その日から、単調なだけの日々は変わってしまった。
『まずは赤竜を倒すために、自分達で出来得る限りの知識を身に付けて来て下さい。期間は5日です。5日後にギルド主催の講義を行う予定になっていますので、そこで答え合わせをしましょう』
マドカから与えられたそんな課題。
探索者として成長する為に、今まさに停滞の時期にいる2人に、マドカが普段通りのニコニコ笑顔で与えた宿題とも言えるそれ。
"10階層の階層主、レッドドラゴン(赤竜)を倒すための情報を収集する"
いや、この言葉だけでは不十分だろう。
マドカは知識を身に付けて来いと言った。それはつまり、収集した情報をノートに纏めているだけでは意味がない。しっかりと頭に入れて、理解すること。ここまでを含めての課題である。
「恐らくその答え合わせというのは、身に付けた知識が本当に解釈として合っているのか……そういう意味でもあるのかもしれません」
「なるほど……だとすると、単に得た知識を表面だけ見て受け入れるのは違うかもしれないね」
「加えて、私たち個人の課題もありますから。思っているよりかは余裕がないかもしれません」
「うん、それはそうだ。それにレッドドラゴン討伐のための知識も、一体どこから手に入れればいいのか……図書館にそういった本はあるだろうか」
「どうでしょう……そうやって知識のありかを探すのも宿題の目的の一つに見えて来て、なんだか疑心暗鬼になって来ました」
「あはは、まああまり考えていても仕方がないからね。先ずは動くとしようか」
課題を与えられたとは言え、それで日課が無くなるという訳でもない。むしろ他にもやる事はいくらでもあるし、課題の答えを深めようとすればする程に時間は消えていく。どれだけ効率的に日課をこなしていくか、それも重要だ。
「取り敢えずはギルドに行ってスズハと合流しよう。彼女も私達の仲間になるんだ、なるべく交流はしておきたい」
「そうですね。なるべく彼女が居る時に方針については話すことにしましょうか。私達だけ知っているというのは、小規模のクランでは孤立の原因になるかもしれませんから」
着替えを終え、武器を担ぎ、いつもの様に部屋を出る2人。今日はいつもより朝早くに動いているからか普段よりも外を歩いている人が僅かに少ない気もして、少しの新鮮味を感じる。
この部屋にも使い慣れて来て、自分の家だという実感も出て来た。しかしそこまで広い訳でもなく、もしこれからもクランメンバーが増えるのであれば、もう一部屋借りる必要が出て来るだろう。幸いにも隣の部屋は最近無人になったばかりであり、今日まで大家には一度たりとも会ったことはないが、交渉の余地はあるかもしれない。
(ただ、そうなると問題はやはりお金か……)
今はカナディアとの契約で金銭的な余裕はあるが、それもいつまでも続くという訳でもあるまい。そうでなくとも自分達で稼いだ訳でもないお金で水準以上の生活をするというのもリゼとしては少し抵抗感がある。
やはり10階層を超える事は、仲間を増やしていくためには急を要するのだと理解出来る。恐らくはここが探索者としての関門の1つなのだろう。3人以上のパーティでは、10階層までで得られる報酬では生活が難しい。そう考えれば強化ワイアームを呼び出してしまった"聖の丘"の3人の男性探索者が何故あんな無茶をしたのかというのも分かるところ。同じ立場になって漸く理解出来ることもあるということか。
きっとリゼ達は恵まれているのだろう。彼等も大手のクランに入っていたのだから恵まれていた方。自分達と同じような立場で、もっと過酷な日々を過ごしている探索者も居るに違いない。……そうして少しずつではあるが、リゼが見える世界の姿というのも大きくなり始めていた。
「……意外ね、この世界にも珈琲があるなんて」
「こーひー、ですか?……あ、その飲み物の事ですか。確か街の外れにある喫茶店で出されていたものが、最近になって人気が出始めているみたいです。食堂でも数量限定で出しているんだとか」
「へぇ、味もまあまあだし。異世界にしては普通に食べ物も美味しいわよね」
「色々な種族が集まる街なので、食の好き嫌いも多くて……それにお金の動きも大きいですから、腕や常識のない料理人は直ぐに席を取られてしまうと、マドカさんやカナディア様が仰っていたのを聞いたことがあります」
「なるほど、淘汰されてるって訳。いいじゃない。好きよ、そういうの。自分に関わらない所でなら是非進めて欲しい現象ね」
「え、えぇ……」
「……おや、意外な組み合わせだ」
リゼとレイナがギルドの食堂に入ると、そこには意外な2人が席を同じにして朝食を取っていた。
1人は昨日顔を合わせた新たなクランメンバーであるスズハ・アマギリ。そしてもう1人はリゼが少し前に出会った"聖の丘"の幹部であるエルフのセルフィ・ノルシア。
