本日も授業が終わって今は放課後。
担任の先生が出ていった後の教室は無軌道な騒めきに包まれて、元気のいい娘は飛び出すように廊下へ駆けていったりとそれぞれ思い思いに解放感を楽しんでいるご様子。
そんな中、僕は一人荷物を纏めて手早く帰り支度を済ませた。今日は休養日なのでトレーニングはないが、今期のデビューを目前とするウマ娘としてやるべきことは色々とあるのだ。
人間の身体であればおそらくはずっしり肩に来たであろう、色々と物の詰め込まれた鞄をひょいと軽く担ぎ上げて、クラスメイトの喧噪の中に一つの見知った顔を探す。
幸いまだ自分の席から移動していなかった様子でてきぱき帰り支度を進めている彼女に、僕は歩み寄って声を掛けた。
「はろー、ヒシアマ姐さん」
「うん? ああ、ドラモンドか。どうしたんだい?」
よく焼けた褐色の肌が魅力的な彼女は、皆の姉御……またはお袋であるところの美浦寮寮長、ヒシアマゾン姐さん様である。非常に面倒見がいいお方で何くれとなく世話を焼いてくれる、僕の友人の一人だ。
クラスメイトだし当然というか同い年ではあるのだが、本当に何かとお世話になっているので僕は感謝を込めて彼女をさん付けまたは姐さん付けで呼んでいる。お弁当とか服の修繕とかいつもありがとうございます。
「あっ、ひょっとしてタイマンの申し込みかい? それなら喜んで受けて立つよ!」
自分から誰かに話しかけることはあんまり多くない僕からの呼び掛けに、一度きょとんとした顔で首を傾げたヒシアマ姐さんは、一瞬だけ思案を挟んでからパッとその表情を明るくした。好戦的な笑みを浮かべ、拳で手のひらを打つ彼女は既に臨戦態勢に入っている。
が、残念ながら今日はその期待に沿うことはできない。
「心惹かれる提案だけど、残念ながら今日は他に用事があってね。ダンスの練習をしてくるから、門限ギリギリになるかもしれないし一応伝えておこうと思ってさ」
「何だ、違うのかい。まあダンスレッスンってんなら仕方ないねぇ……」
「ごめんね」
僕もできることなら走りたいのは山々だしそれがヒシアマ姐さんとの併走となればなおさらだが、さすがにそればっかりやっているわけにはいかないのだ。トゥインクルシリーズを走るウマ娘は何かとやることが多い。非常に多い。
しょんぼりと肩を落とした姐さんに手を合わせて謝罪すると、彼女は一転からっとした笑い声で応えてくれた。
「なーに、謝るこたぁないよ。アンタは今年からが勝負なんだ、トゥインクルシリーズを走るとなったらライブの練習は欠かせないからね。真面目に頑張ってる子のことを応援してやれないんじゃあ寮長なんかやってらんないってもんさ。何か困ったことがあったらいつでも言うんだよ!」
「ありがと、姐さん。早速お言葉に甘えさせてもらうと、また穴空いちゃったジャージが何枚かできちゃったんだけど……」
「任せときな! 後で持ってきてくれたらちゃちゃっと直しといてやるよ。ちょうど新しく可愛いワッペンが手に入ったとこだったんだ」
「ありがとうございます、いつもお世話になっております」
平身低頭でペコペコと頭を下げ、感謝を述べる。
この学園には聖人みたいな人が多いが、その筆頭格の一人である彼女に対して頭が上がる日は永遠に来ないだろう。本当にいつもありがとうございます。
……その“可愛いワッペン”とやらは、多分かなり独特のセンスから来る評価なんだろうなとは思ったけど、その感想は心の内に秘めておいた。
僕も他人様のことをどうこう言えるようなセンスしてないからね。皆から「ええ……」って言われた僕のジャージに今正にくっついてる芋虫のワッペンも、正直そんなに悪くないんじゃないかと思ってるし。
