女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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勇者時代、辺境の地にて悪い領主に苦しむ人々とのこと

 

 その世界には魔法があったし、貴族が居たし、王国がたくさんあった。街並みはレンガ造りで、魔法によるインフラが行き届いた清潔な世界だった。学校があり司法があり宗教はそれなりに自由で、おおよそ美しいと言えるだけの理性を育める時代だった。

 だが平和かというと、そうでもない。

 その世界は、『魔物』、そして『魔王』という脅威を常に抱えていたのだ。『魔王』は世界征服を企んでいて、人類の敵対者だった。そんなわけで『魔王』討伐の任を請け負うものを『勇者』と呼んだり、人類が魔王軍と常に戦争をしていたり、なかなかに物騒なその世界で――。

 

「私はゴミだ……」

 

 その少女は、とある王国の辺境の街の路地裏で、そう呻いていた。栗色の長髪を後ろで子犬のしっぽみたいに結い、そして同じ色の瞳。どこにでもいそうな少女だったが、長いまつ毛に縁どられた丸い瞳はそれだけで人を魅了した――するはずだった。

 少女の瞳は、どんよりと死んだ魚みたいに暗い陰りで覆われている。これではせっかくの長いまつ毛も台無しだった。

 

「うぅ……この、つーんとすっぱい臭いのする生ごみにすら劣るゴミがわたし……わたしに生きる価値はないのです……あぅぅ、くさい……」

 

 路地裏の、飲食店の裏口だからだろうか。ゴミ箱から溢れた生ごみの臭いに涙目になりながら、少女はぶつぶつと腐っている。

 少女の名をフニと呼ぶ。

 フニは、限りなく自己評価が低い少女だった。そんなフニの頭を気楽に撫でる者が、一人、傍にいる。

 

「ほらフニ? そんなしょんぼりしてないで、早く行きましょう?」

 

 紅を引いた唇。艶やかな微笑み。ふんわりとうねる黒髪に、自信に満ち溢れた目つき。『美女』と言うべき女が、フニの柔らかい栗毛を撫でている。

 女の名を、マーニャと呼ぶ。

 マーニャは人類連合軍から正式に認められた当代の『勇者』だった。事実彼女の腰にはひとつ、鞘入りの長剣がある。

 

「ですがわたしは、ここで酸っぱい臭いを出すのがお似合いの腐ったクズなのです……」

 

 フニはどんよりとした瞳をマーニャに向ける。頭を撫でられながら見上げる栗色の瞳を、美女はにっこりと笑って見つめ返した。

 

「はいはい。でもフニ知ってる? 世の中にはねえ、あえて腐った食べ物を好んで食べる人もいるのよ?」

「腐ったものを……それは……とてつもないのです……」

 

 フニは「ひぇぇ……」とドン引いた様子でぶるぶる震えた。テンションは低い割にリアクションはそれなりなところが、フニの面白いところだとマーニャは思う。

 少女はマーニャに肩を抱かれたまま、路地裏から表通りに入った。正午だというのに、人通りは少ない。とぼとぼ歩くフニは腐っている理由を呟いた。

 

「はあ……まさか私が持っていた旅費入りの財布が、この街に来て早々スリにあうなんて……わたしは本当にどうしようもないゴミなのですね……」

「もうっ、そんな落ち込む必要ないわよ」

「でも……お金がなければ宿にも泊まれないのです……」

 

 『勇者』だから無限にお金を使えるだとか、そんな風に特権を許されるわけではなかった。知名度こそ高いものの特別な支援があるわけでもないのだ。その足跡は軍上層部にしか知らされないし、通行手形代わりの宝剣こそあれ、助成金はない。

 人類軍の鼓舞と、魔王軍への遊撃示威。

 それ以外はあんまり期待されてない。

 つまり、旅費は自分持ちだ。

 

「安心なさい。私を誰だと思っているの?」

 

 何を言っているんだろう、とフニはきょとんと首を傾げる。周知の間柄だというのに。そのままフニがじーっとマーニャを見つめていると、美女は堪えきれなくなったように微笑んだ。 

 

