女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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旅人時代、社交界に参加した時のこと

 

 秋。夏は既に終わっていた。

 それでも王都の夜は騒々しい。

 ここ、魔王領と隣接する王国において王都とは、活気にあふれるものでないといけないのだろう。魔物との戦争は散発的に、しかし確実に人命を減らし続けている。王国の国境沿いに不可侵の絶対防護障壁を持つ魔物達との戦争に勝利はないのだ。それこそ技術的革新でもなければ終わらない戦争に、皆、目を逸らしたがっている。

 数百年続く戦争からの逃避じみた喧騒。人の笑い声。消えない街の光。道を歩く人の数々。国全体が酒に酔ったような騒ぎはあちこちで広がっていた。隣のフニは慣れない様子で、いつもよりこちらに身を寄せる。マーニャは落ち着いた笑みで少女の栗毛の頭をそっと撫でた。

 

「こっちこっち」

 

 と。目当ての酒場に入れば乱痴気騒ぎの中にあって、冷めた目をする女が一人。彼女の座る席へ寄り、マーニャはワインを、フニはビールを注文した。女は既に注文していたのだろうウイスキーをちびちびやっている。

 

「元気そうねマーニャ」

「ラナ姉さんも」

 

 ラナ姉さんとマーニャに呼ばれた女が、そっと目を細めた。フニは給仕の女が持ってきたジョッキを傾けながらぼうっとその容姿を見つめる。

 確かに、マーニャに似ていた。

 人の熱気でうだるような店内にあって、宝石を据えたピアスやネックレス。シャツもパンツもどこかのブランド物だろう、品性とそれなりの遊びが混じって綺麗な身なりをしている。だが、一つ縛りにした燃え盛るような赤毛の直毛と、人を刺し殺しそうな鋭い目線は、マーニャとはやはり別種だった。

 そしてマーニャとフニが王都までやって来た理由は彼女にある。

 

「あの、この方が……」

「ええ。私の二人いる姉の一人、ラナ姉さん」

 

 机に用意されたチーズをひと切れ口に含みながら、マーニャは自身の姉をフニに紹介する。ラナは改めてふわふわの栗毛をした少女へと目を向けた。

 

「あなたがフニ? ふうん、可愛い子じゃない」

「でしょう?」

 

 マーニャの血縁だと実感しだして緊張が高まるフニに、女二人がどきどきするような事を言う。フニは慌てて首を振った。子犬の尻尾みたいに縛ってある髪がふりふり揺れる。

 

「そ、そんなことはないです。わたしは別に……お姉さまの方がすごく美人ですし……」

「ほらね? すごく可愛いでしょ?」

「仲がいいのね」

 

 愛おしそうに頭を撫でられてしまうと、フニは目の前のビールに口をつけるしか出来なくなる。二人の様子にラナは酒精の強いため息を吐いた。そうしてまた琥珀色のアルコールを口につける。

 

「ふん……で、自由気ままな二人旅をしてるってわけだ。上手にやってるみたいじゃない。旅の資金はどうしてんの」

「特許があるから、その利用料で無理がない範囲の旅にしてるわ」

「そう」

 

 さほど興味もないのか、ラナはマーニャの生活についてそれ以上を問わなかった。姉妹など居ない一人っ子のフニにはラナの少し冷めた距離感が適切なものかどうかわからない。だが、何か寂しいものを感じた。

 

「ララエス・アイナ・ベネティード=フィフスよ。最近、王都で宝石商をやってるわ。よろしくフニ。凄く強い魔法使いだって聞いてる。これからも、よければ妹のことを守ってあげて」

 

 差し出された手は大きい。爪に塗られた水色のマニキュアがフニには懐かしかった。マーニャは、旅をし始めてからマニキュアを止めてしまった。少女も手を差し出せば、触れた掌は太陽のように熱い体温を持っていた。

 

「ジーニャ姉さんとは会った?」

 

 と、ラナ。

 

「ええ。相変わらずだったわ」

「でしょーね。あんたは特に溺愛されてたし、なんなら監禁でもされたんじゃないの?」

 

 ――監禁?

