星に憧れた石ころウマ娘の物語   作:ボ・クッコスキー

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現実って辛い

 あの選抜レースから、今日でそろそろ半月くらい。

 僕は今日も変わらず、ひたすらコースで走り込みをしていた。

 

 今のところ、僕個人の何かが進展したということは特にない。

 相変わらず気分は沈み気味で、それを隠すのにもそこそこ苦労している。

 

 何かニュースを挙げるなら、ルドルフのトレーナーが決まったと話題になっていたことくらいか。何でも並み居る強豪トレーナーたちを掻き分けて、ド新人トレーナーがその座を射止めたらしい。

 その後は色々紛糾というか、トレーナーたちの雰囲気が大分殺伐としたものになっていた気はするが、今はそれも――少なくとも表面上は収まっている。

 

 クラスメイトたちの話題になってたし、直後の一部ルドルフ過激派なんかには「よりによって新人を選ぶなど……会長は一体何をお考えなのだ」みたいな反応も見られたが、僕個人としてはそれを上回る嫌な納得感があった。

 

 だって多分、そのド新人トレーナーとやらはアプリトレーナーとかそれに類するものだ。

 無敗三冠も史上初の七冠も通り越して、二十戦二十勝無敗十冠とかやっちゃうタイプのあれ。

 ただの勘だけど、おそらくそうだと思う。ルドルフとそのトレーナーが、二人で随分仲良さそうにしているのも時々見かけるし。

 直感なんて普段は別に信じないけど、あの時ただただ背筋を伝った嫌な汗の感触は、きっと気のせいにはなってくれない。

 

「……ますますだなぁ」

 

 いよいよ以って絶望的な状況だった。最初から追いかける側だったのに、トレーナーを手に入れる速度でさえ負けて、さらにそのトレーナーはSSRっぽい光を放っていると来た。

 これから僕がトレーナーを手に入れるまでに、彼女は一体どれだけ成長するのだろう。

 僕がトレーナーを手に入れた時に、あの八バ身の差は一体どれだけ広げられているのだろう。

 その差は本当に、後から追いかけて追いつけるようなものなのだろうか。

 

 ……そんなの、わかりきっている。

 頭を振って、懊悩を振り払う。

 考えても仕方のないことは、考えても仕方のないことだ。

 

 

 「……ま。そもそも僕はまず、ちゃんとトレーナーを手に入れられるかの問題からだしね。高望みしなければ、まだ選択肢は残ってるみたいだけど」

 

 ――実のところ、あの選抜レースの後からスカウトの話はそれなりにあった。

 

 レース直後はあの有様だったものの、一応仮にも僕は二位。シンボリルドルフという例外中の例外がいなければ一位だったと言い換えることもできなくはない。

 なので、彼女に契約を断られた――あるいは最初から諦めていたようなトレーナーたちが、後からそのレースの二位以降のスカウトにやってくるというのはおかしな話ではない。

 

 着差が酷すぎたせいで、おそらくトレーナー間での僕の評価は大分下がったのだろう。ルドルフの出ていなかったレースの上位を取った娘たちよりかなり後回しにされた感はあったものの、それでも僕が過去に残している走りの成績は優秀だ。

 学業もそれほど秀でてはいないものの授業態度は真面目で、目上の人間に対しては従順にしているし礼儀もある程度ちゃんと守っているつもり。内申点は高いタイプだと思う。

 

 ルドルフに負けた直後は醜態を晒したが、あの時点ではみんな意識が彼女の方に行っていたせいで、多分誰の記憶にも残っていない。僕がその日かなり荒れたのを知っているのは、おそらくあの時面倒を見てもらった須藤さんと、それから精々タンジーくらいのはず。

 

 翌日以降は内心はともかく外面は取り繕えていたはずなので、周囲からすれば敗北を淡々と受け止めてトレーニングに励んでいるように見えただろう。

 ……つまり、いわゆる、”扱いやすい”気質のウマ娘に見えたのかもしれない。

 シンボリルドルフが特別であることを理解していて、高望みしたりしない利口なウマ娘に。

 

 だからか、選抜レースの後日になってスカウトにやってきたトレーナーたちが溢した言葉には、本当によく似た共通項があった。

 

 

 ”君はいい走りをしていた”とか。

 

 ”今までの走りを例年のデータと比べれば”とか。

 

 ”いずれは重賞も目指せる才能だ”とか。

 

 