まあ、出かける時の私服さえ“走りたくなったらすぐ走れるから”という理由でほぼジャージの僕から出る“悪くない”という評価に、果たしてどれほどの価値があるのかは定かじゃないけど。この前トレーナーと出かけた時「ええ……」って言われたからな。
何せ僕は制服着てる時以外はほぼずっとジャージで過ごしている。寝起きに走りたかったらすぐ走れるからって寝巻もジャージだし。相部屋になった当初はタンジーにも「ええ……」って言われた覚えがある。
……さすがにもうちょっと服装にも気を配るべきなのかもしれないな。でもジャージ便利なんだよな……。
自らの在り方に微かな疑問を抱いていると、パシッと手のひらを打ったヒシアマ姐さんが話を戻した。
「まっ、それはそれとして、心配ないとは思うけど門限についても了解さ。しっかしアンタも律義だねぇ、今まで門限破ったことなんて一回もないってのに」
「これからデビューに向けて追い込みってところもあるし、色々忙しくなってうっかりやらかさないとは言えないからね。念のため伝えておいた方がヒシアマ姐さんを心配させることもないかなってさ」
「ありがたいねぇ……門限破り常習犯の子たちにも聞かせてやりたいもんだよ、まったく」
やれやれと言わんばかりに溜息を吐く姐さんではあるが、その割に表情は優しいものだ。
たまに門限に遅れた娘を正座させて叱り飛ばしているところを見かけたりもするが、そういうのは全て寮生への愛情から来るものだと皆知っている。だからこそ寮長を任されているのだろうし、寮生たちにもとてもよく慕われているのだ。
何せこの前母の日に寮の子からプレゼント貰ってたくらいだから。
嬉しくも複雑そうな何とも言えない顔してたなぁ。その後悪乗りしてエアグルーヴに分けてもらったカーネーション持っていったら、顔に出てたのか怒られてしまったけど。
でもその割にカーネーションは受け取ってくれたあたりは、やっぱり姐さんだなって感じだった。
「じゃ、そういうことで僕は練習に行ってきますので」
「はいよ、レッスン頑張ってくるんだよ!」
「ん。精々実践で恥を掻かずに済むよう頑張るよ」
「それからまた今度、ちゃんとタイマンの相手もしなよ! 挑戦はいつでも受け付けてるからね!」
「うん、勿論。その時はよろしくね」
そうして今日も、ヒシアマ姐さんは人好きのする笑顔で応援してくれた。
また今度、寮の娘たちと一緒に恩返しのサプライズ企画でも考えないとな。
それから勿論、併走もだけど。
◇◇◇
「ワン、ツー、スリー、フォー。ワン、ツー……」
ステップを踏み、ターンを挟み、ここの腕の振りはわかりやすく、指先はしっかり伸ばして、それから笑顔を忘れずに……。
授業で教わった点を一つずつ意識して、壁一面に張られた大鏡を前に一人くるくると踊り続け、一工程ずつ丁寧に仕上げていく。
トレーナーと担当契約を交わし、日夜鍛練に明け暮れる今日この頃。
デビュー戦までの時間も相応に少なくなって、近頃は調整的な練習なんかも増えてきた。
そしてこれもまた、その一環と言えるだろう。
レースで走るウマ娘に最も強く求められるのは当然走る力だが、その次に求められるのはレースの後のライブをこなす能力だ。
応援してくれるファンの皆さんに感謝を伝えるためには必要不可欠の技能と言える。
こっちはまあ、最悪の場合でも基本的には愛嬌ということで多少のお目溢しは貰えるのだが、さすがに僕も棒立ちをかましたり派手にしくじって記事にされるのは嫌だ。笠松音頭も踊れないし。よって、ちゃんと頑張って日頃から練習している。
仕上がりとしては、まあ、我ながら中々悪くないんじゃなかろうか。
