女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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旅人時代、アイから始まる私とあなた

 

 記憶は、酒のせいで曖昧だ。

 第一王子は気付けば居なくなっていた。結局、本当に彼が第一王子“忌み子”グロリアスだったのかなんてマーニャには分からない。どうでもよかった。

 足取りも危うく歩く時間は無限に近い。既に落ちた太陽は街中を暗くして、街灯に照らされた人々の姿を虚ろにしていた。ほとんど泥酔に近いマーニャにはそう映った。

 

 一体どこを歩いて、一体何を考えているのかもわからない。

 ただ夕暮れ時から歩き続けたこの身に体力は残されていなかった。

 

「……」

 

 ぺたりと、マーニャの体が裏路地にへたり込む。腰は砕けたように動かない。

 限界だった。魔法を使えないマーニャではこれ以上動くことが出来ない。

 

「フニ、フニ。フニ……」

 

 寒さを紛らわすために呟く少女の名に、答える者は誰もいないというのに。

 けれど、ふいに目の前で足を止める誰かが一人。――縋るような表情で顔を上げれば、髪の短い女が一人。

 

「探したぞ」

「…………先輩」

 

 アズル。アズゥラトリクス・ビスト・サバーニャ。

 マーニャが入学当初から世話になった女が、そこにいた。

 

「どうして……」

「どうしても何も、お前が家から飛び出しちまうからだろ」

 

 そういえば、フニが姿を消して以降彼女と話した記憶はない。マーニャは結局アズルの家に泊まっていなかった。

 疲れているらしいアズルの顔は、凍えた風によってまばらに赤い。走り回っていたのかもしれない。それだけ心配されたという事だ――そこまで頭が回っても、マーニャはぼんやりと彼女を見上げることしか出来なかった。

 裏路地の汚れた地面にへたり込むマーニャに、アズルはがりがりと頭を掻く。彼女が苛立っている時の仕草だった。

 

「なんだよ。辛い事でもあったのか?」

「そういうわけじゃ、ないですけど」

 

 躍起になって言い返す言葉に、元気はない。

 それでも事情を話さないマーニャに呆れたような溜息を吐いて、アズルはマーニャの隣に腰を下ろした。氷じみた石畳の冷たさに、「いーッ」と体をぶるぶる震わせながら、ジャケットのポケットに手を突っ込む。がさごそを音を立てて彼女が取り出したのは紙箱――煙草だった。

 

「先輩、煙草……」

「ああこれ? 最近ね」

 

 女は指に挟んだ煙草を恥ずかしがる様子もなく笑った。学園にいたころ、アズルは煙草を吸っていなかった。けれど今彼女が見せる笑顔は、マーニャが見た笑顔と変わらない表情だった。

 

「色々、大変なんですね」

「そりゃあな。上手くいかないことも多いさ」

「お花屋さん、大変なんですか」

「そうでもねえよ」

 

 強がりに聞こえる言葉だ。

 

「でも……学生の頃のほうが楽しかったのは確かだな」

 

 それは、マーニャも同意できる。

 あの頃の瞬間すべてに万能感があった。なんだって出来るという自信があった。だから旅を始めて、そうして今、フニとは違う場所にいる。

 

「出来る事なら戻りてーなー」

 

 軽い言葉にマーニャは愛想笑いを浮かべた。子供だったから、楽しさだけを追い求められたのだろう。

 

「マーニャ。お前はきっと、もっと凄い奴になると思ってたよ」

「凄い人にはなれませんよ」

 

 アズルなりに慰めてくれている。それが分からないほどの愚者にはなれなかった。

 

「そうか? だってお前は、誰よりも才能があったぜ。皆お前を見てたよ。お前の未来に期待する奴ばっかりだった」

 

 ……そんなことはない。

 けれど、彼女の目に『マーニャ』はそう映ったのだろう。彼女の言葉に潜む異様な重みを――“期待”という重圧を、マーニャは吐きそうになりながら切り捨てた。

 

「私は魔法が使えませんよ」

 

 だから未来は禄でもない。

 今がそうだ。

 

「ねえ、先輩? あなた達が使える“当たり前”がないのに、どうしたら私は生きられるんですかね」

 