 揃いも揃ってそんな感じ。

 何を隠したいのかがあまりにも明瞭すぎて、何が言いたいのかなんてもはや考えるまでもない。

 要するにこういうことだ。

 

 

 ”相手がシンボリルドルフでさえなかったら”。

 

 

 ……さすがに、そんなスカウトを受ける気にはなれなかった。

 

 断りの挨拶は丁寧に述べたつもりだ。

 今は自分の実力不足が恥ずかしいから、もう一度基礎から鍛え直したいとか。

 スカウトをしてもらえることは光栄だし嬉しいけど、こんな様ではトレーナーにも迷惑を掛けてしまうからとか。

 それを言葉どおりに受け取ってもらえたかは知らないけど、まあ角の立たない程度のことは言えたはずだし、表情も繕えていたと思う。

 

 別に基礎なんてトレーナーが付いたって幾らでも見てもらえることだし、何ならその方がずっと効率的なはずだし、変な癖が付いたりする前にトレーナーに見てもらった方が迷惑にもならないと思うけど。

 そういう内心は全部隠して、僕は申し訳なさそうにしながら彼らの手を払った。

 

 ……彼らの中で、僕は決してルドルフに勝てないのだろう。

 彼らの中で、格付けはあの一戦で終了してるんだ。

 

 

 実際、その判断は何一つ間違っていない。

 僕は彼女には勝てない。何一つとして勝るところがないからだ。今後永遠に、おそらくその影を踏むことさえ叶わない。

 

 結構速いけど彼女には届かないスピードと、

 そこそこタフだけど彼女には敵わないスタミナと、

 まあまあ力強いけど彼女には劣るパワーと、

 回らないわけじゃないけど彼女には遥かに差を付けられた頭の出来を持ったウマ娘。

 それが僕だ。スペック的には下位互換もいいところ。オマケに得意脚質でもハンデを背負っていると来れば、勝てる理由はどこにも見当たらない。

 当然だ。勝てるって言われた方がよっぽどびっくりする。

 

 

 僕は別に、自分の負けをそこまで引き摺るタイプじゃない。

 それでもたった一度のあの敗北で、自分の中にあった何かがぐしゃぐしゃに圧し折られて叩き潰されたことは自覚してる。

 僕自身が勝てないって、追いつけないって思ったのは事実だから、それと同じ判断をした彼らに対して何かを言うつもりはない。

 

 けど。

 もしも僕が彼らと契約を結び、トゥインクルシリーズに挑んだとしたら。

 僕はきっと、ルドルフに挑むことすら許されない。

 

 それはさすがに、受け入れられなかったんだ。

 

 

 

 

 

「どうしてだ……どうして……」

 

 いつもの夕暮れ時。いつものベンチ。

 ずうん、と重たい空気を背負って、いつもとは全然違う様子の須藤さんが項垂れていた。

 怨嗟のような呟きを延々とぶつぶつ繰り返しながら、両手で顔を覆ってしくしくとすすり泣いている。

 

 コースを走っているウマ娘たちが、前を通りかかる度に心配そうな、不気味そうな顔をしている。

 僕は無関係なので、何かしたの? って顔向けるのは止めてください。

 

「悪くない感じだったじゃないか……練習だって効果出てたし……速くなりましたって喜んでたじゃないか……なのになんで……」

 

「……」

 

「やっぱり俺じゃダメなのか……そうだよなぁ実績ゼロのド新人だもんな……俺より凄いトレーナーなんていくらでもいるもんな……わざわざ俺なんか選ぶ理由ないもんな……」

 

「……」

 

「同期だって大体もう契約結んでるのに、なんで俺はこんなにダメなんだ……いや、あいつらは優秀だもんな……それに比べて、俺は……俺はぁ!!」

 

「……」

 

「ううう……うおおおお……」

 

 ……暗い。

 あまりにも暗すぎる。

 

 どれくらい暗いかというと、いつもどおりに出社したら唐突に首を宣告されて会社から追い出されたサラリーマンのお父さんくらいの暗黒を背負っている。

 

 ……彼の仕事を考えると、実際それはちょっと冗談にならないのかもしれない状況だったけど。

 

「……まあ、その内見つかると思いますよ。担当になってくれる娘。気長にやっていきましょう」

 

「そうかなぁ……うっうっ……そうだといいなぁ」

 

 とりあえず慰めの言葉を口にして、その背中をそっと撫でておく。

 

 この感じだと見つかるまで時間かかるかもなぁと思ったことは、心の内に秘めておいた。

 言ったら天に召されそうだったし。

 

