リゼ・フォルテシアがこの街に来て2日目の朝。
寝心地のいいベッドで寝たからか少しの寝坊をしてしまい、ボサボサの髪で慌てて食堂に飛び込んで来た所を、既にとんでもない量の朝食を食べ終えていたマドカに見られクスクスと笑われてしまうという事件などもあったが、まあ他に特に何の問題もなく2日目は始まった。
その後に朝食を食べながらもボサボサの髪の毛をマドカに整えられ、周囲の職員達に微笑ましく見られて恥ずかしい思いもしたのだが、それも別に気にする話でもない。リゼ自身は大いに気にしていたが、それもまあ無視して良い。
取り敢えず、そうこうしつつも穏やかに朝食を終えた2人は、ある程度落ち着き見た目を整えた後、早速昨日話にあった様に再びダンジョンに潜る準備を開始した。
荷物はそう多くもない。
いつでも帰って来られる浅層の探索に、そう多くの物資は必要無いのだから。
「えっと、依頼はここに張り出してありますから好きな物を取って受付さんの所に持って行って下さい。難易度が高いものほど左の方に、低いものほど右の方に貼ってあるので気をつけて下さいね」
「ふむ、おすすめはあるのだろうか?」
「どうでしょう、やっぱり割りの良い依頼は朝早い探索者さん達が取って行ってしまいますから。この時期は他に探索者さんも居ませんし、今日はじっくり見てみてもいいですよ。リゼさんが気になった物を私が補足していきましょう」
「なるほど、助かるよ」
ギルドに存在する巨大な掲示板、そこにいくつも貼られている依頼の用紙をリゼはマドカに言われるがままにじっくりと読んでいく。
難易度の低い物は昨日マドカと共にこなした様な最浅層での採取任務や、低ランクのスフィアの調達。難易度の高い物になれば31〜34階層付近に存在している特殊な素材や、『投影のスフィア』を使いながら武器やスフィアの条件付きで20階層の階層主の討伐風景を見せて欲しい、などと言ったものまで様々にある。
報酬の差もやはりというかとんでもなく、例えば中層階層主の条件付き討伐となれば最低でも3,000,000Lの値が付けられている。
一方で最浅層での採取依頼となれば、多くとも3,000Lが関の山だ。
浅い層でより稼ごうとするならば、なるべく多くの任務を同時に受けてこなす必要があるのだろう。それは昨日のマドカも同じことをしていた。
「ちなみに、マドカは普段は一体どの様な依頼をこなしているんだい?」
「私ですか?そうですね……私はいつも昼前頃にここに来て、誰も取らなさそうに残っている物や、依頼期限が迫って来ている物を中心に処理していますね」
「それは、ギルドの為にかな……?」
「それもありますが、そもそもギルドが依頼を受理している時点で依頼主は一定の条件は満たしている訳です。報酬を高く設定すれば確実に達成される筈なのに、なぜギリギリの金額で設定して出しているのか……分かりますか?」
「……普通に考えるなら『なるべく節約したいから』だと思うけれど」
「ええ、それもあると思います。ですがそういった思惑の依頼は密かに下の方に職員さんは張り付けてくれています。……それでは、こうして上の方に張り付けてあるのに、あまり割りが良く無い依頼。これは一体なんでしょう?」
「……そうか!何かしらの事情があってお金は出せないが、急を要している依頼!」
「大正解です。まあこれは知らない探索者さんも多い話ですが、依頼書の張り付け方一つにしてもギルド職員さんは拘っている訳ですね。なので私はこういった物を優先的に処理しています。一応は全部の依頼を期日通りに納めたい欲はあるのですが、私も身体は一つしかありませんから」
そう教えられると、依頼一つにしても見方は変わってくるというもの。
例えばこの他と比べても報酬の少ない薬草の採取依頼。ギルドもその報酬金をギリギリで受けたとしか思えないのに、どうしてこうも上の方に貼られているのだろうか。リゼは依頼書を見ながら頭を回す。
(文字が拙い、自分の名前でさえもお世辞にも綺麗とは言えない文字……依頼人は老人?いや十分な教育を受けられていない子供か。そんな人物がわざわざ薬草の採取を願う理由となれば何がある?)
