星に憧れた石ころウマ娘の物語   作:ボ・クッコスキー

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麗しくも赫々たる

 ウマ娘という作品のファンであった転生者でありながら、僕はあんまり原作に出ていたウマ娘たちとの交友関係は広くない。

 

 なぜかと言われるとこれは僕の性質によるところが大きいのだが、要は気後れするのである。

 原作ウマ娘たちに近寄ろうとすると、緊張が高まってきてじわっと嫌な汗が出て手と足と目と脳が震えてきて自然と後ろに退いてしまうのだ。

 当初は隣の席から転がってきた消しゴムを拾うことすら若干苦労するような有様で、指先が触れて「ありがとう」って言われただけで笑顔が引き攣って声が震えたので逆に心配させたことさえある。

 生まれ変わってからは他の娘に勝負を挑むために多少の積極性を身に着けたものの、僕は元来陰の者なので好きな子と距離が近づくと挙動がおかしくなるのだ。僕ごときがお近づきになろうなんて恐れ多くないか、という感情はいまだに消えきっていない。

 まだ確認できていないのだが、今年入学してきているはずのアグネスデジタルと鉢合わせたらおそらく会話時の距離感は五メートルほどにはなるのではないかと想定している。

 

 とは言えそれでも数年間このトレセン学園で生活してきたので、一部の娘……主に同級生として話す機会の多かった娘なんかとは、それなりの付き合いもあって友人関係も構築できている。ある程度接触回数が増えれば諸々の震えも収まってくるので何とかかんとかやっていけてはいるわけだ。

 

 割とよく話す部類で言えば、チケットがよく構いに来てくれるからBNWの三人組とは付き合いも増えがちだ。ハヤヒデは何につけても頼りになるし、タイシンとは同じ体格的不利を抱えた追込タイプのウマ娘としてたまにだけど議論みたいなこともする。それぞれだったり一緒にだったりで合同トレーニングや併走もする。

 

 エアグルーヴはクラスの雑用を受け持ったりとか、問題児の問題行動に対処する時に応援を頼まれたりとか、単に雑談したりとかでそこそこよく喋る。併走を頼んだり頼まれることもある。

 

 ヒシアマ姐さんにはお弁当作ってもらったり服の解れを繕ってもらったりお世話になっている。在庫処理係にされているのか知らないけど、僕の所有するジャージ何枚かには合計でおそらく八個くらいの芋虫のワッペンがくっついていたりもする。まあ僕は着る物には本当に頓着しないので別にいいんだけど。あとタイマンもする。

 

 こんな具合で、同学年の娘であれば一応は友人か、それほどでなくとも知り合いと言える程度の付き合いはある。クラスの関係とかもあるし、そんなに頻繁には喋らない娘も多いけど。

 先輩とか後輩にも一応ちらほら多少の付き合いがある人はいるけど、その数もあまり多くはない。

 

 ……考えたら併走してばっかりだな。友人付き合い=まずは併走みたいな認識が僕の中にあるのかもしれない。

 まあ走るの楽しいから仕方ないな。

 ともかく。

 

 そういうわけで僕の原作ウマ娘たちとの交友関係はそこそこ狭いのだが、それでも僕とて一ファンとして色んな娘と仲良くなりたいなぁという願望くらいはあるし、同時に今は自分自身一人のウマ娘として、光り輝くような才能を持ち、そしてそれぞれの夢に向けて強い意志を持って走り続けている彼女たちへの単純な尊敬の念を持ち合わせてもいる。

 なので、走るの大好きの僕ではあるが声を掛けられれば基本的にそちらを優先する。併走頼まれることもあるし。

 

「おい。……少し時間はあるか」

 

「エアグルーヴ? ああ、大丈夫だけど」

 

「では付いてこい。話がある」

 

 長々説明したが、要するに今日はそういう案件のようだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 僕に声を掛けて以降は沈黙を保っているエアグルーヴに導かれるまま、従順にそれに従っててくてく歩き、やがて人気の少ない屋上へ向かう階段の踊り場までやってきた。

 あんまり他人に聞かせるような内容ではないということらしい。

 僕は一応優等生なので、彼女に叱責されたりしたことは今までにほぼなかった。が、雰囲気を考えれば今回はそれだろう。となれば大体想像は付くが。

 