 

 簡単に経緯を説明しよう。

 ここのところの日課となった、彼の検診とその後の雑談。

 いい加減すっかり慣れてしまった夕暮れ時の一時だったのだが、今日はなんかやってきた当初から彼の顔が暗くて、雑談の時間に何かあったんですか? と訊ねたらこうなったわけである。

 

 なんでも、お試し期間ということでしばらくトレーニングを見ていた娘に契約を断られたらしい。

 本人的にはそこそこ手応えもあったからなおさら堪えた、ということのようだった。

 

「はあ……ごめん、情けないところを見せちゃったね。あと慰めてくれてありがとう」

 

「いえ……少しでも元気が出たならよかったです」

 

 いまだに落ち込んだ様子ではあるものの辛うじて体面を取り戻し、須藤さんはへろへろに草臥れた笑顔を見せた。

 お世話になっている身なのだし、別に愚痴を聞くくらいなら何てことはない。

 実際凄い情けなさだったのでそこはちょっとフォローできないけども。

 

 ふう、と一つ小さな溜息を溢した須藤さんが、少々気まずそうにベンチの正面に位置する夕日へと目を向ける。

 その悲しそうな横顔をぼんやり眺めていると、彼は訥々と語り始めた。

 

「まあ、わかってはいるんだよ。俺も完全なド新人だし、実績なんか何もないから、そりゃまあそうそう頷く気にもならないよな、とはさ……そりゃこんなのより、しっかりやってきた先輩方に頼った方がずっといいよなぁとは……」

 

「……確かに、僕らからすれば実績のあるなしは大きな違いですね。能力の保証ですから。あればあるだけ自分を勝たせてくれるって信じやすくはなります」

 

「だよなぁ。まあ誰しもゼロからのスタートなんだし、そこで言い訳するつもりはないけども……」

 

 とりあえず、今日は彼の話を聞くことになりそうだ。

 一応は真面目な話なので、こちらも姿勢は整えておく。

 

「一応俺も俺なりにさ、スカウト掛ける娘のことは色々見てから、適性を考えたり性格を考えたりして、合いそうな戦法とかそれを伸ばす練習メニューとか作って持っていったり、色々頑張ってはいるつもりなんだよ」

 

「……なるほど」

 

「でもなんかなぁ、最初はまあまあ手応えあっても、なんか徐々にダメな感じになっていくというか……途中から、”あっこれ断られるんだな”ってなってくるというか……そんな感じで、これでもう何人目だ……十……四人目か……」

 

「十四人目」

 

 世知辛い話だった。

 こんな例の一方で、同じド新人にも関わらずシンボリルドルフのトレーナーとなった例も全くの同時に存在するというのがなおさら世知辛い。

 

「やっぱ、チームのサブトレとかから始めた方がよかったのかなぁ……」

 

「……」

 

「一体、何がダメなんだろう……」

 

 ぽつりと最後にそう溢して、彼は口を閉じた。背中を丸めたまま夕日を眺めるその姿からは凄烈な哀愁が漂っている。

 沈み切ったその横顔を眺めながら、僕も彼に倣って口を噤んだ。

 

 一体彼の何がダメなのか。

 

 能力は知らないが、新人とは言っても超絶エリートであるトレーナーとして認められているのだから、少なくとも必要分はあるはずだ。実際お試しで面倒を見た子は速くなったと喜んでいたらしいし。

 

 教え子の女子中学生相手にこれほど沈んだ様子を見せるのは教師としてはいかがなものかと思うが、まあ十四人連続で契約を断られたとなれば気落ちくらいするだろう。

 大人で社会人と言ったって、彼はまだそのスタート地点に立っているだけなのだから。前世持ちの身としてはそれくらいは理解してあげたいところ。

 

 人柄そのものでもないだろう。至って善人で問題は感じられない。

 見ず知らずのウマ娘が無茶な練習をしていたからとすっとんできて、その後も毎日様子を見に来るくらいなのだから、人格面はきっとこれ以上ない。

 他人を真摯に心配できる人間以上に、誰かを教え導く仕事に向いた人間などいないと僕は思う。

 

 

 ……ただ。

 一人のウマ娘として、彼というトレーナーを見た時に、不満に思うであろうこと。

 それがないわけではなかったけど。

 

「……新人トレーナーが担当契約を受けてもらい辛いっていうのは、実際仕方のないことだと思いますよ」

 

 その言葉を呑み込んで、僕は実もない慰めを口にした。

 

