日も沈み、すっかり世界が静けさを取り戻し、動物達すらも夢の世界に旅だった頃。マドカ・アナスタシアはオルテミスへ向けて未だ走り続けていた。
既に走り始めてから約5時間。山を2つほど超えてこれから森林地帯に突入し、ひたすら海岸線を走り続けている現在。多少遠回りにはなるが森林を突っ切るよりかは走りやすく安全であり、あまり多くはない体力を考えてもこれが最短であると判断した。時々必要に応じて休憩を挟んではいるが、そろそろ空腹が限界でもある。このまま走り続ければ1〜2時間程度で到着は出来るだろうが、この辺りでもう一度休憩を入れる必要があるだろう。
「……ふぅ、そこまで急ぐ必要もないのかもしれないですけど」
伝文機だけで伝えられる情報には限度がある。
それだけで判断して貰うことも可能ではあるだろうが、出来るだけ正確な情報を手渡した上で判断をして貰うのが一番だろう。都市の探索者全体に影響する様な重要なもの、それを自分が走るだけで1日でも早く届けられるのならマドカに戸惑いはなかった。
「ええと、エミさんに貰った食料も……あや、もうあんまり残ってないですね。この体質にも困ったものです」
詰めに詰めて貰った食料用の宝箱の中も、休憩の度に補給していた為に中身はもうあまり残っていない。大体3人分というところか。
引っ張り出したパンを食べながら、近くにあった枝を折り、火を付ける。身体が海潮の影響でベタついているのが分かるが、マドカは特に気にせずに身体を伸ばしたりしながら温まった。
その気になればその辺りの獣を買って食べることも出来るが、そんなことをするくらいなら1時間我慢して走り続け、オルテミスに着いた時点で補給する方が早い。3人分もあればまあ保つだろう。
エミは現場での指示役を調査員達に求められてしまい、適役が自分しか居なかったとはいえ、本当に持久力のないこの身体は不便である。十分なステータスのある他の探索者ならば半日走り続けるくらいは当然のように出来るだろうに。
「まあその気になれば木や草、泥だって食べられますけど……流石にそれはしたくないですし」
冷たくなっていたパンに少しの具材を挟んだ後に軽く火に炙り、食べる。この身体のいいところはどれだけ美味しい物を食べても太ることがないし、どれだけでも食べられる事と言えるかもしれない。燃費の消費があまりにも悪いという言い方も出来るが、人より何倍も食事の幸福を噛み締められるというほうがマドカ個人としては気に入っている。食は無限だ、無限の幸福がここにあると言っても過言ではない。
「……?」
それはそんな風に残り少ない食料を消費し、肉体の疲労をほぐし終えた頃にマドカが気付いた異変だった。
(音、それも複数。これはモンスターじゃない?)
焚火の始末をしようとした足を止め、腰に付けた2本の剣に手を伸ばし……
「っ!!?パワーアロー!?なんて精度!!」
手が掬に触れる瞬間に暗闇の中から放たれた2本の弓矢。それはあまりにも正確にマドカの剣に当たり、マドカの身体ごと後方へ吹き飛ばした。海面に落ちる愛剣達、着地までの間に千切れたベルトと鞄だけは空中で引っ掴めたのは幸いだった。
右脚に取り付けていた秘石を取り外し、千切れた鞄と共に腹部に取り付ける。身体に装着することで自動的に黒色のベルトが巻かれることを利用し、破れた箇所を補うと、その後すぐさまに鞄から引っ張り出した3つのスフィアと予め嵌められていたものを交換する。着地するまでの間にここまでの作業を流れる様に行えたのは、単に経験の問題だ。武器は諦める、拾っていられる時間などない。
(目を凝らさないと、弓師の練度が尋常じゃない……)
足が地面に付いた瞬間に着ていたコートを広げる様にして前方へと投げ付け、そのまま右方向へ向けて直走る。射抜かれるコート、やや右側。