 目的地に辿り着き、くるりとこちらを振り返った彼女は、案の定というかその形のいい眉を吊り上げてお怒りのご様子だった。

 それでも一応優等生として積み上げてきた信用のようなものはあるのか、語り出した彼女の声は静かなものだ。

 

「貴様……最近会長と時折話をしているようだが。一体どういうつもりだ?」

 

「どういう、とは?」

 

「惚けるな。貴様にもわかっているだろう……どうしてあんな言葉遣いをしているのか、ということだ。言葉遣いだけならばともかく、あのように突っかかるような態度を取るなど。何を考えている?」

 

「ああ……まあ、そうだね」

 

 まあそこだろうな、とは正直予想していた。

 

 以前の遭遇以来、ルドルフとはちょくちょく話をするようになった。

 彼女の方は何分非常に多忙なのでそれほど頻繁にというわけではないが、何となく時間の隙を見て顔を見に来てくれている感じはある。

 そんな彼女に対して、僕は割とフランクというか、まあ傍目から見れば喧嘩腰っぽく見えるかなぁという態度も取ったりする。その時のいずれかがたまたま彼女の目に入ったのだろう。

 

 一応僕にも言い分はあるのだが、それはあくまで僕の個人的な感情によるものであって、普通に考えれば正しいのは明らかに彼女の方だ。それくらいは理解しているので、僕としては至極当然のお叱りだと思う。

 どう弁明したものかと唸る僕をじろりと厳しく睨んでから、エアグルーヴは言葉を続けた。

 

「理解していないわけはないだろうが、あの方は我々にとっては先輩でもあり、そして常から我々のために心を砕いてくださっている生徒会長でもあるのだぞ。見す見す非礼を許すわけにはいかん」

 

「一応、ルドルフには許してもらってるんだけどね」

 

「会長は寛大なお方だ。おそらく、おおよそ誰がどのような態度を取ったとしてもそれを許されるだろう。だからと言ってそれに甘えていいわけではないと、貴様は理解できていると思っていたが?」

 

「ううん……ぐうの音も出ない。時間使わせてごめんね、エアグルーヴ」

 

「謝るなら私ではなかろう……」

 

 本当にぐうの音も出なかった。

 一応理屈くらいはわかっているらしいと判断されたのか、エアグルーヴは疲れたように嘆息する。じゃあなんでそんなことしてるんだってなるもんね。

 日頃から問題児の対応に追われている彼女に、こんなことで時間を割かせてしまっているのは誠に申し訳なく思うところである。

 

 頭痛を堪えるような動作を見せてから、エアグルーヴは若干その雰囲気を和らげて、困ったように口を開いた。

 

「まったく……本当に、いきなりどうしたというのだ。お前はその手の礼節には気を配っている方だったはずだろう。それがなぜ、よりにもよって会長にだけああなのだ。最初に見た時は本当に困惑したのだぞ。せめて理由を聞かせろ」

 

「それは勿論。ただ少し長くなるかもしれないけど、いいかな」

 

「構わん。この後はしばらく時間に余裕を持ってある」

 

「ありがと」

 

 せめて理由を聞かせろ、とは言いつつも、それが納得のできないものであれば断固として認めてくれない感じの雰囲気だった。

 まあ当然か。取り分けルドルフを尊敬しているはずだし。

 

 不快にさせたいわけではないし、できれば理解してもらえると嬉しいんだけど。

 そう思い、腕組みをして話を聞く体勢になった彼女に僕は滔々と語り出した。

 

「まず、これから言うことには何一つ一切嘘はないって理解してほしいんだけど、僕はルドルフのことは凄く尊敬してるんだよね」

 

「当然だ。会長ほどに尊敬に値する方などそうはおらん」

 

「全く以ってそのとおりだと僕も思う。彼女ほど強くて、彼女ほど賢くて、彼女ほど正しく、彼女ほど優しい……彼女ほどに“完成した”ウマ娘を、人間も含めていいけど、僕は他に知らない」

 

「ふん……それがわかっていてなぜああなる?」

 

 誰にでもわかるようなことをいちいち口にするなと言わんばかりに鼻を鳴らしたエアグルーヴに、同意を込めて深く頷く。

 