目の前の大鏡に映る、綺麗な笑顔を見せながら黒白混じりの独特の葦毛と尻尾を振り乱して軽やかに踊る僕の姿は、前世の感性から言えば相当可愛い。百年に一度の美少女とか言われるレベル。この学園でも五百本の指には入るだろう。
あれ、指全然足りないな……。
学園の……というかウマ娘という種族の平均的外見レベルの異様な高さはともかくとして、デビュー戦が来れば勝とうが負けようが僕は必ずライブに出ることになる。
なので、これまではトレーニングの時間に押しやられて少々足りていなかったダンスと、それから歌の練習に多めに時間を割き始めたというわけだった。今までにもやってなかったわけじゃないけどね。
「ワン、ツー、スリー……あれ、えーと」
……とは言え。
本当にちびちびとでもなるべくやるようにはしていたのだが、このダンスの練習、結構きつい。
何がきついかと言うと、勿論ダンスそのものもだけど、何よりも順位によって全然振付が違ったりするのにその全部を覚えないといけないのがきつい。
完全にバックダンサーになる順位の振付だとまだマシだったりするのだが、一位二位三位とかってなると完全に別物だったりする。そうなるとそのまま各振付を別々に記憶するのに二倍三倍、下手したらそれ以上の労力がかかってくる。
このあたり僕は感性で覚えられたりする天才ウマ娘ではないので、地道な反復練習だけが頼りなのだ。繰り返しやってればその内覚えてくれる身体だけが正義ということで、同じところを何度もしくじりながらも何度もやり直して一つ一つ身体に馴染ませていく。
そうして振付を覚えてきたら今度はそのパーツを一つごとに洗練して、という具合に改善を重ねていって、その内ダンスがある程度整ったら今度は歌と合わせたりもして、と中々の手間がかかる。
将来を見据えて子供の頃から歌も踊りもある程度練習はしてきたけど、やっぱり踊りながら歌うのは大変だ。アスリート兼アイドルって普通にはどう考えてもおかしいんだよな。
まあみんな平等にやっていることなので、僕だけ文句を言うわけにもいかない。トレーニングのない日や空いた時間なんかでこつこつと積み重ねていくのみである。
「ワン、ツー、スリー、フォー。ワン、ツー……よし」
先ほどすっぽ抜けたところをやり直して、違和感がないことを確認する。少しずつ直していけばやがて形にはなるものだ。
もう一度、忘れないうちに繰り返しておこう。
そう思って再び踊り出した直後、レッスンルームの扉が開く控え目な音が聞こえた。
鏡越しに見えたのは、僕のトレーナーである須藤さんだ。
「やあ、ドラモンド。精が出るね」
「トレーナー。どうかした? 今日はトレーニングは休みの予定だよね」
練習を切り上げて、ひらひらと手を振る彼を出迎える。
今日は休養日ということだったし、僕がダンスレッスンに時間を充てるという連絡も特にしていなかったのだが。
「いや、今後のスケジュールとかについて書類で纏めたから、一応早めに渡しておこうかと思ってな。ヒシアマゾンに聞いたらここでダンスの練習をやってるってことだったから届けに来たんだ」
「なるほど、わざわざどうも。でも、今度からはそういう時は連絡してくれたら僕が取りに行くよ」
「いや、気にしないでくれ。君の時間はなるべく君のために使ってほしいからな。雑事はなるべく俺が片付けるさ。そういうところを支えるのもトレーナーの仕事だろう?」
「……ありがと」
そのまっすぐな言葉にむず痒くなって、指先で頬を掻いた。
僕は少々捻くれているのでまっすぐ来られるのが苦手なのだ。よっていつでも直球ド真ん中で来るトレーナーとかルドルフみたいなのは天敵と言える。
苦手なものへの好感度ほど高くなる性質でもあるのか僕は?
