女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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旅人時代、悪い魔女に若返りの呪いをかけられた時のこと

 それは、どうやら玉座のようだった。

 

「数日前。ふいに未来を見た」

 

 武骨な石造りの椅子に腰かけているのは一人の女。冷えた刃のような美女だった。組んだ足はそれこそ身の丈の数倍はあろうかという長さの黒いドレスに覆われている。

 

「とてつもなく大きな……言い表しにくい感情が私を襲った」

 

 ――これは夢だろうか?

 マーニャは疑問に思う。何故ならマーニャの記憶には、玉座がある光景など存在しないのだ。それでもここが『王の間』なのだと判断できたのは、彼女が読んできた本から飛び出てきたかのようにそのまま(・・・・)な玉座だったからだ。

 

「それだけではなく。ソレは瞬く間に世界を覆って、美しい、美しい……黄金の光で祝福していた」

 

 女の低い語りはなおも続いている。

 やけに明瞭な夢だとマーニャは思った。人生のうち何度かは『これは夢だな』と自認できるものが幾つかあったが、それらの内容は大抵、意味を成さない混沌としたものばかりだったが。

 

「黄金の光を生んだのは、心を暗く浸した少女。稀代の天才だったが――導いたのはお前だった。フニ・フラ・フリペチーノに愛を灯したのはお前だったのだよ」

 

 しかし、どうもこの夢は違う気がする。

 寝ている間に攫われでもしたんじゃないかと不安になるほど精巧だ。

 

「人と魔物との戦争を、お前が終わらせてしまう」

 

 肘掛けに置いていた腕を上げると、ゆっくりと人差指をこちらに突き付ける女。彼女の表情には笑みも怒りも無い。武骨な造りの玉座と同じくらいに無機質だ。

 

「これは警告。未来のお前に……勇者たるお前に突きつけた指だ」

「勇者……?」

 

 口に出して、その言葉の意味を理解して、首を傾げて、そこまでしてからようやく気付いた。――女がマーニャの発した一言に対し、小さな笑みを浮かべたという事実に。

 これは夢であって夢ではなく。

 混沌ではなく整理された事象そのもの。

「……!」とマーニャの背に言い様のない震えが走る。

 

「忘れるな。魔物(わたし)(おまえ)は違う。祖が違う。生まれた星が違う。愛の意味が違う。子を成す価値が違う」

 

 今、自分は何を見ている?

 誰と話している?

 ここは…………何処だ?

 

「ま、待って。あなたは一体なにを言っているの……?」

「お前が博愛であるように、人が混沌を成すように、魔物という種は戦闘こそを是とするものだ。血の性に勝てるものなどいない」

「ねえ、これは夢なの――?」

「だから断言しよう」

 

 マーニャの問いに女は答えを返さない。

 代わりとでも言うかのように、女は、鋼鉄の意思を言葉にした。

 

諦めろ(・・・)。相互理解など不可能だ」

 

 夢は、夢であるからこそ沈みゆく夕陽のように美しい。

 女の黒い瞳の奥に、マーニャは茜色の空を背に笑う自身の姿を幻視した――それは未来の自分だった。何かを決意した表情だった。

 マリアージュという言葉を、そのまま形にしようとする自分が居た。

 

 

 

「だから私は、お前を呪おう」

 

 

 

 選択は既に始まっていると、そう忠告されているのだろう。

 まるで神とでも相対するかのような呼吸の重み。女の爪が胸に刺さるような感覚は夢の中だというのに鮮明に痛々しい。

 マーニャは全ての疑問を諦めて、それでも訊いておくべき唯一つだけを口にした。

 

「あなたは……誰?」

「私は古きもの。私は混沌を形にしたもの。私は魔物。私は……」

 

 ふいに女は笑顔を浮かべた。はっきりとした笑みを。

 そして、静かに唇がうごめいて。

 

「私は魔女。

 魔女パンネクウネ。

 だが、誰もが私を魔王と呼ぶ」

 

 本当はもっと長い名前があるけれど、それは(うつつ)で会った時にでも。

 なあに、もうすぐだよ。

 

 

 

 

 

 朝だ。

 フニは窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声で目を覚ます。ぱちりと瞳を開けば初めて見上げる天上があった。この天上の、染みの数はいったい幾つなんだろう。

 そうとも。二人旅はいつも『初めて』が沢山だ。今日とてそれは変わらない。

 

「~~!」

 

 体を起こし、隣で眠るマーニャを起こさないように声を殺してぐぐーっと伸びをするフニ。だがさすがに物音に目が覚めてしまったのだろう。隣のマーニャが「ううん……」とやけに可愛らしい声で呻いて、もぞもぞと身じろぎをした。

 フニは笑顔になった。笑顔のまま左へ首を巡らせた。

 

「おはようございますお姉さま。今日もいい天気ですね――ぇ?」

 

 そして、笑顔が凍り付く。

 

「ん……もぅ、姉さん、まだ起きるには早いわよぅ……」

 

 フニの疑問の声はもっともだろう。なにせマーニャはここまで子供らしい声音ではなかったのだから。

 いや……それ以上に。

 マーニャという23歳の女は、13歳の少女(じぶん)よりも背が低かったか――?

