街の北西部に位置する住宅街の1つ、男2人が生活しているそれなりの大きさを持つ一戸建てがそこにはある。身体の大きな半獣人の青年が作った少し遅めの昼食を、逞しい肉体を持ったヒューマンの男性がガツガツと食していた。そんな彼の前に青年は座り自分も手をつけ始めたが、今日も満足の出来る仕上がりになっていたらしい。青年の機嫌は頗る良いように見えた。忙しない最近の中でも久しぶりとも言えるゆったりとした1日、これを今こそ満喫しているという雰囲気がそこにはあった。
「あ、そうだクロノスさん、どうも僕達は一旦待機になる可能性があるみたいですよ」
「ん?……はぁ?いや、つってもバルク、龍種が逃げたのは確かなんだろ?どういうことだ」
「お昼前頃にマドカちゃん達が戻って来て再調査を行っていたそうなんですけど、どうも既に龍種は混毒の森の方まで逃げてしまった可能性があるみたいなんです。伝文機による第一報なので、詳細は今からマドカちゃんが走って届けに来てくれるみたいですが」
「ほぉ〜、そりゃまた働き者で。んっ……まあそれなら確かにどうしようもないか。追っても走っても無駄だわな。……最近は瓦礫の撤去に街外の警戒巡回ばかりだったし、だったらここらでマドカちゃんの顔でも見に行くか?」
「いいですね、そうしましょう。恐らくこっちに着くのは深夜になると思います、明日の昼頃に伺うのがいいんじゃないでしょうか?」
「そうするか。ああ、水取ってくれ」
「はい、どうぞ」
口の端に着いた卵の切れ端を口に戻しながら、男は受け取った水を飲む。誤解をされることは多々あるが、彼等は決してそういう仲ではない。ただ元々所属していた連邦軍においても同部屋であり、このオルテミスに来てからも生活する上で都合が良いから同居しているというだけである。加えて言うのであれば決して彼等の周りに女性が居ないという訳でもない。ただその唯一の女性というのが、あまりにあまりというのはあるかもしれないが。
「……んで?ラフォーレの奴はどこで何やってんだ?あの糞龍潰してた時から一度も見てねぇけど」
「マドカちゃんが新しい教え子を取ったことは知ってますか?」
「あん?そうなのか?」
「ええ、どうもマドカちゃんが居ない間その子の面倒を見ていたみたいです。代わりに色々指導していたとか」
「……絶対嘘だろ。それかマドカちゃんに似てたのか?」
「いえ……多分将来性のある新人さんだったからだと思います。話を聞く限りでも相当酷いことをされていたみたいなので」
「それはまた……ご愁傷様だな」
バルクという青年。彼が街やギルドで聞いた限りでは、マドカの新しい教え子であるリゼという少女はそれはもうラフォーレ・アナスタシアに酷い扱いをされていた。食堂で突然机ごと吹き飛ばされたかと思えば、廊下で突然蹴られ、唐突にダンジョンに連れて行かれて半殺しにされた挙句、治療院に投げ込まれ、噂ではカイザーサーペントと単独で無理矢理戦わされたという話もあった。流石にそれは誇張だろうが、普通に考えれば行き過ぎた訓練と言わざるを得ない。
「自分の姉のことながら、僕には未だに姉さんのことが分かりませんよ」
「いや、あいつの考えてることなんか分かったところで理解は出来ねぇだろ。10歳で家を出て単身オルテミスに来る様なイカれた奴だぜ?元々の頭が違うんだよ」
「僕の中で一番印象的なのは、家を出る1年くらい前に姉さんが突然父さんに炎弾を撃ち込んだ事ですね。あれは間違いなく殺す気でした」
「ああ、なんだっけか?殴ったり蹴られたりしてたんだろ?バルクだけ、父親が違うとかで」
「ええ、当時の姉さんの言葉は今でも忘れられません。『貴様という存在そのものが不快だ、存分に苦しんで死ね』と」
「おいおい……それが9歳の女が実の父親に使う言葉か?」
「結局父さんは死ななかったんですけど、全身に酷い火傷を負いまして。それからはすっかり萎れて大人しくなりましたよ、火を見る度に怯える様になりましたが」
「ラフォーレの話は聞く分には面白ぇんだよな」
「当事者になると笑ってられませんけどね」
2人の笑い声が家中に響く。
ラフォーレの弟である半獣人のバルク・エルフィン。バルクの元上官であり、このクランの長でもあるヒューマンのクロノス・マーフィン。これにラフォーレ・アナスタシアを加えた3人のクランこそが"紅眼の空"であった。
たった3人のクランでありながら、都市トップクラスの実績を持つ彼等。しかしそんな彼等であってもラフォーレ・アナスタシアを制御することは出来ない。その一方で近くに居る時間の長い彼等だからこそ、その横暴さに対する身の振り方を弁えているし、その横暴さを楽しむ方法も身に付けている。そして同時に、他の誰よりも諦めていると言ってもいいのかもしれない。
「さーてと、ところで今日の方はどうするよバルク?ダンジョンでも潜るか?」