 アズルは知らない。否、きっと世界中の誰もが知らない。

 呼吸すら許可がいるのがマーニャの生だ。

 それでも“当たり前”を持っている人間のように、彼女を扱う、誰もが扱う。――第一王子に詰られた今なら分かるのだ。マーニャにとって、誰かと等しく普通に扱われることは不愉快でしかなかったのだと。

 

「どうしたんだよ。なんか……嫌な事でもあったのか?」

 

 当然のように訊いてくる先輩には絶望しかない。

 違う。

 求めていたのは彼女ではない。ここには腐敗した生ごみと煙草の不思議な香りしかない。

 風はやはり冷え冷えとして喉を縮こまらせる。人々の熱気が絶える裏路地だから余計に。

 

「フニ。どこにいるの、ねえ、フニ……」

 

 ――そうして落ちる精神で思うのは、あの少女は特別だったということ。

 疲れていたはずの体は屍のように動いてくれる。

 ふらふらと。それでもマーニャは歩き出した。

 背に掛かる”当たり前“の女が出す声も忘れて。一歩、一歩、暗がりへと。

 そして。

 

「お姉さん、一人?」

 

 振り向く。

 そこに、会ったこともない男たちが3人、

 

 

 

 

 

 フニ・フラ・フリペチーノは魔法における天才だ。

 その気になれば、記憶に残るマーニャの匂いを伝手に彼女の居場所を探り出すことすら可能だった。

 魔法とは極めれば万能の力。フニは既にその域にある。

 そうして少女が駆ける街は既に暗い。街灯の薄ぼんやりした灯りの中で、人々はしめやかに祭りの終わりを堪能しようとしている。

 緩やかな足取りの人々の中で、フニは走っていた。

 全ては仲違いしたマーニャに会うため。

 

「……!」

 

 分かる。感じる。追える。

 表通りを脇に逸れ、人通りの絶えた道に入ってすぐだ――そこに昨夜押し倒し、逃げ出したお姉さまがいた。

 ガラの悪い男達に囲まれ、今まさに魔法を放たれつつあるマーニャが、

 

「――お姉さま!」

 

 本能が無数の魔法を起動させた。

 純粋衝撃魔法、炎生成魔法、雷生成魔法、風生成魔法、その他無数の物理的衝撃力を持った魔法たち――秒の間隙を縫うほど高度で精緻な魔法群に、不良全員が吹き飛ぶ。 

 男たちの悲鳴が聞こえた。

 例え見た目が少女でしかなくとも、敵うはずのない相手に不良達は悲鳴を上げて逃げていく。――フニは焦りに血走る目でマーニャを見た。

 裏道の先。暗がりの中で、マーニャは笑っていて。

 

「……………あり、が、とう」

 

 あれほど求めた、彼女の美しい声音がそこにはなかった。

 あるのは不安定に抑揚の狂った微笑みだけ。離れた一日の間に何があったのか。

 慌てて近寄り、彼女から漂う酒気につい声が漏れる。

 

「お、お姉さま! お酒飲んでるんですか!?」

「うん……飲んでる」

 

 フニと目を合わせずに笑う彼女の頬は、薄らと赤い。マーニャの顔を注視して、フニは息を呑んだ。

 裏道の暗がりの中、祭りの灯りがぼんやりと照らす彼女の口元――内出血の赤紫色。

 

「か、かっ顔、顔顔かお顔が!」

「殴られちゃったわ。でもちゃんとやり返したから。見たこと、あるの。相手の手首をこう、えいって捻るのよ」

 

 男に殴られた痛みなんて忘れたみたいに手首を回すマーニャの笑顔は、どこかが壊れていた。

 

「私……一人でやれたわ」

 

 殴られても、痛くても、弱くても、生きられる。そう証明できたのだと。誰かに守られるばかりではないのだと。そう実感できたからこその笑みは、フニからすれば歪そのものだった。

 

「私、ね。一人でなんとかしようとしたのよ。何とか出来ると思ったの。きっと、私は、大丈夫だって」

「……っ」

 

 それでもマーニャに魔法は使えない。

 先ほどもそうだ。あの時フニがいなければ、男たちの魔法でマーニャは酷い目にあっていたのだから。……いや、酷い目なんて生易しい表現を越えた状況になっていたはずだ。

 誰もが持つ必要最低限の魔法防壁すら持たないということが、どれだけの暴虐を呼ぶかなど、フニの幼い頭では想像も出来ないのだ。

 