 

「………………え」

「………………ん?」

 

 体を起こした小さなマーニャと、フニの目線が交わって繋がり合う。

 その間たっぷり20秒。

 フニは思った。

 こんなに可愛らしい美少女なら、あれだけの美人になれるのは当然ですよね――と。

 そして先に声を発したのは幼マーニャの方であった。

 

「だ、誰っ。ていうかここどこっ!」

 

 その威嚇の表情と警戒の声音はまるではぐれてしまった子狼。狼狽してフニが何も言えない隙に布団を巻き上げそれで身を隠し、いっきに部屋の隅にまで跳んでいく様はまるで魚を店から盗む野良猫だ。

 

「お姉……さま?」

 

 あまりの現実にフニの思考が追い付いていなかったために、少女の口からはぽつりとしか言葉が出ない。フニは魔法において稀代の天才ではあったが、急な事態に対処できるだけの余裕がなかった。

 

「これは一体……。退行化? というよりも、時間の逆行……個人のみを対象にした巻き戻し……若返り……? 高度な魔法……というよりも、呪いか。なんにしたって人体を『巻き戻す』なんて真似は禁術だし、それに何より……」

 

 いつ? どうやって? 昨日は確かに同じベッドで寝たはずなのに……。

 ――などと部屋の隅から動こうとしない幼マーニャへの対処も忘れて、魔法的見地をぶつぶつと独り言にしてしまうほどフニの思考は硬直していた。

 

「……じろじろ見ないで」

 

 鋭い一言にようやくフニは現実に引き戻された。

 布団をローブのように使って体を隠し、顔だけを覗かせてこちらを睨む幼マーニャの姿には、かつてマーニャと出会った当初の自分よりも強い警戒心を感じる。

 

「あなた、誰」

「ええっと、ええと、あの、その、わたしはフニです……で、何から説明すればいいんでしょうか……」

「……誘拐、なの? 私が貴族の三女だから? 身代金目当て?」

 

 幼マーニャの言葉は、フニと違って的確だ。聞くだけで部屋の隅にいるのが本当にマーニャなのだと確信してしまう。

 

「あの、とりあえず誘拐とかじゃないんです。それよりもええっと……」

 

 何を口走っても信じてもらえそうにない頑なな視線は、更に険しさを増していく。敬愛してやまないマーニャ(かもしれない幼女)に剣呑な目つきでねめつけられて、フニはあたふたした。

 

「わたしは……」

 

 もはやフニの脳は沸騰寸前である。

 知恵熱で倒れるんじゃないかというほど顔を真っ赤にしたフニは、ああでもないこうでもないと汗を流し、柔らかい栗毛をよりふにゃふにゃにして、どうすれば信用してもらえるのか考えた。

 考えて、考えて考えて考えて考えて――そして混乱の中でようやくたった一言を絞り出した。

 

「あなたと……旅をしてるんです」

「――」

 

 その一言に、幼いマーニャが虚を突かれたように目を丸くする。ぽかんと空いた口はどんな言葉を発しかけたのか。「……っ」と震える喉に、フニは不安げな視線で見据える。

 

「あ、あの。マーニャ……さん?」

「…………そうだけど」

 

 帰ってくる言葉は、やはりかつてのマーニャのように慈愛に富んだものではない。鋭い槍のようだ。

 

「ていうか何で敬語なの」

「それはそのう……たとえ年下でも私にとってはお姉さまというか何というか……」

「……『お姉さま』、って」

 

 なにそれ、と幼マーニャは怪訝そうな目線だけで問うてきた。

 お姉さまはお姉さまだ――とは思うものの、それを退行した本人に説明するのはさすがに恥の感情が勝った。

 

「そ、それはそれとして」

 

 それはそれとして、と弧を描いたジェスチャーをするフニ。そこまでやって、手っ取り早い証明の方法にふと気づく。

 

「す、少し待っててくださいね! すぐ戻ってきますから! あの、動かないで! そこにいてくださいね!」

 

 フニはふわふわと羊のようになっている寝ぐせを直すこともせずに部屋を飛び出し、宿の店主から今朝の新聞を一部買ってすぐに部屋へと大急ぎで戻った。

 

「ほらっ、見てください! 新聞の発行年月日――ってあああ!」

 

 扉を蹴破らん勢いで室内に転がり戻ったフニが見たのは、部屋の窓から飛び降りようとしている幼マーニャの後姿だった。小さな足で窓枠に乗っかろうとする姿を見て、本能的にフニは魔法を起動。

 

「に、逃げないで!」

「――っ」

 

 幼マーニャを拘束し、そのままベッドに放り込んだ。その神業的な魔法操作技術に幼いマーニャの表情が驚きで染まる。

 無詠唱。それも起動まで一切の空白がない。

 これではまるで……神の手そのもの。

 

「――何よ、それ」

 

 若返りを起こしている現在のマーニャは年齢で言えば11歳になる。物心ついた頃から自身が魔法を使えない体質だと知っていた彼女からすれば、フニの神がかった魔法技術の高さは群を抜いて異常だった。

 自分と歳も近いというのに、扉の前で息を切らして涙目になっている少女は、もはやまったく別の『何か』だった。

 

