音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
ティールマン楽長は来春のフェザーン公演に向け学芸省内の練習場にて手兵シュターツカペレ・ノイエサンスーシーに公演曲目のリハーサルをしていた。
外地のフェザーンと言うことで、得意のベートーヴェンの交響曲第3番をメインにプログラムを組んだ。
「第一楽章、出だしの二つをもう一回やってみよう。」
楽長は指揮棒を振り、この英雄交響曲の印象的な出だしを演奏させる。
「ゴールドベルク君、最近どうも縦の線を揃えることに意識が集中し過ぎているように感じるが、あれかね例のブロウチェク氏の影響かね?」
「はい、ここのところブロウチェク氏の客演が多くて彼のリハーサルが染み付いたんでしょうね。」
コンサートマスターのダーフィット・ゴールドベルクは肩をすくめて語った。
「アンサンブルの精度に関してブロウチェク氏は大変厳格でして、その都度止めてネチネチと言われましたよ、、、何しろヴィブラートやピチカートも徹底的に揃え、いわく各パートは一人の奏者が弾いているようにやれと口酸っぱく言ってました。休符の際の楽器の持ち方まで指示されましたよ。」
「なるほどね、、、アンサンブルが良くなるのは良いことだが、どうにも厚みと重量感が損なわれるのも困りものだな、、、」
「諸君!総奏の際はコントラバスが聴こえてから乗るような感じで頼む。では、もう一度。」
高弦がずれ込むように和音が鳴る。
「もう一度頼む。ちょっと雑然としすぎだな。全体でハーモニーを意識して鳴らしてくれ。」
指揮棒を振る。ティールマン楽長の指揮ぶりは普段は身振りはあまり大きくなく下からしゃくり上げるように拍をとるが、いつより大きめにコントラバス順にから弦楽器全体をなぞるように振った。
「今度は良くなった。もう一度。」
重厚でしかし低弦からの階層が折り重なる様が耳で聴こえるような、深みのある立体的な響きになった。
楽長は満足してそのまま振り続け第一楽章を通す。
ティールマン楽長はアンサンブルを整える事に重きを置いてはいない。時折、意図的に合奏をずらす。機械的な正確さを旨とするブロウチェク氏とは違い、楽曲の有機的な生成や、楽曲に貫かれている精神の掘り下げのため敢えてアンサンブルを崩すときもある。
それは壮年期には楽曲全体のバランスを崩すときもあったが、キャリアを通じて円熟を重ね自然な表現になっていった。
ティールマン楽長の音楽はその楽曲全体が有機物のように息づき、血の通った生命力を感じさせるのが特徴だ。最近ではそこに加え造形への意識が強くなり、全体や部分の造形的な美を追究すべく、テンポ設定やアーティキュレイションなど繊細に気を配る音楽を志向し始めてきた。
聴くものに劇的な感興を与え、ときに熱狂させ、ときに深く内面に沈潜させるようなティールマン楽長の演奏は聴衆に絶大な支持を集め、かつてのフレーゲル男爵などを虜にしていた。
「諸君!いつもの卿らのルードヴィッヒBを思い出したようだな。大変結構。今回ホールの音響がどうなのかわからないのでな、何しろ初めて行くところであるからしてテンポに関しては本番で柔軟に対処してゆこう。卿らなら出来るはずだ。
明日は、各楽章でいくつか引っ掛かったところを詰めるとしようか。では、ご苦労様。」
リハーサルを終え指揮者室に戻る途中、ティールマン楽長は思いもかけない報告を受けた。
フェザーン公演の無期延期だ。いわく、帝国軍がフェザーンを占領したと。。。