「ねえ、どうしてあなた達は指先から火を生み出せるの。どうして念じただけで物体を動かせるの? 私にはない力を、あなた達は当然のように使えるの?」

 

 裏道の汚い地面に膝をつくマーニャは、絶望の暗い目でフニを見上げる。口元だけが微かに笑っていた。

 

「……っ」

 

 自己肯定と自己否定が複雑に混ざった笑顔にフニは気圧され、たじろいでしまった。

 これだけは分かる。

 目の前にあるのは、マーニャという女が持つ闇だ。

 魔法において自他共に認める天才のフニでは、決して知り得ない苦痛――少女が何も言えないでいるのをどう受け取ったのか、マーニャは昏く俯き。

 そして。ぽつりと。

 

 

 

「誰かと居ると、殺されるんじゃないかっていつも思ってた」

「――」

 

 

 

 ――生きるという事が、地獄のすぐ上で行う綱渡りじみて苦痛だった。

 どれだけ親しい人でも。友愛で接してくれる誰であろうと、一瞬の怒りで魔法を振るえる。その暴力に抗う術がないのでは、首の骨が折れるのを待つだけのひな鳥にしかなれなかった。

 

「ち、ちがっ! わたしはそんなつもりで!」

「違うの。フニのことじゃ、ないわ」

 

 問いたいのは、フニの暴行ではなく――面を上げた女の黒い瞳は、少女のどこも映さずに。

 虚ろさのまま言葉が漏れていく。

 

「どうして私は殺されなかったの? どうして私は父さんに嫌われるの、母さんに愛されているの、ラナ姉さんは、ジーニャ姉さんはどうして……」

 

 項垂れるマーニャは両手で頭を掻きむしる。美しいはずの黒い長髪がまばらな房になって垂れる。艶と豊かさが彩る黒髪は、彼女の顔を隠すおどろおどろしい仮面だった。

 

「だって私、なんにも出来ないわ」

「――そんなこと!」

 

 自己嫌悪の言葉にフニが吠えた。少女はやりきれない胸の辛さに泣きたくなった。

 

「お姉さまがいたから! だってわたしは一人じゃ何もできなかった! お姉さまが笑いかけてくれたから、だから旅だってしたいと思えたんです!」

「それでも貴女がいなければ成立しない旅だった!!」

「――」

 

 フニの叫びを塗りつぶす、悲痛な言葉。マーニャがゆっくりと顔を上げて、今度こそフニを見た。

 聡明な輝きの澄んだ瞳は酷くくすんでいて、ねじれた情念で燃えている。

 ――少女の前に、宇宙よりも遥かに黒き闇はふたつ。

 

「私は一人で生きられないし、一人で死ぬことも出来ない」

 

 数十億分の一。それほどまでに、完全な魔法不全障害の確率は低い。

 そんな圧倒的少数の弱者のためだけに世界は回らないのだ。

 火を起こすことも、寝床を拵えることも、何をするにも魔法が必要な世界だった。マーニャには息をする事すら難しい世界だった。

 それでも。それでもだ。

 マーニャがフニを見上げる眼差しには希望がある。依存に近い、べたついた眼差しは不安定で、いつもの彼女らしくない濁ったものだったとしても。

 

「あなたが私を見つめてくれるとね? なんだって出来る気がするの。やらなくちゃって、あなたの尊敬する『お姉さま』にならないとって……」

 

 でも、でも……!

 

「――出来るのは誰かを騙すことだけだった!」

 

 笑顔で人を騙せる。嘘を吐くことに抵抗なんかない。

 生きるために必要な全てを、不足している“魔法”以外の全てを持っているはずだ。

 自信はある。

 才能もある。

 それでもマーニャには圧倒的な飢えしかなかった。

 

「言われたの! 私は自虐の癖があるって! ――その通りだった!! 私は私をこの世の誰より馬鹿にしていた! それでも魔法障害である自分にかけがえのないものを感じているのが私!」

 

 救われないのは自分自身の精神だ。

 

「そうやって自分を自分で嘲笑って……側にいる誰かが私を気遣ってくれるのが、心配してくれるのが――それだけが証明だった! 私の生が愛されていると信じられた!!」

 

 醜い女だと心の内で自分を嘲笑った。

 自嘲の囁きに、じゃあ、と呻く自分もいた。

 

「『私は』私が世界で一番好きよ。

 『私は』私が世界で一番醜いと知っている」

 

 醜悪さだけが生の実感だったら、どうすればいい。

 愛を前提に生き永らえる命が誰にも愛されない世界でどうやったら存在できる?