「あ、危ないじゃないですかっ。怪我したらどうするんですか、ここ二階なんですよ……っ」

「……」

 

 幼マーニャは思う。

 この少女からすれば、人ひとりの首を捻り取るなど息をするのと同じくらい簡単なはずだと。

 だというのに、たかが宿の二階から飛び降りようとしただけで怒るのは、それだけ心配されている証拠だし、何より。

 

「……姉さん達と同じ顔だ」

「今何か言いましたかっ?」

「ごめんなさいって言ったの」

「……。……いいからこれ読んで下さいっ。日付のとこです」

 

 フニが頬を膨らませながら押し付けてきた新聞をぼんやりと眺めて、幼マーニャは小さく頷く。

 

「……まあたしかに。誘拐とか詐欺とかにしては、やりすぎよね」

 

 新聞の発行年月日は幼マーニャの知るものより丁度11年後を指している。他にもフニが見せた旅行雑誌や小説の発行年も同じだ。

 極め付けはこの国で流通している紙幣の発行年数までもが同じ数字を示していたことだった。非常に特殊な魔法によって印刷されたこの紙幣は何をやっても偽造が不可能だと幼マーニャは本から得た知識で知っていた。

 

「信頼する」

「え?」

「信じるって言ったの。いまの状況すべてを」

 

 むっつりと頬を膨らませて、先ほどの自分を恥じるように甘い上目遣いをしながら幼マーニャはフニを真っ直ぐに見つめ直す。

 ベッドの端に腰掛ける幼女の目線は、フニよりも低い位置にある。

 

「だから教えてちょうだい。これまでどんな事をしてきて、どうしてここにいるのか……あと……名前、もう一回教えて」

 

 幼女が持つ深い色をした双眸は何よりも澄んでいて、気高く美しかった――出会った頃の彼女と何ら変わらない。

 少なくともフニにはそう映った。

 

「フニです。フニ・フラ・フリペチーノ」

「そう。じゃあフニ。しばらくよろしく」

 

 フニが自然と差し出した手に、幼マーニャは少し戸惑ってから自身の手を重ね合わせた。

 

「では、じゃあ、何から教えましょうか……」

「出会いから。簡単にでいいから」

 

 フニは幼マーニャの隣に座り、出来る限り分かりやすく彼女と出会ってからの全てを伝えた。ふんふんと興味ありげに頷きつつも気になったところを質問する幼マーニャの助けもあり、スムーズに情報は伝わっていく。

 

「――なんとなく、わかった。いや納得はしてないし全然意味わかんないけど」

 

 フニのたどたどしい説明を聞いて、幼マーニャは何となくではあるが現状を理解した。

 つまり今の自分は、何らかの呪いによって11年分『巻き戻し』の状態にある――そして何より重要なのは、だ。

 

「で……治るの?」

 

 幼マーニャが一番気になるのはそこだった。幼マーニャが元に戻れないとフニ達の方が困るだろうと考えての質問だ。

 フニは眉をしょんぼりと八の字にしつつも頷いた。

 

「一応なんとか……。専門の機材もないので簡易的な検査ですけど、わたしが調べた限りでは現代の技術でも解呪可能な魔法ですから。あてもありますし。ただこの場で今すぐに、という訳には……」

「じゃあ、その専門の機材?ってのがある所へ今から行かなきゃいけないってことよね?」

 

 今後どうすべきかを明確にする幼マーニャの言葉に、フニの表情はぱあっと明るくなる。後ろで結った子犬の尻尾みたいな栗毛もふりふり揺れた。

 

「そうです! さすがです! 理解が早いですねマーニャさんは!」

「…………そ、そんな褒めても何も出ないわよ」

 

 褒められて頬が緩む幼マーニャ。その様子を微笑ましく見つめられていることに気付くと、こほんと咳払いしてから表情を切り替えた。

 

「じゃあ、さっさと行きましょ」

「え……」

「行かなくちゃいけないでしょ、呪いを解ける所に。そうと決まればまずはご飯食べましょ」

「呑み込みが……早いんですねぇ……」

 

 そんなこんなで二人は旅支度と朝食を済ませると子供二人で旅を始めた。割愛するが割と色々あった。そしてマーニャが若返りの呪いにかかってから数週間後の事である。

 

「――ふむ。恐ろしく高度な呪いだな」

 

 幼マーニャをしげしげと観察していた男がそう呟いた。ぼさぼさの頭に無精ひげの生えたその男の名をアリ・アル・フリペチーノと言う。フニの父親にして“大聖上”とも呼ばれる偉大な魔法使いである。

 ここはアリが主任を務める研究所だった。地理的にはこの国の王都より少し離れた位置にある。フニが言う『専門の機材のある場所』とはアリの研究所を指していた。

 

「だが神代の神秘というわけでもない」

「じゃ、じゃあ……!」

「安心しろ。我々と同じレベルの魔法だ。解析には時間がかかるだろうが……解呪自体は不可能ではないだろう」

 

 フニは父親の言葉にほっと胸をなでおろした。魔法の分野において偉大な功績を持つ父親がそう言うのなら信じて問題ないだろう。

 所内には休憩中なのかアリの他にも何人かその場には居た。アリと同じく魔法研究を生業とするプロだ。大の大人たちに囲まれてじーっと観察される幼マーニャの表情はやや硬い。フニは彼女の隣で自分よりも小さな手をそっと握った。

