女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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学生時代、お姉さまとの出会いについて

 

 それは、マーニャがまだ詐欺師でも勇者でもなかった頃のこと。

 二人のなれ初めの話になる。

 季節は春。桜並木からひらひらと舞う桜の花びらをぼうっと眺めながら、栗毛のまつ毛が長い少女――フニは、はあ、と重いため息を吐いた。

 

「はあ。こんなつまんないとこ、居る意味ないのに」

 

 こんなつまんないとこ、というのは彼女が現在通っている学園のことを指す。

 王立魔法学園。世界最大規模の魔法研究と人材育成を専門に担う学び舎。この国の王侯貴族はもちろん、有名な商人の子息、他国の王侯貴族まで在籍している、煌びやかな学びの園。全十五期生。

 フニはここ魔法学園の一期生、つまり入って間もない新入生の立場だった。歳は現在11歳。学園のお兄様お姉様から見れば生まれたての赤子みたいなもの。とはいえ少女には初々しさなど欠片もなかったし、丁寧に舗装された石畳の上を歩く足取りは非常に重たいものだった。

 

「……」

 

 道を行き交う人とすれ違うたび、フニは好奇の目を向けられた。『これが、あの――』という囁き声まで聞こえてきてフニは魔法でもぶっ放してやろうかとそんな気持ちになる。憂鬱な気持ちがそのまま形になって、フニの長いまつ毛で縁取られた瞳に昏い影を落とした。

 引きずるように持っているキャリーケースのをごろごろ転がしながら、十字路に差し掛かったフニはきょろきょろと道標を見比べる。

 ここ魔法学園はその在籍生徒数の多さから学園の敷地面積も非常に広い。ひとつの街みたいなものなのだ。あちこちに立つ看板を道しるべにして、どうにかフニは目的地までたどり着く。

 そこは学生寮のひとつ。――フニは以前居た部屋から追い出される形で、別の部屋へと移ってきたのだ。

 

『あんたなんかと一緒の部屋何て、こっちから願い下げよ!』

 

 前のルームメイトと、喧嘩というか一方的に喧嘩を売られた形で。思い出すだけでため息が出そうになる。フニは、何もしてないのに。

 

「あの、今日こちらの部屋に移ることになっていたフニなんですけど」

 

 寮入り口の事務室で、事務員に話を通す。受付の女性は眼鏡を軽く撫でてから書類に目を通した。

 

「ああ、はいはい。フニ・フラ・フリペチーノ……フリペチーノって、あの大賢者の娘?」

「…………」

 

 無言で頷けば、事務の女性も気まずそうに目を逸らした。フニとて何も言う気はない。この学園に来て、そういう反応をされたことが多すぎてどうでもよくなってくる。大賢者の娘だったらなんだと言うんだ。

 フニの父親は世に言う大賢者と呼ばれる人だった。革新的な魔法をいくつも編み出し、人々の生活を数十年分は向上させたとまで言われる希代の天才。――そしてフニは、そんな父親を持つ子供。色眼鏡で見られないことの方が奇跡だった。

 

「にしても、賢者の娘なんてねえ――」

 

 そんな独り言を無視して、事務の女性が教えてくれた部屋まで、フニは身の回りのものが詰め込んであるキャリーケースを引っ張ってどうにか歩いた。大したものも入ってないのに嫌というほど重い。

 

「……ついた」

 

 その部屋は角部屋で、扉は閉まっている。一応相部屋だとは聞いているが、たぶん講義中で誰もいないのだろう。今のうちに荷物を入れてしまおう。フニはそっと深呼吸をしてから扉を開けた。――そして、視界に入り込んできたのは。

 

「……あら。綺麗な瞳ね」

 

 扉とは向かい側の壁、開かれた窓に寄り掛かって本を読む女が一人。

 ゆるくうねり膨らむ黒髪と、鮮やかな朱の唇。自信満々に輝く瞳。手にはちょうど栞を挟み終えた文庫本が一冊。窓側の机には、紅茶がカップに注がれている。

 綺麗で。

 窓の先に咲く桜並木がとても映えていて。

 深窓の令嬢、だなんて字面通りの(ひと)がそこにはいた。

 