「それこそ、そのマドカちゃんの新しい教え子さんに挨拶をしに行くというのはどうでしょう?姉さんが目を付けるくらい優秀な探索者であるのなら、今後も顔を合わせる機会はあるかもしれません」
「ああ、そりゃそうだ。何処に居るのかは知ってるのか?」
「普段はマドカちゃんみたいにギルドの余った依頼をしていると聞きました、取り敢えずギルドに行けば間違いないと思います」
「そりゃ真面目でいいねぇ。さーて、今日も美味かったぜバルク。皿は片付けとくからお前も着替えてきな」
「僕は食べ終わるのにもう少しかかりそうなので、先に着替えて来ていいですよ」
「おっ、そうか?そんじゃ先行って来るわ」
どう考えても何の害もない、むしろ常識的な2人が接触してくるというのは、リゼとレイナにとっては何よりの朗報であろう。それがラフォーレと同じクランの人間であるというのなら、リゼにとってその苦労を共有出来る数少ない人達であるというのも間違いない。
お昼を過ぎた頃、リゼとレイナはダンジョンから依頼を済ませて戻って来ていた。いつも通りのことをして来ただけであるが、いつもと少し違うのはリゼの右手に固定されているその武器。
「……なんか、思う存分、という感じですね」
「ああ、やっぱりこれが一番戦いやすい。銃弾を使うのは今日は避けたけれど、単なる打撃武器としても威力は落ちるが扱い易さは段違いだからね」
ブンブンとそれを軽々と振り回すリゼ。
相変わらず『炎打』のスフィアの対象である銃による殴打は、リゼの筋力も相まって頭部に直撃すればモンスター達の頭を容易く吹き飛ばした。いつもよりもイキイキと戦闘をしていたリゼを見て、彼女が言っていた本来の慣れた戦闘スタイルというのは嘘ではなかったのだとレイナは納得出来たのだ。
受付に依頼品の納品を行い、確認が終わるまで2人でまた依頼板の方を見る。少しの雑談を交えながら、午後の時間を使っても消費する必要のある依頼がないのか探していた。
「……そういえば、やっぱり"青葉の集い"からの探索者の紹介は先延ばしになりましたね。仕方ないと言えば仕方ありませんが」
「マドカもそろそろ帰ってくるらしいし、その話次第でまた状況も動くんじゃないかな。むしろこの停滞状態こそ、カナディア達の様な忙しい人間達にとっては久方振りの休みを取れる良い機会になっているみたいだね」
「まあ私達には関係のない話です」
「……カナディアにもいつかお礼をしないといけないね。私達2人としては結果的に一番世話になってしまっているというか」
「そうですね……ただ、クラン作成のことも考えるともう少しお世話になってしまいます。少しでも報いるために、ダンジョンの出口探しも進めたいところですね」
「……まだまだ進んでないのが現状だけれどね。個人的に壁や天井も見て見たけれど、特におかしな場所もなかったんだ。やっぱりあるとしたら木々や藪の中なのか、見当もつかないよ」
特別処理が必要そうな依頼もなく、今日も以前の様に何人かの探索者が遠征許可を取りに来ていたが、もう良い加減に面倒臭くなったエッセルがラフォーレ・アナスタシアを受付の近くで丁寧に持て成し始めた事で叫ぶ人間は全く消えた。
菓子に飲み物に、彼女の求めた書物なりなんなりを自分の仕事よりも優先して持って来るエッセル。これこそが彼女の考えた現状で最も効率的な仕事の進め方らしい。
……お陰様でギルド内はいつも以上に静まり返っていて、一部の職員はむしろ縮こまってしまっているが。あのラフォーレを利用してでも、というところにエッセルの強さがあるように思えるし、そこを気に入ってラフォーレももてなされている感も無くはない。
「あ〜……ラフォーレ、こんにちは」
「……何か用か、愚図」
「い、いや、見かけたから挨拶をと思って」
「そんなことをしている暇があるのならダンジョンで死んでこい、どうにも生温い顔をしている様だが?」
「そ、それは……」
無視をして帰れば殴られるのではないかと思って話しかけてみたものの、むしろこれなら声を掛けなければ良かったのではないかと思ってしまうリゼ。その後ろでレイナも苦笑いをして身構える。
「……まあいい、今日はそういう気分ではない」
しかし『もしかすればこのまままたダンジョンの奥深くに連れて行かれるのではないか』というリゼの嫌な予想が的中することはなかった。再び熱い茶に口を付け、読んでいた一冊に目を下ろす彼女。元々の容姿が良いだけに、側から見ればその姿は美しい本好きの令嬢の様である。これだけならマドカの母親と言われても納得できるのに、本当にどうしてこんな凄まじい性格をしているのか。
「ところで、ラフォーレはここで何をしているんだい?」
「マドカを待っている」
「え、今日帰って来るのかい!?」
「明日の深夜頃にな」
「明日の深夜……」
現在時刻14:24。
……深夜?