 

「にしても興味深い現象だなあ」

「ああ。話を聞くに、11歳までの記憶に問題はなく肉体的にも不具合はないんだろう?」

 

 幼マーニャはこくんと頷く。

 

「11年分の個としての連続性は保たれているということだ。11歳の彼女と23歳の彼女が入れ替わったかのようなこの現象を一体どうやって引き起こしたのか……分からなさすぎてたまらないな」

「……」

「――などとくだらない事ばかり言っていると娘の視線が痛いから、まじめに解析作業に取り掛かるとしよう」

 

 アリの言葉と極寒零度のフニの目線に追われるように、その場に居た研究者たちはそれぞれの仕事場に戻っていく。アリもそれに続いたが、去り際にフニに指示を出した。

 

「フニ。五棟資料室へ行って3番から12番までのファイルを持ってきてくれ。この呪いと類似の法則性がある」

「わかった」

 

 父娘がするにしては事務的な会話だった。幼マーニャは五棟資料室とやらを目指すフニの隣を歩き、それなりに広い敷地を持つ研究所をきょろきょろ眺めつつ少女に問う。

 

「フニの家族ってみんなああなの?」

 

 アリとフニの間にある冷えた関係のことを言っているのだろう。純粋な疑問の口調に、フニは小さく苦笑して見せた。

 

「わたしには父しか家族がいないので他は知りませんが……わたしの家はかなり変わってると思いますよ?」

 

 別に仲が悪いとか、そういうわけじゃないですし。――とフニは気にした様子もなく付け加える。幼マーニャは『父しか家族がいない』という言葉に踏み込み過ぎたと首を縮めた。

 

「ご、ごめんなさい変なこと聞いて……私の家とは全然違うから少しびっくりしたのよ」

「謝る必要なんかないですよ。わたしが気にしてないんですし」

 

 なら、いいんだが。そっと伺ったフニの横顔には快も不快もなさそうだった。

 

「そういえばマーニャさんのご家族はどんな感じなんですか?」

「……なんていうか、過干渉って感じ。毎日息が詰まるの」

「確か姉妹が上に二人も居るとか……なんだか毎日楽しそうですね」

 

 二人は他愛ない家族の話をしながらアリに言われた資料室までを歩いた。この頃には幼マーニャもフニをずいぶん信頼するようになっていた。

 さて五棟資料室に到着した二人は、室内でアリから言われたファイルを集めだす。整然と棚に並べられるファイル群の数々と、あまり人の出入りがないのだろう埃っぽく少しカビ臭い空気に、幼マーニャは少し不安になってフニのすぐ側から離れないようにしながら口を開く。

 

「これ全部研究中の資料なの?」

「いえ、ここにあるのは失敗に終わった研究物をまとめたものです」

「失敗?」

「えーと……禁術と言うのが一番正しいかもしれません。強制的な種の進化や改造、時空改竄、事象の書き換え、洗脳とか……」

 

 フニはこの研究所でアリの手伝いをしていた時期があり、この資料室にも何度か入ったことがあるらしい。てきぱきと言われた番号のファイルを集めながら、幼マーニャに説明を続ける。

 

「人が踏み込んでいい領域を測るための研究――父はそれらに類似の呪いだと言いました。マーニャさんの身にかけられた呪いはその域にあるということなんです」

「……」

「大丈夫です」

 

 つい押し黙ってしまう幼マーニャに向かって、フニはにこりと笑顔を浮かべて見せる。やけに大人びた笑みだった。

 

「あなたは絶対に守りますから」

 

 その決意は、どうにも目の前にいる幼マーニャに向かって言っているようには感じられなかった。

 たぶんフニはずっと前に同じ誓いを立てたのだろう。――大人のマーニャに対して。

 

「……ありがと。ならちゃんと守ってね」

「ええもちろん。資料も集め終えましたし、ここちょっとかび臭いですよね。出ましょうか」

 

 二人はファイルを抱えてアリの研究室まで戻った。男は既に机に向かって何かの作業に没頭しており、自分の娘が扉を開けても気づかないほどの集中力を見せていた。

 

「お父さん。持ってきたよ」

「ん。助かる」

「なにか手伝えそうなことある?」

「いや、今はいい。必要になったら呼ぶから、空いてる寄宿室を使ってくれ。鍵の場所とかは言わなくても大丈夫か」

「私たちにとってここが家みたいなものでしょ」

 

 勝手知ったるといった様子でフニは頷く。次に幼マーニャへと向き直った。

 

「じゃあわたしは先に部屋に寄って荷物を整理しておきますね。マーニャさんはどうしますか? 見学したいなら案内しますよ」

「んー……ちょっとおじさんと話をしてってもいい?」

「いいですけど……」

 

 フニはきょとんと首を傾げてしまう。アリ――こんな男と一体何の話がしたいと言うのだろう。

 

「面白い人じゃないですよ。それに無神経だし、失礼だし、気遣いもできないし……」

「自分の親をなんだと思っているんだ」

「でも事実でしょ」

「まあそうだけど」

 