そう言えばと思い返せば、セルフィとは以前に研究の手伝いをするという約束をしてから一度も会えていなかった。一緒に書物を読み解こうという話はしたものの、そもそも彼女が忙しく、なかなかリゼと時間が合わなかったのだから仕方なくはあるが、それでもせっかく見つけた友人と顔を合わせられないというのは寂しいもの。リゼは早速レイナを連れて2人の元へ歩み寄る。
「おはよう、2人とも。珍しい組み合わせだね」
「え?あ……!お、おはようございます、リゼさん!」
「珍しいのは当然じゃない?初めて会ったんだし」
「そうなのかい?」
「あっ、は、はい!じ、実はこの後、スズハさんをカナディア様の元へ連れて行くことになっていまして……!」
「他人の金で朝食済ませてるって訳」
「他に言い方は無かったんですか……」
歯に衣着せぬ彼女の物言いに、少し苦笑いをしながらも同じテーブルに座る2人。図らずも隣に座ることになったリゼに、セルフィは少し緊張しながらも嬉しそうに迎え入れ、一方でスズハ自分の席が狭くなったことに若干嫌そうな顔をしながらも椅子をずらす。
「……ああ、私まで座ったら意味ないですね。リゼさん、朝食取ってきます。何が食べたいですか?」
「ん、すまない。……そうだね、レイナが食べたい物と一緒の物を持って来て欲しいかな。今日はそういう気分なんだ」
「ふふ、どういう気分なんですかそれ。分かりました、少し待っていてください」
今日の日替わりは魚料理らしく、レイナはリゼの目が一瞬それに向いていたのに気付いていたため、笑みを溢しながら気分良さげに歩いていく。
一方でセルフィやスズハといった自分にとってとても興味深い人達と話す事が出来るということで、リゼもまたニコニコと嬉しそうに笑みを向ける。
そんな2人の姿に苦笑いを浮かべながらも、悪くはなさそうな顔をスズハは見せる。
「どうも人には恵まれたらしいわね」
「うん?どういうことだい?」
「なんでもないわ、あんた達のクランに入るのは満更でもないって話よ」
「そうかい?私も嬉しいよ、スズハには色々なことを教えて欲しいからね」
「嬉しそうに……犬みたいね、ほんと」
スズハとて、人を見る目はあるつもりだ。
元の世界ではあまり人に恵まれたと言える様な人生でもなく、まあ色々と面倒なことにも巻き込まれた。そのせいで軽い人間不信に陥っていたこともあったが、こちらの世界の人間は何となく悪意が薄い様な気もしている。文明的な進歩というのは、もしかすれば人の心に闇を生み出しやすいのかもしれない。もしくは偶然にも悪意のない人間ばかりと出会っているのか。
(……悪意はない代わりに、もっとヤバいのを隠してそうな奴も居るけど)
朝にギルドでスズハを待っていた目の前に居るセルフィというエルフの少女も、やはり同様に自分に興味があるように見える。事情は聞いているのだろう、聞くことが出来る"あの女"に信頼されている人間の1人なのだろう。そして彼女も同様に、恐らくは自分が持っている知識に興味を抱いている。隣の犬も同じだ。そしてスズハにとっては、それは決して不快なことではない。むしろ好ましい。純粋に知識を求める人間というのは、その理由が何であれ、スズハにとっては受け入れやすい人種だった。
「それで?あたしはこれからどうすればいいわけ?リーダーさん」
「あ、ああ!一先ずは私達の課題の手伝いをしてくれると嬉しい。……あ、もちろん!スズハのすべきことを優先するのは当然として!」
「で、すべきことって何かあるの?」
「あ、えと……一先ず、今日のところはカナディア様への挨拶だけです。ただ、スズハさんの事情は街でも極極一部の探索者にしか知らされていないので、落ち着いた頃合いに事情聴取を行いたいと」
「へぇ、ちなみにあたしのことを知ってる極一部ってのは?」
「リゼさんとレイナさん、マドカさんにエルザさん、私とカナディア様に……ギルド長とレンドさんも。あ、あとユイさんとエミさんも知ってるかもしれません」
「まだ顔と名前が一致しないのよね……」
「リゼさんのクラン、エルザさんのクラン、私達"聖の丘"の幹部3人。そこにマドカさん、カナディアさん、ギルド長……というメンバーです」
「"聖の丘"ってなに?」
「この街で最大のクランの名前だよ。このセルフィはそのクランの上から3番目、カナディアの後任なんだ」
「へぇ、若いのに凄いじゃない」
「あ、ありがとうございます……!」
しかしこの話を聞く限りでは、恐らく今挙げられた面子からリゼ達を差し引いた者達こそが、実質的なこの街の支配者層ということなのだろうとスズハは考える。支配者という言い方は悪かったとしても、街の方針なりなんなりに関与できる面子がそれであることは恐らく間違いない。