 事実ではある。

 アプリでも新人ゆえにスカウトが難航したというシナリオは幾つか読んだ覚えがあるし、今ウマ娘の一人として考えても、色んなトレーナーの中からあえて新人を選ぶというのはリスキーな選択と言える。

 おそらく先日にシンボリルドルフが見つけたであろう、運命的な出会いによって結び付けられた、アプリのトレーナーとウマ娘たちのような特殊例を除くならば、ではあるが。

 

 ただそれでも、担当契約が成り立たないことだけが不安なのであれば、彼には何かを急ぐ必要も焦る必要も悩む必要もない、とも思う。

 次の選抜レース、あるいはそこから少しした頃くらいには、誰かしらとは契約を結べるはずだからだ。

 

「それに、今はまだ僕みたいに色々と迷っている娘も多いと思いますから。もうしばらくすれば、ウマ娘側も契約に対して真剣になります。その頃には担当も見つかってるはずかと」

 

 何せ、トレーナーの数はウマ娘の数に対して圧倒的に少ない。

 トゥインクルシリーズでデビューするためにトレーナーの存在が不可欠である以上、デビュー戦が近付いてくれば切羽詰まってくる娘はいくらでも出てくる。

 例えばそういう娘たちを全員受け入れたとすれば、契約人数だけなら百人行ってもおかしくないのだから、ただそれを待っていれば、彼はその中からどのようにでも選んで契約することができるだろう。

 

 例えそれが、理想とは程遠い消去法的な選択にすぎないのだとしても。

 

「とりあえず、須藤さんはまた他のビビッと来るウマ娘を探さないとですね。案外次は簡単に契約結んでもらえるかもしれませんよ」

 

「……ま、そうだなぁ。結局、ただただ頑張るしかないってことか。……いやしかし、今日は悪かったね。愚痴なんかに付き合わせちゃって。本当に情けない」

 

「お気になさらずに。僕も前は醜態を見せてご面倒をおかけしましたから、これでお相子ということで」

 

 そんな考えは表に出さずに微笑むと、須藤さんは少しだけマシになった顔色で笑ってみせた。

 

 ……彼が言うとおり。

 結果を出そうと思うなら、ただただ努力して、ただただ何かを改善することしか方法はないのだ。

 例えそれが、無意味に終わるのだとしても。

 

 

 

「お、おかえりい……」

 

「ただいま」

 

 夕食とシャワーを済ませて自室に戻ると、いつもどおりタンジーの声が返ってきた。何だかちょっと声の響きが苦しそうだ。

 見れば、自分のベッドの上で足を伸ばして柔軟をしているらしい。硬い身体を何とか頑張って倒そうと努力しているが、指先を自分の足指に届かせるので精一杯の様子。

 

「ふぐぐぐぐ……」

 

「手伝おうか?」

 

「だ、だいじょうぶ……」

 

 全然大丈夫ではなさそうな呻き声を聞きつつ、お風呂用品の入った桶をパパっと片付ける。僕は美容にはほとんど気を使っていないため、手間はかからない。

 それから自分のベッドに上がって、彼女に倣うように柔軟を始めた。一応お風呂上りで身体は多少温まっているし、トレーニング後のケアは大事だ。ちなみに僕は小さい頃から色々やってきたので、どんな姿勢でも思うがままである。

 

 時折あがるタンジーの悲鳴をBGMに、身体を伸ばしたり引っ張ったりして調子を確かめる。

 疲れてはいるけど、どこかに違和感があるということはないし、痛みなんかもない。頑丈な身体には常々感謝している。

 

 そうしてしばらくしてから、僕とタンジーは同時にケアを終えた。ちょっと身体が楽になったかなという僕に対し、タンジーは息も絶え絶えだ。

 

 ぐったりとベッドに横たわるタンジーを横目に、僕は通学用のカバンから教科書とノートを取り出した。

 アスリートであると同時に学園の生徒でもある僕は、仮にも優等生の仮面を被る者として、最低限ではあるが予習と復習を済ませておかなければならないのだ。

 

「……今日も、長いこと走ってたみたいだねえ」

 

「ん? まあ、そうだね」

 

 やっと呼吸が整ったらしいタンジーの声に、教科書を確認しつつ時折ノートにペンを走らせながら対応する。僕は勉強の時それに集中したいというタイプではないので、割とよくある光景だ。

 