「私はマーニャ。当代の勇者よ」

 

 言い切った頃だ。

 フニのちいさなお腹が、『ぐ~』と音を鳴らした。フニがどんよりした瞳でお腹に手を当てる。マーニャは小さく溜息をついた。

 

「とりあえず、ご飯にしましょうか」

「でもお金はないのです……」

「そこは任せなさい。私は勇者よ?」

「はあ……」

 

 フニの表情はどんよりしたまま変わらない。困惑しているのか、それとも信じていないのか。マーニャも同じように感情の見えない笑顔を誇らしげに咲かせていた。

 フニのお腹が、今度は『きゅ~』と鳴る。

 

 

 

 

 ランチは表通りにあった、飲食店で済ませることにした。それなりに大きい店だ。料理も美味く、そこそこ人もいる。通りは人通りも少なかったのに。

 マーニャが蒸した白身魚とパスタ、フニは野菜を練り込んだ焼きたてパンを食べていると、水を注ぎにきた給仕の少女がガチガチに硬直しながらマーニャに尋ねてきた。

 

「あ、あのっ、勇者さま……ですよね……」

 

 そばかすと、日に焼けた肌が印象的な給仕の少女。少女の緊張しきった様子にも、マーニャは落ち着いた様子で笑んだ。

 

「あら、ばれちゃったかしら」

 

 表通りの大きな店だけあって、国の大きなニュースを掲載した新聞が切り抜きして飾ってある。その中でもマーニャが『勇者』の称号を授与されたときの記事は一番目立つところにあった。記事の写真では、この国の王様に宝剣を受け取るマーニャの姿が写っている。

 

「あの、そのっ、新聞で写真を見たことがあって、それですっごくきれいだなって、あのええと何言ってるんだろ私。とにかくその憧れで……!」

「――ええ。ありがとう」

 

 マーニャはパスタを一口。立ち上がって、肩に力の入りすぎている給仕の少女へと音もなく近寄った。さらりと間合いを詰める様をフニはパンをもぐもぐしながら見つめている。

 

「あなたの気持ち、忘れないわ」

 

 あ、と少女が小さな声を漏らすより先に、マーニャは少女の頬をそっと撫でた。二人の顔は近い。囁くような甘い声が、少女にだけ響く。

 

「私はあなたのためにも世界を救ってみせましょう」

「…………!」

 

 ぼふん! と耳の穴から蒸気でも噴き出したみたいに、少女の顔が真っ赤になった。最後にそっと少女の背中を人撫でして、マーニャはまた席に戻る。少女は夢見る乙女の瞳のまま早口に言った。 

 

「お、お代は結構ですのでッ……!」

「ありがとう」

「あのっ、あのっ、サイン! サインください!」

 

 少女が差し出したハンカチにさらりとサインをする様は実に慣れきっている。二人は堂々と無銭飲食をして店から出た。少女は何度も何度も頭を下げていた。

 店を出て、先ほどより更に人通りの少なくなった道を歩きながら、フニは隣のマーニャを見上げる。どんよりと。

 

「お姉さま。臭いことばかり言っていると、お姉さまも臭くなると思います」

「やあねー臭いだなんて。私変な事してないわ。ただ夢見がちな少女に『素敵な女勇者』っぽいことをしてあげただけじゃない」

「はあ……そうですね……。最初から目をつけていたんですか?」

「何となくよ。だけど自信はあった」

 

 そうなのだ。マーニャは特別誰かを騙したわけでもないし、嘘をついたわけでもない。満ち溢れた自信と演技力と人当たりのいい笑顔で少女をたぶらかし無銭飲食の許可を得ただけだ。

 フニは非常に重い溜息を吐いた。

 

「お姉さまは口先だけ(・・)で世界を救うお方……それに比べてわたしはなんてゴミなんだ……」

 

 マーニャは確かに勇者だが、それ以上に詐欺師だった。そもそも彼女は剣も振ったこともなければ銃も使えないし魔法の腕はからっきしだ。

 代わりにあり得ない量の知識と自信を持つ。

 だからかは知らないが、普通の人生に興味は無かったらしい。そうして詐欺師として旅をしているうちにこの国の王様を騙して『勇者』にまでなってしまった。本人は望んで勇者になるつもりは無かったが、なってしまったものは仕方がないと状況を楽しんでいる節があった。 