その事情聴取とやらをするのもその中の何人かであると想像も出来るし、事情を知れば知るほどにスズハとしては悪寒すら走って来る。
「戻りました。今日の日替わりは焼魚ですよ、リゼさん」
「ありがとう、レイナ。……うん、良い匂いがする。やはりレイナに任せて正解だったね」
「いつも通り日替わりを貰ってきただけなんですけどね。……それで、何の話を?」
「あたしの事情を知ってる人間を確認してただけよ。だからこれから、あんた達の課題って奴を聞こうとしてたの」
「なるほど」
両手にお盆を器用に持ちながら戻って来たレイナは、まるで慣れた給士のようにリゼの前にそれを置き、自分の席へと戻ってくる。
スズハとしては、彼女の印象は至って普通だ。悪い人間ではないのだろうが、人並み程度に欲というのを持っているというか、簡単に言えば安心できるくらいには人間臭い。リゼに対して並々ならぬ想いを抱いているということも、むしろ分かりやすいくらいで、その辺りの感情を上手いこと隠す人間より、よっぽど付き合いやすい相手だろう。
「あの、課題というのは何ですか?」
「ああ、マドカから退院までの間に幾つか課題を貰っているんだ。先ずはレッドドラゴンの攻略に関する知識を身に付けること、これは私達2人に共通して与えられた課題だね」
「そういう情報って図書館とかにでもある訳?」
「いえ、ダンジョンの攻略に関する情報はギルドが売っている冊子が一番分かりやすいと思います。リゼさんも買いませんでしたか?初心者探索者向けの道具セットとか」
「あ、そういえば……」
「そういったものもギルドで買うことが出来るんです。値段は一般的とは言え、品質や情報の質は確かですから。市場で下手なものを買うよりはいいと思います」
「そ、そこは盲点だった……というか、初心者向けの冊子に書いてあった気もする。ああ、スフィアの一覧ばかり読んでいたからか……」
もう既に軽く擦り切れ始めるくらいには最初に貰ったあの冊子を読み返しているリゼであるが、そこに関しては読み落としてしまっていたらしい。
ギルドではそういった冊子や道具セットの購入も行うことが出来、個人ごとに回数制限はあるが割引の特典なんかもある。本来はそういうことはクランの先輩に教えて貰う……というか、クランで購入して与えられることになる訳だが、リゼに関しては最初からクランに所属してはいなかった。その上、住まいすら固定されていなかった事もあり、一度にあまり多くの情報や荷物を与えても迷惑だろうと、マドカも代わりに購入して与える様なことはしなかった。こういうこともあるので、ギルドはもう少しこの情報を広く宣伝してもいいのだろうが、公共機関としてあまり商売っ気を出したくないという事情もある。仕方ないと言えば仕方ない事故であった、むしろここで教えてくれたセルフィに感謝以外にない。
「その冊子、誰が書いてんの?」
「一般の探索者ですよ、主に経験もあって知識もある様な。ギルドからの委託業務として出されているんです」
「公共機関で売りに出せるくらいの冊子作れる様な探索者ってそんなに多くないでしょ、実質独占みたいなもんじゃないの?」
「え、えと、それは……」
「ギルドというか、探索者も人材不足なので……」
「まあ、そうでしょうね。年寄りの探索者とか居ないの?ギルドでもなんでも、こういう組織って1人や2人くらい老害が居そうなもんだけど」
「高齢の探索者自体は居ますが、大抵は"青葉の集い"というクランで後進育成に努めているようです。……でもそう言われると、確かに不思議ですよね」
「確かに……」
いくらなんでも、主要なクランやギルドには高齢の人間が殆どいない現状というのはあまりにもおかしい。そこで3人から目を向けられたのは、当然その辺りの事情を知っているであろうセルフィ。視線を感じてピクリと身体を震わせた彼女は、目を若干逸らしながらも事情を語り始めてくれる。
「あの……簡単に言えば、淘汰です……」
「?」
「40年前に多くのクランが壊滅した時に、戦場には出なかった高齢の探索者と若い探索者だけが残るというクランも多発しまして……そうなると若い探索者達が成長した頃になれば、当然高齢の方々は邪険に扱われる様に……」
「まあ、そうなりますか……」
「それだけならまだ良かったのですが、大きな排斥運動が起きたりなんかして、一時期かなりの問題になったんです。カナディア様やレンドさん達の一つ上の年齢層が殆ど居なくなってしまった影響で、上と下で意識の乖離が起きてしまって」
「敵対し始めた、と」
「はい……私がこの街に来た頃には、既に老人の方々の大半がクランやギルドから引き離されていて、集団となって街の隅で暮らしていました。そしてそんな状況を変えたのが、ライカさんとマドカさん、そしてギルド長でした」
「出たわね」