 自身の呼吸が誰にでも簡単に止められてしまう世界で、愛以外の何が生存を赦してくれた……?!

 

「父とラナ姉さんは私を愛さなかった! 

 私を愛してくれない人を要らないと捨てたのは私!」

 

 本能がそうさせた。

 マーニャは、父かラナにいずれ殺される予感があった。

 

「母さんとジーニャ姉さんは私を愛したわ! 

 けれど求めていない愛だからと離れたのも私!」

 

 感情がそうさせた。

 母とジーニャの愛が息苦しいからマーニャは逃げ出してしまった。

 

「分かった、のよ? 私、誰にでも愛されたいわけじゃなかった」

 

 幼子よりも酷い我がままさを許せなんて言わない。

 世界でたったひとつ、焦がれるほどに求める者から肯定されるのならそれだけでよかった。

 

「私は……あなたがいい」

 

 世界は閉じている。

 マーニャにはそう思える。

 どれだけ無限に満ちた世界を旅したとして、それでも……絶対に飢えが満たされるわけではないのだ。

 

 

 

 “ここではない何処か”……!

 “どこでもない遠くへ”――!

 

 

 

 そんな幻想は歩き続けても得られない。今ならわかる。この旅に価値はなかった。本当に大事なものは、答えは、目の前にあり続けたのだから。

 

「フニ……? あなたと出会った時、桜が咲いていたわ」

 

 綺麗な綺麗な桜だった。柔らかい花の香りと、春の暖かさな日差し。

 

「初めて見たあなたは、本当に可愛かった」

 

 息を……している。

 生きるために。

 

「そんなあなたは私を選んでくれて。私だけを見てくれて、私のために色んな顔を見せてくれた。あなたの全てが嬉しかった」

 

 誰もが誰かの手を借りて、息をするのと同じように、誰かに生きる事を許されている。ここはそういう世界――魔法を使えない女は、だから生の全てを許されたくて仕方がない。

 

「あなたがいるから、何でもやれると思ったの。あなたがいるから何だってやれたわ」

 

 生の承諾。

 肺の収縮によって生じる苦痛の救済。

 それはたった一人から与えられればそれでいい。

 

「あなたが、何でも出来る私を作ったの」

 

 地面にへたり込んで、背筋を曲げて上目に見つめる少女。今この時だけはマーニャよりもフニの方が背は高かった。

 小さくて。

 ふわふわでふにふにで。

 すぐ顔を赤くして、

 瞳がまん丸できらきらしていて。

 ただ笑いかけるだけで嬉しそうにしてくれて。

 ……あなたを愛おしいと思う。

 だけどそれ以上に希う。

 ――――あなたにならば、殺されてもよかった。 

 

 

 

 

「どうしようもなく弱い私の呼吸を、この世で誰よりも強いフニが認めて」

 

 

 

 自分の、弱さを。

 自分では許し切れない部分を、自分よりも強い者が認めてくれるのなら。

 

「だから、ねぇ、フニ」

 

 それはきっと愛だ。

 愛と呼ぶべき愛おしいものだ。

 

「私を……選んで」

 

 マーニャの想いの全てを吐露した言葉に、フニは――少女は震えていた。腕の震えを落ち着けるように、フニは両腕を胸の前で重ね合わせる。

 

「お姉さまを……」

 

 ぱっ、と少女の背で光が上がる。気づけば空は昏い。

 夜になったから、広場で大きな営火が上がったのだ。

 橙の輝きを受け止めて少女が微笑(わら)う。眩しさに、マーニャは目を細めてしまった。

 

「お姉さまを押し倒した時、わたしはすごく悲しくなったんです」

 

