最初にその異変に気付いたのはリゼとレイナだった。というよりは、その人物の顔をハッキリと認識していたのがこの2人以外には存在していなかったとも言える。
マドカの対面から歩いてくる1人の男の姿。
マドカ自身もその人物のことを視認した瞬間に少し驚いたようにしていたし、かと言ってこの観衆の中で彼女は何かを言うわけでもない。
リゼ達とて、その人物が具体的に何をしたのか、どんなことをして来たのか、その確信がある訳ではない。それほどまでに彼はこれまで暗躍しかして来なかったし、こういった直接的な形で姿を表すことはなかった。だが彼は今、こうして以前見た時と同じように黒の帽子を持ち上げて、軽薄な笑みを浮かべてマドカの方を見ている。片手には試練に挑む者達が持っていたのと同じ木刀を持って。
「リ、リゼさん……あの人……」
「……控室にはラフォーレとカナディアが居るはずだ、今は静観しよう。何かあれば入ればいい」
「分かりました……」
あの2人が出てこないということは、何か考えがあるのかもしれない。もしかしたら気づいていないだけかもしれないが、そうでなくとも行動はマドカが指示した時でいい。少なくとも今ここで何か行動を起こすのは得策ではない。ここには病人や子供も含めて大勢の観客が居るのだから。
……というか、なぜ受付で引っ掛からなかったのだろう。流石にその辺りは徹底していると思っていたのだが。
「ようマドカ、元気してたか?」
「アルファさん……」
「ま、こんな機会滅多にないからな。俺にだって楽しむ権利はあるだろ?なあに、今日は本当にこのためだけに来たんだ。他に何も企んじゃ……いや、企んではいるか」
「……もちろん、アルファさんにも参加する権利はあります。ただし、無関係の方に危害を加える様なことは私も見逃せません」
「安心しろって、俺もお前のことしか見えてない。嬉しいだろ?」
「はあ……」
マドカにしては珍しく、本当に心から呆れたように深く息を吐いて脱力する。そんな彼女の姿はリゼでさえ始めて見るくらいであったが、彼女は直ぐに顔を上げて戦闘態勢に入った。それは対するアルファも同じだった。
……そしてなんとなく感じる、これまでのそれとは全く異質な雰囲気。それまでは歓声を上げて騒いでいた観客達も、ピリついた雰囲気を感じたのか徐々に声が小さくなっていく。何人かの探索者は、少し眉を顰めてその様子を見ていた。それは隣のベインもまた同じである。
「リゼ」
「ああ、マドカが本気だ。クリア、もしもの時のために準備だけはしておいて欲しい。杖くらいはあるかい?」
「うん、任せて」
「頼むよ」
そうしてスズハから小杖を受け取って準備をするクリア、彼女はどうも手ぶらで居たいがためにスズハに必要な物を預けていたらしい。まるで自分の財布をお母さんの鞄に入れている子供のようにも見えるが、それは一先ずどうでもいい。
なにより重要なのは……
ーーーーーッッ!!!
「!?はっや!?」
「何者だあの男!?」
最初の一撃、どちらが最初に仕掛けたのかはリゼでさえ分からない。というか、恐らくはほぼ完璧に同時。そしてその一撃は決して鍔迫り合いになることはなく、衝突した直後に2人は各々の形で次の攻撃へと移った。
弾かれた衝撃を利用して上半身を逸らしながらマドカの顔面に向けてその長い足を蹴り込むアルファ、一方でマドカもまた弾かれた衝撃を利用して姿勢を低くしながら足元近くを薙ぎ払う。辛うじて木刀でそれをガードすれば、追い討ちをかけるように放たれるマドカの左手の突き。
一瞬リゼの目でも気づけなかったほどに巧妙に隠されたその拳を、しかしアルファは視認した直後に【回避のスフィア】を使って回避する。それも利用した態勢がほぼ俯向きであったために、回避のスフィアによる移動効果は上方に向けて働き、彼はその状況からでさえ攻めの手を緩めることがなかった。先程のマドカの攻撃に対する意趣返しなのか、彼もまた自身の身体で巧妙に隠しながら彼女に向けて木刀を振り上げる。……それでも、それすら見抜き始動で食い止め、そのまま無防備に宙に舞ったアルファを蹴り飛ばしたマドカのそれは、最早誰もがその目を疑った。否、そのやり取りを視認出来る者達だけが、目を疑った。
攻撃を受けたにも関わらず、何事もなかったように華麗に受け身を取り、着地をするアルファ。彼もまた余裕の笑みを彼女に向けて、衣服についた汚れを払う。
「ひゅう、やっぱ単純な戦闘技術だけじゃ勝てそうにないな。スフィアも使わずにこれかよ、自信無くすぜ」
「満足しましたか?」