基本的に弓士というのは右利きが多い、そして弓を引き絞るという工程がいる以上、狙いを定める標的が弓士から見て左へ向けて動くよりも、右へ向けて動く方が撃ちにくい。とは言え、これほどの精度を持つ弓士であるのならばその誤差は計算に影響を与えるほど大きなものではない。故にマドカはその方向に走ることによるデメリットを無視し、より確実なメリットを取った。
(木の上からの射撃。右利きの弓士が枝の上に乗って射撃をする場合、普通は背もたれの為に身体の左側に幹を配置させる事が多い)
つまりある程度の距離を走れば弓士達は位置を変えざるを得なくなる。これが一流のリーダーを持つ様な集団であるのならば、間違いなく右利きと左利きの弓士を揃えて複数人を配置しているところだ。しかし現状放たれている弓矢の数は2本。加えて着弾のタイミングが僅かにズレている上に、着弾位置も何の工夫も見られない。腕は一流、しかしその2人は所詮かき集めの者達なのだろう。
「放て!!」
「「!?」」
マドカが叫んだ言葉に釣られて、弓矢が1本飛んでくる。しかしそれは精度も速度もあまりにも初撃に比べて劣ったもので、暗闇の中と言えどマドカの身体を掠る事もなく飛んでいった。
目的は言うまでもなく撹乱だ。
弓を覚えた過程において他者から指導されたのであれば、少なからず動揺を誘うことのできる言葉。それを不意打ち気味に差し込まれれば、明らかな優位と僅かな焦りを覚えた人間に対しては効果は抜群だ。
それでももう1本の弓矢は放たれておらず、マドカは姿勢を可能な限り低くして滑り込みながら森林の中に突入する。結局放たれる事がなかったことを考えるに、もう1人の方も先程のブラフに引っかかり動揺し、撃つ機会を逃したのだろう。
(どちらも対人戦闘の経験は少なそうですね、探索者崩れでしょうか)
鳴り響く笛の音、バサバサと音を増やす草木をかき分ける音と男達の荒い息遣い。弓士だけでなく地上の戦闘部隊も当然であるが居たらしい。しかし姿を隠すためにこの場から少し離れたところに居たのか、直ぐに目の前には来ないだろう。
……ならば狙うのは当然。
(先ずは弓士から)
一際大きな木に駆け上る。
相手がエルフであった場合、こちらの居場所は音だけで殆どバレているだろう。一方で相手の居場所は矢の射出方向から予測できた曖昧なものでしかなく、相当な素人でもない限りまず間違いなく移動をしているはず。
(だから……!)
ゴリ押す。
「な、なんだこの音は……!?」
「慌てるな!取り囲め!敵の武器は奪った!後は嬲り殺しにするだけで……」
「武器を奪えば勝てる、と?」
「「っ!!」」
生まれも育ちも全く関係のなかったエルフの男達、山林の中での戦闘ならば誰にも負けることはない。今日が初対面の間柄であっても、2人は別々のところで全く同じそんな確信を持っていた。
しかし目の前で掴まれた片割れの男の襟首。
一瞬、ほんの一瞬の間にその男は目の前から消失した。直後、頭上から放たれた凄まじい衝撃。木々から叩き落とされ、押し潰される。目が周り、思考が鈍り、音だけが耳に入る。何かが折られる音。何かを取られる音。そして最後に、腹部に叩き込まれた拳の一撃。男が朧げな意識の中で感じ取れたのはそこまでだった。
海面に2つの水飛沫が跳ねる。
「見つけたぞ!殺れ!殺れ!!」
「うぉぉおお!!!」
「1、2、3……全部で14人ですか。いえ、まだ増援が居そうですね」
折られた弓と矢の残骸を足元に、大きな木を背中に月夜に照らされながら5つのスフィアを手に転がしている白い女。増援に駆け付けた男達が各々の武器を持って取り囲む。
しかしそんな状況でありながらも当の女:マドカには焦りや動揺の仕草は一切見られなかった。
ただ冷静に目と耳を使って状況を把握する。
奪い取ったスフィアを鞄の中に仕舞い込む。
「おい!この数相手に勝てると思ってんのか?大人しく捕まれば命だけは助けてやるぜ?」
