音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
ヴィルヘルム・グラーフ・フォン・ウンヴェルツァークト・ウント・ティールマン氏は帝国暦422年に帝都オーディンの由緒ある音楽家の一族に生まれた。
フォン・ウンヴェルツァークト・ウント・ティールマン家(音楽家としての通称はフォン・ティールマン家)はルドルフ1世時代以降代々にわたって銀河帝国の帝室宮廷たる新無憂宮の宮廷楽長を務める家柄であった。
ティールマン家は、西暦時代の傑出した音楽家でオーケストラ指揮者クリストフ・ティールマンにまでさかのぼることができる。
クリストフは古代ドイツにおいて古典芸術音楽の大家として、あらゆる名オーケストラの指揮者として名をはせた。
後にルドルフ大帝も好んだヴァーグナーの楽劇の解釈では他に追随を許さなかったという。
13日戦争の際にクリストフ・ティールマンと彼のオーケストラはオーストラリア大陸に演奏旅行を行っていた。
地球の人類を殺し尽くさんとするような悲惨な戦争をティールマン氏と彼のオーケストラは、戦場から遠い地にて傍観した。涙とともに。
いく年か過ぎ、ティールマン家は地球統一政府の中心地にある最も偉大な芸術家として名を馳せた。
フォン・ティールマン家の家系録にこの時期の記録は欠けている。
その後のシリウス戦役の所為で記録が失われているようだ。
だが、記録が失われていてもティールマン家の血筋は続いていた。
音楽家を配し続ける家系といわれていた前王朝の記憶からは意外なことだが、芸術家である場合もあれば企業家である場合、技術者である場合、なにもなさなかった場合もあり長い歴史の中でこの一族の家系に彩りを加えていた。
国家革新同盟の若き指導者で銀河連邦の若き英雄たるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、当時のテオリア星立歌劇場の演ずる西暦時代の作曲家ヴァーグナーのオペラを好んでいて、しばしば星立歌劇場に足を運んでいたという。
当時のテオリア星立歌劇場の音楽監督は音楽家クリストフ・ティールマンの末裔たるアルフレッド・ティールマンであり、アルフレッドは先祖たるクリストフの偉業に憧れ、古典芸術音楽の作曲家と指揮者として活躍していた。
ペテルギウス方面の海賊勢力の討伐より帰還したルドルフ・フォン・ゴールデンバウム氏は、アルフレッド・ティールマンの指揮するヴァーグナーのオペラ「タンホイザー」を聴き感動し楽屋に指揮者のアルフレッドを訪ね友義を結ぶ。
そうした次第でアルフレッド・ティールマンは、後に国家革新同盟指導者、銀河連邦大統領兼首相、終身執政官、そして神聖不可侵たる銀河帝国皇帝になるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの文化的側面の片腕として銀河連邦末期の「ルドルフ革命」を支えることになった。
新たな支配体制のため皇帝ルドルフ一世は、貴族階級を新たに生み出し功臣らを貴族に列していった。
アルフレッド・ティールマンも文化芸術面の功績大として伯爵に叙せられアルフレッド・フォン・ティールマンを名乗る。
古典芸術音楽を奏でる一族は帝国ではいくつかあった。ウンヴェルツァークト家も名門として知られていた。西暦時代クリストフ・ティールマンと同時期にニコラウス・グラーフ・フォン・ウンヴェルツァークトという指揮者で音楽学者がいた。西暦時代の古代ドイツの一地方の伯爵家の末裔として生をうけ、貴族制度の衰退した西暦21世紀においてもグラーフ(伯爵)を名乗っていた。
ウンヴェルツァークト家もルドルフ一世によって貴族に列せられた、ただし伯爵ではなく子爵だったが。もっとも当時の当主フロリアン・グラーフ・フォン・ウンヴェルツァークト氏の時代には先祖より続くグラーフの称号の意味は解らなくなってしまっていたのでさしたる問題はなかった。
そのウンヴェルツァークト子爵家は帝国曆341年に当主フランツが年若く亡くなり断絶した。名家の名を姉のキルステンが嫁いでいたティールマン家に残すかたちで現在まで知られている。
以後フォン・ティールマン家はグラーフ・フォン・ウンヴェルツァークト・ウント・ティールマン家となった。
そして今にいたり新たな、しかし、ささやかな物語が始まる。
これは前王朝末期から獅子帝戦争時代と新帝国成立に至る時代の体制と芸術の関係を、ある一人の宮廷音楽家の退屈な人生に見いだし得たささやかな回答と、いにしえの記憶の断絶と継続を記した物語である。