 思わず心の中で同じ言葉を繰り返していた。フニは、不安げに隣の女を見上げる。

 

「え、え? お姉さま? 監、禁……?」

「あ。ええと。違うのよフニ? ジーニャ姉さん……私とラナ姉さんの姉はね、ちょっと愛が重い人なのよ。それだけ。変なことはなかったわ」

 

 マーニャは珍しく困った様子で笑っていた。何の気なしに言われた一言でこうも動揺する自分も自分だが、マーニャの言動はそれ以上に怪しい。もしかして……と嫌な妄想が少女の脳裏を巡った。山小屋で避暑をした時期、マーニャは実家へ帰ったきり十日近く帰ってこなかったのだ。

 

「あんた、王族とコネがあるんでしょ」

 

 フニの疑問の気付いているのかいないのか、ラナは唐突に話題を変えた。王族……フニは思い返す。学園を卒業して、二人旅を始めた日だ。この国の第一王女とマーニャは縁を結んだ。ラナはそのことを問いただしている。

 

「どこでそれを……」

「ふん。伝手があんのよ」

 

 あっさりとそう言い放つラナの態度は素っ気ない。

 

「今度、王族の方々も訪れる予定の社交界が開かれるわ。そしてこっちはその招待状。縁者も呼べることになってるの」

「どうやって招待状なんか手に入れたの?」

「これでも一応あたし達、貴族のはしくれでしょ」

 

 まともな伝手ではないのだろうな、とマーニャは思った。

 ベネティード=フィフス――五等貴位(フィフス)は貴族の中でも最下層に位置する。言ってしまえば領地を持った平民となんら変わらないのだ。その程度の価値しかない貴族家の次女が、王族も参加するほどの社交界への招待状をどうやって手に入れられたかなど、想像も及ばない。

 

「てなわけでマーニャ、あたしに王族のお知り合いを紹介しなさい」

 

 マーニャは、自身の姉が、なぜ王都まで自分を呼びつけたのかをようやく悟った。

 つまりは姉の宝石商の仕事を手伝えと、そういう事だ。

 

 

 

 彼女の住まいだという家に連れられた二人は翌日、鏡の前に座らされていた。

 

「宝石商としてまだ日が浅い私がこの業界で知名度を高めるには、価値を知る人に認めてもらうのが一番なのよ――ちょっと、じっとして。眉が崩れる」

 

 そういう狙いがあるらしい。実の姉にあごを掴まれ動けなくなったマーニャは、小さく頬を膨らませた。そんな彼女の顔の上を慣れた手つきのアイブロウが揺れ動く。

 

「……人に化粧をしてもらうのって、やっぱり慣れないわ」

「昔はよくジーニャ姉さんに化粧されてたっけねあんた」

 

 鏡の中で、未完成ながら美しい容貌の女が口紅を塗られていた。この秋流行っているという、塗布者の体温で色を変える魔法が施されたものだ。マーニャの場合は鮮やかな桜色に唇が染まった。

 

「あんた、こんだけ綺麗なんだからもうちょっと見た目に気を遣ったら? 女が自分の体を武器にしないでどうすんの」

「私は別に……そんなに興味ないもの。必要な時に必要なぶんだけしてれば良いと思うわ」

「まったく、だから彼氏の一人も出来ないのよ」

「そういうラナ姉さんはどうなの」

「あたし? 別に、あたしは仕事大好きだし」

「……」

 

 そんな会話をしている内に化粧も終わり、マーニャは長い黒髪を丁寧なシニヨンに纏められた。いつも背中を覆う豊かなうねり髪がないせいか、どうにも落ち着かない。着ているドレスのせいで背中もやけに涼しい。自由になったマーニャは、部屋の隅っこで静かになって気配を消そうとしているフニを見た。

 にっこり笑うと、う゛っ……とフニの顔が蒼くなる。

 

「ほら。フニ? フニには私が化粧をしてあげる」

「ううっ……い、いいですいらないです。わたし端っこで静かにしてますから……」

「だーめ。フニもたまにはお洒落しましょう? ほらほら、座って座って」

 