「龍神教……では無さそうですね。誰から依頼を受けたんですか?狙いが私の持っている情報、という訳でもないでしょうし」
「それはこれから俺達がじっくり教えてやるよ。いいからさっさと両手上げて地面に伏せな、話はそれからだ」
「作戦が少しお粗末でしたね。戦力の逐次投入は当然として、本来なら弓矢を放った初撃の時点で笛を鳴らす様に指示すべきです。……そもそも、なぜ弓士達も初撃で私の頭を狙わなかったのか」
「なんだと……?」
「数を用いた奇襲は何より速度を優先すべきです。そもそも戦力も1箇所ではなく分散して配置した方が良かったでしょう。寄せ集めの戦力で指示系統に問題があったのかもしれませんが、それは指揮者の能力不足が最大の原因です」
「テメェ!!言わせておけば好き勝手……!」
「だから。……せっかく武器を奪うことに成功したのに、こうして逆に武器を奪われる事になるんですよ」
「!!」
「組長!こいつ弓と矢を……ぐぁっ!」
「かかれ!かかれ!!」
背中に隠し持っていた弓と矢筒。
彼女を見た瞬間に気付くべきだったのだ、足元に転がっている残骸は全て1人分のそれであったと。
放たれた矢が部下の男の頭部に突き刺さると同時に、長は自身の慢心を漸く自覚し捨てる事が出来た。
『炎斬!!』
『炎打ァア!!』
マドカに向けて振り下ろされた剣と大槌によるそれを、彼女は真上に飛び上がることによって避ける。背後にあった木が被害を受けて倒れ始めるが、彼女はむしろそれを足場に利用した。
『双射(ダブルシュート)』
使用するのは弓矢専用の『双射のスフィア』。
その効果は文字通り一度の射撃で2本の矢を2つの対象に向けて放つ。ただそれだけ。
ダンジョン内においては雑魚モンスターを狩る程度でしか役に立たないそれだが、碌な防具も身に付けていない人間相手であれば十分な性能をしていた。
上空に飛び上がりながら放たれた2本の矢は正確無比に攻撃を仕掛けてきた2人の男達の頭部に突き刺さり、その命を奪う。
「機動部隊は木に登れ!あいつを好き勝手動かすな!叩き落として袋叩きだ!!」
「それは愚策ですよ、『雷弾』」
「なっ……ぁがっ!?」
倒れ始めた木から跳ね飛び、『雷弾』のスフィアを使用して弓を放つ。凄まじい速さで放たれた雷を纏った矢は長であった男の喉を貫き、言葉を封じる。
陣形が崩れ始める。
動揺が広がり始める。
迫って来た機動部隊には近寄らず、マドカは先程頭を射抜いた男の持っていた剣を持って海岸線まで走った。このまま速度で振り切れるのならそれでいい。無理ならば木々に紛れて殲滅する。速度と隠密戦闘ならば自信がある。
……そう考えていた。けれども、やはり何もかもが上手くいくとは限らないのがこの世界。
「っ!!これはっ……!」
突如として全く警戒していない場所から放たれた1本の矢。それはマドカが寸前に聞いた風切り音を頼りに何とか首を傾げて避けはしたものの、深々と右肩に突き刺さり、走る彼女を砂浜に転倒させる。
「ぅ、弓士は最初から3人居た……!?」
即座に射線から身を隠し、肉を引き裂きながら強引に矢を引き抜くと、そこに一番効能の高いポーションをぶっかける。
3人目の弓士の居場所が分からない。
先程の男達の足音が近付いてくる。
更に後ろから逐次投入していた更なる部隊が近付いてくる音もしている。
(おかしい……一見穴だらけの敵の策の中に、妙に質の違う点が散らばってる。助言した者が居る?それならそもそも策全体を見直すように助言すべき)
遊んでいる。
もしくはマドカの性格を知っている上で、わざと不完全で波の激しい策を持ち出して来たか。
先程は挑発の為にあんな風に策の穴を指摘したものの、あれも含めて全てが敵の思い通りであったというのなら、これほど恥ずかしいこともないだろう。