「そこについてはまず僕から見たルドルフの印象について話してからにしよう。彼女を語るなら走りについて触れたくなるところもあるけどそこは一旦置いとくとして、先に言いたいのは彼女の夢というか、理想だよね。はっきり言って誰の目にも夢物語にしか見えないような大望を、そうと理解しながらそれでも心の底から理想を信じて真摯に追い求めるその精神性。そのために必要な努力の一切を惜しまずに邁進する姿勢は心配にもなるけど、彼女自身それを決して“苦”と思っていない、むしろ喜びだと捉えてるのが本当に凄いと思う。自分ではない誰かの、それも一度も直接喋ったことさえないような他人のためにでも本気でその力になりたいと考えてるのはもう一学生とは思えない聖人レベルの精神だよね」

 

「……そうだな」

 

「後に続く者のために自らがその道を切り拓きその理想として道標となる。言葉にすれば簡単だけどその実現がどれほど困難を極めるかなんて誰にだってわかることだ。でも彼女はそれを当然のように自らに課して、その重荷を背負って走ることを当然のこととして、誰かを助けること、誰かの力になれることを喜びとしながらも、頼られるに足る“皇帝”としてあらゆる分野で研鑽を惜しまない。ウマ娘としての走りは勿論、学業でもそうだしさっきから言ってるとおり人柄もそう。その上自分に親しみが足りないことさえ欠点と捉えてその改善にも積極的……これはちょっと僕としてはやり方を微妙に間違えてる気もするけど……まあそういう愛嬌のあるところも全く嫌いではないんだけど、ともかく自分をどこまで高めても決して足りるということを知らない向上心は本当に心から尊敬するよね。勿論そういうある種頑なな部分に欠点がないとは言わないけど、正直それは彼女が自身の理想に対して抱く想いの強さから来る表裏一体の部分でもあると思うから個人的にはあんまり強く指摘はしたくない部分もあるかな」

 

「…………そ、そうだな」

 

「人柄に関しては長くなっちゃうし大雑把にこんなものでひとまず終わらせるとして次はやっぱり走りだよね。これはもう本当に凄いとしか言いようがない。ルドルフが今までに走った模擬レースなんかは結構念入りに研究した方だと思うけど何度見返しても弱点らしきものさえ見当たらない。単純なスピードも、長い距離を苦にしないスタミナも、急坂を物ともしないパワーも、バ群の中での脚運びやその捌き方、コーナーワークみたいな技術面に、レース展開を読み切り操って支配下に置く頭脳まで何もかも隙がない。本格化に伴う身体能力の差はともかくとして一流トレーナーの指導を受けてきたシニア級のウマ娘だってこんなに綺麗には走れないんじゃないかってくらい本当に全部が全部美しいんだよ。そのまま教科書の教材に使ったってきっと誰も文句なんて言えないだろうね。でも絶対ここからさらにもっとずっと綺麗になっていくんだって思うと一体彼女はどこまで強くなるんだろうって正直かなり不安になるところもあるけどそれと同時に滾るものもあるかな。実際に一緒のレースを走った後はホントに吐き気がするくらい辛くて苦しくて、でもその背中がいまだに脳みそに焼き付いたまま全く離れる気配がないくらいで夢に出るほど頭から消えてくれなくてでもだからこそ追いかけたくなるというかふとした拍子に思い出す度にその背中を追い抜きたいって想いが際限なく強くなるっていうか――」

 

「あ、ああ…………お前の意見には、確かに概ね同意するが……すっ、少し落ち着け」

 

「本当は僕なんかじゃ及びもつかない相手だってことは理解してるんだよそれでもその背中が本当に今まで見た全てのものの中で一番美しいって心の底から想ったからどうしても諦めきれなくて思い出せば思い出すほど憧れがどんどん大きくなっていくばっかりで――と…………ああ、ごめん。ルドルフのことについて話そうとするとつい熱が入っちゃって。一応、本当に彼女を尊敬してるんだってことは多少は伝わったと思うんだけど」

 

「……そうだな、その点については十分に伝わった……本当にな」

 

「そっか、それならよかったよ」

 

 なぜか顔を引き攣らせているエアグルーヴに、僕はほっと息を吐いた。そのあたりについてはあまり誤解されたくなかったから。

 