 その小ぶりな肩を押して、少女を先ほどまで自分が座っていた椅子に座らせた。三面鏡には目をぎゅっと絞って顔を真っ赤にする少女がいる。

 マーニャは上機嫌になって化粧を始めた。その様子を、ラナは呆れた様子で腕を組んでいる。

 

「あんたって……自分以外に化粧するのは好きよね」

「フニが特別可愛いからよ」

 

 そうして少女を完璧に仕上げ、どこかのお嬢様みたいになったフニに満足げなマーニャへと、ラナが一組のピアスを差し出した。

 

「はいこれ。着けて」

 

 きょとんとして受け取ったピアスを見つめる。大粒の涙のような金剛石が嵌められたピアスだった。だが、その宝石はまるで見たことのないカットがされている。

 

「綺麗……。もしかして」

「そ。うちの職人がカットした最高品質のダイヤモンド。すごいでしょ。かなり特殊なカット方法で研磨してるから、ダイヤモンドの中にダイヤモンドがあるみたいに見えるのよ」

 

 ラナの言う通り、ダイヤの中にダイヤがあるような錯覚を覚えるピアスだった。自信のある商品なのだろう、ラナは獰猛な笑みをする。

 

「あんたはその耳飾りを輝かせて、皆から注目を集めればそれでい。王族に興味を持ってもらえればもっといい」

 

 なんだか人形みたいな扱いをされている。

 マーニャは何も言わずにピアスを着ける。

 よく似合っていた。

 

 

 

 そこは華やかな空間だった。

 王都を見下ろせる小高い丘に建てられたのは、こういった社交界のための建物だからだろう。立場ある人物というのは何かと高い所が好きだ。

 品性と知性が黄金のよう。酒、宝石、美麗な人々。旋律を奏でる音楽隊。酒を配って歩く給仕の者ですら一級品。

 三人で会場に入れば視線が集中するのを肌で感じた。こういった場に女性だけで参加するのは珍しい事だろう。それに、とマーニャは自分の着ている服を見下ろす。

 マーニャが今着ているのは、黒のイブニングドレスだ。品を損なわない程度に背中を見せるホルターネック。スカートのように見せかけたワイドパンツはドレスのデザインとしては亜種と言える。

 この、社交界の場にそぐわない服を選んだのはラナだった(ラナはまともなドレスを着ている)。ラナが言うには「目立つ方がいいから」との事だったが。

 案の定、マーニャの格好のせいで、常識知らずの女を見る目をされていた。

 

「さてと」

 

 フニなんかはさっきからカチコチに固まってしまって、話しかけても耳に入るかどうかすら怪しい。ラナはというと早速、自前の宝石の営業を始めている。どうしたものかと考えていると、マーニャに声をかけてくる者がいた。

 

「お姉さま……!」

 

 若く、瑞々しさが弾けるような少女の声音。反応するより先に、目の前にその少女が立っていた。最高級の絹が使われた白のドレスは、会場内のどんな服よりも清廉で美しい。駆けてきたのか、ふわふわと広がるスカートが宙に泳いでいる。

 

「すごい! うれしい! こうしてまたお会いになれるなんて……っ!」

 

 この王国の第一王女、アリアンデート・アル・マグナ・フュッケスその人である。

 会うのはこれが二度目になるか。どうやら、参加している王族というのは彼女の事らしい。ちなみにフニはマーニャが声を掛けられた瞬間、会場の隅へと全速力で逃げ出していた。人見知りの少女には刺激が強すぎたみたいだ。

 

「アリア様。ドレス、とても似合っていますね」

「お姉さまも。今日はとても素敵なお召し物ですのね!」

「ありがとうございます。少し、男性的すぎるかしら」

「いーえっ。お姉さまが着ればどんなお召し物も輝いてみえますわ!」

 

 マーニャが愛称を呼べば、にこにことアリアも微笑む。少女の背後にはゆっくりと近寄ってくる数人の集団がある。マーニャの視線がそちらへ向くと、アリアは蕾が開くように体を回した。