「ごほん。書類に関しては急ぎじゃないんだよね? だったら確認は後でも大丈夫かな。ちょっとダンスの方の仕上げをしときたくて」
「全然大丈夫だ。荷物のところに置いておくから、休憩時間なり寮に帰った後なり暇な時に確認しておいてくれ。……ところでなんだが」
「ん、なに?」
「レッスンの様子って見学してても大丈夫か?」
「……」
質問に対し、僕は無言で固まった。
……なるほど。
確かに、トレーナーなのだからダンスの出来くらい気にして当然だろう。
当然だ。……が。
今までにも他の娘と一緒に踊っているところを見られたことくらいはあったが、一人で踊っているのを見られたことはない。
つまるところ、僕は今結構気まずいというか、恥ずかしがっている。
とは言え断るわけにもいくまい。じっと無言で返答を待っているトレーナーに、僕は渋々頷いた。
「……まあ、いいよ。でもあんまり期待しないでね」
「ああ、わかった!」
本当にわかってんの? って言いたくなるような笑顔で頷いたトレーナーに頬を引きつらせる。
これはちょっと気合入れないとダメそうだ。
何度か呼吸を整えて、ちょっとした準備運動を挟む。
別にさっきまで踊ってたんだしそんなのいらないんだけど、まあ念のため。期待に目を輝かせているトレーナーを失望させたくはないし。
とりあえず、踊るのは練習の続きからでいいだろう。三着の娘用のやつ。
……ああ、でも。
どうせなら、最初はセンターのダンスを見てほしいかもな。
そう思って、僕はステップを踏み始めた。
◇◇◇
で。
幾つか踊ってみせたわけなのだが。
「うおおおおお!! ドラモンドーーーッ!!!」
「……」
「こっち向いてくれー!! 笑ってーーー!!!」
「……」
「アアアアアーーッッ!!! 笑顔がっ……尊……イッ」
うるさい。
すっごいうるさい。
最初の方はこうじゃなかったんだ。普通に真面目に見てくれていて、ここはこうした方がいいんじゃないか? とか、そういうアドバイスとかもくれたりしてたんだ。
でもなんか、途中からこうなった。
ちょっと調子乗ってトレーナーと目線を合わせて笑顔見せたりウインクしてみたりしたのがダメだったのかもしれない。
これが種族全体でアイドル級の可愛さを持つウマ娘という種の力か……やろうと思ったら骨抜きの男量産できたりするんだろうな。怖い話だ。
……いや、レース走ってライブ踊ってたら勝手に量産されてしまうのか……? 逆に僕が怖くなってきたぞ。
え、ホントに大丈夫なんだろうな。最悪ウマドル力(物理)で大体何とかはなると思うけど……。
ちょっと不安になりながらもトレーナーの前で何度目かのダンスを終え、僕はぺこりと頭を下げた。
トレーナーは相変わらずテンションぶち上げで拍手喝采だった。歌もないような練習でそんなになることある? ……調子狂うなぁ。
「あのさ、トレーナー。できたら一応、ちょっとはこう、アドバイスとかも欲しいんだけど」
「アッ…………す、すみません」
「いやまあ、楽しんでくれてるなら嬉しいには嬉しいけど……」
急に申し訳なさそうになるトレーナーにもごもご言いながら、一つ溜息を吐く。
まあ、こうやって見てくれている人を夢中にさせるというのも僕たちの役目の一つではあり、そして喜びの一つでもあるのだろう。
実際、一生懸命応援してくれるトレーナーを見るのは悪い気分ではなかった。だから調子乗っちゃったんだし。
しょんぼりと正座して反省の意思を示しているトレーナーを見下ろして、僕はしばらく口の中で言葉を転がした後、なるべく素っ気なくそれを吐き出した。
「ねえ。そんなによかった?」
「ああ。素晴らしく可愛かった。かなり最高だった」
「……」
……なんだろう。なんか凄い恥ずかしい。
なんでだ。
くそ。
これだからド真ん中に直球投げてくる人は苦手なんだ。もうちょっとこう、変化球でも何でも緩急を付けてくれれば何とかなるのに。
ルドルフもそうだけどまっすぐ来られると受け流せないんだよな。やっぱり会話上のオブラートって大事だと思う。本心っていうのはなるべく覆い隠しつつ話すものじゃないの。
適切な距離感を大事にしていこうよ。擦り足で間合いを測りながらじわじわ詰めていくのが人付き合いの作法ってものでは。いきなり懐に潜り込んでみぞおちに一撃入れに来るのはよくないでしょ。
心の中で誰に聞かせるでもない言い訳を並べ立てて、そうして深い溜息を溢してから、僕は仕方なさそうに言った。
「……じゃ、もう一回見せてあげるから、次はちゃんと感想とかアドバイスお願いするよ」
「わかった!!!」
「元気だなぁ、もう」
途端に生き生きし始めたトレーナーに苦笑して、僕は爪先で床を叩きつつ、何度か咳払いをして喉の調子を整えた。
ファンの期待に応えるのも、トゥインクルシリーズを走るウマ娘の義務というものだ。
どうせ見てくれるというのなら、ついでなのだし歌も聴いていってもらおう。