音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
帝国臣民は珈琲が好きだ。上は皇帝から、下は平民まで。
紅茶はあまり飲まれない、一部の趣味人のみ喫する。
飲み方は主にミルクと砂糖を好みで入れる。ブラックで飲むことは殆ど無い。末端の平民にいたるまで砂糖は必要量を少し上回るだけ配給されているしミルクは潤沢に供されている。
俗に言われる「皇帝様式(カイザーリッヒ・シュティール)」と呼ばれるミルクと砂糖を多めに入れる飲み方もある。
帝国ではこの「カイザー」がどの皇帝か議論がある。リヒャルト1世とかエーリッヒ1世、コルネリアス1世など。新王朝下ではもっぱら獅子帝ラインハルト陛下だろう。
ヴィルヘルム・フォン・ティールマン楽長もまた演奏会前に珈琲を愉しんでいる。楽長の好みは皇帝様式ではなくミルク抜きで少量の砂糖で飲む。演奏会後はノイエ・クルムバッハ産の黒ビールだが、本番前は珈琲と葉巻で集中力を高めている。
本日の演奏会はリップシュタット戦役で職を失った各貴族家お抱えの楽員の福利厚生のため結成されたオーケストラの指揮だ。
このオーケストラは常設では無いが歳々結成され失職したお抱え楽員の再就職が決まるまで、糊口をしのぐ糧となっていた。
ティールマン楽長もよしみで度々指揮を引き受けている。
今晩の曲目はハインリッヒ・フォン・ブルーメンタールの交響曲第9番をメインに、西暦時代のシューマンの序曲「マンフレット」とモーツァルトのピアノ協奏曲第21番。
ブルーメンタールは絶対音楽派の巨頭で、その交響曲はテキストによらず純器楽のみで壮大かつ構築的な音楽で有名である。
とりわけ交響曲第9番は構想の壮麗さと、素材において切り詰めたような厳格な単純さがその様式の極北と言われ、峻厳で哲学的な楽想は帝国の高踏芸術音楽の一方の頂点とブルーメンタールの反対者からも評価されていた傑作だ。
ティールマン楽長はこの70分ほどの大曲の総譜を本番前にチェックしていた。
最終楽章の中間部のフーガはとりわけ難所だ。臨時編成のこのオーケストラではいささか不安だ。リハーサルでは厳しくしごいた。声部の基準たる内声部とくにチェロの声部はブラウンシュヴァイク公爵家私設オーケストラの楽員であり信頼が置けたが、オブリガートをとる木管とくにフルートが不安定だ。件のフルート奏者はリッテンハイム侯爵家のお抱えの楽員で技量は優れているが他の奏者の音を聴かずアンサンブルを乱すのが頭痛の種だ。オーボエも音程が不安定で不満が残る。
合図があり、指揮台に向かい客席に会釈する。
その瞬間、あまりにも威風堂々たる偉丈夫、良く見知っている人物が客席に座っているのが見えた。
いささか場違いながら、でも堂々たる威厳で他を圧倒している。
前宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー退役元帥である。。。