女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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勇者時代、脳筋さんが女勇者に思ったこと

 

「私は、全生命が滅亡した球体型構築宇宙よりこの平面型構築宇宙へやってきた“人間”だ」

 

 魔王の、出会い頭の突飛な言葉に、マーニャは事前に用意していた挨拶も忘れてしまった。アスモに通されて相まみえた魔王は頭上に捻じれた一対の角を生やし、厳粛な雰囲気に身を包んでいる。だが、病的に白い肌も、細すぎる体も、長い黒髪も感情味のない顔つきも、確かにマーニャが一年前に実家近くの山で出会った女のそれだ。

 

「――は?」

「理解する必要はない。パンネクウネという存在が、この世界で生まれた存在ではないのだと、それだけを把握しろ。そして私が魔物ではなく貴様達とまったく同質の“人間”であるということもな」

 

 やけに饒舌な喋りにマーニャは困惑した。あの時出会った彼女は――“キサナド”と名乗ったこの女は、もっと口数が少なかったからだ。

 まるで、別人のよう。

 

「パンネクウネが人間で……じゃあ、キサナドって?」

「私は一時期記憶を失っていた。この世界へ渡る際の衝撃だろう。その数年のうちに、記憶喪失だった私がキサナドだ。忌々しいことに今の私とキサナドは共存関係にある。……安心しろ、私はお前をずっと昔から知っている」

 

 椅子に座って腕を組む『パンネクウネ』は、かつて名乗った名をまるで他人のように語る。つまり彼女は二重人格を自覚していると、そう言いたいのだ。

 

「じゃあウルは……」

「その記憶喪失のうちにキサナドが私の体でこさえた子だ。私は認知していない。父親も知らん。そもそも、父親すらいないのかもしれんな」

「……」

 

 マーニャは思わず目頭を揉んでしまった。魔王との会談があまりにも突飛な話題から始まってしまい、どう軌道修正すれば望みの言質が得られるかもわからなくなっている。

 もちろん彼女とて宇宙がどういうものかは知っていた。

 だが、魔王の言う宇宙は恐らく……。

 

「ひとつだけ、疑問があるの」

 

 パンネクウネは、かつてキサナドと名乗ったはずの女は、不遜な態度を隠そうともせずにあごで続きを促す。マーニャには目の前の女が魔王だとは到底信じられなかった。

 魔王の本名をハンナストリチウム・ヒュッケンオゥガ・ユークスタシア・ドラゲリウヌ・サジタリオ・メフィス・ザネクラア・ネフティス=血種覚醒(ミシンテス)103(チィ・ゼルツォ)=キサナドと呼ぶ。

 あまりにも長い名は彼女が八大純血種という古き血筋と現存する全種の混血であることを示しており。――ひとつ、仮説が成り立つ。

 

「あなたの言葉のどこまでが真実で、一体どこまでが狂言なの?」

 

 魔王が小さく笑った。嘲りを含む鋭い頬のゆがみにも臆せず、マーニャはなおも言った。

 

「究極の混血。それはつまるところ、行き過ぎた近親相姦そのものよ。禁忌が禁忌たらしめられるには理由がある」

「遺伝子欠陥か」

 

 さらりと魔王が言うのを聞いて、マーニャは確信する。

 フニから聞いたことがあるのだ。魔物は、魔力を合成することで子を作ると。

 それが真実ならば魔物の生殖方法は、血縁ですら容易く行える。

 

「つまり私は妄言を吐き散らすただの魔物だと、そう言いたいんだな」

「……」

「よかろう。それならばそれで構わない。どうせ組成は人と何ら変わらなくとも、私の在り方は魔物と呼ばれる者達の究極系だ。だからこそ私は魔王を僭称する」

 

 自身を行き過ぎた混血者であると自負し、狂い過ぎた遺伝子欠陥者でも構わないと頷く女は、マーニャとは異質の“自信”に満ちていた。

 “存在しないはずの神”ですら決して揺り動かせないだろう不遜な態度を、マーニャはどうすればいいのかもわからない。

 

「さて勇者よ。私を妄言吐きの遺伝子欠陥者と断定するならば、貴様は自身の存在をある方向から肯定しなければならない」

 

 くつくつと女が笑う。不気味な笑みは、おぞましい毒を吐いた。

 

「――わかるな。“無能”欠陥者」

 

 マーニャは魔法以外であれば聡い女だ。 

 だからその一言から、自身の出生に小さな絶望の気づきを覚えずにはいられない。

 そうだ。魔王を究極の遺伝子欠陥者だと詰るならば、マーニャは、魔法不能者である己は、それ以上に父か母の罪を肯定しなければならない。

 自分が、不義の娘だなどと考えたくもなかった。

 

 

 

 マーニャとフニが情報収集を目的に、魔物に扮して魔王領へと潜入してからおよそ二週間。うねり膨らむ黒髪を一つに結った美女――マーニャは、台所に立って野菜を切っていた。

 

「私達の国、つまりあなた達と主に戦争をしている王国では、人々はいくつか身分に分かれている」

 

 上から順に説明すると、王国内の階級はこうなる。

 統治に関して強力な発言権を持った絶対貴位、《王族(マグナ/マグヌス)》。

 王都周辺の領地を王族から下賜された一等貴位、《公爵(ファースト)》。

 王国各地の主要都市を代理運営する二等貴位、《侯爵(セカンド)》。

 幾つかの村や町を代理運営する三等貴位、《伯爵(サード)》。

 伯爵(サード)よりも小規模な土地を代理運営する四等貴位、《子爵(フォース)》。

 そして村や山などを代理運営する五等貴位、《男爵(フィフス)》。

 

「んん~……知的美人が生活臭だらけのジャージ上下、いいですわグッときますわ最の高なのですわ……。……ムラァ……」

 

 真面目な説明をしているのだが。台所に立って朝食の準備をしているマーニャにぶつけられるのはピンク色の情欲だらけな視線と言葉である。マーニャは包丁を止めて振り返った。

 桜色をしたセミロングの髪と、豊満な肉体。腰上から生えた小さな蝙蝠羽――ハアハアと頬を赤く染め上げる彼女こそ、魔物の中でも幹部に位置する四天王が一体、『色欲』のアスモである。

 

「あなたが私たちの社会構造を知りたいって言ったから説明してるのよ」

「わ、わかってますわ! でも、ほら、ねえ? マーニャさんって何をしてもえっちだと思いますの!」

 

