らませた。
そして今度は自分の番だとばかりに知識を探る。
「そ、そういえば!混毒の森には邪龍が潜んでると聞いたんだけど本当なのかな、マドカさん!」
「え、そうだったの?」
「ああ、滅龍デベルグのことですね」
「滅龍って、また大層な名前ね」
「マ、マドカさんは何か知っていますか!?」
「そうですね……」
世界中に散らばっている5体の邪龍。
その情報はあまり公には公開されていないとは言え、探索者である以上、リエラだって少しくらいは知っていた。そんな話が噂としてあるということ程度の話だが。
「そもそも滅龍デベルグについては、どれくらいご存知ですか?リエラさん」
「え?えっと……世界で6体目に現れた邪龍で、碌な戦闘すら出来ずに逃げられてしまったって」
「それだとおかしいと思いませんか?滅龍デベルグは出現以降、特に大きな活動は見せていません」
「うん……うん……?」
「……つまり、出現してただ逃げて、それ以降全く姿を表さない様な龍種を、どうして邪龍認定してるのか、ってことでしょ。それこそ滅龍なんて大層な名前まで付けられて」
「あ、ああ、なるほど……」
言われて気付く。
というかリエラ自身、邪龍に対してそこまで興味がある訳ではなかった。故に疑問にも思ったことはなかったが、確かに知っている限りの知識では危険性なんて全くないように思える。
「これは私の知る限りの情報ですが、滅龍デベルグは全長2〜3m程度の非常に小さな個体です」
「えっ、そうなの?」
「へぇ」
「そしてこの個体は出現と同時に空の彼方へと飛んで行ってしまったため、戦闘を行う隙すら無かった……そう言われています」
「でもそれだと、やっぱり何の興味も無いわよね?」
「そこで考察の要素を一つ、大竜ギガジゼルの存在です」
「えっと……あっ、オルテミスの近くの海で島みたいに眠ってるあの!めちゃくちゃ大きくて、暴れると世界が滅ぶっていう!」
「そうです、その邪龍です。それでは、その邪龍が最後に暴れたのはいつでしょうか?」
「……ああ、なるほど」
「え?」
それだけのことで一体なにが分かったというのか。
というかそもそも、リエラとしてはその大竜ギガジゼルが最後に暴れ回ったのがいつということすら覚えていない。確か大竜ギガジゼルの目覚めが原因で邪龍討伐の声が大きくなったという話は聞いた覚えがあったが……
「大竜ギガジゼルの目覚めが50年前、それと6体目の邪龍の出現も50年前。時期が一致するわね」
「あっ!」
「そうです、つまり当時なぜ邪龍討伐の声が高まったのか。それは大竜ギガジゼルが原因ではありません、そのギガジゼルを呼び起こしてしまった滅龍デベルグが原因なんです。……だって、当時のギルドや探索者達ですら逃げることしか出来なかったギガジゼルを見て、『ギガジゼルを討伐しよう!』なんて声は上がらないでしょう?」
「な、なるほど……!」
つまり、邪龍討伐の声が高まったという言葉の本当の意味は文字通りではなく、『邪龍はギガジゼルを自力で起こす可能性がある、だから可能な限り減らそう』という意味だったということだ。
最強と呼ばれる大竜ギガジゼルは、その暴れ様を見た当時の人間達からすれば同じ邪龍という括りにすることすら烏滸がましかった。人の力ではどうにもならない天災、故に排除するという考えすら湧いて来ない。
「……それで、どうして滅龍なんて名前に?」
「ギガジゼルの甲殻は凄まじい硬さを持っていまして、如何なる手段を用いてもそれを傷付けることは出来ないという話があります。しかし50年前に目覚めた際に、殻の一部に穴が空いているのが発見されたそうなんです。それもかなり大きく、まるでその部分だけが消滅したかの様な穴が」
「それが滅龍デベルグの仕業で、だから滅龍と……」
「人間と同程度の大きさしかない龍が、それほどのことをしたのなら、そりゃ邪龍認定もするわね。つまりこの世界ではギガジゼルの甲殻以下のあらゆる防壁は突破される可能性があるってことだもの」
「まあそれに関しては邪龍全てに対して言えるのですが……やっぱり単純に、想定される力量での認定だと思います。ギガジゼルに大穴を開けられるのなら、つまり他の邪龍でさえも殺せるという話になって来ますから」
そしてそのデベルグが最後に目撃されたのが混毒の森周辺。彼の龍はそれ以降全くと言っていい程に目撃されていないが、今でも稀に謎のクレーターが見つかることもあるという。
「それもあって、混毒の森には立ち入りを禁止しているんです。滅龍デベルグを起こすことは、即ちギガジゼルを起こす可能性を引き上げることに繋がりますから」