「……だれ、ですか」

 

 フニの言葉は緊張と、警戒と、真っ白になった思考のままそう尋ねていた。普通こういうのは来客側が自己紹介をすべきだとも忘れて。だけど女は一切気にせず、軽やかな微笑みを浮かべて本を閉じる。

 

「私はマーニャ。十期生。あなたは?」

 

 腰掛けていた窓枠からひょいと跳び、こちらに近づいてくる女……マーニャ。思わずフニは背を逸らしてしまう。女はフニの頭二つぶんは身長が上だった。十期生ということは、フニの10歳年上――21歳だ。 

 

「……フニ、ですけど。一期生です、マーニャさま」

「ふにふにしてて可愛い名前ね」

 

 すごく率直な意見に、フニは少しだけ目を白黒させてしまう。これまでこの学園で経験した好奇さなど一切ない、穏やかで優しい視線――。少し頬が熱くなるのを感じた。

 マーニャが手を差し出す。フニもそれに慌てて応えた。これまで冷めた態度で過ごしていたのに、どうしてかわからないがマーニャの前だとそれが上手くいかない。

 

「あなたがこの部屋に来る女の子、でいいの?」

 

 握手もほどほどにマーニャはまた窓枠に腰掛けて本を読みだした。肩からこぼれた艶やかな髪のひと房をゆるりと耳に掛ける仕草に、ついフニは目が行ってしまう。

 

「? どうしたの、ぼーっとして」

「あっ、えと、その、……なんでしたっけ」

 

 ついマーニャに見とれてしまっただなんて、初対面で言えるはずがない。顔を俯かせたフニをマーニャはくすりと笑って、もう一度尋ねてきた。こんどはゆっくりと。

 

「あなたが、私のルームメイトでいいの?」

「あ、はい。そうだと……思い、ます」

「そう。なら尚のことよろしくね。あ、ベッドは上を使って構わないわ。代わりに机は窓側を使わせてもらうけど」

 

 部屋は二人用で、勉強机が二つ、共用のクローゼットがひとつ、二段ベッドが一つの簡単なつくりだ。フニは頷いてキャリーケースの中身をさっそく開けた。服やら筆記具などを部屋に置いていく。

 

「でも残念。ここ数か月、誰も入ってこなかったから一人を満喫してたのに」

 

 顔を上げると、マーニャは本に目線を落としながらそう言っていた。独り言、だろうか。これまで人と接する機会の少なかったフニでは判断が付かない。そのままフニが静かにしていると、マーニャは気にする様子もなく窓の外に目を向けた。

 外では桜並木が華麗に咲き誇って、目に鮮やかなピンク色を映す。マーニャは青空を飛ぶ小鳥を見上げながら笑って言った。

 

「ほら、春になると窓から桜が見えるのよ。角部屋で少し広いし、風通しもいいし、いい部屋でしょ?」

「そうですね」

「ここ、事務の手伝いをして勝ち取ったの」

 

 ……いったい何を言いたいのか、フニにはさっぱりわからない。

 

「邪魔だから出て行けと、そういう事ですか」

 

 十期生に噛みつく一期生という構図は、見るからに舐めてかかっていると思われるのだろうか。以前のルームメイトとはそれで上手くいかなかったのに。

 それでもフニはどうでもよかった。こんな学園、何か不祥事でも起こして辞められるならそれが本望だ。ただ親が『行け』と言うから渋々通っているだけなのだし。

 

「え? 違う、違うわ、そんなの」

 

 フニの投げやりな言葉を、マーニャはおかしそうに笑って流した。

 

「ただ、綺麗な景色だって、あなたにも思って欲しかったのよ」

 

 たったそれだけ。マーニャは外の景色を見ながらそう呟く。

 深い感情などなく。つまりはフニへの大した興味も持たない。

 フニは、そんなマーニャの態度がよくわからなくなった。これまで出会った様々な人と全く違う雰囲気が不思議でならなかった。

 なんなんだろう、この人――。そう、フニは首を傾げてしまう。

 