 話が噛み合わないのはさすがに慣れた。マーニャはさして気にもせずに調理に再び集中しだす。

 ここは魔王領、四天王が一人『色欲』のアスモの屋敷。

 マーニャは親しくなった魔物の自宅でここ何日か生活をしていた。そしてアスモの使っている赤ジャージを着ている。家主たっての希望だった。ちなみにアスモの方はピンク色のジャージである。

 

「にしても、どうして階級を数字で呼ぶんですの?」

「……史書によれば、昔はもっと沢山の階級に分かれていたそうよ。ただあなた達との戦争で貴族位を持つ血筋が時を経るにつれ減っていき、最終的に残った貴族がこの五階級しかなかったとか。そうして数を減らしていった貴族は徐々に発言権を失っていってね、戦争によって軍の権威が増す中で、貴族とそうでない者との格差が徐々に減っていったの」

 

 もちろん、王族に代わって領地の代理運営をする二等貴位(セカンド)以下の貴族と違って、王国内に独自の自治権を許されている一等貴位(ファースト)は未だに相当な力を持つ。

 

「私みたいに五等貴位(フィフス)までいくと、もうほとんど平民と変わらないのよ。人類統合軍は貴族と比べたらもっと複雑よ。最上位権限を持つ最高司令官に、各々が独自の軍閥を築く元帥、その下は将軍から一等兵まで沢山いるわ。勇者はそうね、まあ、時と場所によっては准将から軍曹を行ったり来たり、といった感じかしらね」

「あなた達の国も、ずいぶんと戦争を中心に回っているんですのねえ」

「その戦争相手に言われるとなんだか複雑ね」

 

 魔物と言えども食べるものは大して変わらない。新鮮な川魚のワタを抜いて焦げ目がつく程度に焼き、葉物野菜で包んでパンに挟む。マーニャでは火を起こせないのでそこはアスモに頼んだ。「なんだか新婚夫婦みたいですわ……」などと至福の表情をするアスモは放っておいて、マーニャは簡単なサンドイッチを作り終えた。

 

「さあ食べましょう。フニはまだ……寝かしておきましょうか」

「そうですわね。昨日は忙しかったですし」

 

 かつては敵としてマーニャを誘拐し女勇者に成り代わろうとしたとは思えない程、アスモの態度は柔らかい。中身は残念だが見てくれはかなりの美女なアスモに笑顔を向けられると、どうにもむず痒くなってしまう。

 マーニャは頬を掻いて、席に着く。自然にアスモが隣に座るものだからどうにも落ち着かない。別に深い意味もないが。

 

「むぐむぐ……。マーニャさんの作る料理って、こう、なんというか優しい味わい? 里帰りした時に田舎の母親が作ってくれる郷土感? みたいなので溢れてますわね」

「それ褒めてるの?」

 

 川魚を焼いて葉物野菜と共に挟んだだけのサンドイッチにそんな感想が浮かぶ当たり、アスモは想像力豊かな魔物だ。

 

「なんと言うんでしたか、人間の言葉で……母性? そう、母性の味ですわこれは……」

「誉め言葉なのよねそれ」

 

 などと雑談をしつつサンドイッチを食べ終えると、皿を洗う間もなく屋敷の玄関扉が開く音がした。そして重い響きの足音がずんずんこちらへ向かってくる。ちなみにアスモの屋敷に来客を知らせてくれる使用人などは誰もいない。彼女は魔物の幹部だがそれ以上に『人間の書いた百合小説が好き』な変人で通っているのだ。

 

「おいーっす。アスモいるかー?」

 

 バン! と勢いよく扉を開けたのは、筋肉質な背の高い女だった。灰色の長い髪に、野性的な目つきに、頭上の獣耳と尻から生える太い尻尾――狼女と呼ぶに相応しい彼女の名をウルと呼ぶ。アスモと同じく四天王の一人だ。

 

「あらウルさん。どうしましたのこんなに早く」

「いやー今日暇だし、家にいてもつまんねえし、フニと遊ぼうかなって」

 

 照れくさそうに頭を掻く彼女の腰では、太い尻尾がふりふり揺れている。大好きなフニに会いたくて仕方がないようだ。

 ウルは既にマーニャとフニが魔王領へ潜入していることを知っている。アスモの屋敷で暮らしだして三日後には狼女とは一年ぶりの再会を果たしていた。その際にウルとフニの間で結婚どうこう色々あったのだが、まあ何だかんだで解決してフニ達に協力することを約束してくれたのだった。 

 

「ううん……いい匂いがするのです。これは、お姉さまの手料理の匂い……」

「あ、フニ、フニじゃないか―!」

 

 ウルが入ってきたのとは逆の扉から少女が来た。眠たげに目をこする栗毛の少女は、気付けば覆いかぶさるようにして狼女に抱き着かれている。

 

「く、くるしい……」

 

 いきなり自分よりも大きな女にがっしりと抱きしめられて、しかも頬ずりまでされて一気に眠気も飛んだのだろう。辛気臭い溜息を吐くと、ウルの頬を小さな雷でばちっと叩く。

 

「ウル。わたしにくっつきたい時は、狼の姿になってください。その、人の格好をされると、いろいろ苦しいので」

「わかった!」

 

 頷いたウルの姿は瞬時に変わった。筋張った四肢をふわふわの毛皮で覆った本物の狼に、だ。そもそもウルは狼の見た目をしているだけで別に狼の血は混じっていないのだが、以前魔王によって狼に姿を変えさせられた際に「コツを掴んだ」らしい。

 

「がるるるる」

「うぐぐぐぐ」

 

 そんなわけで朝から元気な雌狼に押し倒されてフニは苦しそうにしている。表情に乏しい今のフニだが、マーニャには分かる。あれはそこまで嫌がっていない。

 

「仲睦まじいですわねー」

 

 傍から見れば狼と少女の心温まる触れ合いに、アスモがマーニャの隣でにこにこ笑う。マーニャとの距離は近い。ぴったり並んでいるに近い距離感に、狼姿のウルが口を開いた。

 

「なんだお前らその恰好、付き合ってんのか」

 

 ウルは狼の姿でも魔法で発声する。というか確かに、赤と桜色のジャージを着ている自分とアスモはなんだかペアルックをするカップルみたいだ。――そんな意味合いの視線を横の淫魔に向けると、変な意味で受け取ったのかアスモの顔が真っ赤になった。

 

「そっ――そんなわけあるはずがないですわ! マーニャさんの格好は私の趣味でしてよ! 高潔っぽそうな人の自堕落なジャージ姿がグッとくるというだけの話なのですわ!」

「欲望が駄々漏れで反吐が出るのです。ぺっぺっ」

 