 

「にしても」

 

 さて、そんなこんなでマーニャとフニはお腹も一杯になったし小休憩を、という事で広場に出た。中央にある噴水では見事な水の芸術が咲き誇っている。流動的で、瞬きひとつで変化する美しさだ。マーニャはふむふむと腕を組んだ。辺境の街にしてはよく出来た噴水だ、と。

 これだけ素晴らしい噴水だ、さぞ華やかな広場だろう。

 ――だけど、と二人は辺りを見回した。人気は薄い。ベンチに座っているのはやつれた様子の老人一人。

 

「この街、なんだか活気がないわねー」

「そうですね。死んだ魚のようだと評される私の瞳のように、元気がないです」

「自覚あるのね」

 

 フニの頭を撫でて、マーニャはどうしたものかなと考えを巡らせ出した。この街には午前についたばかり。だけどこの活気の無さはさすがにおかしい。辺境の街というのは、防衛の観点からも国からは優遇されている。納税額とか、人員とか……。

 だというのに、街には男がほとんどいない。

 その時だ。ベンチに座った老人が突然顔を上げて、唾をまき散らしながら声を張り上げる。

 

「へっ、そりゃそうだろうよお!」

 

 唾棄した叫びは酒の酔いが混じっているとマーニャは気づいた。女はにっこりと笑って、老人にゆっくり近づく。

 

「あらあら、どうして『そうだろう』なのかしら」

 

 マーニャの笑みは見る者を蕩けさせる魅力にあふれていた。自分の美しさを知って上手に利用する才知がある。老人も、赤い鼻をこすってへらへらと締まりなく笑った。

 

「へッ……おじょうちゃん、旅人かい? この街はなあ、昔はそりゃあ良い街だったのさ。だけど先代の領主さまが死んで……いまの領主に代わってからはひでえもんさ」

「あらまあ大変なのね」

「若い男は兵士として取られて、税は上がるばかり。こんな街、魔物どもに潰されちまえばいい!」

「そうね、酷い領主」

 

 マーニャは笑みの質を変えて、柔和に頬を緩めた。隣にいたフニはすぐに気付く。お姉さまがこういう笑顔をするときは、いつも悪だくみを思いついた時だ。

 

「ところで聞きたいんだけれど、その領主の館ってどこにあるのかしら――」

 

 美女はその後も上手に老人をおだてて、機嫌よく笑う老人と別れた。マーニャはその後すぐにフニの耳元に口を寄せる。わざわざ屈んで。

 それくらい楽しいことを見つけたと、そういう訳だ。

 

「フニ。フニ。いいこと思いついたわ」

「はあ……いいこと、ですか。ちなみにどんな?」

「世直しよ。勇者のお仕事」

 

 マーニャは腰に手を当てて面白そうに目を弧にした。

 

 

 

 

 その日の夕方。辺境の街の、領主の館にて。

 長い机の上座に座る壮年の男が、上機嫌な笑い声をあげた。

 

「いやあ美しいお方だ。ははは、このような御仁がいるなら、世界は安泰だな」

「まあ、そのような事。光栄です」

 

 傍の席に座るマーニャは艶然と上手に笑ってみせた。見た人を良い感情にさせる表情だ。彼女曰く、詐欺師の条件の一つが演技力だとか。フニは贅沢なディナーをもぐもぐしながらふと思い出していた。

 フニを連れて領主の館まで行ったマーニャは、腰に提げた宝剣を門番に見せて領主の男と面会した。ついでに会食も望んでやった。

 特殊な加工を用いて王家の刻印がなされた宝剣は、それ一本で勇者の存在を示す。辺境の街の領主とて立場的には下になる。他人の金で食べる飯はうまい。

 牛すじ肉のワイン煮込みを切り分けていたナイフの動きを止めて、マーニャはにこにこ笑顔を少しだけ陰らせて、

 