「これからよろしく、フニちゃん」

「…………よろしくお願いします」

 

 まあ、何はともあれ。

 こうしてフニとマーニャの共同生活が始まった。フニは、今度の人とは問題なく過ごせればいいけど、と大した気持ちもなかったが。

 

 

 

 

 翌日。一限目の講義は実技だった。場所は多目的運動場。一期生のフニは同年代の少年少女たちに混ざって、教師の男性から講義内容の説明を受ける。

 なんてことはない、簡単な魔法の実践授業だ。フニは興味も失って浅いため息を吐いた。教師の説明しているような初歩的な魔法なんて、フニは三歳の時点で習得している。

 教師の説明通りに同じ講義を受けている少年少女たちは、数メートル先の的に向かって魔法を放っては様々な声を上げている。やがてフニの番がやってくると、周りの生徒も、教師の男までもが、小さく息を呑むのがフニにはわかった。

 自分が、賢者の娘だから?

 気色の悪い期待を掛けられているのがありありと実感できたし、だから彼らの望む通りの結果を与えてやることにした。

 

「……【雷光(ダウンス)】」

 

 フニは言葉一つで現象を生んだ。

 虚空より迸る雷鳴は神の放つ光矢の如く。灼熱の煌きをもって一直線に突き進み的に着弾し、その直線軌道上まで含めて全てを爆ぜ散らす。

 轟音は一瞬で、すぐに静寂が舞い降りた。人に当たればどうなっていたかなどフニが想像するまでもない。そもそもこれは、自衛用の護身魔法だ。

 

「……」

「……」

「……」

 

 フニが振り返れば、誰も彼もが畏怖の視線を向けてきた。 

 子供でも扱えるような低級の魔法も、魔力の燃焼効率を弄ればこれほどの威力を有する――そんなことを教師の男が慌てて補足しているのを遠目に、フニは生徒の輪から抜けて一人講義を後にする。この程度の講義に参加する意味が感じられない。

 

「何様だよ、あいつ」

 

 陰口が聞こえる。背中に突き刺さる好奇の視線がうざったくて、イライラした。

 広大な運動場を少し散歩してから部屋に戻ってしまおうと、そう思い直してフニはあちこちで開かれている実技講義を遠目に眺めだした。だけどそこら中で行われている魔法はフニの知っているものばかりで、すぐに興味を失ってしまった。

 そもそもフニは、この学園で習うだろう全ての魔法を既に修めている。賢者であるはずの父親ですら、『もう教えることはない』と指導を投げられるほどだった。

 

「人生なんて、つまらない」

 

 じゃあなんで、こんなところに通っているのだろう。父親は何を学べばいいのかも教えずに学園へと送り出した。魔法を習い、魔法を研究するこの学び舎で、それ以外の何を教わればいいんだろうか――。

 フニはふと、ある人だかりが目についた。居残り、だろうか。一人の女生徒が何度も何度も詠唱を繰り返して、不発の魔法を発現させようと努力している。

 【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】。

 女生徒は低級の魔法を何度も呟く。だけど熱を持った光は一度だって発生しない。まるで女を拒絶するみたいに、魔法は鳴りを潜めている。

 

「……」

 

 そんな女生徒の後ろでは、よくわからないが何人かの女生徒(魔法の練習をしている女より年下に見える)が応援の言葉をかけていた。タオルや飲み物まで持っていて、あれはいったい何なんだろうか。

 【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】、【雷光(ダウンス)】――。

 フニはその女生徒を知っていた。少し土埃で汚れても、うねりのある艶やかな黒髪は一度見たら忘れない。気高い黒猫のような高貴さのある美貌も。

 

「……ふーん」

 

 フニは少しだけ、興味を持って彼女を見つめた。

 

「あの人、魔法、使えないんだ」

 

 ――マーニャはどうやら魔法を使えないらしい。だから何だという話ではあるが、フニにとっては意外なことだった。まさか世の中に、そんな人がいるなんて思いもしなかったから。

 その日の午後。食堂で夕食を済ませたフニは、寮に戻って一人静かに本を読むマーニャに、意を決して口を開いた。

 