 

「こちらの方は、マーニャさま! お城から抜け出した私をエスコートしてくださった、とっても素敵なお姉さまなのよ!」

 

 後に居た何人かの者達へ振り向いて、アリアはマーニャを紹介した。丁寧に挨拶を済ませれば、彼らも同じように自身の出自を述べてくれる。古い歴史を持つ名家の翁に、王国どころか世界を股にかける豪商、アリアの世話役だという侯爵家(セカンド)の次女、軍属の上級士官……。

 

「みんな、私のお友達! 素敵な方ばかりです!」

「本当にそのようですね。アリア様はご友人に恵まれていらっしゃる」

 

 取り巻き(ゆうじん)というより、各界における彼女の護衛役に見えた。

 アリアは純粋だ。そしてこの大国において絶対発言権を持つ王族の、第一王女だ。彼女の存在価値は想像を絶して重い。

 王族とは血の貴さだけで否応なく価値を持つのだと再認識させられる光景だった。事実、貴族位の低いマーニャへと話しかけるアリアを、誰も咎めたりはしない。軍、政、商の観点からして、マーニャは一目見るだけで無害だと判断されたということだ。

 

「あら? お姉さま、すてきなピアスですね。見たことのない輝きです」

「ああ、これは私の姉が宝石商をやっているんです。今日もその関係で手伝えと言われて」

「なーるほどー。その方ともお話してみたいわ」

 

 遠く、視界の端でラナがこちらにウインクをした――気がした。ちらと目線を向ければ赤毛の姉は営業スマイルで貴婦人相手に親し気な会話をしている。

 

「おや、おや。ずいぶん綺麗だなあお嬢ちゃん」

 

 背後から掛けられた声に懐かしいものを感じた。振り返ればそこには、大量の勲章が付けられた軍服姿の老人が一人。今日はベレー帽も被っている。

 その老人と、マーニャは一度だけ出会っている。

 

「あら、ケド元帥」

「久しぶり。飴いるー?」

 

 丁寧にお断りしておくと、人類統合軍が誇る最高戦力の一人、“軍神”ケド・カサルル・ホルルはしょぼくれて唇を尖らせた。二人の親しい様子に、アリアはきょとんと首を傾げている。

 

「まあ……お姉さま、ケドおじい様とどこでお知り合いに?」

 

 アリアもケドとは知り合いらしい。人類統合軍はこの国の王族と密接な関係にあると聞いたことがある。

 

「ちょっと昔に。温泉街で」

「あん時は大変だったなあ」

「ええ本当に。今日はええと……お孫さんは居ないのですか?」

「ああ、アニーか。あいつは別件さあ。仕事熱心なことだねえ」

「むーっ。仲間外れみたいで寂しいです」

 

 懐かしむ口調の二人に、アリアの頬が風船みたいに膨らんだ。自分の知らない話題を共有されているのが不満らしい。

 と、裏方に徹していた音楽の意向が変わった。

 音量は大きくなり、明確なテンポが場を占める。すると会場のあちこちで男女の一組が踊りを始めた。

 社交界には定番の、舞踏の時間だ。教養ある人々がそのセンスを周囲へと示す貴族文化を、踊る相手もいないマーニャはぼんやりと眺めてしまう。

 そして何故か、隣には同じようにして踊りを眺めるだけの王女様がいる。王族なのだ。真っ先に踊りの誘いが来てもおかしくないのに。――取り巻きの彼らは不思議なことにアリアと距離を離していた。

 

「? アリア様は踊らないのですか?」

「あ……その、あの、おはずかしい話なのですが、私は踊りが得意でなくて。いっつも殿方のお足を踏んでしまうの」

 

 頬を小さく朱に染めてアリアは微笑んでいる。なるほど。だから、誰もアリアを踊りに誘わないのか。格式ある社交界ならば、年端も行かない第一王女にわざわざ恥を晒させる愚かな者はいない。

 

「だから、見ているだけで大丈夫」

 