「しかし、どうもこの街は活気がないようですね?」

「ええ……やはりおわかりになられますか」

 

 ストレートな意見に領主は沈痛そうな表情で唇を噛みしめ、額に手を当てた。

 

「ここは辺境の地。それだけ防衛費もかかるし、維持するために若い男手も必要だ。そのためやむを得ず税を上げ、人を徴用しているのです……」

 

 なるほどだから街に人気が――特に男がいないのか。

 牛すじ肉を、マーニャをまねて切り分け口に運んだフニは、硬めであんまり好みじゃない煮込み具合に無言のまま根暗になった……。

 

「心苦しいことですが、これも魔物に対抗するため。どうか理解をしていただきたい」

「そう。街を守るというのは、大変なことなのですね。無知でした」

 

 マーニャも領主の男と同じように、悲痛な表情で顔を曇らせる。

 相手と同じ仕草、表情をして親近感を湧かせ距離を詰める。これも詐欺師のよくやる常套手段らしい。恋愛でも使えるんだとか。

 どうでもいいけど肉が硬くてフニは自分のあごの弱さに僻みまくっている……。フニのあごはゴミなのだ……。

 

「ですがどうかご安心を。この私めが、必ずや魔王を打ち倒してみせましょう」

 

 上質な白ワインのように甘く、嫌味のない表情でマーニャは笑った。

 その後は和やかに会食は終わり、その日は館に泊まる事になった。辺境の館だからか、召使いは少なく勇者なのに扱いはおざなりだった。まあ嫌がらせでもあるんだろう。

 もちろん宿泊費なんか払ってない。 

 

「――ふーむ。あの領主、結構図太いわね」

 

 会食の数時間後。客室のベッドの縁に腰掛けて、マーニャは腕を組んだ。

 用意されたナイトガウンをいやらしいくらい煽情的に着ているマーニャは、むんむんと眉間に皺を寄せている。

 

「? 何のお話でしょうか」

「嫌味のつもりで鎌かけてもけろりとしてたじゃない?」

 

 ベッドで横になる少女の暗い目はいつもより瞼が下りている。

 肉は硬かったが美味しい料理に、その後に待っていた大きなお風呂。しょうがと蜂蜜入りのホットミルクまで風呂上りに飲めて、既にフニはうつらうつらと舟を漕いでいた。

 

「フニ。あの領主、たぶん魔物よ」

「はあ……そうですか」

「あら、驚かないのね」

「わたしの両目には魔法が掛かっているので……」

 

 領主を一目みたとき、フニには男が『魔物』なのだとわかっていた。世間一般に『魔眼』と呼ばれるものが少女の両目には、在る。どうせマーニャは知っていると思い告げるつもりがなかっただけだ。

 そしてその通りだった。

 

「さすがはお姉さま……魔法を使わずとも、人か魔物かを判別できるだなんて……それにくらべて魔法を使わないとそんなことも分からないわたしはゴミだ……」

「口先だけよ。私は魔法がからっきしだもの」

「口先だけで世界を救うお姉さまは素敵なのです……」

 

 落ち込んでいるのやら眠たいだけなのか。ぽーっとしているフニの前髪を、女は優しくかき分けつるつるのおでこを撫でる。穏やかな感触にフニは目を閉じて受け入れた。

 

「フニ。いいこと?」

「……?」

「私とあなたは二人で一つ。二年前、約束、したでしょう?」

「ええ……ええ……覚えております」

 

 フニとマーニャの出会いは、王立の魔法学園でだ。初めて出会ったのは全十二期の学園でフニは一期生、マーニャは十期生の時だった。一年間共に過ごし、もう一年を学園の外で過ごした。

 

「マーニャさまは、学園で孤立していた私をお救いしてくださいました。十期生のお姉さまと、一期生だったわたし。とても歳は離れていたけど心は通い合っていたのです……」

 

 フニは今年で13歳。マーニャは23歳。10も離れた歳の差だが、確かな信頼が二人にはある。それだけの経験を二人でしてきた。

 