「な、なるほど……や、やっぱり邪龍についての勉強ってした方がいいのかな……?」
「しておいて損はないと思いますよ、それほど情報は多くないので短い時間で出来ますし。……それに、私達探索者にとっていつかは倒さなければならない相手ですから。これから生まれてくる存在が、ギガジゼルより強く、凶暴性の高い個体である可能性も否定出来ません」
「それは……そっか……」
「………」
そんなマドカの話を聞いて、スズハは混毒の森の方へと目を向けて溜息を吐く。よくもまあそんなにギラギラとした目をしていられるものだと、心底呆れて向かい合うのも嫌になった。
(詰んでるじゃない、この世界)
そう結論付けたのだ、当然のように。
この世界に落ちて、拾われ、最初にしたのは本を読み漁ること。文字だけは何故か元の世界に近いもので、所々よく分からない場所もあったが、それでも大体の意味は理解出来た。故にこの世界の事情や、大凡の歴史も知っている。
「……オルテミスにはそのギガジゼルが居るのよね?次に目覚めるのはいつなの?」
「周期的に言えば数百年は大丈夫だと思いますよ、そもそも以前に起きたのもデベルグに無理矢理起こされたというものですし」
「つまり、気をつけるべきは次の龍種……?」
「そういうことになりますね。他に脅威とするのであれば……少し前に龍神教からの襲撃がありましたが、暫くは大丈夫でしょう」
「?なんでそう言えるのよ」
「少なくともスズハさんのことは私が責任を持って守るからですよ、例えリゼさん達が受け入れてくれなくても」
「……そう、責任感の強い保護者で良かったわ」
「むっ」
そんな風にリエラがまた嫉妬を燃やそうとした時に、馬車を引いていたエミからの声が掛かった。どうにもモンスターの群れが近付いているらしく、処理をして欲しいということらしい。
「リエラさんはここにいて下さい、私1人で大丈夫ですから」
「う、うん……」
「それでは」
当然のようにその対処に向かったのはマドカだ。
リエラも立ち上がりかけたが、それを手で制される。マドカはそのまま馬車から飛び降り、前の方へと走って行ったが、隣に居たスズハはそれを信じられないものを見たような目で見ていた。
エミの言葉通り森の中を馬車に並走しながら近付いてくるグロウ・マンキーの群れ。中型の猿型モンスターであり、長く堅い爪を白熱させて攻撃を仕掛けてくるモンスターだ。森の中というのは彼らの領域であり、木々を華麗に移りながら取り囲んで攻撃を仕掛けてくるというのが定石。普段はこうして馬車を率いる馬を襲ったりしているらしい。
「……ねぇ、一つ聞いていい?」
「……いいけど」
「マドカって、どれくらい強いの?」
「どれくらいって……」
見ていれば分かる。
リエラはそう答えようとして、口を閉じた。
それは何より、彼女がもうそれを自分が言葉にするよりも早く見せていたから。
森を、木々を、文字通りに我が物とする彼等を相手に、むしろその領域に自ら飛び込んでいき蹂躙し始めるマドカ・アナスタシア。木々を移る速度は群れのどの個体よりも早く的確で、彼等の赤熱した爪は一度たりとも彼女に触れられることなく潰されていく。スフィアを使っている訳ではない。特別なスキルを使っている訳でもない。単純なステータスと技術だけであれを成している。
「……ねぇ、あれが探索者にとって平均レベルな訳?」
「そんなわけ、ないじゃん……あんなことが出来るの、オルテミスでも片手で数えられるくらいだよ」
「そう、それはなにより。探索者ってのも私の想像していたよりかは常識的な生き物だったのね。木の間を移り飛びながら回転斬りを叩き込む頭おかしいのが普通だなんて言われたら、どう反応すればいいか分からなかったわ」
「そ、そんなにおかしい訳じゃないもん!マドカさんより強い人もいっぱい居るし、速度ならエミさんが、剣術ならレンドさんが、魔法ならカナディアさんの方がずっと規格外だよ」
「じゃあ、あれだけの特別ってなんなの?」
「えっと……五属性が使い分けられることかな」
「?なにそれ」
「マドカさんの剣、2本あるでしょ?あの剣はそれぞれ属性を光属性と闇属性に変えられるんだよ、出力は落ちちゃうけど。それでマドカさんのスキルを含めると、1人で5つ全ての属性が使えるの」
「それ、あの武器があれば他にも出来るの居るんじゃない?」
「そ、それは……や、でも、ほら、だからマドカさんもそこまで特別な人じゃないっていうか」
「あんたそれでいいの?」
「え?……あ、違うの!マドカさんは本当に特別な人で!けど全然おかしな人じゃないっていうか!」