 実のところ、多分だけど、僕とエアグルーヴのルドルフへの考え方は結構似ていると思っている。

 その能力。その人柄。ほとんど何一つとしてケチを付けるような場所さえない彼女のことを尊敬しているし、憧れてもいるし、そして同時に、だからこそ超えたいとも思っている。二人ともだ。

 

 でもそういう似通った中で、致命的に一つだけ、僕と彼女では絶対に噛み合わないところがある。

 

「と、ともかくだ。そこまで会長を尊敬しているのなら、なぜあんな態度を取る?」

 

「僕が彼女の同期だからだ」

 

「……」

 

 “同期”。

 トゥインクルシリーズにおけるその言葉の持つ意味は酷く重い。

 

 同じ年に同じコースの上で走り、その優劣を競い合う。

 そして時に、互いの生涯にたった一つしかない栄冠を奪い合う。

 

 それを何と例えればいいだろうか。

 そう……実力に関係ない部分で、僕と彼女は曲がりなりにも“対等”の存在として、同期という括りの中に存在する。

 その関係性の中で、僕は彼女に対して自らを下に置きたくなかった。

 譲ってしまえば、彼女の中で僕が数多くの、彼女の導くウマ娘の中の一人になってしまう気がしたから。

 僕が挑む者で、彼女が挑まれる者。その事実が変わるわけではないとしても、僕は彼女の対等の挑戦者でありたかった。

 

「僕がトゥインクルシリーズ上でも彼女の後輩だったなら、僕はただ彼女を尊敬して、憧れて、いつかそうなりたい、あるいは超えたいと願いながら、彼女を仰ぎ見ることに全く異存はなかったと思うよ。彼女の与えてくれるものに感謝して、それこそ君ほど彼女の役に立つことはできなくても、君と同じように彼女の手足として彼女を支えるために力を尽くすというのも悪くなかったのかなとも思う」

 

「……ならば、なぜ」

 

「彼女がそれだけ、本当に素晴らしいウマ娘だからだ。だから僕は彼女の同期として、彼女のライバルになりたいと思った。上でもないし下でもない。どっちでもいけないんだ。ただ彼女の同列の存在として、それがどれほど烏滸がましいことであっても、そう挑みたいと僕は思った」

 

 彼女を迎え撃つ上の世代でもない。

 彼女の背を追う下の世代でもない。

 彼女と共に走る同期だからこそ、僕は彼女の下にはいられないと思った。

 

 この感情を、どう説明すればいいだろうか。

 僕は本当に、心の底から彼女のことを尊敬している。心の底から憧れている。

 そして、だからこそ――

 

「僕は――ルドルフの、“敵”になりたいんだ」

 

「……敵」

 

「そしてそのためには、僕は彼女をただ仰ぎ見る者ではあれない。僕は彼女の往く王道を阻むために走ってるんだから。彼女のことが嫌いだからとかじゃなくて、彼女の強さに、彼女の美しさに、本当に心の底から憧れたから」

 

「……」

 

「全ての勝負が終わった後なら、別にこんな態度はすぐにでも改めたって構わない。でもそれまでは絶対に止めない。止めるわけにはいかないんだ」

 

 そう言って、僕は弁明を終えた。

 単に纏まりのない感情を言葉にしながら喋っているだけなので、ちゃんと僕の考えていることが伝わったかはわからないけど、それでもこれが僕の想いだ。

 だからエアグルーヴには悪いけど、彼女が“否”と言ったとしても、僕は今のままの態度を貫くだろう。

 

 ……ただ。

 幸いにして、と言ってもいいのだろうか。

 しばらくの間強烈に眉根を寄せて歯軋りせんばかりに唸っていた彼女は、やがて大きく息を吐くと頭を振った。

 そうして、言った。

 

「……どの道、会長が許しておられるのであれば、私からどうこう言うことではない。馬鹿な考えの下でそうしているのなら説教の十や二十はしてやるつもりだったが……お前なりに、思うところがあることはわかった。勘弁しておいてやる」

 

「ありがと」

 

「ふん……先ほども言ったが、礼を言う相手がいるならそれは私ではないだろう」

 

「それでもね」

 

「……まったく」

 