「お姉さまは約束してくださいました。わたしと共に居てくれる、と。こんなゴミなわたしのお側に……」

「私からしたら、可愛い女の子なんだけど」

「わたしはゴミにすら劣る腐敗物……すぅ、すー……」

 

 むにゃむにゃ言いながらフニは眠りに就いた。その寝顔をマーニャはしばらく眺めてから、灯りを消して自分も眠ることにした。目を閉じ、隣から聞こえる大人しい寝息を音楽に考える。

 さて、明日の朝にでも決行するか、と。

 何をかって? もちろん魔物の討伐だ――勇者らしく。

 

 

 

 そこはじめじめとしていて、暗かった。蝋燭で照らされるだけの石造りの部屋。たくさんの男が牢屋の中に閉じ込められて、策越しに舌なめずりしている男――領主を怯えた目つきで見つめていた。

 そこに居た領主は、人の姿をしていない。

 毛むくじゃらで、人間より一回りも大きい体躯。獣の顔に太い腕。二足直立――領主は魔物だった。

 魔物にしては知能が高く、魔法で人に化けることだって出来た。だから先代の領主を殺し、その息子を名乗って街を支配した。あまりに簡単すぎて、魔物は人類を愚かだと馬鹿にしきっている。

 愚か者といえば、当代の勇者もそうだろう。何か怪しんでいるのは昨日の会食で見抜いていたが、そこから先には踏み込めそうかというとそうでもない。恐らくあれは、人類鼓舞程度のぞんざいな扱いだろう。まあ、勇者の事はどうでもいいか。

 魔物は朝食代わりに誰を食べるかに集中した。

 強靭なあごを持つ魔物は、成人男性の硬い筋肉がお好みだった。やはり若くて活きがいいのが一番だ――。

 

「あら、柔らかいお肉より筋の張った弾力が好みなのね?」

 

 昨日の牛すじ肉、ちょっと人に食べさせるには硬すぎるわよ――と、女の朗々とした声が響き渡る。振り返る。階段(・・)を降りてきたのは、美女と少女の二人組。

 勇者とそのお側付きだった。

 

「魔物の習性に関しては一通り学園の図書館で読んだもの」

 

 曰く、人食い。

 曰く、食欲旺盛。

 曰く、新鮮な人肉を好む――と。

 

「特にあなたのような、人間に化けられるほど知性のある魔物なら、それなりにじっくり味わうでしょう?」

 

 いつの間に入り込んだのか。魔物はすぐに臨戦態勢を整えた。バレたのなら仕方ない、殺すだけだ。

 殺気を発して全身の毛を逆立てる魔物に対して、勇者の女は何の気構えもなく立っている。腰の剣を抜こうともしない。 

 

「それにこの屋敷の構造。生きた人間を隠したままでいるには、それなりに防音性のあって人目につかない場所がいる……つまり地下よ」

 

 女はふわふわした黒髪を軽く払って、堂々と笑って見せた。嘲るような鋭さの口端に、魔物はじりじりと間合いを探る。相手は勇者だ。魔物側にも情報はあまり入ってこない謎の存在。特に当代の勇者は、『どこかがおかしい』らしい――。

 

「私、学園に居た頃はいろんな本を読んだのよ。魔法から芸術、文学、料理から勉学まで――それこそ建築学とか」

 

 女の楽し気なおしゃべりは終わらない。馬鹿な女め、と魔物は心の内だけで嘲笑した。あと数十センチで、一歩で詰められる距離に入る。そうすれば自慢の爪で首を掻っ切れば人間はお終いだ。

 

「この手の屋敷には、構造からして地下がある。それに食い散らかした残骸を処理するには水回りが近いと便利でしょう? だったら隠された地下室があるのは、台所の下よね?」

「人類はそうやって無駄口ばかり叩く。うるさい蝿と変わらないな?」

「ふふん。私、頭いいのよ。お馬鹿さん相手にはつい喋りたくなっちゃう」

 

 こっちの皮肉も無視して女は胸を張る。組んだ腕は自信の表れか、それとも。

 まあいい。既に間合いは詰め終えた。不快な女声ともおさらばだ。

 魔物は、脚を曲げることなく筋肉に力を込めた。筋の膨張は一瞬、床を砕いて体が跳躍する――壁をやすやすと貫通する爪が、女の首をッ、

 