 けれど、憧れを滲ませた声だった。

 マーニャは横の少女をそっと見つめた。

 第一王女アリアンデートは、透明な箱の中に押し込められているように見える。息苦しさを露わに出来ない少女に、マーニャはかつての自分を幻視してしまった。

 

「プリンセス。よければ一曲踊りましょうか」

 

 気づけば前へと一歩を踏み出し、気取った仕草で片手を差し出している。

 自分でも、少し驚いていた。

 周囲がざわつくのを肌で感じた。ドレスのばっくりと開いた背中に色々な感情が突き刺さる錯覚を覚えて、同時に理解する。

 『これ』が、少女が常にいる世界――。アリアは困惑のまま上目遣いをする。

 

「え、でも、女同士でなんて……お姉さまのもしも悪い評判でも立ったら……」

 

 王族である自分よりも相手を優先する性格に、いつものおてんばさは何処にもない。

 少女の本質を垣間見た。

 

「私は気にしません。どうせ貴族と言っても位は低いし、私はただの旅人です。私にいくら悪評があろうと困る者などいません」

 

 マーニャとて、一応は貴族だ。小さな頃は母に連れられて社交界に参加したことが何回かある。だから、こういう場がどれだけ常識を重視するかは身に染みて知っている。女同士で踊る者などいない。それでもマーニャが何のためらいもなく動けたのは、人の望みをしがらみ程度で縛る事が望ましくないと知っているからだ。

 魔法を使えない自分ですら旅が出来ている。

 なら、王女殿下の固定概念を崩すくらいは簡単だと思えた。

 

「だからプリンセス。仰ってください。あなたのしたい事を」

 

 情熱的な言葉を炎のように囁けば、少女の純粋な瞳が差し出された手と、自身の手とを行き来する。揺れている。

 周囲のざわつきは気づけば嘘のように静まっていた。踊っている者も、そうでない者も、会場中の視線が自分達に注がれているのは錯覚ではない。ただただ音楽隊だけが忠実に仕事をこなし続けている。

 そんな中で、少女はぽつりと呟いた。

 

「でも踊りが下手なのは本当なんです。私、いつもこういうのが苦手で」

「大丈夫」

 

 距離を詰め、その手を取る。シルクの手袋に包まれてもなお感じる少女特有の熱っぽい体温を、マーニャは自身の手で包み込んだ。びくりと少女の剥き出しの肩が跳ねた。気にせず少女の背に空いた手を差し込む。

 踊るための姿勢は完成した。だから残るのは、二人の気持ちだけだ。

 

「ひゃ……」

「怖がる必要はありません。あなたはこの場の誰よりも可憐な人です」

 

 人ひとり分の隙間もない距離で、マーニャとアリアの身長差は明確になっていた。自然、少女は女を見上げ、女は少女を見下ろす形になる。視線が混じり合い、物の境界線が融けていく――精彩を欠いて蕩けだした眼差しに、タイミングはここだと理解する。マーニャは甘い毒を刺し込んだ。

 

「私だけを見て下さい。他を見る必要なんて、ないですから」

「は、はぃ……」

 

 言葉が魔法のようだった。アリアの瞳にはもう、自信に満ちた女の顔しか映っていない。だからマーニャは小さく微笑み、自分は詐欺師の才能があるかもしれないと思いながら最初の一歩を踏み出して。

 ――その瞬間、世界に在るのは二人だけになった。

 音楽は遅れてやってくる。

 

 

 

 

 

 結局アリアはマーニャの足を三度踏んだが、マーニャは痛みすら感じた様子も見せずに体を動かし続けた。そのうちアリアも純粋に踊る楽しさにのめり込んでいって、美しい笑みが零れていった。マーニャがそれでいいのだと頷けば、アリアの笑みは一層濃くなっていく。心地よい螺旋があった。

 やがて踊り終えれば、会場中からの視線はどこか柔らかいものに変わっていることにマーニャは気づいた。その視線の中にはケドの眼差しがあり、フニのしょぼくれた上目遣いがあり、ラナの冷えた目つきがあった。そしてアリアの心からの敬愛が浮かんだ笑顔があった。