 フニが唾を吐く真似をする。こら、とマーニャが窘めれば眉を八の字にして、少女の柔らかい頬がぷくうっと膨らんだ。どこでこんな悪い癖を覚えてしまったのだろうか。少し悲しい。

 

「まあそれはとにかく」

「マーニャさん扱いが雑! 私が雑ですわよ! もっと丁寧にしてほしいですわ!」

「具体的には?」

「え、ぐ……ぐたいてき……?」

 

 ちょっとした興味本位でいつもは聞かないことを追求してみると、面白いぐらいにアスモの言葉が止まってしまった。あわあわと顎を震わせる淫魔は変な妄想でもしてるのか、茹った顔を乙女のカオにして呟きだす。

 

「その、ほら、一緒にお風呂に入ったりとか……一緒のベッドで寝たりとか……私の蝙蝠羽をマッサージするとかそういう……そういうやつ……!」

「アスモはなー、見た目痴女のくせして頭ん中が乙女なんだよなー」

 

「万年発情犬はお黙りッ!」とアスモがまなじりを吊り上げるのを見ながら、思わずマーニャは目を瞬かせてしまった。なんだ、そんなことでいいのか。

 

「それくらいならいいけれど、別に」

「えっ、ほ、ほんとに……!?」

 

 アスモの顔がぱあっと輝く。伺うような上目遣いに見つめられてマーニャは頷いた。

 

「ええ。フニといっつもしてることだもの」

「――」

 

 そしてアスモの顔は長年付き合っていた恋人に浮気を告白された時みたいになった。

 絶望に歪む表情のまま、アスモはマーニャとフニを交互に見比べる。二人の表情が『一体何を今更?』とでも言いたげだったから、アスモは目眩を覚えて後退った。

 

「ふ、不潔ですわ不純同性交友なのですわ犯罪ですわ許されませんのよそんなこと! ああでもその光景を今なら眺め放題というのもそれはそれで……でも、なんなんですのこの感じ! べべべ別にマーニャさんとは付き合ってるわけでもないのに大事な人を奪われたこの鬱ムラムラは……!」

「鬱ムラムラ……」

「この女、本当に救いようがないのです」

 

 無数の性癖を覚醒させつつあるアスモをフニは腐敗物を見る目で見下した。年齢で言えばマーニャと近いアスモは、かなり年下な少女からの冷たい眼差しに背筋がゾクゾクしてしまった。

 

「それで今日はどうしますの? なんだかウルさんも混ざってますけど、ダブルデートとかしますの!?」

「あなたのそういう自分の欲望に素直なところ、結構嫌いじゃないわよ」

 

 たぶん本音だろうヤケクソ気味な話題転換をさらりと流して、マーニャは今後の予定を伝えた。

 

「私の目的は魔物と人の和解よ。そこに至るまでの筋道は計画してる」

「それは知ってるけどよー。あたしも手伝うことにしたんだけど、具体的に何するんだ?」

「大丈夫。ちゃんと考えてるから、ウルはフニといちゃいちゃしてればいいわ」

「なるほどそいつは簡単かもだ! フニー!」

「うぐぐぐぐ」

 

 お腹から下を大きな狼にすっぽり覆われた少女の苦し気な声を聞きながら、マーニャは今日の予定を宣言する。

 

「だから今日は、ゴルを仲間に引き入れましょう」

 

 

 

 

 

 マーニャは自身の望む結果は語るが、その過程で何をするかはまるで語らない。フニはもちろんアスモもウルも、それでいいとそれぞれの理由で納得をしていた。

 

「なるほど。お前たちが人間だったとはな。その正直さは評価してやってもいいが」

 

 そういうわけで三人がさっそく魔王城へ赴き、四天王の一人であるゴルを尋ねた際、挨拶も済まない内からマーニャが素性を明かしたのには誰もが驚いていた。

 アスモと同じような間取りの執務室で、椅子に座るゴルは灰色の2メートル以上ある巨躯を服を着ることもせずに晒している。

 

「俺に何か意見を聞かせたいならば力を示せ。俺は俺より弱い者の話に興味はない」

 

 灰色の巨人は静かにそう言った。マーニャは複雑な表情を浮かべた。

 

「……それは、自分よりも強い者にならなんでも従うということ?」

「おかしな事か? これが108の種族が混在する魔物の在り方だ」

「私はあなた達を否定したくてここに居るんじゃないわ。あなた達に人を理解してもらいたいのよ」

「弱者の戯言に興味はないな」

「そういうことならあたしがやるぜ」

 

 平行線をたどりかけた会話に、突然ウルが割り込んだ。胸を拳で叩いた彼女は野趣に満ちた笑みで尖った八重歯を見せる。ゴルは鼻を鳴らした。

 

「一年前、俺に全身を粉砕骨折されたことを忘れたのか」

「馬鹿かゴル。新種の進化速度なめるなよ。しかも今はフニもいるからな! ここで華麗にゴルを倒してフニに惚れてもらうって算段なんだぜ! あたし頭いいだろ」

 

 褒められたかったのか、ウルはちらちら隣に座る少女を見やる。狼女の隣では、フニが会話自体興味なさそうにうつらうつら舟を漕いでいた。

 

「今のお前では俺に勝てん。言っておくが、俺を食べてもしない限りは遺伝子刻印魔法は模倣できんぞ」

 

 なんだよゴルのけち! と思いっきり頬を膨らませたウルは八つ当たり気味にフニの膝へとダイブした。膝枕を許可なくされたフニは、奔放な性格には諦めているのか、眠そうなまま静かに彼女の頭を撫でている。

 

「こ、ここは私が頑張りますわっ。肉弾戦特化のゴルさんと戦うのは苦手ですけど本気を出せば……!」

「お前は魔王直々に戦闘行為を禁止されているだろう」

「マーニャさんに格好いいところ見せたいっていう女の意地ですのよこれは!」

「揃いも揃って……。お前たちと喋っていると俺が常識的に感じられる」

 

 鼻息の荒いアスモに、ゴルが眉間の皺を揉んでいた。四天王などと大層な役職に就いている三名だが、いつもこんな調子なんだろうか。

 

「ねえゴル。どうしても戦わないといけないの? あなたと交渉するにあたって、幾つか提供できるものがあるわ」

「先ほどの話通りなら貴様はこの場で最も価値が低い。そんな者を俺は信用しない」

 