「【守護(レジスト)】」

 

 ぽつりと、女が(・・)一言。複雑な幾何学模様が宙に浮き、その円陣が魔物の剛腕を軽々と弾いた。思わず魔物は飛びずさり、勇者への認識を改める。こいつはやり手だ――自慢の一撃を弾いた魔法につい賞賛の声を送ってしまった。

 

「一瞬でこれほど強固な防護魔法を……! これが、勇者――!」

「ああごめんなさい、私実は勇者じゃないのよ」

「はっ?」

「魔法なんて使えないわよ。銃も剣も無理。本職は詐欺師だし」

「はっ? はぁ……っ?」 

 

 何を言っている。

 何を言っている。

 何を言っている?

 魔物は混乱した。人間が、騙した? 圧倒的に優れているはずの魔物を――?

 

「ねえ、私みたいな詐欺師がどうして食っていけるか知ってる?」

 

 魔物が冷静になるより先に、女はひとつ、指を立ててそっと囁く。

 

「あなたみたいにころっと騙される者がいるからよ、お馬鹿さん」

 

 ブチりと、魔物の頭で音が鳴る。理性が消し飛び本能のまま再度突進した。それはおよそ目視不可能な邁進――触れれば人肉など簡単に弾け飛ぶ。

 迫る女。人体の反応速度を超えた一撃だ。

 これで死ぬ。

 死ぬはずだ。

 人は脆いから。

 秒と秒、紙のように薄い間隙で――隣の少女が、唇を動かした。

 

「【火球(ブレス)】」

 

 言葉よりも先に現象が現れた。

 ひやりとした空気が一瞬で燃焼する。ご、と音は聞こえた気がした(・・・・)。魔物の聴覚はそれ以上を捉えられなかったからだ。地下室全体の空気が薄い。それだけの業火が目の前に――勇者たちと魔物の間に顕現している。

 

「――これが、【火球(ブレス)】だと?」

 

 あり得ない。

 【火球(ブレス)】は魔物も使う簡単な魔法だ。ちょっとしたものを焼くとか、その程度の使い道しかないほど出せる炎の火力は低い。――ならばなんだ、この巨大な火の玉は!?

 それは、太陽の如き熱塊。

 触れれば即死は間違いないと、直感で魔物は悟る。

 

「あら、驚いてる? フニは大賢者の娘。その賢者からして『既に超えた』と評されるほどの魔法使いよ。――たかだか人間に化ける程度の魔物が勝てると思って?」

 

 言い切れば、魔物は言葉にならない咆哮を上げて突進する。最後の悪あがきをマーニャは笑った。フニはいつも通りの目つきで、一言呟くだけだ。

 

「【広がって】、【抱きしめて】、【焼いて】」

 

 灼熱が魔物を包む。異質の炎は魔物をやすやすと焼き、焦がし、口から入り込んで内臓すべてを炭に変えた。魔物は喉すら焼き潰されて怒号も上げることなくそうして死んだ。

 ぶすぶすと肉が焼ける焦げ臭さに鼻をつまみながら、マーニャは隣のフニを優しく撫でた。

 

「フニ。お疲れ様」

「お疲れ様なのです」

「召使いもやっぱり魔物だったわねー」

「抵抗も少なくお手軽にオムレツにできました」

 

 にしてもゾッとしない話だ。気づけば領主が魔物に成り代わり、人々は知らぬ間に魔物に支配されていただなんて。世の中一寸先は闇というが、一寸先に魔物の口が広がっていたとは想像もしないだろう。

 嫌な世の中ねー、と気楽に考えながら、マーニャは地下室をきょろきょろと見回す。最奥の扉にアタリをつけて、扉を開けた。

 そして、最上級の笑みを浮かべる。

 

「お姉さま、そこには何が?」

「ふふふ……みなさいフニ! この宝の山を!」

 