形が元に戻り始めたが未だ痛みが走り十分には動かせない右肩。これでは弓を両手で引くことは出来ない。加えて何となく感じ始めた少しの痺れのようなもの、つまりら毒矢の可能性。
マドカはその場で弓と矢を捨て、剣に付いた汚れを拭う。徐々に相手のスタンスも見えて来た。スフィアもまだ使える物はある。情報が多ければ多いほど、それに対するやり方も多くなるというもの。
「あの木の裏だ!囲め!」
コンッと隠れている木の裏に矢が当たる音が聞こえる。だがそれももう今更だ。マドカは鞄から取り出した1本の瓶を持つと、直ぐ様に姿を現し、宙へ投げたそれを剣によって叩き飛ばし破壊した。
「お母さん直伝です、『炎斬』!」
炎を纏った剣で、叩き飛ばした。
「っ!あの女!森に火付けやがった!!ふざけやがって!!!」
突如として身を隠してくれていた環境が地獄に変わっていく。可燃性の液体を炎を纏った武器によってばら撒く放火。奇しくもこれは彼女の教え子であるリゼ・フォルテシアも同じことをしていたりもする。
まだ射撃をしていない弓士が居たということは、4人目、5人目が居てもおかしくないということだ。ならばその全てを潰すには、そもそもの隠れ場所を破壊するのが一番効率が良い。
多少の飛沫でマドカにも火が移ったりもしたが、彼女はそれを別の液体を掛けることで消火した。放火目的の物質を所持するのであれば、反対に消火用の物質もセットで保持しているのは当然のことだ。
「ああもういい!全員武器を持て!このまま平地で取り囲んで殺すぞ!あいつは火と木に紛れて逃げやがるつもりだ!数で押し潰せ!絶対逃すんじゃねぇぞ!あいつも疲弊してる筈だ!火傷なんか気にすんな!探索者崩れだろうが!!」
ただでさえ早々に長を奪われて混乱していたというのに、更にこの放火で混乱し尽くしている集団を、隠れていた弓士が取り纏める。
やはりあの男だけは他とは違うらしかった。
その男もまた弓矢を捨て剣を抜いた事から、この場での1番の手練れは彼ということになるのだろう。加えて至るところの木々から人間が動く音が聞こえてくる。やはり隠れていたのはあの男だけではなかったらしい。徐々に追い詰められているのが分かる。
「……32人、これで本当に全員ということで間違いないですか?」
「クソが、あの灰被姫の娘ってのは確かな様だな……おい!盾持ちから前に出ろ!その間から弓持ちが狙え!その次に槍持ちだ!あと魔法は使うんじゃねぇぞ!こいつには魔法が効かねぇ!距離も十分に取れ!」
「その情報も何処から……というのも、当然教えてくれませんよね」
「お前と話すつもりなんてこちとら欠片も無ぇんだよ!矢絞れ!!」
徹底的に殺すという気概の感じられるその男は、顔をローブで隠しているものの、まず間違いなくマドカ・アナスタシアという女を殺す為に準備を整えて来たというのが明らかであった。
盾持ちで囲み、距離を取って矢で射抜き、仮にその2つを突破して来たとしても槍で串刺し。単に取り囲んで袋叩きにでもしてくれた方が突破の可能性はあったが、男はそれも含めてマドカ・アナスタシアを調べ尽くして来たのだろう。
マドカのセットしているスフィアの中に、この状況を打開出来る物はない。そもそもセットした時と状況が異なり過ぎているのだから当然だ、どのような武器を奪えても良いようにと攻撃系のスフィアばかりを選んでしまったのは結果論ではあるがミスだった。加えて右肩は未だに動かせば激痛が走るし、確実に毒が回り始めて視界が暗くなっている。そもそもスフィアを発動しようとした瞬間に矢が放たれるだろう。
「っ」
……どう考えても勝てる状況ではない。
苦肉の策で森を燃やしたおかげで全体的にダメージはあるし、思考を乱すことも出来たが、無理矢理に打開策へと繋げることまでは出来なかった。やはり最初の弓師2人を含め、練度の違う人間が数人混じっている。それもここまで一度たりとも魔法を撃ってくれないし、そもそも魔法使いが敵には何故か存在しない。