 マーニャの言葉にはそもそも聞く耳すら持ってくれない様子だった。ゴルの魔物らしい頑なさに、さすがに予想を超えていたのかマーニャがつい口ごもる。

 そうして室内に沈黙が生まれて、ほんの数秒後。

 

「なら、わたしと戦いますか」

 

 それまでウルの灰色の髪をそっと手櫛で梳いていただけのフニがぽつりと言った。

 

「フニの戦うところが見れるのか!?」

「フニ……」

「かまいません。わたしは強いですから」

 

 並々ならぬ自信を持った丸い瞳は、まっすぐに灰色の男に向けられる。それまで消極的だったゴルの態度に初めて“色”が浮かんだ。――戦意がだ。

 浅く、口元が歪む。丈夫な歯がはっきりとわかる笑みでゴルは尋ねた。

 

「俺は肩の脱臼、お前は魔法を破壊されていたか」

 

 魔王領へ潜入してすぐの事だ。首都に到着したマーニャとフニは、アスモに紹介されて首都を回っていた。その途中で出会ったゴルとフニは1秒以下の攻防で引き分けに終わっている。

 あれも、たった数週間前の出来事だ。フニも忘れていないのだろう。マーニャから見たフニにはどこか、ゴルと似たような頑なさがある。

 

「以前は中途半端に終わったが、今回は期待してもいいということか?」

「好きに受け取ればいいと思います。勝つのはわたしですから」

 

 そういうわけで、フニとゴルが戦うことになった。

 

 

 

 

 魔王領首都には、認識阻害の魔法によって誰も近寄らない平野が近辺にある。

 魔物同士の諍いで決闘騒ぎに発展した際はここで殺し合うのだとアスモは説明した。魔物にとって戦いは至上の娯楽だ。特に今回のように四天王の一人が動くとなれば、それは首都全体が沸くほどの祭りになるらしい。マーニャとフニが人間だという事実は四天王と魔王以外は知らないのだから、当然の対処だった。

 

「死んだとて構わんな?」

「別に、どうでも」

 

 季節は冬。冷たい風が枯れ草を揺らす。人間の少女と、魔物の大男が向かい合う様はひどく現実味がない。文字通りの意味で縮尺が歪んで見える。ゴルの手は少女の頭を悠々と砕けるほど大きいのだ。

 

「マーニャさん、大丈夫ですの? なんだか顔色悪いですわ」

「不安なのよ。フニが怪我を負ったらと考えると」

 

 自分より遥かに小さな少女を見据えるためだろう、僅かに背筋を曲げる男の口元には薄らと笑みが浮かんでいる。マーニャにはわかった。あれは殺しを楽しむ者がする、そういう顔だ。

 そして――言葉もなく、唐突に。

 フニが宙に巨大な火球を生成、ゴルへと投げた。それをゴルが単純にぶん殴ることで破壊し――その瞬間から魔物の姿がマーニャには視えなくなった。

 

「速い……というか、速すぎて見えないわ」

 

 一般的な動体視力しか持たないマーニャには何も見えない領域で戦闘が行われていた。超高速の殴打を生身の少女はものともせずに魔法で受け流し、攻性魔法で反撃し、更なる連撃を叩き込む。

 その余波だけで平野のあちこちに亀裂が走り、大地が抉れ、暴風が荒れ狂った。

 

「彼も強いのね」

「そりゃあゴルはつええよ。なにせあいつは、母上が表に出るまで魔王を継ぐ者だって言われてたんだからな」

 

 ハンナストリチウム・ヒュッケンオゥガ=血種覚醒(ミシンテス)002(ナデュオ)=ゴル。彼は生まれた瞬間から魔王の座を約束された魔物だったとウルは足した。

 八大純血種全てと、全氏族に覚醒した103(チィ・ゼルツォ)さえ現れなければ。

 

「あいつの頑丈過ぎる肉体は物理法則すらも貫通する」

 

 渾身の回し蹴りを防護障壁に阻まれたゴルが動きを止める。そして――何かを認めるように笑みを濃くした。

 それは、恐ろしく黒い、野獣の顔。

 

「少し速度を上げる。ついて来い」

 

 言葉の直後だった。

 マーニャでも分かるほどの魔力のうねりがゴルを中心に巻き起こる。まるで無数の歯車が連結し回転数を増やし、一つの結果を生みだそうとするかのように、うねりは一つの形へと収斂していき。

 

「ゴルの特徴は遺伝子に刻まれた魔法群だ。あれだけはあたしでも真似できない」

 

 そして。

 透明な魔力のうねりに包まれたゴルが僅かに腰を落とす。

 

「音速の12倍――それがゴルの通常戦闘速域だぜ」

 

 秒速4000メートルの世界で、ゴルが地を蹴り飛ばした。

 瞬間、音の壁(ソニックブーム)が白い空気層を生み、魔物の直進方向全ての物質が吹き散り全ての生命には音が遅れて追いつく。

 速いという概念の先にゴルは居た。

 現象の逆転にフニが目を見開く――本能的な動作よりも速く魔法が編まれ、100層近くもの防護障壁が展開。1つで攻城用魔法砲撃に耐えうる防護障壁100枚が、音より速いゴルの拳と衝突し、

 

「――――」

 

 交錯の瞬間に音は無かった。

 少女の遥か後方で立ち止まったゴルが、いつの間にか片手で握っていた物体を気軽に放り投げる。――フニの前まで転がってきたのは、少女らしい柔さに満ちた右腕。

 少女の右腕断面から音が鳴った。

 血が噴き出す音だった。

 

「フニ――!」

「大丈夫です。わたしはわたしの肉体構造を完璧に把握しています」

 

 マーニャの悲鳴に、底冷えするような冷たい言葉を返す少女は、激痛に苦しむ様子もなく一言呟くだけだ。【加速(リスチル)】と。――それだけで少女が失った右腕が再生した。

 

「すげえ。魔法による細胞分裂周期の操作と超加速か。あれって結構難しいはずだろ、魔物でも出来る奴は少ないぞ」

「おほほウルさんは知らないかもしれませんが、フニちゃんは天才なんですのよ」

「なんでお前が誇らしげなんだ?」

 

 マーニャが初めて見るフニの肉体欠損に呼吸を荒くしていても、その隣では超越者達の気楽な会話が繰り広げられている。その事実に少しだけ耐えられなくて女は胸に手を当てて目を閉じた。

 息が、苦しい。少女の血を見ただけでうまく呼吸が出来なくなりつつある。

 

「痛みはないのか」

「必要以上の痛覚はずっと昔に遮断しました。わたしは、苦痛で恐怖するわけにはいかないのです」

「フ……俺好みの答えだ」

 