「あの」

「?」

 

 日も落ちてきたこともあり、勉強机の照明を着けて黒縁メガネをかけて何かの本を読むマーニャは、顔の向きはそのままにフニを見る。日中見たような努力をする様子ではない。横眼の視線にフニは少しだけ肩の力が入った。 

 

「魔法……つかえないんですか?」

「あれ、ひょっとして見てた?」

 

 こくこくと頷けば、マーニャは恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「やだ、恥ずかしい。無様なところを見せたわね」

「いえそんな、別に。努力は大事だと思います」

「……そうね」

 

 本に栞を挟んで机の上に置くとフニに体ごと向き直るマーニャ。黒縁メガネを外して目頭をゆっくりと揉みながら、彼女は言った。

 

「昔っから、何一つ魔法は使えなかったの。子供が使えるようなものですらね」

「じゃあ、この学園には魔法を習うため?」

「違うわ」

 

 きっぱりとマーニャは否定した。

 変だな、とフニは思う。だって魔法を使えるようになるために、この学園に居るんじゃないのだろうか。だって彼女は十期生だ。そういう魔法不全の体質を研究するためだとしても、おかしくない。

 

「私がここにいるのは、この学園の持つ蔵書数よ」

「――?」

 

 意外な答えにフニは首を傾げてしまう。

 

「本、ですか」

「そ。人類の叡智、その集合体。私はあそこの本全てを読むためにここに入った」

「すべて、って……」

 

 ここ王立魔法学園は、規模で言えば最大のものを誇る魔法学園だ。在籍生徒数は2000人を超す。学年は一期生から十五期生まで。だけど十五期まで在籍する生徒はほんの一握りで、ほとんどが途中で辞めるかしてしまうのだ。たまに、飛び級で数年で卒業していく人もいるらしいけれど。

 話を戻す。つまりこの学園は世界最大規模で、だからその学園が持つ図書館は、言ってしまえば国立図書館よりも蔵書数が多い。

 

「10万冊はあるって聞いたこと、あるんですけど……」

「そうね。正確には13万5431冊」

 

 マーニャはさらさらとそう言ってのけた。13万冊……想像するのも、難しい。

 

「芸術、文学、様々な分野の専門書、各国の歴史書から神話集――禁書指定の封印書まで」

「……」

「この学園に入るだけでそのほとんどの閲覧許可が下りる。それだけじゃあない。この学園で優秀な成績さえ残せば、禁書にまで手が届く。最高じゃない?」

 

 それはフニにはよくわからない話だった。フニにとって本とは、魔法の理論がのっている文献資料でしかない。別に興味がないわけでもないが、世のほとんどの魔法を扱えるフニには無用の存在だった。

 

「私ね、昔から魔法はからっきしだった。体を動かすのも苦手で、剣もまともに振るえないわ。その代わり……なのかしら。一度読んだ本の内容はほとんど覚えられるのよ」

 

 つまりね、フニちゃん。

 

「私、知識欲がすんごいの」

「はあ。すんごい、ですか」

 

 遠い世界の話でも聞いているみたいに、フニの反応は曖昧だ。マーニャはくすくすと笑って、勉強机に置かれた何冊もの本の装丁をゆっくりと撫でる。

 

「本はいいわ。だって、人ひとりの寿命じゃたどり着けない世界まで見せてくれる。世界の果ても、その更なる先の幻想まで……」

「……自分で行けばいいじゃないですか」 

 

 つい口を出してしまった一言に、マーニャは柔和に笑った。「そうね、それが一番だわ」と。触れてはいけない質問だったかもしれない――そう反省するフニは、ふと、自分がこの学園に来て初めて一人の人とこんな長話をしていることに気付いた。

 変だな。この学園に居る人なんて、皆馬鹿だと思ってたのに。

 どうしてかはわからないが、目の前のこの女の人だけは、嫌いになれそうにない自分がいる。フニは少しだけ困惑した。

 

「フニちゃん、あなたは? 本、好きじゃない?」

「別に……わたしは本など読まなくても魔法を覚えられるので」

「あら、あら、それはまた」

 