 見れば、灯りのない地下室だというのにキラキラとした輝き。フニは思わず目を細める。そこにあったのは宝の山、山、山。金貨に宝石に貴金属に骨とう品に……どれだけ貯め込んでいたのだろうか。

 

「あらやだ、これ王立美術館に寄贈された数百年前の絵画だわ。すっごく有名な画家のものなんだけど、王都まで送る際、盗賊に盗まれたんですって。ははーん、ここの領主が賊から買ってたわけねー。街の人から巻き上げた税金で」

 

 マーニャはうきうきと芸術品や宝石やら何やらを見つめては「これは古代のツボ……」「これは禁書指定された魔術書じゃない! やだウソ焚書されたはずでしょ!?」「これなんて先々代王妃の愛用してたダイヤのネックレス……! や、やばすぎて腰が震えてきたわ……」と楽しそうにしている。

 フニは純粋な疑問からつい訊いた。

 

「? それ、どうするのです」

「もちろん街の人にお返しするし、貴重な品は国に返還するわ。でも、ちびっとだけ拝借するつもり。そりゃあ勇者ですもの、人を救うお仕事を無償でやるなんて都合がよすぎるじゃない?」

 

 「それに今回みたいに、お財布を盗まれでもした時のために換金できるしね?」とマーニャ。なるほど良い考えだとフニは頷いた。

 

「お姉さまはずる賢いのです……わたしはそんな考えすら思いつかなかった……わたしはゴミだ……」

「いや、あのね。私がずるいだけですからね?」

 

 もー、と口を尖らせながらもマーニャは財宝をあちこち眺めて検分する。そして眩い輝きの中からあるものを見つけ、こっそりと微笑んだ。

 

「これがいいわ」

 

 マーニャは財宝の山から一つだけをつまみ取る。それは緑色の綺麗な宝石がはめ込まれたネックレスで、ため息が出るほど美しかった。この美しさの前にはフニはゴミ同然だろう。自分はゴミだ……。

 にこにこと、女は楽し気に笑ってネックレスを懐に隠した。

 まあ何はともあれ一件落着である。

 

 

 

 ――その後の話になる。

 その日の夜。噴水広場にはたくさんの人だかりがあった。

 わいわいがやがやと様々な人が笑い合い、酒を飲んでは踊ったりしている。その様子をマーニャとフニはベンチに座って眺めていた。

 

「にしてもまさか、こんなお祭りになってしまうなんてね」

 

 フニが領主に化けた魔物を討伐した後、マーニャはさも自分が魔物を討ったような顔で領主がため込んでいた財宝や金、食糧、――そして何より捕らえられていた人々を開放した。

 その結果がこれだ。こんなに人が居たのかと驚くほど広場は人で溢れ、夜だというのにあちこちで店が開いている。広場だけではない。街中から笑い声が聞こえてくるのだ。

 これからこの街はきっと良くなる事だろう。マーニャは親書を国王宛てに勇者の名前で送っていた。『厳格で真面目な領主を寄こすように』と。

 

「あ、あのっ、勇者さまっ」

 

 と、聞いたことのある声がマーニャを呼んだ。顔を上げればそこには昨日無銭飲食をした店の、給仕の少女がいた。そばかすと小麦肌が特徴的な。彼女は先日と同じくらい肩をガチガチに堅くして、首筋まで膨らませていた。

 

「なにかしら?」

「お酒は大丈夫ですか? おつまみ、もっと持って来ましょうかっ?」

「いいわよそんな、無理しなくて。今日はお祭りでしょう?」

「ですけどでも……この街を救ってくれた勇者さまになにかしたくてっ」

 

 少女の顔は赤い。このお祭り騒ぎの熱気にあてられているのか、それともただ緊張しているだけか。マーニャは酒を一口飲んでからくすっと笑った。

 

「あなたのそばかす、とっても素敵。かわいい」

「あわわわ……」

「なら、一緒に踊ってもらえるかしら。少し体を動かしたいの」

「そっ、そんなことでいいのなら……! あ、でも私、そんなに踊れないし……」

「いいのよ、いいのよ」

 