 ――変わった親子だなあ。

 淡々とした会話のキャッチボールは、見ている幼マーニャには目新しく映る。フニはそんな幼女の片手を包み込むように握って、不安そうに言葉を重ねた。

 

「いいですかマーニャさん。変な事をされそうになったらすぐに大声を出してくださいね。すぐに飛んできますからね」

「う、うん。わかった」

 

 やけに過保護なフニは旅道具を抱えて部屋を後にする。二人きりになると、室内にはアリがペンを走らせる物音しかしなくなった。こちらが話しかけるまで口を開こうとしない辺りは、確かに気遣いとは無縁の生き方をしているみたいだ。

 

「ねえ。ここはどういう所なの?」

「文明の最先端だよ」

 

 帰ってくる答えは実に端的だ。

 

「文明の、最先端?」

「ああ。ここでは様々な魔法の実証実験が行われている。それなりに歴史のある研究所でね、ここから今の社会を支える魔法が生まれたことも何度かある」

「難しそうな話ね……」

「そんなに難しくはないよ。ありとあらゆる可能性を試すだけだ。やることは単純さ」

 

 だけど、その『ありとあらゆる可能性』とやらを全て試すのが一番大変なんじゃないのか? と幼マーニャは考えてしまう。彼女は自身が魔法を使えないことは十分に理解していて、だからこそ人一倍魔法と言うものについて理解を深めようと努力している。

「魔法」は、言ってしまえば万能の力だ。

 使用者の能力次第では無限の可能性に満ちている。彼ら研究者が成功だと思える結果を得るために行う試行数はそれこそ尋常なものではないだろう。

 

「これは単なる好奇心なんだがね」

 

 そんな事を考えていた幼マーニャに、アリは質問をぶつけてきた。

 

「どうなんだ、一体。私からすると今の君はとても特異に見える」

「どうって……まあ、いきなり未来の世界に跳んできたって感じ?」

「ほう」

「あなた達が言うみたいな大人の私について覚えていることなんて何もないし」

 

 だから今のマーニャからすれば、自分は知りもしない相手が自分の事を覚えているというのが非常に不気味だった。

 この研究所にたどり着くまでに一度王都にも立ち寄ったのだが、王都に隣接する学園でも、「マーニャ」を知る者は数えきれないほど居た。それどころか何故かは知らないが王族とすら知り合いだった。

 そして何より驚いたのは。

 

「大人の私を、みんなが愛しているのが、なんていうか……不思議」

「大人の君は理知的で、礼節を知る立派な女性だったよ」

「今の私はそんな素敵な人じゃないもの」

「そうか?」

「そうよ。他人の好意なんて……」

 

 幼マーニャはアリから目線を逸らして遠くを見つめる。澄んだ輝きを湛えた瞳は、大人の彼女に比べれば覇気がなかった。どちらかというと硬質な色をして物事を捉える冷めた目つきだった。

 

「――苦手、そういうの」

 

 アリは、マーニャの家族関係までは興味がない。フニの大事な親友だということ以上に踏み込む気はなかった。だから少女がどこを見つめて、誰の顔を思い起こしながら言葉を紡いだかに焦点を当てるつもりがなかった。

 

「……まあ、無償の感情ほど信用しづらいものもない。それは確かだ」

 

 だけど、

 

「それだけ真っ直ぐな思いを向けられるというのは、想像すら出来ないほどの努力の結果だろう。信頼というのは維持する方が難しい」

「……」

 

 至高の賢者として“大聖上”の名を下賜されるほどの男が言う『信頼』の一言は、それだけ重い。幼マーニャにもそれくらいは分かった。

 大人の自分がどれだけ素晴らしいのかも、フニとの短い旅で理解させられた。

 

「元に戻る……つまり呪いが解けて、23歳の自分に元通りっていうのとは少し違うと思う」

 

 居心地が悪いとは思わない。むしろ信じられないくらい快適だ。

 自分を――未来の自分を慕う、稀代の天才少女がいて。

 かつて在籍していたという学園には知人がたくさんいて。あまつさえ王族や軍とすら人脈を築いていて……。

 

「私は元いた世界に帰るだけ。そして、あなた達の知る『私』が帰ってくるだけ」

 

 だから、ここは自分が居ていい世界ではないのだろう。

 この世界を勝ち得たのは他でもない未来の自分だ。かつての自分がのうのうと浸っていいぬるま湯ではない。求められているのは自分であって自分ではないのだ。

 

「おじさん、私が元に戻るまでどれくらいかかりそう?」

「そうだな。ざっと計算して……一週間といったところか」

「ふーん」

「暇なら時間つぶしになりそうな書物でも用意するが」

「ううん、いい。フニにお願いするから」

「そうか」

 

 突然アリがにやっと小さく口端を綻ばせた。声も出さない微笑みに、つい幼マーニャはその意味を尋ねてしまう。

 

「……なに?」

「いや、なんでもないよ。フニはいい友人と出会えたなと思っただけさ。あいつの人生で一番の幸運だろうな」

 