2人は首を傾げる。
「まだあと30時間ほどあるが……」
「だからなんだ?」
「あ……いや、なんでもない」
「何か手違いでもあってマドカが1日早く帰ってきたらどうする?」
「そ、それはどうだろう……」
「むしろ何かが起きて迎えが必要になる可能性もあるだろう」
「ま、まあそれは……」
「いつ何時であろうと、どの様な状態であろうと、あの子が帰って来たことを確認し、迎え入れる。それが私の役割だ。それ以上に優先すべきことはなく、それ以上に大切なことはない」
「……あ」
その言葉を聞いて、リゼは1つのことを思い出した。
確かマドカは過去に一度、ダンジョンに行ったまま半年以上もの間帰って来なかったことがあると、ギルド長のエリーナが言っていた。もしかすればラフォーレがここまでマドカの帰りに拘るのには、それが理由にあるのではないだろうか。
人でなしのラフォーレ・アナスタシアが唯一人間らしくなるのが、娘のマドカに関係することだ。そんなラフォーレが半年もマドカが行方不明になっていた時に、冷静で居られた筈もないだろう。
「……それなら、私達にも手伝えることがあれば言って欲しい。雑用でも荷物持ちでも出来ることならしたい」
「殊勝な心がけだが、余計な世話だ。……だがまあ、気が向けば使ってやろう。貴様のその眼だけは評価している」
彼女はそう言い終えると、もうこれ以上話すことはないとばかりの雰囲気を出して、また足を組み直して菓子に手をつけ始める。リゼも空気を読んでその場を離れ、提出物の確認を終えたエッセルの元へ向かい依頼の後処理を終えた。
「……ラフォーレさんも、あれでやっぱり1人の母親なんですね」
「ああ、時々私も不思議に思うよ。けどやはり母親にとって、自分の子というのはそれほどの存在なんだろうね。まだまだ私達には分からない気持ちだが」
「そういえば、ラフォーレさんってといくつなんですかね?物凄くお若く見えますけど」
「ああ、それは聞いたことなかったな。ギルド長と同年代と考えると……いくつなんだ?」
「さあ?」
まず間違いなく30後半から40くらいだろうが、あのラフォーレ・アナスタシアである。もっと破天荒なことをしていてもおかしくないし、どんな年齢であってもあの若々しい容姿を保っていて不思議ではない。色んな可能性が考えられる。
とは言え、もしかすればそこに触れてしまうと逆鱗である可能性もあるので、一瞬話題に出した後に2人はそれを忘れることにした。
見えている地雷は踏まない、今はそんなことよりお腹を満たしたい。出来る限り賢く生きるのが一番である、特にラフォーレ相手ならば、殴られたくないのならば。
「……なんか、最近日替わり定食が似たようなメニューばかりな気がします。日替わりとは」
「ま、まあ確かに。明日は違う場所に食べに行くかい?……念を押されてしまったから、時々はナーシャにも顔を出さないといけないし」
「あそこ高いですけど、お金大丈夫ですか?」
「お金より私の胃の方が心配かな……」
「結局懐は痛いんですね、美味しいので私はいいですが」
ラフォーレと話した後、2人は昼食を食べ終え食堂から出てゆったりと伸びをしていた。
実際、そろそろ食堂の昼食も食べ飽きて来たというのはある。決して美味しくないということはないし、メニューが少ないという訳でもない。ただ毎日同じ食堂で、唯一新鮮味を求めて頼んでいた日替わり定食がほぼ固定になってくるとなると、物足りなさといものは出てくるわけで。少しの刺激が欲しい……だったら喫茶ナーシャに行けばいいじゃない!というのは少しばかり乱暴過ぎる論法ではあるが、まあこんな時でもなければ行こうとは思わないのがあの店だ。それにあのメイドにも新しい仲間候補を紹介して貰った恩もある。最低限の礼儀として店を利用するくらいはするべきだろう、たとえその末に多少弄られることになったとしても。
「あ?おいバルク、あいつ等じゃねぇか?」
「へ?……あ、そうですね。あの大銃は間違いないです、話し掛けてみましょうか」
「うん?」