 ぱた、ぱた、と軽い音が時々聞こえるのは、彼女の尻尾がベッドを叩く音か。

 何か話したいことがあるらしいと察しつつも、僕は彼女に目を向けることはせず、ノートへと向かっている。

 

「最近、なんだか前よりさらに真剣だよねえ」

 

「……そうかな?」

 

「そうだよお。前も真剣だったけど、今は……ん~」

 

 言葉を探すように小さく呻いて、彼女は黙り込んだ。

 ……あるいは、言葉を選んでいるのかもしれない。

 

 タンジーとの会話は彼女の語り口もあってのんびりしたものになりがちだが、それは彼女の頭の回転がどうのという理由によるものではない。

 彼女は気配り屋であり、そのため会話の際には相手を傷つけない言葉、相手により伝わりやすい言葉、相手により役立つ言葉を探しながら発言する。それゆえに間が空きがちなのだ。

 

 だから、彼女が特に悩んで口にする言葉には、大きな意味が籠められていることが多い。

 

「なんか……焦ってるみたいに見える、かなあ」

 

「……そう、かな。自覚はないんだけど」

 

 焦っている。

 そう言われても、今一つピンとは来ない。

 僕には特別何かを焦る理由がなかったからだ。

 

 中央トレセン学園に所属するデビュー前のウマ娘がこの時期に焦る理由といえば、それは成績不振がほとんどだろう。

 模擬レースや選抜レースで目立った結果を残すことができず、トレーナーの目に留まる気配もなく時間が過ぎていく……それは決して少なくない、どころか本当によく聞く話だが、僕には関係ない。

 

 今のところトレーナーを付けていないのは事実だが、探しています、と言えば手を挙げてくれる人はそれなり以上の数いるだろう。

 ウマ娘にはトレーナーに選ばれる側の者とトレーナーを選ぶ側の者がいるが、僕は後者だった。

 

「ううん、絶対そう。最近のドラちゃんは、ちょっと急ぎすぎだよ。もう少しくらいのんびりした方がいいと思うよお」

 

「……」

 

 それでも、タンジーは確信を持ったように言った。

 

 もう少しのんびりする。

 ちょっとだけ力を抜く。

 確かに大事なことだ。余計な力を入れることに得はない。

 適度なトレーニングをして、適度な休憩をする。それが理想形。異論はない。

 

 ……でも。

 僕は確かに、それを踏まえた上で、やっているはずなんだ。

 焦っても急いでもいない。

 確かにあの日はらしからぬ真似をしたけど、それ以降はずっと、以前と同じように淡々とやっている。

 そのはずだ。

 

 そう思い込もうとしている自分から、今正に目を逸らそうとしているのだと、わかっていても。

 

「……ま、考えておくよ」

 

 彼女が僕のことを思って言ってくれているのだとわかってはいたけど、どうしても素直に頷くことはできずに、僕はそんな言葉で忠言を受け流した。

 そうして彼女がまた口を開く前に、彼女の思索に割り込むようにして言葉を並べ立てる。

 

「それよりもさ、明日ちょっと併走をお願いしてもいいかな。時間とかは合わせるから」

 

「ん……それは、もちろんいいけどお」

 

「よかった、それじゃあよろしくね。……今日はそろそろ、僕は休むよ。タンジーと並走するなら、早めに休んでおきたいし」

 

「……うん」

 

 どこか沈んだ声音のタンジーに目を向けることはしないまま、僕はペンを置き、勉強道具を片付けてさっさとベッドに潜り込んだ。

 

 ……逃げている。

 わかっていた。

 僕は彼女の言葉から逃げているんだ。

 決定的な言葉が、彼女の口から溢されるのが怖くて、耳を塞いでいた。

 

「ドラちゃん……」

 

 僕の名前を呼ぶ声にも、僕はぎゅっと固く目を瞑ったままでいた。

 

 焦ることに意味なんてない。

 そんなことは僕にもわかっていたけど、それでも。

 どこに行きたいのかもわからないまま、僕はずっと走り続けている。

 

 

 翌日。

 タンジーとの併走の予定を待つ間、僕は学園に申請して、幾つかのレースの録画データを確認していた。

 

 この学園は一応勉強なんかも教えてはくれるが、主目的はウマ娘の走りを鍛えるための学園だ。

 なのでトゥインクルシリーズなどの主要なものは勿論、学園内で行われた模擬レースや選抜レースなども、よっぽど個人的なものでなければほとんどは記録されている。

 そして、それらは研究のためであればウマ娘やトレーナーに対しては無制限に貸し出してもらえる。ウマ娘たちの成長に繋がることであれば何であれ惜しまない、という姿勢の一部とも言える。