 それは、過大評価って奴だと思う。幼マーニャは謙遜でもなんでもなくそう感じた。

 どうも未来の自分は他者から素晴らしい評価を得ているようだが、マーニャという人間は本当は臆病ですぐに弱ってしまうただの女だと知っている。絶対に一人で生きることが出来ない、生きるだけで生き辛い、そういう人間だ。

 それに何より、

 

「……友達とか出来たことないから、そういうのはわからない」

 

 幼マーニャはこれまでの人生で友達がいなかった。魔法が何一つ使えない少女は、他の子供たちの遊びに混じれない。同じことが出来ないという事実ひとつで、壁を感じる程度には卑屈なのが11歳のマーニャだった。

 

「……あー。いや、すまない。悪気はなかった」

「……」

「こういう時なんと言えばよかったんだったかな。ええと確か……」

 

 爆弾発言に地雷を踏みぬいたと気づいたアリは、しかし、不器用な男であった。そういう変なところで下手くそな辺りは確かにフニそっくりだ。

 

「いいよ別に。そういう気遣い、気持ち悪いし」

「そうか……」

「そろそろフニのとこに行くね。寄宿室ってどこ?」

「あ、ああ。地図を書くから少し待ってくれ」

 

 メモ用紙にさらさらと所内の地図を書いたアリは、それを幼マーニャに手渡した。

 話に付き合ってくれてありがとう、おじさん。

 そう言い残して幼マーニャは地図に従って寄宿室へと向かった。管理人に聞けば、フニは一番奥の部屋を借りたとのことだ。その部屋に行けばフニは荷物を解いて、文庫本を読んでいる最中だった。

 

「フニ」

 

 少女が、言葉に反応して顔を上げる。椅子に座る少女の奥には開いている窓があって、そこから柔らかい風が部屋中に流れ込んできていた。

 季節は春。

 鮮やかな桜を背景に全幅の愛情を表情にする栗毛の少女は、今まで見た誰よりも美しい。

 

「どうかしましたか、マーニャさん」

「…………なんでもない」

 

 見惚れていた、などとは死んでも言いたくなかった幼マーニャはもうひとつある椅子をフニの隣に並べて、こちらを見上げてくる少女に問うた。

 

「なんでもないけど、隣に居ていい?」

「ええ。どうぞ」

 

 じゃあ遠慮なく。

 幼マーニャはフニの隣に座る。ぴったりと肩がくっつくくらいの近さで。

 

「……」

「……」

 

 ともすれば相手の息すら感じられる距離。フニが無言のまま頬を赤くして、少しだけ幼マーニャから離れた。――それが幼マーニャには少し気に入らない。

 

「ちょっと」

「な、なんですか?」

 

 フニは照れ隠しのつもりなのか、誤魔化すように笑っている。そういう態度もなんだかむっとくる。

 

「なんで離れるのよ」

「いやその、近くないですか? 近いと思います……」

「そんなことないわよ。ほら、いいから」

 

 消え入りそうなフニの声も無視して、幼マーニャはがつがつと椅子を動かしてフニとの空いた距離を詰めた。

 

「ひわわわ……」

「なによその声」

「な、なんでもないです……」

 

 ひょっとすると自分は、アリとの会話で気が立っているのかもしれない。だがそれを差し置いても、フニの反応は結構面白い。

 自分より年上なのにすぐおろおろして、顔を赤くして。可愛いなと幼マーニャは思う。

 きっと未来の自分()、フニの事が大好きなんだろうな、と。

 

「ねえこれ、どんな話なの?」

「ええと……こ、これはですね、恋愛ものです、古典的名作です」

「ふーん。……おもしろい?」

「ええ、とっても!」

 

 フニは頬の朱色を残したまま、大きく首を縦に振った。先ほどまでの恥じらいを上塗りするその仕草は、よほどの感情の表れなのだろう。

 

「マーニャさんはこういう小説は読みませんか?」

「……あんまり興味なかったから」

 

 幼マーニャは、学術書を読み漁るのは好きだったが、大衆向けの娯楽小説にはまったく興味がなかった。未来の彼女を知っているフニは驚くかもしれないが、現時点ではそんなものを読んでも何の足しにもならないと思っている。

 本とは叡智の結晶体だ。

 そして生きるための糧が記してある。楽しむためのものではない。

 だけど、でも、フニがそんなに自信満々に褒めるほどの物語なら……。

 

「ねえ、じゃあ面白い小説何冊か教えてちょうだい。暇なの」

「いいですよ。そういうことなら是非読んでほしい小説が何冊かあるんですよ」

 

 そう言うとフニは椅子から立ち上がり、荷物の中から数冊の文庫本を取り出した。これは冒険小説で、こっちは群像劇で、こっちは……とどちらかというと内気なフニからは想像できないほど早口に、楽し気に本を紹介していく。

 楽しそうな姿につい幼マーニャの頬も緩んだ。

 

「ってまあ、全部お姉さまに勧めてもらったものばかりなんですけど」

 

 そしてフニが最後に付け加えたひと言に、幼マーニャの表情にヒビが入る。ピシリと。

 

「……フニ。私と話してる時は、その『お姉さま』のこと語るの禁止」

「ええっ。何故……」

「………………私はちゃんとここにいるでしょ」

 