「はいはい」
「うぅ……」
そうこう言っているうちに全滅するグロウ・マンキー達。結局彼等はマドカに傷一つ付けることなく木から落とされた。
スズハには戦闘のことなど分からない。
だから正直、あれがどれほどのことなのか実感は全く湧いて来ない。
ただ分かるのは、異常なあの女が戦闘力まで異常であったとしても、なんら不思議ではないということ。
「ただいま戻りました」
「お、お疲れ様!マドカさん!怪我はない!?」
「ふふ、この通り大丈夫ですよ」
「……ほんと、メアリー・スーの怪物ってあんたみたいなのを言うのかしら」
「?なんですかそれ」
「子供の作った物語に出てくる様な理想的な人物、みたいな言葉よ。強くて、愛されて、特別で……」
「あ〜……」
何でも持ってる、何も不自由がない、そして誰からも特別扱いされる。そんな彼女の姿が何となく気に入らず、そんな風に皮肉気に言ってやれば、しかし彼女はやはりスズハの想定から少し外れた言葉を返して来た。
「まあ、そんな理想的な人物が居るのなら、是非この世界を救って欲しいですよね」
「……」
「確かに私は特別な物を色々と持っていますが、それでもこの世界を救えません。必死に頑張ってはいますが、精々延命程度でしょう」
「延命は出来るのね」
「それに、私はこれ以上レベルが上がりませんから。どうせ直ぐに戦力外になりますし、もう少しもすればリエラさんとステラさんに抜かれるでしょう」
「そ、そんなこと……」
「そのうち私は居なくても問題ない存在になります。そんな私を理想だなんて呼んで欲しくはありません。……全部が全部貰い物の人間を、理想だなんて言ってはいけません」
つまり、理想はもっと高く持て、と。
そういうことを言われているらしい。
「そういう意味では、きっとこれからお会いするリゼさんは、理想に近しい人になると思いますよ」
「えっと……マドカさんの新しい教え子さん、だったよね?」
「ええ、リゼさんは強くなると思います。それに好奇心もありますし、人に愛される性格の持ち主です。彼女とスズハさんに色々と引き継いで貰えたら、私はもう引退ですね」
「……その歳で引退は早過ぎるんじゃない?」
「さっきも言いましたけどレベルが上がりませんから、前線に立つよりも後方で育成に時間を割いた方が効率が良いという判断です。リゼさんやリエラさん、スズハさんもそうですけど、最近は妙に特殊なスキルを持っている方が多いですからね。戦力増強を考えるのであれば、私はそっちに尽力するべきだと思うんです」
「そうなの?」
「え……どうなんだろう、私は知らないかも」
それはこの場に居る誰もが知らない事だった。
唯一前の方に居るエミだけは長い探索者生活の中でなんとなく気付いていたのかもしれないが、今の若い探索者達はそれを知らないだろう。精々が上の探索者達は良いスキルを持っているなぁと思う程度。
「ええ、実際40年前の邪龍討伐時点の探索者の記録と比較したところ、最近の探索者のスキルはかなり特殊になって来ています。例えば40年前は『火属性【中】上昇』という様なスキルが多かったんですけど、最近は『火属性【中】上昇、火属性スフィアの待機時間が1/2』みたいな形になって来てるんです。……あ、ちなみにこれ私のお母さんのスキルです」
「そんな明らかにシステムに干渉してくる様なことある?」
「だ、だからラフォーレさん、あの勢いで途切れる事なく炎弾を乱射出来てたんだ……」
「最近見た中で一番強いと思ったのはダントツでリエラさんとステラさんですね。正直将来的に探索者最強の名声を受けるのはお二人だと確信しています。現状でも最高ステータスなら私を軽く超えているくらいですし」
「は?え、さっきまでの露骨な後輩アピはなんだったの?こっちの方が全然バケモノだってことじゃない」
「バケモノ!?」
「そもそもグリンラルへの戦力提供をたった2人で認められるくらいですから。実際アタラクシアさんやリスタニカさんと並んで街の入口を守れていましたし、かなり凄いことしてたんですよ?」
「殆ど一人でオルテミスの留守を任されてたマドカさんに言われたくないよぅ!」
「まあそっちは結局失敗した訳ですが♪」
「それでも凄いもん!」
思わぬ人間が実はとんでもない素性を持っていたりして、如何にもとんでもなさそうな人間が実はそうでもなかったりする。
正にそんな一面を垣間見てしまったスズハではあるけれど、これから彼女が向かう場所にはむしろ凄くない人の方が少ないくらい。そうでなければ生き残れない世界に来てしまったことは、悲しいことなのか、幸福なことなのか。