 少女ひとりの感情にすら負ける美女だなんて知りたくなかった。

 完全無欠、全知全能、才色兼備。そんな絶対のイメージを崩してしまったマーニャの弱さを、フニはどう受け入れればいいのかも分からない。分からないけれど会いたかった。会えばすべて言葉になるのだと、それだけは解っていたから。

 

あなたは(・・・・)、わたしよりも弱くてあんなにもちっぽけだった。……きっと赤ん坊にだって勝てないのでしょう」

 

 マーニャの、今以上に弱々しい上目遣いが脳裏をかすめる。頭痛に似た響きで脳が揺れて、フニの表情が小さくゆがんだ。

 

「お姉さまは、どこにでもいる、ただ人より綺麗で頭がいいだけの……ふつうの人だったんですね」

「――」

 

 そうとも。

 フニは、ようやく、理解できたのだ。

 魔法不全の事実も、彼女が誰よりも弱いということも、マーニャの美しさと才能に霞んでいたにすぎないと。 

 ――学園の中にいるマーニャは無敵だった。

 旅に出て、外の世界に置かれた彼女は最底辺の弱者だった。

 

「お姉さまは『特別』なんかじゃなかった……」

 

 翼をもがれた天使はただの人だろう。

 遥か頭上の神を見上げていたような心地は、既に湧かない。だけどフニには、今ここにいる彼女を美しい人だと感じられた。

 

「……お姉さま」

 

 それは、同じ地平を生きる同種へと湧く、当たり前の感情。

 人間は隣人を愛することが出来る。

 そして、誰かの大事な人であってほしいと願うことは、人間同士で育んで当然の感情なはずだ。

 

「わたしは、そんなお姉さまの『特別』がいいです」

「……!」

 

 フニはそう言って微笑んだ。

 ――表通りからたくさんの歓声が聞こえる。靴が石畳を踏み鳴らす音楽が聞こえてくる。

 踊っている。歌っている。誰もが誰かと手を繋いで笑っていた。世界には喜びが一杯だった。

 今日、この街は祭りで浮かれている。

 マーニャだけが愕然と震えていた。

 

「わたしは凄く捻くれてて、卑屈で、根暗で、だからすごく嫉妬も独占欲も高いんだと思います」

 

 だから、マーニャを押し倒した。

 だから彼女を独り占めできない事が苛立った。

 

「そんなわたしを、誰もが嫌うわたしをお姉さまが選んでくれた事は忘れられない」

 

 マーニャが、フニに選ばれた(・・・・)と思うように、フニもマーニャに選ばれたと感じている。だから二人は二人だけで旅を出来た。

 

「――魔法が使えないあなたが好きです」

 

 元々、二人だけで完結していたのだから。

 マーニャが恐怖からフニを求める必要なんてなかった。

 

「不器用なお姉さまが大好きです」

 

 空に清浄な青色はない。

 在るのは黒い闇の帳だけで。これ以上ないくらいの暗闇を、しかし、人によって作られた炎が明るくしていた。星々が産む濃淡の瞬きも炎とそれに携わる人々の情熱でいずれは消えていく。

 ここにはフニとマーニャしかいない。

 汚れた地面に膝をつく女と、二つの足で立つ少女だけ。

 

「お姉さま。わたしだけを必要としてくれますか?」

 

 少女が先に、手を差し伸ばした。自分よりも歳も背も大きな女へと。けれど今はフニよりちっぽけな大人へと。

 

「あなたと過ごせた時間が誇りでした。それはこれからだって変わらない」

 

 ねぇ、

 

「わたしと旅をしてくれますか?」

 

 それが女の問いに対する、少女の答えだ。

 マーニャは一言も喋れない。それでも彼女の呼吸は随分楽になっている。

 触れ得べからずは二人を阻む全て。

 未来に、二人が道を分かつ光景などあり得ないのだと、信じたい。

 

「………………」

 

 マーニャは静かに少女の手を取り、その甲へと恭しく唇を近づけて――。

 

 

 

 

 

 夜。

 大きな炎が燃えている。

 無数の人々が街の広場に集い、各々誰かと手を取って踊っていた。静かな時は、祭りの終わりを感じさせる。

 マーニャとフニはそんな人々の営みを眺めながら、ベンチに座っていた。

 

「フニ」

 

 マーニャが、フニへと顔を向ける。女の瞳は膨大な自信だけが輝いていた。

 