 ゴルとフニの会話も、目を閉じればどこか遠くから聞こえた。

 いや、実際に遠いのだ。物理的にも精神的にも。ここにはマーニャ以外、“強者”しかいない。弱者の存在していい空間ではない。

 

「音速の……12倍ですか。それにもっと速くなれると。神経系の強化も済ませてあるんですが視認すらできないなんて、少し、おどろきです。どうやら人は、魔物というものを随分舐めていたようですね」

 

 風がびゅうびゅうと鳴る。心まで冷えてしまったような気がして、肺の収縮がおかしくて、マーニャは恐ろしくなった。

 いつの間に自分はこんなにも弱くなったのだろう。

 

「ですが、この程度でわたしの全盛だなどと勘違いしないでほしいのです。――お姉さま」

 

 少女は戦場の中にあって、落ち着いた様子でマーニャに声をかける。

 

「……なあに?」

「お姉さまは“勇者”ですから、今からわたしが行う事を許可する“力”があります」

 

 少女の望むものが何なのか、わかった。顔の強張りを解くこともせずに女は顔を挙げる。フニは、女だけを見つめていた。

 

「それはわたしが何をやっても得られない、特別な力だと思います」

 

 ふたつ。視線は交わる。双方にあるのが疑念や悪感情ではなく、ただひたすらな愛情であると確信できるのが、フニには喜ぶべきたった一つの事実だ。

 

「わたしに出来ないことがお姉さまなら出来る。それがとても嬉しいのです」

 

 昔の話だ。

 もう一年も前になるか。

 

『……やっぱり、旅、楽しくなかった?』

 

 ベッドに押し倒した美女が悲し気に笑うのを、今でも鮮明に思い出せる。奇妙な劣情に囚われて魔法で押せば、本当に簡単にマーニャは倒れてしまった。彼女の、あまりの弱者ぶりにあの時の自分は確かに絶望した。

 ――フニとマーニャは一度、関係に致命的な亀裂が走るほどの喧嘩をした事がある。道を違え、きっと同じ道を歩むことはないだろうと思えるほど悲惨な別れ方をした。だけど再会したマーニャは、自身のすべてを吐き出して。弱さを認め、醜さを認め、それでもそんな自分を愛しているとまで言い切った。

 美しくて賢くて優しくて笑顔がとっても素敵なお姉さまはその時に死んだのだろう。

 

「わたしは、お姉さまのたった一つの願いを貫き通す力が欲しい――」

 

 尊敬の念でしか見上げられない美女はもうどこにもいない。

 ここにいるのは、在るのは、10も年下の少女に呼吸(・・)の許(・・)可を(・・)求め(・・)た弱(・・)い女(・・)()

 それでも――世界一弱い彼女でいいとフニは思う。

 

「そのための力を、お姉さまはわたしにくれますか?」

「フニ。あなたは……知っているのね」

「お姉さまが、魔王領潜入にあたって最強の切り札を用意してくれたことは、こんなゴミみたいなわたしでも想像できました」

「…………」

 

 世界一弱い彼女を、世界一強い自分が守る。

 こんなどうしようもない小娘に生きることを許されたがった女は、二人が自由な旅人で、喧嘩をして、よりを戻そうとしたあの時に、少女の中で明確な愛の対象に堕ちた。

 

「あなたは、本来なら、そんなルールに縛られるまでもないのに」

「それでもわたしはお姉さまに認めてほしいです」

「これはね、きっとろくでもないものよ。あなたはきっと、焚書指定の知恵以上のものをその頭の中に隠している。それを使う許しを、私から得ようとしているのね」

 

 マーニャが笑う。自分を見つめて笑ってくれる。

 フニには、人外になるのに十分すぎる理由だった。

 

「世界一弱い私に、世界一強いフニが許しを求めるのね」

「世界一ゴミなわたしが、世界一素敵なお姉さまに許しを請うのです」

 

 他人のために尽くそうとすること。

 他人のために在り方すら変えられること。

 フニは、それ(・・)こそ(・・)が愛(・・)なのだと、知っている。

 

「そうね。私は弱くて、あなたは強い。私にできるのはこういう事だけだった。なら、私は私の価値を示すわ」

 

 ――ふう、と。何か重いものを吐き出すように溜息をしたマーニャは……小さく頷いた。

 そして、ポケットから一枚の書類を取り出して、フニへと見せつける。そこには幾つかの名が書かれていた。

 

「勇者であるマリアジュエ・イーニア・ベネティード=フィフスが承認する」

 

 人類統合軍最高司令官エド・ゼル・クウガ、承認。

 人類統合軍最高司令官補佐グロリアス・ヒューズ・マグヌス・ヒュッケス、承認。

 人類統合軍第一元帥ケド・カサルル・ホルル、承認。

 人類統合軍第二元帥マケイタス・ネイト・ディーヴァ=ファースト、承認。

 人類統合軍第三元帥アルフェード・ディシウ=フォン=ケツェイド、承認。

 

「フニ・フラ・フリペチーノによる禁術指定魔法群の無制限使用を許可する」

 

 人類において軍規全てを超越した絶対権限そのもの。この一枚の紙こそが、マーニャが魔王領へ持ち込んだ最高にして最強の“力”だった。

 全てはフニの力を極限まで高めるため。

 政治力と呼べる話術で掴んだたった一枚の書類。この一枚の書類に人類統合軍における最高意思決定者全員の署名を書かせるためだけに、数か月を要したのだ。

 

「ウル。アスモ。ゴル。これが人の持つ力よ」

「よくわかんねーけど、禁忌を禁忌だと知って許すことがそんなに大事なのかよ」

 

 ウルは理解できない様子でそう言った。狼女は、マーニャの提示した書類の効力と価値を理解はしている。だが、その真意までは把握できていない。

 

「ええ。人はね、こうやって間に幾つもの書類と時間を挟めば、自分達で課した禁術指定(ルール)だって簡単に、いくらでも、破るのよ」

 

 それは非効率を排し、絶対の効率性のみを文化として定着し続けてきた魔物には決して不可能な在り方だ。人は失敗した過去を封印するが、必要となればまた掘り出して利用する。それこそが人全体が持つ“力”なのだとマーニャは示していた。

 

「人は弱くて脆くてどうしようもなく誰かの許可を求める生き物だから」

 

 だからフニも、マーニャに許しを求め、それを得た。

 かつてマーニャが少女にそうしたように。

 

