音楽上の現実と歴史上の出来事~ 両王朝期の音楽家のささやかな評伝 作:フォン・セテム
「楽長殿、わしも趣味と言えば馬の世話くらいしかなかったもので、退役後暇を持て余してな。で、娘や妻に音楽鑑賞はどうかと勧められて最近は演奏会に良く出かけているよ。」
思わず背筋をのばしたくなるような堂々たる口調だが、現役時のような厳めしさがどことなく和らぎ、かつ穏やかであるようにティールマン楽長は感じた。
「今晩の演奏会の趣旨が先の内戦で失職した音楽家の慈善のためと聞き、何か一助になればと思い来たのだよ。」
「と同時に本演奏会の指揮者が卿であると言うことで、こうして会って話をしたいと思ってな。
ときに卿の一族はブラウンシュヴァイク公爵家と懇意にしていたそうだな。」
先の内戦で「賊軍」とされた貴族連合の首魁の名が出て、楽長はいささか緊張した。
「ブラウンシュヴァイク公オットー殿やフレーゲル男爵と親しく話し込んでいるの宮廷内外の園遊会などで垣間見てな。」
「元帥閣下、ティールマン家は家祖の代よりブラウンシュヴァイク公爵家とはお付き合いさせていただきました。」
「わしが退役を考え始めた時期にフレーゲル男爵とは良く一緒にいてな。イゼルローン要塞などでも軍務を共にしていたよ。
ある時男爵に話を持ちかけられた。ブラウンシュヴァイク公爵家一門とローエングラム侯らの間に戦が生じることがあったら、この書状をローエングラム侯爵麾下のメックリンガー提督に渡して欲しいと。これはその書状の写しだ。」
退役元帥は懐より取り出した紙片を楽長に見せた。
「内容はこうだと男爵はその写しをわしにくれてな、目を通してみていささか驚いたよ。」
ティールマン楽長はその書状を読み思わず落涙した。書状の日付があの二人で過ごした食事の日付であり、内容も驚くべきものだった。
そこには内戦となった際、宮廷楽長ヴィルヘルム・フォン・ティールマン以下宮廷楽団並びに、ブラウンシュヴァイク公爵家私設オーケストラの楽員は何ら政治的に不穏な要素はない。特にティールマン楽長は政治とは距離を置き音楽家として純粋に活動している。その他ブラウンシュヴァイク公爵家と懇意のあらゆる音楽家は政治的に中立であり、捜査や逮捕に及ばぬ。
この者らの保護をメックリンガー提督に委ねると。
こう書かれていた。
「男爵の為人は存じていたつもりだったが、意外な内容だと思った。そしてわざわざ内容の写しをわしにみせるというのも妙だと思ったが、今思えば余計な二心の無いところを示したかったのやも知れぬ。男爵はこうも言っていた。西暦時代のとある独裁国家で政治的に望ましくないとされた芸術家音楽家を酷寒の流刑地に追放したり果ては家族共々銃殺したという事例があったと。同じことが起きてしまったら帝国貴族としての責務を怠ったことになると。」
その話を聞き、涙を拭ったティールマン楽長は例のノイエ・クルムバッハ産の黒ビールをミュッケンベルガーに勧めた。
退役元帥は勧められた黒ビールで喉を潤してから、再び語り始めた。
「その時は軍務にかまけて失念していたが、退役後例の貴族連合とリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸との内戦が起こりそうだと思い、ふと思い出してメックリンガーに書状を渡した。内戦中にも卿らの自由は保証されたのをみるところメックリンガーめ艦隊編成などの戦闘準備で忙しいなか奔走したと見える。」
そう語り終えると何か満足そうに黒ビールを口にした。
「元帥閣下、その様なことがあったとはつゆ知らず私めもずいぶんと能天気に過ごしていたなと、元帥閣下にお手数をおかけしていたと。赤面の至りであると同時にメックリンガー閣下にもなんとも御礼のしようございません。」
「フレーゲル男爵にもというのも忘れておるぞ楽長殿。あと元帥閣下はよしてくれ。わしは退役したただの老いぼれだ。」
ミュッケンベルガーは席から立ち上がりつつ言った。
「以上のことを卿に伝えたかった。
では今晩の良い演奏会感謝する。美味い黒ビールも馳走になった。これで失礼いたす。」
出て行こうとする退役元帥は振り返り
「あと、楽長殿最後に演奏した交響曲はわしにはまだまだ難解でな、いずれご教示願いたいところだ。よろしく頼む。」
威風堂々と退出するミュッケンベルガーにティールマンは深々と最敬礼をして見送った。そこにいるミュッケンベルガーのほかにそこにいないメックリンガー提督と、今は亡きフレーゲル男爵にも。
ティールマン楽長は黒ビールを吞み干し、物思いにふけった。
帝都オーディンのある寒い夜の一時であった、、、