期限も最短で設定されている。
受理日も昨日の日付である事から、少なくとも昨日マドカが依頼を確認していた後に出された物だろう。報酬金額も端数が目立つ事から、『ありったけのお金を報酬として出した』という解釈がしっくりとくる。
(……恐らくは、ダンジョンの良質な薬草でなければ治す事の出来ない怪我や病にかかってしまった身内が居る、という所だろうか。地上では高価なそれを、仮に報酬が安くとも探索者の誰かが取って来てくれる事に賭けて)
リゼは思わずその依頼を手に取る。
なんとなく想像してしまった様子に、心を動かされてしまった。他にもいくつか依頼は持っていくが、リゼが探索者として最初に受ける依頼はこれでいいと心に決めていた。
「……ふふ、薬草はダンジョン6階層〜9階層の間で取ることが出来ます。今日のリゼさんの目標は5階層の階層主ワイアームの討伐になりますかね」
「ああ、やってみせよう」
「ふふ、大丈夫ですよ。きっとその子の状況改善の為にエッセルさん達も動いている筈です。ここの方々は頼りになる職員さん達ばかりですから」
その後、依頼の受注を申請する為に書類仕事に勤しんでいる受付のエッセルの元へ向かったところ、リゼは彼女から始めて柔らかな笑みを向けられた。
これで最初のただのクレーマーの様な印象もマシになったかもしれない。まあ聡明な彼女であればあの時のリゼが必死であった事も知っていて、あの時の事も特に気にしてはいないのかもしれないが、それでも何となく認められた感じがしてしまい、リゼは素直に嬉しく思ってしまった。
「リゼさん!今です!」
「っ、『炎打』!!」
「ピギィイッ!?」
ダンジョン1階層、龍の首が飛ぶ。
昨日あれだけ空中からの落下攻撃に手こずらされたワイバーンも、やはり2度目となれば困難は殆ど無かった。
マドカから譲り受けた『炎打のスフィア』、その効果は打撃系の攻撃に炎属性を付与するというもの。今リゼの左腿に付けられている石板にはその赤い宝石が嵌め込まれており、ただ一度それに手を触れるだけで即座に逆手に持った大銃が炎を纏う。
リゼ自身のステータスも勿論あるが、ただの一撃で龍種の首を吹き飛ばす程の小爆発。にも関わらず傷一つ付くことのない銃の強度にも目を見張るべきなのだろう。これほど雑に扱っても壊れる事が無いそれは、果たしてどの様な材料で作られているのか。それは最早亡くなった彼女の祖父以外に知るものは居ない。
「それにしても、何というか……攻撃をする度にスフィアの名前を叫ぶというのは少し慣れないかな。初めては皆こういう感じなのだろうか」
「ふふ、恥ずかしかったですか?」
「……まあ、正直に言ってしまうとね」
それはマドカから教えて貰った事の一つ。
スフィアを使用する際には、必ずそのスフィアの名前に当たる物を声に出す癖を付けるということ。
これはどの探索者も最初に教えられる事であり、同時にどんな上級探索者でも守っている基本的なルールなのだという。しかしリゼからしてみればそれはそれで少し恥ずかしかったりもして……
「ダンジョン内での戦いは乱戦になり易いですし、龍種との戦いとなると周囲を伺う余裕も無くなってしまいます。基本的に集団での戦闘が多くなる以上、仲間に余計な負担を掛けさせない為にも徹底しておくべきなんです」
「なるほど……これはスキルの使用時等でも同じと考えていいのかい?」
「ええ、もちろんです。そうでなくとも特殊な技能等を持っている場合には、その技の名前も事前に決めて声に出すのが望ましいですね。その意味は分からなくとも、何か普通とは異なる事をしようとしているのは分かりますから」
「……ちなみになのだが、この銃を撃つ時も何か名前を叫んだりするべきなのかな?」
「もちろんです、立派な飛び道具なんですから」
「おおう……」
思わずリゼは頭を抱える。
銃をぶっ放す事に一体どんな名前を付ければ良いというのか。
使用するスフィア名を叫ぶ事は、まあいい。他の誰しもがやっている事なのだから、技名を叫ぶというよりは他者に伝えると考えれば、そのうち特に難なく慣れそうではある。
しかし自分で付けた技名を叫ぶとなると、それはもう本当に困る。リゼは物語になりたいのだ。その主人公があまりに奇天烈な技名を叫んでいたら様にならないし、かと言ってあまりに気取り過ぎても恥ずかしい。こんなもの、何日も掛けて考えなければならない様な大変な物である。今この瞬間に決められるものではない……けれどマドカの手前そうもいかず。
「その武器に名前とかはありませんか?リゼさんのお爺さんも職人さんでしたら、自分の作品に名前くらい付けていそうな物ですが」
「ん?ああ、そういえばそれがあるのか。……ええと、確かこの辺に書いてあった筈だよ」
「どれどれ?」
「あ〜……『マーキュリー・イェーガー』?どういう意味なんだろう?」
「良い名前じゃないですか!何だかカッコいいですし、それでいきましょうよ♪」
「そ、そうだろうか?個人的には少し気取り過ぎている様にも感じてしまうが……」