 ほら、手を貸して。――マーニャが少女の手を取って、左手を少女の腰に当てた。そっと胸元に引き寄せた少女の瞳は、街灯に照らされて夜空の星のように輝いている。

 

「こうやって傍にいて、体を同じように揺らすだけでも十分楽しい。でしょう?」

「は、はい……っ」

 

 最初こそ緊張していた少女も、ゆっくりと始まった踊りに慣れだすとようやく肩の力を抜いた。

 二人は周りの人たちと同じように、踊って、空間に溶け込んでいく。憧れの勇者様と踊る少女は夢見心地に、うっとりと。本当は詐欺師なマーニャはそんな少女の熱っぽい瞳を楽し気に。

 

「はぁーッ。お酒がうまいのです……」

 

 フニはマーニャがベンチに置いていったカップを勝手に取り、残っていた酒をぐいぐいと飲んでいた。どんよりした栗色の瞳はいつもより昏い。ちなみにこの国では子供の飲酒はおおよそ認められている。

 少女はカップの中身がなくなると、周りの人にお願いして酒を注いでもらってまた飲んだ。ベンチに座り込んで、マーニャと少女の踊りをぼーっと眺めている。

 やがてマーニャが踊りをやめて、清々しい微笑みと共にベンチへと戻って来る。

 

「ふふふ。人助けをして飲むお酒は美味しいわねー」

「そうですね……」

「あらやだ、フニ飲んでるの? めずらし」

 

 ああそうそう、とマーニャは懐をごそごそと漁りだした。いったい何をするのだろう。 

 

「はいこれ」

 

 マーニャが差し出したのは、領主の館で見たネックレスだ。艶やかな銀の鎖。美しい緑色の宝石がはまっていて、きらきらと輝いている。

 

「……? お姉さま?」

「じっとしていて」

 

 そう囁いた女は、少女の首元にそっとネックレスを飾った。旅人らしい無難で目立たない格好をしていても、宝石ひとつ胸元で輝くだけでおとぎ話に出てくるお姫様になれた。

 

「とっても似合ってる。かわいい」

 

 マーニャは我がことのように誇らしげに笑った。どんよりした眼差しでネックレスとマーニャの顔を交互に見比べているフニの頭を、女はついといった様子で撫でる。

 

「服の内側に隠しといてね。盗まれてしまうもの」

「…………」

「? フニどうしたの」

「わたしには似合わない宝石……お姉さまからのプレゼントなのに……わたしはゴミだ……」

 

 フニはいつも通り僻んでいた。もっと喜ぶとか、舞い上がるとか、ないのだろうか。だって宝石だ宝石。相変わらず自己評価の低い少女だなとマーニャは苦笑した。

 

「違うわよ、フニ」

「うえ……?」

「宝石はね、どんな女の子もお姫様にしてくれるの。宝石が似合わない女の子なんてこの世にはいない」

 

 そういうものですか、とフニはぼんやりと頷いた。マーニャはまた少女の頭を撫でる。くしゃくしゃと首が揺れるくらい。フニがうざったそうに目を細め、しばらくされるがままになっていた。何かを思案するように目を閉じ、やがて。

 

「なら――これは、お姉さまが」

 

 フニはネックレスを自分の首元から外すと、細い腕を伸ばしてマーニャの首元に付け替えた。きょとんと首を傾げる美女の、灯に照らされた表情をフニはただただ見上げている。

 

「わたしなんかより、お姉さまの方がお似合いです。お姉さまは、お姫様ですから」

「……本当に、この子は」

 

 女の、フニの頭を撫でていた手が小さく震える。手は頭から滑り、小さな耳、柔らかい頬、細いあご、長いまつ毛を撫で――我慢ならないと、突然フニに飛びついた。

 

「あーもう可愛い! フニ、やっぱりあなたと居る方が、つまらない学園で紅茶飲むよりも全然楽しいわ!」

「く、苦しいのです……」

 

 十歳も年上の女に全力で抱きつかれたフニは、むぐむぐと息苦しそうにしていたが、マーニャは抱擁をやめようとしなかった。

 祭りは夜明けまで続きそうだ。 

 

 

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