「そういえば前に、夜会に出たじゃない? ほら、王女様も参加してた」

「そういえばそんなこともありました」

 

 懐かしむようにフニが笑った。ころころとした表情にマーニャも釣られて笑う。

 

「なんだかとても昔のことみたい。まだ旅をして一年も経っていないのに」

 

 それでも一年は一年だ。

 365日を、3153万6000秒もずっと共に居た。どれだけのずれ違いも、その事実には勝てないのだと、フニもマーニャも分かっている。

 

「……あの時は結局フニと踊れなかった」

 

 そう呟いたマーニャが、すくっとベンチから腰を上げる。踊るような足取りで数歩、前へと歩いて振り向いた。

 

「フニ」

 

 優雅に軽やかに踊る黒髪。

 営火の炎が照らす艶めきは黄金の砂漠よりも眩しく。

 ――彼女の、恋をした乙女のような笑顔に、フニは他の何も見えなくなった。

 

「踊りましょう?」

 

 ドレスも。

 メイクも、音楽隊もないけれど。

 

「ここにはフニと私がいるから」

 

 家名もその価値も、家族の縁も名声も。全て捨ててでも選びたい一人のために。

 気まぐれな魔法一つで誰かを殺せる世の中だ。

 そんな魔法で、異種と生存戦争をしている世界だった。だからマーニャが差し出した手のひらには、秒を刻むことにすら意味があるのだとフニには思えた。

 

「息をするだけで苦しい世界で、それでも目に映るのは貴女だけだった」

 

 ――守ろう。

 彼女の笑顔を。

 彼女と共に居られる未来を。

 

「私と……踊ってくれますか?」

 

 実を言うと、フニは誰かと踊ったことがなかったりする。そういう行事は学園でも避けていた。ひとえに、人間嫌いが理由だった。

 けれどマーニャは、きっとフニが何度彼女の足を踏んでも笑って許してくれる。認めてくれる。

 

「……お姉さまが、わたしの希望でした」

 

 誰かといると、息が詰まって仕方がなかった。

 前のルームメイトに部屋を追い出されて、次にあてがわれた部屋へ向かう時に抱えた鞄の重さ、空虚さを忘れていない。マーニャがくれた全ても、忘れてはいない。

 そうして炎を背に、差し出された手へと近寄る少女はひとり。

 女が笑う。

 少女も笑った。

 赤い輝きは途絶えることなく揺らめくふたつの影を描いていく。

 祭りは、続く。

 

 

 

 

 

 未来に疑問なんてなかった。

 きっとこのまま、二人が二人のままいられる道だけが続ているのだと信じられた。

 けれど人類は魔物と戦争をしているから。

 未来は1秒後には過去になるのだから、フニは、それら『思い出』を否定もできない。

 

「彼女、やっぱり面白い人だったよ。妹が絶賛するのも頷ける。僕の眼にも動じなかった。たぶん彼女、どこかで魔物に会っているんじゃないかな。でないとあの反応はありえない。僕の眼は純正品だ」

「魔物と? それは……ありえない、とは言い切れませんが。彼女が魔物と接触した記録もあります」

「なるほど。ひょっとすると魔王にでも会ったのかもね」

「まさか。ここ百年近く、魔王が人類の前に姿を現したことなど一度もないんですよ」

「まあそうなんだけどね。でも、会えるなら会ってみたいな。会話が成り立つなら是非にでも」

「……そういった発言は控えた方がよろしいかと。最高司令官補佐というご自身の立場をこれ以上危うくすると、本当に命がないですよ」

「いいのさ。別にね。死ぬのはあまり怖くない。それ以上に僕は彼女の数奇な生き方に興味があるよ」

「……」

「彼女なら――あるいは。彼女達なら、もしかしたらと。そんなことを考えてしまう。君はどう思う?」

「職業軍人の立場として言えることはありません。我々は上官の指示に従うのみです」

「それもまた一つの生き方だろう。でも、夢や期待への投資は王族の特権だと思わないかい?」

「……振り回される側の不幸もご一考なさるべきかと」

「恨まれるのは慣れているよ。だからちょっと聞きたいんだけど」

 

 ねえ。

 

「勇者の座は……空位だったかな」

 

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