 

 僕が今回申請したのは、ここ数年の間に学園内で行われた模擬レースの一部+αだ。

 共通項は、シンボリルドルフが出走していること。

 目的は当然、彼女の走りの研究。

 

「……」

 

 無言のまま、幾つ目かのレースの途中経過に集中する。

 

 彼女は序盤から好位に付け続け、今も映像の中で凪いだように落ち着いた表情を保っていた。

 彼女自身が何かをしている様子は伺えないが、周囲の娘たちが酷く走り辛そうに見えるのは、映像越しには伝わらない彼女の放つ威圧感に当てられてのものか。

 

 ……このレースに限らずだが、彼女は基本的に好位、でなければ中団に付け、特別な動きも見せずに淡々と走る。

 その割に周囲がめちゃくちゃに掛かったり、逆に委縮した様子でずるずると落ちていったりとレース自体は波乱に満ちる場合も多いが、ともかく。

 

 走り方そのものは、それほど異様なものには見えない。彼女だけを見ていればいっそ普通とさえ思える。

 どのレースでも落ち着きすぎてはいるが表情は真剣で、時折汗を拭うような動作を見せることもある。この姿を見ていると、彼女もただの一人のウマ娘にすぎないのだと、そうとさえ思える。

 

 ――しかし。

 恐ろしいことに、終盤に近付き、最終コーナーに入ってもなおその様子は変わらない。

 彼女一人だけを見ていれば、単に真剣にトレーニングに勤しんでいる――そんな風にしか見えない様子で。

 周りの娘たちをあっさりと追い抜き、引き千切って、その後は誰にも影すら踏ませないままに、圧勝する。

 

 他の娘たちが疲労困憊で倒れ伏す中で、彼女だけがただ当たり前のように勝ち、微笑を浮かべて観客席の歓声に応える。

 その光景だけが、何度も、何度も、何度も繰り返される。

 

 タイムを見れば、それは取り立てて凄まじいものには見えない。

 同条件の他のレースとさほど変わらないタイムしか出ていない。

 

 にも関わらず、彼女は、そのレースの全てにおいて。

 後続に距離を詰めさせることさえなく、勝利している。

 

「……っ」

 

 見れば見るほどに、嫌になるほどに、彼女は強い。

 

 まだデビュー前の、それもトレーナーさえ付いていない頃のウマ娘の走りであるにも関わらず、彼女の走りは背筋が寒くなるほどに強く、美しい。

 

 僕の目には、それはもう完成しているようにしか見えなかった。

 走りのフォームも、レース運びも、場面場面の判断から、顔色も変えずにその全てをこなしてみせる精神性まで何もかも。

 

 あとはもう、成長に伴って身体能力が向上し、ただ強くなっていくだけ。

 

「……こん、なの……」

 

 中には酷いマークを受けてバ群の中に詰め込まれたものもあった。

 お前だけは潰してやる――画面越しにそんな気迫さえ感じられた包囲。

 

 それでも、彼女は当たり前に僅かな綻びから抜け出してみせる。

 そして多分、その綻びを作り出したのさえ、彼女自身なのだ。

 

 いつもはただ走っているだけに見える彼女が、録画ではよくわからないくらいの小さな動きを幾つか見せると、どうしてか周りを囲んだ娘たちの動きが乱れる。

 それが何度か繰り返されて、おそらく囲んでいたはずの彼女たちも気づいていない間に、包囲が緩む。

 そうしたらあっさりとそこを抜け出して、呆然とする他の娘たちを置き去りにする。

 そのタイミングは、どうしてかちょうどいい仕掛けのタイミングになっている。

 そうして、圧勝する。

 

 この時、二着との着差は、七バ身。

 

「……どうやって」

 

 見れば見るほど、知れば知るほど、考えれば考えるほど、わからなくなる。

 

 彼女には弱点がない。

 スタミナを下地にして、ただ賢く位置取りし、ただ力強く加速し、ただ誰よりも速く走って、勝つ。

 

 特別なことをせずただ走っているだけに見えるから、いっそ華がないようにさえ思えるけど。

 その華のない走りに、僕は自慢の末脚をあっさりと磨り潰されたのだ。

 

「……どう、すれば……」

 

 ……僕は、いまだに。

 全力で走っているのに、呆気なく離れていくあの背中を、夢に見る。

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