 自慢っぽいことを言ってしまっても、マーニャは不快にもならなかった。

 口許に手を当てたマーニャの仕草は、なんというか現実の貴族や王族よりもお姫様っぽい。この人はひょっとして本物のお姫様なのかな、なんてことをフニは思ったりした。すごく優しいから。

 

「すごいのね。ひょっとしてフニちゃんって、賢者の娘だったりするのかしら」

「え」

 

 今度はフニが驚く番だった。何を言ってるんだろう、この人。

 

「その通りですけど……」

「えっ、そうなの?」

 

 更にマーニャが驚く。目を丸くした彼女は本当にフニのことを知らなかったらしい。

 

「じゃあもうその年で、ほとんどの魔法は扱えたりするの?」

「……そうですけど。ていうか、親からも『教えることがない』って」

「すごいじゃない!」

 

 いきなりマーニャが椅子から立ち上がる。突然のことに肩を震わせたフニを見て、興奮冷めやらぬ様子のマーニャも少し冷静になった。ふう、と息を吐きながら乱れた黒髪を撫でつけるマーニャ。

 

「フニちゃん。あなたの才能はとてもすごいものだわ。大事にね」

「……そう、ですか」

 

 そんなに、凄いこと、なんだろうか。魔法を使えるというのが。フニにはわからない。マーニャのように魔法一つ扱えないわけでは無いから。

 『これくらい普通だ』とずっと思っていて、だけど、世界には全然色んな人がいる。それこそマーニャのような人からすれば、フニの才能は素晴らしいんだろう。自分一人では思いつかなかった事実に、フニは自然と胸に手を当てていた。

 なんでだろう。

 どうしてなんだろう。

 胸が、ドキドキする。

 

「それにしても、もったいないわね。本に興味がないなんて。本って色んなものがあるのよ。そうね、例えば……」

 

 フニの鼓動の強さも放っておいて(当然だ)、マーニャは勉強机の本棚に手を伸ばした。そして一冊、薄い文庫本をフニに差し出す。

 

「はいこれ」

 

 受け取ってみれば、読んだことのない題名だった。なんとなく恋愛小説っぽいなとそんなことを考える。

 

「? これは?」

「フニちゃんくらいの年ごろの女の子が、すごくハマりそうな恋愛小説」

「こんなものまで、あの図書館にはあるんですか」

「それは私物。でも同じものがあるのは知ってる。古典的名作よ。私も昔はよく読んだ」

 

 紙は日焼けしてだいぶくすんでいるが、それでも折り目もなければ紙の端が欠けてもいない綺麗な一冊だった。大事にしてきたのがすぐに分かって、フニはこんなもの借りれないとマーニャに突き返そうとして。

 だけど、10も年上の女は、にこやかに笑んでいる。

 

「読んで、感想を教えてね。絶対よ」

「…………」

 

 相手は21歳。フニの10も歳上だ。逆らうのは難しい。だけど、その本を返そうとできなかったのはそれだけじゃない気がした。じゃあ何なのかと言われると、それは……わからないけど。

 フニは胸元に抱いた本の乾いた感触から逃げるように、話題を変えた。

 

「あの。魔法の実技テスト、どうしてるんですか」

「もちろん零点。使えないもの。その代わり、魔法理論のレポートの提出と、座学のテストで常に一位でいるかわりに単位をもらってるの」

「はあ……すごい、ですね。一位ですか」

「そうでもないわよ」

 

 さらりと言うマーニャは、勉強をしている様子はない。ずっとこの部屋では何かしらの本を読んでいる気がする。それだけ頭が良い、という事なのだろう。フニにはない才能だ。何故ならフニは……。

 

「そういうフニちゃんは? 何か、不得意なこととかないのかしら?」

 

 う、とフニは言葉に詰まった。そっと目を逸らしても、年上のルームメイトさまは追及の手を止めない。「どうしたの?」と首を傾げる彼女は女王様のように見えた。

 

「あの……じつは、座学のテストが……」

 