「まさか、まだまだ試したいことは幾らでもあるんだ。もう少し胸を貸してくれよ」
「……あまり長くは付き合えませんよ、後もつかえているんですから」
「そりゃ悪いな!」
そこから先の光景に、歓声が上がることは一度たりとも無かった。凄まじい速度と、変態的な挙動による徹底的な攻撃のぶつけ合い。常に次の攻撃へ繋げるための布石を打ち続け、確実に相手に有利を与え続けない、つまりはペースの奪い合い。奪われてしまえば負けが確定するからこそ、相手がそういう存在であるからこそ、そう認めているからこそ。
アルファという男は明らかに近接戦闘のレベルが他の探索者とは一線を画しており、それは技術だけで言えば上級探索者の中でもレンドやクロノスに匹敵するほどのものだ。しかし一方のマドカはそんなアルファすら圧倒する。どれほどアルファがリゼでは予想も出来ないような攻撃を仕掛けて来ても、彼女はそれを始動で叩き潰して反撃する。見えているのではなく、分かっている。身体の位置や構造的な部分から予測している。少なくともリゼにはそう見えた。ステータスはアルファの方が優れているのだろうが、最早この場において有効的に働くのはSTRとSPDだけだ。マドカは足りないSTRを技術で補い、アルファはSPDを技術で補う。その末の結果がこれであり、つまりはマドカの方が優れていた。
「【回避】!」
「【体盾】」
「っ、なんだその使い方!?ぐっ!?」
きっとリゼは、色々と勘違いしていたのだろう。
マドカの蹴り上げを再使用間隔ギリギリで【回避のスフィア】を発動させ上空へと逃げたアルファ、しかしマドカは【体盾のスフィア】をアルファを指定して発動したことで跳躍が不可能な体勢からでも追い討ちをかけに行った。そのまま更に上空へと打ち飛ばされた彼を、彼女は居合の体勢を取って落下を待つ。明らかな着地狩り、しかしそれはアルファも分かっている。アルファほどの使い手であれば、それを利用してカウンターを叩き込むことなど造作もないことだろう。それでも相手はマドカ・アナスタシア、そんなことを容易く許してくれるはずも無く……
「【挑発】」
「なっ!?しまっ……!?」
弾き飛ばされた木刀。
武器だけを狙った居合斬りが直撃し、勝負は決した。
マドカがしたのは、【挑発のスフィア】による意識の乱しだった。本来であれば盾役の探索者がモンスターや龍種を相手に攻撃を引き付けるために使うそれ、人間相手には効果が殆どないために対人戦闘では基本的に一切使われることはない。しかしそれは決して効果が全くないということではなく、例えば思わず視線を移してしまう様な気を引くことくらいならば可能なのだ。そしてマドカはそれを最善のタイミングで使用した。つまりは着地狩りで居合斬るその瞬間にだ。
まさかここで【挑発のスフィア】を使用してくるなどとは露ほども考えていなかったアルファからすれば、その驚きは相当なものだったろう。それこそ挑発の効果をモロに受けてしまうくらいには。
いくら攻撃系のスフィアを禁止しているこの試練であっても、【挑発のスフィア】を使っている者などこれまで1人たりとも居なかった。そんな使い方があると知っている者も少なく、知っていたところで実戦に活かせる者など何処に居るというのか。たとえ居たとしても、それを利用出来る状況など滅多にない。そのためにスフィアの枠を一つ潰すなど、普通は考えない。
「………………」
「……何なんですか、あの人」
「なんかよく分かんなかったんだけど、取り敢えずあの女が頭おかしいことだけは分かった」
「凄まじい、な……」
それなりに付き合いのあったであろうベインもまた顔を歪ませながら苦笑う、剣を知っている者ほど衝撃は大きかったのかもしれない。レイナもまた感心どころか引いている。決着が付いたというのに歓声が小さいのも、恐らくは普段前で戦う探索者達が陽気な反応をすることが出来ない状況に陥ってしまっているからだろう。
皆どこかでマドカのことを舐めていたのかもしれない。所詮は中位の探索者であり、普段は放送なり残り物の依頼をこなしているだけの人間だと。色々な噂は聞こえて来ても、それを実際にその目で見たことのある者の方が少ないのだから。
だがその実力を真に測ることが出来ていなかったのはリゼも同様だ。今になって思い当たることもある。強化ワイアームとの戦いの際に、あれほど激しく戦闘をしていた彼女が最終的に負っていた大きな怪我はリゼを庇った時のものだけであった理由とか。それこそリゼの行動さえなければ、彼女は強化ワイアームを完封していたのではないだろうか。エルザやユイの助けが必要であったことは間違いないが、それでも。