端的に言えば、詰んでいる。
(……もう、多少の被弾は仕方ないですね。なんとか活路を見出すしか)
しかしそれでも、彼女の目から諦めの闇を見つけることは出来なかった。その様子にやはり警戒していたのは、現指揮者の男だ。
「放て!!」
号令と同時に放たれる計12本の矢。
その全てがマドカに刃を向けているが、その腕前故に様々な高低差で飛んで来る。むしろ全員が同じように頭や腹部を狙ってくれていたのであれば跳んだり伏せたりすれば避けられたかもしれない。しかし最初から一撃で殺す必要はないと考えられる程度には優秀な弓師達が揃い過ぎていた。
その上、余計な思考をさせる前に、何かを仕掛けさせる前に、男は引金を引く事に成功したのだ。
それに対してマドカが行う事はただ1つ……全力で跳ね飛ぶ。頭部と心臓への被弾を避け、可能な限り生き残る可能性を高めるにはそれしかなかった。
「うっ……ぐっ!!」
左足に2本、腹部に1本、左手を庇った右手に1本。そして剣と右脚で撃ち落とした3本。当たらなかったのは6本。……恐らく何人かは双射(ダブルシュート)を使用している。
合計13本の弓矢がマドカ目掛けて放たれたのだ。
砂浜の上だからか、跳躍力が足りなかった。
「っ、ぐ……」
被害が少なかった右足を使ってなんとか着地し、守り抜いた左腕で剣を持つが、これでは反撃をすることもままならない。もしこれで被害が軽微であったのならば斬り込み乱戦に持ち込もうとも考えていたが、この状態ではそもそも走り抜けることすら困難だ。そうでなくとも既に毒で意識が朦朧としている有様。森に火をつけたおかげで敵の戦力を全て炙り出せたことはいいのだが、想定より弓師が多過ぎる。自分にとって天敵とも言える弓師が、この練度で、この人数で。
「警戒を怠るな!次の弓を引け!!次で確実にトドメを刺せ!奴が死ぬまで絶対に目を逸らすな!!」
何処までも徹底している敵の男。
出血量も相当で、既に片目が見えなくなっている。
剣を持つ左手にも徐々に力が入らなくなってくる。
(これだったら大人しく森の中で高速戦闘を……う〜ん、同じだったかなぁ。ここまで優秀な弓師さんが潜んでたら足を止めた時点で終わりだったろうし、長期戦に持ち込まれて毒攻めされてたかも。最初の組長さんとやらも、あの人の策のうちだったのかな?これはやられたなぁ)
仮にあのまま森の中で戦っていたとしても、恐らく今とそう変わらない状況になっていただろう。そう思えてしまうくらいに、徹底され過ぎている。
もし活路があったとすれば、最初のスフィア選択。あの時点で感覚強化のスフィアを選んでいれば敵の居場所や現状をより鮮明に把握出来ていたかもしれないが、それも聴覚か嗅覚でなければ意味が無かっただろう。マドカが選ぶとすれば視覚の方だ、それ以外を優先して選ぶ理由が存在しない。そもそも完全に油断していたし、武器を落とされてしまったことで冷静さが無意識下で欠けてしまっていたのかもしれない。攻撃系スフィアばかりを選んでしまったのは、きっとそれが原因だ。武器に対する依存性、それを捨てきれていなかった。
「……最後に、聞かせてください」
「……」
「貴方方の雇主は、どなたですか?」
「……アルファという男だ」
「……」
マドカが左手の剣を地面に落とす。
項垂れるように全身から力を抜く。
そしてそのまま一度、大きな溜息を強く落とす。
そんな彼女の様子に男はまるで同情や共感でもしたかのように微妙な顔を返した。それは互いにその人物についてそれなりに知っているからこその反応でもあった。
「っ!?」
しかし直後、その空になった左手をマドカが男に向け、男や取り囲んでいた者達が一瞬身体を硬直させる。……そして瞬間に、変化は起きた。
「オイ、何やってんだテメェ等」
その男が、現れたのだ。