音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝   作:フォン・セテム

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フレーゲル男爵の本音

ある日、ティールマン楽長はフレーゲル男爵より会食の誘いを受けた。

宮廷楽団首席奏者で同僚のダーフィット・ゴールドベルクを連れて行こうと思ったが男爵より御一人でとのこと。

 

ティールマン楽長は単身、ブラウンシュヴァイク公爵邸に隣接するフレーゲル男爵邸に赴いた。

 

部屋に通されティールマン楽長は驚愕する。

男爵の取り巻きであるヒルデスハイム伯や芸術愛好家のランズベルク伯すらも同席せず、男爵のみテーブルに座っていた。

 

「お招き頂きありがとうございます。本日はフェルディナント様御一人ですか?」

「楽長殿よく来てくれた。今宵は私一人だ。先だっての私の誕生祝賀演奏会の礼を言いたくてな。」

 

男爵は(昨今の彼には似つかわしくなく)いつもの尊大な素振りではなく、控え目で落ち着いた物腰であった。

 

テーブルには先程より使用人が料理と酒を運んでくる。

 

前菜にはじゃが芋のパンケーキとニシンの酢漬け。

飲み物は男爵家の食卓には珍しい黒ビール。ノイエ・クルムバッハ産の黒ビールである。

 

ノイエ・クルムバッハ産の黒ビールは造血作用があり朝食に飲む滋養あるパンと言われている。確かブラウンシュヴァイク公領の特産だ。

門閥貴族たるブラウンシュヴァイク公爵家の一門の食卓にしては質素だ。

 

 

「楽長殿、いささか驚いておろう。ノイエ・クルムバッハの黒は我がブラウンシュヴァイク公爵領で産する黒ビールのなかで最も名高い。そして、貧血ぎみで虚弱な幼い私を心配した叔父上に毎朝飲まされていたものだよ。」

そう言って男爵は黒ビールがなみなみと注がれた蓋付きの陶器のジョッキをさし上げ乾杯の後、旨そうに一口すする。

 

「幼い頃はこれは苦くて不味いものでね、さんざん叔父上を困らせたなあ。」

男爵はジョッキをテーブルに置きこちらを見据える。

 

「だけど、こうして今はあまり病気もせず元気に暮らせている。この黒ビールのおかげかな。楽長殿は黒ビールはお嫌いかな?」

 

「フェルディナント様、実は私も幼い頃は朝食に黒ビールを飲まされていました。ただノイエ・クルムバッハ産ではなくデュンケル・ホルシュテンというオーディンではありきたりの銘柄です。今では重厚で華やかな味わいのノイエ・クルムバッハ産の黒ビールを演奏会で疲労した身体に栄養をつけるためよく嗜んでますよ。」

「それは良かった。このビールにはニシンの酢漬けが合うんだ。」

 

男爵とニシンの酢漬けをつまみながらノイエ・クルムバッハの黒を呑み交わす。

 

じゃが芋のパンケーキもだいぶ素朴な料理だ。

「ある時お腹がすいて夜目覚めてしまったときがあって、使用人のマグダレーナに泣きついたんだ。そしたらこのじゃが芋のパンケーキを作ってくれた。あのときは美味しかった。」

ナイフとフォークできれいに切り分けじゃが芋のパンケーキを男爵は食す。

「マグダレーナにも世話をかけたなあ。思えば幼い頃は随分と甘やかされていたやもな。」

「父親を亡くした私は叔父上に息子同然に育てられた。叔父上には息子がいなかったのでね。私はわがままで欲しいものはすべて叔父上に与えられたものだ。」

 

男爵はどこか懐かしむようにじゃが芋のパンケーキを味わう。

 

新たな料理が運ばれてきた。

 

スープにピルツ・グラーシュ、ヴァルマー・クラウトサラート(キャベツとベーコンの温サラダ)、ターフェル・シュピッツとヴェスターラント名物ヴァイス・ヴルストなど続々と運ばれてきた。

 

「今宵は堅苦しいのは抜きだ。いささか質素な料理だろうが、是非楽しんでくれ。これらは私が好きなものでね。」

「このヴァイス・ヴルストは本来午前中に食べるものだが、私は早起きが苦手でね、なんとか昼過ぎにも食べられるように色々と工夫してもらった。」

 

ターフェル・シュピッツはともかく門閥貴族の一門でありながらわりと庶民的な好みなんだなとティールマン楽長は思いながら、何か温かい気分で食を進めた。

 

「普段贅を尽くした料理を食べてもな、結局自分の好きな食べ物や思い入れがある食べ物が、やはり心から満足するものだ。」

「この料理一つ一つにフェルディナント様の思い入れがあると?」

「そうなんだ楽長殿。これらは叔父上らと食卓を囲んだときによく出てきたものだ。幼い頃の何の憂いもない頃が甦ってくるようでね。そして楽長殿と話していてもそうなんだ。」

 

そもそもブラウンシュヴァイク家とティールマン家は両家の開祖であるヨーゼフ・フォン・ブラウンシュヴァイクとアルフレッド・フォン・ティールマンの友義により代々近しい。

当代のティールマン楽長ヴィルヘルムは度々ブラウンシュヴァイク家のサロンに出入りしていて幼き日のフレーゲル男爵との交遊がある。

 