 フニは、ほとんどの魔法を扱える。だけど座学で習う魔法の歴史や魔法理論がどうしても理解できないのだ。それこそ、同い年の子供が解けるような算数だって。

 顔から火が出る勢いでフニは猛烈に恥ずかしくなってきた。これまで斜に構えていたぶん、どこかで馬鹿にされている気がして、布団の中に隠れたくなる。

 だけどマーニャは決してフニを笑わず、それどころか驚くような提案までしたのだ。

 

「なら教えてあげましょうか?」

「……え、でも」

 

 それは願ってもみない提案だけど、でも、いいんだろうか。こんな生意気な小娘に時間を割いて、だって無限に近いほどある蔵書を読むっていう大事な目的があるのに。――そんな言葉が喉元までつっかえて、うまく口から出ていかなかった。

 膨らみ過ぎた言葉がうまく出ていかないような、少し鼻の奥がツンとするような、そんな不思議な感覚。

 

「いいのよフニちゃん。ルームメイトじゃない」

「ですけど……わたしなんかが……」

「いいの」

 

 強引に言い切ると、マーニャは椅子をフニの机まで移動させる。

 

「ほら、少しどいて?」

「あ、はい」

 

 マーニャに言われた通り、わからない教科や分野を教えると、「じゃあまずは算数からにしましょっか」とそういう事になった。机の上にてきぱきと広がっていく参考書やノートを前に、既に年上のルームメイトは先生モードに入っている。

 

「ふーん。基礎的な数学ね。これは公式を当てはめればいいだけよ。こっちはその応用。文章から、何を求められているかを考えるの」

「……はい」

 

 椅子をくっつけて同じ机を見つめる静かな時間。聞こえるのはさらさらと紙面を踊るペンの擦れる音と、マーニャの柔らかい声だけ。

 教科書を指差すしなやかで細い指。すぐ傍にある柔らかい熱。ふんわりと香る花のにおい。そして心地よい女声。

 この人は、なんていうか、すごく不思議。あれだけささくれ立っていた心が彼女の前だとすごく丸くなってしまう。ああ、この人はモテるだろうな、とフニはぼんやりと思った。

 そういえば、もうすぐ定期テストがあるんだった。

 フニは少しだけ、本当に少しだけ、真面目に授業に参加してみようと思った。

 

 

 

 

 さてそれから二週間後。全てのテストが終わり、学園全体に緩やかな雰囲気が舞い戻った頃。桜の花びらもおおかた散ってしまった、そんな昼下がり。花はなくともぽかぽかとした陽気が本を読むには最適だった。

 部屋でいつものように窓枠に腰掛けて本を読んでいたマーニャは、廊下を走る『どたどた』という足音を聞いた。ちらと扉の方へ目を向けると、丁度よく扉が開く。

 

「マーニャさまっ」

 

 それはマーニャのルームメイトの、フニだった。柔らかそうな栗毛と同じ色をした丸い瞳が印象的な、可愛らしい少女。マーニャは少女のことを結構気に入っていた。

 

「はいはい、どうしたの。そんな慌てて」

「テストっ、テストでっ……点数が……」

 

 少女が興奮気味にぐいと突き出してきたのは、定期テストだ。紙には問題と答えと正否が乗っている。点数は――95点。

 フニはテストの紙を胸元にぎゅっと抱いて、蕩けるような瞳をする。こんな表情もできるんだな、とマーニャは思った。出会った当初はすごくぶっきらぼうな女の子だったのに。

 

「こんな点数……初めてです」

「よかったじゃない」

 

 頭を撫でてやれば、フニは拒絶もせずにくすぐったそうに目を細める。実家で飼っていた犬みたいで可愛い。いや、犬扱いは失礼か。でも可愛い。

 

「マーニャさまのおかげです」

 

 それに可愛いことも言ってくれるじゃないか。いつの間にかマーニャ『さま』と呼ぶのも定着していて、だいぶ距離感が近づいている気がした。マーニャは可愛い妹が出来たみたいで悪い気がしない。

 

「じゃ、お祝いしましょう」

 

 ぱんと両手を合わせてそう提案すれば、フニは怪訝そうな表情をした。「お祝い、ですか?」と嬉しがっていいのか断るべきなのか迷っている、そんな顔。謙遜しているのかもしれない。