 最後にもう一つ溜息を吐いて、エアグルーヴはその雰囲気を普段のものに戻した。

 そうしてそのまま、階段の踊り場を去ろうと足を進め――

 

 ぴたりと止まって振り返り、僕を睨みつけてきた。

 

「少し時間が余った。……併走に付き合え。お前のことだ、嫌とは言わんだろう」

 

「……ああ、勿論。喜んでお相手するよ。幾らでもね」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 お互いにジャージに着替え、コースに出て準備運動を開始する。

 僕と彼女はそれなりの頻度で併走するが、最近はしばらくご無沙汰だった。

 僕が色々あってその余裕がなかったというのもあるし、あるいは単に――僕の本格化が始まって条件が同じとは行かなくなった、というのもある。

 

「貴様が本格化を迎え始めてからは、これが初めてになるか。……本当に会長のライバルを名乗るだけの実力があるのか、私に見せてみろ。まさかとは思うが、できんなどとは言わんだろうな?」

 

「僕だってそこまで自惚れてはないし訂正しておくけど、今は遥かにルドルフの方が上だよ。勿論いつか必ず追い抜くから、未来のライバルであることは事実だけど。でも……そういうことなら、ごめんねエアグルーヴ。ひょっとしたら自信失くさせちゃうかも」

 

「……面白い。では貴様の望みどおり、その挑発に乗ってやるとしよう。全力だぞ」

 

「勿論」

 

 鋭くなった眼光とともに、肌にびりびり来るような敵意。

 こういうのを感じる時、彼女たちはやはりどうしても、僕のような普通寄りのウマ娘とは違うのだなと実感する。独特のオーラと言うのか、そういうものがある。彼女は中でも特別それが強い方ではあるけど。

 

 この手の空気に中てられた時、僕は毎回怖くなる。本能的なものなのか、尻尾がすっと股の間に入ろうとしてくる。それが常だった。

 ただ、今は違う。

 ルドルフを相手にした時と同じだ。走るとなれば怯えもなく、僕は彼女の目を見つめ返した。

 

 竦んでいる場合ではないのだ。

 戦う前から誰かに対して怯えているような有様で、皇帝に挑めるわけもないし。

 それに、今の僕が背負っているのは僕の評価だけじゃない。

 僕を育ててくれているトレーナーの評価も同時に背負っているんだから。

 だから、いつであれ、どこであれ、誰が相手であれ、彼に恥じるような走りはしたくない。

 

「準備はいいな」

 

「いつでも」

 

 スタートラインに共に立ち、一度お互いを一睨みしてから、僕らは視線を前方に向けた。

 

 トゥインクルシリーズ上では同期ではないが、学年上は同級生。お互い走りには真面目だし併走を重ねてきた数は既にそれなりのものになっている。

 一対一での勝率で言えば、多分三対七くらい……だろうか。僕が三、彼女が七だ。

 

 ただしこれはお互いに本格化の来ていない状態の戦績なので、ちょっと参考にし辛いところはある。

 本格化が始まると本当に派手に能力が変わったりするので、お互いに全盛期の状態を比べられないと優劣は付け辛いのだ。例えば九対一だった戦績が一対九までひっくり返ることさえありえるし、逆に十対零になってしまう可能性もある。

 

 僕と彼女が本当の意味で雌雄を決する時が来るのかは、今のところは何とも未知数。デビュー時期を考えれば、僕の全盛期がどれだけ続いてくれるのか次第ということになるだろう。

 その時が来たなら後れを取るつもりは一切ないが、今はともかく。

 

 彼女は間違いなく歴史に名を残す優駿の一人であり、僕が本格化の始まりによって多少の優位を取っていたとしても、それはあくまで始まり程度のもの。今はまだ明確な優劣を生むほどではない。

 今の段階での勝率は走ってみないことには何ともわからないとしか言えないが、とにかくとてもではないがこちらが有利な条件だからと言って油断できるような相手ではない。

 

 だが、それでも。

 負けるわけにはいかないという矜持が、今は熱く燃え立つようになった。

 

 だって――僕の追いかけている(ルドルフ)は、今の彼女(エアグルーヴ)よりずっと先にいるんだから。

 こんなところで、躓いてはいられないんだ。

 

 スタートの合図と同時。

 僕とエアグルーヴは、スタートラインの先へ足を踏み出した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 で、結局。