 早口にしかも小声で言い返せば、フニは一瞬呆けた顔をした。すぐに目を逸らしてしまったからその後どんな顔をしているかは分からないが、とても直視できなかった。

 

「え、あの、今なんと――」

「はいはいこの話は終わり。じゃあねフニ。これ、読み終わったら返すから」

 

 頬も耳も首まで熱い。逃げるように部屋を飛び出た幼マーニャは、その火照りを冷ますように早歩きで寄宿室を後にした。

 ――それからの一週間は、割とあっという間に過ぎてしまった。

 基本的にはフニから借りた小説を読んだり、アリの研究作業を眺めたり、フニと小説の感想を言い合ったり等々……。まあ充実した時間だったと言えるだろう。ごく一部ではあるが、部外者の幼マーニャにも資料室を閲覧させてくれたことも大きい。きっと元の時間に持ち帰ることは出来ない知識だろうが、それでも触れられるだけで価値のある研究所だった。

 そして。

 

「ああ。解析が完了した」

 

 研究所に着いてからきっちり一週間後、アリは、フニと幼マーニャにそう言った。

 それは幼マーニャの感覚的に言えば『元の世界に帰る』ことを指し、対外的には『マーニャが元に戻る』ことを意味する。

 つまり別れの時間が来たということだ。

 

「なんなら今すぐ解呪可能だが……」

 

 アリはそこまで言って、ちらと幼マーニャに目線を移した。幼マーニャが何か言う前にアリは急に「そういえば」と口を開く。

 

「丁度腹が空いていたな。ちょっと外で食べてくる」

 

 そう言うとさっさと二人を放ってアリは姿を消してしまった。――文字通りの意味でだ。

 転移魔法。究極魔法とも称される魔法である。なんら詠唱を必要としなかった事実に桁違いの才能を見せつけるアリに幼マーニャは茫然としたし、フニにしたって唐突過ぎた。

 

「ごめんなさい……あんな適当な父親で」

「……私に気遣ってくれたんでしょ。いい人じゃない」

 

 別れの挨拶をしろとアリは言いたかったのだろう。幼マーニャもアリにそう言うつもりだったのだ。

 二人は今寄宿室の一部屋の中にいる。アリもいない以上、ここには誰も居ない。

 二人きりだ。

 

「ねえフニ。私の髪、どう思う?」

 

 幼マーニャは自分の髪にそっと触れた。黒く、豊かな髪。空気を含み膨らむかのように緩くうねる髪は、風がそよぐだけで柔らかく揺れる。

 フニは突然の質問にきょとんと瞬きをした。

 

「綺麗だと思いますけど……」

「そう。でも私は嫌い」

 

 大人のマーニャも言ったことがなかったのだろう。フニが目を丸くする。

 それがなんだか楽しくて、幼マーニャは口元を小さく歪めた。

 

「家族みんなね、こんなふうにくにゃってしてないのよ。まっすぐな髪質なの。だからひょっとして私は、拾われてきたんじゃないかってたまに思ったりする。私だけ家族じゃないんじゃないかって」

「それは……」

 

 なにかを言おうとするフニの言葉を塞ぐように、幼マーニャは笑みを浮かべた。

 

「ねえ、髪、結ってくれる?」

 

 フニの開きかけの口は静かに閉じて、代わりのように少女は頷いてくれた。

 椅子に折り目正しく座る幼マーニャの後ろに立ったフニは、ブラシで黒髪を梳きながら髪形の希望を聞いた。

 

「どんな風にしますか? 色々出来そうですよ」

「じゃあ……フニと同じがいい。似た感じにしちゃって」

 

 フニの、子犬の尻尾みたいに結った髪のひと房が揺れるのを見るのが幼マーニャは結構好きだった。彼女みたいな髪質ならなとも思う。柔らかくて、綺麗な栗色で、いつも触りたくなるのだ。

 きっと誰かに髪を結ったことなどないのだろう。たどたどしい手つきで少女が髪を梳く感覚がこそばゆくて、つい幼マーニャは目を閉じてしまう。

 

「ん。良い感じね」

「ならいんですけど……あの、わたし、こういうのは初めてで……」

「だからじゃない」

「?」

 

 幼い少女は単純にうれしかった。何故ならフニは、大人の自分の髪を結った事がないと分かったからだ。

 この記憶は11歳の自分だけが得られたもの。なら、それに勝る価値はない。

 

「じゃあ、まあ。なんていうか……ありがとね」

「いいえ。こちらこそ楽しかったです」

「そう? ならいいけど」

 

 同じ髪型になった二人は、大して湿っぽくもない別れの挨拶をさっさと済ませた。フニも幼マーニャも悲しくはないからだ。

 そうやって別れの挨拶を終えてしまうと、途端に時間の流れが遅くなったように二人は感じた。アリが帰ってきて解呪を始められないからだろう。ひょっとすると本当に空腹でどこかで食事に出かけているのかもしれないと幼マーニャが笑えば、フニもくすくすと笑い声をあげた。

 話題は自然と、解呪の後のことに移っていく。 

 

「でも……やだなあ」

「? 何がですか?」

「また『あの世界』に戻るのが嫌だなって」

 

 決して過去の世界が……実家での生活が嫌というわけではない。だけど、幼マーニャにとって居心地がいいのはこちらだった。

 