「それでも私は、あなた達に人が劣っているだなんて思わない」

 

 よく見なさい。

 人類の究極系がそれを示すわ。――女が見つめる先で、少女はたった一言を呟いた。

 

「【組成改竄(キルオペ)封印領域(デスディスキステス)】」

 

 生態系破壊級禁術【封印領域(デスディスキステス)】指定魔法群:第十三項【組成改竄(キルオペ)】。それは対象の肉体を自由変質させる魔法である。

 望めば究極の高次生命、つまりは“存在しないはずの神”へと至る事すら可能なこの魔法は、しかし、人体にはあまりに強力すぎた。

 この魔法を開発した学者は自身の遺伝子を改造し、新たな生命体になりかけたが、結局肉体の方が耐え切れずに自壊したという。人類統合軍の最前線で戦う魔装化兵士は皆、【組成改竄】を人類に堪えられる程度に弱体化させた魔法で肉体を強化している――だがそれでは、この魔物には勝てないとフニは理解していた。

 ――必要なのは、物理法則の果てすら捉える、神速域の眼。

 物理法則を貫通する速度域への順応をフニは求め、自身の眼に禁呪を打ち込んだ。既に魔眼改造施術を受けていた瞳は、更なる力に晒され遺伝子情報から何まですべてが一斉に変わっていく。

 もはや人の組成をしていない少女の両眼に、ゴルが息を呑んだ。

 

「その構造、魔物の眼か。一体だれを参考にした。誰の眼を模造した、娘」

「魔王の眼だと言ったら?」

「――」

 

 力がいるのだ。

 たった一人を守り切れるだけの、存在しない神すら殺す絶対の力が。

 ゴルを、薄らとかいた汗の不快さの中で見やる。

 かの究極の肉体を持つ魔物が何かに畏れ、身体を硬くしていた。それが心地よくて心地よくて、フニは暗い愉悦を頬に刻む。腐った汚水みたいな心が更に卑屈さを増す。――だがこれだけでは足りない。どれだけ異常な魔眼を得ようとも、フニは自分が至らないゴミだと自覚している。

 

「わたしは、あまりにも大きな失敗を、かつてしました。わたしがお姉さまの未来を狂わせた張本人――だからわたしは、いつもいつもゴミなのです」

 

 こういう言葉を使うと、マーニャが辛そうに顔を歪めるのは知っている。

 それでもこれはフニが背負うべき罪なのだ。

 

「いっそ過去改変の魔法でも使えばよかったけれど、というか実際使おうとしたけど、そうしたくないくらいの“思い出”も……お姉さまはくれました。だからわたしは今この時を受け入れたいと思います」

 

 ゴミは何をしてもゴミ。

 ならば道理を逸脱しようと何も変わらない。そう考えたフニが禁術に興味を向けたのは必然だった。全てはマーニャを守れる自分になるため。失敗など許されない世界で勝ち残り続けるためだ。

 だから彼女は人間という枠組みから外れ、正真正銘の禁呪を起動した。

 

「【魔源脳臓(オルヌム)禁忌領域(デスディスオフテス)】」

 

 文明破壊級禁術【禁忌領域(デスディスオフテス)】指定魔法群:第二項【魔源脳臓(オルヌム)】。

 それは使用者の肉体内に魔力生成臓器と魔力操作代理脳を創造する魔法。つまり、魔法起動を代理補助する魔法である。僅か三つしかない【禁忌領域】指定魔法の一つだった。

 

「魔法は、大気中の魔力をエネルギーに燃焼する以上、『大気内の魔力総量』というルールを越えた超極大魔法の発動はできません」

 

 魔力は大気に満ちるものであり、それを操作・変換・燃焼の手順通りに扱うことで魔法は起動する。この魔力操作技術に長けた者ほどより多くの魔力を扱えるし、より高度な魔法を使用できる、高い価値を持つ――ここまでが世界の常識。

 一体だれが開発したかも不明なこの魔法は、そんなあらゆる価値概念を破壊する。

 

「構造理論のみ完成されている過去改変魔法や概念改竄魔法が起動できないのもこれが理由です。……まあ、禁術指定ですが」

 

 万能の力には技術的限界がある。

 だが、そんな法則すら、魔力(・・)を生(・・)成す(・・)る魔(・・)()があれば解決してしまう。【魔源脳臓】とはそういう類の魔法だった。

 

「人類はこんなものまで創り上げたか――!」

「魔物に言われたくはないのです」

 

 禁忌中の禁忌を垣間見、そこに魔物と同等以上の闇を視たゴルが喉を震わせる。そして感情のままに疑問を突きつけた。

 

「だが、誰だって最強になれる力に抗える者などいるはずがない。であればその魔法理論は、旧体制を維持したい者から排斥を受け遺失しているはずだ……!」

「その通りです。よく気づきましたね」

 

 生活の全てを魔法に頼るこの世界において、魔力操作技術の優劣という社会基盤を崩す魔法は、文明破壊の危機があるために禁術指定扱いであり、高位魔法使いを中心に強烈な排斥運動を生んだ。故にその魔法構造理論は完全に遺失している――。

 ――はずだった。

 

「でも、わたしは超すごくすごい天才ですから」

 

 フニ・フラ・フリペチーノは魔法における天才である。その天才性はマーニャという良き理解者を得ることで遺憾なく成長し続けた。

 

「超天才なわたしが、【魔源脳臓】構造理論をゼロから創り上げていたとして、その発動機会を待っていたことの何がおかしいのですか」

「――――」

 

 その場の全員が絶句した。

 マーニャでさえも瞳を揺らし、少女を見つめた。

 フニも、女の黒い瞳を静かに見やる。女と少女の視線が混じり合った。それは二人が初めてであった時絡め合った視線よりも、遥かに熱の籠ったものになっていた。

 

「お姉さま。これでもわたしは、愛されるに足る“わたし”ですか」

「私はあなたと一緒にいたい。あなたと在る未来だけでいいのよ」

 

 二年もあれば人は変わる。

 マーニャが変わったようにフニもまた変化を受け入れてここにいた。だからマーニャは、世界中の誰もが禁忌を犯した少女を否定しようと、自分だけはフニの味方で居続けるのだとかつて誓った。

 

「あなたが好きよ、フニ」

「わたしも好きです、お姉さま」

 

 言葉は短くていい。

 潜む情を、自分は体の深いところで知っている。

 

「そんなお姉さまがいてくれるから、わたしは誰よりも強くなれるのです」

 