やはりお前か、とでも言いたいような表情をするスズハ。レイナも同様で、リゼも興味深そうに身体を乗り出す。そして同時に気になったのが、"ライカ"という人物について。
「マドカさんの提案で、まだ新人の探索者だったライカさんを中心に"青葉の集い"が立ち上げられたんです。ギルド長のエリーナさんもかなり大胆に介入をして、多くの新人探索者と高齢の探索者がそこに加入することになりました」
「ライカというと……以前に"龍の飛翔"から帰って来た際に、セルフィやカナディアと共にマドカの側に居た彼女のことかな?」
「はい。赴任当時から高齢の探索者に対する扱いを問題視していたエリーナさんと、若いながらも高い素質と意思を持っていたライカさんに、マドカさんは目を付けていたんだと思います。実際、提案後はライカさんが殆ど1人で今の形を作り上げましたから。勿論、エリーナさんやシセイさんの支えや説得があってこそではありますが」
「とんでもない女傑もいたものね」
「彼女は実力でも、この街で最も生存能力の高い探索者として有名なんです。マドカさんやエミさんと同じ高速戦闘の使い手でもあって……きっとリゼさん達ともお話をする機会が今後あると思います」
「高速戦闘……」
その言葉に反応するのは、当然ながらレイナ。
十分なステータスと技術が出来ないとされる戦闘法、それこそ正にレイナが今習得を目指しているものである。そして同時に、マドカから出されている彼女個人に対する課題もその関連であった。
「なんでこの世界は優秀な女が多いのかしらね」
「……女性の探索者にも、燻っている方は多いですよ。その日の生活も出来なくなって、身体を売っている人だって居ます」
「「………」」
「今は偶然、目に見える位置に女性が多いだけです。その下にはオルテミスでは探索者を続けられず、他の街へ移動したり、探索者崩れとして傭兵や故郷の警備兵になったり、無茶苦茶な探索をして命を落とした人達が居ます」
「そう、なのか……」
「結局は才能ですからね、探索者というのは。スキルが発現しなかったり、発現しても意味のない内容だった、ということもあります。ステータスの伸びも傾向はあるとは言え、やはり本人には殆ど関与出来るものではありません。……苦しんでいる人は多く居ます」
そう言うセルフィは、何かを思い出しているのか、少し悲しそうな笑みを浮かべて俯く。この街には商人の間や、料理人の間でさえ淘汰が作用する。それがどうして探索者の中では存在しないと言えるだろうか。むしろそこにこそ強く作用する、他の何より淘汰は発生する。……才能のないものに、居場所はない。
「そういう人達の底上げを、今後は集中的に行っていくそうです」
「……ええと、何がだい?」
「昨日の夜にお邪魔した時に、カナディア様とギルド長とそうお話ししていました。マドカさんが」
「ええい、いちいちあの女の話をしないと気が済まないのかしら?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……ギルドや探索者関係の話には大抵マドカさんが出て来るので」
「どんだけ首突っ込んでるんですか……」
「もう既にちょっと食傷気味なんだけど」
「わ、私は尊敬しているよ……!!」
「……でも、リゼさんも将来そうなりそうですよね」
「えぇ!?」
「私もそう思います」
「そ、そんな!私がマドカのようにだなんて……!」
「あからさまに嬉しそうにしてんじゃないわよ」
「リゼさんも結構首突っ込みますから……」
「それに、その……かっこいいですし」
「え?なに?あんたもそういう感じ?うわ、なんか途端に居づらくなってきた」
「スズハさんも直ぐにこちら側に来れますよ」
「いやだ!絶対やめて!あたしは普通だから!ノーマルだから!」
「なんの話をしているんだい?私も混ぜて欲しい……」
「近寄んな!」
「いきなり!?」
まあそうは言っても、才能があるのだから仕方がない。この机を囲んでいる者達には、あってしまったのだから仕方がない。持って生まれた以上は、別に持てなかった人間に配慮をして、遠慮をする必要もない。だって、ある者にはある者なりに、恵まれている者には恵まれているなりに、苦労や、苦痛や、責任……そして、試練が与えられるのがこの世界なのだから。持たざる者に同情をしていられるほど、正常で居られる人間がどれほど居るか。
『……リゼさん、実は具体的に私に教えて欲しいことが決まっていなかったりしませんか?』
『そ、それは……』
『いえ、別に責めている訳ではないんです。それに、それとは別件でリゼさんにこなして欲しい課題もあったので』
『こなして欲しい、課題……?』
『ええ』
『レイナさん以外の方とパーティを組んで、5日以内にもう一度"帝蛇"を倒して来て下さい』
……お相手は、誰でもいいですよ。