そうして食堂を出て、鍛治師ガンゼンの元へ色々と設備の相談をしに行く道中のことだ。見知らぬ大男2人組からそんな風に指を指されたのは。
1人は獣人の男性。典型的な獣人の成人男性といった風貌で、その隆々とした肉体の分厚さに反して垂れ目の大人しそうな雰囲気をしていた。一方で隣に立っている色黒の人族は、獣人の彼とは対象的に、同様に筋肉質な身体をしてはいるが分厚い肉体ではなく、高身長で理想の肉体美と言えるだろう。
「……誰だろう?」
「さあ?」
知らない、本当に知らない人達。
というかリゼの記憶の限り、この街に来てから殆ど男性と言葉を交わした記憶がない。それこそ鍛治師のガンゼンくらいだろうか。逆に言えばそれくらい探索者の中で指揮を取っている男性は少ないし、その理由もカナディアから聞かされていた。
それでも分かるのは、ベテランの男性の探索者というのはそれほどに熟練されており、その実力もかなりのものであるということ。目の前の2人も当然ながら見た目にあった実力を持ち、精神的にもまた優れているのだろう。基本的に探索者は見た目で判断して良い、それはマドカも言っていた。
「どうしますか、リゼさん」
「問題ないよ、せっかく声を掛けてくれるんだ。面識くらい作っておこう」
「分かりました」
レイナにそう告げて、リゼは近付いてくる2人を待つ。まあ街のど真ん中だ。何かトラブルが起きることもないだろう。
そして言葉をかわし始めれば直ぐに分かったことではあったが、当然ながら、彼等のその内面もまた本当にその見た目まんまの人間でもあった。
「よう、いきなり声掛けて悪かったな。俺はクロノスってんだ、こっちはバルクな」
「あ、ああ、私はリゼという。こっちはレイナだ」
「……どうも」
「クロノスさん、それだと僕達の名前しか伝えられてないですよ。女の子達に突然話しかける怪しい男達です」
「ん?ああ、それもそうか。悪いな、マドカちゃんの教え子に挨拶しないとって思ってたらつい」
「………」
まあ、そうだろうなとリゼは頷く。
むしろその繋がり以外で声を掛けてくる探索者も早々居ないだろう。なんとなくレイナが小さく溜息を吐いたのに気付いたが、しかしこうして繋がりが広がるというのは、例えそれが自分達の力でなくとも有り難いことだ。今度はその繋がりを別の人にも繋げられるように、出来る限りたくさんの繋がりを作っておきたい。
「ええと、つまり貴方方はマドカの知り合い……ということだろうか?」
「ああ、まあそんなところだ」
「そうですね、僕は一応マドカちゃんの叔父……という族柄になりますか」
「……え?」
「え?」
思いもよらぬ告白。
レイナと同時に聞き返す。
バルクと名乗る獣人の彼は、自分がマドカの叔父なのだと。ということはそれはつまり。
「ラ、ラフォーレの親類……というか姉弟!?」
「ええ、ラフォーレ姉さんの僕の姉です。バルク・エルフィン……姉さんの旧姓もエルフィンなんですよ」
「に、似てないですね……」
「レ、レイナ!」
「あっはは、構いません。……父親が違うんです。母が奔放な人でして、姉さんはエルフとのハーフで、僕は獣人とのハーフだったりします」
「ラ、ラフォーレがハーフエルフだということも初めて知った……」
「エルフ要素何処にも無いじゃないですかあの人……」
となると、マドカはエルフのクォーターということになるのだろう。あの2人が魔法に秀でたステータスをしているのも納得というところだ。一方で近接戦闘もかなり出来るところは、単純にラフォーレの素質ということなのか。
「時間あるなら少し話さねぇか?俺達も顔繋ぎくらいしときたいんだよ、何があるか分からねぇからな」
「何が……?」
「何か起きた時に上手く意思疎通が出来るように、ということです。そこの喫茶店か、ギルドの食堂か、どちらでも僕達が出しますから」
別にガンゼンと約束していた訳でもないリゼ達は、一先ずその誘いに頷くことにした。……何かあった時に、意思疎通が出来る様に。その理由は一度その"何か"を体感したことのあるリゼとしては、時間を使うに充分なものだった。