「ここは楽しいところだと思うのよ。フニがいて、面白い人がたくさんいて、読みつくせないほどの本があって……」

 

 ずっとこのまま――なんて訳にはいかないって分かってる。それを誰もが望んでいない。

 フニも。

 自分も。

 

「フニが憧れて慕うのは今の私じゃなくて、未来の私なんでしょ?」

「えっ、えっ、あの――」

「いいのよ。嘘つかないで」

 

 言わなくたって分かる事だ。だから幼マーニャは微笑みだって浮かべられる。

 

「私、フニのことが好き」

「ええっ……そ、それは一体どういう意味で……」

「言葉通りよ。好きなの」

 

 曖昧にはぐらかせばフニは途端に赤面した。あせあせとあちこちさ迷う目線にくすりと笑いつつ、幼マーニャは少しだけ悔しそうに続ける。

 

「でもね、だから残念だなって思う。だって私はあなたの好きなマーニャじゃないから」

「そんなことは――」

 

 ない、と続くだろう唇を、幼い人差し指が動かないように抑えていた。僅かに反ったフニの背を、追うようにして幼マーニャは背筋を曲げる。

 外の明るさが嘘のように室内は暗い。あまり光が入り込まない室内で、暗がりに沈むように少女は上目にフニを見つめる。

 

「なれるかな。たった十年ちょっとで、そんな素敵な自分に。誰かに誇ってもらえるほど気高い人に」

 

 だって私には何もないじゃない。

 

「本を読むことくらいしか出来ないし」

「……そんなことないですよ」

 

 フニは、幼マーニャの指をそっと両手で包んで離すとそう断言した。優しくて、だけど自信にあふれた物言いに少女の目線が揺らぐ。

 

「私の知ってるマーニャという人は、本をいつも読んでいました。たくさん……それこそ膨大な数をいつも、いつも。魔法が使えなくともそんな事を気にさせないほどしっかりとしていました」

「……」

「あなたのそういう姿勢にいつも救われてきたわたしですから」

 

 貴女の努力を誰よりも自分が知っているとフニは表情だけで告げていた。驕りの一切混じらない真っ直ぐな態度に、幼マーニャは何も言えなくなる。

 

「――11年後です」

 

 少女の片手を静かに両手で握りしめながら、フニは唐突に言って、なおも続けた。

 

「11年後、今のマーニャさんよりもっと卑屈な少女があなたの元に現れるんです。そしてあなたは……確かにわたしを救ってくれた」

 

 あの学園で得た、何ものにも代えがたいもの。宝物。失いたくないもの。人生を捨てられると確信できるほどのもの。

 それは貴女なのだとフニは言う。

 全身を使って。顔で、目で、口で、笑顔で、手に触れる両手の熱で。

 

「……わかった」

 

 幼マーニャはフニの全てを見つめて、ひとつ、決意をした。

 

「じゃあ私、学園(そこ)に行く」

 

 誰よりも魔法が使えて、だけど内気なこの少女より先に。

 そうして誰よりも勉強をして、本をこれまで以上に読んで、魔法は使えないかもしれないけど……練習もしてみよう。

 努力は結果に直結しない。

 けれど、こうして努力を認めてくれる人はいる。

 

「あなたが言うような素敵な『お姉さま』になってみせるわ」

 

 きっと呪いが解けてしまえばここでの出来事を忘れてしまうだろう。帰るのだ。居るべき世界に。自分はまた、過干渉が過ぎる家族を疎みながら本を読み、そしてあと一年もすれば実家の蔵書を読みつくす。

 自分はその後一つの選択をし、出会うのだろう。

 同じような季節に。

 …………。

 ああ、今なら神様の存在を信じられそうだ。

 

「今度は私があなたに面白い小説をすすめてあげる」

 

 間違いなく確信できる。

 私はあなたに会うためここへ来て、もう一度会うために帰るのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めの瞬間というのは不思議なもので、突然意識が浮上する。そして覚醒した『自分』が起床したことに気付いて瞼を上げれば――マーニャはなんだかとても懐かしい感覚がした。

 

「……長い夢でも見ていた気がするわ」

 

 ベッドの側には、見知った少女が椅子に座っている。そっと手を伸ばし、その頬に当てれば嬉しそうに手を重ねる栗毛の少女。

 少女特有の高い体温が心地よくて溶けてしまいそうだった。

 

「私が、あなたよりも幼い私になって、二人きりで旅をして……幼い私が知らない、でも今の私が知っている人たちと出会って。寂しさばかりが募るけど……でも、いつも傍にあなたがいてくれたの。だから旅は苦痛じゃなかったわ」

「ええ。わたしも夢を見てました。短い旅でしたけど……楽しかったです」

 

 二人して同じ夢を見ていたのだろうか。それはまた、不思議な出来事だ。だけどたまにはそんな偶然もあっていいだろう。旅とは、そういう未知に触れたくて始めたのだから。

 

「お姉さま」

 

 少女の声は弾んでいる。聞くだけで心が躍りそうになる。

 なあにと返せば、フニは満面の笑顔でこう言った。

 

「次は、どこへ行きますか?」

 

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