 マーニャは矢継ぎ早に言う事にした。

 

「フニちゃん、ワインはいける口?」

「あの、あんまり渋いのじゃなければ」

「じゃあ白ね。スパークリングにしましょう。あとはチーズと……ね、ね、なにが好き?」

 

 マーニャは読書の虫ではあるが、料理だってそれなりに出来る。

 さて、フニの好物はなんなのだろう。期待を込めて少女を見つめれば、フニは途端に頬をかあっと赤くして俯きながら、ワンピースの裾をきゅっと握り。

 

「お、オムレツが……」

 

 と、そう言う。

 すごく子供らしくて可愛いなと、マーニャは小さく笑った。

 よし、頑張って好物を教えてくれたルームメイトのためにも、綺麗なオムレツを作ろうじゃないか。

 

 

 

 

 勉強机の上にクロスを敷いて、ワインボトルを何本かと、グラスをふたつ。食堂で貰ってきた余りもののチーズと、食堂を少し借りて作った出来立てのチーズ入りオムレツ。黄色く輝くふっくらしたオムレツにフニは目をきらきら輝かせた。

 マーニャが白のスパークリングワインをグラスに注ぎ、しゅわしゅわと泡立つ酒をにっこりと見つめる。

 

「乾杯」

「……かんぱい」

 

 かちん、とグラスを鳴らしてゆっくりと白ワインを飲んだ。心地よい炭酸の刺激が肩の力を抜いてくれるような気がした。

 

「マーニャさまは、お料理がお上手なんですね」

「ええ。家じゃよく作ってたもの」

 

 聞くところによると彼女は地方貴族の三女だとか。貧乏でもないが裕福でもない家で、よく庭で育てた野菜を使って料理を振舞っていたらしい。もっぱらマーニャはシェフ役だったそうだ。

 マーニャの作ったオムレツを食べながら(とてもおいしい)、フニはつい聞いていた。

 

「いいんですか」

「何が?」

 

 祝いの席に水を差すような真似をしている。そう気づきながらもフニは尋ねずにはいられない。

 思い出すのは、この部屋の外で何度か見たことのあるマーニャの姿だ。彼女はいつも何人かの下級生に――それも女子生徒に囲まれていた。

 

「マーニャさまには、お友達がたくさんいらっしゃるはずです。こんなこと……わたしとなんかしなくても」

 

 それだけじゃない。マーニャは教師陣からも人気の生徒で、よく頼まれごとを片付けていたりしているのも知っている。図書館によく居ることから『深窓の令嬢』などと呼ばれていることも、フニは知っている。

 今日の酒のつまみに用意したチーズだって、食堂でマーニャが懇意にしている調理人から分けてもらえたもの。ワインだって購買のおばさんからタダで譲ってもらえたのだ。

 全てが全て、彼女への厚意で世界が回っている気がした。

 自分のようにすれた生意気な子供でなく、誰からも愛される素敵な人。そんな人を同じ部屋というだけで、フニが独り占めしていいんだろうか。

 

「友達なんかじゃないわ。ファン、ってところよ」

「はあ。ファン……」

「私、なんでか知らないけど異性より同性にモテるみたいなの」

 

 マーニャのからかうような言葉に、変にどきどきしてしまうフニ。グラスの中身を空にして、小さなげっぷをしてしまった。慌てて口を隠しても遅い。マーニャはくすくす笑っている。

 むー、と顔を赤くしたままフニは口を開いていた。変に体が熱いのはもう酔っているからなのか、どうなのか。

 

「じゃあ、なんでわたしなんですか」

 

 曖昧な質問にマーニャは不思議そうな顔をする。分かっているくせに、とフニは少しだけ唇を尖らせた。

 フニは魔法しか才能がない。他はあんまりだ。

 逆にマーニャは、魔法以外の全ての才能を持っている。だけど逆に言えば魔法の才能だけは無いということだ。だから彼女がフニを傍に置いておけばいつか役に立つかもしれない――そういうことを、聞いている。

 もっとも端的に表すならば、

 