 

「――今日はうまくいったわ」

 

 そうして、社交界の帰り道。

 深夜、人気のない石畳の上を歩きながら、ラナはそう言った。先頭を歩く彼女の背は社交界にいた時よりも少しだけ曲がって見える。

 

「あんた、いつの間にか随分遠くへ行ったのね」

「そうかしら。ただお喋りしてただけよ」

「その相手が問題なのよ。人類統合軍の英雄ケド元帥に、大国の第一王女アリア様。政治と軍の二大トップと通じてるあの女は誰だって、皆普通思うでしょ。あんた、だいぶ注目されてたのよ」

「そう……なのね」

 

 急にマーニャの背筋が震えた。旅をしてもう何か月になるのだろう。それまでだってほとんどを『学園』の中で読書に費やした。得た知識は多くとも、世情には疎い自分が、何かよくない渦の中に放り込まれた気がして寒気がする。

 もう秋も終わるのか。王都の夜はいやに冷える。

 

「ちょっと軽率だったかしら。あの踊り」

「いいんじゃない? 気づかれないより、注目されたほうが益があるし。あたしもかなり営業させてもらったから」

 

 あの後、ラナは自然なタイミングを装ってアリアに自前の製品の紹介をしていた。巧みな話術はさすがとしか言いようがない。マーニャとの踊りで興奮していたアリアは、即決でラナの扱う宝石を幾つか購入してしまったのだ。今、マーニャの耳についているピアスを特に欲しがっていた。

 

「ラナ姉さんはいつも凄いわ」

「……」

 

 マーニャは独立して商売を始める勇気などない。こうやって伝手を利用して自らの糧にする器量もない。ラナには自分にない力がある――マーニャは姉をそういう風に見ていた。

 当の本人は振り返りもしない。

 

「……あたしはジーニャ姉や母さんみたいに甘くないし、甘くしない」

 

 唐突に、何の話だろう。先を歩いていたラナが街灯の真下で立ち止まる。マーニャとフニも吊られて止まった。

 

「あたしは、あんたならもっと上を目指せると思ってる」

「……」

「あんたには華がある。ひっそりと咲く美しさじゃなくて、人を惹き付ける美しさね」

 

 人の中でこそ輝く美しさだとラナは付け加える。マーニャは耳につけたピアスがむず痒く思えてきた。そんなマーニャの微細な表情の変化は、灯りの内からでは分からないのだろう。ラナはなおも続ける。

 

「今日の社交界だってそう。あんたは人の眼を惹き付けるの。そして、もっとタチが悪いことにそんな自分の“力”の振るい方を知っている」

「そんなことないわ。私に大層な力なんかない」

「……なのにあんたは、存在しないはずの神様に愛されてるくせに、そうやって自分の栄華を捨てようとしてるのよ。それがあたしにはどうしようもなく許せない」

 

 許せないと言う割には、怒りを孕んだ顔をラナはしていなかった。

 

「あんたの人生はあんたが主役でしょ。それは、誰にも覆せない不可侵な事実じゃない」

 

 姉と妹の距離は歩数にして僅か五歩。その距離を、冷徹にラナは見据えている。それは損得勘定で物事を測る商人の眼差しだ。

 

「ねえ、あたしと一緒に宝石商、やってみない?」

「――」

 

 言葉を、全身がすり抜けていった。

 ラナはマーニャの価値を測っていたのだ。そして、その価値を認め、今は欲しがっている。

 姉が妹を呼びつけた本当の理由を、ようやくマーニャは知った。

 

「楽しいわよ。旅みたいに無限に広がる世界はないけど、ここには誰だって価値を認められる世界がある。難しい事はあたしがするわ。あんたはただ、広告塔として美しさを振りまけばいい。あたし達ならきっと上手くやれる」

 

 ラナの表情は探るものがあった。それでもマーニャは、どういう意図があって実の姉が手を伸ばすのか、もうわかっている。

 

「魔法が使えないあんただって、きっと……」

「ラナ姉さん」

 