幼いフレーゲル男爵はある日連れていかれた演奏会でティールマン楽長の演奏に魅せられ、楽長を尊敬していた。

 

「楽長殿、私が最初に聴いたヴァーグナーの楽劇「ジークフリート」は忘れたことがない。楽長の指揮ぶりに幕が進むたび私は興奮したんだ。」

 

「そのようなこともありましたな。あれ以来フェルディナント様は私が公爵家にお邪魔するたびお離しになりませんでした。」

 

「そうであったな。あれから色々音楽を聴き、それについて楽長殿に話を聞いてもらいたかった。質問もしたかった。さぞ叔父上も困ったことだろうな。」

 

食事も終わり珈琲ではなくワイン(これも公爵家には似つかわしくない銘柄だった)を酌み交わしながら男爵は嬉しそうに語る。

 

「叔父上は私にとって父上同然だが、楽長もそうだった。」

 

「楽長殿は昨今の私の評判を聞き及んでおろう。ブラウンシュヴァイク公爵の威光をかさにきて鼻持ちならないと。」

 

思わぬ物言いにティールマン楽長は言葉を言い澱む。

 

「わかっている。私もそれは自覚している。だがな楽長殿、門閥貴族の一員として昔のままではいけないと想ってのことだ。宮廷での争いもある。リッテンハイム家も政府筋のリヒテンラーデ家も我がブラウンシュヴァイク一門の隙をうかがいてぐすねひいている。その上世間で私が金髪の小僧と呼び憎んでいるラインハルト・フォン・ローエングラムもいる。」

 

男爵は昨今の帝国における若き英雄の名を出してきた。ティールマン楽長も少し緊張する。

 

「大貴族との争いは貴族同士の争いだ。だがな、ローエングラム伯と争いは帝国の背骨を揺るがす争いであろうと叔父上も理解している。」

 

暗い目付きでワインのグラスに注がれた黄金色の液体を見据える男爵。

 

「私は門閥貴族ブラウンシュヴァイク家の一員として義務を果たさねばならないと思ったんだ。叔父上のお役に立つため何ができるかと。」

「あのローエングラムに対抗するため私は必要以上に傲慢な振る舞いをしている。弱みを見せるわけにはいかんのでな。結果として周囲に敵を増やしてもいるようだが。」

 

ティールマン楽長は男爵の思い詰めた様子に心を揺すぶられた。

 

「フェルディナント様は、フレーゲル男爵閣下はあのローエングラム伯が帝室を揺るがす存在だと仰るのですか。」

 

「いや、楽長殿そこまでのものかはわからない。ただの野心家やも知れぬ。だが武勲の比類なさは昨今証明されている。私もイゼルローン要塞で一度目の当たりにした。」

「漠然とだが危機を覚えてな、叔父上とブラウンシュヴァイク公爵家そしてゴールデンバウム王朝を護るため覚悟を新たにしたんだ。」

 

暗く思い詰めた男爵の表情に明るいものが戻る。

 

「でも楽長殿、そういうのはやはり好かんな。自分で言うのもなんだが無理があるみたいだ。私はな楽長殿、本当はずっと美しい音楽を聴き芸術に身を浸していたかった。公の宴席でだす贅を尽くした料理より今宵のような叔父上と食卓を囲み楽しく食べた料理の方が好きなのと同じでな。」

「ブラウンシュヴァイク公爵家は開祖のヨーゼフ様の時代に大帝陛下より賜った領地を開拓するに多大な労苦を被ったそうな。無法地帯を平定するに乏しい糧食と弾薬で危機に陥ったことも幾度もあったと。元々テオリアの都会に生まれ内務官僚として暮らしてきたヨーゼフ様は贅沢してられず荒れ地を開拓し支配に服さぬ武装勢力を鎮圧し、権威をもって領民を保護し続ける毎日だったそうな。一時の休息にはテオリアでよく聴いた好きな音楽を聴き素朴な料理を食べたという。」

ヨーゼフ・フォン・ブラウンシュヴァイクはティールマン楽長の先祖アルフレッド・フォン・ティールマンの演奏した録音データを多数持ち込み領地経営の激務の最中に聴いていたという。

 

「私もブラウンシュヴァイク一門の一員としての責務を果たすため尽力する。だが、本当の心のありどころは違うというのを今日は知って欲しかった。今日は久しぶりに楽しかった。ヴィリー叔父様」

 

ティールマン楽長は幼き日のフレーゲル男爵が自分をこう呼んでなついていたのを久しぶりに思い出した。

 

「ティールマン楽長、これでだいぶ吹っ切れた。だがたまにはこういう席をもうけて楽長殿と酒を酌み交わしたい。よろしいだろうか?」

「もちろんですともフレーゲル男爵閣下、いつでも喜んでお供します。それとフェルディナント様、あまりご無理はなされぬよう。敵をむやみに増やさぬよう。お願い致します。」

「わかった。楽長殿の言うとおりにするよ。」

 

ティールマン楽長は何か温かい気分と同時にやるせない気分でフレーゲル男爵邸での会食を辞した。

 

再会を約したが、この後ティールマン楽長はフレーゲル男爵と二度と会うことがなかった。

 

 

 

リップシュタット戦役が始まってしまったので。

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