 フニは言い切り、マーニャとの視線を断つ――そして先ほど変質させたばかりの両眼に【魔源脳臓】を打ち込んだ。少女の、濁った眼差しさえなければ可愛らしいはずの丸い瞳は、更なる変化を加えられる。

 右は灰色に――構造把握の魔眼でありながら魔力生成器官へと。

 左は縦長の瞳孔に――自動検知の魔眼でありながら魔力操作代理脳へと。

 その瞬間だった。

 

「……!」

 

 世界が、変わる。砕ける。壊れる。捩れる。揺れる。――溢れだす。

 その時フニは魔力という存在の原理そのものを視た

 

 

 

 今ならば、魔王を殺せる――神にだってなれる。

 

 

 

 この時この瞬間、確かにフニは高次の生命体へ至る切符を手にしていた。

 だが、そんな無限に溢れる万能感をヘドロのような卑屈さが抑え込む。

 忘れてはならないのはたった一つだけ。

 自分がゴミで、

 彼女が全て。

 

「――【あなたの】」

 

 本能的なものだろうゴルの突進を、フニは見た。弾け飛ぶ土くれも、抉れる大地も、魔物の筋肉が魅せる脈動も、全てはあまりに緩慢。

 光速すら視認可能な今のフニには世界そのものが遅すぎる。

 

【あなたの】

【魔法使用を】

【遺伝子レベルで】

【禁じます】

 

 言葉による詠唱すら少女は必要としなかった。

 全て、溢れだした漆黒の魔力が代理していた。

 少女が振るった力は途端にゴルの全身から膂力を奪い、一気にそれまでの身体能力を失ったゴルが派手に転倒。フニのすぐ脇を抜けて吹き飛んでいく。

 その瞬間にフニは勝敗の全てを理解し。

 そしてその力に、ウルとアスモが瞠目した。

 

「あれは母上の……!」

「魔王様の能力――!?」

 

 続く言葉は、転倒から立ち上がったゴルが次ぐ。

 

「魔力による浸食――あの魔王と同等の力を、こうも容易く扱う人間がいるとはな……!」

 

 興奮のまま唾を飛ばす魔物の眼は、どこか敗北を知った褪せた色をしていて、だというのにその全身からは気力が蒸気になって溢れ出そうなほどだった。

 ゴルの戦意がむしろ上昇していることにフニは小さく目を細める。

 

「既に勝敗は決しました。……いまのわたしを、あなたでは越えられませんよ」

「だったら何だと言う。勝ち負けが分かるからと体の動きを止めて、一体何を得るつもりだ? 俺の戦いはまだ何も終わっていない」

「くだらない」

 

 吐き捨てるフニに、魔物は浅く笑ってみせた。

 

「――知っているか、娘」

「?」

「その技術はな、ついぞ当代の魔王が現れるまで誰も使えた事がない新時代の力だ。戦こそを至上とし、そのために全てをそぎ落とし続けた我々魔物が、それでも一切たどり着けなかった魔法の先にある原始的な呪い(・・)――技術的革新などというレベルを超えて、あの女が僅か一代で作り上げた力は異常の極致にある」

 

 まるで、そう――別世界からやって来た存在のように。

 

「あの魔王は、全氏族の混血などとのたまうだけの、魔物(・・)です(・・)らな(・・)()何か(・・)()

「であれば同じ力を使うに至ったわたしは、人間ではないのですね」

「……“存在しないはずの神”か。神の不在証明など魔法研究の途中でとうの昔に果たされたというのに、お前たち人間の想像力は時として異常だったな」

 

 ゴルは、再度、突進の構えを作った。既に遺伝子内に刻まれたすべての魔法は機能を停止している。それはゴルの肉体が魔法的強化なしの膂力しか持てないことを意味していた。今のフニとの実力差はそれこそ神と人の差に等しい。

 だというのに彼の魔物は何のためらいもなく至高の魔法使いへと勝負を挑む。

 

「一体これ以上の戦いに何の価値があると言うのです。わたしには理解できません」

「それこそが相互不理解だろうよ。俺は魔物で、貴様は人間だ。博愛の性を持つお前たちに、俺のような在り方は理解できんさ。俺が魔物であることに誇りを持つこともな」

「……」

「俺は貴様のように生命としての枠を踏み抜くつもりはない。魔物として戦い、魔物として貴様に負けよう」

 

 ゴルは奥歯まで剥き出しにして、笑った。

 

「娘。貴様を人類が誇る最強の単体戦力と認定する」

「わたしはあなたをただの障害としか思えません」

 

 両者の視線は一瞬だけ交錯する。そして、ゴルが以前よりも遥かに遅い速度で、地を蹴った。魔法に頼らない純粋な力で走るゴルへ、フニはただただ冷えた眼差しだけを向けた。

 そして、決して折れない心すらも砕く力を示すため、右手をそっと虚空にかざす。

 

「一撃で終わらせます」

 

 フニは宇宙すら覆う量の魔力を捻出し、それを神に等しい技術でひと欠片の炎にする。

 人が渇望してやまない究極のエネルギー体、その構造理論をマーニャだけは理解し、瞠目した。

 

「あれは……」

 

 それこそフニが卒業論文に選んだテー(・・)マの(・・)ひと(・・)()だったからだ。少女は魔法に頼り切った文明社会のなかで、マーニャでも生きられる世界を描こうとしていた。そんな世界を夢見て少女は、魔力総量という壁を突き破らなければ起動しない魔法構造理論を、魔力変換法の新たな形を、生み出したのだ。

 ――魔力操作技術、その極致の先で、異次元の才能は開花する。

 

 

 

 

 

 名を超微粒多重積層圧縮魔力加速衝突操作式円環連鎖変換燃焼法。

 それは、第二の太陽。

 つまり恒星級熱核融合炉生成魔法である。

 

 

 

 

 

 中心温度にして一億五千度。

 表面温度ですら五千度にも及ぶ超質量の小さな炎塊が。

 少女の掌の上で、生命史上初の偉業が成る。

 

「【縮退耀星(ブレスレス)】」

 

 世界はその瞬間純白に包まれていた。昼も夜も越え、少女の掌にある星の輝きが全ての者に光をもたらし、視覚を塗りつぶしたのだ。

 フニは周囲一帯を熱量の暴力から守りながら、魔法で生み出した恒星を維持し続ける。莫大な質量で物理法則すらも歪ませる極小恒星は超重力を生み出し、全ての者から行動の自由を奪い去っていた。

 この一撃に、回避方法は、ない。

 

「――やはり戦いは楽しいな」

 