 気付けばラナの言葉を遮っていた。

 

「私にさせたいそれは、姉さんがしたいことでしょう?」

「――」

 

 悪意と善意がないまぜになった感情は、もはや与えられる言葉すらなく醜悪だ。

 ラナはマーニャの未来を囲う形で潰そうとしていたし、マーニャはそういうラナに向けるべき深い感情がない。それが二人の関係だった。

 

「私には明確な展望なんてものはないのよ。だから素直にラナ姉さんのことを凄い人だと思える」

 

 あなたは、昔から、前を視る事が出来る人だった。

 

「私は違う。答えを本の中に求めて、今は旅の中に求めてる。いつまでもこうはしていられないのは確かよ。どこかで、足を止めるべき時が来るのもわかってる。例えよくない結末だろうと……それでも、と言える私でいたい」

「……そう」

 

 なんでもお見通しかと赤毛の女は浅く溜息を吐いた。

 そして――不意に笑う。

 

「ねえ、マーニャ。覚えてる? 小さい頃、あたしとあんたとジーニャ姉さんの三人で家から離れた森を探検した時よ。ほら、狼が出るから危ないって言われてた森。あたしが二人を誘ったわ」

 

 ああ。覚えている。忘れるはずがない。

 それまで本にしか興味の向かなかった自分を引っ張ってくれたラナの、力強い腕の感触。そして開けた世界は明るくて、濃くて、広かった。

 

「森の中でジーニャ姉さんは怖がってたわ。ラナ姉さんは強がってた」

「そしてあんただけが、期待で目を輝かせていた」

 

 過去を懐かしむ声音が浮かべるのは自然な表情だった。仕事の中で研ぎ澄まされた剣呑さもない、マーニャの知るラナの顔。一人街灯に照らされる表情は曖昧で複雑で、どう呼ぶべきかもマーニャには分からない。

 

「あの時から……常に前を行くのはあんたで、いっつもあたしは一番後ろだった。あたしが得られる世界はね、いつもあんたが先に掴んでいたおこぼれよ」

 

 それでも、一部だけでも与えられる感情があるならそれは『嫉妬』なのだろう。

 

「未知の世界を怖がらないあんたは、きっといつか大業を成し遂げる。今日の踊りみたいに、『そうあるべし』という常識や文化を、あんたはどこか外側から見つめる術を身に着けたのね」

 

 父さんがそう言ってたわ。

 

「そろそろ顔くらい見せてやりなさいよ。あの人、なんだかんだ寂しがり屋なんだから」

 

 マーニャは苦笑を浮かべてしまった。それは、どうだろう。唯一彼女が家族に暗い感情を持つ相手がいるとすれば、それは実の父親だ。

 

「……いつでも頼りなさい。あたし達は切っても切れない縁を持つ。それは何よりも貴いものよ。捨てられるはず、ないんだからね」

 

 ラナがマーニャにそっと近寄った。石畳を打ち鳴らすヒールの音はどこか柔らかい。そうして自身の妹を抱きしめたラナが囁いたのは、笑顔と共に吐き出したのは、熱のある言葉だった。

 

「ずっとあんたのことが嫌いだった……」

 

 そんなこと、言われなくたって昔から知っていた。それでもマーニャにとっては家族の一人だったからここに居る。ここまで来た。それ以上でも、以下でもない、ラナは姉だ。憎しみもいがみも、例え関係図の中で横たわろうと家族は家族。

 

「それでも、愛してるんでしょうね」

 

 ここには、他に価値は持てない縁で繋がる女が二人、居るだけの事。

 

「ええ。私もよ、姉さん」

 

 なんとなく察せた。

 ラナは家名を捨てるつもりだ。

 宝石商として独立しつつある彼女にとって、最下の貴族位(フィフス)は足かせでしかない。彼女は恐らくもっと立場のある男に嫁ぐ気でいる――伝手とはそういう事か。彼女が家族にすら切り札を見せようとしないという事実をマーニャは嬉しく思った。ラナは宝石商としてきっと大成する。

