音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
ティールマン楽長は学芸省に出勤し、今後の演奏会計画や、リハーサル日程の事務処理におわれていた。
新無憂宮の宮廷楽団は、シュターツカペレ・ノイエサンスーシーと名を変え活動し始めた。政府からの援助はそのままに営利団体へと鞍替えした宮廷楽団はオーディン以外の外地へ巡回演奏会も行わなければならない。
この春にフェザーンでの公演が予定されている。無憂宮から出たことのない楽団初の外遊公演で、いろいろ問題解決のための処理が多い。
細々とした事務処理を一通り終え、ティールマン楽長は学芸省の食堂で昼食をとっていた。
ふと向かいの席に同じメニューのプレート(ブラート・ヴルストにザウアークラウト添え、茹でジャガイモ、レンズ豆のスープにライ麦パン)を置き話しかけてくる男がいた。
ゲオルグ・ブロウチェクだ。
オーディン交響楽団首席指揮者で作曲家ハインリヒ・フォン・ブルーメンタールの一番弟子だ。
ブロウチェク氏はブルーメンタールに学んで作曲も志していたが、指揮者としての強靱な才能が評価されていた。
指揮者としてヴィルヘルム・フォン・ティールマンとゲオルグ・ブロウチェクは対照的だ。
おもにオペラ指揮者として楽曲の劇的な部分を掘り下げるティールマン、交響曲指揮者のブロウチェクは楽曲の本質を苛烈なまでに正確無比に再現する。
主情的で主観的な表現をむねとするティールマン、主知的で客観的な表現を墨守するブロウチェク。
楽員と人間的な交流の元にオーケストラを掌握するティールマン、楽員をネチネチと絞り上げながらもビジネスライクなドライさで楽員と接するブロウチェク。
まさに正反対だ。
「お忙しそうですね楽長。
そう言えばティールマン楽長、先だっての慈善演奏会にミュッケンベルガー退役元帥が聴きに来たそうですね。そこで臨時編成のオーケストラでブルーメンタールの第9交響曲をやったそうで、よくよくお引き受けになったものですね、、、、、」
(ブロウチェクめ、来るなり嫌みか!相変わらずだ。)
「退役元帥閣下は最近音楽鑑賞が趣味になったようでね、でもブルーメンタール殿の交響曲は難しいと仰られていた。もっとも私の演奏が不味かったのだろう。私自身、卿のようにシンフォニー指揮者ではないで、ブルーメンタール殿の弟子である卿のお眼鏡には叶わなかっただろう。」
(ブロウチェクめ、先手を打ってやったぞ。)
「いやいや、ブルーメンタール師は自分のシンフォニーをむしろ劇的な表現でやって欲しいと仰っていましたから、、、」
(むう、流石のティールマン楽長、オペラ指揮者はブルーメンタールの交響曲を充分に指揮できないと言ってやるつもりだったが、、、)
「ブロウチェク君、今日は何用で?」
「いや、オーディン交響楽団の演奏会計画の打ち合わせでしてな。先月のブルーメンタールの交響曲全曲チクルスに続き、次のチクルスをどうするかと言う話ですよ。」
「ほう、一人の作曲家を掘り下げたチクルスで有名だからな卿のオーケストラは。で、次は何をやるのかね?」
「これが、、、ティールマン楽長に言うのはおこがましいですが、、、ベートーヴェンの交響曲全曲チクルスです、、、」
ティールマン楽長のベートーヴェンといえば十八番であり、ベートーヴェンといえばティールマン楽長と言われるぐらい第一人者であった。
「それはそれは、ブロウチェク君の透徹した解釈のベートーヴェンは絶品でしょうな。」
「恐れ入ります。楽長のベートーヴェン解釈とは違いますが、ぜひお聴きいただいてご助言いただきたく思います、、、では、、、」(一本取られた、、、ブルーメンタールのシンフォニー解釈で意見しようと思ったが、やはりまだ勝てないか、、、)
目の前でヴルストを食すブロウチェクを眺めながらティールマン楽長はジャガイモにフォークを何度も突き刺しながら考える。
(ブロウチェクも音楽性は高潔極まりなく清潔な演奏をするのに、人間的にはどうも狷介だな。こういう余計なお喋りをしなければもっと尊敬されるだろうに、、、もっともブルーメンタール殿の交響曲に関してはもっと勉強せねばな。先だっての演奏会でもテンポ設定にまだ迷いがあるからな。あれで良いかブロウチェクめに聞きたかったが、こんな様子じゃな、、、)
最近、ゲオルグ・ブロウチェク氏の演奏は新時代に相応しい清新な解釈だとの評価もある。
ティールマン楽長は自分が去るべく老兵ではないかとふと思いつつミュッケンベルガー元帥の威厳に満ちた姿を何とはなしに思い出していた。