「そんな事はありません、私は好きですよ?次のワイアームとの戦いの時には早速使ってみて欲しいです」
「う……マドカがそう言うのであれば、まあ……」
灰となったワイバーンの死骸の中から魔晶を取り出しながら、リゼは照れ臭げにマドカのそんな言葉に流されてしまう。まあ他の誰に見られるとしても、今のところは目の前の少女が『カッコいい』と目を輝かせてくれるのだから、それならばもういいかな?となってしまうのだ。きっといざ他に周りに人が居る状況で叫ぶ事になった時には、また恥ずかしさを感じる事になるのだろうが。
「ええと……そ、そうだ!他にもスフィアを使う時の注意点なんかは無いのかい?今はトドメの一撃でしか使わなかったけれど、まさかずっと使っていられる訳でもないんだろう?」
「へ?あ、そうですね。リゼさんはスフィアを使うのも初めてなので、そこを説明するのを忘れていました。ごめんなさい」
話を誤魔化す為に無理矢理捻り出したその質問。しかしそれが意外と大事な事だった様で謝られてしまい、リゼはなんだか逆に申し訳ない気持ちになって頬をかく。ここから3階層までは特に何事もなく平和な空間、2人は歩きながら軽い授業の様な物を始めた。
「スフィアを使う上で大切な事はいくつかありますが、まず覚えておくべき事は使用間隔と消費する物についてですね」
「使用間隔と消費する物……消費するとなると、魔力になるのだろうか?私はステータス的に魔力(INT)はそう高くは無いのだけれど」
「いえ、そこは役割の問題ですね。基本的にスフィアを使用する際には代償として精神力(POW)の方を使用します。つまりスフィアを何度も使用したり、強いスフィアを使う際には、精神力(POW)のステータスが高い必要がある訳です」
「ええと、そうなると魔力(INT)は何の為に存在するんだい?魔法系のスフィアを使う際にも消費するのは精神力(POW)なのだろう?」
「はい、その通りです。なので魔力(INT)は実際に使用した際の効力の大きさに関係します。例えば魔力(INT)が低い人と高い人、この2人が同じように『炎打のスフィア』を使ったとしても、その威力には大きな差が生じる訳です。しかし精神力の消費量は変わりません」
「なるほど、そういう事か……つまり魔法使いとして大成するには、その両方のステータスが必要になると」
「まあ、ステータスの振られ方は規則性や傾向もよく分かっていないので、今のところ自分ではどうしようもないんですけどね。人によって最初から到達する形は決まってる、なんて話もありますが」
ステータスについてはリゼも軽く祖父から教えられた事はある。しかしその時には今のマドカ程に詳しくは教えて貰えなかったし、スフィア嫌いの祖父がステータスとスフィアの関係について言及する筈も無かった。
リゼは魔力(INT)の育ちがかなり悪い、現状では『炎打のスフィア』も多少威力を増すか打撃が炎属性を持っている程度の力しか出せない。しかしこれが魔力(INT)の高い者が使う場合となれば、熱量も増大し、規模もより大きな物になる。物理攻撃であっても攻撃範囲が広がり、複数のモンスターを纏めて薙ぎ払う事も可能になるだろう。
だが、そこに同時に筋力(STR)が無ければ物理攻撃という意味がなくなり、単に炎を打つけるだけの攻撃ともなってしまう。それはそれで使い所もあるだろうが、それならばそもそも他の魔法に適したスフィアを使うべきであって……
「ところで、使用間隔というものはどう言う話なんだろう?」
「あ、それはですね、スフィア毎に再使用出来るまでの時間があるんですよ。これはスフィアのレア度、つまりスフィアの内部に見えている小さな星の数で決まっていまして」
「星?……ああ、本当だ。確かにある。つまりこの『炎打のスフィア』は星2のスフィアということになるのか」
「ええ、そうです。スフィアにもよりますが、基本的に星1のスフィアは5秒、星2のスフィアは30秒辺りが再使用間隔だと考えて下さい。まあこの再使用間隔もスキルで短縮する人もいたりするので、やっぱりドラゴンスフィアと龍の秘石はセットで使う物なんだなぁ……と思ったりもしますが」
「そんな事まで出来るのか……本当に何なのだろう、このドラゴンスフィアというものは」
話を聞けば聞くほどに訳の分からない代物。これの調査の為に何人もの学者がこの街に住み着いて調査を行なっている理由も分かるというものだ。
まあ今はそんな事より、そろそろ3階層に辿り着くので頭を切り替える必要があるのだが。リゼは学者ではなく探索者になったのだ、ダンジョンの不思議に頭を使うよりも考えるべき事がたくさんある。
これから先、1人の探索者として物語になる為にも。
ダンジョンの休息階層について……5階層ごとに階層主と呼ばれる龍種が存在しており、その次の階層はモンスターの出現しない休息階層となっている。探索者達は新たな階層の環境に慣れるためにこの休息階層を利用しており、モンスターが出現しないために通常の魚や野生動物等も暮らしている。ギルドはこの階層の保全のために定期的に環境調査を行なっている。