 

「今回は……僕の、勝ちだね……」

 

「くっ……!」

 

 レースは後ろから差されることを嫌った彼女が速めのペースを作り、それを僕が追うという展開になり、互いのスタミナを磨り潰す感じの結構なデッドヒートぶりを呈したが、最終的には最後の脚の差で僕が勝利を収めることになった。

 

 ……普通に危なかったけど。

 最後何バ身差くらいだったんだろ。

 本格化もまだなのに、エアグルーヴしかり原作ウマ娘たちは大体速すぎるんだよな。まだ燻ぶってる娘とか覚醒前の娘も時々びっくりするような脚を繰り出してきたりするし。

 

「不甲斐ない……! 勝負を焦りすぎたかっ」

 

「条件的にこっちの方が有利なんだから、負けて不甲斐ないって言われると僕が不甲斐なくなるんだけど……」

 

「そういう話ではない……平常心を保ちながら走ることができなかったのが問題だという話だ。くっ……無駄に気を昂らせすぎたか」

 

 ともあれ、レースを終えたら息を整えながらの反省会。……とは言えないかもしれない彼女の自省会だ。

 彼女は非常に真面目で気位が高く、自らへの要求が凄まじく高いため、ちょっとでも自分に納得の行かない負け方をすると物凄く反省する。自らの瑕疵など一個たりとも許せんと言わんばかりに反省する。

 

 そして、その次は大体こうなる。

 

「ええい、もう一度だ! ドラモンド! 時間はまだあるだろう!」

 

「まあ僕は何回でも付き合うけどさ……」

 

 気炎を揚げる彼女に付き合って、僕はその日結構な回数彼女と併走を行った。

 僕は走れるなら幾らでも付き合うけど、エアグルーヴの時間は結局大丈夫だったのだろうか。結構ギリギリまで粘ってたみたいだけど。

 まあ、彼女のことだからそのあたりはちゃんとしているのだろう。……多分。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 特徴的な葦毛に菫色のような綺麗な紫の瞳をした、フロクスドラモンドという小柄なウマ娘は、このトレセン学園においてもそれなりに有名だ。

 と言っても、例えば生徒会に所属しているなどといった、特に生徒たちの前に顔を出す必要がある職務に就いているから、というわけではない。

 ではなぜ彼女がよく知られているのかと言えば、それは単に入学以降の彼女が同学年、先輩、後輩問わず、ありとあらゆる相手に併走を申し込み続け、それを延々繰り返していたからだ。

 来る日も来る日も誰かと走っている彼女の姿は学園のあらゆるコース上で頻繁に目撃され、そしてそれが自分に挑んできたことのある相手ともなれば、自然と知名度が増していくのも当然と言えただろう。

 

 入学当初から、彼女の走りの能力は高く評価されていた。

 既に本格化が訪れている相手でさえなければ年上であっても互角以上に渡り合い、同学年や年下であればほとんどの相手には危なげなく勝ってみせる。

 そして同時に、既に本格化を迎えているウマ娘たちを相手にしても躊躇なく挑みかかっては食い下がり、時に呆気なく蹴散らされても再び併走を願い出る根性の強さもあった。

 かの“スーパーカー”マルゼンスキーや、今年のクラシック戦線最有力候補であるミスターシービーなど、共に走ることさえ恐れる娘が出てくるような相手でも、その小さな身体でさながら起き上がりこぼしのごとく何度も何度も挑みかかる姿には、感じるものがあった娘もいたはずだ。

 

 本格化を迎えている層を除くなら、彼女を相手に一対一で五分五分以上の戦績を残せるのは、その時点で将来を有望視されているような一握りのウマ娘くらいのものだった。

 つまり、その事実こそが既に彼女の素質を証明している。ドラモンド自身もそういった“将来有望”なウマ娘の一人だったわけだ。

 

「はぁ……はぁ……ど、どうする? まだやる?」

「ふう……ふう……いや、今日はこのあたりで終わりにしよう。そろそろ予定が入っている……長々付き合わせて悪かったな」

「いや、僕は別にいいけどね。エアグルーヴと走るのは楽しいし、いい刺激になる。本来なら格上の相手とはいくら走っても足りないから」

「……ふん」

 