「強ぇなぁ、やっぱ」
「今度こそ満足出来ましたか?」
「ああ、完敗だ。マジで愛してる」
「ごめんなさい、何度も言いますがそのお気持ちには応えられません」
「応えてくれなくていい、受け止めてくれ」
「………受け止めるだけなら」
「それで十分だ、欲しいのはマジだけどな。……お、やべ」
そうして今になってテントの中からカナディアとラフォーレが出て来たのは、最低限この試練を終わらせるという形式上の理由からなのか、それとも割り込むことが出来なかったからなのか。しかしとにかくラフォーレが凄まじい勢いで走り込んで来たのを見て、アルファは即座にその場から撤退して行った。その逃げ足はそれこそ目にも止まらぬと言った具合であり、人混みに紛れて姿を消した彼に対して、ラフォーレも奥歯を噛み締めて見送ることしか出来ない。
「マドカ……」
カナディアに寄り添われ、控えのテントの方へと歩いていく彼女。それとすれ違う様に出て来たブローディア姉妹は、マドカとハイタッチを交わすと、気合を入れて彼女の代わりを勤め始めた。2人も多少の動揺はしているようであるが、姉のリエラが特に頑張って声を張り上げていることもあって、徐々に場の雰囲気が戻り始めたのを感じる。彼等なりに自分の役割を果たそうとしているのだろう、ついでにマドカのフォローもまた。
「リゼ、ちょっと来なさい」
「え?あ、ああ」
リゼがスズハから観客席から離れた場所に呼び出されたのは、そんな時だった。
「悪かったなマドカ、止めるのが遅れてしまった」
「いえ、あれがベストだったと思います。きっとアルファさんも、観客が居るあの場では私達が派手に動くことは出来ないと見越しての行動だったでしょうし、こちらが動けばそれを理由にしてより大きな行動をして来た可能性もあります」
「チッ……マドカ、奴は恐らく特定条件下でSPDを上げるスキルを持っているぞ。仮にお前のSPDを反映していたとしても、あれは速過ぎる」
「撤退時にSPDを上げるようなスキルでしょうか、"罪のスキル"の効果がレンドさんの情報通りなら捕まえるのは難しそうですね」
「戦闘中に捕まえることは出来なかったのか?」
「本当に何も準備をせずに乗り込んで来るとは思えなかったので、一先ずアルファさんの底を掘り出すことに専念しました。ステータスは変動するとしても、技術を向上させるのは時間がかかりますからね」
「なるほどな」
控えのテントに戻って来たマドカとカナディア、そしてラフォーレは、早速アルファについての情報の共有を始める。一応近くにアルカも居るには居るのだが、彼女は妙に大人しく隅の方で座っており、視線を向けると逸されてしまう。そんな様子に少し不思議にも思ったりしたのだが、それよりかは情報共有が先だ。彼がこのまま何事もなく帰ってくれるのならばいいが、もしかすればレンドやアタラクシアにもちょっかいをかけに行く可能性がある。既にギルドとダンジョン2階層へは使いを走らせている、この祭にアルファが現れたという情報は伝わるだろう。
「だが、個人単位であればどうにもなる範疇ではあったな。"罪のスキル"は知らんが」
「マドカ、奴が複数で動いているということについて知っているか?レンドがそう話していたのだが」
「……正直、心当たりがありません。例えば以前に襲撃を受けた際に明らかに1人他の探索者崩れとは違う方が居ましたが、その方も雰囲気的にはどこか雇われただけのような方でしたし」
「……おい、中止するなら今のうちだが?」
「私とて中止にしてしまいたいのだがな、エリーナが泣く。それに観客席を見ていたが、むしろここに居た方がマドカは安全だろう」
「?」
「リゼ・フォルテシアの一向が居た、それと久方振りにベインも見たな。お前の仕業だな?マドカ」
「ええ、連れて来ちゃいました」
「……まあ、あの眼だけは良い愚図が居れば異変に気付くのは早いか。一日このテントの上に括り付けておいてやろうか」
「お、お母さん。それは流石にリゼさんが可哀想ですよ」
リゼの話題を出したからだろうか。それもあのラフォーレがそれなりに認めているようなことを言ったのも相まって、なんとなく話を聞いていただけのアルカの機嫌が悪くなった気がした。