 かつての生命が神と崇めた星の光に全身を打たれながら、魔物は童心に返ったように呟いていた。既に一歩も前へ進めない己の肉体に、莫大な圧だけが降りかかる無力感の中で、ゴルは最後に一言だけ呟く。

 

「ああ、俺の……負けだな」

 

 少女は何も語らない。

 小さな掌に納まる小さな太陽を、ゴルへと向け――射出。

 そこから先に起きた全てを語るには、あまりにも現象の何もかもが同時に起きていた。

 

 

 

 極星の直撃よりも先にゴルの下半身が蒸発した。

 同時に魔物の上半身9割が溶解。

 フニはそこで魔法を止めた。

 ――が、恒星接近の余波でゴルの背後に位置する魔王領首都半分が炭化した(・・・・)

 

 

 

 誰にも当たることなく停止した魔法はしかし、その余剰熱量のみで全てを破壊し尽くして。吹き飛んだ水分が辺り一面を白霧で覆う中、フニの張った防護障壁内でウルが興奮のままに吠えたてる。

 

「――人間は最高だなあオイ!」

 

 もうもうと立ち込める水蒸気が未だに荒れ狂う暴風に掻き消されると、狼女の眼前には赤く染まった大地だけがあった。豪奢な建築物も高い文明性を誇る理知的な配置の首都景観も、何もかもが消失していた。

 ただただあるのは、熱と死と炭のみ。

 

「これが禁忌か! それを許せる人間の力か!! フニだけじゃなく、人間すべてがこんな可能性を持ってるなら! それを目にして立ち向かえるなら――あたしは喜んで死ねる!」

 

 フニが放ったたった一発の火球は、魔王領首都に在留していた魔物の半数を殺していたのに。だというのに、ウルの声音は発情したように興奮で染まっていた。それしかなかった。

 マーニャは暗い眼差しで、隣のアスモを見た。

 

「これが……人の、力……!」

 

 アスモは全ての感情が沸き起こる喜びに震えていた。こらえきれない笑みをマーニャから隠すように口元を手で覆ってはいるが、隠しきれるほど小さな感情の高ぶりではない。

 ああ、とマーニャは嘆くほかなかった。

 恐らく――この衝撃を感じた全ての魔物が、同じような感覚に包まれている。何故なら、無事だった首都からは悲鳴のひとつも聞こえないのだから。

 

「……これが魔物」

 

 戦闘に喜びを見出し、戦闘がために種としての生き方を定め、戦闘のためならば同族の赤子すらも殺す精神性は――首都の半分を荒地にさせた超極(・・)大魔(・・)法の(・・)余波(・・)にすら歓喜する。

 

「遠いわね」

 

 どれだけ仲間が死のうと関係なく笑顔を浮かべるのだ。首都開発を推し進めていたアスモですら、目の前の絶大なる力と、人間すべてが秘めた可能性に体を震わせている。その事実がマーニャには酷く『遠い』。

 彼らは同族の死を悲しまない。同族を殺せる力に歓喜する。

 果たして、こんなにも違う魔物と、和平など結べるのだろうか。――小さな悩みが脳裏をよぎって、だからこそマーニャは一歩、前に進んだ。

 

「ゴル」

 

 そこには、肉体の9割を喪失しながらも再生しつつある魔物がいた。フニが魔法禁止の呪いを止めたために、遺伝子に刻まれた魔法が復活し、肉体を再構築しているのだ。

 驚異的な生命力を持つ四天王の一体は、既に上半身を復元し終えつつある。

 

「何か用か。力を持たない女」

 

 仰向けに地へ伏しながらも放たれた言葉は、フニへと向けたそれよりも遥かに零下。“魔物”らしさを突き詰めた存在であるゴルにとって、マーニャは塵ほどの価値もない、ただのゴミだ。

 そうと分かっていても尚、勇者は言葉を紡いだ。

 

「私は確かに、あなたと戦うことすらできない無能な女よ。でもね、あなたに究極の戦闘経験を提供する事ならできるわ」

「なに?」

 

 美女は、笑う。ころころと。

 蜂蜜をまぶしたように甘く、邪悪に歪んだ表情だった。

 

私が(・・)許可(・・)した(・・)()は凄かったでしょう。それを、あなたは今後、味わうことが出来る」

「……」

 

 嘘だ。

 マーニャが許可するまでもなくフニは禁術指定の魔法を扱えるはずだった。それでも、他の誰でもないマーニャの許可を少女が求めたからこそ、女勇者には価値がある。

 誰でもない、自分自身で、彼女は自信を無能と断定していた。

 

「条件は何だ」

「半年でいい。私に従って」

「……それはつまり、半年後には俺が満足できるだけの戦争が起きるという意味か」

「好きに解釈してくれて構わないわ」

 

 ゴルは“魔物”らしい魔物だ。戦闘に至上の喜びを見出す彼を仲間に誘うなら、マーニャは幾つか世界が向かう未来に破滅を用意しなければならない。恐らくたくさんの血が流れるだろう。想像するだけで体の芯から震えそうになった。

 それでも――マーニャは笑い続ける。

 フニが見ているからだ。

 

「よかろう。俺はお前が利益をもたらすなら従う。だが約束を違えた時、俺はお前を真っ先に殺す」

「……それでいいわ」

 

 ――ひとつ、必要なピースが枠にハマる感覚。

 ゴルはまるで商売相手に向けるような、情のない視線をマーニャにぶつけた。

 

「では聞くが、まず、何をするつもりだ?」

「大丈夫。必要になったら呼ぶから」

 

 でも……そうね。

 ひとつだけ教えてあげるわ。

 

「――私は戦争の形を変える」

 

 言い切り、体を回す。ゴルに背を向け、そのまま少女の元へと駆け寄った。

 栗毛の少女は濁った眼に上目遣いの親愛を浮かべてくれる。突然、フニのことがたまらなく愛おしく感じられて、マーニャはフニを思いっきり抱きしめた。

 

「むぐ……くるしいです、お姉さま」

「ごめんなさい。でも、いいでしょ?」

「もちろんなのです」

 

 心地よさそうな声と共に、少女の体から力が抜けて、フニは全身をこちらに預けてくれる。ふと思い出すのは今朝、ウルに抱きつかれて嫌がっていた少女の姿。

 少女にとって自分が“特別”であるという何よりの証左。その熱。

 ――全てを許されている。呼吸も、命も、存在価値も。

 だから、嬉しい。

 だから、愛している。

 だから、マーニャは、史上最大規模の戦争を始めるつもりだった。

 

 

 

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