音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
ティールマン楽長は指揮棒を振り上げブルーメンタールの巨大な交響曲を振りはじめた。
冒頭の弦楽器の弱音から木管が徐々に入ってくる部分。非常に緊張感に満ちた静謐な導入から、この交響曲の70分にわたるひたすら音響のみで構築される壮麗で劇的な音楽が始まる。
第1楽章の論理的な形式、古代より伝わる基本的な形式であるソナタ形式をブルーメンタールは拡大に拡大させた。個々の素材は非常に単純ながら聴取不可能なほど膨大な情報量のなか、その各部分が巨大な構築物として立ち上がってくる。
第2楽章の暴力的かつ雄壮なスケルツォ、前楽章の緻密な論理性を吹き飛ばすかのような荒々しい音楽。
第3楽章での瞑想的で深遠をのぞき込むようなアダージョ。ここでの楽想は甘さを排除した極めて厳格な音楽だ。
かつてはルドルフ大帝自身の厳格さと峻厳な風情を思わせると評価されていた。
この楽章をとりあげて「大帝交響曲」と言われることもあったが、作曲者ブルーメンタール自身は断固として否定したという。ルドルフ大帝を音楽で表現するなど不敬であるとして、件の記事を書いた評論家を社会秩序維持局に不敬罪として通報したほど。
そして終楽章は先行する3楽章の切り詰めたような素材をすべて駆使して壮麗かつ複雑無比なフーガが終結部のクライマックスに向けて高揚してゆき、最後はあっさりと終わる。
このような高度な交響曲を慈善演奏会で取り上げるとは、さすが各貴族家お抱えの楽員によるオーケストラだとティールマン楽長は思った。前述の「大帝交響曲」との評価ゆえか。
終楽章のフーガはやはりリッテンハイム侯爵家のフルート奏者が先走りアンサンブルが乱れ、危うく演奏が止まりそうだったが、ティールマン楽長の練達の指揮ぶりでなんとか事なきをえた。
演奏の最中も客席が拍手している最中もミュッケンベルガー元帥は威風堂々たる威厳で身じろぎもせず聴いていた。
終演後、ノイエ・クルムバッハ産の黒ビールを吞み疲れを癒やしていると楽屋に元帥が訪ねてきた。
楽長は軍務に服したこともなければ訓練も受けたこともなかったが、眼前の元帥の威厳に満ちた立ち姿に思わず直立不動になり手にしていたジョッキを取り落とし、黒ビールまみれになってしまった。
「楽長殿、突然の訪問御容赦願いたい。先ずはビールを拭いた方が良い。」と元帥は荘重な物言いで宣告しつつ長身を折り曲げ、ビールを拭くのを手伝った。
ティールマン楽長は思わず恐縮したが、凍り付いたように動けず元帥にこぼれたビールを拭かせてしまった。
一通り落ち着いたあと席に座り、おもむろに元帥は語り始めた。