 

「じゃあね」

 

 ラナはマーニャから離れ、夜道へと溶けるように消えようとする。

 姉はもう自らの道を見つけているのだ。そのための手段も、歩き方も、分かっている。その世界に未だ先を見ないマーニャの枠はない。

 今生の別れになる気がした。

 

「ラナ姉さん。またね(・・・)

 

 だから、言ってやった。笑顔を浮かべて。その一言が呪いに近いものでも。

 血の繋がりを、その縁を簡単に絶てないと言ったのはラナ本人だ。

 赤毛の女が背を向けたまま息を呑む。だけどひと呼吸挟めば、振り返って見せつけたのはいつもより鮮やかな笑顔だけ。それは、彼女に似合う、炎じみて苛烈な激情。

 

「そうね。せめて口だけは動かし続けなさい。あんたにはそれしかない」

 

 “あんたの力は、言葉でしょうよ”。

 そう吐き捨てて。

 背を向けて。ぱっ――と赤髪が火花のように翻る。

 ラナは二度と振り返らなかった。

 

「あ、あの。よかったんですか? 断ってしまって……」

 

 隣で静かにしてくれていたフニが不安げに声をかけてくれる。その、躊躇いがちな声音を聞いて、マーニャは自分でも気付かないうちに嬉しく感じていた。

 少女は自分を全肯定してくれている。

 それでも少女の丸くて大きな瞳にあるのは、離れ離れになることへの不安だ。

 選ぶべきはこの少女だったのだとマーニャはそう確信できた。

 

「ねえフニ。せっかくだから手でも繋ぎましょうか」

 

 言えば、栗色の髪をした少女はおっかなびっくりその小さな手を差し出してくれるのだ。そして少女の手をそっと握りしめれば、嬉し気に、少女も握り返してくれる。

 

「今日はごめんなさい。全然フニと一緒にいられなかった。本当なら、私がエスコートするべきなのに」

「いいんです、わたしは別に。こうしてお姉さまと一緒に歩けるのは、わたしなんですから」

 

 それは少女が自覚すらしていない、小さな独占欲だった。事実フニは自分の発言が意味するところも考えず、嬉しそうに頬をぴくぴくさせている。途端にマーニャは心に温かさがこみ上げてきてしまった。

 ああ。なんて愛い存在なんだろう!

 世界はずっと前から閉じている気がする。他の人間なんて要らないかもしれない。

 

「ラナ姉さんはね、私の事が、昔から好きじゃなかったのよ」

 

 夜道にあって恐怖は無かった。二人で歩けるなら、世界のどこにも怖いものなど居ない気がした。純然たる自信が体の内側から漲ってくる。不思議な高揚感で一杯になる。

 全て、フニがいるからなのだと、断言できる。

 

「父さんもそう。だから余計に、母さんとジーニャ姉さんの愛情がうるさかったんでしょうね。私はそういう理由もあって家を飛び出し、“ここではない何処か”を望んだ」

 

 マーニャは横に並ぶフニを見つめた。

 返ってくる言葉を確信しても尚、女は少女を笑顔で騙る事にした。

 

「どこにでも道は繋がってるわ。私といるだけが未来じゃない」

「それでも……」

 

 そうしてフニがこちらを見上げてくれて。

 そこに、宝石なんかより美しい笑顔が咲いて。

 私を見つめてくれているなら。

 

「それでもと、言えるお姉さまと共に居たいです」

 

 マーニャは笑った。前を向く。手を繋いで、二人で歩く。道は暗く朝日は先だ。幾多にも分かたれた道筋のどれを選択して、どこへ向かおう。何が待つ? 何がある? 未来はどういう形をしていて、二人でどういうものを得る?

 わからない事だらけで心が躍る。

 ――貴女とならどこへでも、と呟けば少女(あなた)が笑う。

 それはひとえに、踊り合うよりも心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 その後、社交界では女同士て踊るのが一時期流行ったのだという。

 勇者の座を戴冠するまで社交界に参加する事のないマーニャには、自身の影響など知る由もない。

 

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