「わたしが――賢者の娘だから?」

「違う。違うわよ」

 

 フニの頭上に、しっとりとした手が触れる。慈しむような撫でる動きについフニの目線が下がった。

 

「――私ね、面食いなの」

「へ?」

 

 マーニャの手も払いのけるようにして、顔が跳ね上がった。びっくりして見上げたマーニャの笑みはどこか蠱惑的に見える。小鹿を前にした肉食動物、みたいな……。

 

「え、えっ、どういう……」

「あっ、ちょっと、別に変な意味はないですからね?」

 

 慌てて服の前を腕で隠そうとしたフニを、同じように慌ててマーニャが訂正した。

 

「あなたの目が綺麗だったから。理由なんてそれくらい」

 

 あえて言うならね、とマーニャは付け加える。本当にそれくらい軽い理由で傍にいてくれたのだと。『賢者の娘』としてではなく、『綺麗な瞳をしている』という理由。なんだかフニは胸が熱いもので一杯になっていく気がした。

 

「あなたは、変な人……ですね」

「そう?」

「そうです。だって、みんな、わたしが賢者の娘だからって変な目で見ました。わたしを『フニ』としてじゃなくて……『賢者の娘』として」

 

 思い出すのは常に親と比べられてきた自分だ。人が群れる場所というのはそれだけで何か大きな意思があるように感じられる。フニには特にそれが悪いものにしか見えなかった。

 

「でも、あなたはただわたしの、その……目が綺麗だからって」

 

 だけど彼女だけは、マーニャだけは違ったように思う。そもそも彼女はフニが『賢者の娘』だとすら知らず、ただの少女として接してくれた。

 それだけだ。

 それだけだけど、それが一番うれしい。

 

「――フニ」

 

 え、と見上げる顔。

 マーニャの瞳はフニを覗き込むように見つめていて、とたんにフニの体は鎖にでも縛られたみたいに動けなくなった。

 そっと伸びてくる手。頬を撫でて、そのまま耳たぶに触れた指先が、耳元の髪を揺らす。こそばゆい感覚にフニは目を閉じてしまった。

 

「フニ、でいいかしら」

 

 マーニャは名称の話をしている。それは、わかった。たったそれだけの事なのにどうしてか、凄く心臓の音がうるさい。変だな。これは、変だ。

 

「なんで今更……」

「なんだかあなたとは、長い付き合いになりそうで」

 

 そうだろうか。また、前のルームメイトのように仲たがいを起こしたり、しないだろうか。……フニにはよくわからない。

 瞼を上げる。

 マーニャを見る。綺麗なお顔。

 本物のお姫様みたい。――別れたくはないと、確信した。

 

「なら、わたしも、おねえさまって…………呼んでいいですか」

「まあ……」

 

 耳に触れていた手が離れて、マーニャは目をとびきり丸くしてみせた。

 

「ほんと、かわいい」

 

 マーニャはくすくすと笑う。フニも笑おうとしたけど、上手に頬が動かない。こういう時、不器用な自分が嫌になる。

 だけどそんな自分を気に入ったと言ってくれる人がいるなら、それでいい。

 

「お姉さまは面食いですね」

「そうよ。だからあなたが気に入ったの」

 

 二人はもう一度グラスに酒を注いで、かちんとグラスをくっつけて音を鳴らした。二人だけの静かなお祝いの時間は、ゆっくりと流れていく。

 ああ、本当に長い付き合いになりそうだな――と。

 フニはその時、確信した。

 

 

 

 

 

 

 それから一年後、マーニャが飛び級で学園を卒業するのに合わせて、フニは僅か一年で学園を飛び級卒業する。退学ではなく卒業。異例の卒業は『新魔法の発見』という偉業を成し遂げたからこそ許されたものだった。

 マーニャはその膨大な知識量から学園図書館の司書を、フニは若干12歳にして学園の教職となることを求められたが、二人は特に悩むこともなくその申し出を断った。そうして二人はその後しばらく旅をして、ひょんな事からマーニャは『勇者』に選定されることとなるが――。

 それはまた、別の話だ。

 

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