 ――にも関わらず。

 この娘はどうにもどこか自信に欠けるところがあるな、と、エアグルーヴは日頃から思っていた。

 

 本来なら格上――要するに、互いに本格化を迎えていない状態。あるいは互いに本格化を迎えた状態を指して言っているのだろう。

 今日の併走ではドラモンドの本格化が始まっていることもありエアグルーヴが後れを取ったが、以前であれば本気での併走時の勝率はエアグルーヴの方が高かったのは事実。上と言えば確かに上だ。

 

 しかしそれを躊躇いもなく“格上”と表現する彼女に対し、思うところは常にあった。

 普通であれば、そこはライバルと言い表すべきなのではないか、と。

 

 彼女は誰が相手でもそんな態度だ。自らを無意味に下に置くようなことはしないが、目に見える結果は結果であると淡々と受け入れてしまう。

 負けても負けても相手に喰らい付いていく気概があるくせに、自らが負けていること自体はあっさりと認めてしまう。

 

 それがもどかしいと言えばいいのか、何と言えばいいのか。

 こちらが勝っていることを認められているのに、自らが劣っていることを相手が認めているのに、どうしても煮え切らないものがあった。

 日頃から真面目で特に問題も起こさず、この学園において度々発生する問題児の暴走時には手を貸してくれたりもするこの友人のことを、エアグルーヴはそれなりに……そう、それなりに高く評価していたが、そういうところにだけは不満があった。

 

 だから正直、彼女が自らをルドルフの敵――ライバルと自称したことには、心底驚いた。

 

 エアグルーヴよりもずっと目上の人間に対する礼節には気を使っている彼女が、他ならぬルドルフ会長を相手に、そんな大口を叩いてみせるなど思ってもみなかったから。

 

 ……以前の選抜レース。初めて彼女がルドルフ会長と直接対決し、そして完膚なきまでの敗北を喫したあの日。

 それ以来ずっと彼女が思い詰めた様子でいたことは、何となく察してはいた。

 彼女は態度こそ上手く隠していたが、それなりに長い付き合いだ。どことなく元気がないこともわかってはいた。……例え、だからと言って、敗戦に苦しんでいる彼女に、掛けてやれる言葉を見つけられなかったとしても。

 

 だから今日彼女に話しかけた最初は、ひょっとしたら彼女が何か自棄を起こしたりしたのではないかと――そう心配していたところもあった。

 

 けれど。

 

「ま……僕もルドルフに勝たないといけないわけだから。今はひたすら練習あるのみだし併走はいつでも歓迎だよ。君が僕に負けても平気なら、だけど」

 

「その言葉、そっくりそのまま貴様に返してやろう。今日勝てたからと言って次も同じとは思うなよ。本格化だろうが何であろうが……貴様が腑抜けた走りを見せたら、その瞬間に引き千切ってくれる」

 

「怖いなぁ、君はホントに引き千切ってくるし。条件的な有利不利くらい大人しく呑み込んでくれてもいいと思うけどね……」

 

「ふん、馬鹿を言うな。そんなことで大人しく退き下がる程度の覚悟で女帝などと名乗りはせん。……貴様も、ルドルフ会長の“敵”などと名乗るなら理解できると思うが?」

 

「……ま、否定はしないよ」

 

「当然だ。そこで否定するのであれば、私は貴様の性根を一から叩き直してやらねばならんところだった」

 

「こわ……」

 

 ――今はもう、少なくともそんな心配はなくなった。

 

 何があったのかは知らないし、本当によりによってなぜルドルフ会長にと、思うところはあるにせよ……エアグルーヴは、彼女の変化をある程度好ましく思っている。

 

 一人の友人として。

 そしていつか、叶うならば共に全盛の状態で競い合いたいと願う、ライバルの一人として。

 

 どうせ雌雄を決するのであれば、自らが勝って当然と、そんな態度でいてくれた方が。

 きっと勝負も――その顔を驚愕で塗り潰してやるのも、楽しくなるに違いないから。




人間関係②
ちなみにドラモンドはルドルフさんについて話す時めちゃくちゃ早口になり、瞳孔が開き、異様に尻尾がばさばさします。

せっかくのクリスマスだったので二日連続投稿です。(暇だっただけ)
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