ラフォーレとしてはリゼの眼に関しては間違いなく優れていると認めているし、それを扱う当人も最低限の知性は持っていると評価している。まあ色々と問題点はあるが、少なくともラフォーレの鍛錬にも文句を言いながらも付いてくる根性はあるし、惰弱ながら懸命に努力をしている。あれほど滅茶苦茶にボコボコにしてやっても姿を見掛けたら話しかけて来るし、冗談を言えば怖がらずにツッコミを入れて来るような呆れた人間だ。そんな人間はこの街に本当に何人居るかというところ。
……実際のところ、少しくらいは可愛く思っていると言ってもいい。決して口に出して言うことはないが、そうでなければ何度もダンジョンに連れ出す訳がない。そしてそうして認められたのは、他でもない彼女の頑張りだ。ラフォーレからしてみればアルカに機嫌を悪くする権利はないし、単純に不快にすら思う。いつまで経っても嫌なことから逃げて弱者であり続ける人間に、ラフォーレは興味を持たない。
「クソガキ、お前もやることが無いのならさっさと出て行け」
「う……」
「お母さん」
「何の見返りもなく強者が弱者と刃を交える、これほどの機会をただ座って見ているだけの探索者に価値などあるものか。やる気がないならさっさと消えろ、不快だ」
「ぐぅ…………だ、だったらあんたも英雄に挑んで来ればいいだろ!言ってることは同じだ!」
「私の方が強者だ、必要ならばあの女から私に訪ねてくるべきだろう」
「ご、傲慢過ぎる……」
「………」
ただ、それを言ってくれるだけ優しい方なのかもしれない。それを厳しかろうと何だろうと、言葉で言ってくれるだけ温情だ。誰も何も言わなかったならば、アルカはただ無為に時間をここで費やし、貴重な機会を失ってしまうところだったのだから。
……とは言え、流石に今の心のままマドカに挑めるほどアルカも強くはない。向かうのはダンジョン2階層、負けても仕方がないと思える相手に挑みに行く。それこそが彼女に今出来る最大限の努力だった。
「………行ってくる」
「ああ、気を付けろよ」
「行ってらっしゃい、アルカさん」
「………ふんっ」
やはり相変わらず、マドカに対しては当たりが強いところもまた、ラフォーレからしてみれば好ましくはないのだろう。まあ彼女がまだまだ未熟な子供であるからこそ見逃してはいるが、そろそろその年齢という言い訳を使うのも難しくなる年頃。大人として認めて貰いたいのであれば、少なくとも自分の反抗期くらい自分でどうにかして来いとも思っている。まあそれも生まれた時から反抗期の様な彼女自身と、生まれてこの方一度も反抗期のなかったマドカという娘を持ったかるこその考えかもしれないが。その点ではカナディアが大変である。
「すまないなマドカ、だがお前とアルファのあのような姿を見ればショックも受けるだろう。あれほどの体術の出来る人間はそう居ない」
「……あれは私とアルファさんだからこそ成り立つものです、半分は演舞のようなものでした」
「そうなのか?」
「ええ、お互いに責め続けるスタイルだからこそです。片方が待ちの姿勢を作ればあんな曲芸みたいなことは起きませんよ」
「……うちのむさ苦しい奴等が模擬戦で睨み合っている様なものだな」
「そういうことです」
であるならば、攻めと守りを重視する2人が打つかればどうなるかは、以前にマドカとクロノスが証明している。そもそも探索者同士の戦闘など、スキルにスフィア、それらの扱いにまで及んで影響してくるのだから、技術とステータスだけで語ることなど決して出来やしないが。そうでなければ都市最強のレンドがアルファになど負けるものか。そしてマドカ・アナスタシアがステータスに見合わぬ立ち位置に居るはずもない。
結局のところはパフォーマンス、この試練で負けたからと言ってそれが全てな訳ではない。
「さて……お母さん、お願いがあります」
「なんでも言え」
「リゼさん達と海岸線の確認をお願いできますか?」
「!……何か来るのか?」
「来ないといいですけどね。私の知ってるアルファさんなら、"お祭り"で"屋台"を出さないなんてことはまずありません。きっと楽しめる仕掛けを準備しているんじゃないでしょうか?」
「……つまりさっきのは」
「宣戦布告?」
「チッ……魔女、ここは頼んだ」
「ああ、任せてくれ」
「あ、そうだお母さん、ベインさんだけは残して下さい」
「……あんな腑抜けをどうするつもりだ?」
「騒動は多分複数箇所で起きるはずですから、そのうちの一つに当てます」
「……過保護だな」
「どうせ民間人が少ない箇所で引き起こしてくれると思いますから、それならそれで利用させて貰いましょう。アルファさんが私の思考を使ったように、私もアルファさんの思考を利用しますよ。……事が起きた時のアルファさんの居場所は、目星が付けられますので」
試練が始まる。